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東京地方裁判所 平成9年(ヨ)21244号 決定 1998年7月17日

債権者

櫻井康夫

債権者

伊藤一男

右債権者両名代理人弁護士

小部正治

小林譲二

南典男

債務者

アーク証券株式会社

右代表者代表取締役

安藤龍彦

主文

一  債務者は、債権者櫻井康夫に対し、金二七万五〇〇〇円及び平成一〇年七月から平成一一年六月まで、毎月二五日限り、金一三万七五〇〇円を仮に支払え。

二  債務者は、債権者伊藤一男に対し、金四二万四〇〇〇円及び平成一〇年七月から平成一一年六月まで、毎月二五日限り、金二一万二〇〇〇円を仮に支払え。

三  債権者らのその余の申立てをいずれも却下する。

四  申立費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  債務者は、債権者櫻井康夫に対し、金九五万二五〇〇円及び平成一〇年五月から本案判決確定まで、毎月二五日限り、金三一万七五〇〇円を仮に支払え。

二  債務者は、債権者伊藤一男に対し、金一〇〇万九五〇〇円及び平成一〇年五月から本案判決確定まで、毎月二五日限り、金三三万六五〇〇円を仮に支払え。

第二事案の概要

本件は、債務者が、債権者ら従業員の賃金を削減したのに対し、債権者らが、右賃金の削減は労働契約に違反し無効あるいは違法であるとして、労働契約に基づく差額賃金ないしは不法行為に基づく賃金相当損害金の仮払等を求める事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  当事者

債務者は、肩書地に本店を置く昭和二四年五月に設立された証券会社で、資本金二六億一九八四万円、従業員数二三一人であり、東京、大阪、名古屋の各証券取引所に加入している(<証拠略>)。

債権者櫻井康夫(以下「債権者櫻井」という。)は、平成元年一二月に債務者に入社した営業社員であり、証券会社の営業社員歴二五年の経験を有し、債務者入社前は丸三証券株式会社市場課長であった。

債権者伊藤一男(以下「債権者伊藤」という。)は、昭和六二年四月に債務者に入社した営業社員であり、証券会社の営業社員歴一五年の経験を有し、昭和六一年四月に東和証券株式会社を退職した際は課長代理であった。

また、債権者らは、いずれも平成六年一〇月一九日に債権者らで結成した全労連・全国一般東京地方本部証券関連労働組合アーク証券分会(以下「組合」という。)の組合員である。

なお、債務者には、営業員(外務員)として、債権者らの社員営業員のほか、歩合外務員、専任社員(平成四年にもうけられた歩合外務員的色彩を帯びた社員)が存在する。

2  就業規則等

債務者においては、給与に関し、かつては就業規則上は「社員の給与については、別に定める給与システムによる。」(三六条)とのみ規定し、具体的な給与の細目については、毎年五月に改定される給与システムにより、給与の具体的な金額等について定めていた(以下右就業規則を「旧就業規則」という。)。

その後、債務者においては、平成六年四月一日、就業規則の改定が行われ、その三六条に「社員の給与については、別に定める給与規定による。」という規定が置かれ、さらに、給与規定が新設され、右給与規定には、給与の種類が定められたが、初任給等(六条)、職能給(七条)、役付手当(九条)、営業管理手当(一〇条)、営業手当(一二条)、株式手当債券手当(一三条)、証券レディ手当(一四条)、運転手手当(一五条)、住宅手当(一六条)、赴任者手当(一七条)のいずれも、その具体的な金額等については別に定める給与システムによるとされた(以下右就業規則を「新就業規則」、右給与規定を単に「給与規定」という。)(ママ)

給与規定の七条は「職能給(基本給)は、職能資格(職級)、(ママ)別号俸制(別に定める給与システム参照)とし、職能資格に基づき決定する。」と定め、債務者の基本給は職能給であるとしたほか、同八条には昇減給に関する定めが置かれ、「昇減給は社員の人物、能力、成績等を勘案して、第二条に定める基準内給与の各種類について、年一回ないし二回これを行う。但し事情によりこれを行わないことがある。なお、人事考課を行うにあたっては、「経営方針」に示されるセールス(標準)表の各項目や、随時発表される営業方針の各項目や内容及び会社への貢献度その他を総合的に勘案(役職別評価)し、厳正に行うものとする。」とされた。

3  給与システム

給与システムは毎年作成され、各セクション(ほぼ一〇名内外の社員で構成されている。)毎に二冊ずつ配布され、うち一冊はそのセクションの長の用に、他の一冊はセクション内の社員の回覧用に供されており、また、現在では、就業規則とともに労働基準監督署にも届け出られている。

なお、給与システムには、部長・次長・課長・課長代理・主任・一般の区分(さらに課長一・課長二の資格名の呼称の区分)があるが、これはいわゆる資格であって、職制とは関係がなく、給与システム上の部長・次長・課長等の区分、課長一・課長二の区分は、いずれもいわゆる資格の呼称であって、給与及び諸手当の支給額並びに査定を行う際の手数料、預かり資産等の各種の業種の目標数値に違いがあるにすぎない。

4  債権者らの給与

(一) 債権者らの給与額は次のとおりである。

(1) 平成四年四月の給与

(債権者櫻井)六級一一号俸(課長二)

職能給三一万九五〇〇円、役付手当一一万円、住宅手当八万一〇〇〇円、営業手当六万円、調整給二万九五〇〇円の合計六〇万円

(債権者伊藤)六級七号俸(課長一)

職能給三〇万八五〇〇円、役付手当九万五〇〇〇円、住宅手当八万一〇〇〇円、営業手当六万円の合計五四万四五〇〇円

(2) 平成九年一一月の給与

(債権者櫻井)四級三号俸(主任一)

職能給二二万三〇〇〇円、役付手当七〇〇〇円、住宅手当三万七五〇〇円、営業手当一万五〇〇〇円の合計二八万二五〇〇円

(債権者伊藤)三級一四号俸(一般)

職能給一九万三〇〇〇円、営業手当一万五〇〇〇円の合計二〇万八〇〇〇円

(3) なお、右(1)から(2)までの間の給与は別紙給与変動表のとおりである。

(二) 前記(一)のとおり債権者らの給与が変更された理由は、職能給の減額については債権者らの勤務成績不振を理由とする号俸の引下げによるものであり、各種手当ての削減については職給(ママ)の引下げによるほか、債務者の業績等を考慮して給与システムの見直しをしたことによる。

二  主たる争点

(被保全権利)

1 債務者が、人事考課、実績査定により債権者らの資格又は職能給の号俸を引き下げた措置の有効性

(一) 平成六年一一月一日の給与規定八条の新設ないし改定以前における債権者らの資格又は職能給の号俸の引下げ措置の法的根拠の有無

(1) 旧就業規則による変動賃金制(能力評価制)

(債務者の主張)

旧就業規則当時、毎年五月に改定されていた給与システムは、職能を表した「職」ごとに何段階かの号俸を定め、これに相応する職能給(基本給)と各種の手当(付加的給付及び基準外給付)を定めるものである。その上で、債務者は、原則として毎年五月に一定の基準による評価に基づき、各従業員を一定の「職」の一定の号俸に該当するものとして判定し、これを各従業員に告知し、これに相応する職能給と各種の手当て(ママ)を支払ってきている。したがって、旧就業規則は、債務者が毎年五月に作成する給与システムにおいて従業員の資格とこれに対応する職能給の号俸及び諸手当の基準を定め、債務者が人事考課、査定に基づき、各従業員を右の資格と職能給の号俸に当てはめ、これにより、各従業員の具体的な賃金額を決定する変動賃金制(以下「本件変動賃金制(能力評価制)」という。)を認める趣旨であった。

(債権者らの主張)

旧就業規則の下で本件変動賃金制(能力評価制)が存在していたこと、旧就業規則が債務者の主張する本件変動賃金制(能力評価制)を認めていたことはいずれも否認する。

本件変動賃金制(能力評価制)なるものは、債務者が賃金削減の口実を作るために事実に反して持ち出した主張である。債務者の賃金体系の実態は、年功序列型賃金制度であった。また、本件変動賃金制(能力評価性)(ママ)は、旧就業規則その他の就業規則に根拠を持たないものである。

(2) 黙示の承諾

(債務者の主張)

債権者らは、平成六年一〇月に組合を結成して、平成七年五月の賃金変更につき異議を唱えるまでの間は、特に異議等を申し立てず、各査定時期には自己申告書を債務者に提出するなど現状を肯定して、従前どおりの就業を続けていたのであるから、少なくとも平成四年五月及び平成五年五月の賃金変更については、債権者らは、黙示の承諾をしていたものというべきである。

(債権者らの主張)

債務者の主張は争う。

(3) 労使慣行

(債務者の主張)

債務者においては、債権者らの入社以前から、前年度実績により、成果に応じて給与が変更されるとの労使慣行が存した。

(債権者らの主張)

債務者の主張は否認する。

債務者主張のような労使慣行は存在しなかった。債務者が本件の各減額措置を採るまで、賃金が下がるなどといったことは全くといってよいほどなかった。

(4) 合意

(債務者の主張)

債務者は、債権者らが証券業の経験のある中途採用であることから、債権者らに対し、面接時に、債務者においては給与決定の基本方針として能力主義、成果配分主義が採られていること、前年度の実績が重視され、それによって給与が改定されること、中途採用者はプロの営業マンであり、自分の給与は自ら稼ぎ出すこと、原則として自分で開拓した顧客に対して営業を行うものとし、債務者の既存の顧客を付けないこと、手数料や預かり資産を多く挙げる者は年収も多く、それに見合った資格を与えること、社員の年収は手数料のほぼ二〇ないし二五パーセントになることを説明し、債権者らも了解済みである。

よって、債務者は、各債権者らの間で、それぞれ、債務者が具体的な賃金額の確定を毎年の人事考課、査定により決定することを内容とする合意をした。

(債権者らの主張)

債務者の主張は否認する。

債権者らは、面接時にそのような説明を受けていないし、ましてや了解していない。そのような説明を受けたなら、債権者らは債務者に入社するはずがない。

(二) 平成六年一一月一日の給与規定八条の新設ないし改定後における債権者らの資格又は職能給の号俸の引下げ措置の法的根拠の有無

(1) 新就業規則及び新給与規定は旧就業規則の定めていた本件変動賃金制(能力評価制)を確認(明定)したにすぎないのか、あるいは新たに導入したものか

(2) 仮に、新就業規則及び給与規定により本件変動賃金制(能力評価制)が新たに導入されたとして、右就業規則の変更の有効性

(債務者の主張)

賃金であっても、出来高払制その他の請負制の場合、プレミアムの付加等のように、労務提供の成果等によって変動する賃金がある。労働者は、直接には経済市場の変動や企業運営上のリスクを負担することはないが、その裁量に基づく労働によって収益を上げ得る条件(適性、能力等)を備えている場合には、その範囲でのリスクを負担する反面収益を上げるチャンスを与えられる。

債務者の主任、課長等の地位に位置付けられている営業社員は、債務者から右のような条件を備えている者と評価され、少なくともそのように期待されて、その賃金を含む待遇が決定された。その賃金は、債務者の業績の推移のみならず、営業社員の適性、能力(業務遂行能力)と努力の成果としての業績を重要なファクターとし、所定の号俸等に当てはめ、一定の期間ごとに個別に決められるべきものである。したがって、これらの事実を基礎として、労使の利益及び労働者相互の均衡点で決められる賃金は、その性質上変動性を持たざるを得ない。債務者の給与システムの決定及び運用(債権者らへの当てはめ)は、この法理に基づく。

証券会社の営業担当社員(特に外務員)は、各自が事業活動を展開するが、<1>会社の信用のほかに、各自の能力、努力とこれに基づく信用を背景として新たに市場を開拓し、顧客を獲得、維持し、これに対応した高い待遇を求めることができる反面、その危険を負担すべき立場にある者と、<2>専ら会社の信用を背景として営業活動をし、ほぼ定額の給与を得ており、ビジネスチャンスについての危険を負担せず、相対的に収入の低い者とがある。証券会社の営業業務の経験のない者は、<2>の社員として入社し、業務に習熟するに従い、<1>の社員になっていくのが通常である。そして、債権者らは<1>の社員であるところ、債務者は、<1>の社員について、その能力と成果に応じた待遇を行う必要があるため、職能資格制度を採用し、毎回査定時に、給与システム、経営方針、セールスマニュアルにおいて、各資格・等級と目標とする営業成績の数値を明確に示し、手数料収入額、預かり資産高、新規顧客開拓数という評価項目につき公正な人事考課を行って、各社員の役職及び各級各号への当てはめを実施している。このような賃金制度は、査定、評価が著しく不合理であると認められない限り、合理性が認められる。

(債権者の主張)

本件変動賃金制(能力評価制)の導入は、就業規則の一方的不利益変更に該当するから、高度の必要性に基い(ママ)た合理的な内容でなければならないところ、これらの要件を満たしておらず無効である。

2 債務者が、その業績等を考慮して給与システムの見直しをして諸手当を減額した措置の有効性

(債務者の主張)

債務者においては、本件変動賃金制(能力評価制)の下で、毎年作成される経営方針書、セールスマニュアル、給与システムを基準として、各社員の営業成績を考課・査定して賃金額を決定しているのであって、給与システムが直接変更されるというのではなく、あくまで当てはめの問題であるから、右給与システムの法的性格は、就業規則ではなく、その運用内規にすぎない上、諸手当は付加的給付であるから、債務者の合理的な裁量によって減額することができる。

(債権者らの主張)

給与システムの変更によって、諸手当の具体的な金額が決定され、それが従業員全体に適用されるのであるから、就業規則の一部であることは疑う余地がない。ところが、債務者は、就業規則の不利益変更の要件となる、高度の必要性に基づいて合理的な内容のものであることを根拠付けるに足りる事実の主張をしておらず、主張自体失当である。

また、諸手当も、賃金の一部であり、そのうちに占める割合も大きいのに、被告は大幅な減額をしており、付加的給付であることを理由として合法化することはできない。

3 仮に前記1又は2が無効である場合、債権者らの賃金の減額部分の支払請求は、権利の濫用であり、信義則違反かどうか

(債務者の主張)

債権者らの営業成績は、平成四年以降低下の一途をたどっている。債権者らの給与の減額は、各債権者らの営業成績の劣悪さを給与面に反映させた結果にすぎず、債務者の恣意的な意思は全く介在していない。債権者らよりも成績が下位の者のほとんどは依願退職あるいは自ら専任社員へ転向していったことに鑑みて、債務者は、債権者らの解雇を真剣に検討してきたが、債権者らの生活を考慮して解雇を猶予してきた。債権者らは、解雇されないことを奇貨として、本件申立をしているものであり、権利の濫用に該当し、又は信義則に反する。

(債権者らの主張)

債務者の主張は、労働基準法が賃金全額支払の原則等を定めて労働者の生活基盤である賃金の支払いを確保しようとしていることに真っ向から反するものであり、失当である。

債権者らは、債務者によって預かり資産を奪われたのであり、債務者の嫌がらせと不当労働行為こそ問題とされなければならない。

債務者の従業員で依願退職し、あるいは専任社員へ転向していった者は、それを強要されたからである。債権者らが、その強要に応じず、組合を結成したため、債務者は、様々な嫌がらせと不当労働行為を行い、債権者らの賃金を恣意的に減額したのであり、経営権を濫用したものというべきである。

4 仮に前記1又は2が無効である場合、債務者のした各減額措置は事情変更の原則の法理に照らして有効かどうか

(債務者の主張)

期間の定めのない労働契約は、継続的な契約関係であるから、契約の基礎となった事実に変化があり、既存の労働条件のままで契約を存続させることが不公正、不合理になった場合には、使用者は、労働者に対して新しい労働条件を提示して変更を申し込むとともに、その承諾を得られないことを条件として当該労働契約を解約する意思表示をすることができるものと解するのが相当である。このような変更解約告知の法理に照らしても、労働者の極端な成績不良の場合には、使用者は、給与の減額措置を採ることができるものと解するべきである。

(債権者らの主張)

整理解雇の要件、就業規則の一方的不利益変更の要件に関する判例法理に照らし、これと抵触する変更解約告知の法理を認めることはできない。また、本件は変更解約告知の法理の妥当する場合でもない。事情変更の原則の法理に関する債務者の主張は、その前提となる議論が成り立たないから、理由がない。

(保全の必要性)

債権者らは、第一次仮処分決定の後、債務者が差額賃金の支払いをしないことで、生活費に著しい不足を生じて、借り入れもかさむなどして生計の維持がますます困難な状況になってきており、債務者が差額賃金の支払いをしなくなった平成一〇年二月分からの賃金仮払いが是非とも必要であると主張し、債務者はこれを争う。

第三当裁判所の判断

一  認定事実(争いのない事実を含む。)

1  債務者の状態(争いのない事実)

(一) 証券取引法五四条二項は大蔵大臣が証券会社に対し、次のように財務状況について一定の事由のあるときには監督上の命令をすることができる旨定めている。「大蔵大臣は、証券会社の財産の状況が次の各号のいずれかに該当する場合において、公益又は投資者保護のため必要かつ適当であると認めるときは、その必要の限度において、業務の方法の変更を命じ、三月以内の期間を定めて業務の全部又は一部の停止を命じ、財産の供託その他監督上必要な事項を命ずることができる。」

<1> 資本、準備金その他の大蔵省令で定めるものの額の合計額から固定資産その他の大蔵省令で定めるものの額の合計額を控除した額が、保有する有価証券の価格の変動その他の理由により発生し得る危険に相当する額として大蔵省令で定めるものの合計額を下回り、又は下回るおそれがある場合として大蔵省令で定める場合

<2> 金銭若しくは有価証券の借り入れ、受託若しくは貸付け又は有価証券その他の資産の保有の状況が大蔵省令で定める健全性の準則に反した場合又は反するおそれがある場合

<3> 前二号に掲げる場合のほか、公益又は投資者保護のための財産の状況につき是正を加えることが必要な場合として大蔵省令で定める場合

そして、証券会社の自己資本規制に関する省令(平成四年七月一七日大蔵省令六七号)は、自己資本、控除すべき固定資産等、リスク相当額、市場リスク相当額、取引先リスク相当額、基礎的リスク相当額等について定めるとともに、一〇条に前記証券取引法にいう「下回るおそれがある場合」について、次のように規定している。

「法五四条二項一号に規定する下回るおそれがある場合として大蔵省令で定める場合は、二条に規定する資本、準備金その他の大蔵省令で定めるものの額の合計額から三条に規定する固定資産その他の大蔵省令で定めるものの額の合計額を控除した額(以下「固定化されていない自己資本の額」という。)が四条に規定する市場リスク相当額、取引先リスク相当額及び基礎的リスク相当額の合計額(以下「リスク相当額」という。)に一〇〇分の一二〇を乗じて得られる額以下となった場合とする。」

さらに、大蔵省証券局長から各財務(支)局長、沖縄総合事務局長宛の「証券会社の自己資本規制について」との通達(平四・七・二〇蔵証九四七号)は、これに関連して、次のような解釈及び取扱を定めている。

第九 下回るおそれがある場合

省令一〇条で規定する固定化されていない自己資本の額をリスク相当額で除した額に一〇〇を乗じたもの(以下「自己資本規制比率」という。)が一二〇パーセントを超える場合であっても、一五〇パーセント以下となっている証券会社については、その原因や改善見込について把握しておくとともに、自己資本規制比率の推移について注視することとする。

第一〇 月次報告等

<1> 省令一一条一項に規定する自己資本規制に関する報告書にはリスク相当額の計算方式を選択した表(別紙)を添付して提出するものとする。

<2> 省令一一条二項に規定する自己資本規制に関する報告書は、自己資本規制比率が一二〇パーセント以下である間は、毎日、報告することとする。

このように、大蔵大臣は、投資家保護のため、債務者のような証券会社について、その財産状況が一定の基準(自己資本リスク比率一二〇パーセント)を下回る場合、あるいは下回るおそれがあるとされる場合には、業務方法の変更や業務の全部又は一部の停止、あるいは財産の供託等の命令ができるものとし、さらに右リスク比率が一二〇パーセントを上回る場合であっても、一五〇パーセント以下の場合には各財務局長において、その原因や改善見込について把握するとともに、右比率の推移について注視すべきものとしている。

(二) 債務者の営業成績は、株式不況による業界全体の不振と同様に、別紙債務者営業成績表のとおりの状態が続いている。例えば、債務者では主たる収入源は有価証券取引の際の手数料収入であるが、受入れ手数料は平成三年三月期に比して平成四年三月期は約四七パーセントと大幅に減少(したがって営業収益も四八パーセントと大幅な減少)して経常利益等が赤字となっている。

また、平成四年三月期には自己資本リスク比率が一六八・五パーセントに下落した。純財産額の減少も続いて、平成七年三月期には平成三年三月期と比較し六三・九パーセント、自己資本リスクが最低となった平成四年三月期に比較しても七六・二パーセントと下落した。

(三) このため、債務者はいわゆるリストラを進めることとし、その一環として、営業店舗について、平成四年五月に五反田支店、同年六月に梅田支店、同年八月に渋谷支店、平成五年二月に芝支店をそれぞれ閉鎖し、同年八月に新宿支店を移転して東京分室を廃止し、平成六年一〇月には新宿支店を閉鎖し、赤坂支店を移転して統合した。

また、債務者は人員削減に努めた結果、その期末社員数は、平成三年三月期には三九九名であったものが順次減少し、平成七年三月期には二三五名となり、それに並行して、期中一年間の人件費総額も平成三年三月期には一八億九四〇〇万円であったものが、平成七年三月期には九億六八〇〇万円と大幅に減少した。

2  給与システムの変更(<証拠略>)

(一) 職能給等の変更

毎年五月に実施された給与システムの変更に伴う平成四年から平成七年の間における職能給等の改定は以下のとおりであった。

(1) 役付手当

<1> 課長二

平成三年五月 一一万〇〇〇〇円

平成四年五月 九万五〇〇〇円

平成五年五月 七万〇〇〇〇円

平成六年五月 四万五〇〇〇円

平成七年五月 三万五〇〇〇円

<2> 課長一

平成三年五月 九万五〇〇〇円

平成四年五月 八万〇〇〇〇円

平成五年五月 六万〇〇〇〇円

平成六年五月 四万〇〇〇〇円

平成七年五月 三万〇〇〇〇円

(2) 営業手当(課長)

平成三年五月 六万〇〇〇〇円

平成四年五月 三万〇〇〇〇円

平成五年五月 二万五〇〇〇円

平成六年五月 二万〇〇〇〇円

平成七年五月 二万〇〇〇〇円

(3) 住宅手当(課長・東京地区)

平成三年五月 八万一〇〇〇円

平成四年五月 九万〇〇〇〇円

平成五年五月 九万〇〇〇〇円

平成六年五月 九万〇〇〇〇円

平成七年五月 七万二〇〇〇円

(二) 調整給

債務者は、債権者櫻井に対し、平成四年四月まで、調整手当二万九五〇〇円を支給していた。調整手当とは、債務者において、平成三年に大幅に給与を減額した際、その給与の支給総額が前年度比マイナスとなった者について、マイナスの解消を図るために支給したものである。

3  訴えの提起等(争いのない事実)

債権者らは、債務者を被告として、平成七年二月一六日、本件につき本案訴訟を東京地方裁判所に提起した(平成七年(ワ)第二七八九号事件)。

債権者らは、平成八年六月二七日、東京地方裁判所に賃金仮払仮処分命令を申立て(平成八年(ヨ)第二一一三四号事件、以下「第一次仮処分」という。)、同年一二月一一日、その一部について平成九年一一月分までの仮払いを認める仮処分命令が発令された。

債権者らは、第一次仮処分決定で認められた仮払いの期間が終了したため、平成九年同年(ママ)一一月二八日、東京地方裁判所に本件申立てをした。

なお、現実には、債務者は、債権者らに対し、平成一〇年一月分までの仮払いをしている。

二  判断

(被保全権利について)

1 債務者が、人事考課、実績査定により債権者らの資格又は職能給の号俸を引下げた措置の有効性

(一) 平成六年一一月一日の給与規定八条の新設ないし改定以前における債権者らの資格又は職能給の号俸を引き下げた措置の法的根拠の有無

(1) 旧就業規則による変動賃金制

債務者の旧就業規則においては、「社員の給与については、別に定める給与システムによる。」(三六条)という規定のみ存し、債務者が従業員の職能給の減額を行える旨定めた就業規則や労働協約等が存在しなかったことは当事者間に争いがないところ、債務者は、旧就業規則の下における賃金制度が本件変動賃金制(能力評価制)であったと主張する。

確かに、債務者における給与の内訳が、職能給とその他付加的給付等となっていることや証券業界における営業社員の場合、営業成績が昇級・昇格に反映されるのも当然であることなどから考えれば、債務者の採用する賃金制度が厳格な意味での年功序列的なものではなく、各人の能力や実績に応じたものであることは窺える。

しかし、使用者が、従業員の職能資格や等級を見直し、能力以上に格付されていると認められる者の資格・等級を一方的に引き下げる措置を実施するにあたっては、それが労働契約において最も重要な労働条件としての賃金に直接影響を及ぼすことから、就業規則等における職能資格制度の定めにおいて、資格等級の見直しによる降格・減給の可能性が予定され、使用者にその権限が根拠付けられていることが必要である。

そこで、旧就業規則の下における賃金制度が降格・減給の可能性を含む本件変動賃金制であったかどうかについて検討しなければならない。

まず、債務者においては、前記のとおり社員営業員と歩合外務員等の区別があり、社員営業員については歩合給部分のない固定給方式である。そして、給与システム及び「平成5年度モデル給与他社比較」(<証拠略>)によれば、職能給は基本給と位置づけられている。また、債務者における実態についても、平成四年四月までは、昇級・昇格の速度に成績等による格差は生じていたものの、基本的には年功により昇級・昇格してきており、内勤の職員はもちろん、営業職員についても給与システムに基づく降格・減給の例は全くといってよいほどなく、債権者らについても債務者に入社して以来平成四年五月まで降格・減給はなかったのである(<証拠略>、審尋の全趣旨)。

これらのことからすれば、旧就業規則の下における債務者の賃金制度は、昇格・昇級が年功的ではないとしても、さらに、降格や減給までを予定したものであるということはできない。

したがって、旧就業規則は、本件変動賃金制(能力評価制)を定めたものではなく、これにより降格や減給を根拠付けることはできない。

なお、債務者は、債権者らに対する措置は一般に認められている降格であり、それに伴い賃金の減少が生じてもやむを得ない旨の主張もする。

しかし、前記のとおり、債務者の給与システムには、部長・次長・課長・課長代理・主任・一般の区分(さらに課長一・課長二の資格名の呼称の区分)があるがこれはいわゆる資格であって、職制とは関係がなく、給与システム上の部長・次長・課長等の区分、課長一・課長二の区分は、いずれもいわゆる資格の呼称であって、給与及び諸手当の支給額並びに査定を行う際の手数料、預かり資産等の各種の業種の目標数値に違いがあるにすぎない。そうすると、債務者において行われている「降格」は、資格制度上の資格を低下させるもの(昇格の反対の措置)であり、一般に認められている人事権の行使として行われる管理監督者としての地位を剥奪する「降格」(昇進の反対措置)とはその内容が異なる。資格制度における資格や等級を労働者の職務内容を変更することなく引き下げることは、同じ職務であるのに賃金を引き下げる措置であり、労働者との合意等により契約内容を変更する場合以外は、就業規則の明確な根拠と相当の理由がなければなしえるものではなく、債務者の右主張は理由がない。

(2) 黙示の承諾

債務者は、平成四年五月、平成五年五月の減給について、主として、債権者らが異議を申し立てず、従前どおり就業していたことをもって黙示の承諾があった旨主張する。

しかし、債権者らの減給は、別紙給与変動表のとおり、平成四年四月から平成五年五月にかけて、債権者櫻井が約一〇万円、債権者伊藤が約五万円とすでに大幅な減額となっていること、そもそも労働条件の中で最も重要な賃金を減額するについて、異議を申し立てないという程度で承諾があったとみるのは困難であること、さらに、平成四年五月以降の減給が組合結成のきっかけとなっていること(<証拠略>)、その後の本案訴訟、第一次仮処分において債権者らは、平成四年五月以降の差額賃金を求めて争っていること(当事者間に争いがない。)などからすれば、黙示の承諾があったということはできない。

(3) 労使慣行

すでに認定したとおり、債務者においては、平成四年四月まで成績不振を理由とする降格・減給処分は行われたことは全くといってよいほどなかったのであり、そのことからすると、降格・減給を含めた意味での、前年度実績により成果に応じて給与が変更されるといった労使慣行等を認めることはできず、債務者の主張は理由がない。

(4) 合意

陳述書(<証拠略>)によれば、債権者らが債務者に入社する際、債務者は、債権者らの給与をその前職における職務内容や収入を勘案して決定したこと、債権者らの面接の際にはモデル賃金の説明をしたことなどが認められる。そして、右各陳述書には、債権者らの面接の際、給与は成績に応じて上下に変動する可能性がある旨説明したかのような記載もある。

しかし、(証拠略)によれば、債権者櫻井は、丸三証券株式会社からの転職を考慮していた当時、外資系証券会社からの誘いがあったにもかかわらず、身分が不安定で、安定した収入が見込めないという理由で、応募さえしなかったことが認められる。また、債権者らは、減給の可能性があるのであれば、債務者に入社するはずはなかった旨述べる(<証拠略>)。

右の事実や、債務者が債権者らの過去の実績を見込んでその入社を望んでいたのであれば、債権者らが入社を躊躇するような不利な条件について十分な説明をしたというのも通常考えにくいこと、さらに前記認定の組合結成の経緯、その後の訴訟等の経過に照らせば、(証拠略)の減給の可能性を説明したとする部分は信用できず、他に債務者の主張を認めるに足りる証拠もないので、合意があったとする債務者の主張は採用できない。

(二) 平成六年一一月一日の給与規定八条の新設ないし改定後における債権者らの資格又は職能給の号俸を引き下げた措置の法的根拠の有無

(1) 新就業規則及び給与規定は旧就業規則の定めていた本件変動賃金制を確認(明定)したにすぎないか、新たに導入したものか

債務者は、就業規則の前後を通じて、その賃金体系に変更はない旨主張するが、すでに認定したとおり、旧就業規則においては本件変動賃金制(能力評価制)を定めていたものということはできない。

そこで、新就業規則及び給与規定について検討する。

債務者においては、平成六年四月一日、就業規則の改定が行われ、新就業規則三六条に「社員の給与については、別に定める給与規定による。」と規定され、給与規定七条は「職能給(基本給)は、職能資格(職給)(ママ)別号俸制(別に定める給与システム参照)とし、職能資格に基づき決定する。」と規定されたほか、同八条には「昇減級(ママ)は社員の人物、能力、成績等を勘案して、第二条に定める基準内給与の各種類について、年一回ないし二回これを行う。但し事情によりこれを行わないことがある。なお、人事考課を行うにあたっては「経営方針」に示されるセールス(標準)表の各項目や、随時発表される営業方針の各項目や内容及び会社への貢献度その他を総合的に勘案(役職別評価)し、厳正に行うものとする。」と昇減級(ママ)に関する定めが置かれたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

債務者においては、毎年三月末及び九月末に、前年度実績及び経済動向等を勘案しながら経営方針書が作成され、右には債務者のその期の経営方針、年間の目標額(例えば、新規開拓件数、手数料、営業利益、金融収支、経営(ママ)利益等)、セクション別及び個人別の諸目標が記載されている。その中で、資格別に各営業諸目標及び年収(給与)目処等を詳細に記載した「セールス標準」が個別査定基準の参考となる。具体的な賃金については、まず、成果配分主義・能力主義を前提とし、年収に対する手数料(年間)比率が二五パーセント以下であれば、優~可と評価され、四〇パーセント以上になってくれば、年収調整の必要性ありとされる。そして、各社員について、「セールス標準」に記載された当該資格別目標額に対し、特に重要な手数料・預かり資産・新規開拓の営業成績等が下回った場合、それが二ランク下以下(「不可又は最不可」)であれば、給与・役職等の見直しを行う必要があるとされる。右のように役職や給与に見直しの必要が生じた場合には、能力、人物、過去の貢献度等も加味して、自己申告書、人事考課表、上司及び役員評価・総務部評価を経て、総務部及び役員により協議して決定するところ、その中心となるのは、当該社員の実績等を「セールス標準」に当てはめ、役職・職能給の号俸を決定し、これを給与システムに当てはめその額を決定する。

右のとおり、新就業規則及び給与規定においては、主として営業成績をもとに賃金を決定し、減給・降格の可能性もあるというのであるから、一応、新就業規則及び給与規定は本件変動賃金制(能力評価制)を導入したものであるということができる。

(2) 旧就業規則から新就業規則及び給与規定への変更の有効性

債務者は、本件変動賃金制(能力評価制)について、賃金明示の原則、賃金全額払いの原則のいずれにも反せず、内容の合理性等について主張する。

しかし、まず、新たな就業規則の作成又は変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建て前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されないものというべきである。そして、右にいう当該規則条項が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお、当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認できるだけの合理性を有するものであることをいうと解される。

そこで、就業規則の変更が労働者に不利益な労働条件の変更に当たるかどうかであるが、すでに認定したとおり、旧就業規則においては降格・減給の可能性は予定されていなかったというべきであるが、給与規定八条は、降格・減給をも基礎付けるものである。そうだとすれば、右規定の新設は債権者らにとって賃金に関する不利益な就業規則の変更にあたるのは明らかであるから、右規定を債権者らに適用するためには、右規定がその不利益を債権者らに受忍させるに足りる高度の必要性に基づいた合理的な内容のものといえなければならない。

しかし、債務者において、右規定の新設について、少なくともその高度の必要性につき主張及び疎明がない。

そうすると、給与規定八条は、平成六年四月以降の降格・減給について根拠とならないというべきである。

2 債務者が、その業績等を考慮して給与システムの見直しをして諸手当を減額した措置の有効性

まず、給与システムの法的性格について争いがあるので、この点について検討する。

債務者においては、給与に関し、旧就業規則上は「社員の給与については、別に定める給与システムによる。」(三六条)とのみ規定し、具体的な給与の細目については、給与システムにより、給与の具体的な金額等について定めることとしていたこと、新就業規則では「社員の給与については、別に定める給与規定による。」(三六条)とされ、給与規定上諸手当の細目が明らかにされているが、そのいずれもが、別に定める給与システムによるとされ、それぞれの具体的な金額は、債務者が定める給与システムにより定めてきたことは当事者間に争いがなく、また、債権者らの諸手当は、毎年五月に減額されているが、これらはいずれも給与システムの変更によるものである(但し職級の変更があった場合にはこれに伴う部分も存する。)ことも当事者間に争いがない。

また、前記のとおり、平成四年五月以降毎年五月に給与システムの改定が実施されているところ、役付手当、営業手当及び住宅手当について、各年の改定ごとにその金額が減額されている(但し平成四年の住宅手当のみは増額)。

右によれば、労働者にとって労働条件の最も重要な要素である賃金を直接かつ具体的に決定するのが給与システムであり、現実にはそれに基づいて平成四年五月以降、諸手当が大幅に減額されてきているのである。しかも、諸手当は、基本給に対する付加的給付であるとしても、例えば、債権者櫻井についてみると、前記のとおり、平成四年四月時点で合計六〇万円の給与のうち、職能給三一万九五〇〇円、調整給二万九五〇〇円を控除した二五万一〇〇〇円が諸手当となっており、給与に占める諸手当の割合は約四割にもなるのである(給与に占める諸手当の割合は、前記の給与によれば、債権者伊藤の場合も平成四年四月時点で約四割である。)。そうだとすれば、給与システムの法的性格は、債務者の主張するように就業規則の運用内規というような程度のものとは言い難く、就業規則であるというべきであると同時に、付加的給付であることをもって、合理的(ママ)性を備えていれば十分であるということはできない。したがって、右給与システムの変更についても、前記のとおり、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更にあたり、当該条項がそのような不利益を労働者に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合に限り、その効力を生じるものというべきである。

そこで、まず、高度の必要性についてであるが、本件においては、前記のとおり、債務者の営業成績は、株式不況により、手数料収入が減少するなどして経常利益等が赤字となり、平成四年三月期には自己資本リスク比率が大蔵大臣の注視を受ける一五〇パーセントの直前にまで下落し、債務者は営業店舗の統廃合を実施し、人員削減の措置を講じるなどして人件費等の経費削減に努めていることについては当事者間に争いがない。右事実によれば、債務者において、就業規則を変更して諸手当等の減額を行う必要性が全くなかったとはいえない。しかし、債務者の資産、営業店舗の統廃合・人員削減以外の経費削減措置の有無等なども判然とせず、さらに債務者が危機的な状況に至っていたことを認めるに足りる証拠もない。したがって、高度の必要性が存したとまでいうのは困難である。

次に合理的な内容といえるかどうかであるが、給与システムは、債務者の実績や業界の動向を踏まえて決定される(<証拠略>)としても、それ以上の疎明はなく、不十分と言わざるを得ない。

債務者は、各改定の時点で従業員各人から異議の申立てもなく、また、改定後の給与システムにより計算した給与について何らの留保もなく、それを同意し受領している旨主張するが、債権者らから訴訟提起等、異議申立てが行われていることは明らかであるし、債務者ら(ママ)の従業員らが右改定につき個々に同意をしていると認めるに足りる証拠もない。

3 債権者らの賃金の減額部分の支払請求は、権利の濫用であり、信義則違反かどうか

確かに、債権者らの営業成績について、(証拠略)及び審尋の全趣旨によれば、債権者櫻井の年収の実績手数料に占める割合が、平成三年度一一五パーセント、平成四年度三一パーセント、平成五年度四五パーセント、平成六年度四二パーセント、平成七年度三八パーセント、平成八年度三四パーセントであり、債権者伊藤が、平成三年度七一パーセント、平成四年度七九パーセント、平成五年度三五パーセント、平成六年度四八パーセント、平成七年度四九パーセント、平成八年度五六パーセントといずれも債務者の認定している損益分岐点である二五パーセントを上回っていること、債務者における主任以上の男子営業社員の年収の実績手数料に占める平均割合は、平成五年度二八・七パーセント、平成六年度三一・九パーセント、平成七年度二四・二パーセント、平成八年度二三・六パーセントとなっていることが認められ、平均を上回る率となっている。

しかし、(証拠略)及び審尋の全趣旨によれば、年収の実績手数料に占める割合は、他の従業員間にもばらつきがあること、実績手数料の多寡を大きく左右するのは預かり資産であるところ、債務者は転勤者や退職者が残した預かり資産を従業員に分配する際、債権者らに対してはその分配が他の従業員に比較して著しく少ないばかりか、平成七年五月には、債務者は、債権者櫻井につき五〇〇〇万円、債権者伊藤について二〇〇〇万円ないし三〇〇〇万円の預かり資産を取り上げていることが認められ、それが債権者らの営業成績に影響しているというべきである。

右によれば、債務者の主張するように本件各減額措置が、各債権者らの営業成績の劣悪さを給与面に反映させたにすぎないというには疑問がある。

さらに、本件において問題となっているのは、債務者が就業規則等の明確な根拠によらず、一方的、かつ大幅な減給を行ったことなども併せ考慮すれば、債権者らの申立ては権利濫用、信義則違反のいずれにもあたらないというべきである。

4 債務者のした各減額措置は事情変更の原則の法理に照らして有効かどうか

仮に給与の減額措置についても、変更解約告知に類するような事情変更の原則の法理が適用されるべき場合があるとしても、労働条件の変更、特に労働契約の中で最も重要な賃金の変更については、少なくとも会社業務の運営にとって必要不可欠であり、その必要性が労働条件の変更によって労働者が受ける不利益を上回っていたり、あるいは、既存の労働条件のままで契約を存続させることが著しく不公正、不合理となり、労働条件の変更もやむを得ない状況にまで至った場合でなければならないというべきである。

そこで、検討するに、前記のとおり、債権者らに営業成績不振があったとしても、その程度が他の従業員に比較して著しいとまでの疎明は不十分であること、債権者らの営業成績の不振の理由なども考慮すれば、労働条件の変更もやむを得ないほどであったということはできないし、また、債務者の経営上の悪化にしても、およそ事情変更の原則の法理が妥当するような状況にまで至っていたとする疎明はないから、債務者の主張は理由がない。

5 以上のとおりであるから、被保全権利として、労働契約上の賃金債権につき、債権者櫻井が六〇万円(職能給として三一万九五〇〇円、役付手当一一万円、住宅手当八万一〇〇〇円、営業手当六万円、調整給二万九五〇〇円)、債権者伊藤が五四万四五〇〇円(職能給として三〇万八五〇〇円、役付手当九万五〇〇〇円、住宅手当八万一〇〇〇円、営業手当六万円)を主張するのは理由がある。

(保全の必要性について)

1 賃金仮払仮処分は、仮の地位を定める仮処分の一種であるから、「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためにこれを必要とする」(民事保全法二三条二項)ことを要件とするものであるところ、生活困窮の危険を避けるための必要性がこれにあたるものである。賃金仮払仮処分は、債権者等の生活の困窮を避けるために暫定的に発せられるものであって、従前の生活水準、生活様式を保障するものではない。

したがって、債権者の職種や生活状況等の事情に照らして、その必要性があるかどうかを検討すべく、また、これが肯定されるからといって、当然に賃金の全額に相当する額の金員を支払わせる必要性は認められず、具体的な生活の困窮を避けるために必要な金額の限度においてのみ仮払いの必要性が認められるものと解すべきであり、認容すべき金額は、被保全権利である賃金請求権の範囲内で、債権者の生活状況等諸般の事情を考慮して、その通常の生活を維持し得るに足りる額とすべきである。

以下右を踏まえて債権者らそれぞれについて検討する。

2(一) 債権者櫻井

(証拠略)及び審尋の全趣旨によれば、債権者櫻井は、昭和一八年二月二六日生まれで、高齢の実父母及び長女の扶養家族がいるところ、債権者櫻井の毎月の支出は四五万四〇〇〇円であり、債務者の債権者櫻井への現在の支給額は二八万二五〇〇円であって、債権者櫻井はその不足分を銀行等金融機関からの借り入れでまかなってきたこと、しかも、平成九年一一月、一二月と長女、実父が相次いで入院したばかりか実母に痴呆症状が現われてきたため、債務者が仮払いをしなくなった平成一〇年二月以降、入院費や通院費にも事欠く有様で公共料金の支払いも延期せざるを得ず、借入金もかさみ、生計の維持に一層困難な状況をきたしていることなどが認められる。

右のような事情を考慮すれば、債権者櫻井については、平成一〇年五月分から毎月一三万七五〇〇円の限度で必要性が認められる。

(二) 債権者伊藤

(証拠略)及び審尋の全趣旨によれば、債権者伊藤は、昭和二三年一二月二八日生まれで、高齢の母、妻、いずれも未成年の長女及び長男の四人の扶養家族がいるところ、債権者伊藤の毎月の支出は四六万六六〇〇円であり、債務者の債権者伊藤に対する支給額は二〇万八〇〇〇円であって、債権者伊藤は不足分等を生命保険の解約金や食堂で働く妻のパート収入等で補ってきたこと、しかし、平成一〇年三月には長女の高校進学、長男の中学進学をひかえて出費がかさみ、ついに親族からの借り入れを余儀なくされるなど、債務者が仮払いをしなくなった平成一〇年二月以降、生計の維持に一層困難な状況をきたしていることなどが認められる。

右のような事情を考慮すれば、債権者伊藤については、平成一〇年五月分から毎月二一万二〇〇〇円の限度で必要性を(ママ)認められる。

第四結論

以上の次第で、債権者らの本件申立てのうち、前記6(一)、(二)記載の金額の限度で理由があるから担保を立てさせないで認容し、その余は理由がないから却下する。

(裁判官 松井千鶴子)

(別紙)債務者営業成績表

<省略>

(別紙)給与変動表

債権者櫻井

<省略>

債権者伊藤

<省略>

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