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東京地方裁判所 平成9年(ワ)12296号 判決

原告 鈴木博久

原告 鈴木富美子

原告 鈴木堯子

右原告ら訴訟代理人弁護士 猪俣貞夫

被告 鈴木千鶴子

被告 鈴木康久

右被告ら訴訟代理人弁護士 貞友義典

同 木下直樹

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  東京法務局所属公証人藤野豊作成の平成五年第一六二八号遺言公正証書は無効であることを確認する。

二  被告鈴木千鶴子は、別紙物件目録記載の不動産について、東京法務局世田谷出張所平成七年七月二四日受付第三四五一四号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

第二事案の概要

本件は、原告らが、遺言者鈴木優(以下「優」という。)には遺言能力がなかったとして、被告らに対し、遺言公正証書の無効確認を求めるとともに、被告鈴木千鶴子(以下「被告千鶴子」という。)に対し、右遺言公正証書にもとづき相続を原因として被告千鶴子のためになされた不動産についての所有権移転登記の抹消登記手続を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  優は、平成五年六月一日、東京都世田谷区三軒茶屋二丁目一五番八号東京法務局所属公証人藤野豊の下で、長谷川康正及び長谷川眞弓を証人として、次の内容の遺言公正証書(以下「本件遺言」という。)を作成した。

(一) 遺言者の有する左記財産を遺言者の妻被告千鶴子に相続させる。

(1)  土地

東京都世田谷区太子堂四丁目四八〇番一七

宅地 二九一・五七平方メートル

(2)  建物

東京都世田谷区太子堂四丁目四八〇番地所在

未登記

木造瓦葺平家建 居宅

床面積 二四・七九平方メートル

(3)  預貯金

(4)  右(1) の土地の一部で行う駐車場の営業権

(5)  その他一切の財産

(二) 本件遺言の執行者として妻被告千鶴子を指定する。

2  優は、平成七年一月二日、死亡した。

3  被告千鶴子は優の妻、原告鈴木博久(以下「原告博久」という。)は優の長男、原告鈴木富美子(以下「原告富美子」という。)は優の長女、原告鈴木堯子(以下「原告堯子」という。)は優の次女、被告鈴木康久(以下「被告康久」という。)は優の次男である。

4  別紙物件目録記載の不動産については、被告千鶴子のために、相続を原因として東京法務局世田谷出張所平成七年七月二四日受付第三四五一四号の所有権移転登記がなされている。

二  争点

1  優は、本件遺言当時、遺言能力を有していなかったか。

2  本件遺言の作成にあたり、優は公証人に対し遺言の趣旨を口授したか。

三  原告らの主張

1  優は、永年、世田谷区三軒茶屋の三軒茶屋診療所に通院して治療を受けており、本件遺言を作成した平成五年六月ころには老人性痴呆症が進行し、数の計算もできず、妄想・徘徊するようになっており、遺言能力はなかった。

2  本件遺言は、被告千鶴子が公証人に対し遺言の内容を伝え、公証人がその内容を遺言書として作成してできあがったものであるから、本件遺言の作成にあたり、優は公証人に対し遺言の趣旨の口授をしていない。

四  被告らの主張

1  優は、三軒茶屋診療所に通院していたが、平成五年五月二四日当時、八九歳の老人として平均程度の物忘れの症状が出ていたにすぎず、特に痴呆等の症状があったものではなく、遺言能力はあった。

2  本件遺言は、世田谷公証人役場において、適法かつ適正に作成された。

第三争点に対する判断

一  証拠(甲1、3、9、11、15、16、乙4、6、証人長谷川康正、原告富美子、被告千鶴子)によれば、次の事実が認められる。

1  優は、被告康久の経営する歯科医院を手伝い、診療の毎日の売上を計算していたが、平成四年一一月ころには計算間違いが多くなって手伝いをやめた。また、優は、平成五年二月ころから物忘れをするようになり、このころから三軒茶屋診療所で診療を受けたが、やがて計算ができなくなり、記銘力が低下して、痴呆が徐々に進行していった。

2  原告堯子は、同年五月一日から同月二〇日までカナダから一時帰国したが、カナダに戻る直前ころ、優に遺言書の作成を勧めた。そして、原告富美子も、従前から原告博久が優に金を無心していたことを知っていたので、優の死亡後紛争が起こることを心配して原告堯子の右提案に同調し、優に遺言書の作成を勧めた。このとき、原告富美子と原告堯子は、優の作成する遺言については、被告千鶴子にすべてを相続させる内容でよいと考えていた。

3  優は、同年五月二四日、三軒茶屋診療所で診察を受けたが、そのとき「物忘れする。生年月日が分からない。今朝の食事が分からない。」との症状を示した。

4  優は、同年六月一日の直前ころ、原告富美子の居る前で、遺産を原告博久や原告富美子にはやりたくないと言った。

5  優は、本件遺言の作成に先立ち、長谷川康正(以下「長谷川」という。)に公正証書を作成するので立会って欲しい旨依頼した。そこで、長谷川とその妻が本件遺言作成の証人になることになった。

6  優は、同年六月一日、自宅で長谷川夫妻と待ち合わせたうえ、被告千鶴子とともに、東京法務局所属公証人藤野豊の下を訪ねた。藤野豊公証人は、優の人定を終えた後、手元の書類を見ながら、「何を誰にどのように相続させるか言って下さい。」と尋ねたところ、優は「全部の財産を妻にあげる。」と答え、さらに同公証人が個別の財産ごとに確認すると、優は、都度「全部妻に相続させる。」旨答えた。その後、同公証人が「遺言執行者は誰にしますか。」と問うと、優は「妻にします。」と答えた。そして、同公証人が以上の確認内容を下に公正証書の原本を作成してから、その内容を一つ一つ確認するようにゆっくりと読んで聞かせると、優は「はい。はい。」と答え、最後に右公正証書の所定欄に氏名を自署し押印した。

このとき立ち会った長谷川は優に異常があるとは感じなかった。

7  優は、平成六年三月一日、日付が分からなくなり、同年六月一三日、どぶに転落した。

8  優は、同年八月ころから戸外を徘徊するようになり、食べたものをすぐに忘れ、妄想にかられた行動を起こすようになった。

9  優は、同年八月ころ、横須賀の被告康久方を訪ねて入れ歯を忘れ、また、着ている物をすべて脱いで寝るという奇行を演じた。

10  優は、同年九月、三軒茶屋診療所において「ここはどこだ。」と問い、被告千鶴子に向かって「あなたはいつ帰るの。」と尋ねた。

11  優は、同年一〇月ころ、被告千鶴子に向かって「あなた誰。」と言い、同月一七日には、電気カミソリをクリーニング屋に持って行って直してくれと言い、同月二三日には散歩していて自分の家が分からなくなった。

12  三軒茶屋診療所の医師は、同月二四日、優には最近著明な記銘力の低下があり、徘徊するようなこともあって、妻の手に負えなくなっている旨記載した永生病院宛の紹介書を作成した。

13  優は、同年一一月一七日、被告千鶴子に付き添われて永生病院に入院し、老年期痴呆の診断を受けた。この時点では、意識は清明であり、言語は不明瞭なところはあるものの概ね普通の状態で、自力でトイレを使用することもでき、時間をかければ自力で入浴することもできたが、記憶障害、見当識障害は顕著であり、被告千鶴子のことも分からない状態であった。ただし、痴呆の状態は波状に現れ、症状が持続しているわけではなかった。

14  優には、永生病院入院当日から廊下徘徊があり、不眠の夜が多かった。

15  被告千鶴子は、優が死亡した一週間後、原告らに対し、優の遺産をすべて被告千鶴子に相続させるという内容の遺産分割協議書を示して各自に署名押印するように求めたが、そのとき、原告堯子はカナダ大使館からサイン証明を取ってくると言っていたし、原告博久もその後印鑑証明書とともに実印を被告千鶴子に送ってよこした。

二  争点1について

1  右認定の事実によれば、優には平成五年二月ころから物忘れ等が出現し、以後徐々に痴呆が進行していったものと認められるけれども、優が通院していた三軒茶屋診療所の診療録によれば、平成五年五月二四日に「物忘れする。生年月日が分からない。今朝の食事が分からない。」との症状を示した事実が認められるものの、その後は平成六年三月ころまで目立った痴呆症状の出現があったとは窺われないうえ、本件遺言の作成にあたっては、その立会いを自ら長谷川に依頼しているとともに、本件遺言の直前には原告富美子や原告博久には相続させない旨述べていたことが認められ、公証人役場においても公証人の質問に対して妻に相続させる旨明確に答えて公正証書の所定欄に氏名を自署し押印していることが認められるのであるから、これらの事実を総合して考えれば、本件遺言当時、優に遺言能力がなかったとは認められない。

これに反し、原告富美子や原告堯子は、本件遺言当時、優に遺言能力はなかった旨陳述ないしは供述するけれども、前記認定のとおり、右両名は本件遺言作成の直前ころに、優に遺言の作成を勧めているのであるから、少なくともその当時、優に遺言をなしうる能力がないと考えていなかったことは明らかである。

また、原告富美子は、本件土地は原告博久が受け取るべき賠償金で購入したものであるから、本件土地を被告千鶴子に相続させることを内容とする本件遺言は優の真意に出たものとは思われないと供述するけれども、原告富美子は、右のような本件土地取得の経緯を前提としてなお、当初は被告千鶴子に全部相続させる内容の遺言でよかった旨供述しているし、優の遺産の全部を被告千鶴子に相続させる旨記載された遺産分割協議書についても、原告堯子がカナダ大使館からサイン証明を取ってくると言い、また、原告博久も印鑑証明書とともに実印を被告千鶴子に送ってよこし、いずれも右協議書の内容をいったんは了承する態度を示したことからすると、本件遺言の内容は相続人らの目から見ても合理性のあるものとして受け止められたと言えるのであるから、本件遺言の内容面の不合理性を根拠として優の遺言能力がないかのように言う原告富美子の供述は採用できない。

2  ところで、西山詮鑑定人は、イギリスの首席裁判官が遺言能力判断の指針として示した四つの基準、すなわち、<1>遺言とその結果の性質を理解する能力、<2>必ずしも詳細を要しないが、自分の財産の性質と規模を想起する能力、<3>近親者の氏名及び彼らの相続に対する要求を想起する能力、<4>遺言者の自然な感情を曲げ、その決断に影響する病的精神状態がないことを挙げて、本件遺言当時の優について、遺言は死後の処置について言い残すという単純なものであり、記憶力に依拠する程度も少ないから、右<1>の基準は満たされ、また、優の財産はさほど複雑ではなく、その概略を想起または再認する能力を否定することはできないから、右<2>の基準は満たされ、さらに、当時妄想等があったとは窺われないから、右<4>の基準も満たされるが、当時の優は自己の生年月日が想起できないほどの重篤な記憶障害の状態にあり、近親者の今日に至る生活史とその願望を想起するのは期待できないと考えるべきであるから、右<3>の基準を十分に満たすのは困難であるとの鑑定意見を述べているので、これについて検討しておくと、右<1>ないし<4>の基準はわが民法における遺言能力を判断するうえでも概ね妥当するものと言うべきであるが、人は誰しも程度の差はあれ加齢とともに記憶等の能力の衰えを免れないものであるところ、遺言者の最終意思をできるだけ尊重し、それによって生じる不都合は遺留分減殺請求制度によって調整しようとするわが民法の建て前に照らせば、右<3>の基準を厳格に解することは適切ではない。そして、前記認定のとおり、優は本件遺言直前に原告富美子や原告博久には相続させない旨述べていたのであり、本件遺言の内容も原告らを含む相続人らにとって合理的なものとして受け止め可能なものであったのであるから、本件遺言は、優において、相続人の存在を認識したうえ自ら死後の財産の処分について一定の判断を示したものとみるべきであって、右<3>の基準もわが民法における遺言能力の観点からは満たされると言わなければならない。

なお、西山詮鑑定人は、優において平成五年五月二四日時点で自己の生年月日が想起できなかったことを重視し、同年六月一日当時の優の痴呆の程度について中等度であると述べ、かつ、中等度の中でも重い方であると証言しているが、前記のとおり、三軒茶屋診療所の診療録によれば同年五月二四日以降平成六年三月ころまでは優において顕著な痴呆症状の出現は窺われず、同年一一月の永生病院の入院時にも、痴呆の状態は波状に現れ、持続的ではないとされていることからすると、平成五年五月二四日にみられた一症状から直ちに本件遺言作成時の痴呆の程度を確定できるかについては疑問が残ると言うべきである。

三  争点2について

前記認定の事実によれば、優は本件遺言の内容に関する公証人からの包括的及び個別的な発問に対して都度口頭で応答し、その内容が確認されて本件遺言の作成に至っているのであるから、優から公証人に対して遺言の趣旨の口授があったことは明らかである。

第四結論

以上によれば、本件遺言は有効であり、原告らの請求はいずれも理由がない。

(裁判官 今岡健)

物件目録

一、土地

所在 東京都世田谷区太子堂四丁目

地番 四八〇番壱七

地目 宅地

地積 弍九壱・五七平方メートル

二、建物

所在 東京都世田谷区太子堂四丁目四八〇番地壱七

家屋番号 四八〇番壱七の参

種類 居宅

構造 木造瓦葺平家建

床面積 四壱・参五平方メートル

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