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東京地方裁判所 平成9年(ワ)1244号 判決 1997年10月29日

原告

菅隆志

右訴訟代理人弁護士

二瓶和敏

被告

有限会社築地むさしや

右代表者代表取締役

高岡信雄

右訴訟代理人弁護士

村山廣二

主文

一  被告は、原告に対し、原告から金六五四万円の支払を受けるのと引き換えに、別紙物件目録記載の店舗部分を明け渡せ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は一、三項につき仮に執行することができる。

事実及び理由

一  請求

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の店舗部分(以下「本件店舗」という)を明け渡せ。

二  事案の概要

1  争いのない事実

本件は、木造建物の一角(約一坪)を占める賃貸店舗部分の明渡請求事案であり、以下の事実は当事者間に争いがない。

(一)  賃貸借契約の締結

原告は被告に対し、かねて別紙物件目録記載の店舗部分(以下「本件店舗部分」という。なお、右店舗部分を含む同目録記載の木造二階建建物全体を以下「本件建物」という)を店舗として賃貸していたところ、平成六年一二月一一日付けで、期間・同日から平成八年一〇月三一日までの二年間、賃料・月額一〇万円、使用目的・店舗としてこれを更新した(以下「本件賃貸借契約」という)。

(二)  原告は、本件建物(本件店舗部分を除く)一階部分において「管隆志商店」の屋号でシュウマイや餃子等の惣菜店を営み、被告は本件店舗でおでん種物、珍味食品等の販売業を営んでいる。

(三)  原告は、被告に対し、平成八年二月二〇日到達の内容証明郵便で、本件賃貸借契約書(以下「本件契約書」という)に本件建物を取り壊して新築するときはこれに協力するとの条項があることを指摘した上、本件建物が老朽化しており、近隣建物所有者との間で共同ビルを新築する計画があることを理由に、本件店舗部分の明渡し方について協力を申し入れた(以下「本件申入れ」という)。

(四)  その後、原告は、被告に対し、平成八年四月二二日付けで本件申入れと同様の理由で本件店舗部分の明渡しを求める調停を申し立てた(東京簡易裁判所平成八年( )第三一八号。以下「本件調停」という)。

右調停手続は、八回にわたり期日が開かれ、原告が相応の立退補償料を支払うことで煮詰められたが、成立に至らず、平成八年一二月一一日終了した。

2  原告の主張

(一)  本件賃貸借契約の更新拒絶ないし解約の申入れ

原告は、本件申入れにより被告に対し本件賃貸借契約の更新拒絶の意思表示をした(以下「本件更新拒絶」という)。

(二)  本件更新拒絶には次のとおり正当事由がある。

(1) 本件建物の老朽化

本件建物は、昭和二年ころ原告の父菅隆宏(以下「隆宏」という)により建築された木造二階建建物であり、戦災にも遇わず建築後七〇年以上経過し、全体に老朽化し、腐朽や損傷の程度が著しい。

(2) 自己使用の必要性

ア 原告は、菅隆志商店の屋号の下に本件店舗を除く本件建物一階部分において、妻、長男夫婦等家族が協力して毎朝午前四時起きでシュウマイや餃子等の惣菜屋を営んでいる。

イ 原告は本件建物以外に不動産を所有していない。

本件建物の二階には長男夫婦の家族が居住しているが、老朽化のため雨漏り、床の歪み等に悩まされるほか、耐震上の危険にも脅えながら居住を余儀なくされている。

原告夫婦は、平成四年以降本件建物の近くの妻所有のマンション(以下「本件マンション」という)に居住しているが、右マンションは家財道具も満足に収容できない極めて手狭なものであり(約三八平方メートルの二K)、不自由な生活を強いられている。

(3) 共同ビル建築の計画

原告を含む近隣九所帯は、中央区の再開発計画の指導を受け、本件建物を含め老朽化した木造建物を取り壊し、店舗兼居宅用の共同ビルを建築する計画を進めている。

原告は、右共同ビルが建築されれば、同所を住居及び惣菜屋店舗として使用する予定である。

(三)  被告の事情

(1) 被告は、本件店舗でおでん種物等の販売業を営んでいる。右店舗は一坪の極小空間であるが、被告は同店舗での販売より外商(固定客に対する配達)を主とする営業形態を採っており、昨今の不動産市況の冷込み状況から、近隣にその代替店舗を見い出すのは比較的容易である。

(2) 被告の代表者高岡信雄(以下「信雄」という)は、バブル景気の最盛期に自宅を数億円で売却し、その売得金で複数の不動産を購入し、これを自宅や賃貸に供しているなど、原告に比較し、はるかに経済的優位にある。

(四)  正当事由の補完その他考慮されるべき事情

(1) 仮に、以上の事情のみでは本件更新拒絶等に正当事由が十分ではないとすれば、原告は被告に対しその補完事由として、本件店舗の借家権価格、営業補償及び新家賃補償等を考慮の上、六五四万円の金銭の提供を申し出る。

(2) 信頼関係の破壊等

ア 被告は、本件店舗の前及び原告方店舗前等の路上にはみ出して商品を並べるなど近隣に迷惑をかけて省みない営業を継続してきており、また、原告の取扱商品と同種のものを原告よりわずかに廉価にして販売する等信義に反する行為を繰り返してきた。

イ また、本件調停は期日を重ね、原告が八〇〇万円の立退補償料を支払うことでようやく成立をみる予定であった日になって、突如被告が三五〇〇万円という法外な補償を要求したことから、調停委員も被告のかかる対応を非難しながらも、調停を成立させることは無理と判断して、終了となったものであり、被告の不誠実な態度は原告との信頼関係を根底から破壊するものである。

(3) なお、新築予定の共同ビルに被告を再入居させることは、右(2)の被告の信義則違背による信頼関係の破壊が支障となるのみならず、物理的にも共同廊下、階段及びエレベーターなどの共用部分やセットバック等が必要なため、各建物所有者の従来の店舗の間口と店舗面積が狭くならざるを得ず、不可能である。

(五)  以上のとおりであり、本件更新拒絶は正当な事由があるというべきであるから、本件賃貸借契約は平成八年一〇月三一日の経過をもって期間満了により終了したものというべきであり、被告は原告に対し本件店舗を明け渡すべき義務がある。

3  被告の主張

(一)  原告の正当事由の主張は争う。

原告は、本件建物の近くに妻名義であれ高級マンションを所有しており、本件建物を店舗兼居宅として使用する必要はない。共同ビル建築の計画があることは争う。店舗をはみ出して商品を路上に並べるのは、本件店舗のある築地場外市場では許された行為である。原告の方こそ、過度のはみ出しをして営業している。

(二)  被告は妥当な立退補償料の支払があれば本件店舗を明け渡す意思があり、本件調停でもそのつもりで対応してきた。しかし、原告は不相当な額しか呈示しない。また、そうでなくとも新築予定の共同ビルへ二坪程度の面積で再入居を認めてくれさえすれば、被告は本件店舗の明渡しに協力する用意があるが、原告はこれも否定するのであり、原告の明渡請求事件には正当事由はないというべきである。

4  争点

本件更新拒絶に正当事由があるか。

三  裁判所の判断

1  本件申入れの趣旨

本件申入れの事実は当事者間に争いがないところ、証拠(甲五の1、一八)によれば、右は本件賃貸借契約の次期更新を拒絶する趣旨を含むものと解するのが合理的である。

すると、右申入れは、本件賃貸借契約の期間満了(平成八年一〇月三一日)の一年前以内である同年二月二〇日にされているから(争いがない)、正当事由を具備する限り、右賃貸借契約は約定の期間満了をもって終了するものというべきである。この点を以下に検討する。

2  本件更新拒絶の正当事由

(一)  前記争いのない事実に証拠(甲一ないし四、六、七、九、一〇ないし一二の各1、2、一三、一八、一九の1ないし6、二〇の1ないし4、二一ないし二三、乙七)によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件建物は、昭和二年ころ原告の父隆宏が建築した木造二階建建物であり、部分的な補修がされているものの、現在建築後七〇年を経過して老朽化が進み、物理的、機能的及び経済的見地のいずれからも減価が著しい。

(2) 本件賃貸借契約の歴史は次のとおりである。隆宏は、本件建物建築後間もないころから本件建物の一階中央部分一坪を信雄の父高岡孫四郎(以下「孫四郎」という)に賃貸し、二階を隆宏の家族の居宅としていた。昭和二二年ころ、原告が実弟と共に一階で商売をすることとなり、店舗の拡張を図り、孫四郎に右貸付店舗の明渡しを求めたが、同人が応じないため、敷金、更新料等一切なく明渡要求があればいつでも立ち退くとの約束の上で、現在の本件店舗の位置に変更して賃貸借を継続した。

原告は、昭和三二年八月二六日に隆宏から本件建物及びその敷地を相続により取得し(本件建物については昭和三七年一二月一〇日付けで原告名義の保存登記が経由されている)、そのころから惣菜屋としてシュウマイ、餃子、メンチカツ、コロッケ、冷凍食品等の販売を行ってきた。これに対して、被告は昭和三三年一月二一日におでん種物の販売、珍味食品の販売等を目的として設立され、現在信雄が代表者に就任し、主に練製品を扱い、いわゆる外商と称する固定客への配達販売中心の営業形態を採っている。

(3) 本件建物の所在する築地場外市場には、木造建物が密集していたことから、中央区では昭和六二年ころから地域の再開発を指導していたところ(このような状況の中で更新された本件契約書には、特約条項(一〇条)として、被告は原告が本件建物を取り壊して新築するときは協力するとの合意が明記されている)、平成八年一月ころから本件建物を含む近隣九所帯が既存建物を取り壊して、居宅兼店舗用の共同ビルを建築する計画が整い、原告は同年二月二〇日にその準備として被告に対し本件申入れをし、被告がこれに応じないため、次いで同年四月二二日に本件調停申立てに及んだ。

本件調停手続は八回の期日が開かれ、その中で原告は被告に対し、新築予定の共同ビルの計画案(「(仮称)築地4丁目10番地区共同ビル計画(案)」と題するもので、計画地の現況の説明、ビルの平面・側面の概略図、利用イメージ図等からなるもの)を示す等して、共同ビル建築の必要性及びその計画が具体化していることを説明し、被告もこれに理解を示し、その結果、第八回期日には原告が立退補償料として八〇〇万円を支払うことを条件に被告が本件店舗部分を明け渡すことを内容とする調停が成立するという運びとなった。ところが、同期日において、突然被告が三五〇〇万円の立退補償料を要求して譲らない事態となったことから、調停成立は不可能と判断され、本件調停手続は不成立として終了した。

(4) 原告は息子夫婦らと共に家族総出で、本件建物一階で前記惣菜屋を営んでいるが、午前四時起きを強いられるため、住居と店舗が一致することを望んでいる。平成四年ころまでは、原告夫婦が本件建物二階に居住し、息子夫婦は本件マンションに居住していたが、子供の誕生を機に手狭であることから原告夫婦と入れ代わり、本件建物二階に転居し、原告夫婦が本件マンションに居住するようになっている。

しかし、本件マンション(昭和四七年建築)は約三八平方メートルの広さで手狭であり家財道具も十分収納できず、不自由を強いられており、息子夫婦も老朽化のため雨漏り、床の歪み等に悩まされながら本件建物二階に居住している。

(5) 原告の右居住状況に対し、被告の代表者信雄は、平成二年に中央区入船に所有していた土地を売却し、同区佃にマンション、賃貸建物等を購入するなどしており、原告と比較し、居住環境に格別の支障は見い出せない。

(6) 本件店舗の規模、営業形態に照らし、同程度の店舗を他に求めることは比較的容易なものと推認される。

(二)  右の諸事情を彼此勘案すれば、本件更新拒絶には一応の合理性があるものというべきである。しかし、被告が本件店舗で長年練り物製品等の販売を営んでいることを考慮すると、無償での明渡要求では十分な正当事由があるとまでいえるか若干の疑問がないではない。

そこで、原告は正当事由の補完として立退補償料六五四万円を支払う旨申し出ているので検討するのに、

(1) 証拠(甲二三)によれば、右金額は、近隣地域の特質、本件店舗の規模・形状、利用状況、賃料・期間等の賃貸借契約の内容等を考慮して賃借権価格算出し(一三六万円)、被告の過去三年(平成六ないし八年度)の営業実績を検討する等して営業補償額を算定し(三五八万円)、更に近隣地域の同規模、同程度の建物賃料を参考に割り出した適正賃料を基に二年間の家賃補償を算出し(一六〇万円)、これらを合算したものであって、右算定、算出の過程に特段不合理、不相当と評すべき事由は見い出し難いこと、

(2) 本件賃貸借契約書には、本件建物の建替えを想定して、その際には被告は誠実な対応をする旨の特約条項が明記されていること、

(3) 前記認定のとおり、本件調停は右の特約条項に違背する被告の不誠実な対応により不調のやむなきに至ったものと解されるが、被告はその後も本件建物を利用して相応の営業利益を上げてきていること

等の諸事情が窺われ、これらを併せ考察すれば、原告の提供する前記立退補償料額は本件更新拒絶の正当性を補完するのに十分なものと評価することができる。被告は本件店舗の明渡しに伴う営業損失を求め、その関係の証拠(乙一ないし七)を提出するが、そもそも、前記判断のとおり、本件更新拒絶は立退補償料の支払を要しなくてもほぼ正当事由を肯認し得る事案である上に、右各証拠を子細に検討してみても、前記認定の諸事情の下では、右認定額を明らかに不当と認めるに足りる事由は見い出し難いというべきである。

(三) 右のとおりであり、原告の本件更新拒絶には立退補償料六五四万円の支払を条件に正当事由を具備するものであるから、本件賃貸借契約は、約定の平成八年一〇月三一日の経過をもって終了したものというべきである。

3  よって、原告の本訴請求は、被告に対し六五四万円の支払をするのと引き換えに本件店舗部分の明渡しを求める限度で理由があるから認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官藤村啓)

別紙物件目録<省略>

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