東京地方裁判所 平成9年(ワ)19066号 判決 1998年12月28日
原告
渡辺はつ江
被告
肥塚光子
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金七四万〇四二二円及びこれに対する平成八年三月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、八分の一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、各自金六五一万〇一三一円及びこれに対する平成八年三月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、赤信号に従って、横断歩道の手前で停止した普通乗用自動車が、発進した直後に横断歩道上の自転車(走行していたか、転倒していたかについて争いがある。)に衝突した交通事故について、自転車の運転者が、普通乗用自動車の所有者及び運転者に対し、自賠法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。
一 前提となる事実
1 事故の発生
次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した(争いがない)。
(一) 発生日時 平成八年三月一二日午後一時一〇分ころ
(二) 事故現場 東京都荒川区南千住七丁目一一番五号先道路
(三) 加害車両 被告肥塚和夫が所有し、被告肥塚光子が運転していた普通乗用自動車(足立五九ち四五七二)
(四) 被害車両 原告が運転していた自転車
(五) 事故態様 加害車両が、横断歩道上の被害車両に衝突した(被害車両が横断し始めたときの横断歩道の信号の色や、被害車両が走行していたか、あるいは、転倒していたかなどについて争いがある。)。
2 原告の入通院の経過
原告(昭和五年一一月七日生)は、本件事故により、全身打撲、右下腿挫創、頸椎捻挫、頭部打撲、右肋骨骨折、右足関節外果骨折の傷害を負い、(一)及び(二)のとおり入通院した(甲五、六の1・2、七、八の1~5)。また、不眠症を患い、(三)のとおり通院した(甲九、一〇の1~5)。
(一) 白鬚橋病院
入院 平成八年三月一二日から平成八年三月二七日(合計一六日)
通院 平成八年三月二八日から平成八年六月二九日、平成九年三月一九日(実日数二〇日)
(二) 仲村整形外科医院
通院 平成八年四月五日から平成九年二月二六日(実日数五日)
(三) 医療法人社団久木留医院
通院 平成八年一二月二五日から平成九年四月一日(実日数五日)
3 原告の後遺障害
原告は、平成九年三月一九日、白鬚橋病院において、右足関節痛が残存して症状が固定した旨の診断を受けた(甲三の1)。そして、自動車保険料率算定会調査事務所において、右足関節痛の神経症状を残すものとして、自賠法施行令二条別表第一四級第一〇号の「局部に神経症状を残すもの」に該当する旨の認定を受けた(争いがない)。
4 責任原因
被告和夫は加害車両を所有し、被告光子は加害車両を運転し、いずれも事故のために運行の用に供していた(争いがない)。
5 損害のてん補
原告は、自賠責保険から一九五万円の支払を受けた(争いがない)。
二 争点
1 被告らの免責・原告の過失相殺
(一) 被告らの主張
被告光子は、加害車両を運転し、事故現場である道路を、対面信号の赤色に従ってこの横断歩道手前の停止線前に停止していた。そして、対面信号が青色になったので発進したところ、歩行者横断用信号が赤色であったのを無視して横断歩道を横断してきた被害車両が、急に飛び出してきたため、加害車両が被害車両に衝突した。
自転車は、道路交通法上「車両(軽車両)」(道交法二条一項八号、一一号)に該当するから、被告光子には、これが、赤信号を無視して進入してくることを予想して車両発見後直ちに停止することができるように減速し、左右の安全を確認する注意義務はない。従って、本件事故は、原告の一方的過失によって発生したもので、被告光子には過失はない。また、加害車両には構造上の欠陥または機能上の障害はなかった(なお、被告和夫が加害車両の運行に関し注意を怠らなかったか否か、原告または被告光子以外の第三者に故意または過失がなかったか否かのいずれについても、本件事故発生とは関係がないことは黙示的に主張しているものと理解することができる。)。
仮に、被告らに何らかの過失があったとしても、本件事故の原因は、原告が信号を無視して加害車両の直前へ飛び出したことにあるから、原告の過失割合は、九〇パーセントを下らない。
(二) 原告の反論
原告は、歩行者横断用信号が青点滅の時点で横断し始めた。ところが、横断し終わる寸前に、左方から、事故現場付近を進行してきた自動二輪車に接触され、被害車両の後部のかごを引き戻されるようにして路上に転倒した。そこへ、被告光子が前方をまったく注視することなく発進したものであるから、原告に過失があったとしても、その割合はせいぜい一〇パーセントにすぎない。
2 症状固定時期
原告は、平成九年三月一九日であると主張し、被告らは、平成八年六月二九日であると主張している。
3 損害額
第三争点に対する判断
一 被告らの免責・原告の過失相殺(争点1)
1 前提となる事実及び証拠(甲二一、乙一~三、五、六、八の1~3、九の1・2、一一、一二、証人臺四郎、原告本人、被告光子本人)によれば、本件事故前後の状況について、まず、次の事実が認められる。
(一) 事故現場は、南北に走る山谷通りに、西方向への道路(以下「西道路」という。)と、東方向への道路(以下「東道路」という。)が交わる変形交差点(以下「本件交差点」という。)である。東道路よりも西道路の方が数メートルほど山で山谷通りと交わっている。山谷通りには、この数メートルの間に横断歩道が存在し、歩行者用横断信号が設置されるとともに、山谷通りを通行する車両用の信号が設置されている。西道路から山谷通りに向かって進行してくると、前方にその歩行者用横断信号が見える。山谷通りは幅員一三メートルで、両脇には歩道が存在する。横断歩道の幅員は四・四メートルで、この北端には、さらに幅員一・六メートルの自転車横断帯があり、これらの概要は別紙現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおりである。
山谷通りは、交通頻繁な市街地の平坦な舗装道路であり、本件事故後、別紙図面記載のとおり、横断歩道のすぐ南側から南方向へ、長さ六・五メートルの自転車転倒圧痕(始点は車道の東端から三・八九メートルの地点であり、終点は三・一〇メートルの地点である。)が残存していたが、スリップ痕はなかった。
(二) 原告は、「あらかわ児童交通安全会」の児童交通指導員をしていた。本件事故当日は、東道路の奥にある小学校に向かうため、被害車両に乗って西道路を東へ進行し、本件交差点の横断歩道の手前に来た。
他方、被告光子は、加害車両を運転して山谷通りを北方向から南方向へ進行し、本件交差点に差し掛かった。ところが、対面信号が赤色であったため、横断歩道から八・九五メートル手前の停止線を越えて先頭で停止し、それに続いて自動二輪車がその左に停止した。また、対向車線にも車両が停止した。
(三) 被告光子は、車両用の対面信号が青色になり、並んで停止していた自動二輪車に引き続いて、加害車両を発進させたところ、被害車両に衝突した。加害車両が停止した後、その下部に入り込んでしまった原告は、前部の方から這い出して歩道の方へ行こうとした。その際、被告光子から、「おばさん、赤だったろう。」と言われた。
(四) 事故現場の歩行者用横断信号は、青色が一三秒間点灯した後、六秒間の青色点滅を経て赤色となる。赤色になって三秒間は車両用の信号も赤色であり、その後、車両用の信号は青色になる。
2(一) 本件事故の状況について、原告は、次のとおり供述する(原告本人)。
横断歩道の手前でいったん自転車から降りたところ、歩行者用横断信号は青色点滅であった。しかし、今なら渡ることができると考え、再び被害車両に乗って横断歩道の北西端から東南端に斜めに横断し始めた。そして、横断歩道を渡りきる寸前くらいに歩行者用横断信号は赤色になり、突然、被害車両が車道の方に引き戻されるような衝撃を受けると同時に加害車両の前に転倒した。起き上がろうとしたときに、加害車両が上に覆い被さってきて停車したのであり、跳ねられたり引きずられたりしていない。
原告作成の陳述書も、当初の内容から変化はあるものの、最終的には同趣旨の内容となっており(甲二一、二二、二四)、これに沿う証拠(森口安基子作成の陳述書、甲二三)もある。
これに対し、被告光子は、車両用の対面信号が青色になったので、オートマチックのギアをニュートラルからドライブに入れて発進したところ、右から目の前に被害車両が飛び出してきたので、驚いてブレーキを踏んだと供述し(被告光子本人)、被告光子作成の陳述書(乙三)の内容も同旨である。
(二) 被告光子は、被害車両が急に目の前を飛び出したとか、通りかかったとか供述するのみで、その直前の被害車両の動向や、反対車線の様子などについて、いずれも記憶がないと供述したり、被害車両が飛び出してきた方向について、反対尋問で初めて右側からであると供述している(被告光子作成の陳述書にも、飛び出してきた方向に関する記載はない。)。この供述内容からすると、加害車両が右側から走行してきた被害車両に衝突したことについては、まったく疑問がないではなく、そうとすれば、転倒していて起き上がりかけた原告を、急に目の前に飛び出してきたように認識した可能性も考えられないではない。
しかし、他方、原告の供述内容には、次のとおり、看過できない疑問がある。
まず、転倒圧痕の状況からして、被害車両は、横断歩道の南端付近で加害車両と衝突し、そこから六・五メートル引きずられたものと推認することができる。この事実と、原告自身は引きずられていないとの原告の供述を前提にすると、被害車両が横断歩道を渡りきる寸前に転倒した結果、被害車両は横断歩道付近に、原告自身はそこから六・五メートルほど南側に転倒したことになる。投げ出されるように転倒したとしても、被害車両と原告自身が離れすぎていることは否定できず、このことは衝突以前にすでに転倒していたことを疑わせる事情といえる。
また、この転倒の原因としては、発進した自動二輪車にひっかけられた可能性が考えられる。しかし、横断歩道を渡りきる寸前に歩行者用横断信号が赤色になったのであれば、あと三秒間は車両の対面信号も赤色が続くのであるから、自動二輪車が多少フライング気味に発進したとしても、そのときには、被害車両はすでに横断歩道を渡りきっている可能性が高く、被害車両をひっかけることは考えにくい。仮に、自動二輪車がひっかけたとしても、その進行方向である南方向へ力が働くことからすると、被害車両がそのまま後方へ引っ張られるようにして横断歩道上に転倒するか疑問がある。
ところで、原告は、本件訴訟において、当初は歩行者用横断信号は青信号で渡り、途中で青点滅になったと主張していたもので、第二回弁論準備手続で提出された陳述書(甲二一)もこれに沿う内容になっていた(甲二一)。その後、第三回弁論準備手続において、横断歩道手前で被害車両から降りたとき、歩行者用横断信号は青点滅であったと訂正する陳述書(甲二二)を提出して主張を変更した。原告は、原告訴訟代理人に対しては当初から青点滅であったと話していたが、当初、原告訴訟代理人に読み聞かせてもらった際には誤りに気がつかず、後に冷静に読んだ際に誤りに気づいたと供述する(原告本人)。そして、当初から横断前に青点滅であったと説明していたことを裏付けるものとして、訴訟前、紛争処理センターに行く前に作成していたというメモ(甲二四)と、原告の次女が原告から聞いた内容を記載した陳述書(甲二三)がある。しかし、山谷通りを横断する前に歩行者用横断信号が青色であったか、あるいは、青点滅であったかということは、原告の過失の程度に影響を与える重大な事柄であるから、これを原告訴訟代理人が聞き間違えるとは思われないし、陳述書の内容を読み聞かせてもらった原告が気がつかないとも考えにくい。また、紛争処理センターに行く前に作成していたとのメモは、内容を訂正した陳述書と一緒に提出されたもので、日付の記載がない上、それまで原告訴訟代理人に渡されていなかった(原告本人)ことを併せて考えると、本件訴訟前に作成されたことには疑問が残る。原告の次女の陳述書に至っては、新たに作成されたもので、内容を訂正した原告の陳述書と一緒に提出されていることからすると、その内容にどれほどの信用性があるか定かでない。加えて、原告が最初の陳述書を提出した第二回弁論準備手続において、被告らから、信号サイクル図(乙六)が提出されていることを併せて考えると、原告は、むしろ、この乙第六号証によって、歩行者用横断信号が青点滅になってから車両信号が青色になるまで九秒間もあることを知り、時間的な不整合を少しでも解消するために右の訂正の陳述書等を提出した可能性が高いということができる。そうすると、原告は、信号表示については、当初、自己に有利に説明をしていた可能性が高いといわざるを得ないし、このような経過で訂正した信号表示の内容(横断前に被害車両から降りた際に青点滅であり、横断終了寸前に赤色に変わったこと)は、どれほど信用できるか定かでない。元来、原告の当初の主張は、歩行者用横断信号が青色のときに横断したのに、車両用信号に従って発進した加害車両と衝突したことの理由が、横断終了間際に後方へ引っ張られるようにして横断歩道上に戻されたからであるという点にあった。しかしながら、重要な前提である信号表示に関する説明の信用性に疑問があるとすれば、横断終了間際に後方へ引っ張られるようにして横断歩道上に戻されたとの内容にも疑問が生じるといわざるを得ない。
もっとも、原告は、被害車両が後方へ引っ張られたことをうかがわせる事情として、被害車両の後部かごがなくなっており、現場から発見されていないことを指摘する。たしかに、証拠(甲二六の1、原告本人)によれば、被害車両の後部にかごはないが、この写真は、本件事故前の平成八年三月三日に撮影されたものであり、仮に、本件事故後に撮影されたものであるとしても、事故当時、後部にかごが付いていたことを認めるに足りる証拠はない(なお、原告本人尋問においては、荷台がないと供述しているが、甲二六の1によれば、荷台は付いているように見える。)。
さらに、証人臺四郎は、車両信号の赤色に従って加害車両の左隣に自動二輪車を停車し、青色に変わって発進し一〇メートルほど進行したところ、ガチャンと音がして振り返って本件事故の発生に気がついたもので、発進前に自転車が前を通過するのは見ていないと供述している。原告の供述内容は、これと矛盾する。
もっとも、原告は、証人臺四郎は、被害車両の後部かごをひっかけた可能性が高い人物であるから、その供述内容は信用できないと主張する。しかし、被害車両の後部かごがひっかけられたことについては、先に検討したとおり疑問があるのであって、右の可能性をもって供述内容を信用できないとまではいえない。また、原告は、証人臺四郎の供述内容には、加害車両の停止位置について他の証拠と矛盾があり、この証人は、交通事故を三回も起こし注意力に優れた人物とはいえないから、その供述内容は信用できないとも主張する。たしかに、証人臺四郎は、加害車両は停止線の手前で停止していたかのように供述し、これは、実況見分における被告光子の指示説明の内容(停止線の上に停止したように説明している。乙一)と合致しない。しかし、供述全体の信用性に疑問を生じさせるような矛盾とはいえないし、交通事故を起こした経歴が多いからといって供述内容が信用できないとはいえない。
(三) このように、原告の供述内容は、被告光子の供述内容と比較すると、事故現場の状況や供述の経過に照らして疑問が多く、第三者証言とも矛盾する。このことは、被告光子の供述内容の信用性を相対的に高めるものといえる。そして、被告光子が、衝突直前の被害車両の動向や、反対車線の様子などについて、あいまいな供述に終始している点は、表示が変わる車両信号に気を取られて漫然と発進したため、衝突の瞬間しか明確な記憶がなかったと考えることも可能であるから、これらの事情を総合すると、被告光子の供述内容が信用できるというべきである。
もっとも、原告は、走行中に加害車両と衝突したとすれば、衝突により、被害車両のハンドル部分が右側に曲がり、原告の負傷は左側に生じるのが自然であるが、現実には、ハンドル部分が左側に曲がっており、原告の負傷も右側に偏っているとして、被告光子の供述と客観的証拠の不整合を指摘する。たしかに、被害車両はのハンドル部分が左側に曲がっていることを裏付ける証拠(甲二六の1~3)はあるが、これが、事故後の状況を示すものといえるか定かでないことは、先に述べたとおりである。仮に、事故後の状況を示しているとしても、ハンドル部分が左側に曲がっていることは何ら不自然ではない(加害車両の下部に巻込まれるような状態になったとすれば、左側に曲がることは考えられる。)。また、衝突時において、被害車両と加害車両は極めて接近していたものと推認することができるから、加害車両が発進直後であることを併せて考えると、衝突時の衝撃自体はそれほど大きなものではなかった可能性がある。そうすると、原告の左半身に負傷がないことも不自然とまではいえず、転倒後に右半身を主に負傷したと考えることもできる。したがって、原告の主張はいずれも理由がない。
3 1で認定した事実及び被告光子の供述を前提にすれば、原告が、歩行者用横断信号を確認した際には青点滅であった可能性も捨てきれないが、少なくとも、横断を始めたのは、赤色に変わった直後か、変わると同時くらいであったものと推認するのが相当である(原告が横断前に被害車両を降りたとの原告本人の供述も、疑問がないではないが、さりとて、信用できないとまでは言いきれない。そうすると、再度乗車し始める間に青点滅から赤色に変わった可能性があり得るし、乗車し始めようとしてから、現実に乗車して衝突地点に達するまで多少の時間がかかるから、横断前に確認した際に、歩行者用横断信号が青点滅であったが、衝突地点に達したときに、車両信号が青色に変わったとしても不自然とまではいえない。)。
この事実によれば、原告は、歩行者用横断信号を確認した際、すでに青点滅であったのであるから、山谷通りを横断すべきではなかったのに、これを怠り、強引にこれを横断した重大な過失がある。他方、被告光子も、信号の変わり目で横断歩道を横断する歩行者や自転車が存在する可能性があったのであるから、車両信号が青色にかわったとしても、横断歩道上の通行者の有無を確認してから発進すべき注意義務があったのに、先頭で停止して横断歩道の様子が十分に確認できる状況にありながらこれを怠り、衝突寸前まで被害車両が横断してきていることにすら気がつかず、車両信号が変わったと同時に漫然と加害車両を発進させて被害車両に衝突させたことは、やはり重大な過失といわざるを得ない。
この過失の内容、事故態様(自動車と自転車の事故であることを含む)などの事情を総合すると、本件事故に寄与した過失割合は、原告が五五パーセント、被告光子が四五パーセントとするのが相当である。
二 症状固定時期(争点2)
前提となる事実及び証拠(甲五、六の2、乙一三)によれば、原告は、平成八年四月一二日、白鬚橋病院において、右足関節外果骨折について、現在ギブスシーネ固定中であり、今後四週間の安静加療が必要であるとの診断を受けたこと、白鬚橋病院には平成八年六月二九日を最後に通院をしなくなり、その後、平成九年三月一九日に白鬚橋病院で症状固定の診断を受けるまでの間、同年八月二日、同年九月六日、平成九年二月二六日に仲村整形外科医院に通院したこと、白鬚橋病院が同年三月一九日に症状固定の診断をしたのは、平成八年六月二九日に通院してこなくなって以来、右足関節痛を訴えて来院した日が平成九年三月一九日であったのが理由であることが認められる。
この認定事実によれば、原告は、平成八年六月二九日以降、わずかしか通院をしておらず、また、平成九年三月一九日の症状固定の診断は、症状の経過や現状を前提にして厳密になされたものではないようである。しかし、本件全証拠によっても、この間の症状の経過は明らかでなく、少なくとも、平成八年六月二九日当時の症状が、すでに平成九年三月一九日当時の症状と変わらないものであったと認めるには足りない(通院頻度が極端に低いことの一時をもって平成八年六月二九日当時の症状と、平成九年三月一九日当時の症状に変化がないとまではいえない。)。
したがって、症状固定は、白鬚橋病院でその旨の診断がなされた平成九年三月一九日とせざるを得ない。
三 損害額(争点3)
1 治療費等(請求額八三万三八一七円) 七八万三六五七円
原告は、白鬚橋病院、仲村整形外科医院、久木留医院における治療費等として、合計七八万三六五七円を負担した(甲六の1・2、甲八の1~5、甲一〇の1~5、原告本人)。なお、久木留病院の治療費は、症状固定後である平成九年四月一日の通院分も含まれている(甲一〇の4・5)。これは、本件事故後の経過により、不眠症となって抗不安薬の投与を受けていたものであるから(甲九)、症状固定後の通院といえども、必要であったと認めることができる。
なお、原告は、後遺障害診断書作成費用として、五万〇一六〇円を負担したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
2 入院雑費(請求額二万〇八〇〇円) 二万〇八〇〇円
入院雑費としては、一日あたり一三〇〇円の一六日分で、二万〇八〇〇円を相当と認める。
3 装具購入費等(請求額四万〇七九九円) 四万〇七九九円
原告は、骨折治療のためギブスを購入し、それに伴ってサンダルと大きな靴も購入し、合計四万〇七九九円を負担した(甲一一、一七の3・4、原告本人、弁論の全趣旨)。
4 通院交通費(請求額五万九九七〇円) 四万一一二〇円
原告は、白鬚橋病院を退院後、通院のためにタクシーを利用し、合計三万二八一〇円を負担した(甲一二~一六、原告本人、なお、甲一二、一四、一五によれば、平成八年三月三〇日と同年五月一八日にも白鬚橋病院へ、同年四月八日にも仲村整形外科医院に通院してタクシーを利用したとされているが、甲六の2によれば、同病院へは通院していないことが認められるので、このタクシー代は認められない。)。
また、原告が入院中である平成八年三月一二日から同月二七日までの間に、合計八日間、原告の家族が、原告を見舞うためタクシーを利用している(甲一二、一三、原告本人、弁論の全趣旨)。しかし、家族は負傷しておらず、公共交通機関の利用で足りるのであるから、片道五〇〇円の一日あたり一〇〇〇円の限度で家族交通費を認める(ただし、平成八年三月二七日は、原告が退院した日であるから、甲一三によりこの日の復路は八一〇円の限度で交通費を認める。)。したがって、この期間の交通費は、八三一〇円となる。
5 休業損害(請求額三三六万六三二五円) 二一五万七〇二四円
証拠(甲二一、原告本人)によれば、原告は、児童交通指導員のほかに、主婦業や夫の仕事(ビニール加工業)の手伝いをしていたことが認められる。
この認定事実によれば、原告は、原告が主張する年間三二九万四二〇〇円を下らない額(平成八年賃金センサス女子労働者・産業計・企業規模計・学歴計の全年齢平均収入である年間三三五万一五〇〇円を上回らない額)に相当する労働をしていたものということができる。そして、原告が主張する平成八年三月一二日から平成九年三月一九日までの三七三日間のうち、入院期間は一六日間であったが、その後ギブスを装着していたこと、退院後の実通院日数は二九日(久木留医院の通院日数のうち一日は症状固定後である。)にとどまること、最終的に自賠法施行令二条別表第一四級一〇号に該当する後遺障害が残存したこと、原告の労働には主婦業が含まれていることを併せて考えると、入院期間と実通院日数の合計である四五日間にさらに六〇日間を加えた一〇五日は一〇〇パーセント、残りの二六八日間については、平均して五〇パーセントの限度で労働能力に制約を受けたと判断するのが相当である。これを前提に原告の休業損害を算定すると、二一五万七〇二四円(一円未満切り捨て)となる。
3,294,200×(105+268×0.5)/365=2,157,024
6 逸失利益(請求額一〇六万四五二〇円) 七一万三〇九五円
すでに認定した事実によれば、原告は、本件事故により、症状固定時である六六歳から七一歳までの五年間にわたって五パーセントの限度で労働能力を喪失したと認めるのが相当である。
したがって、原告が主張する年間三二九万四二〇〇円(症状固定時に近接した平成八年賃金センサス女子労働者・産業計・企業規模計・学歴計の全年齢平均収入である年間三三五万一五〇〇円を上回らない額)を基礎収入とし、ライプニッツ方式(係数四・三二九四)により中間利息を控除すると、七一万三〇九五円(一円未満切り捨て)となる。
3,294,200×0.05×4.3294=713,095
7 自転車及び眼鏡代(請求額六万七九〇〇円) 認められない
証拠(甲一七の1・2、原告本人)によれば、原告は、本件事故により、被害車両と眼鏡を破損し、自転車を二万五九〇〇円、眼鏡を四万二〇〇〇円で新たに購入したこと、破損した被害車両と眼鏡は、購入後それぞれ約一年間、二、三年間使用したものであったことが認められる。
ところで、物損については、事故当時の時価に相当する額が相当因果関係のある損害と認められる(ただし、修理が可能であれば、時価と修理代と比較して低い方の金額が相当因果関係のある損害となる。)。しかし、本件においては、被害車両が修理不能であったか否か、原告が、被害車両と眼鏡を当初いくらで購入したかについて明らかでない。したがって、物損として、損害を算定するのは困難であるというべきであるが、慰謝料において、若干の考慮をする。
8 慰謝料(請求額二三〇万六〇〇〇円) 二〇〇万円
原告の負傷内容、入通院の経過、後遺障害の内容・程度、算定困難な若干の物損が存在したことなどの一切の事情を総合すると、原告の慰謝料としては、二〇〇万円を相当と認める。
9 過失相殺及び損害のてん補
1ないし6の損害総額五七五万六四九五円から、原告の過失割合である五五パーセントを相当する金額を減ずると、原告の過失相殺後の金額は、二五九万〇四二二円(一円未満切り捨て)となる。
この金額から、原告が自賠責保険から支払を受けた一九五万円を控除すると、原告の損害残額は、六四万〇四二二円となる。
10 弁護士費用(請求額七〇万円) 一〇万円
審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、一〇万円を相当と認める。
第四結論
以上によれば、原告の請求は、七四万〇四二二円及びこれに対する平成八年三月一二日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 山崎秀尚)
現場見取図