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東京地方裁判所 平成9年(ワ)26215号 判決 1999年4月15日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二四五一万〇三九三円及びこれに対する平成九年七月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  原告は、保険事業等を目的とする株式会社である。

2  原告は、Aとの間で、埼玉県大宮市東大宮四丁目<略>所在の六世帯用の共同住宅建物(通称寿荘又は第一寿ハイツ、以下「本件建物」という。)及びこれに隣接する同所所在の共同住宅建物(通称第二寿ハイツ、以下「隣接建物」という。)について、保険期間を平成八年一二月二八日から平成九年一二月二八日まで及び同年三月一二日から平成一〇年三月一二日までとする火災保険契約(住宅総合保険、以下「本件保険契約」という。)を締結していた。

3  被告は、Aから、平成七年八月五日、本件建物の二〇一号室(以下「本件戸室」という。)を賃借し、ここに一人で居住していた。

4  平成九年五月一八日一三時五一分ころ、本件戸室内から出火し、本件戸室を中心に本件建物の一部及び隣接建物の一部を焼失した(以下「本件火災」という。)。

5  原告は、平成九年七月二三日、Aに対し、本件保険契約に基づく保険金として合計二四五一万〇三九三円を支払った。

二  原告の請求内容

本件は、原告が、被告に対し、右保険金の支払によってAの被告に対する債務不履行及び不法行為に基づく各損害賠償請求権を代位取得したとして、二四五一万〇三九三円及びこれに対する保険金支払の日である平成九年七月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

三  争点及びこれに対する当事者の主張

1  Aの被告に対する損害賠償請求権

(原告の主張)

(一) 被告は、平成九年五月一八日午後一時五一分ころ、本件戸室六畳間の南側掃き出し窓(以下「南側掃き出し窓」という。)のカーテン付近に、点火したままの芳香用ろうそく(土器あるいは陶器の容器にろうを入れたもの、以下「本件ろうそく」という。)を置いたまま、南側掃き出し窓を約三〇センチメートル開け、本件戸室外で洗濯をしていたところ、本件ろうそくの火が右カーテンに燃え移って本件火災に至り、これにより、Aは、二四五一万〇三九三円の損害を被った。

(二) 近年、我が国の住宅事情を初めとする社会的諸事情は変化してきており、一般人の注意義務、注意能力の程度も相対的に高度化して捉らえられてきていることからすると、損害の公平な分担のためには、失火の場合においても、被害者救済の比重を重くすべきであり、失火ノ責任ニ関スル法律(以下「失火責任法」という。)に定める「重大ナル過失」の意味については、これを故意に近い場合に限定するのは妥当ではなく、故意と過失の中間でかなり軽いものまで含まれると解すべきである。

燃焼中のろうそくの最高温度は一四〇〇度にも達するものである上、本件ろうそくのような芳香用ろうそくに長時間火をつけたままにすると、容器自体も熱くなっており、ろうが残り少なくなったとしても、その場合には芯が動きやすくなっていて、意外に大きな炎が出るものである。そして、原告の行った実験でも、本件ろうそくと同様の芳香用ろうそくの炎は、点火後一六時間を経過した後であっても、容器の上から出ていることが確認されている。

しかるに、本件火災が発生した当時、南側掃き出し窓のカーテンと本件ろうそくは、わずか約三〇センチメートルしか離れておらず、しかも、南側掃き出し窓からは、かなり強い風が吹き込んでいたのであるから、仮に、右カーテンを左右で止めていたとしても、そのような所に裸火を置くことは、非常に危険なことであり、被告には、本件火災の発生について重過失があったというべきである。

(三) したがって、Aは、被告に対し、債務不履行あるいは不法行為に基づき二四五一万〇三九三円の損害賠償請求権を有していたものであり、保険金を支払った原告は、被告に対する右損害賠償請求権を取得した。

(被告の主張)

(一) 本件戸室の南側掃き出し窓の東側壁の下方(床から約一五センチメートルの高さ)には、二口のコンセントがあり、複数の電気製品のプラグが差し込まれ、たこ足配線の状態となっており、このコンセントとカーテンの下部はほとんど接するような位置関係にあった。被告は、本件火災の発生当時、本件戸室北の外廊下にあった洗濯機を使用して洗濯をしていたところ、室内のラジカセの音が突然消えたので、室内をのぞいたところ、煙が見え、本件火災の発生に気付いたものである。

したがって、本件火災の原因としては、本件ろうそくのほかに、右コンセントの漏電による出火の可能性が考えられる。

(二) 仮に、本件火災は、本件ろうそくの火が南側掃き出し窓のカーテンに燃え移ったことによるものであったとしても、本件ろうそくは、別紙図面一<略>のような形状の土器の容器に、ろうと芯が入っているもので、火勢も弱く、長時間ゆっくり燃えながら芳香するものであり、その形状からも倒れにくく、また、容器に入っているため引火の可能性も少ない。

被告は、本件火災発生日の前夜から長時間、本件ろうそくに火をつけたままとしていたため、残りのろうは容器の中で高さ約一センチメートル程度に減っており、炎は容器から上に出ることはなく、容器の中でかすかに燃えている状態であった。また、被告は、前記カーテンを両端で止めていたから、このカーテンは、予期しない突風が吹かない限り大きく揺れ動くことはない状態であった。

そして、被告は、本件火災の発生当時、本件戸室北の外廊下にあった二槽式の洗濯機を使用して洗濯をしており、洗濯槽から脱水槽に洗濯物を移しているときに本件火災が発生したものであるが、洗濯と併行して室内で片付けや掃除などをしていたもので、部屋を離れていた時間は、それぞれの作業ごとに数分間程度にすぎなかった。

したがって、被告には、本件火災の発生について故意又は重過失はなかった。

2  代位求償権不行使条項

(被告の主張)

(一) 本件保険の約款には、特約条項が付帯されており、そこには、「この条項の付帯された普通保険約款の代位に関する規定により、被保険者が借家人(賃貸借契約または使用貸借契約に基づき保険の目的である建物を占有する者をいい、転貸人および転借人を含みます。以下同様とします。)に対して有する権利を、当会社が取得したときは、当会社はこれを行使しないものとします。ただし、借家人の故意または重大な過失によって生じた損害に対し保険金を支払った場合は、この限りではありません。」とされている(争いがない。以下「本件特約」という。)。

(二) 本件保険契約の約款では、被保険者、保険契約者等に重過失があった場合に、保険者が免責される旨定められているが(二条)、この免責条項にいう重過失は、故意に近い過失あるいは準故意の意味、すなわち、わずかの注意さえすればたやすく違法有害な結果を予見することができたにもかかわらず、漫然とこれを見すごしたようなほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態をいうと解すべきである。同一の保険約款における重過失の意味は、統一的に解釈すべきであり、本件特約の重過失もこのような準故意の意味に解すべきである。

しかし、前記被告の主張事実に照らすと、被告には、本件火災の発生について、右のような意味での重過失はなかったというべきである。

(原告の主張)

(一) 保険金を支払った保険者は、被保険者が賃借人に対して有する債務不履行及び不法行為に基づく各損害賠償請求権を代位取得することになるが(商法六六二条)、本件特約は、債務不履行に基づく損害賠償請求権の行使についても、不法行為に基づく損害賠償請求権に関する失火責任法との整合性を持たせ、失火責任法と同様の制限を加えて賃借人の保護を図ったものと解すべきである。

また、本件特約は、昭和五六年六月に新設されたものであるが、これと同時に、借家人賠償責任担保特約条項も新設され、借家人の軽過失、重過失を問わず、家主に対する債務不履行による損害賠償責任が担保されるようになった。

したがって、本件特約にいう重過失とは、失火責任法に定める「重大ナル過失」と同様の意味と解すべきである。

(二) 前記のとおり、被告には、失火責任法に定める意味での「重大ナル過失」があったのであるから、原告は、被告に対し、本件特約のただし書により、代位によって取得した損害賠償請求権を行使することができる。

第三  争点に対する判断

一  Aの被告に対する損害賠償請求権

1  証拠<略>及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件建物は、昭和五七年建築の鉄骨造六世帯用共同住宅で、本件火災発生当時における本件戸室南側六畳間内は、概ね別紙図面二<略>のような状況であり、被告は、南側掃き出し窓のカーテンから約三〇センチメートルの所に石油ファンヒーター(高さ約四五センチメートル)を置いていた。当時、この石油ファンヒーターは使用していなかった。

(二) 被告は、芳香用ろうそくを消臭の目的で何度か使用していたが、平成九年五月一七日午後八時ころ、概ね別紙図面一<略>のような形状の芳香用の本件ろうそくに火を灯し、これを前記石油ファンヒーターの上に置いたまま就寝した。

(三) 被告は、翌一八日、午後一時ころ起床し、南側掃き出し窓のカーテンを開けて左右のカーテン止めでまとめ、この掃き出し窓を約三〇センチメートル開けた。被告は、この掃き出し窓から風が吹き込んでいるのが分かったが、本件ろうそくの火はついたままであった。

そして、被告は、本件戸室北側の外廊下の玄関横に置かれていた二槽式の洗濯機を使用して洗濯を始め、これと併行して室内の片付けや掃除を行っていたが、洗濯物を洗濯槽から脱水槽に移していた際、異変に気付き、急いで本件戸室内に入ると、南側のカーテンが燃えていたため、直ちに消防署に電話をしようとしたが、停電のためか電話をすることができなかった。

被告は、外に出て助けを求め、近くにいた男性が消火をしようとしたものの、消火器を使用することができないでいるうちに本件戸室内に煙が充満し、被告は、同人から待避を促されて一階に降り、住人に緊急事態を伝えたが、本件建物は燃え上がってしまった。

(四) 本件火災により、本件戸室は焼失した上、隣の戸室にも延焼し、本件建物は、屋根や外部廊下も交換を要する状態となり、その他の戸室についても一階の一室を除いて消火水による汚損の被害が発生した。また、本件火災により、鉄骨造の共同住宅である隣接建物にも一部廊下等が燻焼する被害が発生した。

2  右の事実と大宮市消防長作成の本件火災についての照会回答書(甲第二号証)によれば、本件火災は、南側掃き出し窓のカーテンが風であおられるなどして本件ろうそくの炎と接触し、火がカーテンに燃え移ったことによるものと推認される。

被告は、本件火災の原因として、本件戸室内にあったコンセントの漏電による出火の可能性が考えられると主張し、被告の陳述書(乙第二号証)及び本人尋問の結果中にはこれに沿う部分があるが、本件火災後の本件戸室内に漏電の可能性を示す電気痕等が存在したとする証拠はないし、前記大宮市消防長作成の照会回答書(甲第二号証)にも、本件火災の原因について漏電の可能性は認められないと記載されており、これらの諸点に照らし、右被告の主張は採用できない。

そうすると、被告は、本件戸室の保管義務に違反したものとして、Aに対し、債務不履行に基づく損害賠償義務があったというべきである。

ところで、被告の不法行為責任についてみると、失火責任法に定める「重大ナル過失」とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解するのが相当であり(最高裁昭和三二年七月九日第三小法廷判決・民集一一巻七号一二〇三頁)、故意と過失の中間でかなり軽いものまで入ると解すべきであるとの原告の主張は採用することができない。

前記認定事実によれば、被告は、カーテンの近くに火のついた本件ろうそくを置いたまま、南側掃き出し窓を開け、この窓からは風が吹き込んでいるのが分かっていながら、本件戸室の外で洗濯をしていたものである。

しかしながら、被告は、このカーテンについては、左右のカーテン止めでまとめるという一応の方法を講じていたのであり、また、洗濯機が置かれていた場所も本件戸室外の玄関横で、本件戸室から離れた場所にあったというものではなく、しかも、被告は、洗濯と併行して本件戸室内の片付けや清掃も行っていたものであり、長時間にわたって本件戸室から出ていたものではない。

原告は、被告が開けた南側掃き出し窓からは、かなり強い風が吹き込んでいたと主張するが、甲第四号証(埼玉県地域気象観測風向風速月報)によれば、本件火災発生当日の風速は、浦和観測所の測定で、平均一・六メートル毎秒、最大でも四メートル毎秒であったことが認められ、また、被告が南側掃き出し窓を開けた後も本件ろうそくの火が消えずに燃え続けていたことに照らすと、吹き込んでいた風がかなり強い風であったとまでは認められず、右原告の主張は採用できない。

このような諸点から考えると、被告には、本件火災の発生について、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができたのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如があったとまでは認め難く、失火責任法に定める「重大ナル過失」があったとは認められない。

したがって、被告には、Aに対し、本件火災について不法行為に基づく損害賠償義務があったとは認められない。

二  代位求償権不行使条項について

本件保険の約款には、本件特約が付帯されており、そこには、「この条項の付帯された普通保険約款の代位に関する規定により、被保険者が借家人(賃貸借契約または使用貸借契約に基づき保険の目的である建物を占有する者をいい、転貸人および転借人を含みます。以下同様とします。)に対して有する権利を、当会社が取得したときは、当会社はこれを行使しないものとします。ただし、借家人の故意または重大な過失によって生じた損害に対し保険金を支払った場合は、この限りではありません。」とされている。

本件特約は、賃借人が賃貸人のために借家について火災保険契約を締結した場合において、事故が発生して保険金を支払った保険会社が賃借人に求償することになれば、保険をつけた賃借人の目的が達成されないことになり、また、賃貸人が貸家について火災保険契約を締結する場合も、保険料は通常家賃の一部に含まれていると考えられることから、賃借人が保険契約者である場合と同様に扱い、賃借人に故意又は重大な過失がない限り、代位によって取得した債務不履行に基づく損害賠償請求権を行使しないことにするのが相当であるとの考慮によるものと考えられ、また、本件特約に定める「重大な過失」との要件は、失火責任法と同様の要件であることからすると、本件特約の「重大な過失」とは、失火責任法の「重大ナル過失」と同様、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解すべきである。

しかるに、本件火災の発生について、被告に、右のような意味での重大な過失があったとまで認められないことは前記のとおりである。

したがって、本件特約により、原告は、被告に対し、代位によって取得した債務不履行に基づく損害賠償請求権を行使することはできない。

三  結論

以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 端二三彦)

(別紙)図面一<略>

図面二<略>

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