東京地方裁判所 平成9年(ワ)27611号 判決 2000年3月27日
原告
電気化学工業株式会社
右代表者代表取締役
【A】
右訴訟代理人弁護士
品川澄雄
同
滝井朋子
被告
太平洋セメント株式会社
右代表者代表取締役
【B】
被告
株式会社小野田
右代表者代表取締役
【C】
被告ら訴訟代理人弁護士
光石忠敬
同
光石俊郎
被告ら補佐人弁理士
【D】
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、別紙物件目録(原告主張)(一)記載の急結剤を製造し、販売し、販売のために展示してはならない。
二 被告らは、別紙物件目録(原告主張)(二)記載の「装置」並びにこれを構成するための「急結剤添加ノズル(Y字管)」及び「乾燥高圧空気による粉体急結剤供給機(Tクリート)」を製造し、販売し、貸し渡し、販売又は貸し渡しのために展示してはならない。
三 被告らは、第一項記載の物件及び第二項記載の各物件を廃棄せよ。
四 被告らは、原告に対し、金八二五〇万円及びこれに対する平成一〇年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
原告は、被告らに対し、被告らの吹付用急結剤、急結剤供給機等の製造、販売行為等が、原告の有する特許権の侵害に当たる旨主張して、右行為の差止め、右物件の廃棄及び損害賠償を求めた。
一 前提となる事実(特に断らない限り、当事者間に争いがない。)
1 原告の特許権
原告は、次の各特許権(以下、順に「本件甲特許権」「本件乙特許権」「本件丙特許権」といい、その発明を順に「本件甲発明」「本件乙発明」「本件丙発明」という。)を有している。
(一) 本件甲特許権
特許番号 第二〇六〇七五九号
発明の名称 セメントモルタル又はコンクリートの湿式吹付用急結剤
出願日 昭和六〇年一〇月二二日
出願公告日 平成七年三月二二日
登録日 平成八年六月一〇日
特許請求の範囲 別紙特許出願公告公報甲写しの該当欄記載のとおり
(以下、右出願公告公報掲載の明細書を「本件甲明細書」という。)
(二) 本件乙特許権
特許番号 第一七四三九八七号
発明の名称 急結性吹付材の吹付方法
出願日 昭和五六年一月二四日
出願公告日 平成元年九月七日
登録日 平成五年三月一五日
特許請求の範囲 別紙特許出願公告公報乙写しの該当欄記載のとおり
(以下、右出願公告公報掲載の明細書を「本件乙明細書」という。)
(三) 本件丙特許権
特許番号 第二一一八七一八号
発明の名称 急結性吹付材の吹付方法
出願日 昭和五六年一月二四日
出願公告日 平成四年八月三日
登録日 平成八年一二月六日
特許請求の範囲 別紙特許出願公告公報丙写しの該当欄記載のとおり
(以下、右出願公告公報掲載の明細書を「本件丙明細書」という。)
2 被告らの行為
(一) 被告太平洋セメント株式会社(旧商号・秩父小野田株式会社)は、本件甲特許権の出願公告日である平成七年三月二二日から平成八年九月末日まで(右期間以外の時期については争いがある。)、①「TーR0CK」なる商品名の急結剤、及び②急結剤供給装置を、製造し、販売し、貸し渡していた。
(二) 被告株式会社小野田は、平成七年三月二二日から現在まで(右期間以外の時期については争いがある。)、①「TーR0CK」なる商品名の急結剤を製造し、販売し、また、②急結剤供給装置を製造し、貸し渡している(右各行為以外の行為については争いがある。)。
(三) ①の急結剤について、原告は物件目録(原告主張)(一)のとおりに、被告らは物件目録(被告主張)(一)(1)のとおりに、それぞれ特定すべきであると主張する。さらに、被告株式会社小野田は、平成一一年四月、物件目録(被告主張)(一)(1)から同目録(一)(2)のとおり成分の一部を変更したので、そのように表現すべきであると主張する(ただし、以下においては、便宜、①の急結剤を、「本件急結剤」という。)。
②の急結剤供給装置について、原告は物件目録(原告主張)(二)のとおりに、被告らは物件目録(被告主張)(二)のとおりに、それぞれ表現すべきであると主張する(ただし、以下においては、便宜、②の急結剤供給装置を、本件供給装置」という。)。
二 争点
1 本件急結剤は、本件甲発明の技術的範囲に属するか。
なお、本件においては、本件各発明につき構成要件に分説することなく検討する。
(原告の主張)
本件急結剤は、以下のとおり、本件甲発明の技術的範囲に属する。
(一) 「カルシウムアルミネート」について
本件急結剤には、酸化カルシウムと酸化アルミニウムと酸化ナトリウムの三成分からなる物質が含まれているが、この物質は、本件甲発明の「カルシウムアルミネート」に該当する。
(1) 本件甲明細書の発明の詳細な説明欄には、「カルシウムアルミネート」の例示として、「カルシウムアルミネートとしては、CaO・2Al2O3、CaO・Al2O3、12CaO・7Al2O3、3CaO・Al2O3やこれらにハロゲン元素が固溶した3CaO・3Al2O3・CaF2、11CaO・7Al2O3・CaF2等が用いられるが、中でも12CaO・7Al2O3、11CaO・7Al2O3・CaF2は急結性に優れている。」(本件甲明細書三欄二一行ないし二六行)と記載されているので、「カルシウムアルミネート」としては、単純に、酸化カルシウムと酸化アルミニウムとを組成成分とするもののみならず、これにフッ化カルシウムの如き第三成分の加わったものもそれに含まれることは明らかである。
したがって、本件急結剤に含まれている「酸化カルシウムと酸化アルミニウムと酸化ナトリウムの三成分からなる物質」は、本件甲発明の「カルシウムアルミネート」に該当するといえる。
(2) 成分が未分明の試料を分析してそれを同定するに当たっては、「JCPDSカードチャート」が広く用いられている。ところで、「JCPDS」とは、“Joint Comittee on Powder Diffraction Standards"の略称で、Inter-national Centre for Diffraction Dataと称される機関の頒布しているX線回折パターンのチャートであって、現在、多数の標準物質のチャートが検索用として保存されている。成分の未分明の試料のX線回折チャートは右の標準物質のチャートと対比され、どの標準物質のチャートと一致するかないしは近似するかが判別され、それによって試料が同定される。「JCPDSカードチャート」を用いて行う同定法は、日本工業規格中の「X線回折分析通則」、「X線回折分析通則解説」や東京工業大学編のセラミックス基礎構造3「X線回折分析」にも示されているとおり、世界的に広く用いられている方法である。
原告は、市販の本件急結剤を入手してX線回折分析を行い、得られたX線回折のパターンやd値が、JCPDSに登載されているどの標準物質のチャートと一致、近似するかを検索したところ、カード番号「三二―○一五○」なる物質とX線回折パターン及びd値が極めて良く一致した(以下、このJCPDSカード三二―○一五○を「本件カード」という。)。本件カードの標準物質は、化学式Ca3Al2O6なる「カルシウムアルミネート(カルシウムアルミニウムオキサイド)」である。本件急結剤のX線回折パターンが一致したところの右標準物質たる「カルシウムアルミネート」には、若干の酸化ナトリウム(Na2O)が含有されている。
以上の事実は、①右標準物質の如く酸化ナトリウムを含むものも、当該技術分野において、「カルシウムアルミネート」と一般に称されること、②本件急結剤は、このような「カルシウムアルミネート」と同定される物質を含有していることを示している。
これに対し、被告らは、分析報告書(甲一〇)の「測定チャート」は、本件カードのみならず、JCPDS番号「二六ー〇九五七A」、「二六ー〇九五八B」、「二六ー〇九五九C」とも極めてよく一致しており、むしろ「二六ー〇九五八B」と一致度が高い旨反論する(乙四)。しかし、被告らの反論は、以下のとおり失当である。すなわち、これらのカードのデータはいずれもJCPDS「三二―○一五○」と同じく、酸化ナトリウムを五重量パーセント前後の量で含有しているカルシウムアルミネートを示しているのであるから、一致するという結論は当然である。ただし、これらのカードの中、最もデータの信頼性が高いと評価されているのは、本件カードである。
(3) 本件甲発明における「カルシウムアルミネート」には、酸化ナトリウムNa2Oを固溶体(液体であれば混合液に相当する固体の状態)として含有する場合を含んでいると解すべきである。
すなわち、「カルシウムアルミネート」を工業的に製造する場合には、不純物の混入することが普通であり、殊にセメント関連工業のように天然物を原料として使用する場合には更にその傾向が助長される。酸化ナトリウム等は「カルシウムアルミネート」のよく知られた不純物であって、固溶体として含有されていることが、本件甲発明出願以前から当業者に広く知られていた。そうだからこそ、本件カードは、それを五・七重量パーセント固溶体として含有している場合にも単に「カルシウムアルミネート」と表示している。「カルシウムアルミネート」がセメントに対して急結性を与える反応機構とその水和反応生成物の点で、右固溶体であろうと純粋体であろうと何ら差異がない。
本件甲明細書中に、酸化ナトリウムの固溶体について言及がなく、特にハロゲン元素の固溶体についてのみ言及があるのは、「カルシウムアルミネート」といえば、当業者は当然に酸化ナトリウムを固溶体として含有したものを想起するのに対し、ハロゲン元素の固溶体は「カルシウムアルミネート」の通常の不純物ではないためである。
そして、本件急結剤中には、酸化ナトリウムを固溶体として含有する「カルシウムアルミネート」が含まれている。すなわち、本件急結剤中に存在している「酸化カルシウムと酸化アルミニウムと酸化ナトリウムの三成分からなる物質」こそ、酸化ナトリウムを固溶体として含有している「カルシウムアルミネート」である。本件急結剤中には、五・七重量パーセントの酸化ナトリウムを固溶体で含有している「カルシウムアルミネート」のX線回折結果を示す本件カードと同一視し得るX線回折結果を示すカルシウムアルミネートが含まれている(甲一○)。
これに対し、被告らは、本件急結剤中に含まれるのは、「CNA化合物(8CaO・Na2O・3Al2O3)」であって、酸化ナトリウムを固溶体として含有する「カルシウムアルミネート」ではないと反論する。しかし、被告ら主張は以下のとおり失当である。すなわち、そもそも、仮にこのような化合物が存在したとしても、本件甲発明の技術的範囲に属することに変わりはないし、被告らの根拠とするNMR測定結果には、多くの問題があり、さらに、CNA化合物なるものは、現在において、その存在自体が化学的に疑問視されている物質である。
(二) 「重量%」について
本件甲発明における「重量%」は、「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」の全量を一○○として、その中で右各物質が占める重量をパーセントで表わした値と解すべきである。本件急結剤は、所定の「重量%」の要件を充足している。
「重量%」の意義が、「ある物質の全量中で目的の成分が占める質量を%で表した値」である(乙三)ことは当然である。本件甲発明はこの当然の用語法に沿って、記載、表現されている。したがって、本件甲発明の技術的範囲は、その特許請求の範囲に記載された「物質の全量」、すなわち「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」の合計量中で、「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」のそれぞれが占める質量を%で表わした値、すなわち「重量%」の割合で存在している急結剤のすべてに及んでいる。
本件甲発明の必須の構成要素である右の二成分に対し、本件急結剤において付加されているような酸化カルシウム、水酸化カルシウム、無水石膏、珪酸カルシウム、酸化マグネシウムは急結性に格別寄与しない。またアルミン酸ナトリウムも本件甲発明の急結性を向上させるための補助成分にすぎない。すなわち、本件急結剤は、「カルシウムアルミネート」と炭酸アルカリの本件甲発明に係る急結機構を利用したものであり、それ以外の成分はたかだか「カルシウムアルミネート」と炭酸アルカリの急結性の補助的成分でしかない。したがって、技術的範囲への該当性を検討する際には、本件急結剤の「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」を一○○とし、その各成分の「重量%」を算出すべきものである。
これに対して被告らは、右二物質に加えて、その余の第三物質が添加された場合、その添加物も含めた全物質量を一○○として、目的とする各物質の「重量%」を算出すべきであると反論する。しかし、右反論は以下のとおり失当である。すなわち、このような見解は、本件甲発明の必須の構成要件である「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」に対して、他の成分を水増しして、「カルシウムアルミネート」の量をその全体量の五○重量パーセント以下としさえすれば、その急結剤は本件甲発明の技術的範囲から逃れることとなって、このような結論は不合理である。
(被告らの反論)
(一) 「カルシウムアルミネート」について
甲発明における「カルシウムアルミネート」には、以下のとおり、酸化ナトリウム等のR2O(Rはアルカリ金属)を含有する「カルシウムアルミネート」を含まない。
(1) 「カルシウムアルミネート」とは、「CaAl2O4(=CaO・Al2O3)=158.04およびCa3Al2O6(=3CaO・Al2O3)=270.20。そのほかにもCaOとAl2O3の違った割合の物質やそれらにH2Oの付加したものがある。」(乙一)と定義される物質である。本件甲明細書の詳細な説明欄では「カルシウムアルミネートとしては、CaO・2Al2O3、CaO・Al2O3、12CaO・7Al2O3、3CaO・Al2O3やこれらにハロゲン元素が固溶した3CaO・3Al2O3・CaF2、11CaO・7Al2O3・CaF2等が用いられるが、中でも12CaO・7Al2O3、11CaO・7Al2O3・CaF2は急結性に優れている。」(本件甲明細書三欄二一行ないし二六行)と説明されている。つまり、本件発明では例外的にフッ化カルシウムを含んだものを「カルシウムアルミネート」に含ませる旨明記しているのであって、その反対解釈として、酸化ナトリウムを含有するカルシウムアルミネートは、「カルシウムアルミネート」に含まれないと解すべきである。
原告自身、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」とは、R2O(Rはアルカリ金属)を含有するカルシウムアルミネートを含まないことを、平成三年七月一六日に出願した「セメント混和材及びセメント組成物」の後願発明(乙五)において認めている。
(2) 本件急結剤に含まれているのは、CNA化合物(8CaO・Na2O・3Al2O3)であり、これは本件甲発明における「カルシウムアルミネート」とは物質が異なる。右CNA化合物とは、Al2O3を約七パーセント含有するNC8A3に相当する物質であり(乙一二)、NC8A3について記した多数の文献も、これを基礎づけている。
(3) 原告は、本件カードに基づいて、本件急結剤は、「カルシウムアルミネート」と同定される物質を含んでいる旨主張するが、右主張は、以下のとおり失当である。すなわち、右カードのタイトル欄に記載されている「カルシウムアルミニウムオキサイド」なる名称は、JCPDSがカード形式でデータベース化する際に付された名称で検索のための一つの索引項目に過ぎず、原告のいうような標準物質や一般に承認されている定義とは異なる。右カードは、「カルシウムアルミネート」のデータを示したものではなく、Ca3Al206とそのナトリウム含有固溶体の粉末回折を示したものである。分析報告書(甲一〇)の「測定チャート」は、右カードのみならず、JCPDS番号「二六ー〇九五七A」、「二六ー〇九五八B」、「二六ー〇九五九C」とも極めてよく一致しており、むしろ「二六ー〇九五八B」と一致度が高い。
そもそも、JCPDSデータファイルは種々更新されるものであるし、未知物質の同定には、NMR(核磁気共鳴)測定試験、EPMA分析など各種の手段を併用することが望ましい。ところで、EPMA分析によれば、本件急結剤中の「結晶質焼成クリンカ粉砕物」中のCNA化合物は、本件カードの物質とは異なることが明らかである(乙一二)。
(二) 「重量%」について
本件甲発明における「重量%」とは、ある物質の全質量中に目的の成分が占める質量をパーセントで表した値であると解釈すべきである。
(1) すなわち、本件甲発明特許における「重量%」とは、「ある物質の全質量中に目的の成分が占める質量を%で表した値」(乙三)である。したがって、原告が本件急結剤中に含まれると主張する「カルシウムアルミネート」と「炭酸ナトリウム」の「重量%」は、本件急結剤では「三四~四四重量パーセント」と「一八~二四重量パーセント」(変更前のもの)、「二三~四四重量パーセント」と「一八~二二重量パーセント」(変更後のもの)である。よって、本件急結剤は本件甲発明の技術的範囲に属さない。
(2) この点につき、原告は、本件急結剤は、「カルシウムアルミネート」と炭酸アルカリ以外の成分はそれらの急結性の補助的成分でしかないから、本件急結剤の「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」を一〇〇とし、その各成分の「重量%」を算出すべきである旨主張する。
しかし、原告主張のように「カルシウムアルミネート」と「アルカリ炭酸塩」を一〇〇とし、その各成分の「重量%」を算出する場合には、例えば、両成分の比率により記載すれば足りるはずである。また、「補助的成分」は計算から除外できるとすれば、何が「補助的」かどうかが明らかでなく相当でない。本件急結剤中の各成分は、急結剤成分としていずれも必要不可欠な物質であり(乙八)、「補助的成分」などではない。本件甲明細書にも、「湿式吹付法に用いる急結剤としては、従来から・・・水溶性アルミン酸塩を主体とするものが用いられている」(二欄一一~一三行)と、アルミン酸ナトリウム(水溶性アルミン酸塩)が急結剤の主体的成分であることが記載されている。また、原告が平成八年にした特許出願(乙四二)においても、本件急結剤中に含まれている無水セッコウ、アルミン酸ナトリウム、水酸化カルシウムが急結剤の主要成分であることが記載されている。
仮に、原告主張のように解釈すると、明細書の記載要件に違反し、ひいては特許請求の範囲に記載された事項を当業者が正確に理解できないこととなり、無効事由を有することになる(特許法三六条四項ないし六項)。さらに、仮に、原告主張のように解釈すると、本件甲発明は、特開昭五〇ー一六七一七発明(乙一六)によって公知無効となる。
また、原告は、本件甲発明出願前から、「デンカナトミック」を販売している(乙一七、一八)が、このうち「デンカナトミック タイプ5」は、昭和五九年四月、東大阪線生駒トンネル建設工事において湿式工法であるSEC吹付け工法(乙一九ないし二一)で使用され(乙二二、二三)、また、遅くとも昭和六〇年五月までには、宮福鉄道トンネル工事(乙二〇)でも使用されている(乙二五)。よって、本件甲発明は、出願前公用によって無効となる。
2 本件供給装置は、本件乙又は丙発明の実施にのみ使用する物に当たるか。
(原告の主張)
本件供給装置は、以下のとおり、本件乙又は丙発明の実施にのみ使用する物に当たる。
本件乙発明の要点は、既に加水されて吹付ノズルに送給されるセメントに対し、その吹付ノズル先端から比較的近い位置に吸湿性の強い「カルシウムアルミネート」を含有する急結剤を空気で圧送し、所定の角度でコンクリートと混合し吹付ける点にある。これにより急結力の大きい「カルシウムアルミネート」を含有する急結剤を用いながら湿式吹付をすることが可能となった。急結剤を加水セメントに混入する角度等は極めて重要であるところ、本件乙発明実施品である「ナトムクリート」においてはY字管が用いられている。
本件丙発明の要点は、急結剤を圧送するのに脱水した空気を使うことにある。「カルシウムアルミネート」は空気中の水分とも反応するので、長時間の吹付け作業で配管が閉塞する事故が起きるが、本件丙発明は、このような事故を防止するためのものである。「カルシウムアルミネート」以外の急結剤においてはそのようなことは発生しないので空気の脱水を必要としない。
被告らが製造している本件供給装置「T-クリート」には、本件乙発明の要点である「Y字管」が標準装備されている(乙七)。この事実は本件供給装置が本件乙又は丙発明の方法にのみ使用される装置であることを示している。したがって本件供給装置が本件乙及び丙発明を侵害していることは明らかである。
(被告らの反論)
本件供給装置で用いられる本件急結剤は、前記のとおり「カルシウムアルミネートを含有するセメント急結剤粉末」ではない。すなわち、本件乙及び丙発明における発明の詳細な説明欄に、カルシウムアルミネートは、「CaO・Al2O3、12CaO・7Al2O3、CaO・2Al2O、3CaO・3Al2O3、3CaO・3Al2O3・CaF2、11CaO・7Al2O3・CaF2及びこれら「カルシウムアルミネート」の水和物、カルシウムアルミネート水和物の加熱脱水物、カルシウムアルミネート水和物の加熱脱水無定形物など、種々のカルシウムアルミネートを用いることができるが、とくに、「カルシウムアルミネート」の溶融物を急冷して得られる無定形カルシウムアルミネート、中でも、12CaO・7Al2O3又は11CaO・7Al2O3・CaF2の組成もしくはこれに近似した組成を有する無定形カルシウムアルミネートは、急結性が強いので好ましい」(本件乙明細書三欄三五行~四欄四行、本件丙明細書四欄一三行~二六行)と記載されていることから明らかなように、本件急結剤はこれに当たらない。
本件丙発明における「カルシウムアルミネートを圧送する空気」は、その意味が不明である。
本件供給装置は、技術的にみて、本件乙及び丙発明につき不可欠の存在ではない。本件供給装置は湿式吹付用急結剤であれば、本件乙及び丙発明のように「カルシウムアルミネートを含有するセメント急結剤粉末」に限らず使用することができるから、これらの発明の実施にのみ使用される装置ではない。
3 損害額
(原告の主張)
被告らによる本件急結剤の販売額は、本件甲特許権の出願公告日以降について、八億二五〇〇万円であるから、実施料率一〇パーセントを乗じると、実施料相当額は八二五〇万円となるので、これが原告の被った損害とみなされる。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 本件急結剤は、本件甲発明に係る特許請求の範囲における「カルシウムアルミネート」に該当する物質を含んでいないから、本件甲発明の技術的範囲に属さない。
その理由の概要は以下のとおりである。すなわち、本件甲発明に係る特許発明の請求の範囲における「カルシウムアルミネート」の意義について、甲明細書の「発明の詳細な説明」欄の記載や当業者の一般的な技術認識等を参酌して解釈すると、「カルシウムアルミネート」は、本来の成分である酸化カルシウムと酸化アルミニウムに加えて、工業上不純物として通常存在しうる約〇・三重量パーセント程度未満の酸化ナトリウムを含むものを指すと解することができるが、その割合を超える酸化ナトリウムを含むものを指すということはできない。他方、本件急結剤は、原告の特定したところによれば、「酸化カルシウム(CaO)と酸化アルミニウム(Al2O3)と酸化ナトリウム(Na2O)の三成分からなる物質」を含むことになり、被告らの特定したところによれば、「酸化ナトリウムと酸化カルシウムと酸化アルミニウムの三成分系化合物(CNA化合物8CaO・Na2O・3Al2O3)」を含むことになるが、そのいずれの特定を前提としても、右物質は、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」には該当しないから、本件急結剤は、本件甲発明の技術的範囲に属さないものである。
理由の詳細を、以下に述べる。
2 「カルシウムアルミネート」の意義について
(一) 本件甲発明の特許請求の範囲は、「五〇重量%を越える量のカルシウムアルミネートと五〇重量%未満のアルカリ炭酸塩とからなることを特徴とするセメントモルタル又はコンクリートの湿式吹付用急結剤。」というものである。
特許請求の範囲に記載された用語の意味については、特段の事情のない限り、その用語が有する通常の意味内容(当業者の一般的な認識を前提とする。)に沿って確定されることは当然である。そこで、右観点から検討する。
まず、化学大辞典編集委員会編「化学大辞典」(乙一)には、「カルシウムアルミネート」とは、「CaAl2O4(=CaO・Al2O3)=158.04およびCa3Al2O6(=3CaO・Al2O3)=270.20。そのほかにもCaOとAl2O3の違った割合の物質やそれらにH2Oの付加したものがある。」と定義ないし一般的な説明がされている。
また、本件甲明細書の「発明の詳細な説明」欄には、「カルシウムアルミネート」の説明として、「カルシウムアルミネートとしては、CaO・2Al2O3、CaO・Al2O3、12CaO・7Al2O3、3CaO・Al2O3やこれらにハロゲン元素が固溶した3CaO・3Al2O3・CaF2、11CaO・7Al2O3・CaF2等が用いられるが、中でも12CaO・7Al2O3、11CaO・7Al2O3・CaF2は急結性に優れている。」(本件甲明細書三欄二一行ないし二六行)と記載されているが、他方、ハロゲン元素以外の第三成分を一般的に示唆するような記載は一切ない。
そうすると、右一般的な定義及び「発明の詳細な説明」欄の記載を総合すれば、本件甲発明の特許請求の範囲における「カルシウムアルミネート」は、酸化カルシウムと酸化アルミニウムとを組成成分とする物質であって、第三成分としてハロゲン元素が固溶したものを含むが、ハロゲン元素以外の一般の物質が固溶したものまでは含まないもの(不純物については後記のとおり。)と理解するのが相当である。
(二) もっとも、カルシウムアルミネートを工業的に製造する場合、不純物の混入することが避けられず、特に、セメント関連工業のように天然物を原料として使用する場合にはその傾向は顕著であるから、急結剤を工業的に製造し提供することを目的とした本件甲発明の趣旨に照らすと、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」は、完全に純粋なものには限定されず、工業的に通常生産されるカルシウムアルミネートに混入する不純物を含むものをいうと解すべきことは当然である。
そこで、この観点から検討する。
「カルシウムアルミネートを基材とした急結材の水和反応」と題された論文(甲二四)には、工業原料の炭酸カルシウムと酸化アルミニウムを使用してカルシウムアルミネートを合成する場合、それに含まれる不純物(酸化ケイ素、酸化鉄、酸化ナトリウム)の量は三・九ないし四・七重量パーセントであり、そのうち、酸化ナトリウムの量は〇・二ないし〇・三重量パーセントであったとの実験結果が記載されている。したがって、不純物として酸化ナトリウムを約〇・三重量パーセント程度含むものも本件甲発明における「カルシウムアルミネート」として当業者に認識されていることまでは認めることができるが、それ以上の割合のものも同様に認識されていることは認めるに足りない。
これに対して、原告は、以下の①ないし⑤の各資料記載を根拠として、右の割合を超えた酸化ナトリウムを含有するものも、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」と解釈すべきである旨主張する。
① 「The Chemistry of Cement and Concrete」(甲二六)には、酸化ナトリウムがC3Aの固溶体に溶け込む限界は、九モルパーセントである旨(なお、換算すると約六・二重量パーセントとなる。)、及びポルトランドセメント中のC3A相には、酸化ケイ素、酸化マグネシウム、酸化ナトリウムの固溶体が含まれている旨が記載されている。
② 本件カード(JCPDSカード三二―○一五○、甲七)には、標題として、「Ca3Al2O6、カルシウムアルミニウムオキサイド」と記載され、さらに「試料は五・七重量%のNa2Oを固溶体で含有する」と注記されている。なお、カルシウムアルミニウムオキサイドは「カルシウムアルミネート」と同義である(公知の事実)。
③ 「The Chemistry of Cement and Concrete」(甲二一)には、セメントのクリンカー成分としてのカルシウムアルミネート(C3A)中の酸化ナトリウムの固溶量を測定した結果、〇・三ないし一・七重量パーセントの値が測定されたことが記載されている。
④ 「Lea's Chemistry of cement and concrete」(甲二二)には、セメントのアルミネートを測定した結果、酸化ナトリウムが平均〇・九ないし一・〇重量パーセント測定された趣旨が記載されている。
⑤ 「土木・建築技術者のための最新コンクリート材料・工法ハンドブック」(甲二五)には、ポルトランドセメントのクリンカー中のアルミネート相と名付けられた化合物は、かなり多量の酸化ケイ素及び酸化鉄を固溶しており、他のクリンカー化合物よりも多量の酸化ナトリウム及び酸化カリウムを含有している旨が記載されている。
しかし、原告の主張は、以下のとおり採用できない。
まず、①については、「カルシウムアルミネート」の固溶体に、酸化ナトリウムが、約六・二重量パーセント程度は溶け込むことが可能であっても、右値はあくまで固溶の限界値であるから、急結剤を工業的に製造し、提供することを目的とした本件甲発明の趣旨に照らすと、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」を、約六・二重量パーセントの酸化ナトリウムを含むものまでを指すと当業者に理解されるとするのは相当とはいえない。
また、②については、本件カード(JCPDSカード三二―○一五○)には、五・七重量パーセントのNa2Oを固溶体で含有する試料を用いたものについて、「Ca3Al2O6、カルシウムアルミニウムオキサイド」との標題が付されているが、これも工業的に通常生産されるカルシウムアルミネート製品に混入する不純物についての測定結果ではなく、単にそのような試料を用いたにすぎないから、酸化カルシウムと酸化アルミニウムに加え、右程度の割合の酸化ナトリウムを含有する物質まで「カルシウムアルミネート」として当業者が認識していると認めることはできない。
さらに、③ないし⑤については、本件甲発明においては、急結剤を工業的に製造するに当たり、例えば、炭酸カルシウム及びアルミナを工業原料として合成することを想定しているのであって、ポルトランドセメントのクリンカー中の成分である「カルシウムアルミネート」を原料とすることを想定していないことは明らかであるから、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」を、ポルトランドセメントのクリンカー中の成分と同程度の割合で酸化ナトリウムを含むものを指すと当業者に理解されると考えるのは相当でない。
(三) 以上のとおり、本件甲発明の特許請求の範囲における「カルシウムアルミネート」は、酸化カルシウムと酸化アルミニウムとを組成成分とする物質を指し、その中には、第三成分としてハロゲン元素が固溶したものを含み、また、工業的に製造する際に不可避的に混入した不純物を含有したものを含むものと解釈すべきであるが、他方、当業者の通念に照らして不純物であると理解される範囲を超える物質を含有するものは含まれないと解釈すべきである。すなわち、酸化ナトリウムについていえば、前記のとおり、約〇・三重量パーセント程度の割合を超えて含有するものは含まれないと解すべきである。
3 本件急結剤の組成及び甲発明との対比
(一) 本件急結剤は、原告の特定したところによれば、「酸化カルシウム(CaO)と酸化アルミニウム(Al2O3)と酸化ナトリウム(Na2O)の三成分からなる物質」を含有し、被告らの特定したところによれば、「酸化ナトリウムと酸化カルシウムと酸化アルミニウムの三成分系化合物(CNA化合物8CaO・Na2O・3Al2O3)」を含有する(以下、三成分から構成される物質を、便宜「本件物質」という。)。
甲七号証及び乙四号証によれば、本件物質についてのX線回折の「測定チャート」(甲一〇)について、当事者双方がこれと類似する旨主張するJCPDSカード、すなわち本件カードの他、番号「二六ー〇九五七A」、「二六ー〇九五八B」、「二六ー〇九五九C」の各カード記載の物質は、酸化ナトリウムを四・二ないし五・七重量パーセント程度含有することが示されている。また、乙一二号証のEPMA分析の結果によれば、右物質は、酸化ナトリウムを六・八ないし七・八重量パーセント程度含有することが示される。
以上のいずれの測定結果によっても、本件急結剤においては、酸化カルシウム、酸化アルミニウム、酸化ナトリウムを全体とした酸化ナトリウムの重量パーセントが前記の約〇・三重量パーセント程度を大きく超過するものであることは明らかである。
(二) したがって、本件急結剤は、本件甲発明における「カルシウムアルミネート」を含有するものとはいえず、結局、本件甲発明の技術的範囲に属さない。
二 争点2について
1 本件供給装置において、少なくとも本件急結剤が用いられていることは当事者間に争いがない。そして、本件急結剤は、以下に述べるとおり、本件乙及び丙発明の「カルシウムアルミネートを含有するセメント急結剤粉末」には該当しない。したがって、本件供給装置は、本件乙又は丙発明の実施にのみ使用する物には当たらない。
本件急結剤が本件乙及び丙発明の「カルシウムアルミネートを含有するセメント急結剤粉末」に該当しない理由は、以下のとおりである。
本件乙及び丙発明の特許請求の範囲においては、「カルシウムアルミネートを含有するセメント急結剤粉末」を用いることが明記されている。
本件乙及び丙明細書の各「発明の詳細な説明」欄には、「本発明方法で使用されるカルシウムアルミネートとしては、CaO・Al2O3、12CaO・7Al2O3、CaO・2Al2O、3CaO・3Al2O3、3CaO・3Al2O3・CaF2、11CaO・7Al2O3・CaF2及びこれらカルシウムアルミネートの水和物、カルシウムアルミネート水和物の加熱脱水物、カルシウムアルミネート水和物の加熱脱水無定形物など、種々のカルシウムアルミネートを用いることができるが、とくに、カルシウムアルミネートの溶融物を急冷して得られる無定形カルシウムアルミネート、中でも、12CaO・7Al2O3又は11CaO・7Al2O3・CaF2の組成もしくはこれに近似した組成を有する無定形カルシウムアルミネートは、急結性が強いので好ましい。」(本件乙明細書三欄三五行~四欄四行、本件丙明細書四欄一三行~二六行)と記載されている。
以上の事実に、前記一で認定した事実をあわせると、本件乙及び丙発明における「カルシウムアルミネート」とは、本件甲発明におけると同意義に解釈されるから、本件急結剤は、右「カルシウムアルミネート」を含有するものとはいえないことになる。
2 さらに、以下のとおり、本件供給装置は、本件乙及び丙発明における「カルシウムアルミネートを含有する急結剤粉末」のみならず、他の急結剤も使用できるものであると認められるので、本件乙又は丙発明の実施にのみ使用される装置ではない。
すなわち、弁論の全趣旨によれば、本件乙発明の出願手続において、①昭和六二年五月二五日付けの手続補正書では、「特許請求の範囲」において、使用する急結剤を単なる「セメント急結剤粉末」と記載し、「発明の詳細な説明」欄において、右急結剤について、炭酸ソーダー、アルミン酸ソーダー、硫酸ソーダー、カルシウムアルミネート、焼成ミョウバン石、半水石こう等を例示し、さらに、実施例5で、消石灰を、また、実施例6で、小野田社Tーロック(当時は仮焼明礬を主体とした急結剤であった。)、日本シーカ社Dー5を急結剤として用いて実施する方法を記載していたこと、②昭和六三年七月一四日付けの手続補正書で、特許請求の範囲を「カルシウムアルミネートを含有するセメント急結剤粉末」と補正すると共に、これに該当しない右Tーロック等の実施例を削除したことが認められる。
右出願経緯によれば、出願人が本件乙発明及びこれから分割出願された本件丙発明の「セメント急結剤の空気圧送機」において、「カルシウムアルミネートを含有する急結剤粉末」以外の急結剤も使用できることを前提としていたことは明らかである。
したがって、この点からも、本件供給装置は、本件乙又は丙発明の実施にのみ使用する物には当たらないと解すべきである。
三 よって、その余の点を判断するまでもなく、原告の本件請求はいずれも理由がない。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 沖中康人 裁判官 石村智)
<以下省略>