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東京地方裁判所 平成9年(ワ)27981号 判決 1998年7月28日

原告

右訴訟代理人弁護士

池田健司

被告

株式会社横浜銀行

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

今井和男

吉澤敏行

大越徹

沖隆一

正田賢司

森原憲司

市川尚

柴田征範

右訴訟復代理人弁護士

伊藤治

有賀隆之

中川明子

中村直

山崎哲央

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する平成九年八月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要等

一  本件は、被告の新横浜支店及び西谷支店が、原告の預金の受領権原を有しない者に対し、原告の預金からそれぞれ金三〇〇万円を払戻した行為について、被告に過失があったとして、不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実

いずれも原告名義の預金通帳(被告銀行六ツ川支店、普通預金、口座番号<省略>。以下「本件通帳」という)を使用して、

(一)  平成九年八月二九日午前九時三〇分ころ、被告の新横浜支店において金三〇〇万円が払戻され(以下「第一払戻」という)、

(二)  同日午前一〇時ころ、被告の西谷支店において金三〇〇万円が払戻され(以下「第二払戻」という)、

(三)  同日午前一〇時二〇分ころ、被告の和田町支店において金三〇〇万円の払戻請求がされたが、請求者は、本件通帳を右和田町支店の窓口に置いたまま立ち去った。

三  争点は、本件通帳により前示金員の払戻をした被告に過失があるか否かであり、この点の当事者双方の主張は次のとおりである。

(原告)

1 本件通帳は、平成九年八月二五日から同月二八日までの間に、原告の勤務する病院のロッカー内の通勤用鞄の中から、氏名不詳者によって窃取されたものであるが、銀行届出印は別に保管されていて窃取されていないから、前示第一、第二の各払戻請求書に押捺された印影は偽造のものである。そこで、被告の新横浜支店及び西谷支店は、十分な印鑑照合を怠り、届出印以外の印鑑によって払戻をした過失がある。

2 被告の西谷支店においては、第二払戻をする際、一時間以内に新横浜支店において第一払戻がされていることが通帳上明らかであるから、このような不自然な払戻に際しては、印鑑照合も通常とは異なり厳密にするべきであり、また、和田町支店がしたと同様に、原告に電話連絡をして払戻意思の確認をすべきであるのに、これを怠った過失がある。

(被告)

1(一) 被告の新横浜支店において窓口業務を担当していたB(以下「B」という)は、払戻請求者が提示した払戻請求書に押捺された印影と本件通帳の表紙の裏面に押捺されていた届出印(以下、単に「届出印」という)の印影とを照合した結果、同一であると認めて払戻に応じた。

(二) 被告の西谷支店において窓口業務を担当していたC(以下「C」という)は、払戻請求者が提示した払戻請求書に押捺された印影と届出印の印影とを照合した結果、同一であると認めて払戻に応じた。しかも、Cは、いわゆる二つ折り照合を行って右両者の印影が同一であることを確認しているのであって、確認方法に不適切なところは全くなく、また、本件払戻請求者に不審なところはなかったから、西谷支店の担当者が原告に電話連絡をすべき義務はない。

(三) 以上のとおり、本件払戻請求者は銀行届出印を所持する者であり、債権の準占有者に当たるから、被告に過失はない。

2 原告と被告間の普通預金契約に適用される総合口座取引規定一四条には、払戻請求書、諸届けその他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取り扱った場合、それらの書類に偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害について被告は責任を負わない旨の免責条項がある。被告はこの適用も主張する。

3 なお、和田町支店においては、窓口業務担当者が通帳を見て、本件当日二度にわたって三〇〇万円が払戻されていることに気づいたため、原告に対して連絡している間に、払戻請求者が逃走し、払戻がされなかったものである。

第三裁判所の判断

一  ≪証拠省略≫、証人Cの証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、本件通帳を、平成九年八月二五日から同月二八日までの間に、原告の勤務する病院のロッカー内の通勤用鞄の中から、氏名不詳者によって窃取された。しかし、本件通帳の届出印は、いわゆる三文判ではなく、原告が注文して製作してもらったものであり、この届出印の印鑑は別に自宅に保管していたので窃取されなかった。

2(一)  平成九年八月二九日午前九時三〇分ころ、被告の新横浜支店に二〇歳代後半の氏名不詳の男性が訪れ、本件通帳と、届出印又はこれに酷似した印影を押捺した三〇〇万円の払戻請求書(≪証拠省略≫)を提出して、第一払戻を請求した。これを担当したBは、払戻請求者が提示した払戻請求書に押捺された印影と届出印とを照合した結果、同一であると認めて払戻に応じた。右払戻請求書の印影は天地が逆に押捺されている。

(二)  次いで、同日午前一〇時ころ、被告の西谷支店に前示二〇歳代後半の氏名不詳の男性が訪れ、本件通帳と、届出印又はこれに酷似した印影を押捺した三〇〇万円の払戻請求書(≪証拠省略≫)を提出して、第二払戻を請求した。これを担当したCは、預金の真実の権利者である原告は知らなかったし、本件の払戻請求者に不審なところは感じなかったが、払戻請求金額が三〇〇万円と比較的多額であったことを本件預金が他の支店(六ツ川支店)の預金であったため、念のためと考え、右払戻請求書に押捺された印影と届出印とを、いわゆる二つ折り照合を行って照合した結果、これらが同一であると認めて払戻に応じた。なお、右払戻請求書の印影も天地が逆に押捺されている。

(三)  さらに、同日午前一〇時二〇分ころ、被告の和田町支店に前示二〇歳代後半の氏名不詳の男性が訪れ、本件通帳と、銀行届出印又はこれに酷似した印影を押捺した三〇〇万円の払戻請求書を提出して、三〇〇万円の払戻を請求した。同支店の担当者は、この払戻請求にも特に不審を持つことなく払戻手続をして一旦は本件通帳に払戻の記帳をしたが、その際、同日に三〇〇万円ずつの払戻が二回続いていることに気付き、ここで初めて不審を感じて原告と連絡を取ろうとしたが、その間、右氏名不詳者は、三〇〇万円を受取ることなく、本件通帳を同支店においたまま逃走してしまった。

3  前示西谷支店勤務のCは、平成六年四月から窓口業務を担当して、一日に一〇〇人程度の顧客と対応し、そのうち六割ぐらいの印鑑照合を行っているが、払戻請求書に印鑑の天地が逆に押捺されることはよくあることで、通常、天地が逆かどうかの確認は特にしていないし、本件第二払戻請求書の印影が天地が逆であることは気付かなかった。また、被告の内規上、預金の払戻に際して預金通帳の入出金経過等の調査は要求されておらず、銀行窓口では日常的に多額かつ多数の件数の払戻請求に応じているので、通常の払戻について預金通帳により入出金経過等を調査していては迅速な払戻手続ができず、利用者に不便をかけることとなり、他方、銀行には過大な負担を要求することになる。本件第二払戻請求の際にも、Cは、第二払戻前の残高が約一〇〇〇万円であり、さらにその前の残高が約一三〇〇万円であったことや、給料が振り込まれ、公共料金の自動振替がされていることに気付いた程度であり、これらは窓口で定期預金等のセールスをするのに必要であるから、注意をしたものにすぎない。なお、三〇〇万円程度の取引は、西谷支店でも日に二、三件はある。

4  原告と被告間の普通預金契約に適用される総合口座取引規定には、払戻請求書、諸届けその他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取り扱った場合、それらの書類に偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害について被告は責任を負わない旨の免責条項がある(≪証拠省略≫)。

5  なお、本件の届出印は、前示のとおり原告が特別に注文して製作したものであり、その字体は、一見しただけでは天地を判別するのが困難である。

二  以上によって考えてみる。

1  原告は、第一、第二払戻について、届出印は盗取を免れているのであるから、払戻請求書上の印影は偽造された印鑑によるものであり、偽造印による印影で払戻を認めた被告の行為には過失があると主張する。しかして、前示のとおり、届出印は盗難を免れたものと認められるのであるが、≪証拠省略≫(真正な印影)と≪証拠省略≫(偽造の印影)を比較すれば、この両者は極めて酷似しており、その相異は払戻の際に通常行われる平面照合、二つ折り照合によって見分けることは極めて困難であると認められる。したがって、もし仮に、≪証拠省略≫の払戻請求書の印影が偽造された印鑑により押捺されたものであったとしても、右認定事実に照らせば、窓口担当のB及びCは相当の注意をもって印影を照合したと認められるのであり、前示免責約款により、被告は責任を免れるというべきである。なお、免責約款といえども、取引通念上、払戻請求者が正当な受領権原を有しないことを疑わしめる特段の事情があって、銀行が業務上尽くすべき義務を漫然怠ったためにこれを看過したような場合にまで銀行を免責する趣旨ではないが、本件で払戻された三〇〇万円は今日の銀行業務に鑑みて特に高額というわけではなく、払戻請求者は、預金の名義人と同様に男性であって、特に不審な行動をしていたものでもなく、払戻請求者が正当な受領権原を有しないことを疑わしめる事情も認められないのであって、本件の場合に右免責約款の適用を排除しなければならない事情はない。

2  原告は、被告の西谷支店において第二払戻をする際、一時間以内に新横浜支店において第一払戻がされていることが通帳上明らかであるから、印鑑照合も通常とは異なり厳密にすべきであり、また、和田町支店がしたと同様に、原告に電話連絡をして払戻意思の確認をすべきであるのに、これを怠った過失がある、と主張する。しかしながら、前示のとおり、窓口担当者であるCには、被告の内規上、預金の払戻に際して預金通帳の入出金経過等の調査は要求されておらず、銀行の窓口担当者が日常的に多額かつ多数の件数の払戻請求等を処理していることからすれば、一般的にも、条理上も、右のような義務があるとは到底いえないから、窓口担当者のCが、九時三〇分ころの新横浜支店での第一払戻に気付かなかったことは過失とはいえない。また、原告は、三回目に氏名不詳者が三〇〇万円の払戻をしようとした和田町支店が不審を感じて原告に連絡をとったのだから、西谷支店もそうすべきであったと主張するが、前示のとおり、和田町支店においても、当初は不審を感じておらず、払戻手続が進行したが、通帳への記帳が終了した段階に至って初めてその直前に三〇〇万円の二回の払戻があることに気付き不審を抱いたのであって、和田町支店で不審を抱いたのだから、西谷支店も同様に不審を抱くべきであったということはできないし、不審を抱かなかったことに過失があるということはできない。

3  なお、前示のとおり、第一、第二払戻請求書の印影は天地が逆であるが、払戻請求書に印鑑の天地が逆に押捺されることはよくあることで、通常、天地が逆かどうかの確認は特にしていないし、印鑑照合においては天地の確認までも求められるものとは考えられないこと、本件届出印の字体は天地を容易に判別しがたいことを総合すれば、この点に窓口担当者の過失があるということもできない。

4  以上のとおり、Cは相当の注意をもって届出印と払戻請求書の印影を照合したと認められ、払戻請求者が正当な受領権原を有しないことを疑わしめる特段の事情も認められないのであるから、免責約款により、被告は責任を負わないものである。

三  よって、本訴請求は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佃浩一)

<以下省略>

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