東京地方裁判所 平成9年(ワ)5748号 判決 1998年10月13日
原告
日商岩井ハイテック株式会社
右代表者代表取締役
岡田弘
右訴訟代理人弁護士
馬場一廣
同
澤田和也
同
松田純一
同
下田久
同
柳井健夫
被告
株式会社イディー
右代表者代表取締役
野田繁
右訴訟代理人弁護士
村上誠
同
鶴田進
同
井上悦子
主文
一 被告は原告に対し、金四七八九万五〇〇〇円及び内金三八三一万六〇〇〇円に対する平成九年二月一日から、内金九五七万九〇〇〇円に対する平成九年三月一日から、各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
主文同旨
第二 事案の概要
本件は、商品の売り主である原告が買い主である被告に対して売買代金の支払いを求め、これに対して被告が、商品の引渡がないことを理由に支払いを拒んでいるという事案である。
原告は、被告が原告に商品の受領を確認する趣旨の物品受領書、検収書を交付していることなどを根拠に、引渡しは既になされている旨主張するほか、本件売買について、原告が、いわゆる中間介入商社として加わったものであることなどを根拠に、仮に引渡しがなされていないとしても、本件のような取引において被告が同時履行の抗弁を主張するのは信義則に反し許されない旨主張している。
これに対し被告は、物品受領書や検収書を原告に交付したことは事実だが、実際には引渡しはなされていないし、同時履行の抗弁を主張することが信義則に反するということもない旨主張している。
一 本件証拠及び弁論の全趣旨より認定される事実の経緯
1 原告は、半導体試験装置、半導体検査装置及び半導体搬送装置を含む半導体製造装置、金型・同部分品製造機械、半導体、半導体の輸出入、国内販売、リース及び賃貸借等を業とする株式会社であり、訴外株式会社日商岩井(以下「日商岩井」という。)の子会社である。他方、被告は、電子機械器具用部品の製造及び販売等を業とする株式会社である。
2 原告の従業員である訴外脇本毅彦(以下「脇本」という。)は、平成八年一二月二日、日商岩井の通信事業担当者である辻(以下「辻」という。)から、訴外株式会社アージェント(以下「アージェント」という。)が売主、被告が買主となるメモリ売買の話があるが、即日現金払いを求めるアージェントと二〇日締め翌月末現金払いとする被告との間で決済条件が合わず、成約に至っていないので、原告が間に入って、決済条件を調整するための取引をしないか、との電話連絡を受けた。
3 そこで脇本は、同日、アージェントの代表者である山口昌彦(以下「山口」という。)と面談し、右同様の話を聞いて、コンピューター用増設メモリであるDRAM(HITA HM五一一七四〇〇BS―六)(以下「本件商品」という。)四万個を、単価九〇〇円(代金額三六〇〇万円、消費税額一〇八万円)、納品後一括現金払いの条件でアージェントから購入し、これを二〇日締め翌月末現金払いの条件で被告に販売する旨の取引を行うこととし、四〇〇〇万円の取引限度設定を上申して、社内の決裁を得た。
4 他方、被告では、情報機器事業部営業二課長である訴外木村真澄(以下「木村課長」という。)を担当者として本件商品の取引を行っていたが、その具体的な内容は、顧客である訴外株式会社きむら(法人登記はなされていない)こと木村福治(以下において「株式会社きむら」を便宜上「株きむら」と、木村福治を「木村社長」という。)からの引き合いに応じて、メーカーである訴外株式会社日立製作所の代理店である訴外塩見株式会社(以下「塩見」という。)から本件商品を仕入れ、これを顧客に販売するという取引であり、右の取引は、信用不足のためにメーカーないしはその代理店から直接には本件商品を仕入れることのできない顧客のために、メーカーとの間に入って取引をつなぐもので、実質的には顧客のために信用を供与する取引であった。
なお、被告から株きむらへの本件商品の引渡しは、株きむらの事務所が被告社屋の一画にあったことから、塩見から運送業者によって届けられた商品を被告の業務部が検収した上、株きむらの営業部長である嶋田誠行(以下「嶋田」という。)に直接商品を渡す、という方法で行われていた。また、株きむらから本件商品を購入する顧客が、直接商品の引渡しの場に現われることもあった。
5 被告から本件商品を仕入れた株きむらは、さらに、アージェントや訴外株式会社サーキット(以下「サーキット」という。)に本件商品を販売していた。つまり、従前の取引においては、アージェントは、被告を中心とすると、本件商品の供給側ではなく、株きむらの顧客というユーザー側の業者として取引の流れに連なっていた。
6 被告は右のとおり本件商品を株きむらに販売していたが、平成八年の九月ないし一〇月ころから本件商品が品薄状態となり、塩見からも、株きむらの要望に応ずるだけの仕入れができない状況となっていた。
そのような折り、木村課長は、日商岩井の辻を伴った山口の訪問を受けたが、具体的な取引の話にまでは至らなかった。
7 脇本は、平成八年一二月三日ころ、山口を伴って被告方に木村課長を訪れて取引の話をまとめ、この日か別の日か、また注文書の成立時点については脇本の証言と木村課長の証言とで若干の食い違いがあるものの、木村課長から、本件商品四万個を単価九三〇円(代金額三七二〇万円、消費税額一一一万六〇〇〇円)で購入する旨の注文書(甲第一号証)の交付を受けた。
8 さらに、脇本が木村課長に対し、本件商品が既に納品されているかどうかを確認してほしいと頼んだ。そこで木村課長は、株きむらの嶋田に連絡して、納品の有無を確認したところ、既に商品を受領しているとの回答であったため、脇本は、納品書(甲第二号証はその写し)、請求書(甲第三号証はその写し)、物品受領書(甲第四号証)及び検収書(甲第五号証)を木村課長に渡し、検収書及び物品受領書については、被告の印を押してもらった上でその返却を受けた。
なお、上記作業の間には、嶋田が木村課長方を訪れ、脇本を紹介されている。
9 他方、アージェントは、同月二日付で納品書(甲第二三号証)を、また、同日付で、同月五日までに代金を振り込むよう求める旨記載した請求書(甲第二四号証)を作成して原告に交付し、原告は同月四日、アージェントの指定する銀行口座に金三七〇八万円を振込んだ(甲第二七号証)。
10 つづいて、同月一六日には、嶋田から注文を受けた木村課長から脇本に対して、本件商品三万個の注文がファックスにてなされた(甲第一九号証)が、脇本が社内で得ていた取引限度を越えるなどの理由から、交渉の末、結局一万個を取引することとなり、同月一九日に、木村課長から脇本に対し、本件商品一万個を単価九三〇円(代金額九三〇万円、消費税額二七万九〇〇〇円)で、同月二四日を納期として購入する旨の注文書がファックスにて送信された。そこで脇本は、アージェントに対し、本件商品一万個を単価883.5円(代金額八八三万五〇〇〇円、消費税額二六万五〇五〇円)で購入する旨発注した。
11 同月二四日ころ、脇本は、木村課長から前記注文に係る本件商品の納品の有無を尋ねられたことから、アージェントの山口に対し、納品したかどうかを確認したところ、二四日午後には納品する旨の返答を受け、さらに、同日午後、木村課長から、納品されたことを確認した旨の電話連絡を受けたことから、脇本は同日、被告方を訪れ、木村課長の留守を預かっていた担当者に対し、前回の取引と同様、納品書(甲第九号証はその写し)、請求書(甲第一〇号証はその写し)、物品受領書(甲第一一号証)及び検収書(甲第一二号証)を渡して、検収書及び物品受領書については、被告の印を押してもらった上でその返却を受けた。また、脇本は、このとき今回の取引の注文書の原本(甲第八号証)も受領している。
12 他方、アージェントは、同月一八日付で納品書(甲第二五号証)及び請求書(甲第二六号証)を作成して原告に交付し、原告は同月二七日、アージェントの指定する銀行口座に金九一〇万〇〇五〇円を振込んだ(甲第二八号証)。
13 ところが、平成九年一月下旬に至って、株きむらの木村社長から被告の木村課長に対し、被告から購入し、顧客であるサーキットに売却したはずの本件商品について、サーキットの代表者である森(以下「森」という。)が、納品がなされていない、と言ってきたので、被告から原告への支払を止めるように、との電話連絡がなされたため、被告は原告に対する支払をとりやめることを決定した。
そして、前記の本件商品三万個の取引(以下「本件第一取引」という。)に関する被告から原告への支払期日である同月末日に至っても代金の支払がなされなかったことから、脇本が被告に対して支払を求め、一旦は、被告の経理部長である山川が支払を約して、同月三日までに代金三八三一万六〇〇〇円を支払うことを誓う旨の被告作成名義の文書(甲第六号証)が原告に差し入れられたものの、同日になっても結局支払はなされず、また、本件商品一万個の取引(以下「本件第二取引」という。以下、本件第一取引と本件第二取引とを総称して「本件取引」という。)についても、被告から原告に対する支払はなされなかった。
二 本件取引の背景事情
さて、原告及び被告から見た取引の経緯は以上のとおりであるが、本件取引においては、もしもアージェントから株きむらへの本件商品の引渡しがなされていなかったとするならば、株きむらの嶋田は、被告の木村課長からの納品確認に対して、何故に、受け取ってもいない商品を受け取ったと答えたのか、さらには、そもそも、本件取引がなされるまでの従前の取引においては、本件商品の供給を受ける側に立っていたアージェントが、何故に、本件取引においては、商品の供給者として取引に立ち現れているのか、といった点が当然問題となる。
この点については、証人嶋田誠行及び同山口昌彦の各証言並びに甲第二〇号証及び第二一号証によれば、以下の事実を認めることができる。
本件取引に至る前の段階での本件商品の取引は、塩見→被告→株きむら→サーキット→アージェントの順に商品が流れる取引が行われていた。
ところが、アージェントはサーキットに対して、約三〇〇〇万円の債務を負うに至り、その返済を迫られたアージェントの山口は、サーキットの森によって、通帳や印鑑なども押さえられてしまうなど、森の指示に従わざるを得ない状態となっていた。
そこで、サーキットの森は、アージェントに対する債権を回収するための手段として、アージェントを、現金決済を原則とする本件商品の売手に仕立て上げ、買手から代金を受け取らせて、これをサーキットへの債務の返済に充てさせることを企てた。もっとも、買手に代金を支払わせるためには、現に商品の引渡しがなされたことを買手に確認させることが必要となる。そこで森は、株きむらの嶋田に協力を求め、被告から納品されたかどうか尋ねられた場合には、納品を受けた旨答えるよう依頼し、嶋田は、右取引でサーキットに金が入れば、サーキットに対して有する自分の売掛金も返済してもらえると考え、これに協力することにした。
右のような事情から、山口は森の指示にしたがって、本件商品の売り込みの話を日商岩井の辻に持込み、前記のとおりの経緯で、原告及び被告が取引に参加するに至り、商品の引渡しについては、株きむらの嶋田が納品を認める旨応答したことから、森の企図どおり、原告からアージェントに対する支払がなされることとなった。
そして、本件取引の対象となった商品については、形の上でアージェント→原告→被告→株きむら→サーキットと転売され、最終的には、さらにサーキットからアージェントへの販売がなされた(甲第二〇号証、第二一号証)。さらに、アージェントの口座に振込まれた原告からの代金については、右売買の代金支払いという形で、アージェントからサーキットに渡ったものと推認される。
第二 当事者の主張
一 原告の主張
1 引渡しの有無について
(一) 本件取引において、引渡しはなされた。
(二) 仮に現実の引渡しはなされていないとしても、本件取引において、原告及び被告は、連続する売買取引の流れにおける中間介入者に過ぎず、中間介入者が取引の目的物について現実に引渡しを受け、あるいは引渡しを行うことは予定されていないから、中間介入者が売買代金を請求するために果たすべき引渡義務は、実際に目的物を受領する買主が引渡しを受けたかどうかを確認することで果たされると考えるべきであり、本件において原告は、商品の受領者である株きむらの嶋田が受領したことを確認しているのであるから、原告の引渡義務は既に履行されたものというべきである。
2 被告による同時履行の抗弁権の主張について
原告及び被告は、連続する売買取引の流れにおける中間介入者に過ぎず、原告と被告との間には、目的物の引渡しについては、物品受領書や検収書によって買主が引渡しを受けたことを確認することで足りるとする合意が暗黙のうちにあったと認められる。
本件取引において、被告は原告に物品受領書、検収書を提出し、口頭でも、木村課長から脇本に対し、商品を受領した旨が伝えられている。また、被告は株きむらから物品受領書を受け取り、株きむらはサーキットから物品受領書を受け取っている。
被告が原告に対して、引渡しがなされていないとの指摘をしたのは平成九年一月末のことであり、本件第一取引から約二か月もの時間が経過した後のことである。この間、引渡しの有無に疑義が生じたことはなかった。
被告の木村課長は、株きむらから先の商品の流れに関して調査していない。
被告の木村課長は、引渡しがあったことを前提に株きむらに対して代金の支払いを請求すべきであったことを認め、株きむらの被告に対する残債務金一億二〇〇〇万円には、本件取引による売買代金が含まれていることも肯定した。
被告の木村課長は株きむらの木村社長の息子であり、被告と株きむらは、ファックスを共有し、株きむらの事務所は被告の経理部が所在した場所に同居していたのであるから、被告と株きむらは実質的に同一の利益主体であったというべきである。
株きむらは、被告に物品受領書を出しながら代金の支払をしておらず、結局のところ、サーキットからの入金がないことにより株きむらは被告に支払ができず、被告は株きむらの意図するところに従い原告に支払をしない。
以上のことから、被告は原告に対し、いまさら引渡しがなかったことをもって、売買代金の支払につき同時履行の抗弁を主張することは信義則に反し許されない。
二 被告の主張
1 引渡しの有無について
(一) 本件取引において、原告から被告への商品の引渡しはなされていない。
(二) 被告は、原告を中間介入者とは思っておらず、本件商品の現実の供給者と認識していた。
2 商法五二五条(確定期売買の当然解除)
本件商品は日々相場が変動する商品だから、売主は注文を受けたら直ちに買主に商品を納品しなければならないし、そのことは原告被告双方了解済みだった。注文、即、納品という取引形態の本件商品売買の納品期日は既に経過したから、契約は商法五二五条により解除されたとみなされる。
3 信義則違反について
原告は、アージェントの仕組んだ空取引にひっかかり、自らの落ち度でアージェントに代金を支払ったに過ぎない。これに対し、被告は空取引に気づいて支払を留保したものであり、被告に落ち度はない。
被告が商品を受け取った旨応答したことは事実だが、だからといって、商品を受け取っていないのに代金を支払わなければならないほどの信頼を原告に与えてはいない。
被告の株きむらに対する売掛金には本件取引による代金は含まれていない。
被告と株きむらとは互いに独立した別個の法人格であり、同一の利益主体ではない。
第三 争点
本件における主な争点は、以下の点にある。
一 本件取引において、原告から被告への商品の引渡しはなされたか。
二 本件取引は確定期売買か。
三 被告による同時履行の抗弁の主張は信義則に反するか。
第四 争点に対する判断
一 引渡しの有無について
(一) 原告は、株きむらの嶋田が納品を確認していることなどをもって、商品の引渡しは現になされたものと認めるべきであると主張する。
しかしながら、株きむらの嶋田は証人尋問において、アージェントの山口から商品の引渡しを受けたことはない旨明確に述べている。また、山口も、本件第一取引の際には、手元に渡すべき商品はなく、また、嶋田に商品を渡したことはない旨を述べているし、本件第二取引については、当時手元に商品はあったが、結局嶋田のもとには運ばなかった旨述べている。さらに、前記に認定した山口の状態に鑑みれば、山口が、嶋田に引渡すべき商品を持っていたとは考えにくいところといわざるを得ない。
したがって、本件においては、商品の引渡しがあったと認めるに足りる証拠はないというべきである。
(二) また、原告は、本件取引においては、物品受領書や検収書で納品を確認すれば、これをもって引渡しがあったものとみなすべきであると主張する。
確かに、本件においては、被告の認識は別としても、原告及び被告は、本件商品を所有する目的で取引に加わったわけではなく、買手に信用を供与するために、いわゆる中間介入業者として取引に参加したに過ぎないから、目的物の引渡しに対する関心は薄く、実際の取引においても、大半の場合は、物品受領書等の書面のみで引渡を確認するにとどまり、目的物自体の現認まではしないのが通常と思われ、それだけに、当事者がそうした証拠書面に寄せる信頼は高いものと思われる。
とはいえ、書面は引渡しを確認するための証拠に過ぎないから、物品受領書や検収書による納品の確認をもって引渡しがあったとみなすことは、売手の義務を一部変更することにほかならない。しかしながら、代金と引き換えに財貨を移転させることは売買契約の中核的要素であるから、いかに仲介取引とはいえ、最終的には目的物の所有権を確定的に取得する当事者が予定されているのであるから、当事者にそこまで権利義務の内容を変更する合意があったとは考え難い。物品受領書や検収書の交付がなされている場合に引渡しがあったと認めるかどうかは、あくまで事実認定の問題として捉えるべきであり、引渡しの事実が認められない場合には、引渡しがないことを前提に、右の点を、買手が同時履行の抗弁を主張することを封ずるための根拠事実と位置づけるなどの法律上の意味づけを行うべきものと思われる。
したがって、この点に関する原告の主張は採用することができない。
二 確定期売買の主張について
日々相場が変動する商品を目的物とする売買が直ちに「売買ノ性質ニ依リ一定ノ期間内ニ履行ヲ為スニ非サレハ契約ヲ為シタル目的ヲ達スルコト能ワサル場合」に該当するわけではない。また、本件第二取引においては、平成八年一二月二四日を納期とする売買契約が同月一九日に締結されているのであるから、本件商品を目的物とする売買が、注文を受けたら直ちに納品しなければならない性質の取引であると認めることはできないし、当事者がそのような取引として了解していたと認めることもできない。
したがって、本件取引を確定期売買と認めるに足りる証拠はなく、被告の主張は理由がない。
三 被告による同時履行の抗弁の主張について
前記認定のとおり、本件においては、原告から被告に対する目的物の引渡しがなされたと認めることはできない。したがって、被告は同時履行の抗弁を主張することができる。
しかしながら、以下の理由により、被告による同時履行の抗弁の主張は、信義則に反し、許されないといわざるを得ない。
(一) 被告による引渡しの確認行為
まず、被告は、原告に対して、本件商品の引渡を受けた旨応答するとともに、物品受領書及び検収書を交付し、原告から商品の引渡しを受けたことを確認した旨を原告に表明する行為(以下「確認行為」という。)をしている。
原告は、被告が確認行為をしたからこそ、既に商品の引渡しがなされたものと判断し、アージェントに代金を支払ったものであり、右は当然の判断といえるから、原告の信頼を保護すべき必要性は高い。
他方、一旦は商品の引渡を受けたことを認めた被告が、後に及んで、引渡しがないとして同時履行の抗弁を主張することは、情を知らなかったにせよ、自らの前言を翻して相手方の信頼を害する行為であることは否定できない。
(二) 同時履行の抗弁により守られるべき被告の実質的利益
しかも、被告は、形式的には、同時履行の抗弁を主張する資格を備えてはいるものの、被告には、右主張を許すことで守るべき実質的な利益があるとは認め難い。
売買の買手に同時履行の抗弁権が認められているのは、代金の支払と対価関係に立つ財貨の移転を買手に確保させる趣旨と解される。しかしながら、被告は、本件商品の所有権を自ら取得するためではなく、いわゆる中間介入業者として、本件商品の購入を欲する株きむらに信用を供与し、同者に本件商品を転売する目的で、原告との売買契約を締結したのであるから、被告には、本件商品の引渡しを受けることそれ自体について独自の利益があるとはいい難い。
もちろん、被告は、原告に支払った代金を、株きむらから代金支払を受ける形で回収しなければならず、そのためには、株きむらに本件商品を引渡すことが前提となる。しかしながら、本件においては、株きむらの嶋田が、被告に対して、商品を受領していないのに受領した旨応答したのであるから、株きむらに引渡しの欠缺を主張する資格のないことは明らかである。したがって、被告には、株きむらから代金支払を受けて資金を回収するという観点からも、本件商品の引渡しを受けるべき実質的利益があるとはいえない。
さらにいえば、被告は、株きむらへの転売を予定して本件商品を購入したのであるから、被告が同時履行の抗弁を主張することは、本件商品の確保に関する株きむらの利益を代弁し、あるいはこれを援用するものと捉えることもできるが、株きむらの嶋田は、当初より、商品の引渡を受けることを予定しないで取引に参加している上に、引渡を受けていないにも関わらず、引渡を受けた旨虚偽の応答をすることで、本件紛争の原因を作った者であるから、株きむらに本件商品を確保させるべき理由は何ら認めることができない。
もっとも、この場合には、商品の移転なしにその代金を請求することになるから、被告が株きむらの信用リスクをもろに負担することになる。しかしながら、そもそも被告は、株きむらに信用を供与する趣旨で本件取引に参加したのであるから、被告が株きむらの信用リスクを負担することは何ら不当なことではない。また、右の意味での信用リスクは、通常の意味での信用リスクのみならず、嶋田の背信的行為によって突発的に生じたリスクをも含むことになるが、株きむらへの信頼を前提として取引に入った被告の地位に鑑みれば、それもあながち不当とはいえない。
以上のように考えてくると、被告が同時履行の抗弁を主張することで擁護しようとする利益は極めて形式的なものにとどまるといわざるを得ず、少なくとも、原告の前記信頼を犠牲にしてまで、被告に同時履行の抗弁の主張を許さなければならないほどの実質的利益は、被告には見いだし難いといわざるを得ない。
(三) 被告に同時履行の抗弁の主張を許すことによる結果の不当性
さらに、被告による同時履行の抗弁の主張を認めた場合と、これを認めなかった場合とで、具体的な帰結においてどのような差異が生じてくるかという観点から検討する。
まず、抗弁の主張が許されない場合を考えると、被告は、原告に支払うべき代金を、株きむらからの代金取り立てによって回収するほかないことになるが、前記のとおり、それは法的に可能と考えられるし、この場合被告が負うべき負担は不当なものとはいえない。
他方、原告は、アージェントに支払った代金を被告から回収することになるが、これは当初から予定されていた取引の帰結と同じである。
これに対し、抗弁の主張が許される場合を考えると、被告は、事実上原告に対する代金の支払義務を免れる一方で、株きむらに対する請求権をなお維持しているから、これは、当初の取引で予定されていた以上に被告を利する結果になる。
他方、原告は、アージェントに支払った代金を、アージェントの側から回収するほかないことになり、結果として、原告がアージェントの信用リスクを全面的に負担することになる。しかしながら、原告が本件取引に参加したのは、アージェントの信用ではなく、被告の信用を信頼したからであり、アージェントに対する支払も、被告の確認行為を信頼したからこそ行ったものであるから、原告は、被告の前言撤回によって、本来の取引においては負担するいわれのないリスクを負わざるを得ない立場に立たされる結果となる。
(四) まとめ
以上の検討を要約すれば、本件において被告に同時履行の抗弁の主張を許すことは、被告に対して、抗弁を主張すべき実質的な理由のないまま、形式的な資格のみに基いて、原告の信頼を犠牲にして前言を翻すことを許し、しかも、その帰結として、被告を不当に利する一方で、原告を窮地に追い込む結果を招くことを容認する、ということになる。
したがって、被告が同時履行の抗弁を主張することは、信義則に反し許されないと解するのが相当である。
第五 結語
以上より、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を、仮執行宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官石井俊和)