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東京地方裁判所 平成9年(ワ)6026号 判決 1998年2月05日

原告

甲野太郎

被告

乙山二郎

右訴訟代理人弁護士

仲嶋克彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、平成元年七月一日から医療法人社団至恩会上尾甦生病院(以下「至恩会」または「病院」という。)の院長の職責にあったが、平成六年五月一四日、緊急理事会によって院長解任決議を受けた。原告はこれを不服としてその後も診療業務を続けたところ、至恩会側は原告の院長職務権限停止を求めて浦和地方裁判所に仮処分を申請し、原告はこれに対し院長の地位保全と原告が至恩会に貸し付けていた金銭の返還請求権の保全を求める仮処分申請を行った(以下「本件仮処分事件」という。)。被告は弁護士であり、本件仮処分事件において原告の代理人となったものである。

2  被告の違法行為と損害

(一) 被告は原告に対し、本件仮処分事件を受任するに当たり、着手金として金三〇〇万円、成功報酬として金一〇〇〇万円を要求し、原告は着手金三〇〇万円を支払った。しかし、被告は原告に対し、その金額のよってきたる根拠については何らの説明もしなかった。

(二) 被告は本件仮処分事件の事務処理において重大なミスを犯した。すなわち、貸付金の一括返済を求めて至恩会の診療報酬の差押えを行うと、至恩会は破産する。そうすると、原告の地位保全は叶わないことになり、この両者は相いれないことになるとの指摘を裁判官から受けたことである。

(三) 原告が突然院長職を解任されたことに義憤を覚えた患者たちが理事会の決議撤回を求める署名運動を展開して一か月間に一万二〇〇〇名の署名を得て、これを地域住民の声として被告に差し出したが、被告はこれは裁判官の心証を害するのみとして、原告の地位保全を得なければならないとの思い、第一線の臨床医としての原告のよって立つ根拠をないがしろにして恥じなかった。

(四) 原告は、至恩会から次々と送付してくる減俸、謹慎処分等の内容証明郵便にどう対処すべきか、ファックスを送付して即答を求めたにも関わらず、被告は何らの回答を寄越さず、原告の苦境を何ら救おうとしなかった。

(五)(1) 原告から、当初の見込み違いを指摘された被告は、実現の見込みの乏しい代償案を原告にほのめかした。すなわち、愛和会なる某医療法人が至恩会を買収してもよいと言っているとして、その際は原告の債務の一切を肩代わりし、至恩会に対する原告の債権も保証すること、また愛和会の系列病院に院長職を用意することをいうものである。

(2) 原告はこの言葉に一縷の希望を託して、地位保全請求を取下げ、貸付金の請求のみに絞って被告の勧める早期の和解に応じることにした。

しかし、愛和会の話は真実性に欠けるものであるとの疑いが日増しに強まり、原告が被告に対しその点を追及すると、被告は開き直ったように居丈高な調子で原告を罵倒、叱責した、それはおよそ弁護士としての品位に欠け、依頼人の心情はおろか権利を無視した横暴極まりない言動であった。

(3) 原告は被告とのやりとりに甚だしいストレスを覚えるようになり、不眠症に陥って睡眠剤を常用するようになった。

(4) 被告はまた係争相手の言を鵜呑みにして原告に対する事実無根の中傷をあたかも真実のごとく受け止め裁判の不利な経過をそれに転嫁しようとさえした。

(六) 平成六年八月一一日に浦和地方裁判所で別紙記載内容の和解(以下「本件和解」という。本件和解の和解条項を「本件和解条項」という。)が成立したが、それにいたる四度の審尋に際し、事前の打合せを求める原告の要求を、被告は一方的に軽視あるいは無視し、裁判所で事後承諾的な説明が慌ただしくなされただけで和解内容についての詳細な説明はなかった。

(七) 原告は、被告に対し、成功報酬として金二五〇万円を支払った。

(八) 本件和解条項中履行されたのは一〇項及び一一項のみであり、次のとおり和解条項の実現がされなかったことにより、原告は損害を被った。

(1) 被告は、本件和解条項五項に定める至恩会における非常勤勤務の条件交渉を全く無視した。

そのため、原告は以後半年間失業状態となり、遠方の病院に週三回通う非常勤勤務で従来の報酬の二分の一を得るに止まった。この間の損害は三〇〇万円を下らない。

(2) 本件和解条項七項1に定める金員の支払は履行されず、被告に異議を申し立てたが無視された。このため、原告は、他の弁護士に相談せざるを得なかった。本件和解条項七項1の未払い分は金一五〇〇万円であり、これに対する遅延損害金は四五〇万円である。右合計金一九五〇万円中三五〇万円を損害賠償として請求する。また、弁護士に相談した費用は金二〇万円である。

(3) 本件和解条項二項2・3及び4で実質的には至恩会の金融機関に対する債務であるということが確認された債務について、至恩会が金融機関に支払わなかったことから、借受人となっていた原告は東京相和銀行から三〇〇万円、群馬銀行から一五〇〇万円を相殺されて右同額の損害を被り、また三井生命保険に一〇〇〇万円を支払って、右同額の損害を被った。

(4) 右損害額合計金三四七〇万円から本件和解によって受領した金一六四〇万円を控除した金一八三〇万円が原告の被った損害である。

(九) 原告が既に述べた経緯により被った精神的苦痛を慰謝するには一七〇万円をもってするのが相当である。

3  よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、合計金二〇〇〇万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2(一)の事実中、被告が原告に対し、着手金として金三〇〇万円を要求し、原告が被告に対しこれを支払ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  請求原因2(二)の事実中、被告が裁判官から仮差押えを行なえば、至恩会は倒産するのでしばらく待ったらどうかといわれたことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  請求原因2(三)の事実中、原告が原告主張の署名を得てこれを被告に差し出したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は右署名を全て裁判所に提出した。

5  請求原因2(四)の事実中、原告が原告主張のファックスを被告に送付してきたことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  請求原因2(五)(1)の事実中、愛和会の話が出たことは認めるが、その余の事実は否認する。

7  請求原因2(五)(2)の事実中、原告が被告の言葉に一縷の希望を望を託して、地位保全請求を取下げ、貸付金の請求のみに絞って被告の勧める早期の和解に応じることにしたとの点は知らない。その余の事実は否認する。

8  請求原因2(五)(3)の事実は知らない。

9  請求原因2(五)(4)の事実は否認する。

10  請求原因2(六)の事実中、本件和解が平成六年八月一一日に成立したことは認めるが、その余の事実は否認する。

11  請求原因2(七)の事実は認める。

12  請求原因2(八)の事実中、本件和解条項中履行されたのは一〇項及び一一項のみであることは認めるが、その余の主張はすべて争う。

13  請求原因2(九)の事実は知らない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

第四  当裁判所の判断

一  原告が、平成元年七月一日から至恩会の経営する病院の院長の職にあったこと、平成六年五月一四日の緊急理事会によって院長解任決議を受けたこと、原告はこれを不服としてその後も診療業務を続けたところ、至恩会側は原告の院長職務権限停止を求めて浦和地方裁判所に仮処分を申請し、原告はこれに対し本件の地位保全と原告が至恩会に貸し付けていた金銭の返還請求権の保全を求める仮処分申請を行ったこと、被告は弁護士であり、本件仮処分事件において原告の代理人となったこと、被告が原告に対し本件仮処分事件の着手金として金三〇〇万円を要求し、原告が被告に対しこれを支払ったこと、本件仮処分事件の審理過程において、被告が裁判官から仮差押えを行なえば、至恩会は倒産するのでしばらく待ったらどうかといわれたこと、原告の患者たちが理事会の決議撤回を求める署名運動を展開して一か月間に一万二〇〇〇名の署名を得て、これを被告に差し出したこと、原告が至恩会から次々と送付してくる減俸、謹慎処分等の内容証明郵便にどう対処べきかについて被告に対し、ファックスを送付して回答を求めたこと、原告と被告間で愛和会の話がでたこと、本件和解が平成六年八月一一日に成立したこと、原告が被告に対し、成功報酬として金二五〇万円を支払ったこと、本件和解条項中履行されたのは一〇項及び一一項のみであることの各事実は当事者間に争いがない。

二  右当事者間に争いのない事実と証拠(原告本人、甲一、乙三、四、五、六の一・二、乙七ないし一四、一七、一九)に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

1  原告は、被告に対し、平成六年五月二四日、原告が至恩会に対する一億円に及ぶ貸金債権の返還についての事件処理を委任し、被告がこれを受任したこと、そして遅くとも同年六月六日までには、原告の病院における院長としての地位の保全も原告の被告に対する委任内容に含まれるようになっていたこと、右委任事務処理に関して着手金は三〇〇万円で報酬は最高一〇〇〇万円と約定されたこと

2  至恩会は、平成六年六月一日、原告を債務者として原告が病院長としての管理者の職務を執行してはならないとの業務執行停止仮処分命令を申し立ててきたこと

3  被告は、原告の依頼に基づき、平成六年六月九日、至恩会の仮処分申立てに対抗して、いずれも至恩会を債務者として、浦和地方裁判所に対し、至恩会が設置する病院の病院長の地位を仮に定めるとの地位保全仮処分命令(浦和地方裁判所平成六年ヨ第二七四号)及び被告の至恩会に対する貸金返還請求権を保全するために社会保険診療報酬支払基金及び埼玉県国民健康保険団体連合会を第三債務者として債権仮差押命令(同裁判所平成六年ヨ第二七五号)の各申立てをしたこと(本件仮処分事件)

4  浦和地裁では平成六年六月一四日、同月二九日、七月一三日の三回にわたり審尋期日が開かれたこと、右各審尋期日には原告も出頭したこと

5  この間、患者たちが理事会の決議撤回を求める署名運動を展開して一か月間に一万二〇〇〇名の署名を得て、これを地域住民の声として被告に差し出したこと、被告はこれを裁判所に提出したこと、原告は多数のものが原告を支持して署名をしてくれたのであるから院長の職にとどまれると考え、一方被告は院長の職にとどまれるかどうかは至恩会の理事会の決議で決まることであるから正式に理事会が開かれると理事の多数の支持を得られない原告は院長の職にとどまれないとの見通しを持っており、そのことが原告と被告の意見の対立を生んだ大きな原因のひとつとなったこと、和解条件の交渉過程においても、原告が一旦承諾した和解条件を後に変更するなどしたことから、原告と被告が対立して口論することもあったこと

6  このように、原告と被告の関係がぎくしゃくとするようになったことから、原告は、平成六年七月二五日、原告の友人(高等学校の同級生)である服部英夫(以下「服部」という。)を原告の代理人として選び、同日以後服部が被告との折衝、連絡をするようになり、原告も服部に全幅の信頼をおいて被告との交渉を任せたこと、服部は被告と面談するなどして和解条件等について打合せを行い、その結果を原告にファックス等で連絡し、原告も被告の和解案に対して修正意見を述べるなどして、最終的には被告の和解案を了解したこと、平成六年八月一日ころには服部を介して原告に対する成功報酬を金二五〇万円とすることが合意されたこと

7  平成六年八月一二日の審尋期日には、原告も出頭したうえ、本件和解が成立したこと

三  以上の事実を前提に検討する。

1  請求原因2(一)ないし(六)並びに(九)について

原告は、被告がインフォームド・コンセントを欠如した状態で委任事件の処理を行ったとしてるる主張する。

(一) 本件仮処分事件は本件和解が成立することによって終了しているところ、前記認定の事実関係、とりわけ、原告と被告との間で事務処理方針に意見の対立が生じたことから、原告はその代理人として友人の服部を選任して、被告との折衝・連絡に当たらせたこと、服部は被告と面談するなどして和解条件等について打合せを行い、その結果を原告にファックス等で連絡し、原告も被告の和解案に対して修正意見を述べるなどして、最終的に原告は被告の和解案を了解したことの各事実に照らすと、本件和解条項は服部を介して、原告の意向を反映して作成されたものであり、原告はその内容を事前に了解して、これに同意して和解期日に出頭したことが認められるから、被告がインフォームド・コンセントを欠如した状態で本件委任事件の処理を行ったとすることはできない。請求原因2(六)の主張は到底採用できない。

(二) 原告は、弁護士報酬についてそのよってきたる根拠を示さなかったことをもってインフォームド・コンセントを欠如した旨主張するが、原告は受任当時において、着手金額、報酬(最高金額)とも明確に示しているうえ、これらの額が一般の報酬額に照らし著しく不相当に高額であると認めるに足りる証拠はなく、また、本件報酬額である二五〇万円は被告と原告の代理人である服部との間で予め合意され、原告もこれを事前に承諾しているものであることなどの諸般の事情を考慮すると、仮に被告が弁護士報酬の具体的な根拠を示さなかったことがあるとしても、これをもって原告に対する不法行為に当たるものとすることはできない。請求原因2(一)の主張は採用できない。

(三) 本件全証拠によるも、被告が事件の見通しを誤ったと断じるに足りる的確な証拠はないし、弁論の全趣旨によると、被告が原告の集めた署名を裁判所に提出していることが認められるから請求原因2(二)及び(三)の主張も採用できない。

(四) 原告が至恩会から次々と送付してくる減俸、謹慎処分等の内容証明郵便にどう対処べきかについて被告に対し、ファックスを送付して回答を求めたことは当事者間に争いがない。しかし、本件全証拠によるも、被告がこれに対し何らの応答をしなかったとの事実を認めるに足りる的確な証拠はなく(その趣旨を述べる原告本人尋問の結果は採用しない。)、かえって、証拠(被告本人)によると、被告は必要に応じて原告に対し応接していたことが認められるから、請求原因2(四)の主張も当たらない。

(五) 原告と被告との間で原告の主張する愛和会の話が出たことは当事者に争いがない。しかし、証拠(被告本人)によると、本件仮処分事件において、原告の院長としての地位保全が困難の情勢にあったところ、被告の友人から愛和会の話があったのでこのことを原告に知らせたが、愛和会側の意向により断られた経緯にあり、被告は原告に対し平成六年七月二五日までには愛和会の右意向を伝えたことが認められる。そうすると、愛和会の話に関する被告の行為が原告に対する不法行為に該当する余地はない(なお、原告自身も、本件和解を決心した最大の理由として、理事会の数を頼んでの行動に職員が激しい動揺を来たし、次第に至恩会側の圧力に屈していったこと、原告の解任劇に加担したのは原告の直属の部下であって、外科内部のかかる抗争が手術や治療等患者の生命に関わる重大事に由々しき影響を及ぼすことを憂えたから」(被告の補正書四丁表参照)と述べて、愛和会の話があったゆえに本件和解を了解するにいたったと主張するものではない。)。

また、前記認定のとおり、原告と被告との間で事務処理方針を巡って意見の対立が生じて、口論となったことが認められるが、被告が原告に対して一方的に居丈高な調子で原告を罵倒、叱責したことを認めるに足りる的確な証拠はないから請求原因2(五)(3)の主張も採用できない。

請求原因2(五)(4)の事実を認めるに足りる証拠もない。

さらに、証拠(甲一〇)によると、原告が不眠症に罹ったことが認められるが、前述のとおり被告に本件仮処分事件の処理に関して原告に対する不法行為に該当する事実を認めることはできないから、請求原因2(五)(3)の主張も採用できない(なお、前記証拠によると、原告が不眠症に罹患した時期は平成六年四月二六日であり、これは原告が被告に本件仮処分事件の処理を依頼した時期以前のことであることが認められる。)。 以上のとおり、請求原因2(五)の主張はすべて採用できない。

(六) そうすると、請求原因2(一)ないし(六)の主張(被告がインフォームド・コンセントを欠如した状態で委任事件の処理を行ったする主張)はすべて採用することができず、請求原因2(九)の慰謝料請求は失当である。

2  請求原因(八)について

本件和解条項中履行されたのは一〇項及び一一項のみであり、その余の和解条項が実現されなかったことは当事者間に争いがないが、和解条項が相手方によって守られなかったとしてもそのことから直ちに被告の不法行為が基礎付けられるものではないから、和解条項の履行がないことを理由とする原告の請求はそれ自体理由がない(なお、被告が本件和解条項五項に定める至恩会における非常勤勤務の条件交渉を全く無視したとの事実を認めるに足りる証拠はない。)。

よって、原告の請求は理由がない。

(裁判官小久保孝雄)

別紙<省略>

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