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東京地方裁判所 平成9年(特わ)2483号 判決 1998年10月19日

主文

被告人A及び被告人Bを懲役八月に、被告人C、被告人D、被告人E及び被告人Fを懲役六月に、それぞれ処する。

この裁判確定の日から被告人A、被告人B、被告人C及び被告人Dに対し三年間、被告人E及び被告人Fに対し二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

理由

(犯罪事実)

被告人Aは、平成四年四月一日から平成七年二月二三日までの間は、東京都千代田区《番地略》に本店を置く株式会社第一勧業銀行の総務部担当常務取締役として、平成七年二月二四日から同年四月九日までの間は、同銀行の総務部担当専務取締役として、同銀行総務部等の業務全般を掌理していた者、被告人Bは、平成七年五月二五日から平成八年三月三一日までの間は、同銀行の審査担当常務取締役として、平成八年四月一日から平成九年六月一二日までの間は、同銀行の審査担当専務取締役として、同銀行の融資案件審査等の業務全般を掌理していた者、被告人Cは、平成四年八月二八日から平成七年七月一六日までの間は、同銀行の総務部長として、平成七年七月一七日から平成八年三月三一日までの間は、同銀行の総務部担当常務取締役として、同銀行総務部の業務全般を掌理していた者、被告人Dは、平成七年七月一七日から平成九年六月四日までの間、同銀行の総務部長として、同銀行総務部の業務全般を掌理していた者、被告人Eは、平成五年七月一六日から平成七年六月二八日までの間、同銀行の総務部副部長として、同銀行の総務部長を補佐していた者、被告人Fは、平成七年六月二九日から平成九年六月五日までの間、同銀行の総務部副部長として、同銀行の総務部長を補佐していた者であるが、被告人らは、別表「関係被告人」欄記載のとおりの被告人において、同銀行の頭取若しくは会長であったPら別表「共犯者」欄記載の者らと共謀の上、既に平成四年ころまでに、同銀行の一単位(一〇〇〇株)以上の数の株式を保有し、議決権を有する株主であって、いわゆる総会屋であるGに対するH名義宛及び株式会社甲野ビルディング(以下「甲野ビル」という。)名義宛の融資の返済がいずれも延滞し、担保物件の評価額も融資残高を著しく下回り、右貸付債権の回収不能が見込まれていたため、同銀行から右Gに対して追加融資し得ない状況にあったにもかかわらず、平成四年七月ころ、同人から有価証券取引資金の融資を依頼されたことから、同人の株主の権利の行使に関し、別表「株主総会とその期日」欄記載のとおり、同銀行の平成七年六月二九日、平成八年六月二七日若しくは平成九年六月二七日の各定時株主総会で、議事が円滑に終了するよう協力を得ることの謝礼の趣旨で、あえて迂回融資の方法により同人に金融の利益を供与しようと企て、その情を知らない東京都中央区《番地略》大和信用株式会社(以下「大和信用」という。)代表取締役専務I及び同常務取締役Jらとの間で、同銀行茅場町支店から大和信用への当座貸越資金等により、大和信用から甲野ビル名義宛の融資を行い、かつ大和信用から甲野ビル名義宛の右融資につき同銀行が実質的に債務保証する旨約した上、別表記載のとおり、被告人Aは、平成六年七月七日から平成七年三月二〇日までの間、前後二〇回にわたり、同銀行から大和信用を介して、右Gに対し、甲野ビル名義宛で、同銀行本店の甲野ビル名義普通預金口座への振込送金により、合計三七億八二〇〇万円の融資を行い、被告人Bは、平成七年七月一七日から平成八年九月六日までの間、前後二八回にわたり、前同様の方法で、合計七三億五一〇〇万円の融資を行い、被告人Cは、平成六年七月七日から平成八年三月六日までの間、前後三九回にわたり、前同様の方法で、合計八八億七九〇〇万円の融資を行い、被告人Dは、平成七年八月一一日から平成八年九月六日までの間、前後二六回にわたり、前同様の方法で、合計七〇億二八〇〇万円の融資を行い、被告人Eは、平成六年七月七日から平成七年六月一九日までの間、前後二四回にわたり、前同様の方法で、合計四四億三一〇〇万円の融資を行い、被告人Fは、平成七年七月一七日から平成八年九月六日までの間、前後二八回にわたり、前同様の方法で、合計七三億五一〇〇万円の融資を行い、もって、それぞれ、右Gに対し、同人の株主の権利の行使に関し、同銀行の計算において、金融による財産上の利益を供与したものである。

(証拠)《略》

(争点に対する判断)

一  各被告人の弁護人らは、いずれも、外形的事実については争わないものの、Gに対する甲野ビル名義宛極度額三〇億円の有価証券取引資金の融資(以下「本件融資」という。)が、株式会社第一勧業銀行(以下「第一勧業銀行」という。)の計算においてなされたものではなく、かつ、被告人らにおいて本件融資が第一勧業銀行の計算においてなされていることを認識していなかった旨主張し(明示的に主張していない弁護人もいるが、実質的にはこの点を争う趣旨とみられる。)、各被告人も、いずれも、当公判廷において、右認識がなかった旨弁解するので、以下、この点について判断を示す(特に注記した以外は、再掲する名前については姓のみ掲げ、被告人名については「被告人」の表示を省略する。)。

二  関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  Gは、昭和四三年ころから、いわゆる総会屋として活動を開始し、その後の活発な活動によって、各企業の総務担当者から行動力を伴う頭脳的総会屋として恐れられるようになり、昭和五九年三月には第一勧業銀行の株式一〇〇〇株を、昭和六一年六月には同銀行の株式五〇〇〇株をそれぞれ取得して、名義書換を行い、同銀行の株主総会における議決権を得た後は、同銀行の総務部(以下、第一勧業銀行の部署名、支店名、役職名等を指すときは、「第一勧業銀行」の名を省略する。)においても、Gをいわゆる特殊株主の一人として把握するようになった。

そして、Gは、総会屋として活動するうちに同郷のKの引き立てを受け、Kの片腕的存在として知られるようになった。Kは、元大物総会屋であり、出版業などを営むほか、いわゆる政財界のフィクサーとして活動していたもので、第一勧業銀行が合併により発足する前の株式会社第一銀行及び株式会社日本勧業銀行のそれぞれの最高幹部と親交を有しており、第一勧業銀行の発足後は、その歴代の会長、頭取らと定期的に会食、麻雀等をするようになり、やがて、同銀行内において、同銀行の幹部の人事等にも口出しするなどの強い影響力を持つようになって、同銀行関係者の間では、黒幕的存在として恐れられるようになった。そのため、同人との対応窓口となった総務部は、担当役員、総務部長及び総務部総括次長(平成六年五月一七日以後は副部長と名称変更)が、月に二回程度、Kの事務所へあいさつに訪れて、同人の機嫌を取るなどしていた。

昭和六三年、麹町支店で不祥事が取り沙汰された際、同年六月の株主総会が荒れることを危惧した当時の総務部長は、Kを介して、Gに対し、同年六月の同銀行の株主総会における議事進行の協力を依頼した。Gは、自己が主宰する団体の構成員二〇名の名義で同銀行の株式二万株を取得して、名義書換を行った上で、右株主総会に配下の者を引き連れて出席し、長時間の質問を試みた総会屋の発言を制するなどして議事進行に協力し、約一時間で総会を終了させるに至らせた。その後、Gは、同銀行の株主総会に毎年出席して他の総会屋に睨みを利かせ、あるいは、総務部の依頼に応じて、事前に出席が予想され議事を混乱させるおそれがある総会屋と交渉してその出席を抑えるなど、いわゆる与党総会屋として活動した。総務部においても、Kの愛弟子であるGを与党総会屋として重視し、総務部長、総務部総括次長が対応することにしていた。

2  このようなGとの関係を背景にして、Gとの対応窓口である総務部において、昭和六〇年以降、Kの口添えにより、Gから、有価証券取引資金、大手四大証券会社(野村證券、大和證券、日興證券、山一證券)の株式購入資金、ゴルフ場開発事業参画資金、マンション購入資金の融資の要請を次々と受けるようになり、いずれもこれに応ずることとして、総務部担当者が、同銀行の融資の決裁権限を有する審査担当役員らの承認を得て、いずれもGのダミーである実弟H名義宛若しくはHが代表取締役である株式会社甲野及び甲野ビル名義宛で、同銀行から直接融資を実行し(以下「直接融資」ともいう。)、あるいは、大和信用を介する迂回融資を実行した(以下「迂回融資」ともいう。)。

3  なお、大和信用を介する迂回融資とは、一つは、Gのマンション購入資金としてのG本人名義宛の融資である。すなわち、総務部では、Gの融資の要請に応じて、当時の業務審査第二部長Lの提案により、大和信用を介する迂回融資の方法を採ることとし、大和信用が、G本人名義宛で、平成二年二月二七日、自己資金により五〇〇〇万円を、同年三月一五日、茅場町支店から融資を受けた四億円及び同支店の大和信用名義の当座貸越枠から調達した四〇〇〇万円の、計四億四〇〇〇万円を、それぞれ融資したものであるが、当時の総務部長Mは、当時の大和信用代表取締役専務のNに対し、「大和信用には絶対に迷惑をかけません」と言って、融資への協力を依頼し、その了承を得ており、融資手続には、当時の総務グループ次長(総務部では、総務部長、総括次長に次ぐ役職であった。)であったDが立ち会っている。

なお、大和信用は、資本金約二億七〇〇〇万円のいわゆるノンバンクで、年間の貸付高は平均して二〇〇億円前後という規模であるが、昭和六〇年ころに約四八億円の不良債権を抱えたため、主として第一勧業銀行の財政的、人的支援を受けるようになり(平成六年一一月ころには、株式会社後楽園ファイナンスの子会社となった。)、平成四年ころからは、利益を計上できるようになったものの、不良債権を償却していたため、大規模な融資を行う余裕は乏しかった。

4  もう一つの迂回融資は、Gのゴルフ場開発事業参画資金としての一五億円の甲野ビル名義宛融資である。

(一) すなわち、Gは、Kが第一勧業銀行に支援を要請していた株式会社ライベックス乙山カントリークラブ(以下「ライベックス乙山」という。)による山梨県内でのゴルフ場開発事業に参画しようと企て、平成二年八月ころ、Kの口添えを得て、総務部に対して、右参画資金として、ライベックス乙山による正規の発行手続を得ていないゴルフ場会員資格保証金証書を担保とした四五億円の融資を要請した。総務部長のM、総務部総括次長O及び同部総務グループ次長のDは、右要請に対して、Kの了解を得た上で、三〇億円を限度とする融資として検討に入ったところ、同年九月当時、同銀行のGへの直接融資は、甲野ビル名義宛では、貸付残高三二億七〇〇〇万円に対し、約二三億円の担保割れを、H名義宛では、貸付残高一六億五〇〇〇万円に対し、約三億円の担保割れを、それぞれ起こしていたため、これ以上の追加融資は困難であり、かつ、同年一〇月に実施が見込まれていた大蔵省大臣官房金融検査部による検査(以下「MOF検」という。)において、右各融資が分類債権とされ、同銀行が、総会屋であるGに対して融資していたことが発覚するおそれがあったため、Mらは、その旨Kに伝えた。これに対し、同人は、同銀行からライベックス乙山に対して二五億円を融資して甲野ビル名義とH名義の債務の担保割れを解消した上で、三〇億円を融資すればよいと提案した。そこで、Mらは、当時営業第一部長であったLらとも相談した上、これらG向け直接融資をMOF検の対象から外し、かつ、追加融資を可能とするために、ライベックス乙山を経由してGに二五億円を融資し、これにより同銀行に対する甲野ビル名義及びH名義の債務を一部返済させて担保割れを解消させた上で、改めて、一五億円をH名義宛、残り一五億円を大和信用を介して甲野ビル名義宛で、迂回融資するという方法を策定した。

そして、Mらは、平成二年九月上旬ころ、業務本部及び営業本部の幹部(当時の営業本部長はP、同副本部長はQ)らとそれぞれ打ち合わせ、右融資を決めるに至った経緯及び右融資方法について説明し、その実行について承諾を得た。

(二) 右の方針に基き、平成二年九月一九日、新宿西口支店が、Gに対し、ライベックス乙山を介して、甲野ビル名義宛で二五億円を融資し、これにより同人の甲野ビル名義及びH名義の第一勧業銀行に対する債務を一部返済させ、次に、同年一〇月八日、営業第一部が、Gに対し、H名義宛で一五億七〇〇〇万円を融資し、さらに、同年一一月二八日、茅場町支店が、Gに対し、大和信用を介して、甲野ビル名義宛で一六億円を融資した。このうち、大和信用を介した迂回融資については、Mらが大和信用のNらに対して、前記同様、大和信用には絶対に迷惑をかけない旨約束していた。

しかし、その後、山梨県知事の交付により、同県内でのゴルフ場開発の認可手続が凍結されたことから、ライベックス乙山のゴルフ場開発が暗礁に乗り上げ、甲野ビル名義宛融資の回収が困難になるおそれが出てきたため、Oらは、当時の審査担当役員であるQとLに事情を説明し、その決裁を受けた上で、前記大和信用に迷惑をかけないとの約束に基き、平成三年一一月二六日、六本木支店から、Gに対し、甲野ビル名義宛で一六億六〇〇〇万円を融資し、これにより同人に甲野ビル名義の大和信用に対する債務を返済させ、結局第一勧業銀行は、実質的に大和信用の右債権(甲野ビル名義のGの右債務)を肩代わりした。また、前記第一勧業銀行のライベックス乙山を介した甲野ビル名義宛への二五億円の融資については、ライベックス乙山の親会社である丙川株式会社の経営が悪化したため、平成四年一月二九日に、甲野ビル名義宛への直接融資に切り替えた。

5  ところで、六本木支店からGに対する甲野ビル名義宛の融資は、貸付残高五六億六〇〇〇万円のうち、四五億円に対する利息の支払いが、平成四年五月から延滞し、元本の返済については、同年七月から延滞となった。しかも、右融資の担保は四大証券の株式のみであった上、その時価は約九億円まで下落しており、掛け目を七割として計算した担保価格からすると、担保割れの額は五〇億円以上にのぼった。

一方、Gに対するHの名義宛の融資についても、貸付残高三二億一五〇〇万円のうち、平成三年八月から、五億円の元本とこれに対する利息の支払いが延滞し、同年一一月には元本全額とこれに対する利息の支払いが延滞となった。担保割れについても、延滞開始時点で貸付残高の五割以上にのぼった。

6(一)  右のような状況下にあった平成四年七月上旬ころ、Gは、総務部総括次長のDに対し、有価証券取引資金として三〇億円を上限とする継続的な融資を持込み担保によって行うよう要請した。

総務部長OとDは、第一勧業銀行のGに対する甲野ビル名義宛及びH名義宛の直接融資が、既に約九〇億円という巨額にのぼっており、しかも返済が延滞している上、大幅な担保割れが生じていることから、右貸出債権については回収不能が見込まれ、同人に対する今後の新規融資はなしえない状況にあったものの、右要請を断ることにより、Gが同銀行に対して敵対的行動に出ることを恐れ、何とかしてこれに応ずるためには、以前にも利用したことがある大和信用を介した迂回融資によってでも右融資を実現するほかないと考え、総務部担当役員のAにその旨諮ったところ、Aはこれを了解し、審査担当役員と協議するよう指示した。しかし、Dが、審査担当役員のQとLに対して、既にGへの同銀行からの融資の返済が延滞し、しかも大幅な担保割れが生じていること等を説明した上で、右新規融資の実行について承認を求めたところ、両名ともこれを承認しなかった。

(二)  Dは、Gに対して、前記融資が承認されなかったことを伝えたが、Gは納得せず、Dに対して、再検討を求める一方、Kの事務所へ赴き、同人に融資の口添えを依頼した。

A、O及びDは、同月中旬ころ、同年の株主総会が無事に終了したことを報告するために、Kの事務所を訪れたところ、Kは、前記Gに対する融資について再検討するよう促した。Dが右実現が難しい旨事情を説明すると、Kは、第一勧業銀行のR会長とP頭取(いずれも同年四月に就任)に直接働きかけるための会食を開くことを要求した。これを受けて、A及びDは、KとR及びPらとの会食を同年九月四日に料亭「吉兆」で行うよう手配した。

同年九月初めころ、AとDは、右会食前にRとPにその趣旨を説明しておくのがよいと考え、会長室において、両名に対し、Gに対するこれまでの融資の状況、新たに三〇億円の融資が要求された状況及び来るべき会食の趣旨等を説明したところ、Rは、右融資の実行はやむを得ない旨発言し、Pもこれに同調した。

そして、同月四日昼、前記「吉兆」において、KとR、P、Aらとで、会食が催されたが、その終わりのころ、Kは、Rに対し、「例の件はよろしく頼むよ。」と言って、前記Gに対する新規融資の実行を要求し、これに対してRは「わかりました」と言ってこれを了承し、Pもこれに同調した。

右会食の後、AとDは、審査担当役員のQ、Lとともに、R会長及びP頭取の意向を踏まえて、再度Gに対する新規の融資について協議を行った。QとLは、なおも難色を示したが、最終的には、やむを得ないとして承認し、続いて具体的な融資の方法が検討され、Lの提案により、第一勧業銀行が取引先ノンバンクである株式会社後楽園ファイナンス(以下「後楽園ファイナンス」という。)に原資を融資し、後楽園ファイナンスがさらにそれを大和信用に融資し、大和信用がそれをGに対して甲野ビル名義宛で融資するという方法が決定された。また、Gは、当初から極度額を設けて継続的に融資をするよう要求していたが、とりあえず、返済実績を積むまでは三〇億円を何回かに分割して融資する一般個別貸出(以下「個別貸出」という。)で融資を行うことにした。

その後、AとDは、K事務所へ赴き、要請のあったGに対する融資を実行する旨Kに伝えた。また、Dは、Gを総務部に呼び出して、新規融資が前記方法でなされることになった旨を伝え、Gの了解を得た。

(三)  右方針を受け、LとDは、それぞれ個別に、当時後楽園ファイナンスの営業企画部長に就任していたNに対して、前記迂回融資の方法について説明し、協力を求めた上、さらに、この融資においては後楽園ファイナンスには絶対に迷惑をかけない旨約し、その了解を得た。

また、Dは、大和信用の代表取締役専務のIにも右迂回融資への協力を要請し、この融資の実行については大和信用には迷惑をかけない旨繰り返し述べたものの、Iは、「それはDさん個人としておっしゃっているのですか。それとも銀行としておっしゃっているのですか。」等と言って、右要請に難色を示した。そこで、被告人Dは、当時総務部長に着任したばかりのCに対して、これまでのG関連融資の状況並びに右迂回融資の方法及び決定の経緯等を説明した上で、Iを説得することを依頼した。これを受けて、Cは、Iに対して、「絶対に大和信用には迷惑をかけません。第一勧業銀行で全て責任を負います。」等と言って説得したところ、Iは、右迂回融資への協力を了承したが、同銀行の責任の所在を明らかにするために、融資の際には同銀行の総務部関係者が立ち会うことを要求し、Cはこれを了承した。

(四)  その後、CとDは、審査担当役員のQとLに対して、大和信用から前記迂回融資についての協力を取り付けたこと及び第一勧業銀行が責任を負う旨約束したこと等を報告したところ、両名はこれに特に異議を述べずに承認した。そして、両名が、Gに対する新規融資が前記のような迂回融資の方法を採ることになった旨RとPに報告するよう指示したので、CとDは、Aにも前記経緯について報告した上で、Aを加えた三人で、RとPに対して、前記経緯について報告し、両名の了承を得た。なお、QとLも、そのころRとPに同様の報告をした。

こうして、R、P、Q、L、A、C及びDの間で、前記方法による個別貸出を行う旨の合意が成立し、右合意に基づき、平成四年一〇月一四日、営業第二部から後楽園ファイナンス、大和信用を介して、Gに対して、甲野ビル名義宛で、三〇億円の個別貸出をする旨の契約が締結され(なお、第一勧業銀行における貸出申請書には、総務部による依頼状が部外秘扱いで添付されていた。)、同日に一〇億円、平成五年三月一九日に一一億三〇〇〇万円、同月二三日に八億七〇〇〇万円の計三回にわたって実行され、これらの資金は、野村證券がGのために行う一任取引の資金に充てられた。

(五)  平成五年四月一日、Gは、前記三〇億円の融資を全額返済し、同月上旬ころ、総務部を訪れ、今度は三〇億円の極度貸出へ切り替えるよう要請した。

CとDは、これに応じるほかないと考え、まず、上司のAにこれを報告し、右切替えについて了承を得た。次に、QとLにもこれを諮ったところ、両名はこれに難色を示したものの、最終的には資金管理の徹底を条件に承認し、その後、Lが、RとPの了承を得るように指示した。A、C及びDは、R、Pにそれぞれ個別に会って、右切替えを行う旨報告し、それぞれから了承を得た。なお、QとLも会長室において、RとPに同様の報告をした。

7(一)  このようにして、個別貸出から極度貸出に切り替えて従前の迂回融資を継続することとなり、本件融資が開始されたが、融資の仕組みは、第一勧業銀行が、後楽園ファイナンスに対して、極度額三〇億円の貸出枠を設定し、後楽園ファイナンスは、大和信用に対して、同じく極度額三〇億円の貸出枠を設定し、大和信用は、その極度額の範囲内で、Gに対し甲野ビル名義宛で融資を行うというもので、これにより、後楽園ファイナンスは、年〇・二五パーセントの、大和信用は、年一パーセントの利ざやを得るというものであった。なお、貸出利率は、後楽園ファイナンス及び大和信用の双方にとって、通常の証券担保融資における利率を大幅に下回るものであった。右極度貸出は、平成五年五月一三日に開始され、その翌日、これに基づく最初の融資が実行された。

(二)  本件融資の手続の流れは、おおむね次のとおりであった。<1>Gによる借入れの指示に従って、Hが、総務部副部長(なお、平成六年五月一七日以前は、総括次長。以下、本節においては、「副部長」という。)に対し、電話で融資を申込む。<2>副部長は、Hに対して、その場で融資の可否につき応答する。その際、大和信用の了解を求めない。<3>次に、副部長は、大和信用営業本部長のJに対して、融資を実行する旨連絡し、Jにおいて、極度額の超過等がないかを確認した上、両者の間で契約書の作成日時を打ち合わせて、その日時をHに連絡する。<4>副部長は、営業第二部の後楽園ファイナンス担当者に融資金額と実行日を連絡し、営業第二部と後楽園ファイナンスとの間で融資手続を進めてもらう。一方、後楽園ファイナンスと大和信用の間の融資手続も並行して進めてもらう。<5>決められた契約手続の日において、副部長は、Hとともに、第一勧業銀行本店から同銀行の車に同乗して大和信用の事務所に赴き、HとJの間での契約書類の作成に立ち会う。<6>融資実行日には、営業第二部から後楽園ファイナンスへの手形貸付、同社から大和信用への手形貸付、同社から同銀行本店の甲野ビル名義普通預金口座への融資金の振込入金が相次いでなされ、これを受けてHは、同銀行本店において、融資金を証券会社へ振り込む手続を行う。<7>Hは、購入した株券の現物又は預り証を同銀行本店に持参して又は証券会社の社員に届けさせて、副部長の立会いの下で、大和信用のJがこれを受領し、後楽園ファイナンスの担当者とともに、同銀行本店にある大和信用名義の貸金庫に入れて保管する。<8>担保株式が売却された場合には、副部長の立会いの下で、大和信用のJ及び後楽園ファイナンスの担当者が右貸金庫から担保株式を取り出して、Hに返還し、同人はこれを証券会社に持ち込み、その売却代金で融資の返済をする。

(三)  こうして、前記三〇億円の極度貸出への切替えの後、大和信用からGに対する甲野ビル名義宛の有価証券取引資金の融資は、平成五年五月一四日から平成八年九月六日まで、合計八〇回(複数の融資申込みがあっても、同じ日に実行されたものは一回と数える。)に及び、貸出額は総額二〇七億九〇〇〇万円にのぼり、この資金は、Gが大手四大証券会社を介して行う有価証券取引資金として使われた。

なお、右極度貸出の中には、大和信用が自己資金で甲野ビルへ融資したものや、後楽園ファイナンスが自己資金を大和信用に融資して、これを大和信用が甲野ビルに融資したものも含まれており、これを除いた茅場町支店の大和信用の当座貸越枠又は後楽園ファイナンスの極度貸付枠を用いたものは、計六三回であって、本件公訴事実は、このうち平成六年七月七日以降になされた五二回分であることが認められる。なお、同銀行から後楽園ファイナンスへの極度貸出は、平成五年五月一三日以後、同年一二月二七日、平成六年一二月二二日、平成七年一二月二五日、平成八年九月二四日にそれぞれ更新され、一方、後楽園ファイナンスから大和信用への極度貸出は、平成五年五月一三日以降、平成六年五月一一日、平成七年五月九日、同年一一月一〇日、平成八年五月一日、同年一一月一一日にそれぞれ更新されている。

8(一)  平成五年七月一六日、総務部総括次長がDからEに交代したが、Dは、同年八月中旬ころ、Eに対し、手書きの引継ぎメモに基き、口頭で、第一勧業銀行からGに対する直接融資が大幅に担保割れしている上、その支払いが延滞していること、本件融資を開始するに至った経緯、本件融資の仕組み、手続の流れ、総括次長がこれに立ち会うことになっていること、本件融資については、同銀行が責任を負い、大和信用に迷惑をかけない旨の約束がなされていること及び現在も本件融資が継続していること等を説明した。Eは、これに基き、それ以後総括次長(平成六年五月一七日以降は、副部長。)の任から外れるまで、本件融資において、手続の立会い等を行った。

(二)  平成五年一〇月ころに、後楽園ファイナンスの本店が移転し、大和信用の事務所から遠くなったのを機に、大和信用のJは、本件融資の事務の繁雑さや利ざやの少なさ等を理由として、Eに本件融資の打切りを要請したが、Eは、本件融資の継続を強く要請し、その結果、融資を継続する代わりに、担保株券等を総務部が自ら保管することになった。また、平成五年一二月末又は平成六年一月初めころ、JがEに対し、これからは、茅場町支店の大和信用名義の当座貸越枠に余裕がある場合には、甲野ビル名義宛融資についても右当座貸越枠から資金調達することにしたいと申し入れたところ、Eがこれを了承したので、平成六年一月から、そのような方法がとられることになった(本件公訴事実にかかる融資のうち、判示別表記載番号第四三の融資は、第一勧業銀行営業第二部、後楽園ファイナンスの極度貸出枠から資金調達されたものであり、同第四〇ないし同第四二の融資は、当初は茅場町支店の大和信用名義の当座貸越枠から資金調達されたが、前記同第四三の融資を行う際に、第一勧業銀行営業第二部、後楽園ファイナンスの極度貸出枠からの借入れに切り替えられたものであり、その他の融資については、すべて前記茅場町支店の当座貸越枠から資金調達されたものであった。)。

(三)  平成六年九月中旬ころ、総務部長のC、同副部長のEと審査担当役員のL、S(平成六年五月二六日、審査担当役員のQが副頭取に昇格したため、後任の審査担当役員に就任していた。)との間で、来るべきMOF検の対策について協議がなされた。まず、Eが、Lの指示によりEが作成した「G氏関連貸出状況」と題する書面及び「過去のMOF検(H2・10)・日銀考査(H3・9)状況」で始まる書面により、G関連融資の状況について説明した。その上で、<1>甲野ビル名義宛の有価証券取引資金融資については、株価下落が原因で不良債権となった旨説明することが可能であるから、検査対象とする。<2>甲野ビル名義宛のゴルフ場関連融資一五億九〇〇〇万円については、ゴルフ場開発についての県知事の認可がようやく下り、融資の回収の可能性が出てきたこと及び同融資が不良債権として分類されると、第一勧業銀行が総会屋向け融資をしていることが発覚するため、H名義宛の融資に移し替えて、延滞利息分を大和信用を介してH名義宛に迂回融資し、延滞を解消した上で、検査対象から外す。<3>右迂回融資については、MOF検終了後に第一勧業銀行が肩代わりして直接融資に切り替える、という方針が決められた。そして、Cらは、平成六年九月中旬ころ、副頭取のQ並びに審査担当役員のL及びSに対し、Eの作成した「(株)甲野ビルディング・Hの貸出の対応方針」と題する書面を提示し、右方針につき、それぞれから了承を得、さらに、総務部担当役員のAにもこれを報告し、その了承を得た。この際、Cらは、L、S及びAに対し、本件融資を今後も継続する方針である旨諮ったところ、それぞれの了承を得た。

前記方針に基き、同年九月三〇日、甲野ビル名義宛ゴルフ場関連融資一五億九〇〇〇万円のH名義宛への付替え及び第一勧業銀行から大和信用を介した甲野ビル名義宛の六億一六〇〇万円の迂回融資(これは、完全な無担保融資であった。)が実行された。そして、MOF検終了後の同年一〇月三一日、右迂回融資について、同銀行が甲野ビル名義宛に同額を融資して、これを大和信用に返済させ、同銀行がこの融資を実質的に肩代わりした。なお、同年一〇月に行われたMOF検の結果、甲野ビル名義宛の有価証券取引資金の直接融資については、分類査定されたため、平成七年三月に有税間接償却された。

(四)  平成六年六月ころ、Gは総務部副部長のEに対し、山一證券での株式先物取引の資金を融資するよう要請した。Eは、本件融資が、元来持込み担保でなされる約束であったため、これに難色を示したが、最後にはこれに応じ、六回にわたり、右先物取引資金として、茅場町支店の大和信用名義当座貸越資金から、融資が行われた(うち一回は、融資金の一部について先物取引の資金に使われたものである。)。また、平成七年二月ころ、Gは、野村證券での証券先物取引資金の融資を要請したが、Eは、前回にもまして難色を示した。そこで、Gは、野村證券の担当者を同行させてEに対して融資を迫り、Eも最終的にはこれに応じた。

本件融資については、大和信用の要請により、同社の決算対策上、毎年度末には、一旦残高を零にする旨取り決められていたが、平成六年三月末には、これが履行されなかったため、大和信用は、平成七年三月末に、これを履行するよう強く求めた。そこで、Eは、Gに対して、同年三月下旬には本件融資を全額返済するよう強く要請し、Gは、これに応えて、同月二四日に一旦本件融資の全額を返済した。

(五)  平成七年二月二四日、副頭取のQが退任して後任にLが就任し、同年四月一〇日には、Sが審査担当から外れ、後任にTが就任し、総務部担当役員のAが退任し、同年五月二五日には、Lが審査担当から外れ、後任にBが就任し、Cが総務部担当役員に就任した。

C及びEは、新しい審査担当役員に本件融資の継続の承認を受けるため、同年六月中旬ころ、T及びBに対し、Eの作成した前記「G氏関連貸出状況」と題する書面及び「(株)甲野ビルディング・Hの貸出の対応方針」と題する書面により、第一勧業銀行とK、Gとの関係、G関連の直接融資の状況、本件融資の開始に至る経緯及び前年のMOF検対策について説明した上、本件融資をとりあえず平成七年度については継続する方針である旨諮ったところ、T及びBは、やむを得ないとしてこれを了承した。

(六)  平成七年六月二九日、総務部副部長がEからFに交付した。Fは、副部長発令直前に主任調査役として総務部に着任し、Eから、同人の作成した総務部長の引継ぎ用の書面によって、Gとの対応の方法、G関連の直接融資の状況、本件融資の状況、本件融資手続における副部長の役割、本件融資をとりあえず平成七年度は継続した上、平成八年度については再検討する方針であること等について説明を受け、本件融資について引継ぎを受けた。Fは、これに基き、その着任以降の本件融資について、融資手続に立ち会うなどして、関与した。

(七)  平成七年七月一七日、総務部長がCからDに交付したが、Dは、前記E作成の総務部長引継ぎ用の書面によって、前記同様の事項につき説明を受け、本件融資について引継ぎを受けた。Dは、そのころ、たまたま本店に来ていたGから、「甲野ビルへの融資を引き続きお願いします。」とあいさつされ、本件融資が現在も継続していることを確認した。

(八)  総務部では、平成八年に行われることが予想されていた日本銀行による考査(以下「日銀考査」という。)において、第一勧業銀行のGに対するH名義宛の融資について検査対象とするかについて検討していた。平成七年一〇月ころ、総務部長のDと同副部長のFは、日銀考査では、右Gへの直接融資を検査対象とすること及び本件融資を平成八年度も継続する方針で審査担当役員と協議することを決め、その旨総務部担当役員のCに報告し、その了承を得た。

DとFは、審査担当役員のTとBに対し、F作成の書面により、G関連の直接融資の状況、これまでのMOF検及び日銀考査に対する対応等につき説明し、協議の結果、平成八年の日銀考査においては、G関連の直接融資については、全部を検査対象とすることを決めた。また、Dらは、本件融資を平成八年度も継続したい旨諮ったところ、T及びBは、これをやむを得ないとして了承した。

(九)  その後、平成八年四月一日、Rが会長を退任し、Pが頭取から会長に昇格し、副頭取のLが退任して、後任にTが昇格し、総務部担当役員のCが退任した。本件融資は、平成八年九月六日まで続けられた。

三  以上の認定事実を前提にすると、以下の点が指摘できる。

1  本件融資に先立つ個別貸出は、Gの有価証券取引資金の融資として、G本人から総務部に要求がなされ、第一勧業銀行内でその対応について検討がなされたものであるが、同銀行からGに対する甲野ビル名義宛又はH名義宛の直接融資は、平成四年九月時点で、残高が約九〇億円という巨額にのぼり、かつ、返済が大幅に延滞していた上、担保割れも著しく、回収不能が見込まれていたため、通常では追加融資をなし得ない状況にあった(なお、Aの弁護人は、本件融資の相手方は、法律上甲野ビルであって、第一勧業銀行の株主であるGではないと主張するが、前記認定した経緯からすれば、前記個別貸出及び本件融資が、そもそもGが自らの有価証券取引資金の融資を要求したことから始まっていること、前記個別貸出を決定するにあたり、Kが、Gに対する融資であることを前提として同銀行関係者に働きかけをしていること、重要事項の決定に際しては、要所要所でGを相手方として、了解を求めたり、報告していたりしていたこと及び融資を受けた資金を現にGが自らの有価証券取引資金として使用していたことが認められ、また、甲野ビルが実体のない会社であること、G自身はもちろん同社の代表取締役であるHもこれを十分認識し、本件融資がGに対する融資であることを前提として融資手続を行っていたこと等も認められるのであって、これらの各事実からすれば、本件融資が、甲野ビル名義宛でのGに対するものであったことは明らかであるから、右弁護人の主張は採用できない。)。

しかし、Gは、同銀行にとって与党総会屋であり、同人の要求を断れば、同人が株主総会において敵対的行動に出ることが予想された上、同銀行に対して強い影響を持っているKが、Gの依頼を受けて、直接同銀行の会長、頭取に対して口添えをし、会長、頭取がGへの右融資を了承し、指示したことから、同銀行において、総会屋対策として、別会社を介する融資、すなわち、迂回融資の方法によってでもこれを実現しなければならないものとなった。

2  本件融資に先立つ個別貸出は、第一勧業銀行総務部が、右のような会長、頭取の意向を受け、審査担当役員と協議して融資方法を決定し、総務部長及び総務部副部長が大和信用及び後楽園ファイナンスの了解を得て、実現に至ったものである。

3  大和信用は、総貸付残高が二〇〇億円前後という規模のノンバンクで、しかも、本件融資の全期間を通じて、再建途上にあったから、本件融資のような極度額三〇億円という規模の融資を自ら継続して行う資力はなく、もとより回収不能の危険を負担する能力もなかった。また、本件融資は、融資により購入した有価証券をそのまま担保として徴求する持込み担保の形式によるものであり、当時の株式市況からすれば、担保割れに陥る危険性が高く、かつ、融資の返済自体も延滞する危険性が高かったものであり、他方、本件融資により大和信用の得る利ざやは、通常の紹介融資に比べて低利の年利一パーセントにすぎず、大和信用が本件融資を自らの危険において行うメリットは極めて乏しかった。

4  大和信用の前記了解に至るまでには、当時の総務部総括次長のDが、大和信用のIに対し、大和信用には迷惑をかけない旨述べて、甲野ビル名義宛の融資への協力を要請したところ、Iは、納得せず、これを一旦拒否したが、その後、当時の総務部長のCが、融資に関して、「第一勧業銀行が責任を負い、大和信用には絶対に迷惑をかけない」旨約束したため、ようやくIが融資への協力を承諾したという経緯があった。そして、Iの承諾を得た後、Cらは、審査担当役員のLらに本件融資において大和信用に一切迷惑をかけない旨約束したことを報告したが、Lらはこれについて一切異議を唱えることなく了承した。

5  極度貸出枠内における個々の融資の手続をするに当たっては、大和信用及び後楽園ファイナンスの担当者と共に、同銀行の総務部副部長が必ず立ち会うこととされ、現に、副部長は、都合がつかないときを除いて、毎回右融資手続に立ち会っていたのであり、また、融資に際して徴求された担保株券又はその預り証も、平成五年一〇月ころからは、総務部が管理していた。大和信用及び後楽園ファイナンスの各担当者は、副部長からの要請を待って、それぞれ融資手続を行っていたにすぎなかった。

なお、大和信用においては、融資に関してGと交渉した事実はなく、また、甲野ビルの営業実態、財務内容等については何ら調査もしていなかった。

6  本件融資の開始後は、審査担当役員の交代があれば、その都度、総務部長及び副部長が新しい役員に本件融資の趣旨及び内容について説明し、その継続の承認を得ていた。さらに、同銀行の各内部報告文書には、同銀行の他のG関連融資と並んで本件融資についても明記されている。

7  大和信用からGに対する甲野ビル名義宛融資の原資は、現にそのほとんどが第一勧業銀行茅場町支店の大和信用名義当座貸越資金又は同銀行から後楽園ファイナンスへの極度貸出資金であり、同銀行において資金手当をしているものである(なお、Dの弁護人は、本件起訴にかかる融資以外に、<1>大和信用の自己資金により又は<2>後楽園ファイナンスの自己資金を原資として甲野ビルに融資している場合もあるとして、同銀行は大和信用にとっての単なる資金調達先の一つにすぎないと主張するが、右<1><2>のような資金手当方法は、たまたまそのような方法が可能であった場合に取られたにすぎず、その回数、金額などからして例外的な事象にすぎないといえるから、かかる一事象をもって、本件融資の全体の性質を左右するものではない。)。

8  第一勧業銀行は、本件融資のほかに、これまでにも、G向け融資に際して、直接融資が困難と判断した場合は、大和信用を介した融資を実施したことがある(<1>平成二年三月一五日付けのG本人名義宛の四億四〇〇〇万円のマンション購入資金の融資<2>平成二年一一月二八日付けゴルフ場関連の甲野ビル名義宛一六億六〇〇〇万円の融資<3>平成六年実施のMOF検に先立ち、右<2>の融資を検査対象から外す工作を取った際に、利息の追貸しとしてなされた平成六年九月三〇日付けの甲野ビル名義宛六億一六〇〇万円の融資)。そのうち、<2>については、後に同銀行がG側に対して元本に延滞利息を含めた額を融資することによって、実質的に同銀行が大和信用の甲野ビル名義宛債権を肩代わりしており、かつ、本件融資の継続中になされた<3>についても、その実行の際になされた大和信用側との約束に基づき、その後に前同様の方法で第一勧業銀行が債権を肩代わりしている。

四  右諸事情を総合すれば、本件融資の性質は、第一勧業銀行がGに対し、甲野ビル名義宛に大和信用を介して行った迂回融資であり、かつ、その返済の延滞等によって発生した損失は最終的に同銀行に帰属させ、大和信用に経済的損失を負わせない仕組み、すなわち、右融資につき同銀行が実質的に債務保証する仕組みといえるから、同銀行の計算においてなされたものと認められる(なお、被告人A、同B及び同Fの各弁護人は、右「実質的債務保証」を民法上の保証契約と促えて、そのような契約が成立したのであれば、銀行実務上契約書等の書面の作成及び書面による禀議等の手続が当然にとられるはずであるのに、これらがなされていないことからすると、右保証契約は有効に締結されたとは認められない旨主張するが、「実質的債務保証」とは、右の意味に限定されるものではなく、前記のように甲野ビルが返済を延滞することによって発生した損失を最終的に第一勧業銀行に帰属させる仕組みをいうものと理解できるから、弁護人の主張は前提を欠く上、そもそも本件が総会屋であるGに対する融資であり、同銀行としては、表面化させたくない案件であることからすれば、契約書の作成や書面による禀議等の通常の手続を行い得なかったものといえるから、弁護人の主張は理由がない。)。

五  次に、被告人らの主観的認識の点について検討するに、前記諸事情からすれば、被告人らにおいて、本件融資が、実質的にみて、第一勧業銀行がGに対し、甲野ビル宛に大和信用を介して行う迂回融資であること及びそれによって発生した損失が最終的に同銀行に帰属するという仕組みであること、すなわち、同銀行の計算においてなされることを認識して、これに関与したことを強く推認させる。

加えて、被告人らは、捜査段階において、本件融資が第一勧業銀行の計算においてなされたものであることを認める供述をしているところ、いずれも、供述内容が具体的かつ詳細で、不自然不合理な点は見られない上、本件融資について記載のある同銀行の内部報告文書(平成六年MOF検対策の策定に際してEの作成した「G氏関連貸出状況」と題する書面、「過去のMOF検(H2・10)・日銀考査(H3・9)状況」で始まる書面及び「(株)甲野ビルディング・Hの貸出の対応方針」と題する書面、同人作成の総務部長の引継ぎに関する書面並びにFの作成した日銀考査対策についての書面等)に符合しているばかりか、被告人ら以外の同銀行関係者、大和信用及び後楽園ファイナンスの関係者、G、Hらの供述とも合致しており、その信用性を認めることができる。

これに対して、被告人らの当公判廷における供述は、いずれも、前記認定にかかる各被告人の本件融資への関与態様を概ね認めながら、本件融資が第一勧業銀行の計算においてなされたことのみを否認するというもので、それ自体不自然さを免れない上、当公判廷において供述を変遷させるに至った理由にも合理的な根拠はなく、関係者らの供述とも矛盾しているのであって、信用できない。

右によれば、被告人らにおいて、本件融資が第一勧業銀行の計算においてなされるものであることを認識していたことが認定できる。

六  以上の次第であるから、各弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

以下、「改正前の刑法」とは、平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前の刑法を、「改正前の商法」とは、平成九年法律第一〇七号による改正前の商法を、それぞれ指すものとする。

被告人Aについて

1  罰条

判示別表記載番号第一ないし第二〇の所為

いずれも改正前の刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項(行為時は改正前の商法四九七条一項に、裁判時は改正後の商法四九七条一項に該当するが、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による意である。以下同じ。)

2  刑種の選択

いずれも懲役刑

3  併合罪加重

改正前の刑法四五条前段、四七条、一〇条

犯情の最も重い判示別表記載番号第二〇の罪の刑に加重

4  刑の執行猶予

改正前の刑法二五条一項

被告人Bについて

1  罰条

判示別表記載番号第二五ないし第五二の所為

いずれも刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

2  刑種の選択

いずれも懲役刑

3  併合罪加重

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

犯情の最も重い判示別表記載番号第四〇の罪の刑に加重

4  刑の執行猶予

刑法二五条一項

被告人Cについて

1  罰条

(一)  判示別表記載番号第一ないし第二三の所為

いずれも改正前の刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

(二)  判示別表記載番号第二四ないし第三九の所為

いずれも刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

2  刑種の選択

いずれも懲役刑

3  併合罪加重

平成七年法律第九一号附則二条二項前段

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

犯情の最も重い判示別表記載番号第二〇の罪の刑に加重

4  刑の執行猶予

平成七年法律第九一号附則二条三項、刑法二五条一項

被告人Dについて

1  罰条

判示別表記載番号第二七ないし第五二の所為

いずれも刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

2  刑種の選択

いずれも懲役刑

3  併合罪加重

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

犯情の最も重い判示別表記載番号第四〇の罪の刑に加重

4  刑の執行猶予

刑法二五条一項

被告人Eについて

1  罰条

(一)  判示別表記載番号第一ないし第二三の所為

いずれも改正前の刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

(二)  判示別表記載番号第二四の所為

刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

2  刑種の選択

いずれも懲役刑

3  併合罪加重

平成七年法律第九一号附則第二条二項前段

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

犯情の最も重い判示別表記載番号第二〇の罪の刑に加重

4  刑の執行猶予

平成七年法律第九一号附則二条三項、刑法二五条一項

被告人Fについて

1  罰条

判示別表記載番号第二五ないし第五二の所為

いずれも刑法六〇条、改正前の商法四九七条一項

2  刑種の選択

いずれも懲役刑

3  併合罪加重

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

犯情の最も重い判示別表記載番号第四〇の罪の刑に加重

4  刑の執行猶予

いずれも刑法二五条一項

(なお、本件融資にかかる各融資が、G側からの融資申込みに応じて、その都度、第一勧業銀行総務部副部長がその可否を判断した上で行われていることからすれば、各被告人につき、別表記載各番号の融資行為ごとに一罪が成立し、これらは併合罪の関係に立つと解すべきである。)

(量刑理由)

一  本件は、大手都市銀行の役員及び幹部行員であった被告人らが、共謀の上、系列ノンバンクを使って、総会屋に対し、判示のとおり巨額の融資をしたという利益供与の事案である。

二  本件は、総務部関係者や総務部担当役員にとどまらず、審査担当役員、副頭取、更には頭取、会長という最高幹部までも関与した会社組織ぐるみの犯行である上、長期間多数回にわたって反復累行され、融資額も一回につき数千万円から数億円という規模で行われ、これにより総会屋に巨額の金融の利益を受けさせたものであって、本件犯行態様は悪質というほかない。

また、本件は、要するに、株主総会の議事を短時間で平穏に終了させるために、与党総会屋の協力を得る目的で敢行されたものであって、このような目的自体、総会屋との癒着を拡大し、株主総会の運営の健全性を著しく害するものであり、商法の理念を無視した被告人らの行為は、厳しい非難に値する。

さらに、本件は、大手都市銀行である第一勧業銀行が、同銀行の歴代の最高幹部と親交のあったKと長年にわたり不自然極まりない関係を続け、さらには、Kの弟子のGとも不自然な関係を継続させていた過程で惹き起こされたものであり、しかも、Gへ融資された多額の資金によって、証券会社の不祥事をも生じさせたのであって、本件がもたらした社会的影響は誠に大きい。

加えて、被告人らは、本件犯行の発覚を防ぐために組織ぐるみで関係書類を廃棄するなど隠蔽工作を行っており、犯行後の情状も悪い。

三  各被告人ごとの個別の事情について

被告人Aは、総務部担当常務取締役、同専務取締役という総務部門の最高責任者として、G及びKの意向に沿うように融資を実現させるべく、Kと会長、頭取との会食を設営して立ち会い、かつ、会長、頭取の意向を受け、審査担当役員と協議し、同銀行内の意思統一に努め、その結果、本件融資のうち、計二〇回にわたり、合計三七億八二〇〇万円の融資に関与したものであって、その責任は、総務部関係者の中では最も重い。

被告人Bは、審査担当常務取締役、同専務取締役として、融資の可否を決する立場にあり、本件融資の問題点を把握し、その継続について消極的な意見を持っていたにもかかわらず、総務部側の意向を最終的に受け入れ、その結果、計二八回にわたり、合計七三億五一〇〇万円の融資に関与したものであって、その責任は重い。

被告人Cは、総務部長として、被告人Aらと共に、会長、頭取の意向を受け、Gに対する融資を実現させるべく、審査担当役員との協議及び大和信用との交渉等を行って、融資を実現させ、その結果、総務部長及び総務部担当常務取締役として、本件融資のうち、計三九回もの多数回にわたり、合計八八億七九〇〇万円もの多額の融資に関与したものであって、総務部関係者としては、被告人Aに次いで、その責任は重い。

被告人Dは、総務部総括次長として、Gと直接交渉し、同人に対する融資を実現させるべく、Kとの会食を設営し、かつ、会長、頭取の意向を受け、審査担当役員との協議及び大和信用との交渉等を行って融資を実現させ、具体的な融資手続にも立ち会い、また、総務部長に着任した後も、本件融資を継続させ、その結果、本件融資のうち、計二六回にわたり、合計七〇億二八〇〇万円の融資に関与した上、関係書類の廃棄等の罪証隠滅工作にも関わるなど、終始総務部における実務担当者として中心的に関与したものであって、その責任は被告人Cと共に重い。

被告人Eは、被告人Dの後任の総務部総括次長若しくは副部長として、本件融資の問題点を十分に把握しながらも、融資の継続に努め、Gらと直接接触し、具体的な融資手続に立ち会うなどし、その結果、本件融資のうち、計二四回にわたり、合計四四億三一〇〇万円の融資に関与したものであって、その責任は被告人Dに次いで重い。

被告人Fは、総務部副部長として、本件融資の問題点を十分に把握しながら、融資の継続に努め、具体的な融資手続に立ち会うなどし、その結果、本件融資のうち、計二八回にわたり、合計七三億五一〇〇万円の融資に関与した上、関係書類の廃棄等の罪証隠蔽工作にも関わっており、その責任は被告人Eと同様に重い。

四  しかし、本件融資の発端は、長年第一勧業銀行の与党総会屋として活動してきたGが、自らの地位、影響力を利用して総務部に対して融資を強く要求してきたことにあること、審査担当役員が一旦はGの申出を拒否したにもかかわらず、同人の意を受けたKの口添えによって、会長、頭取がこれを覆したものであって、その意向が大きく影響したため、被告人らにおいて反対しにくく、そのため長期間継続したという側面は否定できないこと、本件起訴に係る融資は、その多くが返済又は担保株式の処分などにより回収されていること、被告人らは、いずれも、本件を除けば、これまで第一勧業銀行の役員、行員として、真面目に働いてきたのであり、本件についても私的に利得等は得ていないこと、被告人らは、いずれも、当公判廷において、本件により社会に迷惑をかけた旨反省の言葉を述べていること、被告人らは、いずれも、本件によりその職を失うなど既に社会的制裁を受けていること等、被告人らのために酌むべき事情も認められる。

五  以上の諸事情を総合考慮すれば、被告人らには、主文のとおりの刑を科するのが相当である。

(検察官渡辺咲子、同永村俊朗

被告人Aの私選弁護人田中清、同敷田稔

被告人B及び同Fの私選弁護人金森仁

被告人Cの私選弁護人国生肇

被告人Dの私選弁護人五木田彬

被告人Eの私選弁護人辻嶋彰

各出席)

(求刑 被告人A及び同Bに対しいずれも懲役八月

被告人C、同D、同E及び同Fに対しいずれも懲役六月)

(別紙)(省略)

(裁判長裁判官 木村 烈 裁判官 久保 豊 裁判官 柴田雅司)

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