東京地方裁判所 平成9年(行ウ)81号 判決 2000年9月27日
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が、昭和五九年四月三日付けで原告に対してした療養補償給付及び休業補償給付を不支給とする旨の処分を取り消す。
第二事案の概要
本件は、航空会社の客室乗務員である原告が、原告に発症した頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害、腰痛は業務上の疾病であるとして、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付及び休業補償給付を請求したが、被告がこれを不支給とする旨の処分をしたため、その取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実等(証拠によって認定した事実は、末尾等に証拠を摘示した。)
1 原告の業務及び疾病の発症等
(一) 原告(昭和二八年五月二四日生の女性である。)は、昭和四九年一月一六日に日本航空株式会社(以下「日本航空」という。)の客室乗務員として採用され、同年四月一日から国内線スチュワーデスとして乗務を開始し、昭和五二年四月一日にアシスタントパーサーに昇格後(乙一〇の2)、昭和五二年一一月から昭和五三年一一月まで国際線に乗務し、同年一二月一日から再度国内線で乗務した。
なお、客室乗務員とは、右の会社が任命したチーフパーサー、パーサー、アシスタントパーサー、スチュワード、スチュワーデス及び訓練生をいう(乙一〇の1)。
(二) 原告は、昭和五五年一一月二八日、医療法人社団嘉美会c医院で受診し、「頸肩腕症候群」と診断され、同日から昭和五六年一月一二日まで治療を受けていたが、同年一月二三日医療法人社団健康文化会小豆沢病院(以下「小豆沢病院」という。)に転医受診したところ、「過労性腰痛症・過労性頸肩腕障害」と診断され、治療を受けた。
(三) 原告は、昭和五五年一一月二八日から昭和五六年五月一〇日まで休業した。
2 原告の補償給付請求と被告の不支給処分
(一) 原告は、昭和五七年一〇月二九日、被告に対し、昭和五六年一月二三日から同年四月一〇日までの移送費及び同年四月一一日から昭和五七年二月二八日までの移送費について療養補償給付を、昭和五六年一月二三日から同年五月一〇日までの休業について休業補償給付を、それぞれ請求した。
原告は、さらに、昭和五七年一一月二五日、被告に対し、昭和五五年一一月二八日から昭和五六年一月二一日までの療養費及び移送費について療養補償給付を、昭和五五年一一月二八日から昭和五六年一月一二日までの休業について休業補償給付を、それぞれ請求した。
右の各請求について、被告は、昭和五九年四月三日付けで原告に対し、原告の疾病は業務上の疾病とは認められないとして、原告の請求に係る療養補償給付及び休業補償給付を全部不支給とする旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
(二) 原告は、本件処分を不服として、東京労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、平成五年一二月二八日付けで審査請求を棄却する旨の決定をした(同決定は、平成六年一月七日原告に到達)。
(三) 原告は、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成八年一一月六日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決をした(同裁決は、同年一二月二六日原告に到達)。
このため、原告は、平成九年三月二一日、本訴を提起した。
二 関係法令の定めの概要
1 労災保険法
労災保険法による保険給付は、労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡(以下「業務災害」という。)に関する保険給付等とされ(同法七条一項)、そのうち業務災害に関する保険給付として、療養補償給付、休業補償給付等がある(同法一二条の八第一項)が、これらの保険給付は、労働基準法(以下「労基法」という。)七五条から七七条までと七九条及び八〇条に規定する災害補償の事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者等に対し、その請求に基づいて行うとされている(労災保険法一二条の八第二項)
2 労基法
(一) 労基法の定める災害補償の事由は、療養補償の場合は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合であり(同法七五条一項)、休業補償の場合は、同法七五条の規定による療養のため、労働することができないために賃金を受けない場合であって(同法七六条)、同法七五条一項に規定する業務上の疾病及び療養の範囲は命令で定めることとされている(同法七五条二項)。
(二) これを受けて労基法施行規則三五条は、労基法七五条二項の規定による業務上の疾病は、別表第一の二(以下、単に「別表」という)に掲げる疾病とするとし、別表では、次のとおり規定している。
「(前略)
三 身体に過度の負担のかかる作業態様に起因する次に掲げる疾病
(中略)
2 重量物を取り扱う業務、腰部に過度の負担を与える不自然な作業姿勢により行う業務その他腰部に過度の負担のかかる業務による腰痛
(中略)
4 せん孔、印書、電話交換又は速記の業務、金銭登録機を使用する業務、引金付き工具を使用する業務その他上肢に過度の負担のかかる業務による手指の痙攣、手指、前腕等の腱、腱鞘若しくは腱周囲の炎症又は頸肩腕症候群
5 1から4までに掲げるもののほか、これらの疾病に付随する疾病その他身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に起因することの明らかな疾病」
3 通達(甲三九、四〇の2、3、乙六ないし八、九の1、2)
(一) 労働省労働基準監督局長は、別表第三号の2の業務上腰痛の認定基準について、昭和五一年一〇月一六日付け基発第七五〇号通達(以下「腰痛通達」という。)により、災害性の原因によらない腰痛につき、「重量物を取り扱う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に従事する労働者に腰痛が発症した場合で当該労働者の作業態様、従事期間及び身体的条件からみて、当該腰痛が業務に起因して発症したものと認められ、かつ、医学上療養を必要とするものについては、別表第三号2に該当する疾病として取り扱う。」とし、同通達では次のとおり解説している。
「災害性の原因によらない腰痛は次の(1)及び(2)に類別することができる。
(1)腰部に過度の負担のかかる業務に比較的短期間(おおむね三カ月から数年以内をいう。)従事する労働者に発症した腰痛
イ ここにいう腰部に過度の負担のかかる業務とは、次のような業務をいう。
(イ) おおむね二〇キログラム程度以上の重量物又は軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務
(ロ) 腰部にとって極めて不自然ないしは非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務
(ハ) 長時間にわたって腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務
(ニ) 腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務
ロ 腰部に過度の負担のかかる業務に比較的短期間従事する労働者に発症した腰痛の発生機序は、主として、筋、筋膜、靭帯等の軟部組織の労作の不均衡による疲労現象から起こるものと考えられる。
したがって、疲労の段階で早期に適切な処置(体操、スポーツ、休養等)を行えば容易に回復するが、労作の不均衡の改善が妨げられる要因があれば療養を必要とする状態となることもあるので、これらの腰痛を業務上の疾病として取り扱うこととしたものである。
なお、このような腰痛は、腰部に負担のかかる業務に数年以上従事した後に発症することもある。
(後略)」
(二) 労働省労働基準監督局長は、上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について、昭和五〇年二月五日付け基発第五九号通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」により指示していたが、平成九年二月三日付け基発第六五号通達「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(以下「上肢作業通達」という。)によりこれを改めた。
上肢作業通達の概要は、次のとおりである。
ア 認定基準
<1> 対象とする疾病
対象とする疾病は、上肢等に過度の負担のかかる業務によって、後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指に発生した運動器の障害(以下上肢障害という)であり、上肢障害の診断名の代表的なものの一例として頸肩腕症候群を上げている。
<2> 認定要件
次のいずれの要件も満たし、医学上療養が必要であると認められる上肢障害は、別表第三号の4又は5に該当する疾病として取り扱うこと。
(イ) 上肢等に負担のかかる作業を主とする業務に相当期間従事した後に発症したものであること。
(ロ) 発症前に過重な業務に就労したこと。
(ハ) 過重な業務への就労と発症までの経過が、医学上妥当なものと認められること。
イ 認定要件の運用基準
<1> 「上肢等に負担のかかる作業」とは、次のいずれかに該当する上肢等を過度に使用する必要のある作業をいう。
(イ) 上肢の反復動作の多い作業
(ロ) 上肢を上げた状態で行う作業
(ハ) 頸部、肩の動きが少なく、姿勢が拘束される作業
(ニ) 上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業
<2> 「相当期間」とは、原則として六か月程度以上をいう。
<3> 「過重な業務」とは、上肢等に負担のかかる作業を主とする業務において、医学経験則上、上肢障害の発症の有力な原因と認められる業務量を有するものであって、原則として、「同一事業場における同種の労働者と比較して、おおむね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前三か月程度にわたる場合」又は「業務量が一定せず、例えば、
(イ) 業務量が一か月の平均では通常の範囲内であっても、一日の業務量が通常の業務量のおおむね二〇パーセント以上増加し、その状態が一か月のうち一〇日程度認められるもの
(ロ) 業務量が一日の平均では通常の範囲内であっても、一日の労働時間の三分の一程度にわたって業務量が通常の業務量のおお
むね二〇パーセント以上増加し、その状態が一か月のうち一〇日程度認められるものに該当するような状態が発症直前三か月程度継続している場合」に該当するものをいう。
三 争点
原告の疾病が業務上の疾病、すなわち業務に起因して発症した疾病といえるか。
(原告の主張)
1 業務と疾病との因果関係についての判断のあり方
(一) 労基法、労災保険法等が採用する法定補償制度は、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき最低労働条件」(労基法一条)を確保して、被災労働者とその家族の生活を保障することを目的とする法定救済制度であって、損害のてん補それ自体を目的とするものでなく、社会に発生した損害を公平にてん補することを目的とする損害賠償制度とは制度目的を異にするものである。
(二) 損害賠償制度においては、加害行為と損害との間の因果関係について相当因果関係説が採用されているが、これは、損害賠償制度が加害者と被害者の立場の交換可能性を前提とするため、加害者保護も考慮する必要があり、救済対象を通常の場合に生ずべき損害、すなわち相当因果関係のある損害に限定することに客観的合理性を肯定することができるからである。
これに対し、法定補償制度では、立場の交換可能性が全くないから、損害賠償制度の救済対象の範囲よりも救済対象を拡大する必要性及び合理性があり、右(一)の法定補償制度の目的に照らせば、業務上の疾病とは、業務と合理的関連性のある疾病と解するのが相当であり、その有無は、労働者保護の見地から、当該疾病について法定補償制度による法的救済を与えることが合理的な否かの総合的な実質判断により決定されるべきである。
本件のような非災害性の職業性疾病については、<1>当該職業性疾病の発症等に悪影響を及ぼす危険のある業務に従事していた労働者であること、<2>当該労働者に職業性疾病が発症等したこと、<3>当該業務への従事と当該疾病(その基礎疾患を含む。)の発症、増悪、軽快、再発などの推移の関連性が一般経験則上推定されること(右関連性が医学的に証明される必要はない。)、との要件を充たせば、業務と合理的関連性があり、業務上の疾病と認定するのが相当である。
(三) 仮に業務と疾病との間の因果関係について相当因果関係説を採用するとしても、前記の法定補償制度の目的からすれば、相当因果関係があるというためには、疾病の原因が業務遂行を唯一の原因であるとする必要はなく、業務と疾病との間に条件関係があるだけでは足りないが、疾病の複数の競合する原因のうち、業務が共働原因であることを要し、かつ、これで足りると解すべきである。
そして、業務が共働原因であったかどうかは、医学的知見も一つの有力な資料としつつ、発症等に関する一切の事情を考慮し、一般経験則上当該業務が当該労働者に当該疾病を発症等させる危険がある性質のものであり、当該業務への従事期間が相当期間にわたる場合には、当該業務が発症等の共働原因をなしていると推定するのが合理的である。
(四) また、法定補償制度は、業務に内在した危険が現実化した被災者の損失をてん補する制度であるから、右の制度目的に照らし、業務上の疾病とは、その原因が複数存在する場合であっても、業務に内在する危険が現実化して発症の結果を招いたと認められれば、相当因果関係が肯定されると解すべきである。そして、業務に内在する危険が現実化したかどうかは、条件関係が肯定されれば、当該労働者が当該業務に就労するにつき、業務の内容、性質等に照らし、これを遂行することができるだけの心身の健康状態、能力等の適格性を有していたか否かを判断し、当該労働者が当該業務に就労するにつき右適格性を有していたにもかかわらず、当該業務に従事して疾病を発症等した場合には、当該業務と当該疾病との間に相当因果関係を肯定するのが相当である。
2 原告の業務と疾病との間の因果関係について
(一) 原告の従事した業務の内容
原告の従事した客室乗務員の業務は、航空機搭乗前の出発準備と点検、航行中の機内作業、着陸後の作業と多岐にわたるが、そのうち疲労が生じるのは、主に旅客搭乗から旅客降機までの航空機内の作業であり、旅客の手荷物の収納棚への収納、飲み物のサービス準備、おしぼりの配布、飲み物の配布が最も疲労が生じる作業であるが、旅客搭乗前の点検作業(保安用機材、機内設備、旅客座席設備、毛布、枕、補助テーブルなどの機内備品、サービス用搭載品、客室全体の清掃状況等の点検)、新聞・雑誌、枕・毛布などの配布、食事サービス、新聞・雑誌の回収、再配布、旅客の忘れ物の点検、旅客の搭乗・降機の援助等の作業も客室乗務員の腰部や頸肩腕部に疲労を生じる作業である。
次の(二)ないし(四)のとおり、これらの業務及びその繰り返しは、作業ごとに態様は異なるものの、間断なく行われるそれぞれの作業が、労働環境と相まって、精神的緊張を伴い、肉体的にも疲労度の高いものであり、不自然な姿勢で他律的に腰部や頸肩腕部等の瞬発的な筋力を要する作業も多いといった態様のものであるから、腰部及び頸肩腕部にかなりの負担のかかる状態で行う作業に当たる。
(二) 作業による腰部への負担
(1) 客室乗務員は、航空機内での作業空間が狭いため、おしぼり・飲み物・食事のサービス時に、体幹から離れた位置で姿勢を保持しながらしなければならない。また、おしぼり籠、ポット、飲み物入りの紙コップの乗ったトレイ(小型のお盆)等を持って通路を歩行する際、重心を移動するため腰筋の静的緊張は持続し、単なる直立歩行より腰部への負担は大きい。しかも、動揺する狭い通路を歩くことそれ自体による腰部負担もこれに加重する。すなわち、客室乗務員は、乗客の肘や肩にぶつからないようにするため、上肢をすぼめる形で物を保持し、歩行姿勢は堅く、躯幹をやや斜めにして腰を捻るのであり、これは腰部に「回転モーメント」が加わることによる負担を生じる。
(2) 国際線のギャレー(調理場)内で中腰で行われる「アントレつけ」(オーブンで加熱した肉類の入った器をカートの中のトレイに分配する作業)は、腰部への負担が特に大きい。この場合、客室乗務員は、躯幹を前傾させて重心を前方へ移動するので、腰部にかかるモーメントは大きくなる。しかも、この作業は、乗客へのサービスのタイミングやオーブンでの加熱の具合を見計らって集中的に行わざるを得ず、中腰のまま腰筋の静的緊張状態を持続させるため、筋痛が容易に発現する。
(3) 客室乗務員は、紙コップヘの飲み物分注作業でも、上肢から肩甲帯にかけての負担のみならず、ポットを躯幹からある程度離して保持するため重心を移動するので、腰背部の静的緊張が生ずる。
(三) 作業による頸肩腕部への負担
(1) 客室乗務員がギャレー内の上方の収納棚での作業や客室内の上部収納庫の開閉を行う場合は、上肢を挙上保持して手を使うため、手や前腕が心臓より数十センチ高いところに来て血液循環が少なくなり、筋は疲労しやすくなって、肩や腕に負担がかかる。
(2) 客室乗務員が、おしぼり、飲み物入りの紙コップの乗ったトレイ、ポット、新聞、週刊誌等を保持して通路を歩きながらサービスする場合、腕と手に静的筋負担が生じる。飲み物サービス時に使用するポットは重く、しかもその把手は角張って大変細いため、強く握ることが要求され、手の痛みを生じやすくする。また、ポットを片手で保持し、残る片手で紙コップに飲み物を注いで乗客の前に紙コップの載ったトレイを差し出し、乗客に紙コップを取ってもらう場合、しばしば乗客が紙コップを取るのに手間取ることがあり、この場合、ポットを持つ上肢もトレイを持つ上肢も静的筋収縮が持続し、時にはその負担は限界に達して上肢が震える。
さらに、トレイの上に飲み物入りの紙コップを数個載せ、腕を伸ばして窓側乗客へ提供する際には、肩や腕にも負担がかかる。
(3) 客室乗務員が紙コップに飲み物を分注する作業をする際、客室乗務員の身長に比べて作業台が高すぎるので上肢の外転が起こり、肩にかかる負担は非常に大きくなる。しかも、繁忙期には、両手にポットを持ち、二個の紙コップに同時に注ぐことがあり、一層肩にかかる負担が増す。
また、国際線では、リカーカートを引いて酒類のサービスを行う場合、カート上のテーブルに必要な物が並べられており、これらの物ごしに、氷をとったり、グラスに酒を注いでかきまぜたりするときは、上腕がほぼ水平となり、これを頻繁に繰り返さなければならず、肩や腕の負担が大きい。
(4) 客室乗務員は、空港やホテルなどの移動の際、ショルダーバッグ(重量約三キログラム)を肩にかけ、重い鞄を持って歩くが、これは肩甲帯への負担が大きく、特にフライト・スケジュールの長い国際線の場合には、旅行鞄が更に重くなるため、肩甲帯の負担が強まるのみでなく、手から前腕にかけての負担や腰部の負担も強まる。
(四) 労働環境の特殊性
客室乗務員の職場は、<1>気圧が低く(富士山の六合目付近)、低酸素・低湿度の環境であること、<2>常に二ないし三度傾斜している床上での作業であること、<3>床面が揺れ、不安定なことが多いこと、<4>働きにくい作業空間の中、中腰など不自然な姿勢での作業が多いこと、<5>重量物の扱いが多いこと、<6>航空機内の騒音が大きいこと、<7>衆人環視の中での作業では精神的緊張を強いられること、<8>離着陸回数が多いこと、<9>短時間内で決められた量の作業を行わなければならないなどの空中勤務ゆえの特殊性に加えて、<10>労働時間が八時間を超える場合も食事・休憩の場所や時間が確保されていないこと、<11>早朝や深夜の不規則勤務が多いこと、<12>一日の勤務が長時間になることが多いこと、などの労働環境の特徴があり、それらが単独ではなく重複して影響を与えることから、客室乗務員の健康へ悪影響を与えるものである。
(五) 原告の従事した業務の過重性について
(1) 原告の従事した客室乗務員の業務内容自体、過重な負担のあるものであり、原告の職場で腰痛や頸肩腕部痛が多発していることはこのことを裏付けるものである。
(2) 昭和五五年一一月現在における客室乗務員の国内線乗務時の労働時間は、別紙(1)のとおりである。なお、乗務時間とはブロックアウト(乗客の搭乗が終了し、ドアが閉じられ、航空機の飛行準備が完了し、車輪止めがはずされること)からブロックイン(航空機が完全に停止し、車輪止めがセットされること)までの時間をいい、勤務時間とは、労使協定上用いられている概念であり、就業時間とは、月間総労働時間規制のために用いられている概念である。客室乗務員は、制服の着用が義務づけられているから、制服の着用時間(三〇分)が労働時間として付加される。
また、デッドヘッド(客室乗務員が業務による移動のため乗務員としての業務を遂行することなく搭乗すること)時も業務命令に基づく移動であり、かつ、非常時には乗務員としての行動が求められるため労働時間に含まれる。国内線デッドヘッド時の労働時間は別紙(2)のとおりである。
さらに、待機勤務も、使用者の指揮監督の下、客室乗務員の予備要員として業務命令があれば直ちに乗務できる状態で待機していることから、その全部が労働時間となる。待機時の労働時間は別紙(3)のとおりである。なお、出社待機は、制服を着用しての待機であり、制服の着脱に必要な時間(三〇分)が労働時間として付加される。
(3) 原告の業務負担は、昭和五四年三月から昭和五五年九月にかけて、次のとおり増加した。
ア 昭和五四年三月の合理化による労働強化
<1> 東京―沖縄線におけるB七四七SR機の客室乗務員が一三名編成から一二名編成へ減員された。
<2> DC一〇型機の座席数が、三一〇席から三二一席に一一席増加した。
<3> 東京―沖縄線における乗務パターン変更により、一日当たりの乗務時間、業務量が増加した(従前は、東京―沖縄、沖縄―東京の日帰り乗務パターンであったのが、変更後は、東京―沖縄、沖縄―東京、東京―札幌(福岡又は大阪)の一泊便パターンとなった。)。
イ 昭和五五年一月から大量の訓練生が配属されたことにより、訓練生の指導をしながらアシスタントパーサーの業務を行わなければならなかった労働強化
ウ 昭和五五年二月及び三月の更なる合理化による労働強化
<1> 昭和五五年二月、B七四七SR機は、座席の前後の間隔を狭めて四九八席から五五〇席に座席数が増加した。
<2> 同年三月、DC一〇機は、通路幅及び座席幅を狭めて一列の座席数が九席から一〇席へと増加し、座席数は三二一席から三七〇席に増加した。
右の各座席数の増加は、対応すべき乗客数が増加したという点で業務量が増加したにとどまらず、通路幅、座席幅、座席前後の間隔が狭くなることで客室乗務員の乗客に対するサービスにおいて、腰背部に過重な負担のかかる作業・動作が増加した。
エ 前記イの大量の訓練生が昭和五五年五月に訓練を終え、同年五月ないし七月に大勢の新人スチュワーデスとして配置されたことにより、自らの業務の遂行と同時に、新人スチュワーデスの指導及び補助を行わなければならなかった労働強化
オ 昭和五五年七月後半からの夏期繁忙期のため、搭乗率が増加し、さらに夏休みで家族連れが多くなり、航空機に乗り慣れていない乗客が増加したことによる労働強化
(4) 原告の発症前約五か月間(昭和五五年七月から同年一一月まで)に従事した業務の詳細は、別紙(4)1ないし5(「就労の明細七月」から「就労の明細一一月」まで)のとおりであり、発症した昭和五五年一一月は就労期間が一か月に満たないこと、同年七月は原告が持ち越しの年次休暇を一括して取得した特殊事情があることから、これらを除いた同年八月から一〇月までの原告の月間平均労働時間は、乗務時間が四六時間一五分、労働時間が一四〇時間二〇分となる。
(六) 原告の症状と業務との対応関係について
(1) 原告は、日本航空入社前は健康体であった。
(2) 原告は、日本航空入社後、昭和四九年四月から昭和五二年七月まで国内線に乗務したが、昭和五〇年一月ころから肩こり、腰のだるさ、疲労感が増強した。
昭和五〇年一一月から昭和五三年一一月までは国際線の乗務をしたが、全身が鉛を背負ったように重く、睡眠不足感は解消されず、意欲低下等の体調不良の状態となった。
昭和五三年一二月からは再び国内線に乗務したが、昭和五五年九月には、慢性化していた肩こり、頭痛、背中・腰・下肢までの重苦しい痛みが増強し、同年一一月には症状はさらに増悪し、<1>左上肢のだるさ、<2>手指のしびれ感、<3>腰痛、<4>左上肢の重い感じという症状が出現した。
(3) 原告は、昭和五五年一一月二五日、高尾整骨院で治療を受けたが、症状の軽減はなく、同月二八日、c医院を受診したところ、「頸肩腕症候群」と診断され、直ちに休業を指示された。
原告は、休業してc医院で治療を受けたが、目立った効果は出ず、昭和五六年一月二三日小豆沢医院を受診したところ、「過労性頸肩腕障害・過労性腰痛症」と診断され、通院治療を継続した結果、次第に痛みが軽減した。
(4) 原告は、昭和五六年五月から業務に復帰し、当初は軽減乗務を行い、昭和五八年三月以降通常業務に復帰したが、以後は休業することなく勤務し、「過労性頸肩腕障害・過労性腰痛症」を再発しなかった。
(5) 原告のc医院受診後の療養経過は、別紙(5)1ないし5「a療養経過詳細」記載のとおりである。
(6) 原告には、「過労性頸肩腕障害・過労性腰痛症」を発症させる個体要因は存在しない。
(7) 以上(1)ないし(6)の原告の業務内容及び発症経過等からすれば、原告の疾病は、国内線及び国際線乗務における労働負担からの疲労と、労働条件によって規制される休養時間・休日の不足による疲労回復の阻害によって生じた疲労の蓄積あるいは慢性化を基盤として発生したもので、業務が原因であるというべきである。
(七) まとめ
以上のとおり、原告は、客室乗務員としての約六年半にわたる過重な労働により腰背部、頸肩腕に慢性的な症状が生じていたところ、とりわけ、昭和五四年以降の労働強化の中で次第に症状を悪化させ、「頸肩腕症候群」、「過労性腰痛症・過労性頸肩腕障害」を発症し、療養・休業を余儀なくされたもので、原告が従事した客室乗務員の業務が原告の疾病発症に悪影響を及ぼす危険な業務であること、原告は、右業務に従事して疾病を発症したこと、原告の疾病の推移と業務の対応関係に照らせば、原告の従事した業務との間には合理的関連性がある。仮に原告に何らかの個体要因があったとしても、原告の従事した客室乗務員の業務が原告の疾病発生の共働原因をなしていると推認できるし、また、原告の疾病と原告の従事した業務との間には条件関係が認められるところ、原告は業務の適格性を有していたにもかかわらず、疾病を発症したのであるから、原告の従事した業務と疾病との間に相当因果関係がある。
したがって、原告の疾病は、業務上の疾病に(頸肩腕障害は別表第三号の4又は5に、腰痛は別表第三号の2又は5に)該当する。
(被告の主張)
1 業務と疾病との因果関係についての判断のあり方
(一) 労災保険は、労基法の定める災害補償責任を担保するための保険制度であるから、業務上の疾病といえるためには、業務と疾病との間に条件関係があることを前提として、両者の間に法的にみて労災補償を認めることを相当とする関係、すなわち相当因果関係が認められることが必要であり、その立証責任は原告にある。
右の条件関係は、高度の蓋然性をもつて証明する必要があるが、本件において証明されるべき内容(業務と疾病との条件関係)は、その性質上医学的知見によってしか証明できない事柄であるから、医学的知見を総合して、それが通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることが必要である。
(二) 労基法の定める災害補償責任の法的根拠は、使用者が労働契約を通じて労働者をその支配下におき、使用従属関係の下で労務の提供をさせるものであることから、その過程において、企業に存在する各種の危険の現実化として労働者が負傷し又は疾病にかかった場合には、使用者に無過失責任を認めて労働者の損失てん補に当たるべきであるという危険責任の法理に求められる。したがって、右の無過失責任の前提である業務起因性を肯定するためには、当該傷病等の発生が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係があることが必要であり、この場合に相当因果関係が肯定されることになる。
もっとも、労働者の傷病等の発生原因としては、通常複数のものが競合して結果発生に対して絡み合っており、結果発生との結びつきも強弱様々であり、どの程度の業務と傷病等との結びつきをもって「業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化」と認めることができるかは、結局は個別・具体的事案に応じて判断されるべきである。しかし、業務以外の要因によってある疾病を起こしやすい状況にあり、たまたま業務も一因となって発症したが、業務がなくても発症の可能性が高かったような場合には、業務に内在ないし通常随伴する危険というよりは、労働者側の個別事情あるいは労働者一般が負担すべき危険により派生した疾病とみるほうが実態に合うから、そのような場合に相当因果関係があるとするのは妥当でない。したがって、右の相当因果関係があるといえるためには、業務が疾病の発症に何らかの寄与をしているというだけでは足りず、一般的・抽象的にいえば、当該業務が当該傷病等に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められることが必要であり、換言すれば、業務量の過重と発症との間に相当因果関係があるとされるためには、その前提として、本人の素因等想定される業務外の要因と並ぶ相対的に有力な発症の原因として指摘することが医学上の経験則に照らし首肯し得るほどの、業務の負担が認められる必要があり、その立証責任は原告にある。
なお、業務起因性については医学的知見を踏まえた判断が必要であるが、労災保険上の保険給付は労働者の業務上の傷病等について当該傷病を発症した労働者に対して支給されるものであるから、まず、当該労働者に対する臨床医学的な考察が必要不可欠であり、臨床医学的に職業因子の影響が認められる場合に、さらに当該業務が当該傷病の発症に相対的に有力な原因となっているかが検討されるべきである。特に、本件のような腰部や頸肩腕に負担のかかる作業を伴う業務は多数存在するから、これらについて業務起因性が認められるためには、当該労働者が従事した業務内容が、腰部若しくは頸肩腕に回復可能な筋肉疲労の程度を越えて、病的な状態を生ぜしめる程度の負担のかかる労働態様であることを要するというべきであり、かかる労働態様であること、すなわち、当該業務に当該分量及び態様で従事していれば病的状態を生じさせても無理はないと医学上の経験則から納得し得る場合であることが必要である。
2 原告の業務と疾病との因果関係について
(一) 原告の従事した業務の内容及び作業による腰部・頸肩腕部への負担について
原告の従事した客室乗務員の業務により原告主張の部位に一定の負荷がかかることは否定しないが、そのことから直ちに、客室乗務員の業務が医学経験則上回復可能な筋肉疲労の程度を越えて腰部や頸肩腕部に病的な状態を生ぜしめる程度の負担のかかる労働態様であるとはいえない。
むしろ、客室乗務員の作業は、乗務時間中限られた一動作のみを反覆継続して行うものではなく、一連の作業の一環として行われるもので、各作業とも作業時間は自ずと限定されており、姿勢が拘束されたり、身体の特定の部位に反復して負担がかかるものでもない。なお、原告は、国際線に乗務していた昭和五三年五月以降はアシスタントパーサーとして乗務しており、ギャレー内の作業は行っていない。
(二) 原告の従事した業務の過重性について
(1) (一)のとおり、原告の従事した客室乗務員の業務内容自体が過重なものとはいえないし、原告の職場で臨床医学的に疾病と認められる腰痛や頸肩腕部痛が多発しているともいえない。
(2) 原告の国内線乗務は、原則として、三連続勤務日、二休日、三連続勤務日、一休日の繰り返しで勤務割が固定され、三日間の勤務日については、、二泊三日のパターン便、一泊二日と日帰りの組み合わせ、日帰りパターンのみ三日間の繰り返しがあり、原告は、この勤務形態により乗務していた。
原告が、原告主張の疾病により病気欠勤する前一年間の月別の乗務時間、乗務日数、乗務区間等は、別紙(6)表1のとおりであり、乗務時間は、長い場合でも五八時間強で、四〇時間に足りない月もかなり混在しており、一方、非乗務日数は平均一八・三日、乗務日数は平均一一・九日で、非乗務日数のほうがかなり多い。また、原告の乗務時間と乗務前後時間を合わせた実労働時間は別紙(6)表2のとおりであり、客室乗務員としての通常業務の範囲内であり、同僚平均を下回っている月が多く、発症一年間の合計では、同僚平均を七時間下回っているとの報告もある。
(3) 日本航空では、業務から生じる筋疲労や一般的疲労を回復するために月間総労働時間、年間総労働時間の制限が設けられ、かつ、一定時間以上の間隔が確保されるなどの考慮が払われているから、通常の場合は、これらの期間に筋疲労や一般疲労は回復するものと考えられるし、右(2)にみた原告の発症一年前の乗務状況からみても、原告の業務量が過重な業務量であったとは認められない。
(三) 腰痛通達、上肢作業通達との関係について
(1) 原告の疾病である頸肩腕症候群(「頸肩腕障害」なる傷病名は整形外科臨床の分野では容認されていない。)及び腰痛は、その発生原因は様々であり、必ずしも上肢若しくは腰部に負担のかかる職種の人に発症するものではなく、それ以外の職種の人にも多く発症する特徴を有する疾病であるが、原告の従事した業務との関係を検討しても、原告の疾病は次のとおり腰痛通達、上肢作業通達に定める認定基準に合致しない。
(2) 腰痛通達との関係について
ア 原告の客室乗務員としての作業態様(カートの移動・収納、飲み物の配布、客の荷物の収納、乳幼児の抱きかかえ等)を重量物という観点からみた場合、その重量は比較的限定されており、腰痛通達の定めるおおむね二〇キログラム以上のものを繰り返し中腰で取り扱う業務とは認められない上、それぞれの作業の全作業時間中に占める比率もそれほど高いものとは考えられず、軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務でもない。
イ 客室乗務員としての業務中に立位や中腰での作業はあるものの、いずれか一方の姿勢での長時間作業ということではなく、これらの組み合わせによるものであるから、全般的な作業姿勢は、腰部にとって極めて不自然ないしは非生理的な姿勢であるとは考えられず、長時間にわたって腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務でも、腰部に著しく過大な振動を受ける作業を継続して行う業務でもない。
ウ 女性労働という観点から判断して、ある程度腰部に負担のかかる業務であることは認められるが、一方ではそのために生ずる筋疲労や一般的疲労を回復するために月間総時間・年間総時間の制限が設けられ、かつ、一定時間以上の間隔が確保されるなどの考慮が払われており、通常の場合は、これらの期間に筋疲労や一般的疲労は回復するものと考えられる。
エ 原告の腰痛は、発生一年間の乗務状況からみても、通常業務の範囲内であると認められ、非災害性腰痛を発生させるに足るほどの腰部に過度の負担がかかる業務量とは考えられない。
(3) 上肢作業通達との関係について
原告の客室乗務員としての作業中、上肢等に負担のかかる作業としては、ギャレー作業時の飲み物サービス準備作業でのポット取扱いの負担、飲み物などのサービス時にトレイ上のコップの飲み物をこぼさないようにバランスをとるための無理な動作と作業姿勢、客席上部の収納棚の開閉が考えられるが、これらの動作は、乗務時間中、特にそのうちの一動作のみを反復して行うわけではなく、客室乗務員としての一連の作業の一環として行われるもので、各作業とも作業時間は自ずから限定されており、上肢の反復動作の多い作業、上肢を上げた状態で行う作業、姿勢が拘束される作業、上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業には当たらない。さらに原告については、客室乗務員の通常業務の範囲を超えて異常な長時間労働に従事したとか、特別な重量物取扱い労働に従事した等の事実は認められない。
(4) 腰痛通達、上肢作業通達は、現在の医学的知見を集約し、適正迅速かつ斉一的に認定業務を遂行させる趣旨から、当該疾病と業務との関係について有害因子とその暴露期間等及びそれによって引き起こされる疾病の病像、経過等に関する医学的常識を示すものであり、業務起因性の判断基準として十分な合理性を有するものである。そして、右各通達の認定基準に合致しない作業態様は、医学経験則上、業務起因性を一般的に推定させるに至っていないものであり、それについて業務起因性を肯定するためには、医学経験則上納得し得る業務の特異性、労働負荷の有害性が原告により立証される必要があるが、その判断に当たっては、認定基準が可能な限り斟酌されるべきである。
(四)まとめ
以上のとおり発症前における原告の業務が過重であると認められないことに加えて、原告の疾病と業務との関連性を否定ないし疑問視したり、原告の加齢による頸椎及び腰椎の変性、心理的要因を指摘する医学的知見を踏まえると、原告の疾病は、原告自身の個体要因が大きく影響して発症したものと考えられ、業務起因性は到底認められない。
第三当裁判所の判断
一 業務と疾病との因果関係についての判断のあり方
1 労働者災害補償保険は、業務上の事由等による労働者の疾病等に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、あわせて、業務上の事由等により疾病等にかかった労働者の社会復帰の促進、当該労働者等の援護、適正な労働条件の確保等を図り、もって、労働者の福祉の増進に寄与することを目的とし(労災保険法一条)、労働者を使用する事業の事業主から保険料を徴収して(同法三条、二四条)、政府が管掌して必要な保険給付等を行うものである(同法二条、二条の二)。そのうち、療養補償給付、休業補償給付等の業務災害に関する保険給付は、労基法に規定する災害補償の事由が生じた場合に行われるものである(労災保険法一二条の八)ところ、労基法が使用者に対し、労働者に対する災害補償を命じたのは、使用者は、労働契約を通じ労働者をその支配下におき、労務の提供をさせていることから、その過程において業務に内在する各種の危険に労働者が遭遇することが不可避的であることに鑑み、労働者保護の見地から、使用者の過失の有無にかかわらず、右の危険が現実化して災害が発生した以上、その災害によって労働者が受けた損失は使用者に負担させててん補させることが衡平にかなうとしたものと解される。もっとも、右の災害補償義務を使用者に課すことにより、被災労働者の生活が保障される関係になるから、その意味では、災害補償は労働者の生活保障的意味合いをも併せ持つものということができる。
2 労災保険法上の保険給付は、労働者の業務上の疾病等について給付されるのであるから(同法七条一号)、右の業務上の疾病に当たるといえるためには、当該疾病が当該業務によって生じたと認められる関係があることが必要であるが、右の関係は、労災保険法の立法目的、災害補償の制度趣旨からして、当該疾病と業務との間に事実的因果関係(被告のいう条件関係)が存在することを前提としつつ、法的にみて業務に内在する危険が現実化したといえるほどの関係、すなわち労災補償を認めるのを相当とする関係がなければならないから、業務と疾病との間に相当因果関係があることを要すると解するのが相当である。
もっとも、このようにいっても、右の相当因果関係は、労災保険法の立法目的、災害補償の制度趣旨を踏まえて判断すべきものであるから、損害賠償制度において損害の公平なてん補の見地から採用されている相当因果関係とは必ずしも同一ではなく、例えば、使用者に災害発生の予見可能性がなくても、業務と疾病との間に法的にみて業務に内在する危険が現実化したといえるほどの関係があれば、労災保険法上は、相当因果関係が認められると解すべきである。
3 ところで、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。
したがって、右2の労災保険法上の相当因果関係の有無の判断に当たっては、当該労働者の業務の内容・性質、作業環境、業務に従事した期間等の労働状況、当該労働者の疾病発症前の健康状況、発症の経緯、発症した症状の推移と業務との対応関係、業務以外の当該疾病を発症させる原因の有無及びその程度、同種の業務に従事している他の労働者の類似症状の発症の有無、当該疾病とその発症についての医学的知見等の諸般の事情を総合的に判断して、経験則上、業務に内在する危険が現実化したといえるほどの関係があるといえるかにより決するのが相当である。
以上の見地に立って、本件を検討する。
二 客室乗務員の業務の性質・内容、作業環境、業務に従事した期間等の労働状況について
証拠(甲七、八、一七、二〇、二八、二九、三二、三三、四七、四八、五一、五三、乙一〇の1、証人b、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
1 客室乗務員の業務内容について
原告の入社時から発症時まで(昭和四九年から昭和五五年まで)の間における日本航空客室乗務員の平均的業務の内容は、おおむね次のとおりである。
(一) 離陸前の業務
(1) 出頭準備(航空機出発時刻前一時間五〇分ないし二時間二〇分前ころ)
制服を着用し、カードで出張旅費を引き出した上、客室乗員部へ出頭し、個人メイルボックスの確認(緊急の電話連絡を除き、会社と乗務員間の連絡はこの個人メイルボックスによってされる。)、掲示事項の確認(一般業務に関する情報、路線に関する情報等が所定の場所に掲示される。)、アロケーションチャート(乗務分担表)の作成等を行う。なお、ホテルなどから空港までの移動の際は、ショルダーバッグ(約三キログラム)を肩にかけ、鞄を持って歩く(着陸後の移動の場合も同様)。
(2) 出発前の打ち合わせ(航空機出発時刻前一時間二〇分ころ)
客室乗務員同士の打ち合わせ(安全関係やサービス方法及びドア操作(緊急脱出用滑り台の着脱操作)の確認等)、運行乗務員との打ち合わせ(緊急事態発生時の役割分担の確認、飛行計画及びサービス方法の確認等)を行い、終了後社内バスで乗務する航空機に移動する。
(3) 搭乗前準備(航空機出発時刻前五〇分ないし二〇分ころ)航空機内での準備作業(保安用器材の点検確認、サービス用搭載品の確認、機内設備及び旅客座席設備の点検、客室全体の清掃状況の確認、最終の保安点検等)を行う。
保安のための最終点検の際は、上部収納棚をはじめすべての収納場所を開けて直接目視確認し、床も目視確認するため、上肢挙上(背伸び、つま先立ち)やしゃがむ動作を繰り返す。
(4) 旅客搭乗から離陸まで(航空機出発時刻前二〇分ころから離陸時まで)
旅客の歓迎、搭乗客数のチェック、座席案内と手荷物の収納援助を行い、全旅客搭乗後チーフパーサーの指示を受けて緊急脱出用滑り台の手動から自動への切り替えを行う。また、旅客への新聞・雑誌や毛布・枕の配布、旅客の機内持ち込み手荷物の整理、非常時の案内、離陸体制準備(旅客のシートベルト着用等の確認を行い、全客室の離陸準備完了をチーフパーサーに報告した上、離陸に備えて各自の乗務員席に着席する。)を行う。
手荷物の収納援助では、ハットラック(天井にある荷物の収納スペース)に収納する際に上肢挙上(背伸び、つま先立ち)を行い、旅客への新聞・雑誌や毛布・枕の配布では、席の位置により、躯幹前傾姿勢をとることがある。
(二) 離陸後から旅客降機まで
(1) シートベルト着用のサインが消えた後(離陸後約一○分ないし二〇分ころ)、原則として水平飛行中、旅客へのサービスを実施する。
まず、各ギャレー内の専用おしぼり機からおしぼりを取り出し、バスケット二ないし四個におしぼりを三〇ないし五〇本分けて準備し、各自の担当区分内の旅客に配布し、使用したおしぼりを回収する。
おしぼりの配布、回収作業と平行して、ギャレーで飲み物サービスの準備をする。ジュースサービスの場合は、カートに入っているジュース大缶を取り出し、いくつか(六ないし八枚)のトレイ(大型のお盆)を準備して紙コップを乗せ(一トレイに約二〇個の紙コップを載せる)、大缶又は大缶からいったん移したポットで紙コップにジュースを注入する。
スープ又はコーヒーサービスの場合は、コンテナに入っているものをポットに入れ、トレイに乗せた紙コップに注入する。旅客からその他の飲み物の希望があれば、それにも対応する。トレイ(小型のお盆)に載せたこれらの飲み物を各自の担当区分内の旅客に配布し、回収する。
軽食サービス実施路線や食事時間帯の便では、小箱入りのサンドウィッチ又は弁当を飲み物と同時にトレイ又はカートで配布する。回収作業も同様に行う。
その他、幼児用のおもちゃの配布、雑誌の回収・再配布、到着予定約三〇分前の到着地案内(到着時刻、到着地の天候等)のアナウンス等を行う。
右の諸作業のうち、飲み物サービスの準備、物の配布・回収作業では、作業の過程で、腕を外転保持する動作や躯幹前傾姿勢がとられる。
(2) シートベルト着用サインが点灯(着陸の約二〇分前ころ)した後は、シートベルト着用の点検を行い、着陸に備え、客室内及び手洗い内の整理とギャレー内の片づけ等を行う。
(3) 禁煙サインが点灯した後着陸までの間は、着陸間近降下態勢のアナウンスを実施し、着陸に備え各自の乗務員席に着席する。
(4) 着陸後、地上職員と確認した上開扉操作を行い、旅客の見送り等の後全旅客降機(着陸後一五分ないし二〇分ころ)後忘れ物の点検をする。収納棚はすべて開放し、棚ごとに靴を脱いで座席の上にあがって確認する。
(三) 旅客降機後
客室乗員部に移動し、当日の乗務について報告した後、翌日以降のスケジュールを確認し、個人メイルボックスを点検して帰宅する。
(四) 一日に複数飛行区間の乗務につく場合には、右(一)ないし(三)を繰り返すことになる。
(五) 国際線の業務の場合は、ギャレー内でのアントレつけ、リカーカートを引いての酒類のサービスなどが加わる。
(六) なお、アシスタントパーサーもギャレーを担当することがある。
2 労働環境について
客室乗務員の職場は、航行中の機内であるため、<1>気圧が低く、低酸素・低湿度の環境であること、<2>水平飛行時でも床面は常に二ないし三度傾斜していること、<3>床面が揺れ、不安定なことが多いこと、<4>狭い通路を乗客の肘や肩などに触れないよう歩いたり、乗客とのやりとりや狭いギャレー内での作業等のため、中腰など不自然な姿勢での作業が多いこと、<5>機内の騒音が大きく、乗客との応対のため躯幹前傾姿勢を余儀なくされること、<6>衆人環視の中での作業のため精神的緊張を強いられること、<7>航行時間内という短時間内で決められた量の作業を行わなければならないこと、<8>食事・休憩の場所や時間が十分確保できず、機内での食事もごく短時間ですまし、休憩もままならないこと、といった特殊性があるほか、<9>早朝や深夜の不規則勤務もあること、<10>一日の勤務が長時間になることが多いこと、<11>国内線の場合、離着陸回数が多いこと、<12>国際線の場合、重量物の扱いが多いこと、といった特殊性がある。
3 客室乗務員の業務の性質について
客室乗務員の業務内容(前記1)と労働環境(前記2)に照らし、客室乗務員の業務のうち、旅客搭乗から旅客降機までの航空機内の作業である、飲み物のサービス準備、おしぼりの配布、飲み物の配布、新聞・雑誌、枕・毛布などの配布、食事サービス、新聞・雑誌の回収、再配布という作業では、上肢の外転保持・躯幹前傾姿勢により上肢・肩甲部(腕、手、肩)・腰部の静的筋収縮が持続して負担が生じ、また、旅客の手荷物の収納棚への収納、旅客搭乗前の点検作業(保安用機材、機内設備、旅客座席設備、毛布、枕、補助テーブルなどの機内備品、サービス用搭載品、客室全体の清掃状況等の点検)、旅客の忘れ物の点検、アントレ付け等の作業では、しゃがむ動作や中腰、上肢挙上(背伸び、つま先立ち)という行為により、肩甲部や腰部に筋負担が生じる。
4 客室乗務員の労働状況
日本航空客室乗務員の乗務時間、勤務時間、就業時間は、別紙(1)ないし(3)のとおりである。
また、日本航空と日本航空客室乗務員組合との協定により、ジェット機の乗務時間は、一か月八○時間、一か年八四〇時間の制限を超えて予定してはならないとされ、休日については、国内線の場合、毎暦月において、ジェット機乗務は連続三日を限度とし、その後基地において二暦日及び一暦日の休日を交互に与えるとされている。
三 原告の勤務状況、健康状況及び発症した症状の推移、乗務時間等
1 原告の勤務状況、健康状況、発症した症状の推移
第二の一1の事実及び証拠(甲四ないし六、九の1ないし53、一〇の1ないし11、一一、一二の各1、2、一四、一五の各1、2、一六、三二、三四、乙一〇の2、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告(昭和二八年五月二四日生の女性)は、昭和四九年一月一六日日本航空の客室乗務員として採用され、同年一月から三月までの三か月間、乗務教育、乗務訓練を受けた後、同年四月から国内線スチュワーデスとして乗務を開始した。
原告は、日本航空に入社する前は、中学時代は陸上部に、高校時代はバレーボール部にそれぞれ所属して活動するなど、全くの健康体であり、日本航空採用時の身体検査でも何ら異常がなかった。
(二) 原告は、昭和四九年四月国内線スチュワーデスとして乗務開始した後、ギャレーでの飲み物のポットからコップに注ぐ作業後、肩の張り、腕のだるさ、手の痛みを覚えるようになり、一日三回離着陸の乗務についた後は、肩こりだけでなく、背中、腕の堅さを覚えるようになった。
(三) 昭和五〇年になってからは、勤務後の肩こり、腰のだるさが気になりはじめ、マッサージや貼り薬を使用したが、治らなかった。
原告は、同年四月八日、航行中の機内でカートを取り扱ってサービスをしていたとき、タービュランス(突然の飛行機の揺れ)のため身体をひねった際腰に強く痛みを感じ、少し前屈みになっても、腰、背中に強い痛みが走るようになったため、東邦病院整形外科で受診したところ、腰痛症と診断され、同月九日から一週間休業した。その後同月一四日、日本航空の診療所で診察を受け、二週間休業して、ホットパック、運動療法を行い、同年五月一日から二区間日帰り便のみの軽減業務を行った後、同年六月から通常乗務に復帰したが、飲み物サービス準備のためギャレーで紙コップに飲み物をポットで入れる作業をした後は、肩のはり、手のだるさを覚えた。
原告は、右の被災後は、乗務中わずかな機体の動揺でも神経が緊張し、乗務後の疲労感を感じるようになった。
(四) 原告は、昭和五二年四月国内線アシスタントパーサーに昇格し、責任者としての負担も増えた。このころより原告は、生理時に下腹部痛、腰のだるさを覚えるようになった。
(五) 原告は、昭和五二年九月から一〇月にかけて国際線移行訓練を受けた後、同年一〇月二六日国際線アシスタントパーサーとなり、一一月から国際線に乗務するようになったが、国際線乗務に伴う長時間勤務、深夜乗務業務量の増大、時差調整の難しさのほか、スチュワーデスの仕事をこなしながら、アシスタントパーサーの仕事も行ったため、業務量は増大し、疲労も増大した。
(六) 昭和五三年一二月からは原告は国内線乗務に戻ったが、肩のはり、腕のだるさは続いた。なお、原告が国内線乗務に戻った当時、乗務員の組合は複数に分かれており、相互の関係は良好ではなく、所属する組合の異なる乗務員が一緒に乗務するため、職場の人間関係も必ずしも良好ではなかった。
(七) 昭和五四年三月、東京―沖縄線におけるB七四七SR機の客室乗務員が一三名編成から一二名編成へ減員され、DC一〇型機の座席数が三一○席から三二一席に一一席増加し、東京―沖縄線における乗務パターンが、従前は、東京―沖縄、沖縄―東京の日帰り乗務パターンであったのが、東京―沖縄、沖縄―東京、東京―札幌(福岡又は大阪)の一泊便パターンに変更されたため、客室乗務員の乗務時間、勤務時間が増えた。原告は、肩こり、全身、特に背中、肩胛骨の重だるさを覚え、同年一一月一九日の会社の定期健康診断においては、全身倦怠の自覚症状がときどきあり、頸肩腕部の痛み、背部の痛みの自覚症状が常にある旨を訴えたが、検査結果は異常なしとされた。なお、原告は、腰痛については、現在ないが過去に自覚症状があったと答えている。
(八) 昭和五五年一月から大量の訓練生が配属され、原告は、通常業務に加え、新人スチュワーデスや訓練生の指導も行うようになり、疲労が増し、肩こり、腰のだるさも続いた。
同年二月、B七四七SR機は、座席の前後の間隔を狭めて四九八席から五五〇席に座席数が増加し、同年三月、DC一〇機は、通路幅及び座席幅を狭めて一列の座席数が九席から一〇席へと増加し、座席数は三二一席から三七〇席に増加したが、これらにより座席幅、前後の間隔、通路が狭くなり、客室乗務員が乗客にサービスする上で、前傾、中腰姿勢の上肢作業、ひねり姿勢などが増えた。
原告の肩こり、腰のだるさは続き、同年六月二日の会社の定期健康診断においても、全身倦怠の自覚症状がときどきあり、頸肩腕部の痛みの自覚症状が常にある旨を訴えたが、検査結果は異常なしとされた。なお、原告は、腰痛については、前回同様、現在ないが過去に自覚症状があったと答えている。
同年八月ころからは、原告の肩こりは背中まで広がり、腕がだるく、ポットからの飲み物の注入、トレイによる飲み物サービス、上部収納棚の開閉に苦痛を覚えるようになった。
(九) 昭和五五年一一月には、原告の肩、背中、頸のこり、はりはひどくなり、腕のだるさも続き、生理中は肩から背中、腰にかけて痛みを伴い、生理が終わっても痛みが残り、身体中の重だるさ、腕のだるさがとれず、全身の硬直もとれない状態が続いた。
原告は、同年一一月二八日c医院を受診し、同医院c医師に、肩こり、左上肢のだるさ、手指のしびれ感を訴えた。同医師の診察の結果、「頸肩腕症候群」と診断され、直ちに休業療養を指示された。なお、同医師の診察では、他覚的所見としては、「頸椎の可動性は正常で、運動痛少ない。レントゲン像で三、四、五頸椎は後弯性を示す。椎間板の狭細はない。」とされている。
(一〇) 原告は、症状が改善しないことから、昭和五六年一月二三日小豆沢医院を受診し、同医院d医師に、腰痛、左下肢の重い感じ、左肩から上肢にかけてのだるい感じを訴えた。同医師の診察の結果、「過労性頸肩腕障害・過労性腰痛症」と診断された。なお、同医師の診察では、他覚的所見としては、「両肩の筋硬症、圧痛プラス、背中異常なし、腰椎は前屈は正常だが、過伸展で疼痛あり、ラセギューマイナス、第一趾背屈力正常、後方でそらし痛みあり、膝蓋腱、アキレス腱とも腱反射正常、顔、頸、上肢、下肢とも知覚異常マイナス。以上の所見から、過労性症候群の軽快してきた状態と考える。」とされている。
(一一) 原告のc医院受診後の療養経過の詳細は、別紙(5)1ないし5「a療養経過詳細」のとおりである。なお、原告は、昭和五七年二月二五日及び同年六月一八日の会社の定期健康診断では、全身倦怠、腰痛の自覚症状がときどきあり、頸肩腕の痛みの自覚症状が常にある旨を訴えていたが、昭和五八年五月二七日の会社の定期健康診断では、全身倦怠、腰痛、頸肩腕の痛みの自覚症状がときどきある旨を訴えており、昭和五九年五月一七日の会社の定期健康診断では、全身倦怠、腰痛の自覚症状は訴えておらず、頸肩腕の痛みの自覚症状がときどきある旨を訴えている。
以上の事実が認められる。
なお、原告は、昭和五二年一一月から昭和五三年一一月までの国際線乗務中、急速に体調が悪化し、全身が重く意欲が低下するなど最もつらかったと供述している(甲三二、原告本人)が、当時原告がそのため医師を受診したことはうかがえず、右供述はにわかに採用できない。
2 原告の乗務時間等
(一) 証拠(甲三二、三六、三七の1ないし5、三八、乙二、一〇の2、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告の昭和五三年一一月以降の国内線乗務は、原則として、三連続勤務日、二休日、三連続勤務日、一休日の繰り返しで勤務割が固定され、三日間の勤務日については、二泊三日のパターン便、一泊二日と日帰りの組み合わせ、日帰りパターンのみ三日間の繰り返しがあり、原告は、この勤務形態により乗務していた。
乗務区間は日によって異なり、昭和五四年一二月以降は、東京(羽田、成田)、大阪(伊丹)、福岡、沖縄、札幌のいずれかの二地点間を二ないし三度乗務した。
昭和五五年当時の東京―大阪間、大阪―福岡間の路線の飛行時間は一時間程度であり、サービスとして、飲物サービスのみがある。東京―札幌間、東京―福岡間、福岡―沖縄間の路線の飛行時間は一時間半程度であり、サービスとして、飲物サービスのみ(福岡―沖縄間は、茶菓、飲物のサービス)がある。東京―沖縄間、大阪―札幌間、大阪―沖縄間、福岡―札幌間の路線の飛行時間は二時間程度であり、サービスとして、朝食、軽食、茶菓、飲物サービスがある。
業務に際し、乗務区間が変更されることもあり、また、二泊三日のパターン便の際は、初日の午前五時四〇分に就労を開始することもある一方、午後九時五〇分過ぎに勤務が終了することもあった。
(2) 原告の昭和五四年一二月から昭和五五年一一月まで(発症前一年間)の乗務時間等は、別紙(6)表1及び表2のとおりである。
原告の昭和五四年一一月から昭和五五年一一月までの総乗務時間は、同じ期間の同僚の平均総乗務時間よりも六時間ほど少ない。
(二) 昭和五五年七月から同年一一月までの間の原告の乗務時間等を示す別紙(4)1ないし5の記載は、証拠(原告本人)によれば、原告本人のメモに基づく記載であることが認められるところ、その記載の正確性を担保するものはうかがえないから、これを全面的に採用することは困難である。
もっとも、原告の住所が羽田空港から相当離れた東京都八王子市にあること、着替え、ショーアップ、旅客降機後次の乗務につくまでの間の準備に一定の時間を要すること、昭和五五年九月に関しては勤務状況(乙一〇の2)及びフライトスケジュール(甲三六)に整合するものであることからすると、少なくとも乗務日及び出社待機日の労働時間の開始及び終了の各時刻については、ほぼ別紙(4)1ないし5のとおりであるということができる。
四 同種業務に従事している他の労働者の類似症状発症の有無
1 客室乗務員の訴え等
証拠(甲一七、二〇、二九ないし三一、三五、四三、四四、五二、証人b)によれば、次の事実が認められる。
(一) 日本航空客室乗務員組合は、昭和四九年職場の実態調査を行ったが、回答した二六〇〇名(管理職を除く客室乗務員の総数は二九五三名)のうち約三分の一が腰痛を経験しており、そのうち約九〇パーセントの者がその原因は機内業務に起因すると考えていた。
(二) 昭和五四年九月に日本航空産業医k医師が発表した客室乗務員の健康調査報告書(甲四三)は、客室乗務員の健康の実態把握、勤務環境、生活環境の調査、時差、乗務によるエネルギー消費、その他の乗務負担、整形外科ならびに耳管機能等の医学的調査、作業および生活の時間調査、体力調査、物理化学面からの作業環境調査等を専門機関等に委託して行われた結果を日本航空産業医が総合的に検討してまとめたものであるが、「痛みがひどくて、立ったり歩いたりすることが容易にできないほどの腰の痛みを経験したか」との面接質問に対し、女子二六六名中七六名(二八・四パーセント)が肯定しており、欠勤を伴う腰痛経験者は、女子二六六名中四五名(一六・九パーセント)であった。また、蓄積疲労徴候調査では、全体の平均的訴え率は、他職場と比較し、男女とも低率(男子一五・七パーセント、女子一九・二パーセント)であるが、女子の一般疲労感、身体不調の訴えは相対的に高値であった。さらに、スチュワーデスに対する整形外科的調査(対象者五五名)では、乗務開始前より腰痛の既往を有していた者及び腰痛の既往のない者を除く二四名の者が乗務開始後に腰痛を自覚しているが、腰痛発症の原因の明らかなものはそのうちの九名であり、物の持ち上げ、体の捻りの動作が主因となっていた。
ただし、同報告書は、乗務中のエネルギー消費量は軽度であり、作業負担による疲労の蓄積はなく、いわゆる非災害性腰痛は作業負荷が原因とは認められ難いとしている。
(三) 日本航空客室乗務員組合は、他の航空会社の労働組合とともに、昭和五七年一月ないし二月に客室乗務員に対するアンケートを行ったが、二三〇四名の回答者中、「ここ一か月間腰痛がいつもあるとする者」は約一〇パーセント、「時々腰が痛い者」が約六〇パーセントあり、「腰痛が徐々に発症したとする者」が約四分の三を占めていた。
腰痛を訴える者の大部分は、腰痛と仕事が関係があると考えており、発症の原因として指摘した要因は、「重い物を動かす」、「不自然な姿勢・作業」、「中腰姿勢での作業」、「機体の振動及びタービュランス」が多く、国内線乗務者は、ほかに、「離着陸回数の多さ」、「離着陸時の加速度」、「休憩時間の少なさ」などを、国際線乗務者は、ほかに「深夜勤」、「時差」、「拘束時間の長さ」などによる疲労蓄積、「身体をねじる動作」、「高いところへ背伸びする動作」などのギャレーでの作業負担を指摘する者が多かった。
(四) 平成二年に日本航空客室乗務員職業病研究会が行った蓄積的疲労調査結果の分析によれば、日本航空客室乗務員は、「慢性疲労」、「一般的疲労感」、「気力の減退」の訴え率が高く、その訴え率が高い者ほど、腰痛訴え率や肩こり、腕や手指の痛み・しびれなどの頸肩腕部の症状の訴え率が高い。(甲一九)
(五) なお、客室乗務員に発生した腰痛等の慢性化や疲労の蓄積を指摘する医学論文もいくつか発表されているが、その要旨は次のとおりである。
(1)「スチュワーデスの一連続作業時間」(執筆者は、l名古屋大学医学部助教授外二名である。甲二〇)
前記(三)の調査において、腰痛をおこす背景要因としての疲労蓄積について、アンケートの自由記入欄に回答されたもの(全回答者の三六パーセントが記入した。)を分類すると、作業特性の他に、夜勤・時差、拘束時間、早朝出勤、休日・休暇の問題、不規則勤務など、時間に関する問題が多く指摘された。
そこで、スチュワーデスの一連続作業時間(国際線では一フライト、国内線では一日の作業と規定されている。)を検討すると、例えば、冬期の成田―ホノルル便では、三時間前後の長い機内労働(不良姿勢や反復動作、重量物運搬作業がある。)が食事をはさんで二回あり、食事時間も調理場の粗末な椅子で二〇分程度しかとることができず、満席であれば食事以外にはまともな休息はできないことが多い。国内線では、着陸から次の離陸まで一時間以内であり、器材・安全の点検や忘れ物チェックなどの時間を考えれば、休息時間はもとより食事時間もまともに確保されていない。
(2)「旅客機客室乗務員の腰痛問題」IないしIII(執筆者はm東京社会医学研究センター所長である。甲二九ないし三一)
客室乗務員の労働条件・環境において、健康に悪い影響があると考えられるものは、<1>早朝・深夜の勤務、<2>不規則・長時間の就業、<3>気圧の変動、<4>低気圧・低湿度、<5>時差、<6>気候、季節の急変や逆転、<7>振動・衝撃・騒音、<8>歩行作業、<9>狭い場所での重量物の取扱い、<10>前傾、中腰、捻転、膝の屈伸などの姿勢・動作の繰り返し、<11>緊張持続、<12>調理場作業、<13>広胴機導入後の増席、<14>一機当りの客室乗務員の減員、<16>乗務日数の増加、<16>平均乗務開始年齢の上昇、<17>乗務訓練期間の短縮、<18>広胴機導入による飛行中の床面の傾斜、がある。
また、筆者のところに受診した、三五歳未満の女性のうち、客室乗務員、保育所保母、障害者介護者の初診時自覚症状アンケートの平均スコアーをみると、客室乗務員は、保母・介護者に比べ、上肢の症状・不調の自覚は軽く、背・腰・下肢及び腹部の症状・不調の自覚は高い。さらに、昭和五六年一〇月までに受診した客室乗務員の女性一六四人の初診時自覚症状に関するアンケートの平均スコアーをみると、非災害性腰痛と非腰痛症(頭頚部症候群、頸肩腕症候群等)は国内線勤務の者のほうが国際線勤務の者よりも高く、災害性腰痛だけが低い。非災害性腰痛群の国内・国際線差は上半身症状で最も大きいが、これは国内線のほうが腕を高く挙げる作業が多いことの影響である。非腰痛群で国内線のほうが国際線よりも高い理由は説明し難い。そして、これらの女性に対する検査所見や筆者が国際線勤務の客室乗務員に対して行った集団検診の結果と合わせると、国際線、国内線を問わず、月間数十時間以上も立っていることと、この際に下肢、腰に影響する環境的条件が、業務動作による負荷、その他の諸条件とともに、客室乗務員の腰痛の多発・進行・悪化を促進していると考えられる。
そして、昭和五六年一一月の一か月間に実施した客室乗務員に対する出発前と帰着時の疲労自覚症状と検査の結果によれば、客室乗務員に疲労蓄積傾向が著しいことが判明した。
(3)「航空機客室乗務員の疲労と腰痛」(執筆者は、e滋賀医科大学教授である。甲三五)
筆者らが実施した調査結果からみると、国内線勤務の女性客室乗務員について、一日三路線以上を飛び、一日拘束時間が七時間をこえる勤務では、「足がだるい」、「目が疲れる」、「全身がだるい」、「腰が重い、だるい」といった自覚症状の総訴え率は三〇パーセントを超え、拘束時間が九時間を超える場合には、四〇ないし五〇パーセントに達する。勤務直前の訴え率は一〇パーセントを超えている場合が多く、疲労の持ち越しがあると思われる。また、国内線三社の女性客室乗務員の「蓄積的疲労徴候」をみると、「慢性疲労」、「一般的疲労」、「気力の減退」の特性で訴え率が高く、身体的側面での疲労が強いことを示している。
そして、「蓄積的疲労徴候訴え項目数」が多い群ほど、「最近一か月間に腰痛を経験した者」の率が高く、その多くが徐々に痛くなっていったと回答していること、及び発症に関与した要因として挙げたものには、「重いものを動かすこと」と同程度に「深夜勤務」、「長拘束時間」、「不規則勤務」、「時差」、「勤務スケジュールがきつい」、「作業量が多い」、「立ち作業」など漸進的疲労をもたらす条件があることからして、疲労が腰痛の重要な原因であると考える。
なお、「不自然な姿勢」、「中腰姿勢」、「背伸び動作」、「体をねじる」という要因は日常の生活にも少なくからずあって、だれにとっても等しく腰痛発症のリスクになるとはいえないのに、それが客室乗務員にとって特別の引き金になるというのは、基盤に全身的疲労があるからであろう。
(4)「日本人航空機客室乗務員の労働時間と疲労」(執筆者は、n名古屋大学医学部教授外四名である。甲四四)
昭和六二年と昭和六三年の二度にわたり、日本の四つの航空会社の国内線で働いている女性航空機客室乗務員三一一一名に対し、始業と終業の時刻と疲労症状を回答する質問紙調査を実施し、その結果(有効回答一三一七名、四二・三パーセント)を統計的に分析すると、長時間労働、頻回の着陸、及び遅い終業時刻が疲労症状訴え率の上昇に有意に貢献していると考えられる。また、一連の勤務日の何日目かということ及び勤務日間にとれる休養時間の短いことも影響していると考えられた。
2 人間工学的検討
久留米大学医学部o医師は、日本航空客室乗務員の健康障害(慢性的経過をたどる腰背部の痛み・だるさ等、及び、頸肩腕部の痛み・だるさ等)の業務起因性についての人間工学的検討として、要旨次のとおり述べている(甲八)。
(一) 女子客室乗務員一〇七名について機内での作業を想定した様々な肢位や姿勢をとってもらい、身体計測を行った結果や、B七四七やDC一〇の機内の作業空間を計測する等した結果を踏まえると、客室乗務員は、<1>作業に当たり動揺する機内で立位姿勢を保持しつつ、反生理的作業空間に姿勢や肢位を合わせつつ、物を運搬したり保持することに伴う「筋骨格器系への負担」、<2>狭く不安定な機内でミスのないよう乗客へ迅速にサービスすることや衆人環視に伴う「精神緊張の持続」、<3>騒音、気圧低下、湿度低下などの作業環境上のストレスに対する「自律神経系の反応」、の三種類の質の負担がほぼ同時的に存在すると考えられる。
(二) <1>については、客室乗務員の労働負担の質(腰部・肩甲帯に対する静的筋負担の過重性を中心とする)と「健康障害の質」(慢性的経過をたどって出現する、腰背部や頸肩腕部のだるさ・痛みなど)との間には対応関係があり、この対応関係は、「因果関係のある対応関係」とみなしたほうが合理的である。
(三) これらの三種類の負担の相互作用については、今後更に吟味する必要があり、客室乗務員に過重となるか否かは時間因子(自発休息の有無、不規則交代勤務の程度、時差、休息時間の質、長時間勤務の有無、デッドヘッドの影響)や労働密度因子(人員配置、サービス内容・乗客数とのバランス)のありかたによって決まるであろう。
3 災害腰痛件数
中央労働災害防止協会は、昭和五八年二月二八日、千葉労働基準局長に対し、「労災特別指導事業場に対する診断について」と題して、次のとおり報告している(甲四二)。
(一) 日本航空本社成田地区営業所(従業員数七四三一名)における労働災害発生状況は、昭和五五年の休業災害(四日以上)は二〇〇件、うち客室乗務員の災害腰痛件数は一四三件、昭和五六年の休業災害(四日以上)は二一三件、うち客室乗務員の災害腰痛件数は一五一件、昭和五七年の休業災害(四日以上)は一三五件、うち客室乗務員の災害腰痛件数は九八件であり、災害性腰痛を含めたときのこの間の年千人率は二六・九パーセントなしい二八・七パーセントであった。
(二) 右の年千人率割合は、全産業平均の八・三ないし九・一パーセントをはるかに上回り、災害の多い産業といわれている建設業、陸上貨物運送業をも上回る。
(三) 客室乗務員の腰痛災害発生状況を作業内容別にみると、力ート取扱い作業中、ギャレー内業務中及び食事飲み物サービス中の三作業就労中に発症したものが、昭和五四年度から昭和五七年度までをみた場合七二・四ないし八一・三パーセントと多いが、これらの作業の内容が、立位、中腰あるいは屈み状態で作業することが多い業務であるとともに、勤務時間の七〇ないし八○パーセントを占めていることによるものと考える。
五 医学的知見
1 頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害について
証拠(甲三九、五〇、乙一三、一四、二一)によれば、次の事実が認められる。
(一) 臨床医学としての整形外科の分野において病変として使われる「頸肩腕症侯群」とは、臨床的に頸・肩・腕及び手指にかけて連鎖的な痛み、しびれ、こり、だるさ、冷感などを訴えるものを総称する症候群であり、正しい疾患名ではなく、広義には頸椎椎間板ヘルニア、頸椎不安定症、変形性頸椎症、胸郭出口症候群などが含まれるが、このような診断をつけられないような原因不明のものに対して狭義の意味の頸肩腕症候群の診断名がつけられるとされ、「頸椎性および周辺軟部組織の解剖学的、生理学的弱点、退行変性をもととし、あるいは不良姿勢のもとに反復上肢を酷使する際、疲労現象として、頸、肩、腕、手、指の連鎖的痛み、しびれ、脱力、冷感を訴え、神経症状、後部頸交感神経症候群、血管圧迫症候群を伴う症候群をいう。」などとも定義されている。個体の肉体的素因(脊柱、筋、靱帯の弱化、不良姿勢、なで肩、頸椎の後弯等)、精神的素因(性格や人格の未熟性、心理的抑圧等)に社会的環境要因(指尖の動作を連続的に繰り返す作業、単調な作業、作業場の温度・湿度・明るさ、机や椅子の高さ、作業のスピードや量、作業姿勢などの人間工学的悪条件下での作業等)が働いて発症することが多いとされる。
(二) 頸肩腕症候群について、労働衛生学の見地からは、ある特定の職種に従事する労働者に上肢の自他覚症状が多発することに注目してみており、日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会は、職業に由来するこれらの障害を臨床的な頸肩腕症候群と区別して「頸肩腕障害」とすることを提案し、これを「業務による障害を対象とする。すなわち、上肢を同一肢位に保持または反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。ただし、病像形成に精神的因子及び環境因子の関与も無視し得ない。したがって本障害には従来の成書に見られる疾患(腱鞘炎、関節炎、斜角筋症候群等)も含まれるが、大半は従来の尺度では判断し難い性質のものであり、新たな観点に立った診断基準が必要である。」としている。
そして、同委員会は、病像の程度につき、「I度:必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚所見が認められない。II度:I度の症状に、筋硬結、筋圧痛等の所見が加わる。III度:II度の症状に次のいくつかが加わる。イ筋硬結、筋圧痛等の増強又は範囲の拡大、ロ神経テストの陽性、ハ知覚異常、ニ筋力低下、ホ脊椎棘突起の叩打痛、へ傍脊椎部の圧痛、ト神経枝の圧痛、チ手指、眼瞼の振せん、リ頸・肩・手指等の運動障害、ヌ末梢循環機能の低下、ル訴えがきわめて強くなる。IV度(以下略)」としている。
(三) このような医学的側面を考慮にいれて、労働省は、昭和五五年ころは、別表第三号4の「頸肩腕症候群」の病像を、「自覚症状としては、頸、肩、上腕、前腕、手指のいずれかあるいは全体にわたり、こり、しびれ、痛み等が生じ、他覚所見としては自覚症状が進んだ段階で障害部の筋肉の病的な圧痛、硬結等を認め、時には、神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における知覚異常、血行不全等の症状をも伴うことのある症候群である。」と定義づけていた(甲三九)。
(四) なお、平成九年一月に発表された、頸肩腕症候群等に関する専門検討会による「頸肩腕症候群に関する検討結果報告書」では、頸部から肩、上肢にかけて何らかの症状を示す疾患群の総称として従来多用された「頸肩腕症候群」の診断名については、診断法の進歩により病像をより正確にとらえることができるようになったことから、できる限り障害部位を特定し、それに対応した診断名となることが望ましいが、障害部位を特定できない「頸肩腕症候群」の診断名を否定するものではないとし、頸肩腕症候群(狭義)の症状としては、肩こり、上肢の重感、手指のしびれ・冷感などであり、頸部椎間板症、なで肩、筋発育不全、過度柔軟性や自律神経失調などの体質的素因に、頸部前屈位での上肢の静的作業などが相対的過重負荷として加わり発症し、頸・背部・上肢に多彩な圧通点がある、としている。そして、一般に、上肢障害は、業務から離れ、あるいは業務から離れないまでも適切な作業改善を行い就業すれば、症状は軽快するもので、頸肩腕症候群の治療成績の各種報告では、発症の初期から適切な対応をすることによって概ね三か月程度で症状が軽快すると考えられ、手術に移行する事案であっても概ね六か月程度の療養が行われれば治癒するといえるが、慢性化した頸肩腕症候群は比較的難治になる場合があり、必要な場合は精神療法も加える必要があるとする報告も多いとされていることから、作業負担の軽減や適正な療法が実施された場合の上肢障害の療養期間としては、概ね三か月程度とすることが妥当であり、長期化するものにあっても六か月が限度と考えられ、それ以上の療養が必要と思われる事案については、対診等により適切な診断を下し、長期化の原因が個人の素因等の個体要因に基づくものについては労災保険による治療は適用されないものであることを患者本人に理解させるべきであるとしている(乙二一)。
2 腰痛症について
腰痛は、人間である以上誰しもがその生涯において一度は経験するとさえいわれているくらい多く発生をみている疾病であり、労働の場でも日常生活においても頻繁に発症する。近年において、労働者に腰痛が多発している原因としては、腰部に過度の負担が加わる労働態様の増加等労働の場における腰痛発症の有害要因が増えてきたことも否定できないが、反面、労働以外の要因である食生活のよる肥満傾向と運動不足による腰部、腹筋等の脆弱化、生活様式の変化等による腰部への悪影響、さらには加齢現象による影響等も考えられている。
腰痛症は、「不良姿勢、筋力低下、過労などの原因で、静力学的、動力学的に脊椎支持性、安定性、可動性が悪く、傍脊椎筋の緊張、痛みを示すもの。」などと定義づけられている。筋肉は、ある範囲内の収縮が行われている場合は正常な代謝が行われるが、収縮の強さや持続時間が過度になれば、筋代謝過程は病的となり、腰痛を起こすものと考えられ、異常な代謝の悪循環が形成され、単に負荷を軽くしても容易に正常な代謝に戻らない場合があり、発症の誘因となるものは単一ではないにしても、このような病的筋代謝が生じたようなものが腰痛症と呼ばれる、とされる(甲三九、五〇)。
3 労働負担と疲労との関係
労働生活での疲労は、急性疲労(一継続作業による疲労)、亜急性疲労(作業反復による漸進性の疲労)、日周性疲労(一労働日から翌日にわたる疲労)、慢性疲労(数日から数か月の生活中に蓄積する疲労)のレベルに分けられるが、一般には、労働生活の疲労をみるにあたっては、単に全作業負荷が過大であったかだけでなく、比較的短時間の作業サイクル中の自発休息から休憩・休養時間、睡眠時間、週休などの各休息レベルにあわせて疲労がもちこしていないかに目を向ける必要があるとされ、慢性疲労の初期の特徴は、易疲労感、無気力、情意不安等であり、必要な休息パターンは、十分な休日、場の転換、レクレーションであり、対応する過労の例として、腰痛症、頸肩腕障害等があるとされる(甲四一)。
4 原告の疾病と業務との因果関係に関する医師の意見
(一) d医師
同医師の意見(以下「d意見」という。)の要旨は、次のとおりである(甲五五、六〇)。
(1)健康障害の原因には生物学的原因と社会学的原因とがあり、職業性の頸肩腕障害は頸肩腕症候群とは違う疾病であり、頸肩腕障害発症の原因は、労働密度を主にした労働の中から生まれる疲労によるストレスを含む過労と考える。
(2) 職業性の非災害性腰痛症についても、具体的作業が立位、坐位等の保持、重量物作業等と結びついて、腰、背筋に負担のかかる作業で発症すると考えているが、原告の業務はそうであり、それが原因であるとしか考えられない。スチュワーデスの業務は「上肢を上げる作業」あるいは「上肢の反復動作を行う作業」であり、飛行中あるいは勤務中に継続していなくても、上肢を過度に使用すれば頸肩腕障害を発症する。
(3) 機体の揺れに対する恐れと緊張が原告の訴える痛みに何らかの形で関与していることは考えられるが、それは原告の従事していた業務に起因すると考えられる。
(二) e医師
同医師の意見(以下「e意見」という。)の要旨は、次のとおりである(甲五七)。
(1) 因果関係があるというためには、<1>原告の疾病が業務に就いてから起こったものであること、<2>原告の疾病がその業務と疫学的に因果関係ありとされた疾病と同じものであること、<3>原告には他にこの疾病の原因となり得るものが見あたらないこと、が満足される必要がある。
(2) 原告の頸肩腕部及び腰背部の症状は、入社前になく、入社後客室乗務に従事するようになってから発症しているから、<1>の条件を満たす。
(3) 疫学的に乗務負担によって生じたと考えられた腰痛は、蓄積疲労性あるいは慢性疲労性の筋筋膜性腰痛といえるものが大部分であり、また、それは負荷の持続と疲労回復条件の悪さで疲労が次第に増悪して発症する非災害性腰痛か、もしくはそうした疲労を下地として何らかの契機で突然発症する災害性腰痛である。原告の腰背部及び頸肩腕部の症状の性質や発現とその後の推移は、日本航空客室乗務員の腰痛の疫学像と一致し、あるいは疫学的所見によってよく説明できるから、<2>の条件を満たす。
(4) 原告には、他に腰背部、頸肩腕部の症状を生ぜしめる原因の作用はなかったから、<3>の条件も満たす。
(5) 以上から、原告の疾病は、国内線及び国際線乗務における労働負担からの疲労と労働条件によって規制される休養時間・休日の不足による疲労回復の阻害によって生じた疲労の蓄積あるいは慢性化を基盤として発生しているものと考える。
(三) f医師の意見
同医師の意見(以下「f意見」という。)の要旨は、次のとおりである(乙四)。
主治医の意見書内容は、「過労性頸肩腕障害、過労性腰痛症」を示唆する他覚的所見の記載に乏しく、本人の自覚的愁訴をもとにして病名決定に及んだもののようである。また実際の業務量も他の同僚に比してむしろ少なく、本人の体力、素因を顧慮しても本件を業務上とすることはいさかか困難であろう。
(四) g医師の意見
同医師の意見(以下「g意見」という。)の要旨は、次のとおりである(乙五)。
(1) 国際線における業務態様は、国内線におけるそれとでは時差による生体リズムの変調等かなり相違する点が多いが、時差によるバイオリズムの変調や一回の乗務時間が国内線でのそれよりも長時間にわたったことなどが二年後にもわたって影響するとは考えられないから、国際線乗務に従事したことの影響が二年を経過した昭和五五年一一月二八日の発症に及んでいるものとは到底医学的にも経験的にも推認できず、国際線乗務と原告の疾病との間には相当因果関係は認められない。
(2) 原告の作業態様については、確かに腰部や頸肩腕、広くは上肢帯に負荷が加わるが如き労務であることは否定できないし、作業従事期間も一週間とか一〇日間という短期間ではないが、原告の発症前一年間の乗務状況をみると、いずれも同僚平均に比べて、昭和五五年九月の私病欠勤者があった月を除いて時間数が少ないか、または多くても一〇パーセントを超えず、労務に過重性が存在したものとは認められないので、業務上の災害によって起こったものとは判断できない。
(五) h医師の意見
同医師の意見(以下「h意見」という。)の要旨は、次のとおりである(乙一一、証人h)。
(1) 原告の国際線乗務の作業量や疲労の量的・質的程度を証明する具体的資料がないこと、原告の腰部、頸肩腕部に限定した症状の出現を訴えているのは国内線乗務に復帰した後であること、原告の「過労性腰痛症・過労性頸肩腕障害」の発症時期は、国内線乗務に復帰した後の昭和五五年一一月中旬と判断されることを総合すると、原告の発症と国際線乗務との相当因果関係はなかったと判断すべきである。
(2) 原告の症状は、c医師の初診時には他覚的にはきわめて軽い医学的所見にすぎなかったのに、d医師の初診時には他覚的異常が比較的明確であったと判断できるが、このことはその二か月間に病態が進行していたとも考えられ、一般に業務による疲労はその業務から離れることによって軽減するものであることを考えると、業務から離れた右の二か月間に他覚的所見が悪化することは矛盾している。客室乗務員の健康を害するに足りると判断すべき時間的因子と労働密度因子の基準がない以上、国内線乗務の作業内容と作業態様が発症の原因であると結論することは不可能であること等から、原告の疾病を業務に起因するものと判断することはできない。
(六) i医師の意見
同医師の意見(以下「i意見」という。)の要旨は、次のとおりである(乙一二)。
(1)ア 原告のスチュワーデスとしての業務は、手荷物の収納、飲み物等のサービスで、上肢を上げる作業、上肢の反復を行う作業はあるものの、その作業が飛行中あるいは勤務中継続しているものでもなく、上肢を過度に使用する必要のある作業とは思えず、当該業務には、頸部、肩の動きが少なく姿勢が拘束されるといった作業が含まれるとも認められず、これらの作業が頸肩腕症候群を発症させるに足りるほどの作業であるともいえないし、他の同僚スチュワーデスと比較しても過大な作業量の業務に従事していたとは認められない。
イ 国際線乗務の場合には拘束時間が長いが、拘束時間中に同一作業繰り返し行うものではなく、一定程度の休息時間が確保されており、筋の疲労はあるものの、同僚労働者では休息をとれば十分に回復しうるものと考えられるし、原告の勤務状況からして、翌日に持ち越す疲労が連日に及ぶという状態も認められない。
ウ 一般に椎間板は加齢により退行性変性をおこし、水分が少なくなって弾性が失われていき、骨棘が形成されたり、権間板周囲の靱帯の退行性変性を伴って痛みやしびれが生じてくるが、原告の症状は、その愁訴に比して他覚的所見が乏しく、原告の三、四、五頸椎の後弯は、正常な状態である前弯が加齢による退行性変性により後弯することが一般に認められていることからすると、加齢による退行性変性と考えられるが、このような退行性変性は、原告の体質的な要因、例えばなで肩のような不良姿勢や、頸や肩の筋力低下、関節弛緩によってより早期に生じることがあり、原告が訴える痛みは、このようなことが大いに影響しているものと思われる。
エ 原告は、乗務開始後間もなくタービュランスに遭遇したことから、機体の揺れに対する恐れと緊張がその痛みに関与していると考えられる。
(2)ア 原告の腰痛は原告の自覚症状の訴えが全身に及んでいることから、心理的要因も大きく影響していると思われる。
イ 原告の業務は、腰部に一時的な痛みあるいは疲労といった、回復可能程度を超える病的な状態を生ぜしめる程度に負担のかかる労働態様であるとも認められず、同僚スチュワーデスと比較して過大な作業量の業務に従事していたとも認められない。疲労性の腰痛であれば腰背部の筋肉に代謝異常が生じ、前屈時に痛みがあるのが通常であるが、d意見では、前屈は正常とされている。
ウ 頸椎の後弩の影響で腰椎が前弯する場合があり、これは腰痛予備軍を示すもので、これが腰痛の原因となっている可能性が大きいと考えられる。
エ また、前記の機体の揺れに対する恐れと緊張という心理的要因が腰痛の痛みに関与しているのではないかと考えられる。
(3) 以上からして、原告の頸肩腕症候群及び腰痛症は、原告の個体要因が多分に影響していると考えられ、スチュワーデスとしての業務により発症したとは認められないと考える。原告が業務から離れることによって症状が軽快したのは、心理的要因がなくなったためではないかと思われる。
(七) j医師の意見
同医師の意見(以下「j意見」という。)の要旨は、次のとおりである(乙一六)。
原告の症状は自覚症状に比べて他覚的所見に乏しく、整形外科的には説明困難であること、原告が述べる自覚症状の発現の経緯(労災保険の申請の際の自己意見書)からすれば、原告は、もともと健康であったため、腰痛などを感じながらも「こんなはずはない」と自分に言い聞かせながら働き続けており、このような無理を重ねているのは、「現実を受け入れようとせず、むしろ現実を否定し、自分にとって相応しく、自分にとってありうべき状況をひたすら望む心理機制」が働いていることに由来しており、心的防衛機制の三であり、広義の身体表現性障害と考えられ、その中の「疼痛性障害」と診断するのが妥当である。
なお、身体表現性障害は、十分な医学的説明が見出せない身体症状(疼痛等)からなる障害の一群であり、疼痛性障害の一次的症状は、一つかそれ以上の場所に疼痛が存任しており、その疼痛は精神科以外の身体的な状態あるいは神経学的状態によっては十分には説明できないというものであるとされている(乙二〇)。
六 検討
1 前記二1ないし3で認定した事実(客室乗務員の業務内容・性質、労働環境)によれば、客室乗務員の業務のうち、前記二3で認定した作業及びその繰り返しは、作業ごとにその態様は異なるものの、狭い通路やギャレー内で、腰部、背部、腕・肩・手の静的筋収縮をともなう不自然な姿勢による作業であって、限られた航行時間内に間断なく行われるものであり、衆人環視の中の作業であることや食事・休息の場所・時間が十分に確保されないことなどの労働環境の特殊性と相まって、精神的緊張を伴い、肉体的にも疲労度の高いものであるということができるし、これらが複合的に作用する結果、腰部及び頸肩腕部に相応の負担のかかる状態で行う作業であるということができる。
もっとも、これらの作業の繰り返しは、乗務時間中限られた一動作のみを反覆継続して行うものではなく、一連の作業の一環として行われるもので、各作業とも作業時間は航行時間内と自ずと限定されており、姿勢が拘束されたり、身体の特定の部位にのみ反復して負担がかかるものとはいえない。
2 そして、前記三1、2で認定した事実(原告の勤務状況、健康状況、発症した病状の推移、乗務時間等)及び前記五1ないし3の医学的知見によれば、原告の「頸肩腕症候群」ないし「過労性頸肩腕障害・過労性腰痛症」は、原告が客室乗務員として業務に従事した過程において発症したものということができる。
なお、c医院での診断では、腰痛についての診断名は付されていないが、証拠(原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、c医院を受診した際は、当時より重篤な症状として原告に出現していた、肩こり、左上肢のだるさ、手指のしびれ感を訴えたため、同医師もそれを主体に原告を診察したものであり、原告の発症に至る経緯、d医師の診断(前記三1(一〇))及び同医師の診断時期(昭和五六年一月二三日)とc医院での診断時期(昭和五五年一一月二八日)とが比較約近接していることからすれば、原告がc医院を受診した際にも腰痛は生じており、ただ、原告が腰痛を訴えておらず、その部位については診察の対象とされなかったため、看過されたものと推認するのが相当である。
3(一) ところで、前記二4及び三2で認定した事実(客室乗務員、原告の乗務時間等)によれば、原告の国内線乗務は、原則として、三連続勤務日、二休日、三連続勤務日、一休日の繰り返しで勤務割が固定され、三日間の勤務日の勤務内容は、二泊三日のパターン便、一泊二日と日帰りの組み合わせ、日帰りパターンのみ三日間の繰り返しがあり、原告は、発症前の国内線乗務においては、この勤務形態により乗務していたのであるが、発症前の一年間の原告の乗務時間は、月別に見た場合、長い場合でも五八時間強で、四〇時間に足りない月もかなり混在しており、ほぼ同時期の総乗務時間は同僚よりも少ないこと、また、一か月の非乗務日数は平均一八・三日、乗務日数は平均一一・九日で、非乗務日数のほうがかなり多く、原告の乗務時間と乗務前後時間を合わせた時間も、一か月の制限乗務時間八〇時間の範囲内であること(別紙(6)表1、表2)、原告には所定の休日が与えられていたことが認められる。そして、原告の主張によっても、原告は、所定の休日のほか、発症前の五か月間について、昭和五五年七月は六日の年休を、同年一〇月には四日の年休を、同年一一月には二日の年休を、それぞれ取得しているというのである(別紙(4)1ないし5)。
これらのことや、原告の乗務する路線の飛行時間、サービス内容(前記三2(一)(1))に照らせば、原告の勤務形態において、早朝勤務や深夜勤務、乗務区間が変更になることがあることを考慮しても、原告の業務内容が過重であるとはいい難い。
なお、非乗務日においても、デッドヘッドや待機勤務(別紙(2)、(3))があるから、原告の勤務時間はさらにこれを上回るが、これらの勤務が原告の腰部、頸肩腕に疲労を生じさせるものであることを認めるに足りる証拠はない。
(二) しかし、客室乗務員の腰痛訴え率が高いこと(前記四1)や、日本航空本社成田地区営業所における災害腰痛件数(前記四3)は、客室乗務員の業務が腰痛を発生させる可能性があることをうかがわせるということができるし、o医師の人間工学的検討結果(前記四2)も、客室乗務員の業務が腰背部や頸肩腕部に障害を発生させる可能性があることを示すものである。
もっとも、腰部や頸肩腕部に痛み等が発生したとしても、それが疲労の域に止まり、休息により回復するものであるか、疲労の程度を超えて疾病の程度にまで至るものであるかは、さらに検討を要するものと考えられるから(o医師の右の検討結果も、時間因子や労働密度因子を考慮すべきであるとしている。)、これらの事実から直ちに原告の疾病と業務との因果関係を肯定することはできず、あくまで右の因果関係を検討するに当たっての参考に止まるものというべきである。
4(一) 原告の休業療養中及びその後通常乗務に復帰するまでの症状の経過は、別紙(5)1ないし5「a療養経過詳細」のとおりであるが、おおむね次のようにいうことができる。
(1) 原告は、休業療養中は次第に症状が回復したものの、昭和五六年五月一一日乗務に復帰し、軽減業務(当初は編成外での月間総二〇時間以内乗務、昭和五六年六月からは編成外での札幌便月間総二〇時間以内乗務、同年七月からは沖縄便以外の月間総二〇時間以内乗務、同年八月からは日帰り便のみの月間総二〇時間以内乗務、同年九月からは月間総三〇時間以内乗務、同年一一月からは月間総四〇時間以内乗務、昭和五七年三月からは月間総五〇時間以内乗務)に就いたものの、再び症状は一進一退を繰り返した。
(2) 原告は、産業医と相談の上、昭和五七年六月一一日から社内トレーニング制度の適用を受けることとし、週二日ないし三日のトレーニングを受けたが、それ以外は休養に当てることができたため、体力がついたこととあいまって、疲労の回復が早くなった。
(3) 原告は、昭和五七年一二月から再び乗務に復帰し、軽減業務(当初は編成外での月間総三〇時間以内乗務、同年一一月からは月間総四〇時間以内乗務、昭和五八年一月からは月間総五〇時間以内乗務)に就き、一時的な一進一退はあったものの、次第に回復し、その後通常乗務に復帰した。
(二) 右の経過からすれば、休業後の原告の症状は、原告の疾病が十分な休養をとり、また運動をすることにより改善されていったものと推認することができる。なお、証拠(原告本人)によれば、原告が休暇の取り方を工夫したこと、仕事の要領を覚えたことも症状の再発防止に寄与したことが認められる。
(三) また、証拠(甲五三)によれば、原告の休業後、航空機内の改善が行われ、通路側旅客席下部に金属製のフットステップが装着され、そこに片足を乗せて上部収納棚の開閉ができるようになったこと、窓側の上部収納棚は順次押し上げて閉める型から跳ね上がっている蓋を下げて閉める型に変更されていったため、押し上げて閉める必要があるのは中央部の上部収納棚のみとなったこと、おしぼりの籠が竹製籠から箱型で把手のついた持ち運びのしやすい型に変更されたこと、ポットの形状も使いやすいものに変更されたこと、短距離路線ではジュースの分注作業そのものがなくなったことが認められ、これらの作業環境の改善も、原告の症状の改善に寄与したものと推認することができる。
5 原告の疾病と業務との因果関係に関する医師の意見について
(一) d意見について
d意見は、労働密度からして、原告の頸肩腕障害、腰痛症と原告の業務との因果関係を肯定できるとするが、一般的・抽象的に過ぎ、原告の労働密度について十分な検討を加えた結果であるか否かは明らかではない。
(二) e意見について
e意見は、同意見にいう「原告の疾病がその業務と疫学的に因果関係ありとされた疾病と同じものであること」につき、単なる疲労に止まる腰痛と疾病と認められる程度に至った腰痛とを区別せずに検討しており、問題はあるものの、客室乗務員に生じた腰痛と業務との因果関係を検討する上で参考となるものということができる。
(三) f意見及びg意見について
f意見は、原告の実際の業務量が同僚に比してむしろ少ないことから、g意見は、原告の国際線乗務時期と原告の疾病の発症時期、原告の労務が過重であると認められないことから、それぞれ原告の疾病が業務上のものとはいえないとするものである。
慢性疲労が数日から数か月の間の生活中に蓄積する疲労であること(前記五3)からすれば、g意見の述べるところ及び原告の国際線乗務期間(昭和五二年一一月から昭和五三年一一月まで)と原告に疾病があるとされた時期であるc医院受診時(昭和五五年一一月)との時間的間隔からして、原告の国際線乗務が原告の疾病発症の遠因であるとする余地があるとしても、国際線乗務自体によって原告の疾病が発症したとすることは困難であるというほかないから、この点に関するg意見は首肯することができる。
また、f意見やg意見が指摘する同僚の業務量との比較、原告の労務の過重性は、原告の疾病と業務との相当因果関係を判断するにあたって考慮すべき事柄の一つであるということができるが、右の相当因果関係は、諸般の事情を考慮して判断すべきものである(前記一2、3)。
(四) h意見について
h意見のとおり、国際線乗務自体によって原告の疾病が発症したとすることが困難であることは右(三)のとおりである。
h意見は、原告の疾病と国内線業務との因果関係を否定する根拠として、原告の症状がc医師の初診時に比してd医師の初診時の他覚的異常が明確であり、この間に病態が進行していたとも考えられるところ、一般に業務による疲労はその業務から離れることによって軽減するものであることを考えると、業務から離れた右の二か月間に他覚的所見が悪化することは矛盾していることをあげる。
しかしながら、証拠(甲四、五、六〇、原告本人)によれば、c医師は、原告を診察するに当たり、その他覚的所見について十分な検査を行っていないことが認めれるから、c医師の初診時における原告の他覚的所見が軽いからといって、原告の他覚的症状が同医師の診断どおりであったとすることはできない。同医師の初診時とd医師の初診時との他覚的異常の比較を前提とするh意見は、その前提において問題があり、採用できない。
(五) i意見について
(1) i意見は、<1>原告の作業が頸肩腕症候群を発症させるに足りるほどの作業であるとはいえず、他の同僚スチュワーデスと比較しても過大な作業量の業務に従事していたとは認められないこと、<2>原告の腰痛症状は、その愁訴に比して他覚的所見が乏しく、原告の三、四、五頸椎の後弯は、加齢による退行性変性と考えられるが、このような退行性変性は、原告の体質的な要因によってより早期に生じることがあり、原告が訴える痛みは、このようなことが大いに影響しているものと思われること、<3>疲労性の腰痛であれば腰背部の筋肉に代謝異常が生じ、前屈時に痛みがあるのが通常であるが、d医師の意見では、前屈は正常とされていること、<4>頸椎の後弯の影響で腰椎が前弯する場合があり、これは腰痛予備軍を示すもので、これが腰痛の原因となっている可能性が大きいと考えられることを主たる根拠とする。
(2) しかしながら、原告の客室乗務員としての作業が腰部、頸肩腕部に負担を生ぜしめるものであること、d医師の他覚的所見では「両肩筋硬結、圧痛プラス」とされており、これは日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会が分類した頸肩腕症候群の病像II度に該当すること(前記五1(二))からすれば、原告の作業が頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害を発生するに足りる作業でないとはいえない。頸肩腕症候群は、発症の初期から適切な対応をすることによって概ね三か月程度で症状が軽快すると考えられ、手術に移行する事案であっても概ね六か月程度の療養が行われれば治癒するといえるとされているが(前記五1(四))、原告の場合、その症状について適切な対応がされていたとはいえない上、慢性化した頸肩腕症候群は比較的難治になる場合があるのであるから(前記五1(四))、頸肩腕症候群の一般的な経過のみから、原告の頸肩腕症候群と業務との因果関係を否定することはできない。
なお、他の同僚との作業量の比較という点については、前記(三)のとおりである。
(3) 原告の腰痛症状は、自覚的症状に比して他覚的所見は少ないが、それでもd医師の所見で「腰椎の前屈は正常だが過伸展で疼痛あり」とされているし、原告の三、四、五頸椎の後弯が原告の体質的要因によって生じたことを認めるに足りる証拠はないこと、h医師は、「原告の三、四、五頸椎の後弯は若い人にはよくあることで生理的な範囲であり、右の後弯が原告の訴える痛みに大いに影響していると考える根拠はない。」としていること(証人h)、d医師も、「頸・背部の脊椎・肩甲帯及び上肢の退行変性による疾病はない。」としていること(甲五)からすれば、原告の訴える痛みがi意見にいう頸椎の退行性変性によるものであるとすることはできないし、i意見のように、「疲労性の腰痛であれば腰背部の筋肉に代謝異常が生じ、前屈時に痛みがあるのが通常である。」とか、「頸椎の後湾の影響で腰椎が前弯する場合があり、これは腰痛予備軍を示すものである。」ことを裏付けるに足りる的確な証拠もない。
(4) i意見が、「原告は、乗務開始後間もなくタービユランスに遭遇したことから、機体の揺れに対する恐れと緊張が腰部や頸肩腕の痛みに関与していると考えられる。」とすることは、これを支持するd意見もあり、これらの痛みが心理的要因によっても発生するものであること(前記五、1(一)、2)考えると、原告の疾病に右の心理的要因が作用しているとすることは十分に可能であると考えられる。
なお、原告の疾病に作用した心理的要因としては、ほかに、組合が分かれたことによる職場の人間関係(前記三1(六))が考えられるが、これが原告の疾病を発症させたことに何らかの関係があるとするまでの証拠はない。
(5) また、客室乗務員の疲労は、同僚労働者では休息をとれば十分に回復しうるものと考えられるとするi意見も、日本航空では月間乗務時間の規制や休日の与え方について労働組合と取り決められており、原告の乗務がその範囲内であり、定められた休日も与えられていること(前記二4、三2)からすると、これを肯定することができる。もっとも、原告の勤務状況からして、翌日に持ち越す疲労が連日に及ぶという状態も認められないとする部分は、同一業務に従事しても疲労の程度が各人により様々であると考えられることからすれば、必ずしも賛同し難い。
(七) j意見は、原告の症状は、自覚症状に比べて他覚的所見に乏しく、整形外科的には説明困難であること、原告が述べる自覚症状の発現の経緯からすれば、原告の症状は、「疼痛性障害」と診断されるとする。
しかしながら、整形外科的に説明困難であるからといって、頸肩腕症候群が発症しないとはいえないし(前記五1)、精神科の診断においては、患者を直接診断することが重要であると考えられるが(甲六二の2)、同医師は原告を直接診断したわけではないことからすれば、原告の述べる自己意見書のみによって原告に疼痛性障害があるとした同医師の見解は、にわかに採用できない。
(八) なお、f意見、g意見、h意見、i意見は、腰痛通達、上肢通達に定める認定基準を勘案してその意見を述べたものと考えられるところ、原告の疾病は、腰痛通達、上肢通達の認定基準には必ずしも該当しない。
もとより、右各認定基準は、被告主張(第二の三(被告の主張)2(三)(4))のとおり、現在の医学的知見を集約し、全国斉一的に迅速・公平な認定業務の処理を図る観点から定められたもので、業務起因性の判断基準として十分な合理性を有するものと解されるが、右各認定基準も、認定基準に合致しない作業態様からの頸肩腕症候群や腰痛の発症を全く否定しているものではなく、そのような事例が発生した場合には、個々の事案ごとに業務起因性を判断していくべきものである(甲三九もこのような解釈を裏付ける。)から、原告の疾病が認定基準に該当しないからといって直ちに原告の疾病と業務との因果関係を否定することはできない。
6 以上の検討結果に基づき判断する。
客室乗務員の業務内容・性質が腰部、頸肩腕部に負担や疲労を生じさせるものであること、原告の腰部、頸肩腕部の症状は、長年にわたり原告が客室乗務員としての業務に従事した過程において発生したものであること、証拠上、原告の業務以外に明らかに原告の症状を発生させる原因となった要因はうかがえないこと(原告のタービュランス遭遇に伴う心理的要因は考えられるものの、原告の疾病との関係は可能性の域に止まる。)、客室乗務員に疲労蓄積傾向があることを指摘する医学論文があることなどからすれば、原告の疾病は、長年客室乗務員として業務に従事したことにより蓄積された腰部、頸肩腕部の疲労が慢性化し、頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害、腰痛症として発症するに至ったものとして、客室乗務員の業務がその有力な原因ではないかとも考えられる。
しかしながら、原告の従事した発症前一年間の業務が過重とはいえず、原告は休日、休暇も取得していること(前記六3)からすれば、原告に生じたような腰部、頸肩腕部の疲労は、日本航空客室乗務員の労働状況(前記二4)からして、通常は休日に休息することや運動をすること等により回復することができるとも考えられるし、このことと、頸肩腕症候群(狭義)の原因は不明であり、個体の肉体的・精神的素因に社会的環境要因が働いて発症することが多いこと(前記五1(一))、腰痛は日常生活においても頻繁に発生し、労働以外の影響も考えられること(前記五2)を併せ考えると、原告の疾病と原告が従事した客室乗務員としての業務の間に、経験則上、業務に内在する危険が現実化したといえるほどの関係、すなわち労災補償を認めるのを相当するほどの関係があったとまではいえないといわざるを得ない。
七 結論
以上によれば、原告の疾病は業務に起因したものとまではいえないから、これを業務上の疾病とは認められないとした本件処分に違法はない。
よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山口幸雄 裁判官 鈴木正紀 裁判官 鈴木拓児)