東京地方裁判所 昭和22年(ワ)1415号 判決
原告 岡村玄治
被告 明治生命保險株式会社
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
第一、請求の趣旨及び原因
原告は「左記(イ)の昭和二十二年四月四日以後一年間の各約定保險料金百二十四円二十五銭を超過する金二十三円二十五銭、四口合計金九十三円の保險料債務及び(ロ)の昭和二十二年五月三十日以後一年間の約定保險料金三百二円を超過する金八十一円の保險料債務は孰れも存在しないことを確認する。
記
(イ)尋常終身生命保險、契約者兼被保險者、原告、保險者、被告会社、契約時昭和九年四月四日、保險金額各二千五百円、保險料支拂期日毎年四月四日、保險証券番号第七四四三三号乃至第七四四三六号
(ロ)契約の種類、各当事者及被保險者右に同じ、契約時大正十一年五月三十日、保險金額一万円、保險料支拂期日毎年五月三十日、保險証券番号第四〇〇六号。
訴訟費用は被告会社の負担とする。」との判決を求める旨申立て、
其の請求原因として、原告は被告会社(脱退)と、請求の趣旨(イ)(ロ)に記載のような各生命保險契約を締結し以來毎年約定の保險料を支拂つて來たところが、昭和二十二年四月頃同被告会社は原告に対し、昭和二十一年十二月一日附保險業法第十條第三項に基く大藏大臣の命令により、今後拂込むべき保險料は(イ)の分は各口とも昭和二十二年四月四日以降一ケ年金百四十七円五十銭に、(ロ)の分は同年五月三十日以降一ケ年金三百八十三円に夫々変更されたものとして、その拂込を請求して來た。然しながら、右大藏大臣の行政処分は次に述べる理由により無効である。
即ち、
(一)保險業法第十條第三項は主務大臣に既存の契約の保險料を将來に向つて増額する権限を付與したものではない。蓋し
(イ)契約により一定せる債権債務を当事者の意思を問わず増減する場合には、必ず法律にその数額の限度を規定することを要し、單なる命令を以て増減することは性質上許さるべきでない。而して同條項には何等かような数額の限度に関する規定がないから、同條項が主務大臣に右のような権限を付與したものと解することはできない。
(ロ)又昭和十四年三月同法制定当時に於ては本件処分当時のようなインフレーシヨンは何人も予想せず、随つて既存の契約につき将來に向つて保險料の増額を必要とする事態の発生すべきことは到底予想できなかつたのであるから此の点から見ても、同條項は右のような権限を付與する趣旨で制定されたものでないと解するのが穏当である。
(ハ)更に、同條項による処分は、明文上保險契約者の爲にも利益でなければならない。從つて持参債務を取立とし或は猶予期間を延長し若しくは期間徒過の効果を緩和するような処分は同條項により許されるが、保險料を増額して保險契約者の負担を加重するような処分は許されないものと解すべきである。
以上(イ)乃至(ハ)は説明の通りであるから、保險業法第十條第三項は主務大臣に既存の契約の保險料を将來に向つて増額する権限を付與したものと言うことができない。
從つて大藏大臣の本件増額処分は同條項に違反し無効である。
(二)若し同條項が主務大臣に本件のように既契約の保險料を将來に向つて増額し得る権限を付與したものとすればその限度に於て同條項は其の制定当時の旧憲法第二十七條に反するのみでなく、新憲法第二十九條にも反し、同法第九十八條に依りその効力なく、同法は其の施行前から存在する法律命令規則処分にも適用あること、同法第八十一條の規定上明白であるから大藏大臣の本件保險料増額処分は無効である。
右各憲法違反の点を更に説明すれば、
(イ)旧憲法第二十七條第一項は「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サル、コトナシ」と規定し、同第二項は「公益ノ爲必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」と規定して居り、その所謂所有権中には現実の所有権のみでなく債権をも含み、又債務を増加されないことをも含むと解すべきこと勿論である。從つて保險料増額のような保險契約者の債務を増加する処分を爲す場合には、法律を以て、その増額の限度を規定することを要する。然るに保險業法第十條第三項には何等かような規定がない。にも拘らず同條項が主務大臣に上述のような権限を付與したものとすれば、同條項は結局主務大臣が任意にかような処分を爲すことを認めたこととなり、かくては実質上法律に依らずに保險契約者の保險料債務を増加するのと異るところはない。故に同條項は右の限度に於て旧憲法第二十七條に違反するものと謂わなければならぬ。
(ロ)新憲法第二十九條第一項は「財産権はこれを侵してはならない」と規定し、同第二項は「財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律でこれを定める。」と規定している。債務の増加は財産権の侵害となること勿論であるから、その内容は法律で定めることを要する。然るに保險業法第十條第三項は、前述のように保險料増額の限度につき何等の規定も設けていないのであるから、同條項がそれにも拘らず主務大臣に右増額の権限を付與したものだとすれば、法律に依らずに單なる命令だけで財産権を侵害することを認めたこととなりその限度に於て同條は右新憲法の規定に反することとなる。
(三)仮に原告の以上の主張がすべて理由がないにしても、本件の場合、既存の契約に付き将來に向つて保險料を一方的に増額する必要が存したものとは認められない。從つて、大藏大臣の本件増額処分は、保險業法第十條第三項に違反し、無効である。
以上孰れの点より見ても、大藏大臣の本件処分が無効であること明白であるから、原告の被告会社(脱退)に対する前記各保險料支拂債務中、約定額を超過する部分の債務は、孰れも存在しないものである。
而して被告会社(引受参加人)は本件訴訟の繋属中である昭和二十三年三月三十一日被告会社(脱退)より本件保險契約上の地位を承継した。よつて、被告会社(引受参加人)に対し、前記債務の不存在確認を求めるため、本訴に及んだ次第である、と陳述した。
第二、被告の答弁及び抗弁
被告会社(引受参加人)訴訟代理人は主文と同趣旨の判決を求め、原告の主張事実に対する答弁並に抗弁として、
原告が被告会社(脱退)と原告主張のような各生命保險契約を締結し、毎年約定の保險料を支拂つて來たこと及び同被告会社が昭和二十二年四月頃原告に対し、昭和二十一年十二月一日附大藏大臣の保險業法第十條第三項に基く命令により、右各契約に付き今後拂込むべき保險料額を原告主張のように夫々増額されたものとして其の拂込を請求したこと並びに被告会社(引受参加人)が原告主張のように被告会社(脱退)から本件保險契約上の地位を承継したことは孰れも之を認めるが、右大藏大臣の行政処分が無効であるとの原告の主張はこれを爭う。殊に
(一)裁判所は旧憲法下に於ては、法律の実質的審査権を有していなかつたのであるから、旧憲法下の法律である保險業法第十條第三項が旧憲法第二十七條に違反するとの点に付いては判断できないものと言わなければならない、
(二)又本件処分は旧憲法時代である昭和二十一年十二月一日附にて発動され、その処分の効力発生と同時に消滅したものであるから、新憲法違反の問題を生ずる余地はない。保險業法第十條第三項を新憲法違反として爭うためには、同條項を違憲とする具体的事件が新憲法下で発生したものでなければならない。從つて同條項が新憲法に違反するとの原告の主張は理由がない。
(三)既に保險業法第十條第三項が主務大臣に対し、将來に向つて保險料を増額する権限を付與したものであり、且つ同條項が憲法に適合するものであるとするならば、大藏大臣が本件処分に際し、仮に原告主張のように保險料増額を既契約に及ぼすことの必要性について、その認定を誤まつたとしても、右処分は取消の対象たるに止まり、直ちに無効であると言い得ない。從つてその無効であることを前提とする原告の請求は失当である。
(四)仮に右の主張が理由がないとしても、大藏大臣の本件処分を爲すに当り爲した認定は次に述べる通り正当なものである。
即ち本件行政処分当時に於ける我国保險事業の経営は、
(イ)インフレに因る事務諸経費高騰のため、保險料中に含ましむべき契約維持費が著増したこと
(ロ)運用資金の利廻低下及び死亡保險金の支拂増加等により、各生命保險会社の資産状況が惡化したこと
(ハ)戰時補償の打切に因り、各会社は莫大な損失を蒙り、その資産状況が更に惡化したこと
(ニ)右補償打切に伴う措置として既存の契約中、保險金額一万円を超える部分は棚上げされた結果、その保險料收入は、減少したに拘らず、金額一万円以下の契約は新勘定に引継がれたため、契約一件当りに要する維持費は却つて増加するに至つたこと
等の理由により、日増に困難となり、遠からず責任準備金は皆無となり、保險金支拂は不能となることが不可避と予想されるに至つたが、而も此の窮境を打開し、生命保險事業の健全な発展を計り、以て保險契約者団体の利益を保護するためには、單に新規契約の保險料中維持費を対千円につき五円、(但し当分の間は対千円につき八円)に値上するのみでは足らず、而も新契約の維持費をこれ以上値上することは実行不可能であつたので、右値上を既存の契約に対しても及ぼす以外には適切な方法がない実情であつた。
從つて大藏大臣が右実情を認識の上、維持費の増額を認可すると共に、之を既存の契約にも及ぼす必要があると認定したことは誠に正当であり、右認定に基く本件処分が有効なことは言うまでもないから、右認定に瑕疵あることを前提とする原告の主張も亦理由なきものである
と陳述した。
第三、被告の抗弁事実に対する原告の答弁並に主張
原告は被告の抗弁に対し、次の通り答弁し且つ主張した。即ち、原告は被告の抗弁事実中、インフレに因り事務、諸経費が高騰した点は認めるがそのために、契約維持費を増額する必要があつたとの点は否認する。契約維持費の大部分を占めるものは、保險料取立に要する郵便料、振替料金、振替貯金拂込用紙代金其の他人件費等であるが、此等の費用は法律上少しも必要でないものである從つて既存の契約の保險料を将來に向つて増額する必要が実際にあつたとは言い得ない。其の他原告の主張に反する被告の主張は全部否認する。
第四、第三に対する被告の答弁
被告会社(引受参加人)訴訟代理人は、保險料取立に要する郵便料金其の他原告主張のような費用が契約維持費中に含まれている事実は之を認めると述べた。
第五、証拠<省略>
第六、其の他
被告明治生命保險株式会社は原告の承諾を得て本件訴訟より脱退した。
三、理 由
原告が被告会社(脱退)と原告主張のような各生命保險契約を締結し、以來毎年約定の保險料を支拂つて來たこと、同被告会社が昭和二十二年四月頃原告に対し昭和二十一年十二月一日附大藏大臣の保險業法第十條第三項に基く命令に依り、右各契約につき、今後拂込むべき保險料額を原告主張のように夫々増額されたものとして其の拂込を請求したこと及び被告会社(引受参加人)が原告主張のように被告会社(脱退)の本件保險契約上の地位を承継したことはいづれも当事者間に爭のないところである。
然るに原告は右大藏大臣の命令(行政処分)は無効であると主張し、その理由として、
(一)保險業法(以下業法と略称する)第十條第三項は主務大臣に既存の契約の保險料を将來に向つて増額する権限を付與したものではないこと
(二)若し同條項が主務大臣にかような権限を付與する趣旨であるならば、同規定は、其の限度に於て旧憲法第二十七條に反するのみならず、新憲法第二十九條にも反すること
(三)仮に同條項が違憲でないとしても、本件の場合に於ては既存の契約の保險料増額の必要性があつたとは言えないこと
の三点を挙げているので、以下順次之等の点につき、判断を示すこととする。
(一)業法第十條第三項は主務大臣に既契約の保險料を将來に向つて増額する権限を付與した規定であるか。
業法第十條第三項は「主務大臣保險契約者、被保險者又ハ保險金額ヲ受取ルベキ者ノ利益ヲ保護スル爲特ニ必要アリト認ムルトキハ第一項ノ変更認可ノ際現ニ存スル保險契約ニ付テモ亦将來ニ向テ其ノ効力ノ及ブモノト爲スコトヲ得」と規定する。即ち同條項は保險会社が同條第一項により主務大臣の認可を得て業法第一條第二項に掲げる書類(所謂保險の基礎書類)に定めた事項を変更した場合に、一定の限度に於てその変更の効力を既存の契約に及ぼし得る権限を主務大臣に付與した規定であること明かである。一体契約で一定している債権債務の内容を当事者の意思を問わずに変更することは許されないのが、一般私法上の原則と解すべきであるが、同條項が右原則に対する特例を規定したものであることは疑を容れない所であつて、業法がかような特例を設ける所以は後述するような保險契約の一般私法契約に対する著しい特色に基くものである。而して前記基礎書類中には保險料及責任準備金算出方法書があり、(業法第一條第二項第四号)同書面に定めた事項の変更中には、別段の規定がない以上、保險料算出方法の変更に伴う保險料の増減の場合をも包含するものと解するを相当とするから、主務大臣は一定の限度に於て即ち保險契約者等の利益を保護する爲特に必要ありと認める場合には、右保險料の増減の場合にも、その効力を既存の契約に及ぼし得るものと言わねばならない。
原告は業法第十條第三項は増額すべき保險料の数額の限度を定めていない点から見て、主務大臣に上述のような権限を付與したものとは解し難いと主張する。而して同條項が増額すべき保險料の数額を直接明示的に規定していないことは原告主張の通りであるけれども、元來同條第一項に依る基礎書類の内容の変更認可処分は、多種多様の場合が予想されるのであつて、その一々の場合を網羅的に列挙し、その各場合に数額のあるものはその限度を明示し、然る後之を既存の契約に及ぼし得ると言うような規定を設けることは殆ど不可能であるし、又その必要もない。蓋し直接数額の限度を明示しなくても、客観的に自からその限度の定まるような法律要件が規定されて居り、而もその法律要件が公共の福祉に適合するものである限り、その規定を執行するに当り、執行機関の恣意は許されず国民の権利が不当に侵害される虞もないからである。而して業法第十條第三項は保險料増額の限度について直接明示していないことは前述の通りであるが、主務大臣が同條項に基く処分を爲すには、保險契約者等の利益を保護する爲特に必要ありと認めた場合に限定せられるのであつて(法規裁量)、決して主務大臣の恣意を許すものではない。のみならず、その処分の範囲は同條第一項により基礎書類の変更を認可した範囲に限定せられるのであり、同條項による保險料増額認可の処分を爲すに際しても、保險数理上一定の限度が存することは自明の理である。果して然らば業法第十條第三項は保險料増額の点に関し、客観的に自からその限度の定まるような法律要件を規定しているものであり、同規定は、後記のような保險の特性に鑑みるときは、公共の福祉に適合するものと言うを妨げないから、同條項が右限度につき何等の規定を設けていないことを前提とする原告の前記見解には到底賛成できない。
次に原告は業法制定当時に於ては保險料増額を必要とする事態が発生すべきことは何人も予想しなかつた所であるからこの点から見ても業法第十條第三項は主務大臣に上述のような権限を付與する趣旨で制定されたものではないと主張するが、保險事業殊に生命保險事業の長期に亘る技術的特性より考えると、立法者の心理的意思は兎もあれ、立法者は寧ろかような事態の発生を予想し、之に対処する方法として同條項を設けたものと解するのがその合理的意思に合致する所以であると信ぜられるから、右の主張も亦理由がない。
更に原告は同條項による行政処分は、その明文上保險契約者の爲にも利益でなければならぬが、保險料の増額は保險金受取人の利益を保護することにはなつても、それにより保險契約者の負担は増加されるのであるから、保險契約者の爲には利益であるとは言われない。從つて同條項による処分中には保險料増額の場合は含まれないと主張するので、以下此の点につき考えて見るのに、今仮に個々の保險契約を、他のものより分離して個別的に観察する立場を取るときは、その契約について保險料を増額された保險契約者は爾後それだけ債務を加重されることとなり、通常その利益とならないこと、原告主張の通りであるけれども、此の立場に於ても、保險料増額以外には、保險事業の維持経営の破綻を救う道がないと言うような特別の場合には、保險料の増額が必然的に保險契約者の不利益であるとは言えない。蓋し、その処分に依つてのみ、保險会社の責任準備金に対する保險契約者の権利が確保されるのであり、又保險事故発生後は、保險金の支拂が可能となり、契約者の保險契約締結の意図も達成せられるのであるから、大局的には、契約者の利益も亦保護される結果となると言うことができるからである。故に、原告のように保險料増額の処分は保險契約者の利益でないと一概に断じ去る訳には行かないのである。のみならず、保險契約関係は之を各個独立に観察するのみでは決して正しく理解することはできないのであつて、各個の契約の根底に横はる保險の危險団体的特性を前提として考慮することが肝要である。即ち、保險(営利保險)は法律上は保險者と保險契約者との間の單なる債権契約に過ぎないけれども、経済的には、同一の危險の下に立つ多数人が団体を構成し、(これを危險団体と称する)其の中の一員の財産上の需要を他の構成員が共同して充足させる爲の組織的技術的方法である。勿論かような危險団体の存在について、法律は何等規定していないのであるが、法律と経済が密接な関係を有し、前者の正当な理解の爲には後者を観察する必要があることは言うまでもないところであるから、保險に関する諸法律関係を合理的に解釈する爲には前述のような保險の危險団体的特性を看過できないのである。而してかような危險団体の存在を前提として考えると、各個の保險契約は相互に孤立するものではなくて、其の間に団体的紐帶が存し、從つて其の団体の構成員である各保險契約者の間に衡平の原則が維持されねばならぬことは明白である。業法第十條第三項は右のような保險団体内に於ける衡平維持を目的として主務大臣に一定の権限を付與した規定に外ならないから、同條項に所謂「保險契約者、被保險者又ハ保險金額ヲ受取ルベキ者ノ利益」とは、單に同條項により処分を受ける既存の保險契約者等の個別的な利益ではなく、保險契約者等一般の利益、換言すれば、保險団体内部の衡平維持を意味するものと解するのが妥当である。而して何が保險団体に於ける衡平を維持する所以であるかは、各個具体的事案に即し、慎重に考慮すべきことであつて、此の故にこそ同條項は「主務大臣……特ニ必要アリト認ムルトキハ」と規定し、その濫用を戒めているのである。果して然らば同條項による処分が既存の契約者にとつて利益と言えない場合も生じ得ることは当然の理である、此の点に関する原告の前記主張は、保險の特性を度外視した議論であつて、到底採用することはできない。
(二)業法第十條第三項は憲法に違反するか。
原告は同條項が主務大臣に本件のような処分を爲す権限を付與したものとすれば、その限度に於て同條項は旧憲法第二十七條に反するのみでなく、新憲法第二十九條にも反し無効であると主張する。
(イ)よつて先づ旧憲法違反の点について考察する。
旧憲法には新憲法第八十一條のような裁判所の法令の実質的審査を認める旨の規定が存しないのみならず司法権の立法権に対する優位を認めるに足る規定もなく、旧憲法の基本的な性格に徴するときは寧ろ立法権の司法権に対する優位が承認されていたと見るべきであるから、立法権者が或る法律を憲法に適合するものと解釈して之を制定した以上、その解釈は最終のものであつて、司法権が自己の見解を以て之に対抗する権能はなかつたものと解するのが相当である。これ從來の判例が一貫して裁判所に法律の実質的審査権を認めなかつた所以である。從つて、新憲法は新たに、その第八十一條を以て裁判所に法令の実質的審査権のあることを定めたが、旧憲法施行当時制定された、法律の効力を新憲法に照して、判断することは格別、新憲法施行後と雖も、旧憲法施行当時苟も形式上の瑕疵なくして制定された法律は旧憲法施行の当時には、有効に成立した法律と解するの外はない。
よつて此の点に関する原告の主張は失当である。
(ロ)次に新憲法違反の点について考察する。
被告は本件行政処分は旧憲法時代に発動され、直ちにその効力を発生して消滅したものであるから、新憲法違反の問題を生ずる余地がないと主張するから、先づ此の点について判断するのに元來右のような行政処分は、一旦有効に成立しても、その性質上効力発生と同時に消滅するものであるかどうかは暫く置き、原告が本件において右行政処分の無効を主張するのは、その行政処分が現在効力を有しないということを主張するのではなく、このような行政処分によつて形成された法律効果が現在存在しないことの前提として前記認定のように昭和二十一年十二月一日になされた本件行政処分がその当時において有効に成立しなかつたことを主張するものであるから、原告は裁判所に対し右処分の根拠を爲す業法第十條第三項の規定が新憲法に違反することを主張し、その判断を求めることができるものであつて、被告のこの点に関する主張は採用することができない。
よつて進んで業法第十條第三項が新憲法第二十九條に違反するか否かについて考察する。
原告が同條項を新憲法第二十九條に反すると主張する理由の要旨は、新憲法第二十九條第一項は財産権の不可侵性について規定して居り、保險料増額のような保險契約者の債務を増加する行爲は財産権の侵害となるから、同條第二項により、その内容を法律で定めることを要するにも拘らず、業法第十條第三項には増額すべき保險料の数額の限度を定めていないから、同條項により既存の契約の保險料を増額することは結局主務大臣が法律によらず任意に財産権を侵害することを認めたことになるからであると謂うにあるけれども、同條項が右増額の限度を客観的に定まり得るような法律要件を以て規定したものであること、既に説明した通りであり、其の他同條項が右憲法第二十九條に反することを疑うに足りる理由は少しも発見できない。從つて此の点に関する原告の主張も亦理由なきものである。
(三)本件の場合保險料増額の必要が存したとは言えぬから、本件行政処分は業法第十條第三項に違反し無効である、との原告の主張について、
大藏大臣は右條項に基き、既存の契約の保險料を将來に向つて、新規契約の保險料の限度まで増額し得る権限を有すること、及び同條項が憲法に反するものでないことは既に説明したところである。大藏大臣に右のような権限がある以上、同大臣が本件処分を爲すに当り、仮に原告主張のようにその必要性の認定を誤まつたとしても、その処分は單に取消の対象たるに止まり、直ちに無効であると言えないこと、行政処分の性質上明白である。蓋し行政処分はその処分に内在する瑕疵が外観上明白で且つ重大な場合に限り無効となるものと解すべきところ、本件処分が権限ある国家機関により爲されたものであること前記認定の通りである以上、保險料増額の必要性の認定の瑕疵の如きは、その処分の外観上明白であるとは言えないからである。よつて、此の点に関する原告の主張も亦理由なきものと言わねばならない。
果して然らば、本件行政処分は、どの点から見ても無効でないこと明かであるから、右処分の無効を前提とする原告の本訴請求は、爾余の点につき判断するまでもなく、失当である。よつて原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 恒田文次 菅野啓藏 村上悦雄)