東京地方裁判所 昭和22年(ワ)757号 判決
原告 日産生命保險株式會社
被告 河野均平
一、主 文
被告は原告に対し金六萬四千圓及び之に對する昭和二十二年五月十日より右完濟に至る迄年五分の割合による金圓の支拂をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は金二萬圓の担保を供して仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、第二項同旨の判決並に仮執行の宣言を求め請求原因として原告は生命保險を營む株式會社で被告は原告會社に出入する商人であるが、昭和二十年十一月頃被告は原告會社の福祉課長である訴外長谷部天信を通じて原告会社に對し軍用乾パンの拂下品の購入方を申し込こんで來たので同年十一月十日原告会社は被告に對し発注書(一、乾パン一、二百凾但し六十匁入百袋、一、納入場所.当社.一、即納一.價格一袋三円五十銭也但し諸雜費共)を出し、この代金として被告に対し昭和二十年十一月十三日代金として内五十五函に付いては一袋三円七十銭の割合で金二万三百五十円、百二十六函に付いては一袋三円五十銭の割合で四万四千百円以上合計六万四千四百五十円を支拂い之に対し被告は昭和二十年十一月二十日原告会社に右乾パンを運搬納入する旨の約定をなした。
然るに被告は原告会社に対し右期日に至つてもその履行をしないので同年十二月二十日原被告合意の上、右賣買契約を解除し同年十二月二十五日被告は原告会社に対し右代金を返還する旨約定し、同期日に至り右約旨に基いて被告は原告会社に対し右代金返還のため額面金六万四千円振出人佐伯安、支拂人株式会社埼玉銀行浦和支店の小切手一通及び現金四百五十円を交付した。然るに同小切手は預金不足のためその支拂を受けることが出來ないので右賣買代金中未返還である金六万四千円の返還を求め且つ右に対し本訴状送達の翌日である昭和二十二年五月十日より民法所定の年五分の割合による損害金の支拂を求めるため本訴に及んだ次第であると陳述し更に本契約締結の際被告は原告会社に対し何等その見本を呈示しないで本件乾パンは一箇に付十六箇の金米糖が入つているものであるから菓子類に属し食糧の統制外のものである。又社会事業の資金を集めるために政府が一般に放出したものであるから自由に処分しても差支のないものであると説明したので原告会社は右乾パンを購入することになつた。即ち原告は本件契約締結当時食糧管理法違反であることを全く知らなかつたものであるから同法違反であるとすれば之を購入する意思はなかつたものである。故に本契約を締結したことは要素の錯誤であり本契約は結局右理由に基いて無效であるから原告会社は右無效の契約に基いて被告に支拂つた代金の返還を請求する。更に右が要素の錯誤に該当しないとしても被告は原告会社を欺瞞して本契約を締結せしめその代金の交付を受けたものであるから原告会社は右被告の詐欺を理由として本契約を取消しその代金の返還を求める。更に本契約が食糧管理法違反であるとしても右契約は既に昭和二十年十二月二十日原被告間に於て合意解除し更に新たにその代金返還の約定が成立したから右約旨に基く代金の返還請求は不法原因給付と何等関係がない。と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として原告が生命保險業を営む株式会社であること竝に昭和二十年十一月十三日に原告会社より金六万四千四百五十円を受領した事実は認めるかその余の事実はすべて否認する。猶被告は本件乾パンの賣却方を訴外和田雅夫より依頼され原告会社に対し右賣買の仲介をなしたに過ぎないから契約当時者としてその受領した代金を返還する義務はない。即ち被告は賣主である訴外和田雅夫と原告会社の間に立つて右乾パンの購入方を斡旋し原告主張のような数量の乾パンを原告会社の依頼により一袋に付價格の一割の紹介謝金を受ける特約の下に原告主張の日に訴外和田に支拂うため金六万四千四百五十円を原告会社より預り後ほど右契約の当時者である訴外和田に交付したものであり以後の取引については被告は何等関知しない。
更に抗弁として原告の本件乾パン代金の支拂は食糧管理法第二、第九、第二十一條、同施行令第一條により不法の原因による給付に該当し原告はその給付物を何人に對しても法律上返還請求することが出來ないから原告の本訴請求はすべて失当であると陳述した。<立証省略>
三、理 由
(一)原告が生命保險業を営む株式会社であること竝に昭和二十年十一月十三日に原告会社より金六万四千四百五十円を受領した事実は当事者間に何等爭がない。よつて本賣買契約が原被告間に於て締結されたかどうかについて考察するとその成立に爭のない甲第一号証竝に証人吉田垂穗の証言によりその成立を認めうる甲第二号証、証人齋藤保太郎及び同吉田垂穗の各証言によれば被告は原告会社に出入して物資の斡旋をしていたものであるが昭和二十年十一月頃原告会社の福祉課長である訴外亡長谷部天信を通じて原告会社に対し軍用乾パンの拂下品の購入方を申込んで來たので同年十一月十日原告会社は被告に対し発注書(一、乾パン一、二百函但し六十匁入百袋一、納入場所当社、一、即納一、價格一袋三円五十銭也但し諸雜費共)を出し昭和二十年十一月十二日被告にたいして代金として内五十五函に付いては一袋三円七十銭の割合で金二万三百五十円、百二十六函については一袋三円五十銭の割合で金四万四千百円以上合計六万四千四百五十円を即金で支拂い之に対し被告は昭和二十年十一月二十日迄に原告会社に右乾パンを運搬納入する旨の約定をなした事実を認定することができる。右認定に反する証人黒柳一二三の証言は同証人が本件契約に直接関係しているものではないから信用しない。被告は原告会社及び訴外和田雅夫の間に立つて本件乾パン賣買の仲介をなしたに過ぎない旨主張し、被告本人はその主張にそう供述をしているけれども同人供述どおりと仮定すると、長谷部天信は全然現物も見ない先に全く未知の和田に單價も数量もきめないまゝ代金を支拂うことを被告に託したことになるが、これはそれ自体不自然であるだけでなく、前記甲第一号證が被告から原告宛の領收書になつており、しかも数量單價を明細に表示してあることに比較しても容易に被告の供述は信用できず、被告の供述だけでは、右認定をくつがえすにたりるだけの心証はえられないし、他に、右供述をうらづける証拠もない。
(二)証人吉田垂穗の証言によりその成立を認めうる甲第三号証及び証人齋藤保太郎竝に同吉田垂穗の各証言を綜合すれば被告は原告会社に対し右期日に至つてもその履行をしないので同年十二月廿日原被告合意の上右買賣契約を解除し同年十二月廿五日被告は原告会社に対し右代金を返還する旨約定し、同期日に至り右約旨に基いて被告は原告会社に対し右代金返還のため額面金六万四千円振出人佐伯安、支拂人株式会社埼玉銀行浦和支店の小切手一通及び現金四百五十円を交付したが同小切手は預金不足のためその支拂を受けることが出來なくなつた事実を認めうる。証人黒柳一二三及び被告本人は右認定とはことなつた供述をしているけれども、前に(一)でのべたのと同じ理由で、それらだけでは心証をうごかすことができない。
(三)被告は抗弁として原告の本件乾パン代金の支拂は食糧管理法違反であるから不法の原因による給付に該当し原告はその給付物を何人に対しても法律上返還請求することができない旨主張するのでこの点について判断すると本件乾パンは食糧管理法中に言う主要食糧(小麥の加工品たる食糧)に該当するので右代金の支拂竝に乾パンの引渡を目的とする本賣買契約は同法の違反と考えられる。
しかしながら被告本人訊問の結果によれば本契約締結の際被告は原告会社に対し何等その見本を呈示せず且つ被告自身本件乾パンは一箇に付十六箇の金米糖が入つてゐるもので菓子類に属し又相当の手順を踏んで拂下げ救濟資金に充てるため出すものであるから何等食糧管理法違反にならないと思つてその旨原告会社に対し説明しこれにより原告会社も又右乾パンを購入することについて何等同法違反にならぬものと誤認した事実を認めうる。故に本契約自体が客観的に違法の行爲を目的としたものであつても右認定のように少くとも原告会社は主観的にその違法である旨の認識を欠いて本契約を締結したものと認められるから原告会社は不法の原因が存在せず、從つて被告は民法第七百八條を根拠として本件代金の支拂を拒むことはできないわけである。故に被告主張の抗弁は採用できない。
(四)結局本賣買契約に基いて被告に支拂つた代金六万四千四百五十円中未返還である金六万四千円及び之に対し本訴状送達の翌日であること記録上明白である昭和二十二年五月十日より民法所定の年五分の割合による損害金の支拂を求める原告の本訴請求は全部正当であるから之を認容し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條仮執行の宣言について同法第百九十六條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 小林哲郎)