東京地方裁判所 昭和23年(タ)109号 判決
原告 新井壽雄
被告 井上志ん
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「昭和二十三年五月二十二日東京都渋谷区長宛に届け出た原告と訴外亡井上市郎及び被告との協議離縁届は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因を次のとおり述べた。
原告は被告の亡夫井上市郎の甥であるが、被告夫婦からその実子忠寛が戦死したので、是非養子となつてくれと懇請されたので、昭和二十二年一月十日被告夫婦と養子縁組をした。原告は昭和二十二年十二月頃訴外椙田牧子と結婚したが、被告はこの結婚を喜ばず、同居を拒んだので、妻の実家に別居して被告の態度のやわらぐのを待つていたところ、被告はその気持を変えないのみか、かえつて原告と離縁しようとその実弟訴外諏訪五作と謀り、諏訪及び訴外井上秀次郎、大武芳三郎、諏訪中、中川七五郎をして、昭和二十三年一月十日頃原告に対し離縁を承諾するよう申入れて来た。原告は諏訪等に、被告の気持がやわらげば一日も早く養家に妻と共に帰りたいと思つているから、離縁には不承諾の旨を述べたのにもかゝわらず、同月十五日諏訪五作から「原告が結婚という重大事について予め養父母の承諾を得ないで同棲するに至つたこと、重病の養父の看病をしないことは養子としての将来が思いやられるから離縁を承諾せよ」という前記五名捺印の手紙を受け取つた。原告は翌日諏訪五作方に行き、右申出に不承諾の旨を伝え、同月二十三日頃養父を見舞いその意思を問うたところ、養父市郎は「離縁には絶対に承服できぬ。お前は井上家の跡取りだから一日も早く帰つて来てくれ」と云い、被告を呼んで被告にもその旨を話した。しかるに諏訪五作等は同年三月二十二日原告に対し「被告から頼まれたが、お前は病気で働かないし、養父は中気で寝ていて経済的にも困るから離縁せよ」と離縁を強要し、原告が病気のため三万円ばかり借金をしていると云つたところ、それを被告方から出してやるから離縁を承諾せよと脅迫して、原告が承諾しないと暴力を振つてその身に危険を加えそうなので、原告は、原告に離縁の意思がなく養父にもその意思がない以上離縁を承諾しても無効であり、また被告夫婦が養子である原告の治療費を負担してくれるのは当然だと考えて、諏訪五作のいうまゝに「原告は金三万円を井上家から贈与を受けて井上家から離籍する」という誓約書に押印した。したがつてこの離縁の協議は無効のものである。それ故原告はその後渋谷区役所に行き戸籍掛に井上市郎及び被告と原告との協議離縁届は受理しないように再三申出ておいた。しかるに被告は昭和二十三年五月二十二日養父市郎死亡後同日諏訪五作に依頼して勝手に原告と被告夫婦との協議離縁届を作成させて渋谷区長にその届出をし、渋谷区長はこれを受理してしまつた。このように原告と被告夫婦との協議離縁には原告及び養父市郎の離縁の意思を全然欠くものであるから、昭和二十三年五月二十二日渋谷区長宛にされた協議離縁届は無効であることの確認を求める、と。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。原告が被告の亡夫訴外井上市郎の甥であること、原告主張のとおり原告と被告の夫市郎及び被告と養子縁組をしたこと、原告主張の日に右当事者間の協議離縁届がなされ、同日市郎が死亡したことは認めるが、その他の原告主張の事実は否認する。原告は昭和二十二年十二月一日被告に無断で家出をして、被告夫婦の承諾がないのに訴外椙田牧子と内縁の夫婦となり、養父市郎が重病であるのに椙田の実家に別居して養父母を顧みないので、被告は夫市郎と相談の上、昭和二十三年一月以来訴外諏訪五作、井上秀次郎、大武芳三郎、諏訪中等の親戚及び中川七五郎に依頼して、原告の意思をたずねさせたところ、原告は養家に帰る意思がないというので、諏訪等をして協議をすゝめさせた結果、同年三月二十二日原告は市郎及び被告と協議離縁をすることを承諾したので、金三万円を離別金として贈与することになり、同日原告は異議なく右の趣を記載した誓約書に捺印したのである。その際交渉した右の五名の中、井上は市郎の弟、中川は市郎の親友でいずれも市郎が離縁の意思を有していたことを確めて、同人の意思にもとずいてこの協議をしたものであり、また右の者達は原告と被告の双方のためを考慮して交渉を進めていたもので、その会談は極めて懇談的に行われたもので、決して原告の主張する脅迫の事実などはなかつた。したがつて右誓約書の捺印も原告の自由意思でなされたもので、また右金員も離別金として贈与することにしたもので、原告はこれを感謝しており、被告夫婦は右約定にもとづき原告に対し同年五月二日金四千円を支払い、同月十二日金一万六千円を支払うと共に、諏訪五作に協議離縁届出を依頼したので、原告は同十二日諏訪と共に渋谷区役所に赴き、同区役所前の代書人に協議離縁届書の代書を依頼し、代書人が作成した協議離縁届書の原告名下に自ら捺印した。そこでその届書を区役所に提出したが、原告の復籍すべき戸籍抄本が古かつたため受理されなかつた。原告は早速その届出をするため右の戸籍抄本を自らその本籍地から取り寄せて同月十七日被告に渡した。原告は翌日右戸籍抄本を「ちよつと見せてくれ」と云つて被告から取り戻して行つたが、その際も離縁を承諾しないなどゝいう意思は何等表明しなかつた。それ故諏訪五作は別に戸籍抄本を取り寄せて被告及び市郎の依頼により同年五月二十二日朝八時頃原告が自ら捺印した前記の協議離縁届書を渋谷区役所に提出して届出をしたのである。市郎はこの届出後同日死亡した。したがつて右届出当時原告も市郎も離縁の意思を有していたのであるから、原告と被告夫婦との協議離縁届は有効のものであつて、原告の主張は理由がない、と。<立証省略>
三、理 由
原告本文の供述(第一、二回)によると、原告は昭和二十二年一月十日被告及びその夫亡井上市郎と養子縁組をし、同人等の協議離縁届が昭和二十三年五月二十二日東京都渋谷区長宛にされたことが認められる。
原告はこの協議離縁届は被告が勝手にしたもので、原告及び養父市郎の意思を欠く無効のものであると主張する。
証人諏訪五作(第一、二、三回)大武芳三郎、中川七五郎、井上秀次郎、皆川元の各証言、右証言によつて成立の認められる乙第一乃至三号証及び被告本人の供述を綜合すると、原告は昭和二十二年十二月一日の晩どこへ行くともいわず突然家を出て、翌日家に帰つて被告の制止するのも聞かずに異動申告書に印を捺して出て行つてしまい、荷物はその前養父母の知らない間に運び出し、養父母の同意を得ないで、訴外椙田牧子と内縁の夫婦となつて妻の実家に別居し、養家には殆ど寄りつかず、長く中風で寝ている養父の看病もしないので、被告はこれでは行末が案じられると、訴外諏訪五作、大武芳三郎、井上秀次郎、諏訪中等の親戚及び市郎の親友である中川七五郎に相談をして、右の人々から昭和二十三年一月十日頃原告が養家に止る意思かどうかをたずねさせた。原告は右の人々に自分は養家に止る意思がないから、後のことは宜しく頼むと云つたので、右の人々はその趣きを被告夫婦に伝え、市郎の意思も確めたところ、市郎も「親の面倒を見ない奴は困る」と離縁のやむを得ないことを表示した。その当時は原告と養父母との間はすでに感情的にも経済的にも、養親子関係を継続することが困難な事態に立ち至つていたので、右の人々は被告夫婦に代つて原告と協議をすすめた結果、同年三月二十二日諏訪五作、大武芳三郎、山崎惣平、諏訪中、立会の上、「原告と被告夫婦とは協議離縁する、被告夫婦は原告に金三万円を離別金として贈与する」という話合が決り、同日その旨の誓約書(乙第一号証)を作成して原告と右の者等はこれに捺印した。そして原告は同年五月二日右約定の金の内金として金四千円を、五月十二日金一万六千円を諏訪五作を介して被告夫婦から受領し、同日金二万円の領收書(乙第二号証)に自ら捺印し、直ちに諏訪と共に渋谷区役所前国友代書事務所に赴き、諏訪より代書人皆川元に原告と被告夫婦との協議離縁届書の作成を依頼し、原告もその趣旨を承知の上、所持していた印章を代理人に渡してその作成した届書の原告名下に捺印させ、こゝに協議離縁届書が作成せられた。その際代書人皆川元は諏訪と原告を協議離縁の当事者であると思つており、両人の間には何等のいざこざもなかつた。ところがその届出は原告の復籍すべき実家の戸籍抄本が古かつたため当日受理されなかつたので、原告は離縁届書をそのまゝ諏訪に託して届出を委任し、原告は早速その実家の戸籍抄本を本籍地から取り寄せて同月十七日被告に渡した。被告は直ちにこの抄本を添付して前に作成してある届書を区役所に提出しようとしていたところ、その翌日原告は被告にその抄本を諏訪に渡すからと云つて被告から取り戻して行つた。しかしその際原告は被告に対して離縁の意思がなくなつたから抄本を取り戻すなどということは表明せず、諏訪に対しても離縁の意思のないことは何等表明しなかつた。そこで諏訪は別に原告の実家の戸籍抄本を取り寄せ、前に原告と共に作成しておいた協議離縁届書を同月二十一日渋谷区役所に持つて行つたが、時間が遅れたので受けつけられなかつたので、翌二十二日朝八時頃渋谷区長宛に提出して同日受理された。養父井上市郎は右届出後同日九時半頃死亡したことが認められる。右認定に反する証人新井モト及び原告本人(第一、二回)の供述は採用しない。原告は離縁する意思がなかつたけれども、諏訪五作等に脅迫され、また養父にも離縁の意思がない以上、離縁を承諾しても無効であり、養親が養子である原告の治療費を負担してくれるのは当然であると考えて、諏訪五作等のいうまゝに、離縁の誓約書に捺印して、離縁金名義で金を受領したと主張し、原告本人(第一回)及び証人椙田牧子もこれに添うような供述をしているが、前認定のように、この離縁の誓約書作成後、原告が離縁の届出をするため、諏訪と共に渋谷区役所に赴き、その後離縁の届出に必要な実家の戸籍抄本を自ら取寄せて、被告のもとに持参した事実などからして、誓約書作成当時離縁の意思がなかつたとは到底認められないのであつて、この点についての右供述は信をおき難く、その他これを認めるに足る証拠はない。
もつとも証人戸川尚の証言、同証言により真正に成立したと認める甲第二号証及び原告本人(第二回)尋問の結果を綜合すると、当時渋谷区役所の戸籍係は戸川尚外二人であつたが、原告は昭和二十三年五月十八日頃右戸川のところへ来て、被告等から原告との離縁届が提出されても、受理しないでおいてくれと申出たことはあつたが、その後別の戸籍係の者が離縁届を受理したものであることが認められる。原告本人(第二回)は戸川以外の戸籍係にも度々その申出をした旨供述するが、右供述は措信しない。凡そ離縁は離縁当時の当事者の意思によるべきであるから、離縁の届書を作成してその届出を委任した後であつても、届出前に意思が変り離縁の意思がなくなつた場合には、その届出の委任を解除するなり、相手方に対し離縁の意思のないことを申出て、届出を拒絶することも可能である。しかしこれらの措置を講ぜずして、たゞ届出当時離縁の意思がなくなつていたというだけでは、その届出を無効とすることはできないと解するのが相当である。けだし民法の一般理論によれば、届出の委任の解除がない限り、届出は有効になされたものと解さねばならないが、親族法には民法のこの理論が適用ないとしても、相手方や届出の受任者に知り得ないような本人の内心的効果意思の如何によつて、その届出の有効無効を左右し得ることになれば、身分上の変動を来す重要な届出を著しく不確実ならしめる結果となるからである。本件で原告は諏訪に対して届出の委任を解除するとか、養親に対して離縁の意思のなくなつたことを申出るとかの措置を講じなかつたことは前認定のとおりであるから、たとえ原告が戸籍係員の一人に離縁届が提出せられても受理しないでくれと、予め申出ておいたことが認められてもこの届出を受理したのは、この申出を受けない戸籍係員であつたばかりでなく、仮に同一係員であつたとしても、戸籍吏は届出を形式的に審査する権限があるだけであつて、届出が本人の真意によつて為されたかどうかを審査する権限なく、一応形式にあつた届出が為された以上、これを拒絶する権能もないのであるから、戸籍係に予め申出てあつたというだけで、特に他の場合と区別して、この届出を無効と解することはできない。また信義の原則からいつても、右のような事情で原告は離縁に承諾して届書に印をおして、諏訪に届出を委せたのであるから、もし原告において、真に離縁の意思がなくなつたのならば、前に受領した二万円の離縁金を返済するなり、あるいは返済を約するなどして、離縁の意思のないことを養親または届出を委せた諏訪五作に表示して、届出をやめさせるべき措置を講ずるのが当然であり、又その機会も十分あつたに拘らず、これを為さずして、離縁金を受領したまゝ養父の死亡後の今日、当時離縁の意思がなかつたからとて、離縁の無効を主張することは、正当な権利の行使とはいえない。この点からも、原告は離縁の無効を主張し得ないと解するのが相当である。
よつて右届出の無効の確認を求める原告の請求は失当であるからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 千種達夫 三和田大士 石渡満子)