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東京地方裁判所 昭和23年(ワ)3948号 判決

原告 山田フサ

被告 日本国有鉄道

一、主  文

被告は原告に対し、金八万千八百四十五円七十六銭と、これに対する昭和二十三年十一月十三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告、その四を原告の各負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金八十一万六千三百六十八円四十八銭と、これに対する昭和二十三年十一月十三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

原告の長男山田敏郎(昭和五年二月二十六日生)は、昭和二十三年五月十七日から都築興業株式会社横浜事業所に勤務し、国が経営していた国有鉄道海神奈川駅構内で、毎日クレーン作業に従事していたが、同年七月二日午後四時十五分過頃、当日の作業を終えて、作業場から同駅構内にあるクレーン作業者のための更衣室に戻ろうとする途中、貨物線路(一番線)を横断した際、同線路を東々北方から疾走してきた当時の国の使用人機関士穂谷野徳一の運転する機関車(貨車二輛連結)に衝突して、轢死した。

右事故は、次のように全く右穂谷野の過失によつて生じたのである。(添附図面<省略>参照)

機関士として機関車運転の作業を実施するに当つては、事前に又作業中に、できる限り周到な準備をし、かつ注意力を集中して、いかなる事態が起つても適宜の処置をとることができるように心がけ、事故の発生を未然に防止することに努めなければならない。即ち、始めての地区で機関車を運転する場合には作業着手前に時間の余裕ある限りその地区の地勢や人の通行状況等を視察して、地区の特殊性を理解しておいて、運転上の参考とすべきであり、また作業に必要な最小限度の速力で運転することにより、高速度交通機関が必然的にもつ危険性をできる限り緩和すべきである。又運転中には常に線路の前方を注視し線路傍又は線路内に立入つたり、立入らうとする者がいるかどうかに気を配り、そのような者があるときは、直ちに警笛を吹鳴し、制動をかける等臨機の処置を機敏にとり、事故の発生を防がなければならない。ところで、本件事故発生場所の東々北方十数米のところには踏切があり、そこには遮断機の設備がなく、毎日午前八時頃から午後四時まで踏切警手が立つて交通の安全を看視しているのである。従つて踏切警手のいない時刻にこの踏切を通つてその附近を進行する場合には、機関士は特に踏切附近の線路を横断する者に注意し、万一の場合には何時でも急停車できる用意をして徐行しなければならないのである。

しかるに、穂谷野は右にあげた注意義務に反して本件事故を惹起したのである。同人は国有鉄道沼津機関区所属の機関士であつて、本件事故の日に始めて国から海神奈川駅構内での作業に従事するよう命令を受けて同駅に来た者であつて、本件現場附近の地勢その他の特殊性を承知していなかつた。しかも、当日午後一時半頃同駅に到着し、作業着手までに二時間余の暇があつたのに、その間を徒らに鉄道員詰所で談笑に空費し、作業地区の調査を怠り、地区の特殊性を理解しようとする努力をしなかつた。かくて同人の作業が本件現場の東々北方から貨車二輛を牽引してきて、本件現場の西方約百米の地点にある一番線ポイント先で停車し、そこから貨車を他の線に突放し、貨車の組換をすることにあつて、少しも高速度で運転する必要がなかつたのに、漫然と時速二十五粁以上の高速度で本件現場附近を通過しようとした。そして本件現場附近はその東々北方少くとも五、六十米先から見とおしのきくところであり、敏郎がクレーン作業場から来て、(イ)点で線路傍に上り、衝突地点である(ハ)点に向つて歩き始めた頃には、穂谷野の運転する機関車は敏郎の姿を見ることができる位置に進んでいたのであるから、穂谷野としては、直ちに敏郎の動きに気をつけ、警笛を吹鳴し或は制動をかける等の処置をとるべきであり、又それができたはずであるのに、穂谷野は、前方注視義務に反して、敏郎に気づかず、従つて何等の処置をとることもなく進行し、敏郎が(ハ)点の手前で線路内に踏み込もうとする直前、同人と十五、六米の距離に接近して始めて同人を発見し、しかも急制動をかける処置をとらず、ただ非常警笛を吹鳴しただけでそのまゝ突進した。この時直ちに急制動をかけ、機関車の先端が(ハ)点に来る時間が僅かでも遅れていたならば、敏郎は二条の線路の中央で機関車に衝突したのであるから、衝突を免れ得たか、少くとも死亡に至るような事故は避け得たはずである。穂谷野は機関車が敏郎に衝突する間ぎわになつてやつと急制動をかけたのであつて、時既に遅く、前記のとおり敏郎を轢死させてしまつたのである。

右のとおり、本件事故は穂谷野が国の使用人として国の事業の執行中、その過失によつて起つたのであるから、国は本件事故によつて蒙つた敏郎及び原告の損害を賠償すべき義務を負つたのである。

ところで、敏郎は死亡当時満十八歳であつて、身体壮健、体内諸機関に何らの故障がなかつたのであるから、本件事故がなければ、なお少くとも一般日本男子満十八歳の者の平均余命年数以内である三十六年間を生存し、その間少くとも死亡当時の平均收入を得られたはずである。そして、同人の死亡当時の一日の平均收入は、百七十九円三十一銭(年收六万五千四百四十八円十五銭)であつたから、三十六年間には合計二百三十五万六千百三十三円四十銭の收入を得ることができたことになる。この総收入から、右收入を得るための労働に必要な経費(同人の衣、食、住及び交通に要する費用)を收入の三分の一とみつもつて、これを控除すると、純收入は百五十七万七百五十五円六十銭ということになり、敏郎はこれを本件事故によつて失い、同額の損害を受けたのである。この損害額を一時に請求するとすれば、ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除するのが相当であり、八十九万五千六百七十八円四十八銭が一時に請求できる金額である。原告は敏郎の死亡によつて相続し、国に対する右損害金請求権を承継取得したのであるが、労働者災害補償保険法により国から遺族補償金として十七万九千三百十円の支払を受けられることとなつているから、これを前記損害金から控除した残額七十一万六千三百六十八円四十八銭(保険給付を受けると、その限度で、損害賠償請求権は国のものとなるから、任意に控除する)が原告の請求できる損害金である。

なお、原告は昭和十八年四月に夫を失つた後、敏郎外その弟妹三名の子供をかかえ、辛うじて生活を続けてきたのであつたが、敏郎が前記のとおり就職して漸く安どの思をしたやさき、本件事故が突発したのであつた。経済的のみならず、精神的にも唯一の支柱であつた敏郎を失つたことにより、原告は精神上重大な苦痛を受け、又将来も永く受けることになつた。この苦痛に対する慰藉料としては金十万円を相当とする。

従つて国は原告に対し、前記損害金七十一万六千三百六十八円四十八銭と慰藉料十万円との合計八十一万六千三百六十八円四十八銭を支払うべき義務を負つたのである。

被告は昭和二十三年法律第二五六号(昭和二十四年四月一日施行)によつて設立され、従来国の経営していた国有鉄道の事業に関し、国がもつていた権利、義務を承継し、原告に対する前記債務も承継した。

よつて原告は被告に対し、右金額と、これに対する昭和二十三年十一月十三日(本件訴状が国に送達された日の翌日)から、完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

かように述べた。

そして、被告の答弁に対しては、次のとおり述べた。

本件事故現場が進駐軍の接收地区内であつて、穂谷野が当日従事していた作業が進駐軍の命令があつて行われていたものであることは認めるが、このことだけで本件事故に国は責任なし、ということはできない。進駐軍の命令は貨車の組換を命じているだけで、国はその命令に基ずき、その責任において使用人である機関士を選任し、その機関士に作業を実施させるのであるから、本件穂谷野の作業も国の事業であつた、といわなければならない。その作業に対する対価が進駐軍から国に対して支払われたと否とは、国の作業といえるかどうかを決定する基準とはならない。

穂谷野は、前記のとおり、作業着手前に地区の調査を怠るごとき責任観稀薄の者であり、又敏郎の発見が著しく遅れ、その上発見後も機宜の処置をとり得なかつたのであつて、注意力乏しく、かつ感覚鈍重である。国はかような高速度車輛の機関士としては不適格な穂谷野を機関士に採用し、しかも突然沼津機関区から海神奈川駅に派遣しておきながら、作業地においても特別の注意、監督をせずに作業を実施させたのであるから、同人の選任、監督について相当の注意をした、ということはできない。

敏郎が当日線路を横断しようとして通つた道すじは、クレーン作業場と作業者の更衣室とを結ぶ近道になつており、クレーン作業者が毎日往復しているいわば慣用道路となつているところであり、従来監督者からも国有鉄道の職員からも一度も通行を禁止されたことがないのである。傍にある踏切は自動車の通行のために設けられたもので、歩行者を目的としているものではない。又本件現場が進駐軍の接收地区内である以上、そこでは鉄道営業法の施行は停止されている、というべきである。従つて、敏郎が前記線路を横断したことには、違法性はないし、又過失もない、といわなければならない。敏郎が(イ)点に上つた瞬間においては、穂谷野の運転する機関車はそこから七十五米以上東々北方にあつたのであるから、敏郎は未だこれを発見できなかつたのである。そして同人が(イ)点から(ハ)点まで歩行するに要した時間は約十秒であり、その僅かな間に背後から進行してくる機関車に注意するため後をふりかえつてみることを通常の歩行者に要求することは無理である、といわなければならないし、現場附近は線路が多数錯綜し、諸種の音響が喧噪を極めていたのであるから、機関車の警笛や進行から生ずる音響を聞いただけで、横断しようとする線路上を機関車が進行してくることを覚知することは、極めて困難である。従つて、敏郎が線路内に入る前に、機関車に気づかなかつたことをもつて、同人の過失であるということもできない。まして本件においては、穂谷野は機関車が敏郎に衝突する二、三秒になつて始めて非常警笛を吹鳴したのであり、その時には敏郎は既に線路内に足を踏みいれようとする姿勢にあつたのであるから、警笛を聞いて機関車の間近に来ていることが分つても、自ら待避する余裕はなかつたのである。本件事故に対して、敏郎には全く過失はない。仮りに同人にいく分の過失があるとしても、前記穂谷野の過失に比べれば、いうに足りない程度である。

被告の主張することは、ことごとく理由がない。

かように述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答えた。

原告の主張する事実のうち、山田敏郎が昭和二十三年七月二日午後四時十五分過頃国有鉄道海神奈川駅構内で、貨物線(一番線)を横断した際、国の使用人であつた機関士穂谷野徳一の運転する機関車(貨車二輛連結)に附図の(ハ)点で衝突し、轢死したこと、(ハ)点の東々北方十数米のところに踏切があり、ここには遮断機の設備がなく、毎日午前八時頃から午後四時まで踏切警手が立つこと、事故当日の穂谷野の作業が本件事故現場の東々北方から貨車二輛を牽引して、現場から西方約百米の地点にある一番線ポイントの先で停車し、そこで牽引してきた貨車を突放し、貨車の組換をするにあつたこと、穂谷野が敏郎を発見して警笛を吹鳴したこと、(但しその場所の点を除く)本件現場附近から東々北方五、六十米先まで見とおしがきくこと及び被告が原告主張のとおり設立され、国有鉄道の事業に関してもつていた国の権利、義務を承継したことは、いずれも認めるが、原告が本件事故をもつて穂谷野の過失によるとして主張している前記以外の事実、穂谷野の当日の作業が国の事業の執行であつたということ、原告の主張する損害額及び国が原告に対して損害賠償義務を負い、この債務を被告が承継したということは、いずれも否認する。その他の原告主張の事実は知らない。

国、従つて被告は、次の理由から本件事故について全く責任がない。

本件事故現場は、横浜倉庫株式会社の専用鉄道線内であつて、同鉄道線の所有者及びその鉄道の事業者は右会社である。そして昭和二十年九月右状態のまま附近一帶は進駐軍に接收され、接收地区内の作業は、全て進駐軍の指揮、監督のもとに、進駐軍の事業として行われている。当日穂谷野が従事していた作業も、進駐軍の命令でその指揮監督を受け、その事業の執行としてなされていたのであり、国は車輛及び使用人を提供しただけである。国は右作業に対して対価も收受していないのである。従つて、穂谷野の従事していた作業に関しては、国と同人との間に使用者、被用者の関係はないし、その作業は国の事業ではないのであつて、穂谷野が作業中第三者に損害を与えたとしても、国には何ら責任がない。

穂谷野は、前記会社の専用線(一番線)を貨車トム一輛、トキ一輛の二輛を牽引して、時速約二十五粁で機関車を運転して東々北方から進行してきたが、前記踏切の東端から約三十米の地点(ヘ)に来たとき、まず踏切に対する注意警笛を吹鳴し、さらに約五米進行して(ト)点で前方約五、六十米同線路傍北側を歩行する敏郎を発見し、注意警笛を吹鳴しながら緩制動をかけ、速度を時速二十粁に減じ、(この附近は約千分の五の上り勾配になつているから、実際速度は時速十七、八粁となつていた)歩行者に注意しつつ踏切上にさしかかつた。ところが敏郎は機関車を回避することなく、かえつて突然線路を横断しようとした。穂谷野は、その身体が踏切の西端から約五米の(リ)点に達したところで、これを認め、直ちに非常警笛を吹鳴し、急制動をかけたが、敏郎がそのまま線路内に入つてきたので、(ハ)点でこれに衝突し、そこから約二十五、六米先の(ホ)点で停車したのである。なお、貨車組換作業の実施に当り、時速二十五粁の速度で機関車を運転することは、国有鉄道運転規程で認められているところであり、かつ当日の作業ではこの速度で運転することが必要であつたのである。以上のとおり、穂谷野は機関士として機関車を運転するに際して守るべき注意義務を十分に尽し、最善の処置をとつたのであつて、同人には本件事故に対して少しも過失がない。本件事故は後記のとおり、全く敏郎の重大な過失によつて生じたのである。この点からいつても、国は本件事故に対して責任がないのである。

仮りに、穂谷野の従事していた作業が国の事業であり、穂谷野に過失があつたとしても、国は穂谷野の選任及びその作業に対する監督において相当の注意をしたのである。即ち、国は機関士となる者に対しては何回かの試験と訓練とを課し、これに合格した者をさらに指導機関士の運転する機関車に同乗させて十分に実地訓練を施した上で、独立の機関士として採用し、作業に従事させている。しかもかかる機関士に対しても、国は監督員によつて常に個々の作業の指導及び監督をしている。穂谷野の選任及びその作業に対する監督についてもそのとおりにした。

従つて、国は本件事故に対して何らの責任がない、といわなければならない。

以上の主張がすべていれられないとしても、本件事故の発生については、敏郎にも重大な過失があつた。鉄道線路を横断しようとする者は、そのために設けられてある踏切を通り(鉄道営業法で、踏切以外の場所で鉄道線路を横断することは禁じられている)、しかも車輛の進行に注意し、左右をみて安全を確めた後に歩行をすすめ、もつて自らの安全をはかるとともに、車輛の円滑な運行を妨げないようにする注意義務がある。しかるに敏郎はすぐ傍に踏切があるにもかかわらず、踏切を通らずに、(イ)点から線路を斜めに横断しようとしたのであつて、この点で既に重大な過失がある。同人が踏切を廻つておれば、時間的にみても本件事故は起らなかつたはずである。しかも同人が(イ)点から(ハ)点に向つて歩き始めて間もなくの頃、穂谷野は、前記注意警笛を吹鳴しつつ、東々北方五、六十米の所にさしかかつてきたのであるから、通常人であればその警笛又は機関車の進行によつて生ずる音響により、機関車が接近してくることを感じ、これを待避することができたはずであるのに、敏郎は不注意で気づかなかつたのか、或は気づきながらも敢てしたのか、線路に近づいて行つた。そして穂谷野が(リ)点で非常警笛を吹鳴した時期においても、まだ回避するにおそくはなかつたはずであるのに、敏郎はそのまま線路内に踏込んだのである。かような敏郎の行動によつて、本件事故が生じたのであるから、本件事故に対し穂谷野に過失があるとしても、敏郎の過失に比べれば、その一割程度にしか当らない。よつて国に損害賠償義務が生じたとしても、損害額の算定については、右敏郎の過失を斟酌すべきである。

かように述べた。

<立証省略>

三、理  由

山田敏郎が昭和二十三年七月二日午後四時十五分過頃、国有鉄道海神奈川駅構内貨物線路(一番線)を横断する際、同線路を東々北方から進行してきた国の使用人であつた機関士穂谷野徳一の運転する機関車(貨車二輛連結)に衝突し、轢死したことは、当事者間に争いがない。

まず、当日穂谷野が従事していた機関車運転による作業は、国の使用人として国の事業を執行していたのであるかどうかについて、判断する。

当時本件事故現場附近一帶が進駐軍の接收地区になつていたこと及び当日穂谷野が従事していた貨車の組換作業が進駐軍の命令によつて行われていたことは、当事者間に争いがなく、この事実と乙第三号証の一、二(真正にできたことについて争いがない)証人小沢太郎、渋谷富久、穂谷野徳一、横塚勝治及び植松豊の各証言とを合せ考えると、次のとおり認めることができる。

前記貨物線(一番線)は昭和五年頃横浜倉庫株式会社が敷設した同会社の専用鉄道線であつて、それ以来同会社と国有鉄道との間の作業契約により、国がその車輛及び従業員を使つて、同会社のために同線路上での貨物輸送を行つてきていた。ところが昭和二十年九月進駐軍が附近一帶の地区を接收することになり、右貨物線も接收され、それからは専ら進駐軍のために使用されることになつた。

ところで、進駐軍の占領目的遂行上必要な鉄道輸送に関しては、総司令部から日本政府宛に出されている、「占領目的遂行上必要な鉄道輸送をなすべし。」という趣旨の命令に基ずいて、進駐軍の輸送司令部から国有鉄道の各業務担当者に対して出される個々の輸送作業命令に従つて、国有鉄道がその作業を実施する、という形式がとられている。即ち国有鉄道では、進駐軍から正式に発令された作業命令を受けると、自らの車輛及び従業員を使用して、命ぜられた作業を遂行するのである。かような形式は、輸送作業の行われる場所が接收地区内であると否とによつて、異るところはない。本件事故当日穂谷野が従事していた貨物組換作業に関しても事は同じであり、進駐軍の作業命令に従い、国有鉄道が沼津機関区勤務の穂谷野を海神奈川駅に派遣し、作業を実施させたのであつた。

かように認めることができ、右認定に反する証拠はない。これによると、進駐軍の命ずるところは一定の作業目的を実現することにあるのであつて、作業そのものは国有鉄道がその責任において、自らの車輛及び使用人を選択し、使用人を監督して実施するのであり、従つて、国有鉄道自らの事業として行うのである、とみるのが相当である。なお、証人植松豊の証言によると、接收地区における作業については、機関士その他の作業員に対し、進駐軍関係から細い点まで作業上の注意や指示が与えられることがある、ということは認められるが、かような注意や指示は事の性質上、進駐軍の正式の命令、監督権の行使というよりは、むしろ関係者の事実上の行為とみるのが相当であるから、このことは前記認定を妨げるものではない。

してみると、当日穂谷野は国の使用人として国の鉄道輸送事業を執行していた、というべきである。

そこで次に、本件事故が穂谷野の過失によつて生じたかどうかについて判断する。

穂谷野の従事していた作業が、一番線を東々北方から貨車二輛を機関車で牽引してきて、一番線ポイントの西方に一旦停車した後、そこから他の線に貨車を突放し、貨車の組換をするにあつたこと、事故現場の東方十数米のところに踏切があること、この踏切には遮断機の設備がなく、毎日午前八時頃から午後四時まで踏切警手が立つこと、穂谷野が敏郎の姿を発見して警笛を吹鳴したことは、当事者間に争いがなく、この事実と、甲第一乃至第十一号証、乙第一号証(いずれも真正にできたことに争いがない)証人穂谷野徳一、小島信太郎、瓜本光治、高四郎及び永井静江の各証言、検証の結果とを合せ考えると、次のとおり認めることができる。

穂谷野は、当日海神奈川駅構内における作業に従事するため、午後一時十分過頃同駅に到着し、午後四時頃作業に着手するまで、貨車置場で待機していた。その間約三時間の余裕があつたが、同人は同駅構内における作業を昭和二十二年十二月頃から一週間に一度位の割合でしてきていて、附近の地勢や交通状況はよく承知していたので、作業にかかる前に特に作業場附近を調査するということは、改めてしなかつた。同人の作業は、まず事故現場から約百五、六十米東方にある進駐軍材料置場から鉄材を積載した貨車トキ二〇〇、トム一〇五の二輛を連結して機関車を運転し、事故現場から約百米西方にある一番線ポイントの先まで進行し、そこで右貨車を突放し、貨車の組換を行つた後、組換えた貨物列車を運転して東海道線にひき入れることにあつた。そこで同人は右貨車を牽引して一番線を東方から本件現場に向い時速約二十五粁の速度で進行したが、現場附近は線路が進行方向に向つて右に大きく彎曲しており、かつ当時東方から(ト)点附近まで線路の右側に鉄材が四、五米の高さで積まれていたので、踏切以西は、機関士の位置がほぼ(ト)点に達するまでは、見とおすことが不可能であつた。同人は前方に踏切のあることは知つていたので、踏切の東端から約三十米手前にある(ヘ)点に達したとき、まず踏切に対する注意警笛を吹鳴し、さらに五米位進んだ(ト)点で、前方約五十米先の線路の右側を線路沿いに歩いている敏郎を発見し、再び注意警笛を吹鳴しながら踏切にかかつた。敏郎はふだんクレーン作業者たちが更衣所へ戻る近路として通つていた(イ)点(踏切の西端から約十一米)から貨物線路を横断して西南方更衣所へ戻らうとしていたのであつた。穂谷野は、右注意警笛によつて敏郎が機関車の進行に気づき、自ら待避すると漫然信じ、敏郎がなお機関車の進行に気づかずうつむき加減のまま次第に線路に近づきつつあつたにもかかわらず、そのまま機関車を進行させ、機関車が踏切を通過した後(リ)点あたりで敏郎が既に線路の中に入らうとする姿勢をとつたのをみて、あわてて非常警笛を吹鳴し、つづいて急制動をかけた。しかし、敏郎はそのまま二条の線路の中央に出てしまつたので(ハ)点で機関車はその先端を同人に衝突させ、同人を轢死させた。機関車は(ハ)点の先二十五、六米の地点(ホ)で停車した。敏郎が歩いていた線路右側は西方に向つて行き詰りになつていた。なお、本件作業で穂谷野が機関車を運転した時速二十五粁という速度自体は、法規上許容されているところであり、又当日の作業からみて必ずしも不必要な高速度とはいえない。

かように認めることができ、前記各証拠中、右認定に反する記載及び供述の部分は、それぞれ他の証拠に照らしてみて、採用できないし、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

機関士が機関車を運転する場合、事故を未然に防止するため最善の注意を払わなければならないことは、いうまでもないことであるが、具体的にどれだけのことをすれば、機関士としての注意義務を守つたといえるかは、そのときどきの状況に応じて判断しなければならない。日頃勤務している地区でない慣れない場所で作業に従事するときは、作業着手前その地区の地勢その他をつぶさに調査し、運転上の参考にするということは、極めて望ましいことではあるが、本件の場合穂谷野は前認定のとおり、現場附近の状況はよく承知していたのであるから、当日改めて附近の状況を調査しなかつたことをもつて、同人に過失ありとすることはできない。つぎに、時速二十五粁の速度は、本件作業において必ずしも不当な高速度であるとはいえないこと前認定のとおりであり、又機関車が高速度交通機関であることからいつて、遮断機の設備なく、踏切警手のいない踏切があるからといつて、機関士に、常に速度を落し、何時でも急停車のできる用意をして機関車を進行させなければならないという義務を課することは、一般的には無理なことである。しかしながら、機関士としては、その進行方向数十米先の線路傍を歩行している者を発見したときは、直ちに注意警笛を吹鳴するとともにその態度様子に注意し、警笛によつて待避する様子が見えず、かえつて線路に近づいてくる気配が認められるにおいては、直ちに非常警笛を吹鳴し又緩制動をかけ、それでもなお待避しない場合には、衝突を避けうる時期を逸することなく急制動をかけるなど、万一の事故の発生を未然に防止するに足る処置をとるべき義務がある、といわなければならない。まして本件において、敏郎が歩いていた線路傍を横断することなしに通拔けできる通路ではないのであり、そしてクレーン作業員達が日頃本件現場附近の線路を横断して作業場と更衣所との間を往復していたことは、この附近の地勢や交通状況を十分に知つていた穂谷野には当然分つていたことであるから、穂谷野運転士は敏郎が線路傍を歩いているのを発見したときに、敏郎が間もなく線路を横断するであらうことを予想できたはずである。かような場合においては、注意警笛を吹鳴して、これに対する敏郎の反応によく注意し、同人がなお機関車の進行に気づかない模様であれば、衝突の危険があるものとして、直ちに非常警笛を吹鳴し、制動をかける等、衝突事故を防止するに足る最善の処置をとる義務がある、といわなければならない。しかるに穂谷野は敏郎の歩いている姿を発見して直ちに注意警笛を吹鳴する処置はとつたけれども、同人がなおうつむき加減に線路に近づきつつあつたに拘らず、それ以上の処置をとらずに漫然と進行し、同人が線路内に踏み込む姿勢をとつたのを見て始めて非常警笛の吹鳴及び急制動の処置をとつたのであつて、この処置にでることがおくれたのである。これは穂谷野が前記注意警笛に対する敏郎の反応に十分注意しなかつたか、或は注意したが、最後には敏郎が車輛の進行に気づいて待避するであろうと軽信したか、そのいずれかによるものであると認めるほかなく、穂谷野には前記注意義務の違反があつた、といわなければならない。そして穂谷野が前記注意義務を守り、適時に前記処置をとつていたとすれば、機関車の先端が(ハ)点に到達するまでの時間には、少くとも二、三秒の差が生じたであろうことは、前認定の事実関係からみて容易に推測できるところであり、このことと、本件事故が二条の線路の中央で起つたこととを合せ考えると本件事故は、穂谷野が適時に前記処置をとつていたとすれば、避けることができた、ということができる。即ち当裁判所のみるところによると、本件事故は、軽い程度のものではあるが、(このことについては後に再びふれる)穂谷野の過失によつて生じたのである。

被告は本件事故について穂谷野に過失があるとしても、国は穂谷野の選任及び監督につき相当の注意をした、と主張するから、この点について判断を与える。

証人穂谷野徳一、川口胴平の各証言によると、次のとおり認められる。

国有鉄道の機関士は、庫内手から機関助手見習、機関助手、機関士見習の各職種を経た後に採用され、その各職種は一定期間の実務訓練と試験(学科及び適格検査を含む)とに合格しなければ進級できない。そして機関士となり各機関区に配属され独立の機関士としての作業に従事するようになつても、国有鉄道では機関区長、助役及び指導機関士を通じて日常職務に対する訓示、作業に対する注意、指導、監督を行つている。穂谷野の選任、監督についても同様であつた。

かように認めることができる。しかしながら、右の事実だけでは、穂谷野の当日の作業に対する監督について国は相当の注意をした、ということはできないし、その他国において穂谷野の作業の監督について相当の注意をした、という事実については、主張及び立証がない。この点に関する被告の抗弁は理由がない。

以上によると、本件事故は、国の使用人であつた穂谷野が国の事業の執行に当つて、その過失によりひき起した、というべく、従つて国は本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務を負つた、といわなければならない。

そこで進んで本件事故によつて生じた損害の額について判断する。

甲第十二号証(真正にできたことについて争いがない)、甲第十四号証(証人宮下茂一郎の証言によつて真正にできたことが認められる)と、証人宮下茂一郎の証言、原告本人の供述とを合せ考えると、次のとおり認められる。

敏郎(昭和五年二月二十六日生)は、原告の長男で、昭和二十三年五月十七日から都築興業株式会社横浜事業所に勤務するようになり、本件事故当時の平均日收は百七十九円三十一銭(年收に直すと六万五千四百四十八円十五銭)であつた。当時既に夫と死別した原告は、敏郎とその弟妹三人の五人暮で、敏郎の右收入と間貸による月百円の上りと原告の内職による月約三百円の收入とで生活していた。敏郎は自分の收入のうち毎月六百円位を小遣いや交通費に使つたが、残りは家計費に入れていた。

かように認められ、右認定に反する証拠はない。

この事実によると、敏郎の月收は五千四百円となり、これから六百円を控除した四千八百円に前記貸間と原告の内職による月收四百円を加えたものが原告家族五人の生活費であつたわけであるから、原告自身の生活に要した費用は、その收入の三分の一以下であつた、と認めることができる。従つてその三分の二は純收益とみることができる。乙第四号証(真正にできたことに争いがない)には昭和二十三年十月当時の国有鉄道職員の收入と生活費とに関する比率について右と異る結果を示しているが、これにあげられている数字は多数人に関する統計によつて得られたものであつて、個々人の場合にそのままあてはめることは適当でない。よつて敏郎の死亡当時の純收益(收入から生活費を控除したもの)は、全收入の三分の二、即ち一年四万三千六百三十二円十銭となる。ところで満十八歳の男子の平均余命年数が三十六年以上であることは、当裁判所に顕著な事実であるから、敏郎は本件事故がなければ、なお少くとも三十六年間は生きられたはずであり、右收入は、特別の事情がない限りその間同じ程度に得られたと認めるのが相当である。そこで三十六年間に得べかりし純收益は合計百五十七万七百五十五円六十銭となるが、これは一年四万三千六百三十二円十銭の額が年々積つて三十六年で達する額であるから、ホフマン式計算法により、年五分の中間利息を控除して現在の価額に算定すると八十八万四千六百二十三円三銭となり、これが本件事故によつて敏郎が受けた損害の額である。

ところで被告は、本件事故については敏郎にも重大な過失があるとして、過失相殺を主張するから、この点について判断を与える。

前掲甲第一乃至第三号証、第五号証、第七乃至第十一号証と、証人穂谷野徳一、高四郎、瓜本光治、熊倉頴夫及び永井静江の各証言とを合せ考えると、次のとおり認められる。

敏郎は、当日同僚より少し遅れて午後四時過頃クレーン作業を終え、一人で作業者のための更衣室に戻ろうとして(イ)点に来た。作業場から更衣所に来るには、(イ)点から斜め西南方に貨物線路を横断するのが近道であつた関係から、クレーン作業者達はふだん踏切に廻ることなく、右近道を通つていた。敏郎は当日もそのとおり、(イ)点から斜めに線路に近づきながら歩いて行つた。同人が(イ)点に来たときには、穂谷野の運転する機関車は(ヘ)点より東北方にあつて見えなかつたが、機関車が(ヘ)点及び(ト)点で前認定のように注意警笛を吹鳴した時には、敏郎は未だ(イ)点からいくらも歩いていなかつた。敏郎は終始うつむき加減に、何か考えごとをしているような様子で、機関車の方をふりむきもせずに歩行を続け、そのまま線路内に踏み込み、(ハ)点で機関車の先端に衝突した。

かように認めることができ、右認定に反する証拠はない。

鉄道線路を横断しようとする者もまた万全の注意をもつて事故を防止し、自己の安全をはかるとともに交通機関の円滑な運行を阻害しないよう協力する義務があることは、いうまでもない。踏切の設備のないところで線路を横断することは、歩行しにくいという点からいつても、車輛の運転士が通常踏切でないところを通行する者のあることを予想していないという点からいつても、極めて危険であり、必要やむを得ない場合を除き、鉄道営業法の規定をまつまでもなく、歩行者の前記注意義務に反することというべきである。本件(イ)点から(ハ)点を通つて更衣所に至る道すじは、クレーン作業者が日常通つていたところであるとしても、すぐ東北方に踏切の設備もあるのであるから、この日常通つていたということだけをもつて、敏郎に注意義務違反はない、とすることはできない。そして、敏郎が当日踏切に廻つておれば、機関車の進行状況と照らし合せてみて、敏郎が踏切に達した頃には機関車は踏切を越えていたわけであり、従つて本件事故は避けられたはずであつた。してみると敏郎が踏切以外の場所で線路を横断したことは同人の過失であり、そしてこの過失もまた本件事故の一因となつた、といわなければならない。又線路を横断しようとするときは、進行してくる車輛があるかどうかと左右を確かめた後に歩を進めるべきであることは、前記歩行者の注意義務の内容として自明のことがらである。前認定のとおり、敏郎が(イ)点から歩き始めて間もなく機関車が(ト)に姿を現はし、注意警笛を吹鳴しつつ進行してきたのであるから、通常人であれば警笛及び機関車の進行によつて起る音響をきき、一旦立ちどまつてどの線路をどの方向に走る機関車であるかを確認し、自ら待避し、それによつて事故を防ぐことができたはずであるにもかかわらず、敏郎はその処置をとらずに線路内に入つたために、本件事故が生じたのである。この点においても敏郎には過失があり、その過失が本件事故の重要な原因となつた、というべきである。原告は現場附近は鉄道線路が錯綜しており、注意警笛や機関車の進行によつて生ずる音響を聞いただけではどの線路を進行する機関車であるか不明であるし、敏郎が(イ)点から(ハ)点まで歩くに要した約十秒の間に、同人に背後をふりかえつてみることを要求することは無理である、と主張するが、前記のとおり線路を横断しようとする前には、まず左右を確めるべきであり、注意警笛や機関車の進行によつて生ずる音響がきこえたならば、その機関車がどの線路をどの方向に走つてくるかを確認すべきであつたのであるから、原告の右主張は全く理由がない。

当裁判所のみるところによると、敏郎の過失はひかれることを覚悟で鉄路にはいつたというに近いほどの重大な過失である。本件事故の発生については、敏郎にこの重大な過失があつたのであり、これに比べると穂谷野の過失はむしろ軽いのであるから、この敏郎の過失を斟酌して、本件事故によつて生じた前記損害のうち、国の責任とすべき額は、その四分の一に相当する二十二万千百五十五円七十六銭をもつて相当と認める。

本件事故により二十二万千百五十五円七十六銭の損害賠償請求権が敏郎について生じたのであり、さきに認めたところと弁論の全趣旨とによると、原告は敏郎の唯一人の相続人であることが認められるから、原告は右債権を相続により承継取得したわけである。そして、原告家における敏郎の前認定の地位からいつて、その死亡により原告が甚大な苦痛を受け、又将来も長く受けるであろうことは察するに難くない。そこで前認定の原告家の事情、敏郎の年齢、その過失の程度その他の事情を考慮して、原告の受け又受けるべき精神上の苦痛に対する慰藉料としては、金四万円を相当と認める。

ところで、原告が本件事故に関し、労働者災害補償保険法による遺族補償費として十七万九千三百十円を国から受けることになつていることは原告の認めるところであり、原告は前記財産上の損害金から右補償費を控除した残額と慰藉料とを本訴で請求する旨主張しているのであるから、前記国の負担すべき財産上の損害金二十二万千百五十五円七十六銭から右十七万九千三百十円を引いた残金四万千八百四十五円七十六銭と慰藉料四万円との合計金八万千八百四十五円七十六銭が、国が原告に対して負つた債務である、ということができる。

被告が、昭和二十三年法律第二五六号(昭和二十四年四月一日施行)によつて設立され、従来国の経営していた国有鉄道の事業に関し、国の負つていた債務を承継したことは、右法律によつて明らかである。従つて被告は、国が原告に対して負つた右八万千八百四十五円七十六銭の債務を承継したといわなければならない。

被告は原告に対し、損害金と慰藉料の合計金八万千八百四十五円七十六銭と、これに対する昭和二十三年十一月十三日(本件訴状が国に送達された日の翌日。記録上明白である。)から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告の本訴請求はこの限度において正当として認容すべく、その余は失当である。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 武藤英一 西村宏一)

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