東京地方裁判所 昭和24年(ワ)1434号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
(事實)
原告の一人息子甲(配電工事会社の外線工事夫)は日光北街道路上で被告会社の自動車運轉手乙の運轉する貨物自動車により轢殺されたので、原告は本訴において被告会社に対し損害賠償として金二十万円、慰藉料として金十万円、合計金三十万円の支拂を求める。ところで、原告はさきに右災害について栃木労働基準局から遺族補償費として金十一万三千八百九十円、葬祭料として金六千八百三十三円、合計金十二万七百二十三円の交付を受け、同時に同基準局に対し被告会社に対する原告の損害賠償請求権を被告のために抛棄する旨の意思表示をしているので、被告は本訴においてこれが受益の意思表示をなし、「その結果原告の被告に対する損害賠償請求権は全部消滅した」と主張する。よつて、原告の右抛棄と被告の右受益の各意思表示によつて原告の被告に対する損害賠償請求権が消滅したか否かが問題になる。
(判斷)
判決は、原告が前記抛棄の意思表示をなすに至つた経緯及び労働者災害補償保險法の法意等よりして、原告の右抛棄の意思表示は原告が栃木労働基準局から給付を受けた前記遺族補償費の限度においてのみ原告の本件損害賠償請求権を消滅せしめんとしたものと解し、結局原告の本訴請求は本來原告が被告に対して請求し得べき損害賠償額より右遺族補償費の額を控除した残額についてのみ許容せられる、としている。(判決はこの見解の下に、被告に對し損害賠償として一萬八千五百五十圓――判決が被告に損害賠償義務ありと認めた十三萬二千四百四十圓から前記遺族補償費十一萬三千八百九十圓を差引いたもの、――慰藉料として五萬圓、合計六萬八千五百五十圓の支拂を命じている。)
右の点に関する判決理由は次の通りである。
「思うに労働者災害補償保險法は労働者が災害を受けた場合とかくその救済や補償が遲れ勝であつた過去の実績や事情に徴して迅速且つ公正の保護を目的として設定されたものであることは同法第一條に明定するところである。しかして成立に爭のない乙第一号証によると原告は労働基準局長宛に『私儀今般ノ事件ニ付テハ当事会社ニ対シ今後訴訟ヲ起サヌコトヲ約ス昭和二十年九月十六日』なる書面を提出したことは明白であるが、証人川田章二の証言(當時の栃木勞働基準局勞災課長)によると栃木基準局が原告に対し亡孔雄(被害者――筆者註)の本件災害について労災保險金十一万三千八百九十四円及葬祭料金六千八百三十三円四十銭合計金十二万七百二十三円四十銭を原告に支給するに際し前記の如き書面を提出せしめたのは同法第二十條に『政府は補償の原因である事故が第三者の行爲に因つて生じた場合に保險給付をしたときは、その給付の價額の限度で、補償を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する』旨規定されてあるので、右の場合政府が更めて第三者に対して有する損害賠償請求権を行使せざるを得ない訳であるので、事務当局としては右の煩を避けるため右保險金受領者をして前記損害賠償請求権を抛棄せしめるように実務上の慣例に從つて前記乙第一号証を基準局に提出せしめたものであることが明白である。從て前記乙第一号証の文詞自体には何等の制限がないようであるが、右の原告の書いた極めて稚拙なる文章といひ、又・・・の証言等を綜合すると栃木労働基準局は原告が前記乙第一号証の所謂一札を提出しなければ労災保險金を支給しない旨の意向を表明したために原告も之に應じて右書面を基準局に提出するに至つた経緯を窺うに足るのみならず、前敍の労働者災害補償保險法設定の立法の精神をも併せ稽うるときは原告は本件損害賠償請求権の中基準局から支給された労災保險金の金額の限度においてのみ抛棄の意思表示をしたものと解するを妥当と考える。前掲の諸証拠中前記認定と牴触する部分は採用しない。しかして右は第三者のためにする契約たる性質を有するものと解すべきであるが、被告会社は本訴において之に対し受益の意思表示をしたから原告の前記請求権の免除は前記労災保險金十一万三千八百九十円の限度において消滅の効果が生じたものと言わねばならない。」
(附言)なお本判決は前記損害賠償額の算定の基礎として被害者の生存推定残期間の総收入を算出するについて、同期間内における被害者の昇給率を考慮に容れず、その理由として、「近時の経済事情に徴すれば物價の昇騰率は寧ろ勤労者の給与の昇給率を上まわるが如き事実もあるので、本件事故発生当時の平均額を基準として計算することも必ずしも不当と言えないものと考えられる」と述べている。