東京地方裁判所 昭和24年(ワ)2280号 判決
原告 宮尾てる 外五名
被告 国
一、主 文
被告は原告てるに対し金十二万円、原告良、同篤、同利政、同利子、同正信各人に対し各金五万八千円及び右各金員に対する昭和二十四年六月十六日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告等その余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は二分して、その一を原告等の、その一を被告の、各負担とする。
二、事 実
原告等訴訟代理人は「被告は原告てるに対し金六十三万三千三百三十三円、原告良、同篤、同利政、同利子、同正信各人に対し、各金二十七万三千三百三十三円及び右各金員に対する昭和二十四年六月十六日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、次のとおり陳述した。
(一) 宮尾袈裟理
(1) 原告てるは訴外亡宮尾袈裟理(以下単に宮尾という。)の妻であり、原告良は長女、同篤は三男、同利政は四男、同利子は三女、同正信は五男である。
(2) 宮尾は父祖代々酒造業を営む郷土の名望家に生れ早稲田大学政経科を中退後村会議員、郡会議員、県会議員等の閲歴を経たが、昭和二十二年四月五日施行せられた居村栄村の村長選挙に際し、同人は青年時罹患した宿痾の肺結核が昭和二十一年四月頃再発し一年間静養加療中であつたので立候補を辞退したが村民の懇望もだし難く遂に立候補して当選し栄村村長の現職にあり、同村農地委員長野県農地委員、同委員会訴願委員等の職を兼ねており、年齢六十三歳であつた。
(二) 同人の勾留
(1) 所が同人は右選挙に関する選挙違反被疑事件により同年五月十二日強制処分を受けて長野警察署に勾留され、同二十日長野地方裁判所に起訴された。同裁判所においては判事飯島直一が事件を担当し、六月十一日第一回公判を開廷、七月二十三日の第二回公判を経て、八月二十七日の第三回公判において弁論を終結し、九月十日同人に対し懲役一年の有罪判決を言渡した。
(2) この間宮尾は長野拘置所に在監し七月十一日附、八月七日附、九月十日附で同人に対する勾留更新の決定があり、第一審弁護人鴛海隆外二名から七月九日附、八月五日附及び八月二十八日附の三回に亘り、又宮尾本人からも九月五日附で各保釈を請求したが飯島判事はその都度証憑湮滅の虞れがあるとの理由でこれを却下した。
(3) 宮尾は判決に対し直ちに東京高等裁判所に控訴したが、訴訟記録はなかなか発送せられず、長野簡易裁判所の判事滝沢太助が他事件の処理上必要ありとしてこれを留め置き、十月十一日附で勾留更新決定をなした。
(4) 飯島判事は審理中にも拘置所内に宮尾を訪れ犯罪事実を認めれば保釈する旨告げ自白を勧奨し控訴後も記録がまだ原裁判所所在地に存在する間に第二審弁護人高屋市二郎が口頭で保釈を願出たのに対し「記録は既に原裁判所を離れているから。」として保釈願の受理を拒み、弁護人の懇請に対し、再び「事実を認めれば考慮する。」旨答えたが、両度共宮尾は自白を拒んだのである。
(5) 十月末漸く記録が発送され、宮尾の身柄は十一月一日東京拘置所に移され、十一月十日東京高等裁判所で勾留更新決定がなされ、記録は十一月十二日同裁判所に受理せられ刑事第七部に繋属したので、第二審弁護人は即日保釈を請求し、検事も許可相当の意見を附したに拘らず、裁判長判事大塚今比古は更に病状照会を行い、回答を待ち、回答は同月二十七日漸く到着したが更にそれより四日を経て十二月一日保釈許可の決定がなされ同日出所した。
(三) 勾留の不当違法
結局宮尾の被拘禁状態は前後六ケ月中に亘つて継続せられたのであるが、六ケ月半という期間は未決勾留の二ケ月の期間及び一ケ月宛の更新期間が本来極めて制限されたものであることを思いこれに宮尾の閲歴と社会的地位及び六十三歳の老齢にして且つ結核加療中の身であることを考え合せると不当の長期である。そしてこの被拘禁状態は積極面から見ても右飯島判事、滝沢判事等による裁判所の行為としての勾留決定及び勾留更新決定という裁判所の執行として生じたものであるが、これを消極面から見れば右飯島判事による裁判所の不作為としての保釈拒否によつて、又控訴審への記録の送付や病状照会に対する回答や回答後の保釈許可決定等が異常に遅延したことによつて、六ケ月半の長期間に及ぶことになつたのであり、これらを総合して継続的な被拘禁状態自体を一体として観察すれば国の公権力を行使する公務員の一連の行為の複合した結果として生じたものであり、しかも違法の行為によるものである。すなわち、
(1) 国家賠償法施行当時の宮尾の勾留は滝沢判事の更新決定によるのであるが、簡易裁判所判事として記録を取寄せた同判事は右決定をなす必要も資格もなかつたのであるから、右決定は違法であり、同判事の行為には少くとも過失がある。
(2) 賠償法施行当時の宮尾の勾留は直接には右滝沢判事の更新決定の効力によるのであるが前記被拘禁状態の継続一体性からしてそれ以前の飯島判事の保釈申請却下を無視することはできない。これらはいずれも「証憑湮滅の虞」を理由とするのであるが、選挙違反事件においては勾留は短期間なるが通例であり、現に本件でも他の関係被告人は短期の勾留後保釈されている。特に第一審で証拠調を終りこれに基いて言渡をなして後なお証憑湮滅の虞ありとして勾留を継続することは首肯できない。かりに勾留原因が消滅していなかつたとするも、保釈を許可しない理由とはならない。けだし勾留原因が消滅すれば勾留を取消すべきもので、保釈は勾留原因が存する場合に保証金によつて勾留を停止することだからである。飯島判事は事案の性質も、宮尾の経歴も、年齢も、現職村長の勾留による村務の渋滞も、勾留中の病状悪化もすべて顧慮せず、保釈を拒否したものであつて到底適法妥当の処置とはいえない。殊に前記の自白勧奨の言動は、表面の理由はともあれ、事実上勾留を以て自白強要の具となしたものであつて、違法を免れぬ。かように飯島判事の故意又は過失による行為も宮尾の不法勾留をもたらした一要素たるものである。
(3) 東京高等裁判所繋属後においても、十一月十二日附病況照会に対して回答が同二十七日まで遅延したことには係官の故意又は過失が存すること明らかであり、回答到着後更に四日を徒過してから漸く保釈を許可した裁判所にも同様の怠慢があり、いずれも公務員の故意又は過失によつて、不法勾留を更に長からしめたものというべきである。
(四) 不法勾留に対する慰藉料
宮尾は公権力の行使に当る公務員が職務を行うについての故意又は過失によつて生前違法に精神的肉体的苦痛を受けたから、被告国に対し、慰藉料を請求し得、その額は同人の関係した地位等に鑑み金百万円を相当とする。そして同人は勾留に対して憤懣しつつ善後処置を托して死んだのであるから、右請求権は同人の配偶者及び直系卑属たる原告等に相続せられる。よつて配偶者たる原告てるは金三十三万三千三百三十三円(三分の一)直系卑属たる他の原告等は各金十三万三千三百三十三円宛(五名合計で三分の二)の請求権を有する。
(五) 勾留による死亡
宮尾は保釈後一ケ月目の十二月三十一日死亡したが、これは右の不法勾留によつて、勾留前療養中であつた病気を重らせたためである。
(六) 生命侵害に対する慰藉料
原告等はその夫たり父たる宮尾の死によつて精神的苦痛をうけたから同人の生命が害されたことにつき被告に対し慰藉料の請求権を有する。そして原告てるは配偶者として金三十万円他の原告等は子として各金十四万円宛を請求する。
(七) 結論
よつて原告てるは金六十三万三千三百三十三円を他の原告等は各金二十七万三千三百三十三円宛をいずれも訴状送達の翌日である昭和二十四年六月十六日以降年五分の遅延損害金と合せて請求する。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、請求の原因に対し
(一)の(1) は認める。
(2) の病気加療の点は不知、他は認める。
(二)の(1) (2) (3) は認める。但し長野簡易裁判所は長野地方検察庁から取寄せこれに対し返還したものであり滝沢判事は長野簡易裁判所判事として勾留更新決定をしたのではない。
(4) は否認する。飯島判事は未決勾留中の傷病者を刑務所に視察するのを常とし、十月上旬右の目的で刑務所に赴いた際宮尾が移監せられずにいるのに面会したところ、「刑務所に入つて規則正しい生活をするためかえつて健康になつた。」といい、更に保釈を願つたので、同判事は既に記録を検察庁に送付したから自分の手許では如何ともしがたいと答えたものである。又高屋弁護人から口頭で保釈の請求があつたことは事実であるが、飯島判事は「記録は既に長野地方検察庁に送付済である。」と答え、「現在長野簡易裁判所にあるから是非」との申出に対し、「物理的にはそうでも、訴訟法上、長野地方裁判所を離れているから。」との理由で拒絶したのである。
(5) は認める。
(三)は否認する。
(五)の死亡の日時は認めるが死亡が勾留によるという点は否認する。と答え、被告の主張として次の通り陳述した。
一、勾留は妥当適法である。
(1) 飯島判事の審理に際し宮尾は起訴せられた犯罪事実を終始否認し、証人となつた妻宮尾てるも知らぬ存ぜぬの一点張りであつた。相被告人春日俊郎は警察検察庁では自白しながら、公判に至つて金銭授受のみ認めてその趣旨を否認するに至つた。宮尾に不利な証言をしている証人もあるが、宮尾は同地方における最有力者であるので、同人を保釈すれば証人と談合する虞れがあるから同判事が審理中保釈を許さなかつたのは当然である。問題は事実審理終了後の保釈申請却下であるが、終始犯行を否認した宮尾を保釈すれば控訴審における証人に働きかける虞れが多分にあり、しかも物的証拠は何もなかつたから、第一審事実審理終了後も保釈による証憑湮滅の虞れは存したのである。又胸部疾患を理由とする保釈については、通常病気を理由とする時には刑務所の医師の診断書を添付するのに、これがなかつたし、宮尾は一見健康そうであり、収容後も拘置所内で村長の事務をとるなどしていたので到底病気とは思えなかつたのである。従つて同判事が保釈申請を却下したのは適法である。又同判事には原告主張のような自白勧誘の言動がなかつたことは前記のとおりであつて、もとより不当勾留の故意なく、右の適法な却下決定をなすについても何等の過失も存し得ない。のみならず、本訴請求は国家賠償法にもとずくのであるが、原告主張中飯島判事のなした各行為を非難する部分は同法施行前のことに属するから、同法附則第六項により法律上理由がない。
(2) 滝沢判事の更新決定は長野地方裁判所判事たる資格においてなされたのであるから、原告の非難はあたらない。
(3) 又大塚裁判長としても、保釈の許否は検察官の意見に左右されるものでなく、第一審で病気を理由とする保釈請求が却下されている以上一応拘置所に病況照会するのが当然であり、しかもその回答がおくれたので、更に書面を以て督促しているのであつて、この間の措置に欠ける所はない。回答書到達後保釈迄四日を経たのは当時刑事第七部の裁判官全員が別事件のため山梨県下に出張していたためである。拘置所の係官も十一月十二日附の照会書が受理せられなかつたため、同二十五日の督促書により照会を知り、二十七日回答をなしているのであるから、この点過失はない。
(4) 本件当時は権利保釈の制度はなかつたのであるから勾留原因ある場合保釈を許すか否か、許すとしていかなる時期に許すかは裁判所の自由裁量に属していた。従つて保釈請求に対する決定が適切でなかつたとしても、それが不相当に止まるか、国家賠償法にいわゆる違法の範囲に属するかは事案により具体的個別的に定まるべきものである。本件宮尾の場合について見るに、第一、二審を通じ罪証湮滅の虞れがあつたこと、病状が原告主張ほどには急迫したものでなかつたこと等から見て十二月一日までの勾留と保釈拒否は違法でないのは勿論、不相当ですらない。従つてかりに照会書取扱いに関する係員の過失によつて保釈許可決定が十数日遅れたとしても、勾留自体が違法でない以上、不当のそしりはあつても、国家賠償法にいわゆる「違法」にはあたらない。
二、勾留と死亡との間に因果関係なし。
(1) 長野刑務所に於ては、昭和二十二年当時収容者をして約十七町歩を耕作させ、野菜類等を栽培していたので、その食糧事情は良好であつた。収容者の体重は平均五十二瓩あり、栄養状態は一般に良好で、衛生施設として医務課に医師一名、歯科医師(嘱託医)一名、保健助手三名及び薬剤師一名が配置され、レントゲンの設備もあり、相当整備していたし、衛生状態も良好であつた。そして収容者は入監当時直ちに健康診断を行い、必要に応じて血沈、喀痰検査、更にその結果によりレントゲン検査をし、収容後は毎日保健助手が巡廻し、収容者本人から申出がある場合は勿論申出なくとも異状あれば医師の診断を受けさせ必要に応じて病棟に収容したりしていた。
(2) 長野刑務所勾留中宮尾は常に食糧差入があつて栄養は十分であり、又運動不足ということもなかつた。入監時安達医務課長の健康診断に際し、二十歳当時肺浸潤罹患加療中なる旨申出たが診断の結果、外見としては現在症なく、喀痰、血沈の検査の必要も認められなかつた。入監中数回「どうも身体がだるい。風邪を引いたようだ。」との申出があり、その都度安達課長の診断を受けたが、異状なくビタミン注射等をする程度で、発熱したり、病棟に入つたりしたことなく、体重は五月二十四日の五二・三瓩に対し十月三十一日には五四・五瓩とかえつて増加し健康状態はむしろ好転したのである。
(3) 又東京高等裁判所勾留中も、肺浸潤の症状はあるが、血沈も通常値であり、高齢の結核患者に特有の非進行性、非活動性のものだつたのであつて、十二月一日出所後顕著な異常がなかつたことは十二日まで東京都内に滞在し、二十一日まで長野市内に滞在し、その間医師の診断を求めることもなく、二十一日帰村後初めて、笠井清美医師に診断を乞い、次に二十五日山本貞視医師の来診を受けている事実でも明らかであつて、入所中多少悪化したとしてもそれは勾留生活に伴う必然悪であり、死の原因とすることはできない。宮尾を死に至らしめたのは当時混雑を極めた上野長野間直通列車に立ち続けで乗つた末、帰村後も政治活動に無理を重ねてその疲労が病気に悪影響を及ぼしたことにあると考えられる。
<立証省略>
三、理 由
訴外宮尾袈裟理が昭和二十二年四月五日施行の栄村村長選挙に立候補して当選したこと、同年五月十二日右選挙に関する選挙違反被疑事件により勾留されてから同年十二月一日保釈されるまで六ケ月半に亘つて拘禁状態が継続せられたことは当事者間に争がない。原告等は右拘禁状態は国家機関の故意又は過失による違法の行為に基くものであると主張するので、先ずこれについて考察する。
元来罪責の明らかでない被疑者被告人の勾留は、人身の自由という極めて重大な私益を刑事司法の維持という公益のために一時的に制限するものであるから、法定の事由ある場合にのみ許される例外的処分であつて、その事由が消滅した時には勾留の取消を行うべきことを旧刑事訴訟法第百十四条が規定している。さて本件勾留は被疑者たる宮尾に罪証湮滅の虞れがあることを理由としてなされたものであることは弁論の全趣旨から明らかであり、保釈却下がいずれも証憑湮滅の虞れあるを理由として決定せられたことは当事者間に争いがない。屡次の更新決定が「勾留継続の必要ある」を理由としてなされたことは甲第四号証に徴して明らかであるが右の事実と考え合せれば「勾留継続の必要あり」とは「罪証湮滅の虞れあり、」ということであると認められる。すなわち本件宮尾の勾留は終始罪証湮滅の虞れあることのみを理由としてなされたものである。そこでこの勾留事由が果して終始存在していたかどうかを見るに、被告主張の如く宮尾は本件被疑事実に対しては終始否認を続けていたのであるが、これを以て右事由とすることは、否認自体を以て勾留事由とするというに等しく到底首肯し得ない。当事者間に争いのない同人の地位経歴からして同人の他の証人又は相被告人に対する影響力が強いことも肯認しうるが、これを以て当然勾留事由がありとする時は、影響力の強い地位にある者は自白しない限り勾留事由があることになり、やはり穏当でない。罪証湮滅の「虞れ」ありとは、単に抽象的な湮滅の「可能性」あるに止まらず、何等かの具体的徴憑事実を指摘しうる程度なることを要すると解するのを正当とするところ被告全立証を以てするも、かかる徴憑的事実の存在を認めることはできない。(自白後保釈せられていた相被告人春日俊郎の公判廷における供述は検察庁における自白を飜すに至つたことが、いずれも成立に争いない甲第六号証の三と甲第七号証の二とを比較して認められ、宮尾の勾留を継続した判事の心理には春日が自白を飜したことが保釈の悪影響と映じて、宮尾の保釈に警戒するところがあつたのではないかとも考えられるが、そうとすれば、これは予断に拘泥するものであつて、当裁判所の賛同しえぬところである。むしろ宮尾の保釈なしにも春日の供述が変更している点に留意すれば、関係人への影響を顧慮して宮尾を勾留することの非なるに思いを致すべきであつた。)従つて自白した他の被告人(被疑者)等がすべて保釈せられて(この事実は鴛海証人の証言により認める。)後も、宮尾のみが勾留を継続せられたことは遂に理解することができない。
かりに右の点を不問に附するとしても、罪証湮滅の虞れあることによる勾留事由は、身柄の拘束によつて証拠を確保することを目的とするものであるから、逃亡の虞れがある等の身柄の拘束それ自体を目的とするものと異り、第一審口頭弁論終結後においては、そのまま勾留事由とはなし難いように思われる。本件について見るに、第一審判決(成立に争いない乙第一号証)において被告人宮尾に対して認定せる事実の証拠としてあげられた所は関係人の供述のみであつて、物証はない。その人証について「湮滅」ということを考えるとすれば第一審における供述を控訴審において変更せしめることに帰するであろうが、第一審の公判調書も残つているのであつて必しも「湮滅」の虞れあるものではない。選挙人にして被告人たりし者等に対する第一審判決がいずれも確定したこと(弁論の全趣旨から認められる。)も考え合せるべきであろう。勿論他に未知の証拠ありとして、それの湮滅を想像することは可能であるか既にその証拠なしに有罪を認定しうるものとして弁論を終結し判決を言渡している以上、かかる重要でない想像上の証拠のために勾留という(冒頭に示したように)例外的に許される人身自由の制限を継続することは甚だ穏当を欠く。被告主張の見解は、第一審裁判所が、その事実認定に用いた証拠の証明力の不充分性を反証をあげて攻撃しようとする被告人をば、その証拠を温存するのみの目的で勾留することを是認するに帰着し、到底正当ではない。旧刑事訴訟法時代の取扱においても罪証湮滅の虞れあるを事由として勾留せられていた被告人は第一審証拠調終了後は保釈せられるのが慣行であつたことは裁判所に顕著なる事実である。かように見てくると、たとえ積極的に勾留取消には出で難かつたとするも、遅くとも証拠調終了後、更には判決言渡後も証拠湮滅の虞れあることを事由として保釈を許さなかつた態度は当裁判所の理解し難いところであり、直ちに違法といえぬとしても少くとも不当の勾留といわねばならない。
更に別の面から考えて見よう。旧刑事訴訟法においては現行法におけるような所謂権利保釈の制度はなく、保釈するか否かは裁判所の裁量に一任せられていた。然し勾留は前記のように刑事司法の維持という公益のために一時的に人身の自由を拘束する本来例外的な処分である。ここで被拘束者の一身に関する他の法益からの要請に対して、右の公益が譲歩し、保証金を以て満足するのが保釈である。かかる本質からして保釈の許否は当然に右両法益の権衡如何にかかつてくるのであつて、裁量とはいえその間自ら他の批判に堪えうる軽重の客観的な度合があるべきである。所で本件宮尾の場合について見るに、同人が二十歳前後で肺結核を患つていること、昭和十五、六年頃悪化して安静療法を続けて来たこと、昭和二十一年一月喀血し爾来勾留の当時に至るまで加療中であつたこと、右肺下のラツセルが常に残つておつたことは笠井医師の証言及び成立に争いない甲第十六号証の一、二(特に甲第十六号証の二のカルテの主要病状の欄に昭和二十二年三月五日当時右胸に多数、左胸に撒在する水泡音ある旨の記載。)を総合して認めることができ、入監当時宮尾が右病歴を刑務所医務課長である安達医師に対し、その健康診断に際して告知したこと(中村証人は甲第十四号証の二の「二十歳肺浸潤加療中」を既往症のつもりで記入した旨証言するが、安達医師の証言では「現在加療中」の申出の意味に解したというのである。)、これに対して同医師は胸部打聴診をなすに止めたこと、診断の結果現在症を認めず「疾病其他異状」の欄は「ナシ」と記入され、病人としての取扱いはなされなかつたことが安達医師の証言及び成立に争いない甲第十四号証の二の記載内容によつて認められる。鳥居鑑定人の鑑定の結果によると宮尾の病状は空洞性の肺癆であつて老年期であるため身体的反応少く、外見上一応停止状態にあると見られ易いが徐々に進行し又は時々シユーブ(急速な病巣拡大現象)を起して悪化しつつあつたものであると認められ、これに照せば入監時における安達医師の診断が誤つていたことは明らかである。ここに笠井医師は宮尾程度の病状であればレントゲンを使用しないでも打聴診のみで判断できる筈であると証言している。併し笠井医師は二十年来宮尾の患部を熟知していることを考え合せると、初めて宮尾に接した安達医師に打聴診のみで正しい診断をなすことを要求するのは或いは酷であろう。鑑定書も全身状態と打聴診の所見のみでは診断の精度が甚だ限定されることを述べているのである。然しながら鑑定書は同時にレントゲン写真、血沈、喀痰等の諸検査の併用によりかなり正確な診断をなしうることをも語つている。安達医師の証言によると、長野刑務所にはレントゲン撮影装置が設備せられており、これを使用しなかつたのは単に手間がないためであつたというのであるが、物療専門家である鑑定人の供述に徴すれば、仮に資材の点に困難があつたとしてもそれは当時克服しえたものであることが認められ、又、喀痰や血沈の検査はもとより容易に行いうるものであることも明らかである。宮尾から病歴を聞きながらこれらの為すべかりし処置を為さずして診断を誤つた点において刑務所の医務課には過失があつたといわねばならぬ。更に在監中の取扱いについてであるが、安達医師の証言によると在監者が結核患者と決れば直ちに病棟に入るのであるところ、宮尾は結局病棟に入らなかつたことが認められ、笠井医師の証言によると、在監中八、九回の面会の都度宮尾が憔悴してゆくようであり、同人から「診察も投薬もしてくれない。」との訴えがあつたので、刑務所嘱託医飯島医師を通じ医務課に対して投薬の申出をなし、係医師として宮尾が長年使いなれ薬効のあつた薬の処方を知らせたことが認められ、又安達医師の証言によると同医師は右処方の薬を必要なしとして投薬しなかつたことが認められ、これら認定事実と溝口証人の証言により認められる在監者の診察状況、特に医学的知識のほとんどない保健助手の重用されていること等を考え合せると、入監後においても医務課に手落ちがあり、注意如何では与え得た手当を逸したように思われる。鑑定の結果によると拘禁中症状は少くとも好転はしていないのであつて、鑑定人供述によると、死因の一となつた腸結核の併発悪化は長野刑務所拘置監収容の末期にあつたことが認められる。然るに安達医師は、その証言によると、公式記録にある以外に私的にも数回宮尾を診察したというのであるが、遂に同人の症状を正しく把握せず殊に成立に争いない甲第十四号証の一により認められる十月二十五日附の「心弁不全症」の診断は全くの誤診であつたことが鑑定の結果に照し明かである。この間前記の為さるべかりし諸検査が為されていないことは入監時のままであつて、この点刑務所の医務課が結局宮尾の症状を把握しえなかつたことには終始過失があつたと判断せざるを得ない。
さて、成立に争いない甲第二号証の一及び三によると七月九日附八月二十八日附の各保釈請求は健康上の理由をもあげていることが認められる。被告は病気を理由とする保釈請求には刑務所の医師の診断書を要するところ、その添附がなかつたことを指摘するが、安達医師の証言によると、刑務所の方から進んで裁判所に対して診断関係事項につき報告をなすものであることが認められるから、もし正しく診断がなされたならば、請求を待たず職権によつてでも保釈されることもあり得たであろうのみならず、入監時の検査により直ちに勾留の執行を停止されたかも知れないとさえ想像される。何となれば、後に認定するように、被拘禁生活は宮尾の死期を早めたと考えられるのであつて、予後を診断してかかる認識(予測)に到達した場合、前記両法益の権衡を考慮すれば個人の生命こそ何よりも重んずべきであり、勾留を継続すべきでないことは当然だからである。少くとも正しい診断か、従つて正しい症状報告がなされていたならば、保釈請求が却下されることはなかつたであろう。医務課の過失のために勾留が継続したものともいえぬことはない。前記のように宮尾の勾留は勾留事由の点からも不当と考えられるものであるが、その勾留が他方において健康上勾留すべからざるものに対する勾留であつたことしかもそれによつて宮尾の死期を早めたことを考え合せると、被告主張のように不相当の域に止まるものでなく、違法な勾留であつたといわねばならない。
併し第一審判決は九月十日に言渡され(これは当事者間に争いがない。)控訴申立は九月十三日になされていて(これは弁論の全趣旨により認める。)、しかも控訴審では第一回保釈請求を容れているのであるから、第一審裁判所が判決言渡後勾留を継続したからとて、それのみで本件のように十二月一日に漸く保釈されるという事態が起る筈がない。遅延の事情を案ずるに、先ず長野簡易裁判所の滝沢判事が他事件の処理の上に必要であるとして宮尾の一件記録を取り寄せ留め置いたことは当事者間に争いなく、成立に争いない甲第五号証の一ないし三によると九月二十六日附で長野地方裁判所から同地方検察庁に送付された一件記録を十月一日附で同簡易裁判所に取寄せ、同二十七日附で同地方検察庁に返還していることが認められる。すなわち取寄がなされたため通常の記録送付手続が一ケ月余り遅延したことになる。この間十月十一日附で滝沢判事が勾留更新決定をなしたことは当事者間に争いなく、成立に争いない甲第四号証により右決定は長野地方裁判所の滝沢判事としてなされていることが認められるところ、記録が既に原裁判所を離れている以上、勾留に関する決定は控訴審たる東京高等裁判所がなすべきものであるので、右決定には疑問が存するか、かりにこの決定自体の是非は問わぬとしても、勾留の違法性自体は依然継続していたと見なければならない。
更に最後の保釈願が十一月十五日に提出せられたのにこれが許可になつたのが十二月一日であることは当事者間に争いがないが、かように遅延した理由として、十一月十二日の病況照会に対して刑務所側からの回答がなく、同二十五日重ねて照会をなして初めて同二十七日附の回答を得たことがあげられ、右事実は甲第二号証の五、同号証の八、同号証の九の一を総合して認められる。広瀬証人(本件勾留当時の拘置所の文書課長)及び橋本証人(本訴提起当時の文書課長)の各証言によると、拘置所としては第一回の照会書を受理した形跡がないというのであるが、裁判所、拘置所のいずれに責任があるかは暫らく措き、ともあれ、この勾留が国家機関たる何人かの過失によつて理由なく半ケ月間延長せられたことは疑い得ない。(十一月二十七日以後四日間の遅延については乙第二号証により当時本件を担当していた東京高等裁判所刑事第七部が出張中であつたことが認められるから止むを得ざるものといわねばならない。)
以上に指摘して来た各種の原因が複合累積して、結局六十三歳の病身の老人を六ケ月半に亘つて違法に勾留する結果を生じたものである。その原因たる国家機関の作為、不作為には少くとも過失があつたといわねばならない。ところで原告等の請求は国家賠償法にもとずくのであるが、同法の施行は昭和二十二年十月二十七日であつて、同法附則第二項により施行前の行為にもとずく損害については同法によることを得ないのである。案ずるに宮尾の拘禁状態は入監から保釈まで継続したのであつて、従つて勾留(ここでは裁判の執行たる事実行為としての拘禁を意味せしめて。)の違法性自体も終始存続し、むしろ時日の経過と共にその違法の度を増し強めていつたものであるから、同法施行当時ももとよりその例外ではない。即ち施行当時も、その後も、宮尾の拘禁状態は解消されるべきだつたのであり、国家機関の過失なかりせばそれは可能だつたのである。(従来の考察中同法施行前の勾留更新決定や保釈却下決定に関する部分はその個々の行為の適法違法を問題とするのでなく、その結果として生じた施行後にまで継続する拘禁状態が客観的に違法なものであるかどうかを判断するためのものである。従つて原告主張の事実中例えば飯島判事の自白勧奨行為等単に施行期日前に属する部分はかりに事実通りとするも本訴請求を維持するに足るものでないから判断するに及ばない。)かようにして十月二十七日から十二月一日の保釈までの期間における拘禁による損害は国家賠償の対象となるが、十月二十六日以前の期間の拘禁による損害は、国家賠償の問題とすることを得ないものと考えられる。
さて右の違法勾留によつて宮尾が肉体的苦痛を蒙つたことは高村証人、宮尾篤証人等の各証言により認められる保釈当時の衰弱からこれを推認するに難からず、又精神的苦痛を蒙つたことは成立に争いない甲第十五号証中随所に見られる焦躁の態からして充分に推察することができる。すなわち宮尾は国家公権力の行使に当る公務員が職務を行うについての過失により精神的損害を受けたのであるから、被告に対し慰藉料を請求しうるものである。
然しながら本件勾留を不当に長からしめた責任の一部分(小部分ではあるが)は宮尾の側にも存する。前記のように控訴後一ケ月余は一件記録が長野簡易裁判所に留められたため事件はそのまま停滞していたのであるが、この間弁護人は勾留保釈をなす裁判所を長野地方裁判所であるとして局面の打開をはかつたこと、東京高等裁判所刑事第七部に記録が到着して後初めて同裁判所に保釈の申請をしていたことは成立に争いない甲第六号証の一や甲第十五号証及び宮尾篤証人の証言等により認められるところである。然し旧刑事訴訟法第百二十一条によれば上訴中の事件で原裁判所が勾留保釈等に関して責任を負うのは一件記録が原裁判所に在る時に限るのであり、而して記録が原裁判所に存するというのを単に物理的に存在していることと解するのは妥当でないから、前認定のように長野地方裁判所から同地方検察庁宛に記録が送付せられた以上、勾留保釈に関する責任は最早上訴裁判所に移つたわけである。(記録が到着せず、事件の内容が知り得ないのにかかる責任を負担せしめるのは酷でもあり妥当を欠くから、新刑事訴訟規則第九十二条第二項は、記録が上訴裁判所に到達するまでは、原裁判所に責任あるものとした。然しこの改正を見るまでの旧法の解釈においては上のように解さねばならない。)従つて宮尾の第二審弁護人は記録の如何にかかわらず東京高等裁判所に対し保釈の申請をすべかりしものであり、然すれば同裁判所としても記録の送付遅延の原因等を追及するに出でたであろう。もし又弁護人の誤つた処置が東京高等裁判所に於て、記録到達迄は勾留保釈等について責任を負わずとする執務慣行をとつていたことにもとずいたものであつたとしたら、前記の旧法条下に於て、先ずこの誤れる慣行をこそ責むべきであつたであろう。かようの正しい対策に出でなかつたことがかえつて勾留を長からしめることになつたのである。かように見てくると、宮尾の側にも過失あり、そのため損害が大になつた面があるといわねばならない。而して国家賠償法第四条により民法第七百二十条の規定を適用すべきであるから、慰藉料額の算定に付きこれを参酌しなお、前記の国家賠償の対象となりうる拘禁期間や当事者間に争いのない宮尾の地位経歴、名望ある資産家なること等を考慮した上年六万円を相当と認める。宮尾が死亡したこと及び原告てるが宮尾の配偶者であり、他の原告等がその直系卑属であることは当事者間に争がないから、原告等は右慰藉料請求権を相続し、原告てるに於て金二万円、他の原告等はそれぞれ金八千円被告に対し請求しうるものである。
次に勾留と死亡との因果関係を考察することとする。鑑定の結果によると、宮尾の如き病状のものが六十三歳で死んだことは必ずしも異例ではないが、常に健康に留意し、充分に療養したならばもつと長生きすることができたであろうと認められる。笠井医師、宮尾てる等の各証言により充分伺われるように青年時代から肺結核の経験ある宮尾は通常人以上に健康に留意し、療養に真面目な人物であつた。もとより鑑定書にもいうように村長の劇職は或いは死期を早めたかも知れぬが養生を重ずる宮尾は無理であると知ればむしろ辞職してでも健康を守つたであろうと想像する方が宮尾の心境に合すると考えられるし、その趣旨の証言もある。(「とても一期はつとめられまい」といつていた旨の宮尾篤証人の証言)。問題はむしろ拘置されている間の健康管理が充分であつたかどうかなのである。この点について長野拘置監在監中のそれが甚だ不充分なものであつたことは前記誤診の認定に於て示したところで明らかである。又東京拘置所移監後については前記のように当時は既に腸結核が併発しており、病状は(外見の安定感にも拘らず)必らずしも軽視し難いものがあつたと認められるのであるが、成立に争いない甲第十三号証の一、二と野崎医師中野医師の各証言によると入監時の診断においてもこのことが看破されず甲乙丙丁戊に区分され戊を病人とする健康評点において丙と記され、病棟にも入れられなかつたこと、及びレントゲン器械は故障していたので使用しなかつたことが認められ肺浸潤と診断しながら血沈検査のような基本的な検査さえした形跡がなく、前記鑑定の結果と照し、その診断と処置はやはり遺憾なものであつたといわなければならぬ。被告は病状の悪化は勾留の必然悪であると論ずるけれども、鑑定の結果によると未だストレプトマイシン等の化学療法剤の出現しなかつた昭和二十二年当時宮尾のような高齢の結核患者には精神的肉体的の安静と栄養物の摂取とによる全身的療法が第一に重要であり、これによつて症状安定の可能性があつたものと認められるのであつて、勾留中でも病棟内に入れて右のような療法を行うことにより、勾留による健康への悪影響も最少限に喰い止め得、本件のような事態は起らなかつたかも知れないのである。かかる万全の処置を執つた上でなければ、必然悪というようなことは軽々に言い得ないと思われる。要するに宮尾は長年診て貰つていた笠井医師を離れて病状を理解しえぬ医師の管理の下に入つたわけであつて、その結果、鑑定書にもいうように拘禁によつて病状は悪化した公算が大なのであり、死因の全身衰弱、栄養失調、心臓機能不全を来したのが、もとからの肺癆に加えて拘禁中腸結核を併発したためであることを考え合せると、長期間の拘禁状態によつて、少くとも宮尾の死期は早められたと見ることは必ずしも困難でなく、殊に腸結核の併発は十月末であつたと認められ、当時保釈すれば或は一時的にもせよ病状好転して急速な死への転帰を見ずに済んだかも知れぬと考えると十月末以後保釈までの拘禁が結局「命取り」となつたものと思われる。勾留と死亡とは因果関係ありといわねばならない。
然るときは、前記違法の勾留のために原告てるはその配偶者を他の原告等はその父を失つたものであるから、国家賠償法第四条民法第七百十一条により被告に対して慰藉料を請求しうる。而してその額は被害者宮尾の前記過失を相殺して、原告てるにつき金十万円、他の原告等につき各金五万円を相当と認める。
よつて原告てるが金十二万円を他の原告等が各金五万八千円並びに右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和二十四年六月十六日以降年五分の損害金を請求する部分は、正当であるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条に従い仮執行の宣言はこれを附さぬこととして主文の通り判決する。
(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 倉田卓次)