大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和24年(ワ)3093号 判決

原告 綿引正徳

被告 国

一、主  文

被告は原告に対し金五万七百円及びこれに対する昭和二十四年三月二十八日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担としその余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告が金一万円の担保を供するときは、仮にこれを執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二十二万四千円及びこれに対する昭和二十四年三月二十八日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求める旨申立て、その請求の原因として、

原告は東京都文京区駒込曙町二十四番地に一家を構え、ラジオ修理組立業に従い、その収入と亡父正一の遺産によつて妻綾子、長男文雄の外、実母とく、弟芳夫、妹幸子、弟信義、弟英雄、妹弘子とともに九人世帯で生活していたが、配給食糧では不足で昭和二十四年二、三月頃は一カ月に少くも白米二斗五升程度の主食の補給を必要としていたので、自家消費用の米買出のため日曜日に当る昭和二十四年三月二十七日正午新宿発中央線松本行列車に乗車し、同日午後四時三十分頃中央線韮崎駅に下車し、同日午後五時頃から午後六時頃までの間山梨県北巨摩郡藤井村字南下条附近の農家三軒にいたり白米合計一斗五升を買入れ、それから同村字南下条の三光寺に立ちより、そこで約一時間休息し、同日午後七時頃同寺を出て県道上を韮崎駅へ徒歩で向つたが、その頃は小雨が降つて、あたりは薄暗くなりかけていた。そしてその時の原告の服装は、鼠色背広上衣に紺色ズボンを着し、チヨツキ、ネクタイをつけ、黒色外套を着用し、茶色中折帽子を被り、銀メツキの近眼鏡をかけ、米を入れた手提鞄と風呂敷包とを三光寺で借り受けたリユツクサツクに入れ、これを背負つていたので、原告が闇業者でないことは一見して判別し得る様子であつた。ところが原告が三光寺から韮崎駅に向つて県道を約百メートル行つたとき、突然後から一人の男に呼び止められた。同人は後になつて国家地方警察韮崎地区警察署藤井村駐在所勤務山梨県巡査海野徳次郎であることがわかつたが、その時は黒の詰襟の私服を着し、官姓名は全く表示しなかつた。原告はその男(同人は官姓名を名のらなかつたこと右のとおりであるが、便宜上以下その氏名のとおり海野と表示する)から「荷物は何か」と聞かれ、「米を一斗二升ばかり持つている」と答えたところ、「少し多いから米を買出した家に案内せよ」と言われたので、海野とともに県道をもと来た方へ引き返したが、周囲は相当暗く米を買つた農家が容易に見当らないでいるうち、偶々木材を積載した貨物自動車が通りかかつたのを海野が呼び止めて原告に乗車するよう命じた。しかし原告はそこで海野からリユツクサツクを三光寺に返す諒解を得たので、貨物自動車には乗車せずに三光寺に引き返し、その庭先にリユツクサツクをおき、それから更に県道に出て海野とともに約十分間再び米を買つた農家を探したが、見当らないで県道をあちこちと歩いているうち、三光寺に近い県道に来たとき、海野は何時の間に携帯したのか諸所に小枝を切落しそこが鋭利な突出物となつている長さ約三尺、直径約一寸五分の棒を右手に持つて突然正面から原告の左上膊部、右上膊部、顔面左眼瞼部を連続的に強打して来た。原告はとつさのことで何等身を防ぐこともできず、海野の強打を受けたため眼瞼部から多量に出血してその場にうつ伏した。たまたまこれを傍見していた訴外豊田商玉等がみるにみかねてとび出し海野を制止したので、同人はようやく暴行をやめたが、原告の傷害が相当大きいのを認めながら原告に何等の手当等の方法を講ずることなく同所を立去つた。原告はそこにいた豊田商玉等の世話で直ちに同郡韮崎町二千五十二番地医師奥脇秀男の治療を受け、同夜は三光寺に宿泊し、翌二十八日東京の自宅に帰り引続き東京都文京区駒込曙町一番地医師吉葉庄作方及び駒込病院で加療し、この間十五日間は病床にあり、その後も十五日間は休養のため業務に従事することができなかつた。原告は海野の右暴行により左側上眼瞼部に深さ約〇・三センチメートル、長さ約二センチメートルの切創、左側下眼瞼部に深さ約〇・三センチメートル、長さ約一センチメートルの切創、右上膊下端に深さ筋肉に達する打撲及び刺創を負い、そのため眉毛部六針、下眼瞼部三針の縫合その他の治療を受け、全治に三週間以上を要した上、左眼瞼部の傷痕は治癒後も醜く残つていて生涯消滅することがないものとなり、その他前記近眼鏡及び中折帽子を破壊され、これらはいずれも使用不能となつた。そして原告は右傷害の治療費金一万円を費し、右治療並びに休養期間合計三十日間当時原告の営んでいたラジオ修理組立業に従事することができなかつたため金一万円の得べかりし収入を失い、また近眼鏡は金二千円相当、中折帽子は金千円相当のものであり、その他原告は本件傷害事件のため甲府に出向いた費用その他の雑費金千円を費して、合計金二万四千円の財産上の損害を蒙り他方原告は精神的に重大な衝撃を受け苦痛を感じたほか、傷害箇所である左側上眼瞼部は治癒後においても幅約〇・三センチメートル、長さ約二センチメートルの醜悪な痕跡を残し、容貌上一生涯回復することができない汚点となつたため精神上重大な損害を蒙り、これを金銭に見積るときは金二十万円の慰藉料を以て漸く慰藉し得るものである。ところで海野は被告国の公権力の行使に当る公務員である国家地方警察の警察官であつて、原告の蒙つた右損害は海野がその職務を行うについて違法に原告に対し加えた暴行により生じたものであるから、被告国は当然これを原告に対し賠償する義務があるものである。よつて右損害及び慰藉料合計金二十二万四千円及びこれに対する損害発生の日の翌日である昭和二十四年三月二十八日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べた。<立証省略>

被告指定代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実のうち、原告がその主張の地にその主張の者とともに居住しラジオ修理組立業による収入と亡父の遺産で生計を立てていたこと、原告が米の買出のため昭和二十四年三月二十七日正午新宿発中央線松本行列車に乗車し同日午後四時三十分頃中央線韮崎駅に下車し、同日午後五時頃から六時頃までの間山梨県北巨摩郡藤井村字南下条附近の農家三軒にいたり白米合計一斗五升を買入れ、それから三光寺に立ちより、そこで休息した後同寺を出て県道上を韮崎駅へ徒歩で向つたこと、当日原告がその主張のような服装をし、携帯品を所持していたこと、原告が三光寺を出て県道を韮崎駅に向い歩行の途中一人の男に出逢つたこと、その男が国家地方警察韮崎地区警察署藤井村駐在所勤務山梨県巡査の海野徳次郎であつて、当日黒の詰襟の私服を着ていたこと、原告が同人から「荷物は何か」と聞かれて、「白米を持つている」と答えた後同人とともに県道を引き返したこと、木材を積載した貨物自動車が通りかかつたのを海野が呼び止め原告に乗車するよう命じたこと、原告がその貨物自動車に乗らないでリユツクサツクを返すといつて三光寺に引返しその庭先にリユツクサツクをおき、海野とともに県道を約十分間歩き廻つたこと、三光寺附近の県道上において原告の眼瞼部から出血があり訴外豊田商玉がその場に来合せたこと、原告が同日医師奥脇秀男の治療を受けたこと、原告がその主張の傷害を蒙り治療を受けたこと、海野が被告国の公権力の行使に当る公務員である国家地方警察の警察官であつて、原告の蒙つた損害が海野の右公権力の行使に際し生じたものであることは認めるが、原告の買出が自家消費用の米を買うためであつたこと、原告が三光寺を出たのが午後七時頃で、あたりが薄暗くなりかけていたということ、原告の服装が一見して闇業者でないことが判別し得る様子であつたこと、海野が原告を突然後から呼び止め官姓名を全く表示しなかつたこと、海野が原告に米を買出した家に案内せよと言つたこと、海野が原告主張の棒でその主張のように強打したこと、前記豊田商玉等が海野を制止したこと、原告主張の治療費その他の損害額の点及び原告の蒙つた損害が海野の公権力の行使に際し違法に加えた暴行により生じたということはいずれも否認する。その他の事実は知らない。海野は韮崎地区警察署を午後六時三十分頃自転車で出発し、県道上を藤井村駐在所に向う途中で原告に逢つたのであるから、その時刻は遅くとも午後六時四十分頃であり、そして海野は韮崎町から北方に当る藤井村を指しての帰途で、原告は反対に藤井村から南方に当る韮崎駅に向う途中であり、両名は互に向い合つて進行していたのであるから、原告が突然後から呼び止められる筈はなく、海野が一足先に韮崎駅に向つて南進する一人の女を誰何しているところへ、原告が通りかかつたのでこれを呼び止めたところ、原告は殊更に素知らぬ風を装つて行き過ぎようとし、海野から三回も呼びかけられ十二、三メートルも行き過ぎて漸く立止まつたので、海野は原告を誰何するとともにその場で警察手帳を取り出して原告に示し、警察官の身分を表示して警察手帳に原告の住所氏名等を尋ねながら逐次記入し、原告を食糧管理法違反の現行犯として本署に連行しようとしたところ、原告が「買出人のみ処罰せず、売つた者も処罰すべきだ」と言つて、自ら買出先を教えると称し県道を引き返したのである。しかるに原告は海野を引き廻して一向に買出先を教えず、海野が前記のようにたまたま来合せた貨物自動車を停車させてこれに乗せて本署に連行しようとしたのに対しこれを拒み乗車を肯じないので、海野は原告の右袖を引き又は両肱を持つて乗車を促したところ、原告はその手を打ち払い、拳を以て海野の左肩を強く突き、後方から抱きついた海野を振り放し、押問答をして、海野が自動車の方に押せば押し返し、抱きかかえようとすれば肩部を殴りつけ、或は突き放し、七、八回このようにして結局原告は乗車に応ぜず、リユツクサツクを返して来ると言いながら再び県道を北上して南下条部落のはずれまで行き、実は相垈部落から買つて来たのだと言い、隙をみて逃走しかかつたので、海野が後方からとびつくと原告は向き直つて海野の両肩を突き、再び南進して引き返した。そこで海野は自己の手にあまる原告から何時危害を加えられるかも知れないと疑惧し、自衛のためたまたまその路上にあつた長さ約一尺、直径約二分の棒一本を拾つてこれを携行したが、原告は県道から折れて三光寺の庭に入り、リユツクサツクをそこの物干竿にかけてから庭の南方に向つて七、八メートル逃走したので海野が原告の左腕を捉えたところ、原告はこれを振り切り、海野が前方から抱きつくのを両手で暴行を加え、その間海野は右の棒を何処かに取り落し、抱きついたり、振り放されたりしているうち原告は再び県道上に出、海野の引き戻そうとするのを振り払いながら三光寺裏の竹籔近くの県道まで逃走し、海野が追跡してこれを捕えようとするやその手を振り切り、拳を以ていきなり海野の左胸部を突いたので、海野が右腕で原告の手を下から上に払いのけたところ、海野の右腕が原告の眼鏡に当つたらしく、原告がその場に蹲つてしまつたので、海野は時間も相当経過し自分の力だけでは本署に連行できないと思い、後刻の出頭を原告に申し渡し、同日午後八時十五分頃原告と別れて藤井村駐在所に帰つたのである。以上のように海野は棒を一時携帯したことはあるが一度もこれを使用したことはなく、そして原告の蒙つた傷害のうち、左眼瞼部の切創は原告が海野の左胸部を突いた際、海野が右腕でこれを払いのけたため、それが原告のかけていた眼鏡に当り、そのガラスが破れ、その破片によつて生じたものと思われ、右上膊下端の打撲及び刺創も、原告が逃走しようとして海野と格闘した際、附近の生木の垣根か或は粗朶木編の垣根に原告の上膊部が触れたため生じたものと思われる。従つて右は海野が警察官として食糧管理法違反の現行犯である原告を逮捕する職務の執行中に生じたもので、違法な公権力の行使によつて生じたものではないから、被告はその損害を賠償する義務はない。仮に原告主張のように海野の違法な暴行によつて原告がその主張の損害を蒙つたとしても、右に述べたように原告が逃走を企てて海野に抵抗し、その左胸部を突くなどの暴行を振つたのに対し、海野がこれを抑圧するため原告を強打したのであつて、原告としては海野が右のような行為に出ることは当然予見すべく、また予見し得たのであるから、本件損害の発生には原告に過失があつたものというべく、被告の損害賠償額の算定については、当然原告の右過失が斟酌されるべきであると述べた。<立証省略>

三、理  由

原告が東京都文京区駒込曙町二十四番地に原告主張の家族八人とともに原告のラジオ修理組立業による収入と亡父正一の遺産によつて生活していたこと、そして原告が米の買出のため昭和二十四年三月二十七日正午新宿発中央線松本行列車に乗車し同日午後四時三十分頃中央線韮崎駅に下車し、同日午後五時頃から六時頃までの間山梨県北巨摩郡藤井村字南下条附近の農家三軒にいたり白米合計一斗五升を買入れ、それから同村字南下条の三光寺に立ちより、そこで休息した後同寺を出て県道上を韮崎駅に徒歩で向つたこと、その時の原告の服装が鼠色背広上衣に紺色ズボンを着し、チヨツキ、ネクタイを着け、黒色外套を着用し、茶色の中折帽子を被り、銀メツキの近眼鏡をかけ、米を入れた手提鞄と風呂敷包とを三光寺で借り受けたリユツクサツクに入れこれを背負つていたこと、原告が三光寺から県道に出て韮崎駅に向つて歩行の途中一人の男に呼び止められその男が国家地方警察韮崎地区警察署藤井村駐在所勤務山梨県巡査海野徳次郎で、その時は黒の詰襟の私服を着ていたこと、原告が海野から「荷物は何か」と聞かれ、「米を持つている」と答えた後同人とともにもとの道を引き返したこと、たまたま木材を積載した貨物自動車が通りかかつたのを海野が呼び止めて原告に乗車するよう命じたこと、原告がこれに乗車せずにリユツクサツクを返すといつて三光寺に引き返しその庭先にリユツクサツクをおき、海野とともに県道を約十分間歩き廻つたこと、そのうち三光寺附近の県道上において原告の眼瞼部から出血があり、訴外豊田商玉がその場に来合せたこと及び原告が同日左側上眼瞼部に深さ約〇・三センチメートル、長さ約二センチメートルの切創、左側下眼瞼部に深さ約〇・三センチメートル、長さ約一センチメートルの切創、右上膊下端に深さ筋肉に達する打撲及び刺創を負い、そのため眉毛部六針、下眼瞼部三針の縫合等の治療を受けたことはいずれも当事者間に争がない。

そこで原告は被告国の公権力の行使に当る公務員である海野がその職務を行うについて違法に原告に対し暴行を加えた旨主張するので、この点について考えてみるに、(一) いずれも成立に争のない乙第二乃至第五号証(但し乙第二、第三号証の記載中後記各措信しない部分を除く)、証人山本嘉盛、同三上真幾雄、同奥脇秀雄、同武井高治、同武井昭三、同小林英知、同海野徳次郎の各証言及び原告本人訊問の結果(但し証人武井高治、同武井昭三を除くその余の証人並びに本人の供述中後記各措信しない部分を除く)並びに検証の結果を綜合すれば、海野は同日午後六時三十分頃自転車で韮崎地区警察署を出発し、県道上を藤井村駐在所に向う途中同日午後六時五十分頃原告に出逢い、これを呼び止めて警察手帳を示し警察官であることを告げ職務質問をすると、原告がその住所氏名を告げ白米一斗二升を買つたと答えたので、海野が原告に食糧管理法違反の疑で警察署まで同行を求めたところ、原告は買う者も悪いが売る者も悪いと言い、米の買出先へ案内すると称して県道をもと来た方へ引き返し、海野はその後をついて行つたが、いくら歩いても原告は米の買出先を教えず、あちらこちら引き廻し、同村字南下条部落の北端まで行つて引き返し三光寺の前まで来たので、海野は原告に一応警察署に同行を求め、原告がこれを拒んで二、三もみ合つた後、再び原告が南下条部落の北端まで行つてからまた三光寺の前まで引き返したとき、海野が前記のようにたまたま通りかかつた貨物自動車を呼び止めて原告をこれに乗せて本署に連行しようとしたが、原告は乗車を拒んだので海野は原告の両肱をもつて乗車を促したところ、原告はその手を打ち払い拳を以て海野の右肩を強く突き、右自動車の運転手及び助手が乗車をすすめるのに対してもこれを拒み、後方から抱きついた海野を振り放し押問答をして海野が自動車の方に押せば押し返し、抱きかかえようとすれば肩部を殴りつけ或は突き放し数回このようにして結局原告は乗車に応ぜず、そのうち原告がリユツクサツクは農家から借りて来たものであるから返して来ると言つてその中味を出して右貨物自動車の傍の路上におきリユツクサツクのみ持つて三光寺の庭へ入つて行つたので、海野が逃走を虞れてその後をつけて行くと原告は三光寺の庭の物干竿にリユツクサツクをおいて庭の暗い方へ足早に逃走しかかつたので、海野は原告の手をとり、胴に組みついたところ、原告はこれを振り切つてもみ合いながら県道上に出て再び県道を北に向い南下条部落のはずれまで行き、そこで実は相垈部落から買つてきたのだと言い隙をみて逃走しかかつたので、海野が南の方へ押し返すと原告も仕方なく引き返したが、その途中海野は自己の手にあまる原告から何時危害を加えられるかも知れないと疑惧し、自衛のため訴外岩田清方前の生垣から棒を引き抜こうとしたが抜けず、そこから四、五米南の所でたまたま路上にあつた長さ約一尺、直径二分の棒を一本拾つて、すでに二、三米先に進んでいた原告の跡を追つたところ、原告はまたもや北方に引き返そうとしたので、海野はこれを阻止しようと原告の手を掴えたところ、原告はこれを振り切り、海野が原告の体に抱きつくと、原告はこれを振り放し、両手で海野の肩を突くなど、互に抱きついたり振り放されたりしているうち、原告は再び県道上を北方へ逃走し、三光寺裏の竹籔近くの県道上で海野がこれに追いつき、その左手の袖を掴みこれを捕えようとしたところ、原告が海野の手を振り切り拳を以ていきなり海野の左胸部を突いてきたのであるがそこで原告が眼瞼部に傷害を受け、原告の近眼鏡が破壊され、その際原告が相当の悲鳴を挙げたことが認められ、(二) 前顕乙第四号証と証人三上真幾雄の証言の一部とを綜合すれば、原告が右悲鳴を挙げた直前海野が原告を殴打したと思われる音がしたことが認められ、(三) 前顕乙第三号証の記載及び証人奥脇秀男の証言の各一部並びに証人吉葉庄作の証言を綜合すれば、原告の蒙つた前記眼瞼部の傷害は何か硬い物で殴打され、もし棒で殴つたとすれば相当強く殴られて生じたものであり、右上膊下端の傷害は何か突出した物で突き刺されたか殴られたかしたために生じたものであつて、外部から暴行を加えられたためできたもので、原告が自ら何物かに衝突して負つたものとは思われない症状であつたことが認められ、(四) いずれも成立に争のない乙第一、第六号証、証人奥脇秀男、同海野徳次郎の各証言の一部を綜合すれば、海野もまた前記のように原告ともみ合つた際に原告から胸部を突かれ、前胸部打撲傷を負つたことが認められ、(五) 証人山本嘉盛の証言の一部によれば、法務府人権擁護局の事務官山本嘉盛の調査に対し、海野は本件について原告ともみ合中原告が海野の腹を突いてきたので、右手を以て二回原告の顔面を突いたことがある旨述べたことが認められ、(六) 証人三上真幾雄の証言の一部によれば、法務府人権擁護局の事務官三上真幾雄の調査に対し海野は本件について原告ともみ合中棒を左手にもつて棒は使わずに右腕で原告を突き上げて殴つたことがあるが、その際は夢中であつたから或は棒が原告に触つたかも知れない旨述べたことが認められ、以上(一)乃至(六)の認定事実と前顕各証拠とを合せ考えると、原告は前記のように海野から呼び止められて職務質問を受けるや、米の買出先に案内することに藉口して海野をあちこち引き廻して逃走しようと図り、一方海野も原告に食糧管理法違反の現行犯として本署に連行を求めたのに対し、原告が右のような態度に出たので益々疑惑を深め或は窃盗犯人ではないかとも思い、これを強硬に本署に連行しようと努め、前記(一)に認定したように両者は数回もみ合を繰り返しながら、あちこち歩き廻つたのであるが、最後に原告が県道上を北方に逃走し、三光寺裏の竹籔近くの県道上で海野がこれに追いつきその左手の袖を掴みこれを捕えようとしたところ、原告が海野の手を振り切り拳を以ていきなり海野の左胸部を突いてきたので、海野はそれまでの原告の不誠実な態度に憤激し、且つは自己の手にあまる原告の抵抗を抑圧しようと、原告の左上膊部、右上膊部、顔面左眼瞼部を手で殴つたり前記携行の棒で突いたり殴つたりなどの暴行を加え、よつて原告に対し前記のような傷害並びに損害を与えたものであると認定するのが相当である。乙第三号証の供述記載中及び証人山本嘉盛、同三上真幾雄、同奥脇秀男、同小林英知の各証言並びに原告本人訊問の結果中以上認定に抵触する部分はこれを信用しない。また被告は海野が途中で拾つた棒は間もなく取り落し、これで原告を殴打したことはなく、原告の蒙つた傷害のうち左眼瞼部の切創は原告が海野の左胸部を突いた際、海野が右腕でこれを払いのけたため、それが原告のかけていた近眼鏡に当りそのガラスが破れその破片によつて生じたものと思われ、右上膊下端の打撲及び刺創も原告が逃走しようとして海野と格闘した際、附近の生木の垣根か或は粗朶編の垣根に原告の上膊部が触れたため生じたものと思われる旨主張するけれども、乙第二号証の記載中及び証人海野徳次郎の証言中前叙認定に反し被告の右主張に照応する部分は、前記(五)及び(六)の認定事実に徴してもこれをただちに措信しがたく、被告の右主張はこれを肯認するに由ない。その他前記認定を左右するに足る証拠はない。

そして海野が被告国の公権力の行使に当る公務員である国家地方警察の警察官であり、原告の蒙つた前記損害が海野の右公権力の行使に際し生じたものであることは当事者間に争がないから、原告が蒙つた前記傷害及び損害は海野が警察官としてその職務を行うについて故意に原告に加えた暴行により生じたものであつて、被告国はその損害の賠償をなすべき義務があること明かである。

そこで更に進んで損害の点について考えるに、原告が右暴行により蒙つた傷害が原告主張のとおりであつて原告主張のような治療を受けたことは前記のとおりであり、証人奥脇秀男(一部)、同吉葉庄作の各証言によれば、原告が右傷害の治療費として合計金千三百四十円を費したことが認められ、ほかに同認定を覆すに足る証拠はない。原告がそれ以外に治療費を支出したことについてはこれを認めるに足る証拠がない。また原告は右傷害により三十日間当時原告の営んでいたラジオ修理組立業に従事することができなかつたため金一万円の得べかりし収入を失つた旨主張するけれども、原告本人訊問の結果中この点に関する部分はたやすく信用しがたく、その他にこれを肯認するに足る証拠がない。そして原告のかけていた近眼鏡が右暴行により破壊されたことは前認定のとおりであるが、その破壊による財産上の損害の額についてはこれを認めるに足る何等の資料なく、原告の中折帽子が破壊されたことについては証人奥脇秀男の証言中この点に関する部分は措信できず、ほかにこれを認めるに足る立証がなく、本件傷害事件のため甲府に出向いた費用その他の雑費として金千円を要したことについても、これを肯認するに足る証拠がない。よつて原告は海野の前記暴行により右治療費に相当する金千三百四十円の財産上の損害を蒙つたものというべく、また原告が本件暴行により右傷害を受け近眼鏡を破壊され、精神的に重大な衝撃を受け多大の苦痛を感じ精神上の損害を蒙つたことは当然である。

しかしながら原告が米の買出の帰途前記道路上において海野から警察手帳を示し警察官であることを明示されて職務質問を受け、本署に同行を求められたのに対し、これを肯ぜず、買出先に案内することに藉口して逃走しようと図り海野をあちこち引き廻し、その間海野が強硬に同行を促したのに、これに抵抗し、ますます海野の疑惑を深からしめ、遂に海野をして本件暴行をなすに至らしめたものであることは前認定のとおりであり、その際海野が原告に対し職務質問し、原告の食糧管理法違反の事実を確めた上本署に同行を求めたことは、その限りでは何等違法な処置ではなかつたのであるから原告としてはもつと素直な態度に出たならば海野も本件行為には出なかつたものと思われ、結局原告の前述のような態度が海野の暴行を誘発したもので、本件損害の発生については原告にもまた過失があつたものといわなければならない。

そこで、証人吉葉庄作の証言により認められる原告の負傷箇所である左側上眼瞼部は治癒後においても醜悪な傷痕を残し、容貌上一生涯回復することのできない汚点となつた事実、前述の原告がその主張の地においてその主張の家族八人とともに居住し、ラジオ修理組立業を営み、その収入と亡父正一の遺産によつて生活している事実、前記傷害の部位、程度及び近眼鏡破壊の事実その他本件諸般の事情に原告の右過失を斟酌すれば、被告の原告に対しその責に任ずべき損害賠償額は財産上の損害に対するものとして金七百円、精神的苦痛に対する慰藉料として金五万円を相当と認める。

従つて被告国は原告に対し右財産上の損害金並びに慰藉料の合計金五万七百円及びこれに対する本件損害発生の日の翌日である昭和二十四年三月二十八日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。よつて原告の本訴請求はこの限度において正当であるからこれを認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条を仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 飯山悦治 鉅鹿義明 輪湖公寛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!