東京地方裁判所 昭和24年(ワ)3740号 判決
原告 永井修治
被告 米田達平
一、主 文
被告は原告に対し東京都板橋区板橋町六丁目三千百九十六番地所在木造瓦葺二階建家屋一棟建坪十三坪七合五勺二階四坪七合五勺を明渡し、且昭和二十三年一月一日より同年十月末日迄一ケ月金七十五円、同年十一月一日より昭和二十四年六月末日迄一ケ月金百八十七円五十銭、同年七月一日より右家屋明渡済迄一ケ月金三百円の割合による金員を支拂え。
原告その余の請求は棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し主文第一項記載の家屋を明渡し且金二千二百十二円五十銭及び昭和二十四年六月一日から右明渡済迄一ケ月金三百円の割合の金員を支拂え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、原告先代永井仙藏は昭和十三年十二月中同人所有にかかる主文記載の家屋を賃料一ケ月金三十円月末拂の約束で期間を定めず被告に賃貸し、原告は昭和二十年七月四日仙藏の家督相続をして賃貸人の地位を承継した。昭和二十二年九月家賃修正率の告示がでたので被告に家賃の値上を請求したところ、被告はこれを拒絶した上、同月十日頃原告に無断で右家屋の台所の外部の硝子戸、壁、敷居を破壊して北側に向つて一坪の湯殿を増築し床を「たたき」とした。そこで原告は訴外中川敏夫を通じ右増改築部分の原状回復及び家賃値上の交渉をした結果、同年十二月中頃に至つて被告は同年十月一日から修正率による一ケ月七十五円の家賃に増額することと原状回復をすることを承諾し、同月末、同月分迄の賃料を支拂つたが、原状回復をしないのみならず昭和二十三年一月分から家賃を支拂わなくなつた。昭和二十三年十月、家賃修正率の告示がでたので右修正率による一ケ月百八十七円五十銭の賃料増額の請求を被告にしたところ、被告は再び之を拒絶し、同年十二月末頃又々原告に無断で前記台所の西側に面する六疂間の壁半坪を打拔き、押入半坪を破壊して、湯殿と六疂間との間に疂一枚半にあたる板の間と一疂半数の座敷とをつくり、且南側に面する四畳半室の南側の壁と窓を取りこわして六疂間とし、その南面に横幅一間半、縱幅一尺五寸のぬれ縁を設けるに至つた。そこで原告は被告にその原状回復を求めたが應ぜず、昭和二十四年六月、家賃修正率の告示がでたので右修正率による一ケ月三百円の賃料増額の請求を被告にしたがこれ亦拒絶された。しかし本件家屋の賃料は右各増額請求により夫々告示施行の日から請求額の通り増額の効果を生じたのであり、原告は被告に対し同年八月十六日到達の書面で昭和二十三年一月分以降の延滞賃料の支拂と前記二度にわたる増改築部分の原状回復義務の履行を催告したが被告はこれを履行しなかつたから同月二十日到達の書面で右賃貸借契約を解除した。したがつて右賃貸借は同日終了し被告は右家屋を原告に返還すべき義務を生じたのであるから、ここに右家屋の明渡と、延滞賃料及び返還遅延による損害金、即ち昭和二十三年一月一日から同年十月十日迄一ケ月七十五円、計七百七十五円、同年十月十一日から昭和二十四年五月三十一日迄一ケ月百八十七円五十銭、計千四百三十七円五十銭、合計二千二百十二円五十銭及び昭和二十四年六月一日から明渡済迄一ケ月金三百円の割合の金員の支拂を求める爲本訴請求に及んだと述べ、被告の主張事実を否認した。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、被告が原告先代仙藏から同人所有の本件家屋を原告主張の頃その主張のような約束で期間を定めず賃借し原告がその主張の日に家督相続により賃貸人の地位を承継したこと、昭和二十二年九月家賃修正率の告示があり原告から家賃値上の交渉があつて同年十二月中頃原告主張のように増額を承諾し同月分迄の賃料を支拂つたこと、その後原告主張の如き家賃修正率の告示が出てその都度原告から賃料増額の請求があつたが之を拒絶したこと、本件家屋につき原告主張の頃原告主張の如き増改築を施したこと、原告主張の日に延滞賃料の支拂及び原状回復の催告があり次で契約解除の意思表示のあつたことはいづれも之を認める。その余の原告主張事実は否認する。
元來原告は本件家屋につき腐朽の個所があつてもさらに修繕をしようとしないので止むなく被告は今日迄多大の費用を投じて之に修繕を加えてきたのである。即ち(イ)本件家屋は賃借当初から屋根が破損していて雨漏りが激しい爲何回となく修繕し又雨漏りの爲腐蝕した疂の床を十二枚入替えた。(ロ)空襲の際爆風の爲窓硝子が破壊されたので大小三十枚入替えた。(ハ)家屋の周囲は元トタン塀であつたが原告は戰時中金属供出と称して取拂い、そのあとに被告からの度々の交渉で竹垣をしたが間もなく腐朽し嵐で倒れてしまつた後は塀を作らなかつた。本件家屋の東南側は家に密着して道路になつており、その道路が家の敷地より三、四尺高くて家の中をのぞくようになつており不用心なので止むを得ず西南側と併せて約十一間の板塀をつくつた。(ニ)玄関の「たたき」が壊れ壁が落ちたので之を修繕した。(ホ)家屋の土台、柱、根太などが各個所腐朽し家がゆがんで建具の開閉ができなくなつたり危險になつたりしたのでその都度柱の根継ぎ、土台や根太の取替えをした。本件で問題とされている台所の方の改造は台所外側の土台、柱、根太等の腐朽により之を入れ替えた際その外側に下家をつけ之を一坪の風呂場とし、之と六疊間との間にできた三尺と六尺の土間に床を張り廊下としたものであり、又南側の四疊半をひろげたのは、外側の土台や柱が腐朽したので土台を入れ替え柱の根継ぎをするに当り三尺張り出して隣の六疊間と併行にしたものである。そしてこの修繕については夫々工事中又は工事後に於て原告の承諾を受けたのである。
右の如く本件原告のいわゆる増改築については原告の承諾を受けたものであり原状回復の義務はない。そして被告が原告の値上の請求を拒絶したのはいくら請求しても原告が賃貸人として必要な修繕義務を履行せず、被告が支出した前記修繕の費用を弁償しようともしないからであつて賃料増額の請求は失当である。被告は昭和二十三年一月分から一ケ月七十五円の賃料を原告に提供したが受領を拒絶された爲之を供託したから履行遅滞の責のないのは勿論、賃料債務も消滅したものである。仮に以上の主張が理由ないとしても、原告は「遅滞なく」履行すべき旨の催告をした後三日にして契約解除をしたのであるが、右催告は相当の期間を定めた催告とゆうことができない。のみならず三日の短時日に原状回復をすることは不可能であり、又原告の賃料増額の請求はただ値上の請求があつただけでいくらに値上するのか金額についての申出はなく催告に際しても延滞賃料とゆうだけで金額が示されていないから支拂金について原告と協議して決定する必要があり三日の期間は短かきに過ぎる。從つて催告後相当の期間が経過した後の契約解除とゆうこともできない。いづれにしても右契約解除は法定の要件を履践しないもので無効である。
又仮に右主張が失当だとしても本件増改築は前記のように家屋の修繕補強工作の際使用上便益を増すよう幾分の工作を加えたものであつて、家屋の價値を増加し原告の利益とはなつても聊かも損害をかけるものではない。かかる工事を口実にして契約解除をするのは権利の濫用で無効であると述べた。<立証省略>
三、理 由
原告先代永井仙藏が同人所有にかかる本件家屋を、原告主張の頃その主張の如き約束で期間を定めず被告に賃貸し、次で原告が仙藏の家督相続をして賃貸人の地位を承継したこと、原告がその主張の日に被告に対し原状回復及び賃料支拂の催告をなし次で契約解除の意思表示をしたことは当事者間に爭がない。
よつて右契約解除が有効か無効かの点を判断する必要があるから、まず原状回復の請求の当否につき考えるに、被告が本件家屋につき原告主張の頃その主張の如き改修を加えたことは当事者間爭のないところであり、而して右改修は單なる家屋の保存行為の範囲を超えた改良工事と認めるのが相当である。被告は右工事は原告の承諾を得たものであると主張するが、証人永井克政、中川敏夫、石川重伍郎、被告本人の各供述(後記措信しない部分を除く)を綜合すれば、終戰後原告に於て修繕は借家人の方で適当にしてくれと申出たことはあるが、右申出は單なる保存行爲を許容したものであつて、本件の如き改良工事迄許容したものではなく本件改良工事は原告の承諾をえずになされたものであること、尤も第一回の工事に付ては後記七十五円に家賃値上げの際、被告が立退くときも取毀わさず何等の請求もしないことに話がきまり結局事後承諾を得たことになつたが、第二回の改良工事は原告が異議を申出でたにも拘わらず敢行したもので何等原告の承諾を與えたものでないことが認められる。右認定に反する被告本人の供述は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば被告は少くとも第二回の改修に付ては善良なる管理者の注意を以て賃借家屋を保管すべき義務に違背した責任を免れないものといわざるを得ないのであるが、この義務違背を以て契約解除の理由となし得るや否やに付ては考慮の必要が存している。第二回の改修は既設の湯殿(この施工につき事後承諾のあつたことは前記の通りである)とその西側の六疊間との間に板の間をつくり六疊間を一疂半拡張し、且南側の四疂半の部屋を六疊間に拡張し隣の六疊間と併行にしたものである。湯殿の方の工事の爲西側の六疊間の壁や押入を破壊したことは不当のそしりを免れぬであろうが、南側四疊半の拡張はその土台や柱の下部に腐朽の個所があつた爲之を修理する序に六疊に拡張したものであることは証人石川重伍郎及び被告本人の供述によりうかがい得べく、全般的にみて右改修は本件家屋の使用目的たる住居としての用途に何等の変改を加えたものでないのは勿論、改修の形態も構造を変更するとゆうよりむしろ從來の構造を使用に便宜なよう修理拡張したものとゆうべきで使用上の價値は從來より却つて増加し原告としてはこれによつてむしろ利益を得たものとゆうべきである。尤も賃借人が賃借家屋に修繕や改良を加えた場合には必要費もしくは有益費の償還の要否が問題となるのであるが、賃借人が統制額の賃料を支拂つているような場合に於ては、賃料と賃貸人の家屋に対する税負担や修理費改良費等との比が均衡を失している現状の下では必要費の如きは賃借人に於て負担すべく、ことさら緊切でもない改良工事を加えてその費用の償還を請求するが如きことは許されないものと解するのが信義則上妥当である。右改修工事のうち腐朽した柱や土台の修理費は必要費に属するものとゆうべく、又、板の間等の新設や座敷の拡張は必しも之を欠くことのできぬような緊切の改良工事とは解し難くしかも原告の異議申出をも顧みず敢行したものであることは前記の如くであるから、後記の如く原告の取得し得べき賃料が統制額を超えない本件に於ては、被告が本件改修工事に投じた費用はそれが必要費であるにせよ又有益費であるにせよ之が償還を求むべきでないとゆうべきであり、かく解するに於ては原告は本件改修の爲利益を得るのみで失うところなきことも明らかである。他面被告に対し之が原状回復を強いることにすれば、本件家屋を使用上の價値の劣つた旧状に復せしめることになり、而もその爲に被告は相当の費用を投ぜねばならぬこととなつて、結局原告にとつても被告にとつても失うところがあるだけで得るところはないのである。以上記述した点を綜合すれば本件原状回復の請求は何等実益のない不当の要求とゆうべきであるから被告が之に應じないからといつて契約解除をなすが如きは信義則上失当なりといわねばならない。
次に賃料不拂を理由とする契約解除の点につき考えてみるに、被告が昭和二十二年十二月中本件家屋の賃料を修正統制額たる一ケ月七十五円に増額を承諾したこと、原告が昭和二十三年十月、及び昭和二十四年六月、夫々家賃修正率の告示の出た後賃料増額の請求をしたことは当事者間に爭がない。右増額請求にあたり金額の明示のなかつたことは証人永井克政の証言によつても明らかであるが、右の如く修正率の告示後なされた増額請求は格別の事情の認められない限り(本件に於てはかかる格別の事情は認められない)修正統制額と同額の増額請求をなしたものと認めるを相当とすべく、而して修正統制額は当時の当該家屋の相当賃料額と認めるのが相当であるから、借家法第七條により増額請求の時から修正統制額と同額に賃料増額の効果を生じたものとゆうべく、本件に於ては(昭和十三年以前の建築家屋たることは弁論の全趣旨から明らかであるから)増額請求の都度夫々修正統制額たる一ケ月金百八十七円五十銭、並に金三百円の賃料に増額されたものといわねばならない。但し増額請求の日は何れも之を明認すべき証拠がないから前者に付ては昭和二十三年十一月一日より、後者に付ては昭和二十四年七月一日より増額賃料支拂義務あるものとすべきものである。被告は、原告が修繕義務を履行しない爲被告に於て本件家屋に修繕を加えたに拘らず修繕費を弁償せずしてなした増額請求は失当だと主張するが、賃料増額の請求は客観的に相当な賃料額の形成を目的とするものであり、賃借人のなした修繕改良の工事、及びその費用の償還の如何の如き当事者間の特殊事情は、(増額請求と別個に考察すべきものであつて)これあるが爲増額請求が信義に反し権利の濫用となるが如き特別の場合の外、斟酌すべき事柄に属しないとゆうべきである。証人石川重伍郎及び被告本人の供述によれば、被告は原告が修繕をしない爲本件改修の外屋根の雨漏り、根太、柱等の修繕、家の廻りの塀の改修等本件家屋に付相当の手入れをなし來つたことが認められるのであるが現在に於ては前記の如くこれらの修繕は賃借人たる被告の負担すべきものと解するの外なく、右の程度の事実では原告の増額請求を信義に反し権利を濫用するものとゆうこともできないから右主張は採用することができない。
而して被告が昭和二十二年十月分から十二月分迄一ケ月七十五円の約定賃料を支拂つたことは当事者間爭のないところである。被告は昭和二十三年一月以降の賃料につき、原告に弁済の爲提供したが受領を拒絶された爲供託したから、履行遅滞の責なきのみならず賃料債務は消滅したと抗爭するが、弁済の提供をなし原告が拒絶した事実に関する被告本人の供述部分は証人永井克政の証言に照し措信し難く、成立に爭のない乙第一号証中のこの点の記載を以てしては右事実を肯認することはできない。他に右事実を認めるに足る証拠はない。のみならず被告の供託した賃料は一ケ月三十円の割合によるものであること被告本人の供述及び乙第一号証により明らかであり適法なる供託と認め難く弁済の効力もないから右主張はすべて採用できない。
而して成立に爭のない甲第三号証の一、二によれば、原告のなした賃料支拂の催告は「遅滞なく履行すべき」旨の催告であつたことが認められるのであり、かかる催告は相当な履行の期間を定めた催告と言い得ないことは明らかであるが、原告のなした契約解除の日までに経過した三日間は履行の爲の相当の期間と認むべきものである以上之によつて右契約解除の効力を左右することはできない(右甲第三号証の一、二によれば、右催告には、履行を求める延滞賃料額の記載のないこと被告主張の如くであるが、前認定の如く増額請求によりすでに賃料増額の効果を生じている以上、支拂金額に付原告と協議決定するの必要はなく、右三日の期間は右の如く決定した賃料支拂の爲不相当の期間とゆうことはできない)。被告のなした供託が弁済の効力を生じないこと前記の如くであり、他に右期間内に弁済をなした事実の認められない以上、右契約解除は有効であつて、これにより本件賃貸借契約は解除せられたものと認むべく右催告が原状回復の請求を包含していたにしても右の効果を左右することはできない。
されば被告は原告に対し右家屋を明渡すべき義務があると共に、昭和二十三年一月一日より同年十月末日迄一ケ月金七十五円、同年十一月一日より昭和二十四年六月末日迄一ケ月金百八十七円五十銭、同年七月一日より明渡済迄一ケ月金三百円の割合による賃料乃至相当賃料同額の損害金を支拂うべき義務あるものであり、これが履行を求める原告の請求部分は正当にして認容すべきも、賃料の請求中右認定以外の部分は失当として棄却すべく、仮執行の申立は適切ならずと認め却下し、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第九十二條を適用し主文の如く判決する。
(裁判官 北村良一)