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東京地方裁判所 昭和24年(ワ)5688号 判決

原告 瀬下成功 外四名

被告 松崎建設工業株式会社

一、主  文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は、被告は原告瀬下に対し金四万九千七百八十三円六十銭、原告佐藤に対し金六万三千二百九十六円、原告太田に対し金三万八百七十円、原告石原に対し金三万五千六百九十六円、原告稲葉に対し金三万四千八十円を支払え訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として「原告等は、被告会社の自動車部従業員であつてその従業員をもつて組織する松崎商会扇橋工場従業員組合の組合員であるが、被告会社がその生産計劃に対する無定見及び無計劃と修理困難な自動車を買入れた事情から昭和二十四年三月以降賃金の支払を遅延するようになつたので、原告等従業員は被告会社に対し経営方針の改善と未払賃金の支払を歎願したところ、却て被告会社が工場閉鎖を通告して来たので原告従業員はやむを得ず闘争宣言をなしストライキに入つた。そして種々接衝の後昭和二十四年七月十五日原告等の所属する前記組合と被告会社との間に、被告会社は工場閉鎖と馘首をせず且給料は毎月二十五日に支払うこと、尚工場再建のため原告等従業員の意見を参酌する等の労働協約を締結した。然るに被告会社は経営困難を理由として自動車工場を移転するとの名目で従業員を解雇せんとし従業員中にも退職を希望する者もあつたので前記組合は被告会社との間に同月三十一日退職手当は失業保険適用を前提として三十日計算月収二ケ月分とする等の労働協約の仮協約を締結した。然し乍ら同年八月一日被告会社の代表取締役松崎弘幸は訴外金岡進三を伴い来て原告等従業員に対し工場一切を金岡に売却したから同人と交渉せよと述べ金岡は原告等に対し工場への立入を禁止する旨述べた。右は原告等従業員をして退職を希望せざるを得ないようにすると共に前記退職手当の支払をも免れようとするため売買を仮装したものであつて、原告等従業員は東京都地方労働委員会に調停の斡旋を申立てると共に龜戸労働基準監督署に被告会社の行為が労働基準法違反であることを申出でたが、被告会社は反省を示さず昭和二十四年八月三日以降の賃金の支払を為さないものである。原告等は別紙賃金表の如く賃金の支払を受けていたのでこれにより計算した右日時より昭和二十四年十二月末迄の賃金として請求趣旨記載の金員の支払を求める」と述べ、被告の主張に対し、「被告の主張の如き労働協約が八月二日附にて締結された事実は認めるがその締結に際し組合の総会の開かれたこともなく又組合員全員が退職を申合せたこともないから右は組合長加世田の権限の濫用によるもので無効である。仮に然らずとするも前記の如く被告会社の代表者松崎弘幸が仮装の工場売却を為し従業員をして退職を希望するに至らしめた結果右協約が締結されたものであるから従業員は直に詐欺若しくは強迫によるものとして右協約を取消しているものである。仮に然らずとするも組合の代表者は賃金その他の労働条件に関し一般的基準を確立することを直接の目的として使用者と協定し労働協約を締結することは出来るが個々の労働契約の締結若しくは解約については労働協約の範囲外であり特別の授権のない限りその権限のないものであるから、組合員の多数決に従い退職する旨の労働協約を締結しても退職に反対する組合員に対しては何等の拘束力のないものである。原告等は組合長加世田に退職について代理権を与えたこともなく退職の申合せをしたこともないから右協約によつて退職の効力を生じない。原告等は昭和二十四年八月二日以降労務を提供したが被告会社がこれを受くることを拒んだものであり、被告は、就業を拒否したのは前記八月二日附の労働協約が存在するからと言うが右協約が退職の効力を生じないことは明白のことであり且同年八月二日原告等はその無効なることを被告等に通告しているので、被告が右協約を有効なりと信じたことは故意若くは重大なる過失に基くもので就業を拒否した責任は被告にあり、原告等は使用者たる被告の責に帰すべき就業拒絶により労務の履行が出来ないものであるから反対給付を受くる権利を失うものでない。原告等は恒産なきもので生存のため他に働いて収入を得ることは当然であり之を賃金から控除すべき理由はない」と述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告の主張に対し、「原告等がもと被告会社の従業員であつて原告主張の組合の組合員であつたこと及び被告会社が原告主張の如く賃金の支払を遅延し工場閉鎖を通告しストライキとなり昭和二十四年七月十五日原告主張の労働協約が締結されたこと並に原告等がその主張のように調停の申立を為し龜戸労働基準監督署に申出を為したことは認めるがその余の事実はこれを争う右調停の申立及び申出はいずれも受理せられなかつたものである」と述べ、「右七月十五日の労働協約は本契約を締結するまでの仮協約であつて、昭和二十四年八月二日の労働協約の締結により失効したものである。被告会社は昭和二十四年四、五月頃より事業不振と金詰りのため工場閉鎖の止むなき事情にあつたが従業員等の工場継続の希望もあり何等かの打開策を以て事業を継続せんとしたが遂にならずして原告等従業員と交渉を重ねた結果全従業員が被告会社の実情を諒解して円満退職することとなつたので、被告会社は従来より金融を得ていた金岡進三に工場を引渡すことにし、原告等の所属する組合との間に同年八月二日附にて、八月二日をもつて全員退職する。八月二日までの未払給料は八月九日迄に支払うこと退職手当は二十日分として八月十五日までに支払うこと、被告会社と従業員は以上の条項で円満に解決する。右支払については金岡進三において連帯保証すること等の労働協約を締結した。而して右協約は原告等において組合総会を開き組合員二十四名中二十二名出席し右協約の条項につき満場一致の承認があつて組合長並に書記長が右協約書に署名捺印したものであつて、組合員中原告瀬下及び訴外阿部某のみが右条項を承認しなかつたものである。右協約は、被告会社の扇橋工場の閉鎖に伴つて原告従業員の退職について被告会社と前記組合との間に団体交渉が行われ、その妥結の結果、作成されたものであるから、この協約により組合員全員につき退職の効果を生じ原告等も既に八月二日退職したもので原告等と被告会社の雇傭関係は消滅し右日時後の賃金の支払義務はない。蓋し若し退職については組合員個人の意思に従うべきものとせば団体交渉の行われる場合使用者は一方組合と団体交渉し他方組合員個人と交渉せねばならず、団体交渉を認めるの趣旨は大半没却されるであろう。仮に右協約による退職の効果が生じないとするも、原告等は昭和二十四年八月二日事実上退職し何等労務の提供をしていないから被告会社に賃金支払の義務はない。又仮に労務の提供があつたとしても被告会社は右協約が成立したので原告等を就業せしめなかつたもので又被告会社は解散はしていないが事実上今日に至るまで工場閉鎖し営業をしていないものであるから、就業せしめないことにつき故意過失がないから賃金支払の義務がない。又仮に右の主張が理由ないとしても原告等は昭和二十四年八月三日以降他に働き殊に原告瀬下は古物商を営み堂々と営業して居り本訴請求以上の収入を得ているからこれは本訴請求から控除されるべきものであるから、被告会社に本訴請求について支払義務がない」と主張し、尚詐欺強迫によつて労働協約が締結されたことは否認すると述べた。(立証省略)

三、理  由

原告等が被告会社の従業員であつて、被告会社の従業員をもつて組織する松崎商会扇橋工場従業員組合であつたこと及び右組合と被告会社の間で昭和二十四年七月十五日原告等の主張するような労働協約の締結されたことは当事者間に争のないところである。

被告は、原告等は昭和二十四年八月二日退職したので原告等と被告との雇傭契約はこれにより終了したと主張するので先ずこの点につき案ずる。右日時に被告の主張するような労働協約が締結されたことは当事者間に争なく、この事実に各成立に争のない甲第一号証第四号証第五号証乙第一号証の一証人加世田勝美、同小林保栄、同小川正水(後記措信せざる部分を除く)の各証言及び原告瀬下成功の本人訊問の結果(後記措信せざる部分を除く)を綜合すれば、被告会社は経営能力が十分でなくて昭和二十四年三月頃より賃金の支払を遅延するようになつたので被告会社の従業員は松崎商会扇橋工場従業員組合なる労働組合を組織し訴外加世田勝美が組合結成より昭和二十四年八月二日まで組合長となり、被告会社と接衝し同年六月三十日に未払賃金の即時支払、不当工場閉鎖人員整理絶対反対等の要求書を出したところ被告会社が工場閉鎖馘首を以て囘答したので同年七月はじめに争議となつたが被告会社は従来のままでは経営が出来ないから従業員の協力を求めると言う態度に出て従業員も被告会社に協力するということになつたので同年七月十五日有効期間を同年十二月末日迄、但右期間中に労働協約が出来た時は失効する約にて原告主張の労働協約を締結して争議を解決したこと、右協約によつて従業員も仕事の注文をとることに協力することになり、従業員も努力したが思うように注文がとれなくて工場の経営が困難になり、被告会社は、賃金を支払わないようになり工場を閉鎖すると言い出し右協約通りにしないので、組合との間にまた紛争が生じ種々交渉が為されたが被告会社は工場閉鎖の主張を撤囘しないので従業員も全員退職の方針をきめたので組合総会の決議を得て同年七月三十日被告会社と従業員組合代表加世田勝美との間で、退職手当は失業保険適用を前提として三十日計算にて月収二箇月分とすること、退職手当は八月二十五日支払うこと、八月分の賃金は退職手当支給と同時に支払うこと、右の条項を確実に履行するため被告会社は退職の日に担保を提供すること、退職は八月六日とし全員退職とすること、右担保は八月二十五日に現金支払不能となつた時は即時組合に処分権が発生するものとし債権に充当すること、但し債権額以上の時は他の従業員の給料退職資金に充てるため被告会社に引渡すこと本協約実行のため右担保を処分する場合は組合と協議すること等の趣旨の労働協約を締結したこと、ところが七月三十一日頃被告会社の代表者松崎弘幸と共に金岡進三が来て工場は自分が経営すること及び退職金二ケ月は出せないから右協約は実行出来ない旨を申出たので組合は更に被告会社及び金岡と接衝を重ね、組合においては従来協約が実行されず被告会社に経営能力を欠く等のことにより多くの従業員が賃金退職金の支払不能を慮り原告瀬下及び訴外阿部を除いては全部被告会社の申出を承認したので組合長加世田が被告会社との間で同年八月二日附の被告主張の労働協約を締結したことを認めるに足り、証人小川正水の証言中及び原告瀬下の本人訊問の結果中右認定に牴触する部分は前記証拠に照し措信出来ない。原告は右八月二日の労働協約は組合総会の議決を経ずして為されたものであり又は右加世田は協約締結の権限なきものと主張するがこの点に関する証人小川正水原告瀬下の本人訊問の結果は措信し難く他に右認定を覆すに足る証拠がない。更に原告は右協約の締結若くは従業員の承認は詐欺若くは強迫による意思表示に基くものであるから取消したと主張するが前認定の事情ではこれを認めるに足らなく他にこれを認めるに足る証拠がないから原告等のこの点の主張は採用出来ない。次に労働協約は労働組合が専ら労働条件の維持改善を目的として使用者と締結するものであつて、或は労働条件についての一般的基準を定めて個々の労働契約の内容を規整し或は労働組合と使用者との間の債権債務の関係を規定してその履行によつて労働条件の維持改善を図らんとするものであつて、労働協約が個々の労働契約を拘束する範囲は自ら制限のあるもので個々の労働契約の締結及び解約の如き労働条件にあらざるものについては、右の範囲に属せざるものとして、たとい労働協約においてこれを定めるもそれは労働組合に対する組合員よりの特別の授権なき限り労働組合と使用者との間に債権債務を発生することあるも、これにより直接個々の労働契約が発生又は消滅するものとは為し得ないと言わねばならない。なるほど工場閉鎖に伴つて労使間に争議が生じ団体交渉により全員退職と言うことにて妥結することもあり、この場合使用者と労働組合の間で全員退職を約定し直に其の効力を生ずると為すことは、組合に団体交渉を委ねた趣旨に徹するとは言え、組合員の労働契約上の権利義務の一切につき労働組合に権限を委ねたものと解する法文上の根拠なく、却つて労働組合法第十六条によれば労働協約が各個の労働契約を拘束するのは労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に限るものと解せられるので、被告のこの点に関する法律上の主張は採用することが出来ない。而して前認定の事実によれば、原告瀬下を除くその余の原告等は被告会社の退職の申出を諒承し組合長加世田勝美に交渉を委かしたものであることが明であるので、前記八月二日の労働協約における約定により被告との雇傭契約を合意解除し、これにより原告瀬下を除くその余の原告等と被告会社との雇傭契約は終了したものと判断せざるを得ないからこの点の被告の抗弁は理由あるものである。原告瀬下については他にその退職を認めるに足る証拠がないから、この点の被告の抗弁は理由のないものである。従つて原告瀬下を除く其の余の原告等の請求は、同原告と被告会社との間に雇傭契約の存続することを前提とするものであるので其の余の点について判断するまでもなく理由のないものと言わねばならない。

よつて原告瀬下の請求についての被告の主張について判断する。原告瀬下の本人訊問の結果並にこれにより成立を認め得る甲第三号証の二によれば前記八月二日附の労働協約の締結の後同日原告等が被告会社に対しこの協約の放棄を通告し前記七月十五日附協約の実行を求めたことが推認されるので原告はその労務の提供を為したるものと言うべくこれに対し被告会社が就業せしめなかつたことは被告の争わざるところであつて、証人加世田勝美の証言並に弁論の全趣旨によれば、昭和二十四年八月二日以後は前記金岡進三において工場を運営し、被告会社は前記八月二日頃の工場閉鎖の後は全く営業を為さず現在に至つていることを認め得るので、原告の労務は右八月二日以降履行不能の状態にあつたものと言わざるを得ない。而して成立に争のない甲第五号証証人加世田勝美、同小林保栄の各証言によれば、被告会社は昭和二十四年五、六月頃より経営困難となり工場閉鎖して営業を廃止せんとしたが従業員の希望により再三その再建を企てたるも遂に成らずして、昭和二十四年七月三十日頃には従業員も工場閉鎖営業の廃止を已むを得ずとするに至り、全従業員が退職を已むを得ずとし退職金を確保せんため七月三十日被告会社と前認定の七月三十日附協約を締結するに至つたこと、其の後間もなく被告会社は更に前記八月二日附協約を締結して工場を閉鎖して営業を廃するに至つたが右協約の有無に拘らず工場を継続経営することが最早出来ない状態にあつたことを認め得るのであり、斯様な事情による工場の閉鎖営業の廃止は、被告会社の経営能力の不足に基因するところ大であるとは言え、被告会社が右工場閉鎖の頃これを避けんと努力して遂に避け得なかつたこと右認定の如くであるのでこれを以て故意又は過失とはなし難く斯かる事情による工場閉鎖営業廃止による原告の労務の履行不能は民法第五百三十六条第二項に所謂債権者の責に帰すべき事由に当らないものと解するを相当と考える。原告は被告会社が前記八月二日の協約を有効と考え工場閉鎖したのは被告会社の故意若くは重大なる過失であると主張するが工場閉鎖の事情が前認定の如くにして閉鎖するか否かにつき被告会社に選択の余地なきこと前認定の如くである以上この主張は採用の余地がない。然らば原告の昭和二十四年八月三日以降の労務は履行不能に帰し且他にその不能につき被告会社の責に帰すべき事由の認むべきものなき本件においては原告は反対給付を受くる権利を失うものと言うべきを以て、原告瀬下の昭和二十四年八月三日以後の賃金の請求は理由なきものと言わねばならない。

よつて原告等の請求をすべて理由なきものとして棄却し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条第九十五条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 脇谷寿夫)

(別紙賃金表省略)

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