東京地方裁判所 昭和24年(ワ)784号 判決
原告 藤本信治
被告 東武鉄道株式会社
一、主 文
被告は原告に対し、金十四万円と、これに対する昭和二十四年三月十三日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告その余の請求は、これを棄却する。
訴訟費用は全部被告の負担とする。
この判決は、原告において金三万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金十四万三千六百七十九円八十銭と、これに対する昭和二十四年三月十三日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の仮執行宣言つき判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。
原告は兄藤本三郎とともに埼玉県館林町へ赴くため、昭和二十三年四月四日午前九時半すぎ、被告の経営する東武鉄道北千住駅から同鉄道第二十三号伊勢崎行電車(三輛連結)に乗車した。同電車は運転士深沢庄蔵の指導により見習運転士三村義正が運転していた。同見習運転士は、その運転技術が未熟で電車進行中屡々乗客に動揺を与えていたが、同電車が鷲の宮駅を発車してから間もなく、必要もないのに突然急停車させた。同電車には、乗客多数が乗り合せ、立つている者も相当多かつた上に、吊革が殆んど破損していたので、同電車の最前部車輛の進行方向に向つて左側の坐席の前に、つかまるところもなく窓に向つて立つていた原告は、周囲に立つていた乗客とともに急停車による衝撃を受け、相重なつて床の上に倒れた。その際、原告は他の乗客の下敷きとなり、強く右膝を床にうちつけて、右大腿骨果上骨折という傷害を受けた。
そこで、原告は兄の助けを受けて次の停車駅花崎駅で下車し、同駅駅長に右の旨を伝え、同駅長の指図により加須駅に運ばれその附近にある新井接骨院に送られた。新井接骨医は原告の受けた傷害を脱臼であると診断した。原告は同院で三十三日間入院、治療を受けて自宅に帰つたが、経過が思わしくないので、同年五月二十九日国立東京第一病院で診断を受けたところ、前記骨折であることが判明した。そして、同病院に同年十月十四日まで入院して治療を受け、その後も通院して療養を続けているが、未だ全快に至らない。同病院の診断によれば、松葉杖をつかずに歩ける程度までは治るが、結局右足が左足より約五糎短かくなることはさけられないというのである。従つて、今後通常人としての労働に従事することができなくなつたのである。
前記のとおり、原告の受けた骨折は、被告が電車を技術未熟な見習運転士に運転させ、同人が不必要に電車を急停車させたことと、吊革の破損を被告が整備しておかなかつたことによつて生じたのであり、さらに、花崎駅長の誤つた指図で原告が新井接骨院に送られ、そこで誤診され、適切な治療を受けるべき機会を三十余日間遅らせられたために、受傷の程度は悪化したのである。
ところで、被告は鉄道による運送を業とする会社で、人員を安全に輸送するためには、万全の注意を払うべき義務を負つているのであるから、前記見習運転士に電車を運転させたことと吊革の整備を怠つたこととは、被告の注意義務違反というべきである。又電車の運転士は人員を乗せた電車を運転するに当つては、常に乗客の安全を念頭において細心の注意をもつて運転すべき義務があり、急速度で進行している電車を急停車させれば立つている乗客に烈しい衝撃を与えるものであることはわかりきつたことであるにもかかわらず、三村運転士見習は、不必要に急停車させたのであり、さらにまた、鉄道駅員は、鉄道で負傷した乗客のためには速かに信頼すべき医師の診断、治療を受けさせるべき義務があるにもかかわらず、花崎駅長は、原告を医学的には信頼できない新井接骨院に送り、誤診の結果を生じさせたのである。そして三村見習運転士及び花崎駅長はいずれも被告の使用人であり、被告の事業の執行に当つて右のとおり、それぞれ注意義務に違反したのである。
かように原告の受けた傷害は、被告及び被告の使用人が被告の業務の執行に当つて、注意義務に反した結果生じたものであるから、被告は原告に対して、その傷害の結果全部につき責任を負わなければならない。
原告は本件受傷当時二十三才であり、受傷前は横浜市中区豆口台坂本正次郎方で土木建築業の手伝いをし、毎月五千円の收入を得ていたが、本件受傷の結果その後一年間余り全く仕事をすることはできず、少くとも一年分金六万円の收入を失つた。又前記のとおり右足が左足より約五糎短くなり、今後通常人としての労働に従事することができなくなつたのであるから、これによつて得ることができなくなる財産上の損害は少くとも金五十万円とみつもることができる。さらに、本件傷害により原告が一生片輪で暮さなければならないことになつたことによる身心の苦痛は甚大であるから、慰藉料として金三十万円を受けるのが相当である。
よつて被告は原告に対し、右金額合計金八十六万円を支払う義務があるのであるが、原告は本訴においては、第一の損害金六万円全部、第二の損害金五十万円の内金三千六百七十九円八十銭、第三の慰藉料三十万円の内金八万円、合計金十四万三千六百七十九円八十銭と、これに対する昭和二十四年三月十三日(本件訴状が被告に送達された日の翌日)から右完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払とを求める。
かように述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、次のとおり答えた。
原告の主張する事実のうち、原告が昭和二十三年四月四日午前九時半すぎに被告の経営する東武鉄道伊勢崎行第二十三号電車(三輛連結)に北千住駅から乗車し、花崎駅で下車したこと、同電車は運転士深沢庄蔵の指導により運転士見習三村義正が運転していたこと、原告が花崎駅で下車したとき負傷していたこと、原告が花崎駅長の指示で担架にのせられて加須駅に送られ、さらに同駅から新井接骨院に運ばれたこと、原告が同院に三十三日間入院して治療を受け、その後国立東京第一病院に入院したこと、及び右電車の吊革が多少破損していたことは認めるが、同電車が鷲の宮駅と花崎駅の間で急停車したということ、その他三村見習運転士及び花崎駅長に原告のいうような過失があつたということは否認する。その他の主張事実は知らない。
原告が負傷したという当時、右電車には乱暴な買出客が多く乗車しており、飛び乗り、飛び降りなどを行う者が少なくなく原告もそのようなことで負傷したものと察せられる。仮りに原告の負傷が電車の動揺によるものであるとしても、それは軽微な動揺によるものとしか考えられない。ところで高速度で進行する電車には多少の動揺はさけられないのであるから、乗客は自ら相当の注意をもつて身体の安定をはかるべき義務を負うものというべく、本件事故は、その注意を欠いた原告自身の不注意に因るのである。これを電車の運転士又は被告の過失に帰することはできない。又花崎駅駅長が原告を新井接骨院に送つたのは、被告の使用人としての被告の業務の遂行のためにしたのではなく、一般社会人として負傷者をみてほおつておくことはできないという好意に出たことである。
かように述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が昭和二十三年四月四日午前九時半すぎに被告経営の東武鉄道伊勢崎行第二十三号電車(三輛連結)に北千住駅から乗車し、花崎駅で下車したこと、その際原告が負傷していたこと及び右電車は運転士深沢庄蔵の指導により見習運転士三村義正が運転していたことは、当事者間に争いがない。
そこで原告の負傷がいかなる原因によつて生じた、いかなる負傷であるかを判断する。
証人藤本三郎、新井茂教、佐藤修、深沢庄蔵、前沢イクヨの各証言、原告本人の供述と、検証の結果とを合せ考えると、次のとおり事実を認めることができる。
原告は兄藤本三郎と埼玉県館林町に行くために前記電車の最前部車輛に乗つていた。原告は兄と少し離れ、進行方向に向つて左側の坐席の前に窓に面して立つていた。この電車には買出客が多く、非常に混んでおり、原告の立つている傍にも多くの乗客が立ち並んでいた。車内の吊革は相当破損しており、原告やその傍に立つている人々の附近には殆んどなかつた。同電車が鷲の宮駅を出て花崎駅に向う途中で前記見習運転士は制動をかけたが、急停車をするには至らないで再び進行を続けた。この附近は線路は殆んど直線にしかれていて電車は急速度で走つていたので、特別急激にかけられた制動ではなかつたけれども立つている乗客には相当強い衝撃を与えた。たまたま吊革につかまることができなかつた原告及びその傍の人々はこの衝撃を受けて相重つて床の上に倒れ、原告はその下敷となつた。その際原告は強く右膝を床につきあてて、右大腿骨果上骨折の傷害を受けた。
かように認めることができ、証人藤本三郎の証言及び原告本人の供述のうち、本件電車は何回も急停車し、鷲の宮、花崎駅間でも急停車した、という部分は、証人斎藤権作、深沢庄蔵の各証言により認められる「急停車した場合には次の駅の駅長に報告することになつているが、本件については報告がなかつた」という事実に照して信用できないし、又証人深沢庄蔵、前沢イクヨ、斎藤権作、小柴常太郎の各証言及び乙第一号証(証人斉藤権作の証言によつて真正にできたことが認められる)に書いてあることのうち、右認定に反する部分も、すぐ次にあげる事情と対比して、信用できない。
すなわち、電車運転士が運転中制動をかけることは屡々あることであり、急速度で進行する電車においては、多少の制動をかけただけでも立乗りの乗客には相当強い衝撃を与え、殊に電車が混み合つている場合には、一人々々に対しては倒れる程の強さにならなくても、一人に加つた衝動が順次隣りの人に及ぶことによつて、遂に何人かが倒れ、その上に傍の人が押重なつて倒れるという現象は、われわれの日常経験するところである。そして、証人新井茂教、佐藤修の各証言によると、原告の受けた傷害は骨折中でも極めて重傷に属し、ただ押し倒された程度では生ずるものではないが、折重つて倒れた下敷になれば生じうるようなものであることが認められ、しかも右認定した原因以外に原告の受けた傷害の原因となるような事実を認めることができる証拠はないのである。
してみると、原告の受けた傷害は、右電車を運転する者が制動をかけたことと、電車が混み合つていたことと、原告及びその傍に立つていた乗客の附近に身体を支えるための吊革がなかつたこととの三つの事実が相よつて原因となつた、と認めるのが相当である。
ところで、電車運転士が電車を運転するに際しては、乗客の安全のために常に細心の注意を払うべき義務があることは勿論である。しかし、運転士乃至見習運転士が理由なく制動をかけることは普通ありえないことである。本件において見習運転士三村義正が如何なる事情で制動をかけたかはあまりはつきりしないが、不必要に制動をかけたということについては、何も証拠がないのであるから、三村見習運転士は、やはり何か理由あつて制動をかけたと認めるほかない。従つて、この点に関し、三村見習運転士に過失ありということはできないし、右見習運転士に運転させた点において被告に過失ありということもできない。さらに又、乗客の混み合つていたこと、すなわち被告が電車に定員以上の乗客をのせたことをもつて被告の過失とすることができないことは、今次大戦以来東京都内又は近郊の電車において定員乗車を強行することが不可能であり、不適当でもある実状(電車の経営者は乗せたのであり、公衆は無理やり乗つたのであるが、むしろ無理やり乗つたという感じの方が強い、といえよう)を正視すれば、殆んど説明を要しないであろう。
そこで、最後に車内の吊革欠如の問題を検討しなければならない。鉄道運送を業とする会社としては、乗客の安全のためにはできる限りの施設を整備すべき義務を負うものといわなければならない。そして、高速度で進行する電車においては、乗客は常に多少の動揺を受けるものであるのみならず、特に電車進行中運転士が制動をかけて急停車し、或は急停車に至らないまでも急激に進行速度を変える必要が起ることは屡々であり、かような場合には立乗りの乗客に強い衝撃を与えることは前記のとおりであるから、立乗りの乗客のために、その身体の平衡を保たせる施設即ち吊革を整備しておくことは、鉄道を経営する会社の義務であると解するのが相当である。今次大戦中から終戦後にかけて資材が極度に不足し、車体又は諸施設の破損部分に十分な修理、補修を加えることを期待することが無理であつた頃においては、吊革の整備不十分ということをもつて鉄道会社に責任を問うことは酷であつたといえるにしても、終戦後三年近くを経過した本件事故発生当時においては、国力もかなり回復し、資材も漸次出まわつてきていたのであるから、前記吊革の補修を怠つたことは、被告の過失である、といわなければならない。
さて混雑するほど乗客を乗せた点、電車に制動をかけた点について被告を責めることができないとすると、吊革の整備を怠つた点だけによつて被告を責めることができるか、という疑問がおこるかもしれない。吊革の整備が十分であつても、本件のように折重つて乗客が倒れるという現象がおこることは、絶無ではなかろう。しかし吊革の整備が十分であれば、吊革のある附近の乗客は吊革につかまつているのが普通であり、そして吊革につかまつていれば、電車の制動で乗客が倒れはじめてもどこかで少しずつとめられ、本件のように多数の乗客が折重つて倒れるというようにはならないのが普通である。即ち本件のように折重なつて乗客が倒れるということは異例である。本件において吊革の整備が十分であつたとしても、それにも拘らず、本件の事故が起つたであろうというようなことは、被告は少しも明らかにしていない。従つて本件の吊革の整備不十分ということと、原告の受傷との間には、やはり相当な因果関係があるのである。そして吊革の整備不十分という点について被告に過失があつたことは前記のとおりであるから、結局原告の前記負傷は被告の過失によつて生じた、といわなければならない。
ところで、原告の負傷については、原告にも過失がなかつたかどうか、混雑する電車においては本件のような事故がおこりやすいのであるから、非常に混雑する電車に乗ることは、そのこと自体一つの冒険をしているものということができる。従つて非常に混雑する、しかも吊革の整備不十分な電車に乗る者は腰かけることができない限り、窓辺につかまるとか、頭上の横棒につかまるとか、腰かけている人につかまるとか、万一の場合に処し身の安全を保つに足るような措置態度に出でる義務があるものといわなければならない。しかるに原告本人の供述によると、本件事故発生の際、原告は右のような格段の処置態度に出でることなく、漫然と坐席の前に、窓に向つて立つていたことが認められるから、原告が前認定のようにして負傷したことについては、原告にも過失がある、といわなければならない。これは損害額の点に関係してくることであるが、便宜ここで説明した次第である。
進んで原告が蒙つた損害の点について判断を与える。
原告が受傷して花崎駅で下車した後、同駅斎藤駅長の指示で、新井接骨院に送られ、同院に三十三日間入院して治療を受けたこと及びその後原告が国立東京第一病院に入院して治療を受けたことは、当事者間に争いがない。そして、証人新井茂教、藤本三郎、佐藤修の各証言、原告本人の供述を合せ考えると、新井接骨医は原告の受けた傷害を脱臼と診断し、この診断にもとずいて治療を行つたが、国立東京第一病院は写真をとつて検査した結果前記骨折と診断したこと、原告は国立東京第一病院に昭和二十三年五月二十九日から同年十月十四日までに入院し、手術及び治療を受け、その後同病院に通院加療中、傷が化膿したので、再び昭和二十四年九月五日から同月二十四日まで入院し、その後も治療を続けているが、さらに経過をみた上で再び手術をする必要があること、そしてこれによつて全快しても、膝関節の運動は制限を受けるし、右足が左足より約五糎短かくなつたのも旧に復することはできず、従つて原告は今後一生の間通常人としての労働に従事することができないこと、原告は本件受傷当時二十三才であり、横浜市で土木建築業者のもとで働き、月收五千円を得ていたが、右の傷を受けて治療に当つたためにその後一年以上右の收入を得ることができなかつたことを認めることができる。
以上認定の事実によると、原告は本来ならば受傷後少くとも一年間に得ることができたはずであつた金六万円の收入を、本件事故が起つたために得ることができず、同額の損害を蒙つたということができるし、又本件事故によつて原告が生れもつかぬ片輪になり、一生不自由な身体で暮さなければならないことになり、原告は精神的に甚だしい苦痛を受けている、と認めることができる。なほ原告は前記のような不自由になり、今後通常人としての労働に従事することができなくなつたことによつて、将来財産上の損害を蒙むることが必至である、その額は少くとも金五十万円である、という。原告が不自由な身体になり、通常人としての労働に堪えられなくなつたこと、従つて原告の将来の財産上の收入が、身体が健全であれば得られるであろうところよりも減ずるであろうということは、一般的にいえることであるが、果してどれだけの收入減となるかについては何も証拠がないから、この点に関する原告の主張は、現在の立証程度においては、採用することができない。
ここで一言ふれなければならないことがある。それは原告を最初に診た新井接骨医が前記のとおり誤診したということ、原告がこの接骨医のもとで三十三日を送つたということ、従つて原告の蒙つた損害はこれらのことによつて不必要に増大したではなかつたかということについてである。しかし前記佐藤証人の証言によると、原告の蒙つた右大腿骨果上骨折は骨折の中でもごく重傷のものであること、今後膝関節の運動が制限を受け右足が左足より約五糎短くなることが将来さけられないものであることは原告が右大腿骨果上骨折という傷を受けたということから当然生ずるものであること、この治療に一年以上かかつたことは不必要に長いものではなかつたことを推断することができるのであるから、原告が前記のような損害額の賠償を求めている本訴においては(かかつた治療費等の賠償を請求するのであれば問題になることであるが、)前記の点については判断を与える必要はないといわなければならない。
原告は前記のとおり、過去において金六万円の財産上の損害を蒙つたし、精神上甚だしい苦痛を受けている。しかし原告にも過失があつたことは、さきに認めたとおりである。当裁判所は、原告の請求中財産上の損害については、過失相殺をする必要を認めない。原告の精神上の苦痛に対する慰藉料については原告の年齢、職業、負傷の程度をしんしやくし、過失相殺を行つて、被告が支払うべき額は金八万円が相当である、と認める。将来の財産上の損害として金三千六百七十九円八十銭の支払を求める原告の請求が失当であることは、さきに説明したとおりである。
被告は原告に対し、右金十四万円と、これに対する本件訴状送達の翌日たる昭和二十四年三月十三日(記録上明らかである)から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うものといわなければならない。原告の請求中右の部分は正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十二条但書を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 新村義広 武藤英一 西村広一)