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東京地方裁判所 昭和25年(モ)1925号 判決

債権者 健康保険組合連合会

債務者 財団法人平和協会

一、主  文

当裁判所が債権者債務者間の昭和二十五年(ヨ)第一二七八号債権仮差押命令申請事件について昭和二十五年四月二十七日なした仮差押決定(同年五月六日更正決定)はこれを認可する。

訴訟費用は債務者の負担とする。

二、事  実

債権者代理人は、主文第一項と同趣旨の判決を求め、その請求原因として、債権者は債務者との間に昭和二十四年四月一日東京都世田谷区上馬町一丁目七百八十八番地駒沢病院に存する債権者所有の医療器械器具、薬品、その他の備品等一切の物件を金九十万円で賣渡す契約を締結しその代金の支拂方法は昭和二十四年四月から毎月六万円宛を月末拂で向う十五箇月間に債務者より債権者に持参支拂することにきめた。しかるに債務者は第一回月賦金金六万円を同年四月末日に支拂つたのみでその後の分は弁済しないので、同年五月分から昭和二十五年三月分迄の滞納は合計金六十六万円に達した。債権者は債務者を被告として当廰に対し賣買代金請求訴訟の提起方準備中である。債務者は駒沢病院を経営しておつて毎月第三債務者である社会保險診療報酬支拂基金(以下單に基金という)から社会保險診療報酬の支拂を受けているが、債務者が何時財産を隠匿し又は不当処分をなすかも計り難い実状にあるので後日債権者が勝訴しても執行不能になるおそれがあるから、強制執行を保全するため、債務者が右基金に対し有する診療報酬債権の内別紙目録記載の金額につき債権仮差押命令を申請したところ、これを認容する主文第一項表示の仮差押決定を得たのである。この決定はもとより正当であるからこれが認可の判決を求めるものである。と述べ債務者代理人の答弁に対しては、

(一)  健康保險法第六十八條は被保險者の保險者に対する保險給付請求権の讓渡又は差押を禁ずる法意であつて保險医が診療報酬として基金から受ける費用とはおよそ無関係である。保險医が基金に対して有する債権は保險給付を受ける権利ではなくて社会保險の診療をした報酬債権である。同條の規定は被保險者たる從業員保護のためのもので、保險医の診療報酬債権保護のための規定ではない。被保險者は保險医の選択については全く自由であり、誠実にして力量ある保險医の診療を何時でも受けられるのである。又債権の讓渡又は差押の禁止は取引安全保護の見地から極めて例外的に認むべきものであるから條文の解釈についても嚴格に解すべきものである。

(二)  民事訴訟法第六百十八條の二の規定は同法第六百十八條第二項本文の場合、即ち同條第一項第一号、第五号、第六号にかかげる收入の差押についての規定であつて、債務者のような財団法人として医業を経営する者の收入はこれに該当しない。仮に同法第六百十八條の二により第五百七十條の二を準用するとしても、債務者は誠実にして債務履行の意思ありとは認められず、又債務者が本件仮差押によつて生活が窮迫状態に陥るとは考えられない。

(三)  社会保險診療報酬支拂基金法第一條によれば、基金は社会保險診療報酬に関する政府若しくは健康保險組合、国民健康保險を行う市町村、国民健康保險組合若しくは国民健康保險を行う社団法人又は法律で組織された共済組合の法定支拂代行機関としての公法人であつて、同法に基き保險医は診療報酬についてはこれを基金に対し請求すべきものであり、基金はこの請求に対し審査の上その支拂をなすべきものである。從つて療養の給付に基く保險医の診療報酬債権の債務者は基金であり、從つて本件仮差押の第三債務者は基金とすべきである。

(四)  債務者は債権者に対し反対債権を有したことなく從つて相殺の抗弁は失当である。

(五)  本件賣買契約の趣旨から判断して本件代金債務は当然連帶債務の特約があつたものと言うべきであり、仮に連帶の特約がなかつたとしても、福壽草株式会社は土地家屋の賣買貸借並に利用及び右に附帶する一切の業務を営業の目的とする商事会社であるから本件賣買契約は商行爲であり、從つて商法第五百十一條によつて連帶して負担すべきものである。

と述べた。

<立証省略>

債務者代理人は主文第一項表示の仮差押決定を取消す、債権者の本件仮差押命令の申請はこれを却下する、訴訟費用は債権者の負担とするとの判決を求め、答弁として、

(一)  健康保險法第六十八條は保險給付を受ける権利の讓渡又は差押を禁止しているが、本件仮差押の対象である診療報酬債権もその性質上同條により差押を禁止されているといわなければならない。けだし、社会保險診療報酬支拂基金法によつて債務者が同法にいわゆる診療担当者として、保險者より支拂をうける診療報酬の債権は健康保險法に規定された被保險者が、保險者より療養の給付をうける権利と表裏一体をなすものでこれをも讓渡差押を禁止しなければその差押により保險医の事後の診療に支障を來たし被保險者が自己の信頼する保險医の診療を受けられない場合を生じ、同法第六十八條の意義の大半は失われることになるのみならず、かく解しなければ被保險者が療養の給付に代えて療養費を支給される権利(同法第四十四條)が同じく同法第六十八條により讓渡、差押を禁止されているのと権衡を失する。更に診療報酬債権も同法第四章保險給付の中に規定されていること、家族療養費が保險医等に直接支拂われることがあること(同法第五十九條の二第三項)同法第六十八條も「保險給付を受ける権利」とあつて「被保險者が保險給付を受ける権利」とされていないこと等をあわせ考察するときは、療養の給付を困難にし、ひいて円滑な社会保險診療を確保しようとする法の精神を没却するような診療報酬債権の差押もまたこれを禁止すべきものである。

(二)  本件仮差押によつて債務者の経営する駒沢病院の收入の約七割五分をしめる健康保險法や生活保護法による診療報酬の支拂が止れば、債務者の從業員に対する給料支拂、患者えの給食にも支障を來し患者も從業員も生活上回復不能の窮迫状態に陥るおそれがある。又債務者は債務の履行に関し誠意を以て努力しており現に目下東京簡易裁判所に金銭債務調停の申立をしているし、他方本件債権額は債権者の大予算の中にあつては極めて小部分に当り債務者の経済に甚大な影響ありとは認められない。更に保險医は実は病院ではなく個々の医師であり本件診療報酬債権は医師の職務執行上欠くことをえざる財産として民事訴訟法第五百七十條第一項第五号の場合に準じて取扱うべきであるから民事訴訟法第六百十八條の二第五百七十條の二を適用し、本件診療報酬債務についても差押を禁止すべきである。

(三)  本件仮差押の対象となつた債権の第三債務者は健康保險組合及び政府となすべきであつて基金はその第三債務者でありえない。このことは健康保險法第二十二條、第二十四條、第二十五條、第四十三條の六、第五十九條の二第二項、社会保險診療報酬支拂基金法第一條、第十三條によつても明かなように診療報酬支拂の義務が各保險者すなわち政府又は各健康保險組合自体にあることによつて明かである。基金は各保險者との委託契約(同法第十三條第三項)に基いて診療報酬支拂事務を代行しているにすぎない。債務者は各健康保險組合の組合員その他の被保險者に対し現実に診察した場合、前記諸規定に基いて当該各保險者に対し診療報酬の請求をなし、基金を通じて支拂を受けるものであつて、この場合基金は各保險者の委任代理人として支拂をなすのであるから、本件仮差押においては第三債務者としては駒沢病院で診療をうけた被保險者に対する各保險者の名を明示し、かつその保險者に対する各債権額を示さなければならないのにそのことなく單に第三債務者となりえない基金を第三債務者として仮差押決定のなされたことは違法であり、取消さるべきものである。

(四)  本件仮差押申請の基本たる請求債権は債務者が債権者に対して有する反対債権との相殺により消滅した。元來債務者は申請外福壽草株式会社及び田沢鐐二との三者共有にかかる駒沢病院を他え賣却する目的で債権者の協力を得るため、昭和二十三年九月一日「債務者及び外二名の共有者等は債権者に右病院の経営を委託し且協力して右経営並に他えの賣却に努力すること、右賣却をなしたときは債務者等は債権者に対して報酬として賣却代金の二割乃至一割五分に相当する金員を支拂うこと、右経営期間中は債権者は債務者等に対してその経営による收入の内から毎月金五万円を支拂うこと」等を特約したが債権者において賣却の目的を達することが出來なかつたので、債権者は昭和二十四年四月一日右病院を債務者等に返還すると同時に、前記契約を解除した。而して右解除にあたり「債務者及び右二名の者等は債権者が右病院経営中取得した医療器械器具薬品其の他の備品等一切の物件を代金九十万円で債権者から買受け、右代金は向う十五箇月間に毎月金六万円宛分割して支拂うこと債権者は債務者に対して右病院の委託経営中の債権債務については精算をなした上、剰余金があればこれを返還すること」等の契約をした。しかるに債権者はその後右特約に基いて精算をなさず且右経営期間中である昭和二十四年一月、二月、三月分の診療報酬として基金から合計金百九万九千余円を同年六月末日迄に、同年三月分の生活保護診療費として東京急行及び小田原急行各電鉄株式会社から合計金四万二千百余円を同年四月末日迄に何れも受領していることが判明したので、債務者はその返還方を同年七月頃から請求し、なお前掲債務即ち本件請求債権と各相殺の上、精算すべきことを請求しているが債権者はこれに應じないのである。從つて本件請求債権は少くとも債権者が債務者等に返還すべき前記精算金合計額金百十四万千百余円の内対当額において相殺をなし既に消滅したから本件仮差押の申請は理由がない。

(五)  仮に相殺の主張が成立しないとしても、本件請求債権は債務者申請外福壽草株式会社及び田沢鐐二の三名の共同債務であり、その間に連帶して債務を負担する特約がないし又本件賣買は営業として行つたものではなく、從つて商法第五百十一條の適用もない。結局本件代金債務は民法第四百二十七條によつて平等の割合による分割債務であつて、債務者の負担額は債務残額八十四万円の内金二十八万円であるから、本件仮差押債権額六十六万円との差額金三十八万円については不当な仮差押をしたもので取消さるべきものである。

(六)  なお、債務者は病院経営を今後永く継続する計劃であり、その有する診療報酬債権を隠匿することもできないのであるから本件仮差押の必要は少しも存しない。と述べた。<立証省略>

三、理  由

成立に爭のない甲第一号証(乙第五号証)によれば債権者は債務者及び申請外福壽草株式会社関係物品所有者に対し昭和二十四年四月一日、東京都世田谷区上馬町一丁目七百七十八番地駒沢病院に存する債権者所有の医療器械、器具、薬品その他の備品等一切の物件を金九十万円で賣渡す契約を締結し、その代金の支拂方法は昭和二十四年四月から毎月六万円宛月末拂で向う十五箇月間に債権者に支拂うことに定められたことが認められ、又その代金九十万円の内金六万円が同年四月末日迄に支拂われたのみで、同年五月分から昭和二十五年三月分迄の滞納額が金六十六万円に達したこと、債務者は駒沢病院を経営しておることは債務者が明かに爭わないので自白したものとみなす。そこで次に債務者の主張について順次考察を加えることにする。

(一)  本件仮差押の目的である診療報酬債権は性質上差押が禁止さるべきであるとの主張について。

健康保險法によれば被保險者及び被扶養者の疾病又は負傷の場合における保險給付は療養の給付(同法第四十三條)又はこれに代るべき療養費(同法第四十四條)家族療養費(同法第五十九條の二)の支給等であるが、同法第六十八條の規定はこれらの給付を受ける権利の讓渡差押を禁止したもので保險医等が療養の給付を担当した場合に保險者に対し請求することをうべき費用請求権すなわちいわゆる診療報酬請求権(同法第四十三條の六基金法第一條)にまで類推適用されるものではないと解すべきである。元來、健康保險法第六十八條が、保險給付をうける権利の讓渡、差押を禁じたのは被保險者が同法に定める保險給付をうけるか否かは被保險者及びその被扶養者の健康保持に重大な関係を有するものであるから、かかる権利の第三者えの移轉はこれを法律上禁止し被保險者自身がこの給付をうけうるようその権利を確保することが、被保險者及びその被扶養者の爲には勿論ひいては国民全体の保健上必要であり、その必要をみたす爲には被保險者に対する一般債権者の犠牲において讓渡差押を禁止することも已むを得ないとする社会政策的見地に基く立法措置であると考えられる。ところが保險医の診療報酬債権にあつては右と事情を異にし、これが讓渡または差押を許してもその爲に被保險者が療養の給付をうける権利を失うわけではないから右健康保險法の規定を診療報酬債権の場合にまで拡張解釈し、保險医の爲にその権利の確保をはかるべき合理的理由は乏しいものといわなければならぬ。この点に関し(イ)債務者は、もし診療報酬債権の差押を許すときは、被保險者が自己の信頼する保險医の診療をうけられない場合を生じ健康保險法第六十八條の意義の大半は失われると主張するけれども、診療報酬債権の差押により特定の保險医が事後の診療に差支えを生じたような場合には、被保險者は他の保險医から診療をうけることもできるし、また保險医でない一般の医師の診療をうけその療養費の支給をうけることもできるのであつて(同法第四十四條)、この場合被保險者が他の保險医または一般の医師につき診療を受けることが事実上不能ないし困難になるというようなことは、わが国の現状においては稀な例外を除きまづないものとみるのが相当であり、從つて、診療報酬債権の差押を禁止しなくても債務者の主張するように同法第六十八條の意義の大半を失う結果になることはないものということができよう。(ロ)また、債務者は、診療報酬債権に対する差押禁止の根拠として、かく解しなければ療養の給付に代る療養費の受給権が同法第六十八條によりひとしく讓渡または差押を禁止せられているのと権衡を失すると主張するけれども、療養費受給権は、被保險者が保險医より療養の給付をうけることのできないような事由のあるためにこれに代るものとして保險医以外の医師の診療をうけた場合にその費用の支給をうける権利であつて、この権利について第三者えの移轉を法律上禁止する必要のあることは療養の給付自体の受給権の場合と異らないというべきであるが、診療報酬債権はこれと趣を異にし診療担当者である保險医の有する債権であつて、これが差押を禁止するについて、何等かの実質的理由が他に認められない以上、單に債務者主張の権衡論を以てしては診療報酬債権に対する差押禁止を肯定する論拠とならないものと考える。(ハ)更に、診療報酬債権が同法第四章保險給付の中に規定されていることや家族療養費が保險医等に直接支拂われることがあること(同法第五十九條の二第三項)、同法第六十八條には單に「保險給付を受ける権利は云々」と規定し「被保險者が保險給付を受ける権利」と規定していないことは何れも債務者の指摘する通りであるけれどもこれ等の規定から直ちに讓渡または差押の禁止に関し診療報酬債権を保險給付を受ける権利と同視すべき実質的理由を見出すことは出來ないのである。以上の理由により結局この点に関する債務者の主張は理由がないと言わねばならぬ。

(二)  民事訴訟法第六百十八條の二に基く差押禁止の主張について。

民事訴訟法第六百十八條の二により準用される第五百七十條の二の規定は、第六百十八條第二項本文の場合即ち同條第一項第一号、第五号、第六号に掲げられた債権の差押の場合に限り準用されるのであるが、本件仮差押の目的である債務者の診療報酬債権は右各号の何れにも該当しないから右主張は既にこの点において失当である。

(三)  本件仮差押の目的である診療報酬債権の債務者は保險者である政府または各保險組合であつて、基金ではないとの主張について。

この点に関する債務者の主張は要するに本件仮差押決定の第三債務者である基金に対する債務者の診療報酬債権なるものは法律上存在しないから右仮差押決定は取消すべきであるというに帰着するようであるが、債権の仮差押命令はその差押の目的である被差押債権が債権者(被保全債権の債権者)の主張する通り存在するものとして発せられるものであつて、もしその被差押債権が法律上存在しないときにはその仮差押命令は結局執行不能に帰するに止まり、その爲に仮差押命令自体を取消すべきものでないと解するのが相当である。本件において債務者の有する診療報酬債権の債務者が法律上保險者たる政府または各健康保險組合であるかまた基金であるかについて当事者間に爭あるのであるが、この点の爭は必要に應じ別個の訴訟において確定せらるべき問題であつて、いづれにせよ本件仮差押決定を取消すべき理由とするに足らないからこの点に関する債務者の主張は採用の限りでない。

(四)  相殺の抗弁について。

成立に爭のない乙第五号証によると、昭和二十五年四月一日債権者と債務者外二名間に債務者主張のような約定を含む契約が締結せられたことは認めうるけれども、右契約に基く精算の結果債務者がその主張するような反対債権を有することについてはこれを認めるに足る何等の疏明がない以上右相殺の抗弁を認めることはできない。

(五)  本件代金債務は分割債務であると言う主張について。

債務者は本件代金債務については連帶の特約もなく、又本件賣買は福壽草株式会社の営業として行つたものでないから商法第五百十一條の適用はないと主張するが福壽草株式会社の本件動産買受行爲は反証のない限り附属的商行爲の推定を受けるから(商法第五百三條第二項)本件代金債務は、同法第五百十一條第一項によつて連帶債務であり債務者は他の共同買主と共に連帶して残代金六十六万円の金額につき債務を負担するものというべきである。從つてこの点に関する債務者の主張も又失当である。

(六)  仮差押の必要性について。

債務者が債権者の主張するように財産の隠匿ないし不当の処分をなすおそれがあることその他仮差押をしておかないと債権者が將來本案勝訴判決の執行をするのに著しい困難を生ずるおそれがあることについては、債権者の疏明方法のみによつては必ずしも疏明十分とは認められないが、この点についてはさきに債権者のたてた保証によりその疏明を補はせるに足るものと認める。

以上考察したように、債務者の主張は全部理由がなく、結局本件仮差押の申請を理由ありとして認容した主文第一項表示の仮差押決定はこれを認可すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十五條第八十九條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 岸上康夫 山本実一 菅間英男)

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