東京地方裁判所 昭和26年(ヨ)1465号 判決
申請人 株式会社東京商工興信所 代表者 桑沢武次
被申請人 株式会社東京商工興信所 代表者 沢勇
一、主 文
本件申請を却下する。
訴訟費用は申請人の負担とする。
二、事 実
申請人会社代理人らは、「本案判決確定に至るまで、被申請人は株式会社東京商工興信所の商号を使用してはならない。」との判決を求め、その理由をつぎのとおり述べた。
『一、申請人会社は昭和八年五月十六日に、資本金を一万円とし、本店を都内旧四谷区尾張町に置き、株式会社東京商工興信所という商号のもとに、商工業に関する通信及び人事、商工業に関する信用調査図書の出版及び販売、商工業に関する新聞の発行、並びに、右に関する附帯業務を営む目的をもつて設立された。その後資本金を逐次増加し、営業目的をも拡張した。また本店は、昭和十年三月二十日に前記場所から中央区銀座五丁目四番地七に、昭和十二年五月十五日に同区木挽町四丁目四番地に、昭和二十二年九月二十八日に同区銀座三丁目三番地に、昭和二十三年十二月二十一日に同区銀座西七丁目五番地に順次変更した。この間、申請人会社の企業活動は著しく発達を遂げ、その組織が強化されると共に活動分野も拡張され、その商号も同業者間においては勿論、一般社会から興信事業会社として広く認識されている。
二、被申請人会社は昭和十三年九月十九日に、資本金を二万円とし本店を千代田区内幸町二丁目四番地一におき、申請人会社と同一商号を使用し、日本全国商工信用人名録の予約刊行、一般出版物の刊行個人及び法人の資産信用その他の状況及び一般人事等に関する調査日用品雑貨、新美術品の販売金銭の貸付、並びにこれらに附帯する業務を営む目的で設立された。その後資本金は増加され、本店を昭和二十三年八月十日に前記場所から現在地に変更し、その商号も、昭和二十四年九月二十日に株式会社東京商工興信所本店と変更したが、同年十月三十日に再び現在の商号に復した。
三、ところで被申請人が前記のように申請人と同一商号を使用し同種の営業を行つているのは不正競争の目的をもつてなすものに外ならぬのである。すなわち、被申請人会社の代表取締役沢勇は、昭和十二年三月頃まで申請人会社の主任会計係であつたし、その取締役中、北沢亀久治は昭和十年三月二十日から昭和十二年五月八日まで申請人会社の取締役で、小椋力知は昭和十年三月二十日から昭和十二年三月九日まで申請人会社の監査役であつた。しかるに沢、北沢、小椋及び、現在被申請人会社の取締役である松浦才寿らは、被申請人会社の設立前、昭和十二年四月二十三日に自ら発起人となつて、本店を文京区大塚仲町三十六番地におき、被申請人会社(従つて申請人会社)と商号、営業の主目的を同じくする別個の会社(以下件外会社と略称する。)を設立した。右は不正競争の目的をもつて申請人会社と同一商号を用いるものであつたので、申請人会社は昭和十二年九月頃に右件外会社を被告とし、商号抹消及び損害賠償請求の本訴を提起し、三審を通じ申請人会社の勝訴が確定した。しかるに沢、北沢、小椋、松浦らは右訴の提起をみるや、同年十月三十一日にその役員を辞任し、新たに被申請人会社を設立したのである。このような経緯を考えれば、被申請人会社がその設立当初から不正競争の目的をもつて同一商号を使用するに至つたことは明白である。
四、被申請人会社は、その設立当初から、右のように不正競争の手段をもつて同一商号の使用を始めたのであつたが、最近に至つてその不正競争の手段も益々悪竦を極め、つぎのような手段をもつて申請人会社の声望と信用を害しようとする行為に出るに至つた。
(1) 被申請人会社は昭和二十三年十月六日頃申請人会社の加盟会員たる日本冶金工業株式会社に対し、申請人会社を悪罵し、これを出し抜いて右会社と加盟契約をした外、多数一般顧客に対し、申請人会社が被申請人会社又は兄弟会社であるかの如き言辞を用い、会員加盟を勧誘した。
(2) 被申請人会社はその不正競争について申請人から警告を受けるや、昭和二十四年九月二十日頃その商号を株式会社東京商工興信所本店と変更し、被申請人会社が本社であるかのように顧客世人を偽瞞して不正競争を更に継続したが、申請人会社から信用毀損及び業務妨害の告訴を受けるや昭和二十五年八月二十四日に更にこれを現商号に復した。
(3) 被申請人会社は昭和二十五年八月一日に当時既に申請人会社からの商号使用差止の要求を受けていたに拘らず、「株式会社東京商工興信所」なる文字からなる商標登録を受け、不正競争の具に供しようとした。
(4) 被申請人会社は昭和二十五年八月頃に「東京商工信用録」を刊行したが、その予約申込者の募集をするに当り、申請人会社が昭和十一年に刊行した「大日本商工興信録」の奥附のみを変更したものを利用し、更にその際配付したパンフレツトには被申請人会社の沿革現状につき、申請人会社のそれと類似の文句を使用し、営業の混同を生ぜしめた。
(5) 被申請人会社は、その発行する「東京興信時報」という新聞誌の昭和二十五年六月十六日付第五十号誌上に、「にせものに注意」と題し、被申請人会社は申請人会社と無関係で、「商号」及び「社章」は被申請人会社の独占するところである旨、申請人会社は、被申請人会社から馘首された悪徳社員の一部が銀座方面で設立した会社に外ならない旨、申請人会社が被申請人会社の経歴を詐称している旨等の虚偽の記載を掲載し、顧客一般にこれを頒布した。
五、ただし申請人会社は被申請人会社に対し、昭和二十四年二月二十二日付同月二十六日到達の書面をもつて、はじめて正式にその商号変更を求めた。申請人会社がそのように長年月の間正式に商号変更を求めることをしなかつたのは、その間経済が統制されていたため、一般に興信事業の活動の余地が少く、且つ、被申請人会社の企業組織も微弱であつたので、申請人会社の蒙る損害も少なかつたこと、並びに、前記件外会社との係争問題があつて、被申請人会社の関係者もその間の事情を知悉しており、累ねてこのような方法を採る必要が認められなかつたがために外ならない。ところが被申請人会社の不正競争は最近益々激化し、その組織も強化され、活動範囲も大阪その他事情を知らない地域にまで拡大されるに至つた。かくては申請人会社は、その事業の性質上、有形無形の著しい損害を蒙むることとなるので、緊急にその使用禁止を求めるため本申請に及んだ。』
被申請人会社代理人らは、主文第一項同旨の判決を求め、答弁としてつぎのとおり述べた。
『一、申請人会社の主張する事実のうち、前記一、二の各事実、三の事実中沢、北沢らが現に被申請人会社の役員であり、小椋、松浦らが申請人会社主張のとおり被申請人会社の役員であつたこと、同人らが発起人となつて申請人会社主張のような件外会社を設立したこと、同人らが昭和十二年十月三十一日に件外会社の役員を辞任したこと、四の事実中、(2) の商号変更の事実、(3) の商標登録を受けた事実、(4) の東京商工信用録の刊行、予約販売の事実、申請人会社主張の如きパンフレツトを配布した事実、(5) の社告掲載の事実、五の事実中、従前被申請人会社の企業組織が微弱で、その活動範囲も狭かつたところ近来、それが強化、拡大するに至つたこと、従前申請人会社が被申請人会社に対し、商号使用禁止の訴を提起せず、且、最近に至るまで、そのような請求を受けなかつたことは、いずれも認める。その余の事実は争う。
二、被申請人会社は、商号使用について申請人主張のような「不正競争の目的」を有せず、申請人会社の「声望」「信用」を利用する意図はなく、却つて、以下述べるような事情もあつたので、両会社が全然別異のものであることを天下に広言し、営業を混同されることのないように努力して来た。
被申請人会社は、明治二十三年に故白崎敬之助が本邦最初の興信事業を開始したのに端を発し、合名会社商工社、合資会社商工社、株式会社商工社を経てその事業を継承したものである。すなわち、株式会社商工社は、その事業の一部門として信用調査等の興信事業を専門に行うため、第三者が昭和八年五月十一日に設立した株式会社東京商工興信所の全株式を、北沢亀久治の手を経て昭和九年中に買収し、その事業活動を事実上株式会社商工社(以下単に商工社と略称する。)の統轄のもとにおいて経営した。ところが現に申請人会社の代表取締役である桑沢武次は、昭和十一、二年頃に右商工社の専務取締役であつたのを奇貨とし、会計係社員数名の納付した保証金を会社に入金しないで私消し、更に、同社が昭和十二年頃に「大日本商工信用録」を発行した際、樺太方面に配本に赴き、その代金を会社に入金しないで私消し、帳簿検査の結果約五万円の私消額が発覚した。そこで商工社においては、桑沢を専務取締役たる地位から解くと共に、同人を追放する意味から又桑沢の非行により債務超過を来し、経営困難となつた株式会社東京商工興信所を整理する目的で昭和十二年四月十五日件外会社を興し、これを商工社の子会社として、当時商工社を事実上支配していた沢、北沢らにおいて統轄した。すると桑沢は、前記株式会社東京商工興信所について、制規の株主総会を招集しないで株主総会議事録を作成し、昭和十二年五月八日取締役北沢亀久治、中川孝八、岡村松郎辞任の旨、同月十五日中央区木挽町四の四に本店移転の旨それぞれ虚偽の登記をした。これが現在の申請人会社の発端である。北沢は間もなく右の事実を発見し桑沢を業務横領と株主総会議事録偽造で告訴した。ところが一方件外会社は、同会社並びに商工社の取締役となつていた沢が病のため離京するに及び、発足間もなく運営困難のため休業の止むなきに至つたので昭和十二年十月二十一日にこれを社員救済のため(解散せずに)杉本邦男に売り渡し、事実上商工社から分離した。しかし間もなく沢はその健康を回復したので、明治二十三年以来の光輝ある伝統を維持せんがため新に被申請人会社を設立し、元来商工社と不離の関係にある「株式会社東京商工興信所」なる商号の使用を始めたのである。従つて被申請人会社による「株式会社東京商工興信所」なる商号の使用は正当であり、毫も不正競争の目的をもつてしたものではない。
三、かりに被申請人会社の商号使用が、不正競争の目的で始められたものとしても、被申請人会社はその後その使用について、申請人会社から同意を与えられた。また、かりにそうでないとしても、申請人会社の永年の忍容により、申請人会社は被申請人会社に対する商号使用禁止請求権を喪失している。すなわち、
(イ) 被申請人会社は昭和十三年に設立以来、既に十年を超える長期間に亘り本件商号を使用して来た。申請人会社はその当初から右の事実を知悉しながら、最近までは、なんらの異議をも挿まず黙認し、被申請人会社の現商号使用に対し、黙示の同意を与えた。
(ロ) 被申請人会社は創業以来、一億円に近い金額を投下して社業の充実発展に努め、その結果、近来漸く一段と世間の信頼を蒐めその名声を高めて来た。しかして社業の充実発展に伴い、被申請人会社の使用する商号も漸次営業上の通用力と価値を増加し、今日においては既に所謂固定的な資産にまで高められている。殊に、被申請人会社は長年月の間続用して来た「社章」と「商号」について昭和二十五年八月頃に商標法上の登録すら受けたのであつて、これにより本件商号の営業資産上の価値が一層高められた。しかるに、申請人会社は、被申請人会社の規模が弱少で、活動も微弱であつた頃にはその使用を黙認し、十数年の長年月(今次太平洋戦争の末期を除いては、被申請人会社は小規模ながら相応の活動を継続した。)を経過し、被申請人会社の組織が強化され活動範囲が拡張されるに及んで、突如その変更を求めて来た。このような仕打は全く公正を欠くものとして法律上許されないものである。すなわち申請人会社は、被申請人会社の商号使用に対し、長年月の間これを認容し、それにより被申請人会社に大をなさしめたのであるから、商号使用禁止請求権は、既に喪失したものといわなければならない。
四、申請人会社が本件仮処分によつて避けようとする危険は、その申請当時から本案判決確定に至るまでの間の、営業混同に基因する損害に外ならないが、これを受ける被申請人会社にとつて、それは全く致命的な打撃を意味する。蓋し、現商号の使用禁止は、被申請人会社にとつて、営業活動の全面的停止を余儀なくさせるからである。殊に、被申請人会社による本件商号の使用は設立以来十余年に亘るものであり、今日、急遽、本件仮処分により仮の地位を定める必要はなく、本訴と同一結果を招来する本件申請は、到底許容されるべき筋合のものでない。』
<立証省略>
三、理 由
一、申請人会社が昭和八年五月十六日に「株式会社東京商工興信所」なる商号をもつて、その主張のとおり商工業に関する興信事業を営むことを主目的として設立登記されたこと、被申請人会社が昭和十二年九月十九日に、申請人会社と同一商号をもつて、申請人会社と同様、商工業に関する興信事業を営むことを主目的として設立登記されたことは、いずれも当事者間に争がない。
二、そこで被申請人会社が右申請人会社の商号と同一の商号を使用するにつき不正競争の目的があるか否かを審究すると先づ次の(イ)(ロ)(ハ)の各事実が認められる。即ち(イ)商工業に関する興信事業は、その事業の性質上、その活動分野が一市、一区の小商域内に限定されない、比較的広範囲に亘るのが通常と考えられるところ、申請人会社が、都内中央区(旧京橋区)木挽町四丁目に本店を置いて事業活動をしていた頃に、被申請人会社がそれと程遠からぬ千代田区(旧麹町区)内幸町二丁目に本店を置き、同一商号をもつて設立登記されたことは当事者間に争がなく、(ロ)成立に争のない甲第十号証、証人桑沢秀雄、松浦才寿の各証言をまとめて考えると、その当時、申請人会社は設立後五年有余を経て、社員(外務員を含む。)数十名を擁し、且つ、昭和十一年十二月頃には「大日本商工信用録」を刊行するなどして相応の事業活動を示していたことが認められ、(ハ)成立に争のない甲第一乃至第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第七十号証、証人桑沢秀雄、三好弘福の各証言、申請人会社代表者訊問の結果をまとめて考えると、(1) 被申請人会社は沢、小椋らが発起人となつて設立したものであるが、沢は昭和十二年三月頃まで申請人会社の会計主任としてその業務に関係したことがあり、小椋もその頃まで申請人会社の監査役の地位に在つたこと、(2) しかして同人らはその職を去るや、自ら発起人となり、北沢亀久治らと共に、昭和十二年四月二十三日に申請人会社主張のような件外会社を設立し昭和十二年十月二十一日まで取締役の地位に在つたところ、この間右件外会社が、不正競争の目的をもつて同一商号を使用するものとして、同年九月中に申請人会社からその商号使用禁止請求訴訟を提起され一審において申請人会社の勝訴の判決がなされ確定したこと、(3) 従つて沢、小椋らは被申請人会社を設立するに際しても、該商号を使用するにおいては、申請人会社に対し、その商号専用権を侵害するに至るべきことを、当然、且つ充分に知悉し得べきであつたこと等の事情が認められる。しかして右(イ)(ロ)(ハ)の諸事実をまとめて考えると、被申請人会社のする前掲商号の使用は、商法第二十条の規定にいわゆる不正競争の目的をもつてしたものと、一応認めざるを得ない。もつとも被申請人会社はこれに対する反対の主張として前記答弁二及び三のとおり主張する。即ち形式上申請人会社は被申請人会社より先に設立されているが「東京興信所」なる名称は株式会社商工社と不即不離の関係にあり従つて右商工社の伝統の保持している被申請人会社が本件商号の名称を使用する正当の権利を有つという。しかしながら、かりにその主張のように当初、申請人会社の全株式が商工社に帰属し、しかも被申請人会社設立当時、商工社の株式の大半が沢に帰属していたとしても、その主張するところに従えば、申請人会社はその取締役桑沢の社金費消等により債務超過を来したので、商工社はこれを切り離して独立させ、新たに件外会社を設立してこれを商工社の子会社とし、更にその経営が困難になつたので、右件外会社を杉本に譲渡したというのであるから、被申請人会社はその設立当時商工社ないし当初の「株式会社東京商工興信所」とは法律上絶縁せられた独立のものと認むべきは論なく、従て既に申請人会社が右名称の商号を使用しているにかかわらず被申請人会社がこれと同一の商号を使用する当然の権利を有つという事由は見出せない。被申請人会社の答弁上の主張は所詮理由ないものといわねばならない。
三、次に被申請人の答弁三の主張について判断する。
申請人会社が、被申請人会社に対し、昭和二十四年二月二十二日付書面により正式にその商号変更を求める前後頃まで、被申請人会社のする同一商号の使用につき、その使用禁止を求めたことがなかつたこと、被申請人会社は、従前、企業組織も微弱で活動範囲も狭小であつたが、その後その組織、活動範囲が強化、拡大されるに至つたこと、しかして被申請人会社が、昭和二十五年五月頃に「東京商工信用録」を刊行し、昭和二十五年八月に、「株式会社東京商工興信所」の文字からなる商標につき、商標法上の登録を受けたことはいずれも当事者間に争がない。しかしながら、(イ)本件の場合その黙示的なると明示的なるとを問わず、申請人会社が被申請人会社に対し本件商号の使用を承認するような意思表示がなされたと認められる疏明はないから三の(イ)の主張は理由がない。同(ロ)については、なるほど商号専用権に関する商取引界の安定と公正という観点から考えて、商号専用権を有する者において、他人が自己と同一又は類似の商号を使用することを知悉しながら、その使用商号が他人のために業界ないし顧客に対しその営業を個別化する力を持つに至る程度にまで、長期間に亘つて、異議を挿まないでその使用を忍容し、しかも商号の使用者において、専用権者のそのような忍容からして、商号専用権者が自己の商号使用につき、これを許容する意思を有することを合理的に推測できるに至るような場合は、商号権者は、そのような長期間の忍容によつて、同一商号を使用する他人に対し、その商号使用を禁止できなくなるものと解するのが相当であろう。しかしながら本件について考えると、被申請人会社の設立された当時は、支那事変も相当進展し、国内の経済機構にも次第に統制が加えられ、昭和十六年十二月に太平洋戦争に突入して以後は、益々経済統制が強化されたこと、終戦後も逼迫した経済事情のため経済機構の統制が依然として継続され、昭和二十三年頃から漸く、逐次解除され始めたことは公知の事実であり、従つてその間は、自由経済を前提とする商工業に関する興信事業も、一般的に閉塞され勝ちであつたことが容易に推認できる。また前示甲第二号証によると、被申請人会社の代表取締役、取締役の地位は、(少くとも登記簿上は)沢、小椋、塩沢武男らが昭和十九年九月五日に退任した後、空白のまま放置されていたところ、昭和二十三年八月十日に至り、漸く同人らが、それぞれ、もとの地位に復したこと、しかして同日本店を現在地に移転したことが疏明されているから、被申請人会社は、略々その頃に至つて、漸く本格的な事業の再開を計つたものと一応認められる。しかも従前、被申請人会社の組織が微弱で、その活動範囲も狭小であつたことは被申請人会社の自認するところである。従つて被申請人会社の設立後、右事業再開までの約十ケ年間は、一面において、被申請人会社がその商号をもつて、業界ないし顧客に対し自己を個別化するにはそれ程役立たなかつたものと思われるし、また同時に他面において被申請人会社による同一商号の使用は、申請人会社にとつて、痛痒を感ずる程度のものではなかつたと考えられる。しかして申請人会社は前示のように、昭和二十四年二月中に被申請人会社に対し、正式にその商号変更を求めたのであるから、申請人会社が、被申請人会社の同一商号使用の事実を知悉していたとしても、これをもつて、前示の如き意味における「長期間に亘り」、その商号使用を忍容したものとはいえないし、また単に十年余の期間、異議を挿まなかつたという一事をもつて、被申請人会社において、申請人会社が同一商号の使用を許容する意思を有するものと推測することは、到底合理的とは思われない。従つて被申請人の三の(ロ)の主張も理由がない。
してみれば、申請人会社の本件仮処分請求権たる、被申請人会社に対する商号使用禁止請求権の基礎は一応疏明されたものといわなくてはならない。
四、然しながら仮処分を決定するには基本たる請求権の疏明だけでは足らず、更に仮処分の必要性が考慮されなければならぬから進んで本件仮処分の必要性について考える。申請人が本件仮処分によつて避けようとする危険は、仮処分申請の当時から本案判決確定に至るまでの間の営業混同に基因する一切の損害に外ならない。しかしてその損害は具体的数額として示すことは困難であるとしても、弁論の全趣旨によつても窺知出来るように、被申請人会社が組織的にも、その活動分野においても近来急激に膨張しつつある現状を思うと、相当高額に達すべきことは推認するに難くない。しかしながら成立に争のない甲第五十三乃至第五十五号証、第六十、第百六号証、当裁判所が弁論の全趣旨に照らし真正に成立したと認める甲第五十六乃至第六十号証、第七十号証によつて認められるような、申請人会社の規模、営業成績等を考えれば、前示損害は、今直ちに被申請人会社の商号使用を禁止するのでなければ、本案判決確定後では回復できなくなるに至る程度のものとは思われない。飜つて被申請人の立場について考えると、被申請人会社が昭和二十三、四年頃から急速に発展し、現在においては、その商域が単に都内にとどまらず国内各地方に及び、海外興信所とも相互協定を結んで取引していることは申請人会社も明かに争わないし、成立に争のない乙第十八、第十九号証、第二十号証の一乃至四十三、第百一号証、当裁判所が弁論の全趣旨により真正に成立したと認める乙第百二号証、第百十一号証の一乃至二十三、並びに前示のように、被申請人会社が現商号をもつて、東京商工信用録を刊行し、その商号と同一文字からなる商標について登録を受けた事実をまとめて考えると、被申請人会社は、本社の外、国内三十八ケ所に支所を設け、本店には六十数名、支所には二百三十四名の職員を擁して事業経営に当つていること、その依頼者も、官、公署、銀行、新聞社、一般民間人等の広範囲に亘り、調査件数、加盟会員数も相当多数に及んでいること、その使用する商号も、既に現在においては、有楽町にある「株式会社東京商工興信所」として、該商号により業界及び顧客に対し、自己を識別し得る程度にまで達していることが疏明されている。このような事実に加え、興信事業が、業界及び一般顧客の認識と信頼を獲得することを、営業活動上欠くことのできない性質とするものであることを考え併わせると、被申請人会社が今直ちにその商号の使用を差しとめられるにおいては、その商号のもとに従前築き上げた成果の大半が失われるに至るばかりでなく、新商号に変更するときは、今後その新商号の下に、更めて業界及び一般顧客の認識を獲得するまでは、その営業活動は事実上、相当の期間これを停止するの外ない危険に曝されるものと一応考えなくてはならないし、このような危険が、前示のように多数職員を抱える被申請人会社にとつて耐え難い苦痛であることも容易に推測できる。してみれば被申請人会社が本件仮処分を受けることによつて受ける危険は、申請人会社が本件仮処分によつて避けようとする危険より遥かに大きく、且つ、深刻なものといわなければならない。のみならず被申請人会社の本件商号使用は、とにもかくにも昭和十三年以来のことであり、その間申請人会社はその使用禁止を求め、訴訟手続をとろうとすればとり得たにかかわらず、昭和二十四年二月まで、その使用について正式の異議の申出すらしなかつたのである。以上の諸事情を考え併わせると、申請人は被申請人に対する商号の使用禁止については本案訴訟の確定によるのを相当とし、それ以前に本案判決と同様の効果を生ずる本件仮処分をなす必要がないものと考えられる。
五、よつて本件申請は、その必要性の疏明なく保証を立てることによりこれを補うに適しないものとして却下し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口茂栄 安岡満彦 月山桂)