東京地方裁判所 昭和26年(ワ)604号 判決
原告 岩田仲子
被告 石川武雄 外一名
一、主 文
被告武雄は原告に対し、別紙第一目録<省略>記載の部分の明渡をせよ。
被告武雄は原告に対し、別紙第二目録<省略>第一項ないし第七項記載の物件の引渡をせよ。
被告武雄は原告に対し、金二十円及び昭和二十六年六月二十一日以降右の明渡並びに引渡済みに至るまで一ケ月金六百円の割合による金員の支払をせよ。
原告その余の請求は、これを棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その一を被告武雄の負担とする。
本判決第一項は、金一万円の担保を供して、確定前に執行できる。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告等は、原告に対し、第一目録記載の部分の明渡並びに第二目録記載の物件の引渡をせよ。被告等は連帶して、(但し被告ますは、昭和二十三年六月二十六日以降)原告に対し、昭和二十二年四月一日から同年九月末日迄一ケ月金二百円、同年十月一日から昭和二十三年九月末日迄一ケ月金五百円、同年十月一日から昭和二十四年五月末日迄一ケ月金千二百五十円、同年六月一日から昭和二十五年七月末日迄一ケ月金二千円、同年八月一日から右明渡並びに引渡済みの日迄一ケ月金千七百六十八円の割合による金員、並びに右の全期間に対し一ケ月金三千円の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告等の連帶負担とする。」との判決並びに明渡の部分についての仮執行の宣言を求め、請求の原因として、又被告等の主張に答えて、次のように述べた。
第一目録記載の家屋は、原告の所有に属し、原告一家が居住していたが、昭和二十年初め頃、原告の夫訴外岩田秀行、その弟訴外岩田三郎はいずれも応召し、老幼婦女は疎開するよう命ぜられたので、疎開中の留守番を求めた末、同年三月原告の姑訴外岩田桃枝は原告を代理し、被告(以下単に被告というときは、被告武雄をさすものとする。)の前妻石川つるを通じて、被告との間に本件家屋につき、(一)本件家屋の家具什器類一式は、現状のまま、被告方にて保管すること、(二)期間は定めず、応召者復員し、疎開者帰京する時には、何時でも無条件で明渡すこと、(三)賃料は不要、との使用貸借契約を締結し、これに従つて被告の一家は同月三十一日から本件家屋に居住し、残存してある家具什器を預ることになつた。同年九月十日訴外秀行が、同年十一月二十日同三郎がそれぞれ復員して、本件家屋の一部を明渡させ、次いで原告が上京し、更に昭和二十二年四月三日には、桃枝等家族も疎開先から帰京することになつたので同月一日家屋の明渡及び寄託した家具什器の引渡の請求をしたところ被告はこれを拒んだが、結局家屋一部を明渡させ、原告側は階下四畳、四畳半各一室、階上板敷洋間六畳一室を使用し、被告方は、第一目録記載部分を使用し、その中玄関、廊下、風呂場、台所、便所、庭園等は共用、電気料、水道料は原告側で三分の二負担、瓦斯代は原被告両方で頭割負担の約で一時的に両家は同居することとなり、又家具什器の中で第二目録記載の物件がまだ引渡されぬまま今日に至つているが、その間前記つるは死亡し、昭和二十三年六月二十六日以降は被告ますが後妻として被告方の一員となつている。同居中における被告の態度は、甚だ暴慢であつて、子供がうるさい、ミシンがうるさい、廊下を歩くとうるさい、早起きは安眠妨害であると、ことごとに怒鳴りつけ、又被告家族によつて原告方の書籍、時計等が窃取された事実もあり、原告方は家庭生活の平和を破壊され、到底同居に堪えぬのみならず、この間蒙つた精神上の苦痛も僅少でない。被告等は前記約旨に基き、請求をうけた昭和二十二年四月一日以後は本件建物を明渡し寄託された物件を引渡すべき義務があるのであるから、また明渡を受けない第一目録記載部分の明渡とまだ引渡を受けない第二目録記載物件の引渡とを求める。又被告等が連帶して(但し被告ますは昭和二十三年六月二十六日以後について。)原告に対し、右明渡並びに引渡義務不履行による損害賠償として昭和二十二年四月一日から同年九月末日迄一ケ月金二百円、同年十月一日から昭和二十三年九月末日まで一ケ月金五百円、同年十月一日から昭和二十四年五月末日迄一ケ月金千二百円、同年六月一日から昭和二十五年七月末日まで一ケ月金二千円、同年八月一日から右の明渡並びに引渡が済むまでは一ケ月金千七百六十八円の割合による物価庁告示修正率による法定賃料相当の損害金と、更に同居によつて原告の蒙つた前記精神上の苦痛の慰藉料として右の全期間につき一ケ月金三千円の割合の損害金とをそれぞれ支払うことを求める。
被告の主張事実は、否認する。被告主張の賃料に相当する額が被告から送金或は持参提供されたのを、被告方が引越す時には返還するつもりで預つたことがあり、又昭和二十年九月、訴外秀行が復員同居後、事情を知らぬまま賃料相当額を受領し、領收書に判を押したことがあるが、いずれも家賃受領の意思ではない。昭和二十二年四月から九月までは毎月金二百円を提供されたが、四月以降は右の意味でも預ることを拒絶している。なお前記の法定賃料相当の損害金算出の基礎は右の金二百円であつて、これは家屋全部の使用に対するものである。算出の基礎を昭和二十年四月当時の月金三十円とすれば、昭和二十五年八月以後の適正賃料相当額が千百六十八円七十銭となることは認める。
かりに本件家屋の使用契約が賃貸借であるとしても、被告と契約にあたつた桃枝は本件家屋につき処分の権限を有しないものであるから、賃貸借の期間は満三ケ年を越えることができない。従つて昭和二十年四月一日から満三ケ年を経た昭和二十三年三月三十一日を以て、その賃貸借契約は消滅したものである。
かりに右の主張が認められないとしても原告は昭和二十二年四月一日被告に対し解約の申入をなし明渡を求めたのであり、更に昭和二十五年二月十八日改めて解約の意思表示をし、これは翌十九日被告に到達した。そして右の解約申入には次のような正当事由がある。
前記のように原告家族中昭和二十年九月十日には秀行が、同年十一月二十日には三郎が、それぞれ復員したのであり、又原告等の疎開先である金沢市の借家は、家主が物納の対象としたため昭和二十二年四月三日までに明渡すよう請求されたので、原告は本件家屋を使用する必要を生じたのである。然るに被告が容易に明渡に応ぜぬため、目白警察署の生活相談部に口をきいて貰つて漸く二部屋を明渡させ、後更に一部屋の明渡を受けて、前記のような同居状態に入り現在に至つているのであるが、昭和二十三年度の住宅事情統計によると、東京都の一人当り使用の畳数は市部に於て二・七六畳、郡部三・〇五畳、都平均二・七九畳であり、全国では市部三・二畳、郡部三・六畳、全国平均三・四七畳であるのに原告家に於ては八人の家族に対し、一人当り一・五六畳に過ぎず、しかもその使用する室はいずれも日の目を見ず、通風も悪く、居室たるに適しない。そのため昭和二十年四月以来、家族には病人が絶えないのであるが、働き手は原告の夫秀行、その弟三郎、その妹光子の三人だけであつて、八人の生計に手一杯であり、他に間借りすることもできない。秀行と原告と女子二人には八畳一室を、桃枝と光子には六畳一室を、三郎には、役所の事務を夜間自宅で執務するため又近々に嫁を迎えることになつているため一室を、秀行の妹久子は肋膜を病んで安静加療を要するため採光通風の良好な一室をそれぞれ必要とし、このためには被告側使用部分を明渡して貰う外はない。これに反して被告家では四人の家族が一人当り五畳(畳換算部分を加算すると一人当り七畳)を享有して甚だ懸隔があるばかりでなく、その使用する室は南側で一日中日光を受け、又共用との約に背いて庭園約二十坪を原告家の出入を禁じて専用し被告自身は農器具畳表等を手広く商つて裕福な生活を営んでいる。そして同人の態度が暴慢で共同生活に堪え得ないことは前記のとおりである。そこで原告は豊島簡易裁判所に昭和二十五年(ユ)第九二号部屋等明渡の調停申立をしたところ、調停において、被告は八畳、六畳、三畳、電気、瓦斯、水道つきの便利な所に貸家をさがしてくれれば無条件で明渡す旨の意思表示をしたので、原告方ではこれに応じて昭和二十五年十二月六日、十四日、十八日の三回にわたり右の条件にちかい貸間、貸家をさがして被告に提供したが、被告は難癖をつけて応ぜず、最後に同月十九日、国電池袋駅西口から七分、バス停留所から二分の豊島区要町一丁目三十番地に、八畳、六畳、三畳及び三畳相当板敷、電気、瓦斯、水道つき、賃料二千円、権利金六万円位との貸家を見つけ、被告も一応調査して満足の意を表し、移転を約したので、原告方では賃貸借契約をしたところ翌日一変して、方角が悪いから南方にさがして欲しいとて断つて来た。かく被告は信義誠実に反して非協力的であるから、原告としても調停を取下げ本訴に及ぶの止むなきに至つたのである。
右の事実は解約申入の正当事由として十分なものであるから、少くとも二度目の意思表示の到達した日から六ケ月後である昭和二十五年八月十八日を以て賃貸借契約は終了したのであり、被告等は原告に対し本件家屋を明渡すべき義務を生じたものである。<立証省略>
被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、事実上の答弁として、次のように述べた。
本件家屋が原告の所有に属すること、原告一家が居住していたこと、原告家族等が応召し疎開したこと、家具什器類の一部が残置されていたこと、これらを被告が預つたこと、昭和二十年三月三十一日から被告方が本件家屋に居住していること、原告主張の通り一部明渡をし、同居中であること、訴外つるが死亡し、被告ますが原告主張の日から被告方の一員であること、第二目録の物件中、第二項の机と第六項の藤小机とを使用していることは認める。右物件中その他のものが存在しているか否かは不知であるが、いずれにせよ、疎開のとき残置されたものはそのままになつている。その他の原告主張の事実はすべて否認する。電気料、水道料、瓦斯代は既に被告名義になつているものであるが、同居以来原告方で勝手に負担割合を定めたのである。
昭和二十年三月十七、八日頃、三月十日の大空襲におびえて疎開を決意した原告は、被告の亡妻つるを通じて、本件家屋の借入方を懇請して来た。当時被告は豊島区長崎町二丁目九番地所在の建坪二十八坪余の家屋に居住しており、その家を買受ける話があつたので、原告からの申入れを二度断つたが、結局三月三十一日訴外桃枝同席の場所で、原被告間に、家賃は毎月三十円残置してある原告方の荷物は被告方に於て使用しうる、との約で、本件家屋の賃貸借契約が成立した。被告方はこの契約によつて本件家屋を占有しているのであり、賃料は昭和二十年四月分から一ケ月金三十円、昭和二十一年一月分から金六十円、同年十月分から金九十円をそれぞれ支払い、昭和二十二年四月分からは金二百円宛を毎月供託して来ている。被告の占有は使用貸借契約に基くものではないから、明渡の義務はない。又この賃貸借につき桃枝に処分の権限がないから賃貸借の期間が三年を越えないという主張はあたらない。又かりに解約の申入があつたとしても、正当事由はない。原告方と被告方とは各々使用部分を区分して使用しており、原告側は決して、不自由しておらぬから、被告方使用部分をも自家使用する必要あるものでなく、金銭的にも原告方は三人の收入で余裕があるのに反し、被告方では酒、煙草を節して切りつめた暮しをしている事情である。又原告が調停を申立てたこと話合のきまらぬうちに原告が取下げてしまつたことは認めるが、立退きについて被告が非協力的で信義に背いたということはなく、むしろ被告は協力的態度に出て移転先として、豊島区長崎町二丁目七番地所在の家屋一棟を買受けようとし、原告方から立退料金九万円を出すとの約があるのに信頼して、手付金三万円を支払つたところ、原告方から結局金九万円を得られぬため、手付金三万円を没收されて損害を蒙つたことがある位である。かように正当事由はいずれも認められないから、賃貸借は終了していない。
又原告は賃料相当損害額算出の基礎を昭和二十二年四月当時の金二百円としているが、原被告間の契約による昭和二十年四月当時の金三十円を基礎とすべきもので、これによると昭和二十五年八月からの適正賃料は千百六十八円七十銭となるのである。
いずれにせよ、原告の請求は失当であるから棄却さるべきである。<立証省略>
三、理 由
本件家屋が原告の所有に属し、原告一家が居住していたものであること、昭和二十年三月三十一日以来、原被告間の契約により、被告一家が居住するに至つたことは当事者間に争いがない。この契約の性質については争いがあるので、先ずこれを判断するに、契約の衝にあたつた証人桃枝のこの点に関する証言並びに他の原告側証人等の「疎開に際しての留守番」という表現等は後記認定に照し、必ずしもこの契約が使用貸借であつたことの根拠となし難く、その他使用貸借契約並びに原告主張の細目の約束があつたことを認めるに足る証拠はない。かえつて、証人大橋、同桃枝、原被告本人の各供述を綜合すると、昭和二十年三月頃、被告が当時居住していた豊島区長崎町二丁目九番地の家を四千円位で買受ける話が進行していたため原告方からの亡つるを通じての本件家屋使用についての申出に対しても被告は乗気にならず二度まで断つたが、結局同月三十一日の夜原告方において、同日疎開していく原告方のあとを被告が引き受け、使用料を月金三十円と定め、その中から地代等の支払いを原告に代つてする旨の契約が成立したのであることが認められる。故に原告の主観的意図はともあれ、この時の契約は単なる使用貸借でなく、賃貸借の契約であつたと認めねばならない。原告は賃料を取つたことを否認するが、当事者間に争いない素木の押印と証人素木並びに被告本人の供述とにより成立を認める乙第一号証、成立に争いない乙第二号証並びに被告本人訊問の結果とによれば、昭和二十年四月から十一月迄、被告が原告家に代つて地代を納めたこと、これを差引いた家賃の残額は瓦斯代等の立替代金に充当したことが、右乙第一号証成立に争いない乙第三号証、第四号証証人秀行の証言並びに原被告本人訊問の各結果によれば、昭和二十年十一月分から昭和二十二年三月分迄家賃を納めたことが認められる。原告が、その金員を被告方引越の時には返還するつもりで預つたことを認めるべき証拠はなく、又秀行が領收証に判は押したが、事情を知らなかつたと云うのも、同人の教養や地位閲歴から見て信用し難く同人に家賃領收の意思があつたものとみなすに不可はない。従つて原告のこの主張は採用しない。これを要するに被告の本件占有使用は正当な賃借権にもとずくものということができる。従つて本件契約が、使用貸借契約にもとずくことを前提とする原告の請求は理由がない。
原告は更に賃貸借を仮定してその終了を主張しているから、これについて判断する。先ず原被告間の契約にあたり、桃枝が原告の代理人として交渉にあたつたこと、その代理権は疎開に際しての本件家屋の処分一切に及んでいたことは証人桃枝並びに原告本人の各供述より明かである。従つて桃枝に処分の権限がないことを前提とする賃貸借終了の主張は理由がない。よつて解約申入について案ずるに、原告主張のような一部明渡が行われたことは、当事者間に争いがないので、問題はその残りの第一目録記載の部分である。昭和二十二年四月三日桃枝等家族が上京したことは証人桃枝の証言並びに原告本人の供述により、上京に先立ち屡次書面を以つて明渡を要求したことは証人桃枝の証言により、上京の直前四月一日頃に、荷物が先に着いたが被告に本件家屋内への收容を断られたため、一時近在の素木家に預つて貰つたことは証人素木の証言並びに原告本人の供述によりそれぞれ認められる。以上を綜合すれば、その頃原告から被告に対し、解約明渡の申入をしたことを、又成立に争いのない甲第一号証の一、二によれば、昭和二十五年二月十八日改めて解約の意思表示をなし、翌十九日被告に到達したことを、それぞれ認めることができるが、前記のように本件契約が使用貸借でなく賃貸借と認められる以上、右申入に果して正当事由があるかどうかが判断されねばならない。
証人秀行、同三郎の各証言によると、同人等がいずれも昭和二十年九月復員したことを証人桃枝の証言並びに原告本人の供述によると、原告等の金沢市の居宅を家主が物納することになつたため、原告等は東京に引上げねばならなくなつたこと、本件家屋に入ることを拒まれ、警察の斡旋で漸く二部屋の明渡を受けたことを、それぞれ認めることができる。然しながら秀行は九月二日上京と同時に本件二階の六畳の明渡を受けたこと三郎は同年十二月上京して秀行と同じ部屋に入ることを得たことがそれぞれの証言で認められるのであるし、又原告等に対する明渡が二部屋だけであることも、本件契約が使用貸借ではなかつたことと昭和二十二年頃の住宅事情とを合せ考えるときは当時としてはこの程度の一部明渡で、原告側としては満足すべきであつたと思われるばかりでなく、これらは既に過去の事情であるから現在の時点における正当の事由の存否を判断する資料として有力なものとはなし難い。よつて現在正当の事由があるかどうかを考えるに、原告家が、階下四畳及び四畳半と階上板敷洋間との計三室を居室として使用していることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証によると、原告家の世帶員は八人であることが認められ成立に争いない甲第六号証並びに検証の結果によると、階下四畳に原告夫婦と娘二人とが、同四畳半に秀行の母桃枝及び妹二人が、階上洋間には秀行の弟三郎が、それぞれ起居していること、階下四畳は戦前階上洋間と共に建増された納戸であつて、北東隅に位置し、天井低く、窓少く、採光通風に不良で、居室には適さないこと、階上洋間はその上に位置する室であるが、窓が少く、南側西側が全然ふさがつているため採光通風はやはり良好でなく、且つ板敷上に畳四枚を入れて起居しているのは居室としては不自然であること、階下四畳半は南西隅にあつて、居室として造作されており、日光の入るのはこの部屋だけであるが、窓に近い庭木のため明るい部屋ではないこと、そしてどの部屋も箪笥、本箱、ミシン等の家具が普通以上に入つているため、畳数よりも手狭になつていること、他の家具類も使う部屋がないままに梱包を解かず廊下等に置かれたままで使用し得ぬ状態にあるものが少くないことを認めることができ、又証人桃枝の証言により、三郎に迎える嫁がきまつていながら、部屋の余裕がないために挙式に至らず、焦慮していることが認められる。これらの認定事実によれば原告家としては本件家屋の他の部分に対する自家使用の必要は充分に存するものと判断せられる。
然しながら現下の住宅事情に鑑み、所謂正当の事由は、原告側一方に存する主観的情況のみでなく、被告側の情況との比較の問題であると解すべきであるから、更に被告側の「住」の状態を見るに、被告の一家が第一目録記載の各室を使用していることは当事者間に争いがなく、検証の結果によると、応接間を除き他の三室は、置かれている家具類もそれほど多くなく、成立に争いない甲第三号証により、家族数は五人と認められるから、原告方と比較すれば余裕ありということができる。これを数字にしてみると、甲第六号証及び検証の結果によれば、本件家屋の延坪四〇・三七五坪、その内共有部分が一三・五坪であり、残りが双方の使用部分であるが、専用便所や押入等も含めて、それぞれ原告側九・七五坪、被告側一七・一二五坪となり、これを一人当りに換算すると、原告側一・二二坪、被告側三・四三坪となる。すなわち被告側は原告側の約三倍弱の面積を享有していることが分るのである。この事実は「住」の問題に於て原告側が明らかに被告側よりも窮迫した状態にあることを示すけれども、必ずしもそれのみで被告の明渡義務を肯定することはできない。なんとなれば、被告の明渡部分を多くするに止めて更に同居を続けることとすれば格別――しかもこの場合、原被告本人訊問の結果認められる両者間の軋轢が更にその程度を高め、殆んど同居生活に堪えられないようになるであろうことは、従来の経過其他諸般の事情から推察するに難くないところである。――もし完全に明渡さしめることとすれば、今日の原被告の立場は明日は忽ち所を変え、被告一家は路頭に迷うこととなるのであるから、移るべき家があるかどうかということは、原被告の情況の比較に、従つて正当の事由の認定に際して、一つの要素たるものであるからである。所有者の権利保護はもとよりゆるがせにできないが、住宅事情のゆるやかだつた頃と異り、それは賃借人の犠牲に於てなさるべきものではない。今日巷間で普通に行われる立退料や移転先の世話等の如きも、この間における両者の利益の矛盾を解決する手段として理解せられる。要するに、原告側、被告側は共に立退について協力する義務を負うもので、その義務遂行の程度は、正当事由認定について酌量すべきものとする。かかる見地から更に証拠を按ずるに、証人三郎の証言及びこれによつて成立を認める甲第七、八号証によると、原告方では被告側が他に移転先をさがして申出るならば、権利金九万円位までは立替負担するつもりであつたが、被告の方で、(理由の如何はしばらくおき)金十二万円、金十五万円と次第に要求を上げてゆくので、個人的折衝を危険視し、豊島簡易裁判所に昭和二五年(ユ)第九二号部屋等明渡の調停を申立てたこと、調停期日は前後十四回開かれたこと、被告が一度は、明渡猶予期間を一ケ年とし、その際の立退料を金三万円とするとの案で調停受諾の口約を与えながら、調書を作るときになつて、急に二の足をふんだため、成立に至らなかつたこと、後被告の方から八畳、六畳、四畳半、電気、瓦斯、水道つきで国電の駅に近く、トラツクの横付けにできる家をさがしてくれれば、立退料なしにも出るとの申出があり、三郎が勤先を休んでさがしまわつた末、この条件に近いものを四軒見つけて被告に示したが、いずれも断られたこと、その中昭和二十五年十二月十九日、最後に示した要町一丁目の家というのは、池袋駅西口から七分、バス停留所から二分、八畳、六畳、三畳、電気、瓦斯、水道つきという殆んど被告の希望条件を満すものであつたことを認めることができ、右の認定に反する被告本人の供述は信用しない。すなわち原告側としては被告側の立退について、出来る限りの協力をしたものということができよう。然るに証人三郎の証言並びに成立に争いのない甲第九号証によると、被告は一旦はこの要町の家を検分して、満足の意を表明しながら、翌二十日に至つて一変し、方位方角が悪く家相がよろしからぬから他に南方へ捜されたい旨断つて来たこと、これによつて原告側も被告の態度にあきれて、調停を取下げ、本訴に及んだことを認めることができる。被告本人の供述によると、同人は必ずしもその家に満足しなかつたこと、同人は家相を信じていることが認められる。家相を信じると否とはもとよりその人の自由であるが、前認定のように原告側が窮迫した情況にあつて、立退についてこれほどの協力を示して来たのであるから、相手方たる被告としても、家相という如き比較的閑事に属すると見られるものには一応目をつむり多少の不満はこれを抑えても、原告側の努力に応じて協力の実をあげ立退への誠意を示すのが道理であつて、これを断られた原告が調停を取下げて訴訟の強硬態度に出るに至つたことも、その経過からして、当然のことと思われる。よつてその他の主張を判断するまでもなく、この被告の意思表示によつて、原告は被告に対し賃貸借契約を解除し、その使用部分の明渡を求める正当の事由を有するに至つたものであるが、同時に右意思表示以前にされた前記の再度の解約申入は正当事由を伴わぬものと判断されるから解約の効果を認めることはできない。然しながら、原告はその後前記部屋等明渡の調停を申立てており、これによつて解約の申入をなしたものとみなすことができ、調停中の被告の右意思表示によつてこの申入は正当事由を備えるに至つたこと明らかであるから、被告の右意思表示の到達した昭和二十五年十二月二十日から六ケ月を経過した昭和二十六年六月二十日を以て本件賃貸借は終了したものであり、被告は六月二十一日以後第一目録記載の部分を返還する義務を負う。従つて被告に対する明渡の請求は理由がある。被告ますは被告と世帶を共にする妻であること、当事者間に争いなく、その占有は被告の占有を補助しているに止まるもので独立の占有を有するわけではないから、独立に明渡義務を負うことはない。故に同人に対する明渡の請求は理由がない。
次に物件引渡の請求について按ずるに、先ず第二目録記載物件が原告方疎開にあたり被告に寄託されたものであることは当事者間に争いがない。故に前認定の明渡請求と同時になされたと認められる原告の引渡請求により被告はこれを返還する義務を生じたものである。そしてその中、第二項の机と第六項の藤小机とを被告方で使用していることは被告の認める所であり、その他の物件の中第八項以外のものが、いずれも被告方応接間に現存することは検証の結果認めることができるが、第八項の書籍類はそれらが被告の占有下に現存することを認めるべき証拠がない。故に被告は第二目録第一項ないし第七項の物件を引渡すべき義務があり、原告の請求は右の範囲内で理由があるが、第八項の物件の引渡請求は理由がない。又被告ますは本件寄託契約の当事者でないこと明らかであるから、同人には右物件引渡の義務はなく同人に対するこの請求は理由がない。
右明渡並びに引渡義務を生じて以後の被告の義務不履行により原告は本件家屋並びに右物件の使用をなし得ぬため損害を蒙つているが、物件に関する損害は家屋に関する損害に附随し、これに包含されると考えられるから専ら家屋について考察することとし、被告は第一目録記載部分に対する賃料相当の損害金を支払うべきものである。よつてその金額について考察するに、家屋全部に対する賃料の基礎としては昭和二十年四月当時の月金三十円を採用すべきであり、これから算出した昭和二十五年八月以降の賃料相当額が千百六十八円七十銭となることは当事者間に争いがない。然しこれは家屋全部に対するものであり、被告等の使用しているのは家屋の一部であるから、前記坪数を斟酌し、毎月金六百円を相当と認める。よつて被告は昭和二十六年六月二十一日以降右明渡済みに至るまで、一ケ月金六百円の割合の損害金を支払う義務がある。原告の損害金請求中昭和二十六年六月二十日以前の分については、賃料未払の部分に限り原告請求を肯認すべきところ、昭和二十二年三月分までは支払があつたことは前認定のとおりであるが、同年四月分から昭和二十六年五月分まで月金二百円を被告方で供託していることが被告本人訊問の結果によつて、又昭和二十二年四月分以降は被告からの賃料の提供を原告が受領しなかつたことが、原告本人訊問の結果によつてそれぞれ認められ、又昭和二十年四月以後賃料増額の意思表示があつたと認むべき証拠がないから賃料は月金三十円であるので被告の右金額の供託は賃料支払の効果あるものである。従つて未払賃料としては昭和二十六年六月一日から同月二十日までに対する分のみを認むべく、月金三十円の割合で計算し、金二十円を支払うべきものとする。よつて被告に対する損害金の請求は右の範囲内に於て理由がある。被告ますは明渡及び引渡の義務がないから、これに対する損害金の請求は理由がないこと勿論である。
最後に慰藉料請求について按ずるに原告本人訊問の結果により、同居中軋轢紛争が少からず、その間原告は被告等の態度によつて精神的苦痛を受けたことを認めることが出来る。然し被告等の故意過失については、証人桃枝並びに原告本人の供述は感情に流れて心証とするに必らずしも充分でなく、その他これを認めるに足る証拠はない。かえつて被告本人の供述をも合せ考えると、これら軋轢は同居生活する以上或程度は不可避のものであるが、それをかく激化せしめたことについて被告側のみを責めることはできず、原告及びその家族等の家主としての意識からする挙動にも一半の責任があつたのみであると認められるばかりでなく、かかる事情から、かかる性質の精神的苦痛があつたとしてもそれは本人の希望通り、相手方から全部の明渡がなされることによつて充分償われるものと考えられる。よつて被告等には慰藉料賠償の義務はなく、原告のこの請求は理由がない。
以上を綜合すれば、原告の請求中第一目録記載部分の明渡を求める部分、第二目録第一項ないし第七項記載物件の引渡を求める部分、昭和二十六年六月一日から二十日までの賃料として金二十円、及びそれ以後の損害金として同月二十一日から明渡並びに引渡済みの日まで一ケ月金六百円の割合による金員の支払を求める部分は、正当としてこれを認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 倉田卓次)