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東京地方裁判所 昭和26年(ワ)6524号 判決

原告 株式会社小佐野商会

被告 千代田通商株式会社

一、主  文

被告は原告に対し東京都千代田区丸の内二丁目十八番地所在岸本ビルデイング一階百七号室の七(約十坪七合)を明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金十万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として原告は被告に対し昭和二十六年七月三十一日金三十三万円を弁済期同年九月三十日と定めて貸付けたが、その際原被告間に被告が弁済期に弁済しないときは、その弁済のないことを条件として、被告が予て所有者である訴外岸本不動産株式会社から賃借中の主文第一項掲記の部屋の賃借権は、当然に右借用金の弁済に代え原告に譲渡され、この場合においては、被告は弁済期後十日以内に、その部屋を原告に明渡すべき旨の契約が成立し、右契約に因る賃借権の譲渡については賃貸人岸本不動産株式会社において、予め承諾を与えていたところ、被告は弁済期に前示借用金を弁済しなかつたので、被告の賃借権は何人に対する関係においても、原告に移転したのである。そこで原告は先ず第一に上叙明渡契約に基き主文第一項掲記の部屋の明渡を求め、右請求が理由がないならば第二に、原告に帰した賃借権に基き、賃貸人である所有者岸本不動産株式会社に代位して、被告が現に占有中の右部屋の明渡を求めるものである。被告の答弁事実中昭和二十六年十二月十日被告から本件貸金に対する弁済の提供があつたこと並に、本件賃借権の価格の点は否認すると述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張事実中被告が原告から昭和二十六年七月三十一日金三十三万円を弁済期同年九月三十日と定めて借受けたこと、右借用金を被告が弁済期までに弁済しなかつたこと、被告が予て訴外岸本不動産株式会社から同会社所有の主文第一項掲記の部屋を賃借し、現に占有していることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。被告は本件借用金を借受ける際、原告に対し、若し弁済期に弁済できないときは被告において賃貸人の承諾を得て、前示部屋の賃借権を処分し、その処分によつて得た対価を以て弁済しようと約しただけである。つまり万一の場合には賃借権を処分しても弁済しようと言うのである。ところで元来右賃借権についての契約は、借用金債務の担保契約の趣旨であるから履行遅滞がない限りはその契約を実行する義務はないわけである。被告は本件借用金を弁済期に弁済することはできなかつたが、その後昭和二十六年十二月十日現金を原告方に持参し、弁済のため現実に提供したけれども原告はその受領を拒んだので、同日以降は履行遅滞の責がないので賃借権を処分する義務も、その処分のための明渡義務もないのであると述べ、抗弁として仮に右賃借権の譲渡並に部屋の明渡について、原告主張通りの約旨の契約が原被告間に成立したとしても、(イ)すでに述べたように被告からの弁済の提供を受けてこれが受領を拒絶し、被告に部屋の明渡を求めるのは、被告に過当な負担を強要するもので正当な権利行使の範囲を逸脱した権利の濫用と言うべきである。(ロ)のみならず本件部屋の賃借権の価格は昭和二十六年七月三十一日当時からすでに八十万円相当のものであり、これを僅か三十三万円の借用金の代償として被告から取上げ得ると言うような契約は公序良俗に反する事項を目的とするもので無効の契約と言わなければならない。されば(イ)(ロ)のいずれにしても原告の本訴請求は許容さるべきものではないと述べた。<立証省略>

三、理  由

被告が原告から昭和二十六年七月三十一日金三十三万円を弁済期同年九月三十日と定めて借受けたこと、並に被告が予て訴外岸本不動産株式会社から同会社所有の主文第一項掲記の部屋を賃借していたことは本件当事者間に争がない。ところで右各事実と成立に争のない甲第一、第二号証、甲第三号証の一、二、証人山田米治郎の証言、同証言により真正に成立したと認められる甲第四号証並に原告代表者訊問の結果を綜合すれば、岸本不動産株式会社の取締役であり、且同会社所有不動産の管理を担当していた訴外山田米治郎は予て原告代表者小佐野裕仲から適当な貸室があつたら世話して貰い度いと頼まれていたが、たまたま主文第一項に掲げた部屋の賃借人である被告の代表者河合昇からも融資先周旋方を依頼せられたので、当時被告の営業状態は思わしくなく、賃料も滞り勝ちであつたところから、米治郎は原告代表者に対し「被告に金を貸してやつて、若し、被告がその借金を返せばよし、返さなかつたら被告の賃借している本件の部屋を明渡して貰うようにしてはどうか」と、金融方をすすめたので原告代表者は被告代表者との間に本件貸借金を弁済期に返済しないときは本件部屋の賃借権は右返済のないことを条件として当然に原告に譲渡され、被告は右弁済期後十日以内に右部屋を原告に明渡すと言う約旨の下に前示金員の貸借がなされたが、右契約による賃借人の譲渡については、上叙の経緯があつた関係上、管理人である米治郎において予め承諾を与えていた(もつとも原告に対する賃借条件については必ずしも従前通りとするつもりはないので、賃借条件は留保していたが)ことが認められる。証人山田米治郎の証言並に被告代表者訊問の結果中右認定に副わない部分は信用できないし、乙第一号証はその成立について争がないが同号証は被告代理人が被告の主張を書いたものにすぎないので、それだけでは的確な証拠とするに足らず、他に上叙認定を左右し得る証拠はない。さて、被告が本件借用金をその弁済期に弁済しなかつたことは被告の認めるところであるから、本件部屋の賃借権は弁済期である昭和二十六年九月三十日限り原告に譲渡され、被告は前示約定に基き同日後十日以内に本件部屋を原告に明渡さなければならないわけである。被告は右弁済期後の同年十二月原告に対し本件借用金弁済のため現実の提供をしたから遅滞の責はないと言うけれども、右弁済の提供があつたとしても、すでにその以前に生じた契約による賃借権の移転並に部屋明渡義務の発生の効力は右弁済の提供により消長を来す筋合のものではない。

次に被告は本件部屋明渡請求は権利の濫用であると言う。この権利濫用と言う理論は訴訟上濫用されている傾向がないでもない。一般に権利濫用の要件としては、権利者が、その権利の行使により社会的経済的には何等の得るところもないか、又は少くともさしたる利益を享けるとも思われない場合、或は敢えてその権利を強行しなくとも、さしたる困難もなく、その権利行使と同一の目的を達し得るような場合に、その権利が行使されれば、行使を受けた相手方に過大な損害を招来するに拘らず権利者が相手方を困惑させる目的を以て又は、自己の権利の名に陶酔し若は眩惑され相手方の困惑を顧慮せずにその権利行使の名の下に、一般的情況の下では権利の内容として理解されていることを敢えて実現することを指称するのであるが、権利行使の結果として行使者の得べき利益と行使を受けた者の受ける損害との間に権衡が保たれてないと言うだけのこと、又は行使を受けた者の損害が過大であると言うだけのことでは、権利の濫用とは言い得ない。本件についてしらべて見ると原告が予て部屋の必要に迫られていたため万一を僥倖して部屋の獲得を期待したことが本件貸金貸与の動機となつたことはすでに認定した事実からして明であり、現時貸室の払底していることは公知の事実であるから原告としては担保契約による部屋明渡請求権の行使により多大の利益を享けることは言うまでもない。もつとも貸室払底と言う事情は、部屋明渡による被告の損害が少くないことを意味するけれどもさればこそ本件部屋明渡約定が貸金債権の担保としての価値を生ずるのであるから、右契約による被告の負担が重いと言うだけで、他に上述の権利濫用の要件と見るべき事情の主張立証のない本件では被告の(イ)の主張は所詮採用するに由ないものである。

被告は更に本件賃借権の価格は八十万円相当のものであるのに、僅か三十万円程度の借用金の代償とする約定は公序良俗に反する旨主張するのでこの点について考えると、証人山田米治郎の証言並に原告代表者訊問の結果によれば原告が本件貸金を貸付ける当時における本件部屋の賃借権の価格は四十万円から最高五十万円(坪五万円)程度のものであるが、被告がこの部屋を賃借するについては一文の権利金を払つたものではないことが認められる。元来建物の賃借権の価格を権利金と言う名で表示し、賃借権を負担附権利として財産的評価をしているのが一般であるけれども、賃借権は他の財産と異り賃貸人の承諾がない限り自由に処分換価ができないと言う制約があるので、その価格は寧ろ賃借人が賃借建物と同種のものを入手する場合に要すると予想される費用を、現に建物を入手しているために支出しなくともすむと言う意味で、現実に賃借人を利しているに止まり、換価処分を前提とする限りは、賃貸人の承諾を得る見込がないとすれば、取引的見地からは無価値であるとも解し得るわけである。ところですでに認定したように、原被告間の本件金員貸借については本件部屋の管理人山田自身が仲介周旋をしたと言う特段の事情があつたため、その担保契約による賃借権譲渡に承諾が与えられたのであるが、被告代表者訊問の結果によれば岸本不動産株式会社はその賃貸建物の賃借権の譲渡又は転貸を特に厳重に禁止しており、その承諾を得ることは殆んど見込がないことが認められる。以上認定したところを綜合すれば、本件賃借権の価格はそれ自体としては四十万円ないし五十万円程度のものではあるが、被告としてはその賃借権獲得について一文の対価をも払つたものではないし、又この賃借権を処分することは賃貸人に対する関係から殆んど不可能のものであつたが、原告は三十三万円で特段の事情の下にその賃借権を取得したと言うことになり、右事実からすれば、原告が社会の健全な常識から見て是認される範囲を超え公序良俗に反して被告の損害において利得したものとは解することができない。従つて被告(ロ)の主張もまた採用の限りではない。

以上説示したところにより被告に対し主文第一項掲記の部屋の明渡を求める原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言(無担保の申立部分は不相当と認めて棄却する)につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎)

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