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東京地方裁判所 昭和26年(ワ)7016号 判決

原告 加藤三枝

被告 株式会社三和銀行

一、主  文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金百万円とこれに対する昭和二十六年五月十二日以降完済まで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求める旨申立て、その請求の原因として(一)被告銀行祐天寺支店長は昭和二十五年十一月九日同支店を支払人として(即ち自己宛で)金額百万円振出地東京都目黒区、支払人の肩書として東京都目黒区中目黒三丁目千百三十八番地と記載した持参人払式一般線引小切手一通を訴外加藤れん子、渋谷芳五郎両名のために振出し、原告は右振出を受けた両名からその小切手を交付譲渡を受けて所持人となつた。(二)ところが原告は右小切手を同月十日(振出日の翌日)訴外川上輝雄等に盗取されたが、小切手をその呈示期間に支払を求めるため呈示したものがなかつたので呈示期間の徒過による手続欠缺により小切手上の権利は消滅に帰した。(三)右消滅当時本件小切手は前示盗取者川上の手にあつたが同人が正当の所持人でないことは云うまでもなく、正当の所持人と目すべきものは原告を措いて他になかつたのであるから、原告こそは小切手上の権利者であり且前示消滅により小切手上の権利を失つた者である。(四)元来本件小切手は被告銀行祐天寺支店長において被告銀行が予て加藤れん子、渋谷芳五郎の両名から預かつていた合計百万円(右両名の預入額は各五十万円)の預金の払戻に代えて振出したものであるから、右振出により被告銀行の右両名に対する預金債務は小切手に組入れられた金額の限度において消滅したのである。(五)されば前示小切手上の権利の消滅の結果、被告は小切手振出人としての小切手上の債務を免れたので、結局小切手に組入れられた預金額百万円に相当する利益を受けたわけであるから、原告は小切手上の権利消滅当時の小切手所持人として右金百万円の利得の償還を被告に対し、求める権利を取得した。(六)よつて昭和二十六年五月十日原告は被告に対し利得金百万円の償還を請求したのでここに右金百万円とこれに対する右請求の日の後である昭和二十六年五月十二日以降完済迄の民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求めるのである。と述べ、

被告の抗弁に対し、抗弁事実はすべて否認する。

(甲)  先ず(イ)の抗弁については、

(1)  すでに述べたように加藤、渋谷両名のために振出されたものであり、右両名は被告銀行に対して預金はしていたが、被告銀行との間に当座取引関係がなかつたので、両名の振出名義で小切手を振出すことができなかつたので被告銀行に依頼し両名の預金を小切手資金として本件小切手の振出を受けた関係に在る。されば実質上支払委託者たる振出人は被告ではなくて前示両名であるところ、右両名は支払人たる被告に対し昭和二十五年十一月十日支払委託を取消す旨の意思を表示した。

(2)  又原告は小切手上の振出人としての被告に対し、すでに述べたように利得償還債権をもつていたので、右債権保全のため振出人としての被告に代位して支払人としての被告に対し前同日支払委託取消の意思表示をした。

(3)  仮に右(1) (2) の取消の意思表示がなかつたとしてもその後同年十二月十七日、実質上の小切手振出人である加藤、渋谷の両名並に、小切手上の振出人に代位した原告から支払人としての被告に対し支払委託取消の通知をした。

されば右支払委託取消後において被告主張の如く小切手に対する支払があつたとしてもその支払は小切手に対する支払としての効果はない。

(乙)  次に(ロ)の抗弁については、

(1)  本件小切手は盗取者川上から呈示期間経過後である昭和二十五年十一月二十五日訴外東洋貿易株式会社へ、その後更に同会社から訴外奥浦為之助へと順次交付譲渡され、被告は訴外株式会社大阪銀行を通して右奥浦へ小切手金を支払つたのである。けれども右東洋貿易株式会社並に奥浦は、何れも呈示期間経過後に小切手の譲渡を受けたものであるから指名債権譲受の効力を受けるにすぎないものであるところ、当初の小切手の譲渡人川上は小切手上の権利をもつていなかつたので上叙譲受人両名もその譲受によつて小切手上の権利を取得しなかつたのである。されば奥浦に対する小切手金の支払は小切手に対する支払としての効果はない。

(2)  仮に東洋貿易株式会社並に奥浦の小切手譲受が呈示期間経過前になされたものだとしても同人等はその譲受に際り、本件小切手が盗賍であることを知り、又はほんの一寸でも注意をすれば容易に知り得る事情の下に小切手を譲受けたものであるから悪意又は少くとも重大な過失に因り小切手を取得したものであり、従つて小切手の正当な所持人として小切手上の権利を取得するには至らなかつたのであるから奥浦に対する小切手金の支払は矢張り小切手に対する支払としての効果を生じない。

(3)  更に仮に被告の奥浦に対する小切手金の支払が小切手上の権利の準占有者に対する弁済と解される余地があるとしても、被告銀行祐天寺支店は原告並に実質上の小切手振出人である加藤、渋谷の両名から盗難事故発生当日、右盗難事実の届出を受けており、東京都において発行されている同日の夕刊新聞紙にはその盗難の模様が報道されていたばかりではなく、その後奥浦から同支店に本件小切手に対し支払を受け得るや否を問合せて来たことから川上を被疑者とする。窃盗被疑事件として検察当局の取調が開始されたが、被告は奥浦に対する小切手金支払に先立ち、右事実を知つていた関係上、奥浦に小切手上の権利がないことも知つていたので、善意の弁済者ではないから被告の小切手金支払は、小切手債務の弁済としての効果を生じないので、善意の弁済者ではないから、被告の小切手金支払は、小切手債務の弁済としての効果を生じないのである。

(4)  のみならず右(3) の事情の下に被告が単に「小切手の支払人は呈示期間経過後においても小切手に対する支払が可能である」との一事を理由として支払を敢行するが如きは、第一に銀行取引関係を支配する信義誠実の原則に反し、第二に小切手による取引の安全を害する公序良俗に違背する所為である。更に第三に、被告としては呈示期間経過後に呈示された小切手に対する支払をなし得る権限があるにしても、その権限を行使して支払つたところで格別の利益はなく右の如き小切手については、所持人に対する関係においては勿論振出人に対する関係(振出の原因たる資金関係)においても支払に応ずる義務はないのだから、支払に応じなくとも不利益を受けることがないのに反し、その支払が支払人の権限に基いてなされたことになれば、被告に利得がないこととなり、従つて原告はすでに述べた如く手続の欠缺による小切手上の権利の消滅により一旦取得した利得償還請求権を失うので利得償還額百万円に相当する損害を受けるわけである。されば被告が前述の如く呈示期間経過後でも小切手に対し支払う権限があるからと云つて、支払をなすのは権利の濫用に相当し、許されないものである。以上第一乃至第三の点からしても被告の奥浦に対する支払は、小切手に対する支払としては無効のものである。

と述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、原告主張事実中(一)(二)(四)の事実及び(六)の償還請求のあつた事実はこれを認めるが、その余の点はすべて否認する。元来小切手上の権利の消滅に因り利得償還請求権を取得し得る者は、その消滅当時、小切手を正当に所持し得る権原を有するばかりでなく、現実にその小切手を所持している者でなければならない。然るに原告は(二)の権利消滅当時本件小切手を現実に所持していなかつた(この点は原告の自陳するところであるが)のであるから利得償還請求権を取得するわけがないと述べ、

抗弁として仮に原告において小切手上の権利消滅当時、利得償還を求め得る資格をもつていたとしても、小切手の支払人は振出人から支払委託の取消がない限り呈示期間経過後でも小切手に対し有効に支払をなし得るものであるところ、

(イ)  本件小切手の振出人は被告自身であるが支払の委託を取消したことはなく、

(ロ)  被告は昭和二十五年十二月十八日当時本件小切手の所持人であつた訴外株式会社大阪銀行との間に手形交換所を通じて決済を遂げ、これによつて右大阪銀行に対し支払人として支払を了したものである。

されば被告は呈示期間の徒過により本件小切手上の権利者の権利の消滅に因り何等の利得もしていないのであるから、その償還に応じなければならぬいわれはないと述べ、

更に以上の抗弁に対する原告の答弁に対し、

(甲)の原告並に加藤、渋谷の両名より支払委託取消の意思表示があつたとの事実は否認する。

(乙)の(1) (2) の事実中本件小切手が盗取者川上から訴外東洋貿易株式会社、訴外奥浦為之助へ順次交付譲渡されたことは認めるが、譲渡の日時は不知、その余は否認する。なお(1) について小切手法第二十四条の規定は持参人払式小切手には適用がないものである。

(乙)の(3) の事実については被告は奥浦に対して支払つたものでないことはすでに述べた通りであるが、仮に原告が(乙)の(1) において云うように大阪銀行を通して奥浦に支払つたものだとしても、その支払当時奥浦に小切手上の権利がないことを知つていたとの点は否認する。その余の事実は認める。本件小切手は原告主張の刑事々件の取調の結果検察庁より奥浦は小切手の盗賍であることを知らないで取得したものであるから、同人に返還せよとの趣旨で被告に下げ渡されたばかりでなく、被告において奥浦の前主東洋貿易株式会社に照会した結果、本件小切手は同会社から奥浦に対し商品代金の支払として交付されたことが判明し、その後、被告の支払がなされたものである。

(乙)の(4) の主張については、被告の支払が信義則に反し、又は公序良俗に違背するものではないし、又呈示期間経過後呈示された小切手に対し、被告は振出人に対する関係(資金関係)においても、必ずしも支払う義務がないものではあろうが、本件小切手の振出人は被告自身であるから、呈示期間経過後であることを理由として、その支払を拒絶するのは、被告銀行の信用に悪影響を及ぼし、信用を生命とする業務上多大の無形の損害を受けることになるので、本件小切手に対する支払は被告にとり右損害の発生を防止する利益があるものであり、権利の濫用ではない。

と述べた。<立証省略>

三、理  由

原告主張の(一)(二)の事実は被告の認めるところである。そこで考えて見ると、

小切手の正当な所持人はその小切手を盗取され、又は紛失し若しくはその小切手が滅失したからとて、他の者がその小切手を適法に取得しない(小切手滅失の場合他の者が取得することはあり得ないが)限りは、小切手上の権利を失うものでないことは、民事訴訟法の規定に基く公示催告手続により右の如き原因により所持を離れた小切手の無効を宣言した除権判決を得るときは、小切手の現実の所持を回復しなくとも、小切手に因る権利を主張できるばかりではなく、小切手法第二十一条但書の場合に、小切手の正当な所持人であつた者が小切手の悪意の取得者から小切手の返還を求め得る根拠を考えても明なことである。けれども小切手は、その性質上、その証券上の権利を主張するためには、前示除権判決を得た場合を除いてその証券の現実の所持を要するいわゆる有価証券のうちでも、典型的なものの一つであるから、小切手上の権利を主張し得るためには小切手を正当に所持する権原があること、即ち小切手上の権利者であると云うだけでは足らないのであつて、小切手法第十九条、第二十条、第二十一条本文等により窺い得るようにその権利者であることを主張し得る形式的資格として、現に右小切手を所持し且裏書ある場合にはその裏書の形式的連続に欠けるところがない(持参人払式のものについては所持だけで足ることは云うまでもない。)ことを要することも亦疑のないところである。

ところで利得償還請求権の発生(権利者から云えば取得)は小切手上の権利の消滅(権利者から云えば喪失)を前提とするものであるから、右消滅の際小切手上の権利をもつており、それを消滅により失つた者で且、その権利喪失の事実を他に向つて主張し得る資格を有するものでなければ、利得償還請求権の発生に因る取得を主張できないわけである。従つてかかる主張のできる者は小切手上の権利消滅時においてその権利をもつておつただけでなく、その小切手を少くとも現実に所持するか又は前示除権判決を得ていたものでなければならない。かように考えて来ると、小切手上の権利消滅当時、その権利をもつてはいたが、小切手を現実に所持せず、又除権判決も得てなかつた者は利得償還請求権を取得しない(かかる見解の存することは勿論であるが)と解すべきではなく、取得はしているのだが、その取得を振出人その他に対し主張する資格要件を欠いているので法律上、その取得の主張を許されないのだと考えられる。このことは、利得償還請求権の発生による取得者がその取得を小切手の振出人等に対し主張し得る要件を一旦具備した後においては、その利得償還請求権自体は「いわゆる小切手に化体された」小切手上の権利そのものではなく却つてその権利の消滅を前提として新に発生した通常の債権であることからして、利得償還請求権の行使処分のために、小切手の所持、移転等を要件としていないことと何等矛盾するものではない。

そこで問題となるのは、小切手上の権利の消滅当時、小切手上の権利をもつてはいたが、小切手を現実に所持せず又除権判決を得てなかつた者が、前示消滅後、小切手を無効とする除権判決が確定し遺失小切手を拾得者より返還を受ける事により小切手の現実の所持を回復した場合に、その時から利得償還請求権の取得を主張できないものか否かの点である。厳密な理論から推せば小切手上の権利消滅当時、その消滅を主張できなかつた者が、その後に主張できる資格を得たからとて、その消滅を主張しこれを理由として利得償還を求め得るものと論結するのはいささか論理に徹しないうらみがないわけではないが、反対の結論をとるならばたとえば小切手上の権利消滅前に公示催告の申立をした場合、その小切手を無効とする除権判決がたまたま権利消滅時の前になされたか、後になされたかによつて利得償還請求ができるかできないかが定まることになつて不当な結果を生ずることとなるであろう。思うに利得償還の制度は取引の迅速安全を保障する目的から要請される技術上の形式的厳格性に対する常識上の実質的利益の権衡保持の見解からする妥協であるから、その制度の趣旨からして小切手上の権利消滅当時その権利をもつていた者が小切手を盗取され、紛失し又は小切手が滅失したために小切手の所持を失つていても、その後その小切手の現実の所持を回復するか又は小切手を無効とする除権判決を得たときは、利得償還に必要な他の要件が満たされている限り、小切手の所持回復又は除権判決を得たときから利得償還請求権の取得を主張することができるものと解し、小切手法第七十二条に云う「所持人」とはかかる者をも含むものと解するを相当とする。

以上の見解の下に本件について考えて見ると、原告がその主張の小切手の正当の所持人となつた後、その小切手を盗取されても、その盗取による小切手の所持を失つただけで直ちに、小切手上の権利まで失つたものではなく、単に小切手上の権利を主張し得る資格を失つたにすぎないので、呈示期間の徒過により、小切手上の権利を失つたことは肯認できるけれども、その権利喪失当時から現在までに小切手の現実の所持を回復したことのないことは原告の自陳するところにより明かであり、又小切手を無効とする除権判決を得たことも原告において主張しないのは勿論、その証拠もない(原告本人訊問の結果によれば一旦公示催告の申立をしたが、その申立に対する裁判のある前に申立を取下げたことが認められる)ので、原告は上来判示したところにより利得償還請求権の取得(取得したかどうかの点は措いて)を主張できないものと云わなければならない。従つて原告の本訴請求はその他の争点について判断するまでもなく失当であつて棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎)

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