大判例

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東京地方裁判所 昭和26年(ワ)837号 判決

原告 檜山奎治

被告 瀬古啓三

一、主  文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告は「被告は原告に対し、金二十万円及びこれに対する昭和二十六年三月一日から支払済に至るまで、年五分の割合による金員の支払をし、東京都に於て発行する朝日、毎日、読売各新聞紙上に別紙記載の謝罪文を全文五号活字を以て、一週間以上二週間以内の間隔を置き、各三回記載せよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、

被告は訴訟代理人として、約束手形金請求訴訟を提起し、目下東京地方裁判所民事第六部に繋属し、昭和二十五年(ワ)第二九一一号事件(以下別件と称する。)として審理中である。

右別件の審理に於て、昭和二十五年十月二十六日、東京地方裁判所民事第四号法廷で、原告(別件被告)が本人訊問を受けるに際し、被告(別件原告訴訟代理人)は、「心証を得る必要があるから詳細に述べて欲しい。」と前提した上、「原告が蓄えている二号三号の生活費は原告が支出しているか。」との趣旨の発問をした。もしこの訊問の必要があれば、先ず「原告は二号三号を蓄えているか。」との問を発し、これを肯定する原告の答を得たならば、その時初めて「其の妾の生活費は原告が支給又は補助しているか。」と発問すべきであるのに、被告は、原告が二号三号等妻以外の数名の妾を蓄えていることを既定の事実であるとして、いきなり「二号三号の生活費」について訊問したのであり、これは、原告が数名の妾を蓄えて、性道徳上無軌道の生活を営む不徳漢であるとの印象、並びに、妾は蓄えているが、その生活費を支弁しているかどうかは分らないという観念を裁判所並びに傍聴人に与えるであろうことを認識し、意慾しながら、本人訊問に藉口して事件には何の関係もない発問をし、これによつて荒唐無稽の捏造事実を発表したものであつて、不当である。そして右の発問の時には同法廷の壇上には裁判官書記官及び二三人の司法修習生が居り、その中には女子裁判官女子修習生もあり、又傍聴席には極めて多人数の傍聴者が居り、特にその中には原告と大学同期の弁護士もあり、又別件相被告加藤の訴訟代理人として在廷していた高井弁護士は元早稲田大学法学部教授で被告の恩師である。かかる人々の前でかかる質問を受けたため原告は面目を失墜すること夥しく、原告が噴慨して答弁するや満廷が哄笑し、ために羞恥の感に堪えざるものあり、原告は公然侮辱せられ、その名誉は甚だしく害されたのである。

原告は昭和十年三月早稲田大学法学部を卒業し、爾後二年間大学院に在学して故岡田朝太郎博士に師事し、刑事学を研究し来つたもので、堅実な家庭生活を営み、中流以上の人士との交際を有する者であるが、今次大戦の結果、郷里における財産を失つて仕送りが絶えたため、従来の人的信用と、財産を急に失つたことに対する他からの同情とを資本に、各方面から出版の注文を受けてその取次仲介業をなしている。従つて右のような侮辱的言辞によつて名誉を害せられることは、原告の感情において忍びざるのみならず、職業上の信用や同情に影響するところも少からぬものがある。故に原告の受けた有形無形の打撃の損害賠償として、金二十万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十六年三月一日から支払済に至るまで、民法所定の年五分の損害金の支払と、害せられた名誉を回復する方法として請求の趣旨記載のような謝罪広告とを求める。

被告の発問が反対訊問としてなされたことは認める。かりに右の発問が被告の主張するように、事件に関係ある訊問であるとしても、事件に関係ある訊問のすべてが訴訟上正当の行為であるということはできない。「原告が蓄えている二号三号の生活費は原告が支出しているか。」との問は、形式は一箇であつても、実質上は「原告は二号三号等の妾を蓄えている。」ということと、「その生活費は原告が支出しているか。」ということと、一つの内容を含み、後者は訊問といえるかもしれないが前者は事実の発表であつて訊問ではなく、立証事項の範囲外にある。故に後者は訴訟上正当の行為といえるかも知れないがそのことによつて前者迄正当行為であるとはいえない。すなわち一つの発問事項中に、数箇の別々の意味内容が含まれる場合その一つが正当であるとしても、それによつて、他も正当とされるのではない。本件での「原告が蓄えている二号三号」なる言辞は、この正当とされない部分なのである。と述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、事実上の答弁として、

原被告間に原告主張のような別件訴訟が繋属していること、原告主張の日に被告が別件原告代理人として、別件被告である原告を訊問したこと、その時法廷には裁判官、書記官、小数の傍聴者、訴訟関係人がいたことは認める、原告の経歴、生活程度現在の職業等は知らない。その他の主張事実はすべて否認する。

被告の原告に対する訊問は反対訊問であつたが、この際、原告主張のような発問をしたことはない。これにあたるものとしては「被告は他に女をもつて、その生活費を出し、又は財産をそこにもつている事実があるかどうか。」との趣旨の発問をしたのであり、この発問は原告の支払能力、その人格、主張事実の真否、並びに証拠の証明力を確かめるためになされた事件に関係ある訊問であるから、かかる訊問をなすことは、訴訟上正当の行為であり、又被告は、訴外池田亀三郎から、原告が家庭外に子のある女をもつて生活費を出し、その方に財産をもつている旨を聞いたことを根拠として発問したのであるから、荒唐無稽の捏造事実の発表でもない。従つて原告を公然侮辱しその名誉を害したことにはならない。よつて原告の請求は失当である。

と述べた。<立証省略>

三、理  由

被告を訴訟代理人とし本件原告を被告として原告主張のような別件訴訟が繋属していること、原告主張の日に、被告が別件原告代理人として、別件被告である原告を反対訊問したことは当事者間に争いがない。よつて、この反対訊問に於て被告が「原告の蓄えている二号三号の生活費は原告が支出しているか。」という趣旨の発問をしたとの原告の主張について考察する。「二号三号」という表現が使用されたことについては、証人千葉清雄、同高井忠夫の各証言は必ずしも正確な記憶に基くものとしては採用し難いし、成立に争いのない甲第一号証の二(別件被告本人訊問調書)の原告代理人(本件被告)の問に対する供述の第十七項として、「私が二号三号を蓄え、生活費を支弁しているかとのお尋ねですが……」と記載せられている部分も後記の本件被告本人訊問の結果を併せ考えると、むしろ原告が被告の問に答えて用いた二号三号という表現に引きずられて、問の文句であるように記載するに至つたものと考えられるから被告の問を正しく伝えたものとしては採用できない。その他これを認めるに足る証拠なく、かえつて被告本人の、「被告は平生二号三号というような表現を使わないから、原告の方で二号三号ということばを使つて答えたのを印象深く記憶している。」との趣旨の供述によると、この表現を先ず使用したのは原告であつたことを認めるに足る。然しながら、原告の主張は、被告が文字通り「原告の蓄えている二号三号の生活費は原告が支出しているか。」との発問をしたというのではなく、その「趣旨」の発問をしたというのであるから、二号三号ということばが用いられなかつたことを認定した上で更にその点について考えよう。被告はこれに対して、発問の趣旨は「被告は他に女をもつてその生活費を出し、又は財産をそこにもつている事実があるかどうか。」というにあつたと主張する。両者を比較するにその差異は表現上の微妙な点にかかり、各証言のこれに関する部分も、その証人が主観的な感情を交えて知覚し表象したところを本件の証言に際して再表現したものであつて、かかる微妙な差異を識別すべき客観性ある証拠とするに足らず、その他全証拠を綜合するも、実際の発問がそのいずれであつたかは軽々に断定し難い、と同時に小異を捨てて大同を取れば、原告のいわゆる発問の趣旨に甚だ近い意味内容を有する問が被告の口から発せられたことは、全証拠から明らかに認められ、これを否定することはできない。

原告は、右の発問は事件には何の関係もないから不当であると主張するので、この点につき判断する。一体交互訊問における訊問者は裁判所に事実認定の資料を提出すべく、訴訟法上認められた訊問権を行使するのであつて、供述者の黙秘する権利は極めて限定せられた範囲で認められるに過ぎない。然しさればとて訊問が無制限に許されるのではなく、その訊問に対する供述が証拠として提出せられる場合、事件の争点に関連性あるものであるか、或いは供述者の供述の信憑性を争うに役立つものであるか、いずれかの要件を備えることを必要とするのである。被告は、本件発問は原告の支払能力を知るためにされたと主張し、被告本人訊問の結果によれば、被告は別件原告代理人として勝訴の場合の執行のことを配慮して右の趣旨から本件発問をしたことを認めることができる。然し一般に給付訴訟において被告の支払能力の有無は事件の争点とは関連性がない。故に本件発問はこの意味で関連性あるものと認めることはできない。進んで信憑性を争うための訊問として許容することができるかどうかを案ずるに、信憑性を争うためにその供述者の人格を道徳的に非難すべく、私事にわたる事実について訊問することは原則としてはもとよりこれを認めなければならないが、その間自ら一定の限界あることもまた当然であつて、単に好ましからぬ人物であるとの印象に止まらず、特に、その者に誠実性が欠如し、その供述には全幅の信頼をおき難いと疑わせるような徴憑的事実たることを必要とするものと考えられる。蓄妾は道徳的に非難すべき行為であることはいうまでもないが、その故のみをもつて直ちに蓄妾者の人格の誠実性を否定し、その法廷における供述――ことに本件は手形金請求訴訟である。――を信頼しえないとすることは必ずしも当を得ていない。すなわち供述の信憑性を争うために、供述者の蓄妾の事実如何を以て発問の内容とすることは本件にあつては正当な訊問権の範囲を超えているものである。故に本件発問の趣旨がこゝにあつたとしてもこれを許容すべきではない。以上いずれにしても被告の発問は不当であつたといわなければならない。

そこで右の不当なる発問によつて、名誉を害されたとの原告主張について判断するに、本件発問は別件原告代理人たる被告の別件被告たる原告に対する反対訊問における質問の一であつたのであるから、原告としてはその質問に対して虚心に単純に否定すれば足りたのである。原告は本件発問は形式は一の問であつても、実は命題たる前提部を含み、これは質問ではなく事実の発表であると論ずるけれども、たとえこの点の原告主張を認めて、「妾の生活費を出しているか。」との趣旨の本件発問が形式的に「原告は蓄妾している。」との命題と「その生活費を出しているか。」との質問との二個の部分に分ちうるとしても、被告に積極的な原告侮辱の意思があつたと認めるべき証拠がない以上、その形式にかゝわらずこれは「蓄妾の事実があるか。」「その生活費を出しているか。」との複合的な質問があつたものと考えるのが相当であつて、従つて、これ自体で原告に対する積極的印象を形成する力あるものでなく、応答をまつてはじめて、聴く者にその事実の有無について印象を与えるものであるということができる。厳密にいえば、「妾の生活費を出しているか。」との質問に対する答は支出の如何に止まつて蓄妾の如何に及ばないものというべきであろうが、我国の現段階においては、そのような厳密さは要求されていないのであるから、右のような複合的質問に対しては支出如何に止まらず、蓄妾如何についても答弁しうるのであり、事実しているのが通常の状態であつて、従つて、この意味からするも原告としては二箇の質問の両方を単純に否定すれば足りたというべきである。当時原告は応答を拒否したのであるが、一旦質問された以上応答を回避することは、かえつて聴く者の疑惑を深めさせるおそれの少くないことに思いを致すべきであつた。然し本件の場合、原告が単純に否定せずに、応答自体を拒否したことによつて、在廷者は原告の素行についての悪印象を与えられたか否かについては、本件のような形式の発問がその表現に拘らず二箇の問として理解せられその意図の下に発問応答せられていることにほとんど疑が懐かれていない現実にかんがみ、右事実を肯定する証人千葉清雄並びに高井忠夫の証言は必ずしも採用し難く、その他これを認めるに足りる証拠はない。当時満廷が哄笑した事実は当裁判所に顕著であるが、これは発問に対する原告の反応ぶりと双方の応酬の激しさとが、対象となつた事柄の性質にそぐわぬ点が感ぜられた結果期せずして生れた感情の表現として失笑したものであつて、蓄妾の事実について積極的な悪印象をいだいて、原告を嘲笑したものではなかつたと見るべきである。従つて哄笑を受けて原告自身が羞恥の感を覚えたことは格別、これによつて原告が公然侮辱せられたわけではなく、原告の名誉が害されたということはできない。

以上の如くであるから、原告主張の損害賠償請求権は発生していない。よつてその他の主張を判断するまでもなく、原告の請求は失当として棄却すべきものとし訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条に則つて主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 倉田卓次)

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