東京地方裁判所 昭和26年(行)43号 判決
原告 篠塚敏夫 外二名
被告 東京都教育委員会
一、主 文
原告篠塚敏夫、中野清秀の請求はいづれも棄却する。
原告堀切路夫につき被告が昭和二十五年二月十五日なした休職処分はこれを取消す。
訴訟費用はその三分の二を原告篠塚敏夫、中野清秀の負担とし、その余を被告の負担とする。
二、事 実
請求の趣旨
被告が昭和二十五年二月十五日原告らに対してなした休職処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。
請求の原因
一 当事者の身分関係
被告は教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)に基き、東京都に設置された行政庁であつて、都内所管学校の校長及び教員について任免その他人事に関する事務を行う権限を有するものであり、原告篠塚敏夫は同都板橋区立赤塚第二中学校、中野清秀は荒川区立第六中学校、堀切路夫は江東区(前に城東区)立浅間小学校にそれぞれ勤務する教諭であつた。
二 処分とその経過
被告は昭和二十五年二月十五日原告らを休職処分に付した。その経過は次のとおりである。昭和二十四年夏頃から全国的に教員の政治的な人員整理の問題が起つたのであるが、東京都でも原告らの属する東京都教職員組合が教育の民主化と日本の再建のため教職員には可能な限り身分と自由の保障が必要であるとして活溌な反対運動を行つたにも拘らず、昭和二十五年一月二十日被告は別紙記載のような「刷新基準要綱」を審議成立させ、二月十三日原告らを含む二百四十六名の東京都教員に対し右基準に該当するものとして所属学校長らを通じ一齊に、同月十五日までに辞職せよ、応じなければ同日付で休職処分に付する旨の勘告を行い、原告らがいずれもこれに応じなかつたところ、被告は同日付で基準に該当するとの理由で教育公務員特例施行令第九条により官吏分限令第十一条第四号「官庁事務の場合に依り必要あるとき」の規定を準用し原告らを休職処分に付したのである。
三 休職処分の違法理由
原告らに対する休職処分はいずれも次の理由により違法であつて取消されるべきである。
(一) 前記刷新基準要綱は休職処分の基準としては抽象的に過ぎ、被告の一方的解釈によつて自由に該当者を定めることができるのであつて、被告は整理の政治的動機に従い右基準を乱用し、原告らが本来これに該当しないに拘らず、ことさらこれを該当するとして休職処分に付したものである。
(二) 本件休職処分は法の解釈適用を誤り、適用すべきでない官吏分限令第十一条第四号の規定によつた違法がある。すなわち、本件休職処分当時においては教育公務員特例法施行令第九条により地方公務員たる教職員に対し官吏分限令がなお従前どおり準用されていたのであるが、地方において当時の教育公務員特例法附則第二十三条第二項に、「この法律中の規定が、国家公務員法の規定に矛盾し、又はてい触すると認められるに至つた場合は、国家公務員法の規定が優先する。」と定められており、国家公務員法第七十九条は本人の意に反する場合の休職の事由を限定し、心身の故障のため長期の休養を要する場合、刑事事件に関し起訴された場合、その外人事院規則で定めるその他の場合に限つているので、「休職」に関する限り、官吏分限令の規定と国家公務員法の規定とは矛盾ていしよくすること明かであるから、国家公務員法第七十九条が優先すべきである。したがつて被告が官吏分限令第十一条第四号により、被告のほしいままに定めた刷新基準要綱に基き「官庁事務の都合に依り必要あるとき」に該当するものと裁量してなした本件休職処分は国家公務員法第七十九条の規定に反する違法な処分である。
四 原告らはそれぞれ被告に対し審査を請求したところ、原告らの申請を却下する裁決があつたので、行政事件訴訟特例法第二条により本訴請求をする次第である。
請求趣旨に対する答弁
原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決を求める。
請求原因に対する答弁
第一、事実の認否
請求原因事実中、(当事者の身分関係)は認め、二(処分とその経過)については、政治的な人員整理であるとの点を除きその余は認める。三(休職処分の違法理由)は否認する。四の裁決のあつたことは認める。
第二、原告らの休職処分事由
一 政治的人員整理ではない。
刷新基準要綱による人員整理は、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)及び学校教育法(同年法律第二十六号)の制定による新教育制度の樹立に伴い、終戦直後の社会の混乱と教育勤務の弛緩との中に発生した不健全にして好ましからぬ教職員を排除して人事を刷新する必要によつて行われたものであつて、共産党員の弾圧、組合運動の指導者排除などの意図による政治的なものではない。基準要綱も前記の法律に基く新教育制度の精神を貫徹するため教員としての不適格者を排除するに必要な客観性を具えたものであるし、該当者の決定に当つても諸資料により広般且つ確実に調査し具体的事実を確認した上でこれを前記基準に対照して決したのであつて、基準の乱用は行われていない。原告らの休職処分事由及び該当基準はそれぞれ次に述べるとおりである。
二 原告篠塚敏夫
(一) 区役所に対する校舎補修交渉(基準(三)の(1)に当る)
原告篠塚(以下原告という)の在勤する板橋区立赤塚第二中学校(以下赤塚二中という)は開校早々で天井のない教室があり、その補修を板橋区役所に交渉している中昭和二十二年十一月に入り冬を迎えようとしたので、生徒自治会で区長に補修を歎願に行くことを決議した。職員会議では生徒の純真な陳情なら差支えないという校長の意見に従いこれを承認したので、原告が附添うことになつたが、校長渡辺甲子男が同月二十二日の職員朝会で、生徒代表の数はできるだけ制限すること、区長へ直接でなく教育課を通じて陳情すること、の二つを条件として陳情から逸脱しないよう申渡したに拘らず、原告は同日午前生徒を引率して区役所に赴くや、校長の右申渡しを無視して、直接区長に面会を強要し、区長が応待を村田助役に委せて所用外出をしたあと、同助役に対し激越な言辞と暴慢な態度とを以て面談し、補修につき期日を定めて回答を要求するなど、職員会議で承認した生徒の純真な陳情の趣旨を無視した強要的交渉をし、校長の申渡しに違反した。
(二) 駐在所に対する共産党細胞掲示板に関する抗議(基準(三)の(3)、(二)の(3)に当る)
板橋区志村警察署下赤塚北巡査駐在所管内、赤塚町二三九〇番地上に共産党赤塚細胞の掲示板が建てられていたところ、昭和二十四年一月地主の和田長左衛門が赤塚細胞にその徹去を求めた。原告はこれを右駐在所勤務巡査古川金造の指がねであると誤解し、(事実は同巡査が和田に右土地を細胞に貸したのかときいたことがあつたが、その後和田がそのこととは関係なく自己の意思で細胞に徹去を求めたのである。)同月二十五日午後零時半頃勤務時間中であるに拘らず(昼休み時間は生徒の食事指導、個人面接、監護のため勤務時間として扱われ外出には校長の許可を要する)、同僚の斉藤教諭と共に右駐在所に赴き、約三十分間同巡査に対し掲示板徹去について「われわれ共産党を圧迫するのか、神山代議士に話す」などと強く抗議した。このことは勤務時間中教員の身分を利用し学校を拠点として一党一派に偏する政治活動をして教育に支障を与えるものであるとともに、学区内における教員としての信用品位を傷うものである。
(三) 学校を拠点とし又は教員の身分を利用した政治活動で教育上支障ある行為(基準(三)の(3)に当る)
(1) 昭和二十三年秋頃共産党に入党して以来勤務時間中しばしば学校内で地区細胞員と連絡し
(2) 同年十月頃学校管理者である校長に無断で、小使室を共産党代議士神山茂夫の生活相談所宣伝隊に提供し、同隊の集合場及び中食場所として利用させ、共産党宣伝用プラカードを持込ませ、校用の鍋、かまど、薪炭を使用して宣伝ビラ貼付用の糊を作らせ、糊の容器として校用のバケツを校外に持廻らせ、
(3) 同年十一月頃担任生徒の家庭訪問として秋本与平方に赴いた際同人に対し「生徒の学力は甚しく低下しているが、これは赤塚二中だけの問題ではなく現政府の教育政策の貧困によるものであつてこれを改善するには共産党の教育政策による外はないと考え、今度自分は共産党に入党した」旨を述べ、
(4) 昭和二十四年一月衆議院議員選挙の直前、共産党入党の挨拶状(活版印刷物)に校長保管の「東京都板橋区立赤塚第二中学校」のゴム印を無断で押し学区内に配布し、
(5) 昭和二十三年十一月十九日の職員会議に共産党機関紙アカハタ購読を提案して否決されたところ、個人で購入して職員室内の新聞掛に綴りこんで、校長が注意しても止めず、昭和二十四年五月頃板橋区主事が視察に来校の際不穏当であるとし指摘したので、校長が重ねて注意したところ、ようやく新聞掛から取外したが、以後は職員室内の自己の机の上にひろげて、同僚生徒に対し、従前同様の影響を与え、校長が注意しても聞きいれず、
(6) 昭和二十四年十月頃から教員の刷新問題が新聞紙上に掲載されるようになつたが、十一月上旬原告は放課直後校門附近で自校の生徒に対し共産党赤塚細胞に同細胞発行の「赤塚二中に首切り」と題する刷新反対ビラを配布させた。
(四) 占領政策ひぼう(基準(三)の(1)に当る)
(1) 昭和二十四年十一月頃から担任の数学の時間或いはホームルームの指導の際三年生に対し「アメリカは日本を軍事基地化植民地化しようとしている。アメリカや日本には失業者が多いが、ソ連には失業者はなく、老病者のために厚生施設が完備している」という趣旨を説述し、
(2) 同年八月二日鳥飼慶太郎方及び同月二十日田中愛子方で催された地区PTA会の席上、「生徒の質が低下しているのに、こんなむずかしい教科書を使用させるのは、日本人を馬鹿にしようとするアメリカの占領政策の現われであつて、日本を植民化しようとしているのである。学童の給食用の粉ミルクはアメリカでは牛や馬に飲ませている。」という趣旨を説いた。
(五) 職員会議の決議無視(基準(三)の(2)に当る)及び校長の命令無視(基準(三)の(1)に当る)
(1) 昭和二十三年二月四日の職員会議に生徒自治会の委員(生徒を少年協議会に参加させるかどうかが付議されたが、校長以下大部分の教員がその主催者に疑問をもち共産党活動に関係があるものとの懸念から教育の政治的中立を守る建前で不参加と決つた。然るに原告は翌五日にに右決議を無視して生徒数名を連れ、個人の資格と称して参加させた。
(2) かねて校長から区内学校の合同行事である区数学研究会に研究員として出席するよう委嘱指令されていたに拘らず、ほとんど出席しなかつた。
三 原告中野清秀
(一) 学校を拠点とし又は教員の身分を利用した政治活動で教育上支障ある行為(基準(三)の(3)に当る)及び占領政策ひぼう(基準(三)の(1)に当る)
(1) 人民民主主義教育方針の主張
原告中野(以下原告という)は昭和二十三年八月三十一日その勤務する荒川区立第六中学校(以下六中という)の職員会議の席上「現在の日本には真の民主主義は行われていないことを生徒の頭に泌みこませなくてはならぬ。真の民主主義はソ連の民主主義であり、ソ連の憲法は世界唯一の徹底した民主主義憲法である。日本の民主主義は少数有産者のためのものであるから、人民民主主義を獲得することが当面の課題であることを糸口として教育し、人民の子としての自覚を昂揚し、革命的精神に徹せしめるような教育をしなくてはならぬ。」という趣旨の教育方針を主張し、
(2) 校長に対する政治教育実施の言明
同年七月頃から生徒及び父兄から校長福田道善に対し原告が共産党支持の政治教育をする、という苦情がしばしばあつたので、九月十八日校長が原告に対して注意したところ、原告は「学問の自由思想の自由、表現の自由は憲法の保障しているところであるから、共産党支持の教育を押えるのは違憲である。自分はそうした教育は正規の時間にはやらないが、補欠の時間にやつている。」と言明した。
(3) 共産党支持の教育実施
同年度第一学期から第二学期にかけ担任の第三学年C組生徒に対し、「ソ連では階級のない社会で中間さく取は行われないので、人民の生活は豊かで幸福である。アメリカの労働者は資本家に対し無能力であつて、資本主義社会はたえず労働者を弾圧しその生活を脅かしている。ソ連の例で判るように、共産党はよい政党である。日本再建、世界の平和、人類の幸福は共産主義及び共産主義者によつて確立される。日本は共産主義でなければならぬ。芦田内閣は外資導入によつて国を売り、アメリカの植民地化する。米国はキユーバから採れる砂糖を日本に送つて日本人に好意を見せているが、実は肥料にもならぬ余剰のものを日本に高く売りつけて、日本の貴重な物を安く持つて行くのだ」という趣旨を説ききかせた。
(二) 学校経営に非協力で長期にわたつて校内紛争を起し、学校経営及び教育に支障を生ぜしめた、(基準(三)の(2)に当る)
(1) 職員会議における不当発言
昭和二十三年八月十一日職員会議の席上、校長が国家公務員法改正についての荒川区長からの要望として「同改正法が施行される暁はわれわれ学校教員も公務員として勤務上十分の注意をしなければならぬ」と伝達し、続いて「組合の委員会等も勤務時間中は止めるべきであり、緊急已むを得ない場合にも必ず校長の許可を受けるべきである。」と述べたところ、原告は大声で「校長は反動である」と怒号し、校長と語気荒く応酬して会議を混乱させた。
(2) 組合総会における不当発言
同年九月十四日荒川区職員組合(以下荒教組という)総会の席上、原告は特に発言を求め、「六中校長は荒教組の副執行委員長であるに拘らず、国家公務員法改正法が施行されるからには教職員も十分注意しなければならぬといつて、区長の要望を肯定し、組合を無視したようなことを言つた。副執行委員長としては不都合であり、このような人物が副執行委員長であることは不適当であるから、この要職を解くべきである」と提案した。六中教員は原告の言動を「校長の言辞を故意に曲げ外部に対しひぼうしたもの」として非難し、原告糾弾の教務部会を開くに至り、ここに校内紛争の気運を生じた。
(3) 転任協定
原告が共産党支持の政治教育をしていることが六中教員間に問題化したので、同年九月下旬校長は原告に対し転任を希望したところ、原告は組合の決定でなければ従わぬといつて耳をかさないので、校長は穏便に事を運ぶため、同月末から十月中旬にかけ数回にわたり荒教組と協議し、またしばしば教務部会、職員会議を開かねばならぬ事態となつて、そのため授業を休止したこともあり、教育上多くの支障を生じた。一方荒教組でも執行委員会で原告の意見をきき討議の末、原告が共産党支持の政治教育をしたことを認め、転出すべきであると決定したので、十月十二日原告は荒教組副執行委員長野田八蔵及び執行委員仲本朝愛立会で校長に対し、同年十二月、已むを得ないときでも昭和二十四年三月までに転出することを承諾した。
(4) 朝礼における不当発言
昭和二十四年三月三日芸能会終了直後校長が講評した際、「今日の生徒の出し物の中には内容上ややふさわしくないものがあつたが、ほかによりよいものがあるように思う」と述べたところ、原告は右購評にいう出し物とは原告の指導した演劇「ポケツトのない服」を指すものであるとし、同月八日の朝礼で、校長が常のように生徒らに訓示をすませ校長室に引上げたあと、ほしいまま壇上に立ち、全生徒に向い「先日の校長の講評は不都合である。あの劇は以前に校長の許可を受けてあるのに、あのような講評をするのは心外である。校長に厳重に抗議を申込む。」と威丈高になつて述べた。このため教員中には原告の言動は六中教育方針を破壌するものである、と激昂する者を生じ、また生徒の中には校長と原告との不知を私語する者が多くなつて現実に教育上の障碍となつた。
(5) 転任協定違反及び共産党荒川地区委員会の介入利用
同月十五日校長が原告に対し「三月末転出の約束であるが、転出先はきまつたか。」と尋ねたところ、原告は「転出先はきまらない。自分は自発的でなければ絶対に転出しない。校長が転出を強制するならば、共産党の面目にかけて斗う。」といい、その後校長が二、三転出先をあつせんしたが同意しなかつた。
そのうち四月の新学期となつたが、校長は原告の転出を予定し、原告に組担任と学科とをもたせなかつたところ、四月十日以後数回共産党荒川地区委員会委員長池田進及び堀岡委員が来校し、校長に対し原告の転出具申の中止方を強要したが、校長はこれを拒否した、ところが原告は共産党地区委員会に連絡し、同月十五日、十八日、二十一日、二十三日の四回にわたつて共産党尾竹橋細胞の名で「六三制予算削減反対」「六中中野先生首切反対」「六中中野先生転任反対」「六中の教育を守ろう」その他校長やPTAをひぼうするビラ数百枚を学校周辺一帯はじめ区内各所に貼付した。
同月十八日校長は生徒との間に不安動揺の色が顕著に現われたので、朝礼の際生従らに対し、「中野先生は本校教育を破壊するようなことがあり、父兄から処分の希望もしばしばあつたが、昨年十月にこの三月限り転任の約束ができた。然るに約束の三月になつても転任せず、かえつて首切反対などとビラを貼りめぐらしている。諸君は学校を信頼して生徒の本分を守り勉強するように。」と訓示し同日PTA役員と教員とで討議の結果、教員一同は「転出の約束を履行せず六中教員の破壌を狙うような挙に出ることは絶対に容認し難い。転出遷延は本校職員として教育活動遂行上重大な障碍となるから、速かに善処せられたい」旨の要望書を、またPTA有志一同も「職員からの転出要望は妥当であり、これが生徒教育上絶対必要であるから善処を勧告する。」旨の勧告書を原告に手交した。さらに同月二十日には教員一同の名で父兄宛、「全職員は学校長を中心として六中の正しい教育の防波提として挺身し、中野問題を善処するから、その解決に協力してほしい。」という趣旨の声明書を送付した。
このように全教員もPTA役員も原告の善処を要望しているに拘らず、原告は共産党地区委員会と連絡して、前記のように引続き二十一日、二十三日とビラを貼り、反抗斗争の威勢を張つたので、校内は甚しく動揺し、生徒らは不安におびえ正常の授業もできかねる状態となつた。この状態を憂える校長初め教務部職員とPTA役員とは合同会議を開いた結果、この状態を続けるときは、学校の経営は破壌される恐れがあるとし、原告の転出を撤回しても早急に事態を拾収する外はないと結論した。そこで同月二十九日佐藤校務主任は原告に対し「紛争を長びかすのも面白くない。校長もあくまで転出を考えているわけでもないから、校長と腹を割つて話したらどうか。」と伝えたところ、原告はこれを承諾し、共産党荒川地区委員会に連絡した上、荒川一中校長から校長室を会談用に提供を受け、同日校長に対し「明三十日荒川区立第一中学校で共産党荒川地区委員長池田進が校長と面接したい。」と申入れたので、校長はこれに応じて同日荒川一中に赴いた。然るに校長が原告や地区委員と面談しているうち、池田進が現われたので、校長から「中野君を通じてのお招きがあつたので来た」と挨拶したのに対し、池田は「われわれの方から話があつて校長を呼んだのではない」「大馬鹿野郎」と呼んで一同とともにその場を引上げたが、荒川一中校長の取りなしで再び引返えし、事態に萎縮してひたすら穏便に話を決めたいとのみ考えていた校長に話し、一方的に協定案を提出し、その条項中、「校長は原告が教育の破壌者でないことを全生徒に明言し過日の朝礼時の言明を取消す、同様に父兄に明言し過日の声明書を取消す旨を含めた新な声明書を発表する。」等の点につき、校長は同意し難いとして異議を唱えたに拘らず、池田らはきき入れず、校長は会談が決裂して反抗斗争の継続することを恐れ、事態拾収の既定方針に従うためやむを得ず協定書に署名捺印し、さらに右協定書に基き五月七日朝礼時に校長は全生徒に右協定書通りの明言を行い、同月十日校長及び教員一同の名を以てやむなく父兄宛「中野教諭が教育を破壌した根跡がないからこれを留任させることに円満解決した」旨の声明書を送付して事件は落着した。
四 原告堀切路夫
(一) 担任事務の放棄(基準(三)の(1)及び(2)に当る)
原告堀切(以下原告という)は、昭和二十一年城東区教員組合(以下区教組という)が結成されるやその副委員長として組合事務に専念し、自己の勤務する城東区立浅問小学校における学級担当任や校務担当の本務を他の教員に委せて顧みないので、校長山路喜太郎はやむを得ず同年九月以降原告の学級や校務の担任事務を解き他の教員に交替させた。これは教員として教育を本務とすべき服務規律その他学校教育法等法令の趣旨に違反するとともに学校経営に非協力といわねばならない。
(二) 組合の圧力による校長圧迫と学校経営干渉(基準(三)の(1)及び(2)に当る)
区教組の本部が浅間小学校の職員室の隣室に置かれていた関係上、原告は区教組の副委員長として同本部を本拠として校内の区教組浅間校分会(以下浅間分会という)を強力に指揮し、職員会議や職場会等公式の席上ばかりでなく、当時原告が宿泊居住していた校内宿直室隣室等においても、自己に同調する教員を指導し、組合至上主義によつて急激に学校教育の革新を実現する目的を以て、校長の職務権限を実質的に無力化するため、組合の圧力を以て校長を圧迫し、学校経営に強く干渉した。
(1) 昭和二十一年十二月上旬の職場会の席上、皇居前広場において催される東京都職員組合大会に出場するにつき赤旗を携行することを提議し、校長が「赤旗は共産党の旗印であるから賛成できない」と強く反対したに拘らず、原告は「赤旗は団結のシムボルであつて共産党の旗印ではない」と反論して校長の意見に従わず、遂に自己の提議を貫いた。
(2) その後ほどなく原告は校長に無断で赤旗を教員、児童、父兄等外来者に直ちに目につく職員室隣りの前記本部室前廊下に天井からつり下げ、昭和二十二年二月一日のいわゆる二、一スト終結までこれを徹去しなかつた。このことは、(1)の経緯に照応して、組合の力を誇示して校長を軽侮し、校長の校舎管理権を侵すとともに、当時の赤旗に対する社会の常識上からいつて教員として学校教育の政治的中立性を害し、学校に対する父兄の信頼感を傷け、生徒の正常な学習効果を動揺減退させることによつて学校経営を害したものである。
(3) 昭和二十二年一月頃浅間分会を指導して勤務時間中校長に無断で頻繁に職場会を開き、分会員である同校教員をして授業を放棄し児童を放任し、校長の度々の注意に従わなかつた。
(4) 同じ頃区教組の方針に従い「天下り校長を排撃せよ、天下り校務を拒否せよ」「校長と一般職員と権限を平等にせよ」など同校教員を指導し組合の力による校長無視、校長の権限無力化の風潮をひき起した。
(5) 区教組の右方針に従い区内各学校に組合運動が激化し教員が教育の本務を拒否し、組合活動に没頭する傾向が顕著となつたので、区内の学校長一同は、昭和二十二年一月二十二日校長会議を開いて慎重協議の結果、校長一同組合から脱退を決議し、その旨の声明書を発表したところ、原告はすかさず翌二十二日から職員室内における校長の机を、職員一同に面する職員全体の統率の中心として従来の位置から、窓際にある教頭席の横に移してこれに並べ、その真正面の衝立と背面窓際との二ケ所にわら半紙で「卑怯者去れ」と墨書し、赤インクで傍線を引いたものを一枚宛貼りつけ、その後校長一同が区教組に復帰したときまで、その状態を変えずに放置し、これによつて浅間分会の実質的指導者として組合の力を誇示して校長の権限を無視し、教員間の秩序を破壊し、校内平穏を乱して学校経営を害した。
(6) 同月上旬同校教諭平野清司が東京都から都主催の手工構習会の講師の委嘱を受けてこれを応諾したところ、原告は浅間分会員を率い平野に対し「天下り講習会に出る必要はない」「分会として平野個人の意見で講師を拒否することを希望する」と申入れ、更に職場会を開いて長時間平野を責めてその出席を阻止しようとし、学校経営に干渉した。
(三) 新校長受入れ反対運動(基準(三)の(1)及び(2)に当る)
同月区教組に同年四月から六、三制の新学制が実施されるに伴い、区内の校長の人事異動が予想されるところから、校長公選の主張が起つて、区当局に申入れを行つた際、原告は組合代表の一員として係員に対し、「組合員の総意によつて公選した候補以外の者から任命された校長を拒否する。他区から城東区に赴任する校長は組合で審査した上でなくては認めない。」と主張したが、四月浅間小学校に新校長野々田健三が他区から赴任することとなるや、受入れ反対運動に活躍し、自ら校長の椅子に坐つて教員を指導し、新校長の着任を約一ケ月にわたつて遅延させ、服務規律に違反し学校経営を害した。
(四) 校内居住による学校管理上の障碍(基準(三)の(2)に当る)
昭和二十三年五月頃から昭和二十四年七月までの間、校内宿直室の隣室に居住し、深夜早朝の出入、夜間多数同志の出入等のため宿直に甚しい迷惑を及ぼし、学校管理の民主的運営に協力を欠いた。
(五) 共産党公認候補の選挙運動(基準(三)の(3)に当る)
昭和二十二年四月都議会議員選挙に際し、共産党公認候補関研二の出納責任者となつて約一ケ月にわたり校長の許可なく本務を放棄して選挙事務に専従し、その間学区内に自己の氏名を記載した選挙演説会のポスターを掲げ、教員の身分を利用して、一党一派に偏した政治活動を行い、児童に対する学校教育に支障を生ぜしめた。
昭和二十一年十一月一日発せられ文部次官通牒同文のまま同月二十六日附東京都次長から国民学校長、中等学校長等に宛てた通牒によると、「学校内ニ於ケル教職員及学生生徒ノ政談演説若クハ特定政党、特定者ノ支持乃至推薦行為等(文書ニ依ルモノヲ含ム)、厳に之ヲ禁止スルコト」とある。この趣旨はその後昭和二十二年三月三十一日制定の教育基本法第八条第二項に「法律に定める学校は、特定の政党を支持し又はこれに反対するための政治的教育その他政治活動をしてはならない」と明定されたが、右各通牒及び法条にいう「学校」とは校舎、校庭等学校の施設に限るものではなく広く「当該学校の教育活動」の範囲をすべて包含指称しているのである。従つて「学区内」の活動も生徒の学校教育に影響を及ぼす場合にはこれを「学校内」の政治活動というを妨げないから学区内に自己の氏名を記載した選挙演説会のポスターを掲げたのは東京都次長の通達に反する。
第三官吏分限令第十一条第四号
昭和二十四年一月十二日教育公務員特例法(同年法律第一号)が公布施行され、同法により教員は地方公務員とせられ、任免、分限、懲戒、服務及び研修に関しては同法の定めるところによることとなつたのであるが、同法施行令第九条は教育公務員には官吏分限令を準用する旨を定めた。同法附則第二十三条第二項に、同法中の規定が国家公務員法の規定に矛盾ていしよくすると認められるに至つた場合は、国家公務員法の規定が優先する旨定められ、また国家公務員法に休職処分の事由の規定があり官吏分限令第十一条の規定がこれに矛盾ていしよくすることは原告主張の通りであるが、右附則第二十三条第二項は将来において矛盾ていしよくすると認められるに至つた場合を規定するものであつて、制定当時において既に官吏分限令の準用の規定が休職処分事由に関する限り国家公務員法の休職処分事由の規定に矛盾ていしよくするものとして排除せられることを承認したものではない。よつて本件休職処分が官吏分限令第十一条は基いて行われたことは適法である。
被告の答弁に対する原告らの認否及び主張
第一原告篠塚敏夫
一、処分説明書に処分事由として明記され且つ審査の裁決書に処分事由として認められた以外の事由は、行政訴訟において新たに主張することはできない。
(1) 教育公務員特例法第十五条第三項(本件休職処分当時従つて昭和二十六年改正前)は国家公務員法第八十九条から第九十二条第二項までの規定を準用し、処分権者の被処分者に対する処分説明書の交付義務及び審査請求の制度を定めているのであるが、これは教育公務員が争議権を奪われていることの代償として、でき得る限りその身分を保障しようとする法の精神に発するものであるから、処分説明書には処分の事由が残らず記載されるべきであり、説明書に記載されない事由は、爾後の審査や行政訴訟においては、もはや適法に主張することも審判の対象とすることもできないものと解するのでなければ、処分権者に説明書の交付義務を負わせた法意に反することになる。
原告篠塚に対する処分説明書は本訴における被告主張の休職処分事由の中、「区役所に対する校舎補修交渉」と「駐在所に対する共産党細胞掲示板に関する抗議」との二事由を具体的に掲げているだけであつて、その余の事由については具体的記載がない。従つて右二事由以外については、本訴において被告の適法な主張なきに帰する。
(2) 右「区役所に対する校舎補修交渉」についても、本訴において被告の主張している事実は処分説明書に記載された事実と内容を異にし同一性がない。すなわち、処分説明書には「同僚と謀つて生徒自治会の決議による区長宛の歎願を要求に改め、期日を定めて回答を求めしめ」たこと、「自治会の決議に違反して生徒指導をした」ことが理由となつているに拘らず、本訴における被告の主張は、職員会議の決議と校長の命令に違反したこと、しかも生徒をしてさせたのではなく自ら違反を行つたものとしているのであるから、結局処分説明書に記載のない事由を本訴において主張するわけであり、従つてこの事由もまた結局本訴において適法の主張なきに帰する。
(3) 被告主張の原告篠塚に対する休職処分事由中、「昭和二十三年秋頃共産党に入党して以来勤務時間中しばしば学校内で地区細胞員と連絡し」との点は、被告自ら審査の結果、「処分事由の一つとして取上げることはできない」と判定したのである。然るに原告が本件行政訴訟を提起したからといつて、これを処分事由の一つとして取上げて主張することは不当であつて、このような主張はもはやゆるされず、従つて本件においてこれ主張は審判の対象となるに由ないものである。
二、各処分事由
(一) 区役所に対する校舎補修交渉
昭和二十二年赤塚二中では教室に天井が張られないまま十一月になつたので、生徒自治会が代表を出して区長に交渉することを決議したこと、原告篠塚が生徒代表を引率して区役所に赴き区長に面会を求め、区長が応待を村田助役に委せて所用外出したあと、同助役に面談し、補修につき期日を定めて回答ありたいと要求したことは認めるが、その余の事実は否認する。自治会の決議内容は「歎願」ではなく、「中等教育係、区長、社会教育課、営繕係の四か所へ行く。交渉の仕方は委員に一任するが、いつまでに天井を張るという証文をとつて来る。」というのであつて「区長への要求」である。
(二) 駐在所に対する共産党細胞掲示板に関する抗議
被告主張のような経緯で、その主張の時刻に斉藤教諭と共に下赤塚北巡査駐在所に赴き古川巡査に抗議したことは認めるが、昼休みが勤務時間であること、原告が古川巡査に対し被告主張のようなことを言つたこと、右行為が教員の身分を利用し学校を拠点とした政治活動であること、教育に支障を与え学校の信用を害したことはすべて否認する。土地所有主の和田長左衛門は赤塚細胞に対し「警察が来たから掲示板を撤去してほしい」といつたのを、細胞から伝聞した原告が、古川巡査が和田に撤去を命じたもののように誤解して同巡査に抗議したのであるが、たまたまその場に来合わせた和田の釈明によつて、同巡査が和田に細胞に土地を貸したのかときいたことはあるが、掲示板撤去を命じたことはないことが判明し、誤解がとけたので、卒直に抗議を取消して帰つたのである。このような実情であるから政治活動というほどのことではないし、仮りに政治活動であるとしても、被告の主張のように教員と身分を利用したり学校を拠点とした政治活動というのはおかしい。原告は教員であると同時に公民であつて、公民として政治活動の自由を享有しているものであり、前記抗議の如きは公民としての政治活動に属する事柄であつて原告の自由である。教員が政治活動を禁止されるのは、当該教員によつて行われる具体的政治活動が学校自体の教育活動としての意味をもつ場合に限られるべきであることは、教育基本法第八条第二項の規定が、学校が主体となつて政治活動をすることを禁止しその政治的中立性を確保している精神から認められるところである。本件休職処分当時には地方公務員たる教員については政治活動を制限する法規は他に存在せず、本件整理基準要綱(三)の(3)にいう「教員の身分を利用し又は学校を拠点として政治活動をする」とは当該教員の教育活動が学校自体の政治活動としての意味をもつ場合のみを意味するのでなくてはならない。右基準要綱(三)の(3)にいう「教育上支障あるもの」というのも、学校の政治的中立性を害するとき、の意味に解すべきである。基準要綱が教員の政治活動の自由に触れる以上は、憲法第十四条、第二十一条に照らし教育基本法第八条第二頃の規定の具体化以上に出てはならない筈だからである。
なお被告は原告の前記抗議が勤務時間中に行われたから「教育上支障がある」と主張するのであるが、昼休みは労働基準法第三十四条にいう休憩時間であつて勤務時間ではない。昼休み中の生徒に対する監護は当番制によつて分担し、当番以外の教員は休息するのであつて、当日原告は当審ではなかつたのである。
(三) 学校を拠点とし又は教員の身分を利用した政治活動で教育上支障ある行為
(1) 勤務時間中学校内での地区細胞との連絡
否認する。仮りに右事実があるとしても、生徒の教育上何らの支障もなく、結局被告主張の基準には該当しない。
(2) 神山茂夫生活相談所宣伝隊への小使室提供
否認する。原告は全然関係していない。仮りにこのような事実があるとしても原告の政治活動というのは無理であり、政治活動であるとしても、教員として学校教育活動としてなしたものでもなければ、生徒に対してなしたものでもないから、「学校を拠点として又は教員の身分を利用してなした政治活動で教育上支障がある」とはいえない。
(3) 秋本与平宅での共産党入党挨拶
家庭訪問のため同人宅へ赴いたとの点を除きその余の事実は認める。はじめから共産党入党あいさつの目的で個人的に訪問したものである。共産党の宣伝を目的としたものではないので政治活動ではないが、仮りに政治活動であるとしても、個人的な政治活動であり、家庭訪問という学校の教育活動がそのまま政治活動となつたのではないから、教員の身分を利用したものではない。また担任生徒に対してなしたのではなく父兄に対する行為であるから、教育上支障あるものともいえない。従つて基準には該当しない。
(4) 共産党入党挨拶状に校印無断使用
認める。然し被告主張のゴム印判は巷間よく行われているように、住所を手書する代りに利用したに過ぎず、これを以て教員の身分を利用し又は学校を拠点としたものとすることは全く実際に反する主張である。教育上も何の支障も生ずるものではない。
(5) 職員室内の「アカハタ」掲出
被告主張の職員会議にアカハタを取ることを提案して否決されたが、個人的に取るならよいということになつたので、自費で取つて教員の親睦団体である親和会の新聞掛にかけていたこと、校長から注意されて自分の机の上に取りはずして置いたことは認めるが、その余の事実は否認する。同僚教員に読ませるために購入したのであつて政治活動ではない。仮りに政治活動だとしても、生徒に対する活動ではなく教育上支障あるものとはいえない。
(6) 「赤塚二中に首切り」ビラの配布
認めるが、原告が教師として自ら児童の前に姿を現わしてビラを配布することの特異な影響力を考慮して、他の細胞員をして配布させたのであつて、原告としては極めて適切な措置をとつたのであり、責任を問われるような政治活動をしたことにはならない。
(四) 占領政策ひぼう
(1) 授業時間中の反米説話 否認する。
(2) 地区P・T・A会席上の反米説話 否認する。
(五) 職員会議の決議無視及び校長の命令無視
(1) 少年協議会参加
被告の主張の職員会議で少年協議会参加の件が討議されて不参加と決つたこと、原告が生徒数名を個人の資格で協議会に連れて行つたことは認めるが、職員会議での決定の趣旨は、学校代表として参加させることはしない、というのであつたのであるし、また単に傍聴につれて行つたので参加させたのでもないから、決議の趣旨に反しない。
(2) 区数学研究会に不出席
被告主張の区数学研究会に出席しなかつたこともあることは認めるが、校長から研究員として委嘱指令されていたことは否認する。出欠は全く参加者の自由であり、校長の指示できることではない。
第二、原告中野清秀
(一) 学校を拠点とし又は教員の身分を利用した政治活動で教育上支障ある行為及び占領政策ひぼう
(1) 人民民主主義教育方針の主張
被告主張の職員会議の席上、原告が教育上の意見を発表したことは認めるが、その意見が被告の要約して主張するような趣旨、内容であることは否認する。原告の意見は「教育計画は常に生徒の全面的な発達を助長するために、思索的且つ系統的な知識をみたしてやることに組織され集中されねばならない」という真面目な教育論であるのに、被告はほしいままに要約して教育基本法に反するといい、占領政策をひぼうして政令第三百二十五号の趣旨に反するとするのであり、また学校を拠点として教員の身分を利用した政治活動であると主張するのである。
(2) 校長に対する政治教育実施の言明
原告が被告主張日時校長と教育に関し話合つたことは認めるが、被告主張のような言明をしたことはない。被告主張の頃校長に対し被告主張のような苦情があつたことは知らない。
(3) 共産党支持の教育実施
否認する。
(二) 学校経営に非協力で長期にわたる校内紛争を起し学校経営及び教育に支障を生ぜしめたこと
(1) 職員会議における「校長は反動である」の発言
被告主張の職員会議で、校長が区長からの要望を伝えて被告主張の通り述べたことは争わないが、その余の事実は否認する。
(2) 組合総会における不当発言
被告主張の荒教組総会の席上、原告が発言を求め、被告主張のような発言をしたことは認めるが、「校長の副執行委員長の要職を解くべきである」旨提案したことは否認する。そもそもこのような組合運動上の言動を学校経営に非協力であるとして処分の事由とすることは不当である。六中の教員が原告を非難し教務部会を開いたことは知らないが、六中における爾後の紛争は原告の右発言に悪感情を懐いた校長、校務主任その他教務部教員らが進んで惹き起したものである。
(3) 転任協定
被告主張の頃校長から原告に対し転任の話があつたが、原告は組合の決定によるのでなければ従わないと答えたこと、九月から十月にかけて荒教組と校長との間に交渉が行われ、組合が原告は自発的に転任すべきことを決定したことは争わないが、その余の事実は否認する。原告はあくまで組合を尊重しその決定によつて行動をしようとしたまでのことであるのに、あたかも原告がことさらに校内紛争の種子をまき学校経営に非協力であつたとするのは、組合対校長の問題を原告個人の責任に帰せしめるものであつて不当である。
(4) 朝礼における不当発言
被告主張の日時六中の芸能会で原告の指導した演劇「ポケツトのない服」が上演され閉会後校長の講評があつたこと、被告主張の朝礼のとき校長の訓話のあと原告が壇上に立つて生徒に向い校長の講評する意見として「ポケツトのない服は校長の許可を得てあつたものであり、非難を受けるべき内容のものではない」旨説明したことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は芸能会プログラムの作成、進行指導に当つたので、その係の教員としての立場で登壇したのであり、その話の内容も、係の立場から全体的な話をするためであり、その一部に校長の講評に対する意見が含まれていたに過ぎない。原告がこのような意見を述べる言動に出たのは、校長が前年以来の原告に対する悪感情に基いて陰険な講評をしたため、係の教員として正当な説明を加えたのである。このような無視することのできない実情を無視した処分はとうてい正当な処分とはいえない。
(5) 転任協定違反及び共産党荒川地区委員会の介入利用
被告主張の日時校長から転出の催促があつたが、原告は当時まだ転出先もきまつていなかつたので「自発的でなければ転出しない」と答えたことは認めるが、「共産党の面目にかけても斗争する」といつたことは否認する。四月の新学期になつてから、校長は原告に級担任も学科も持たせなかつたのであるが、これは原告に対し転任を強要する態度に外ならない。四月十日頃共産党荒川地区委員会委員長池田進らが校長に原告の転出取止めを申入れたことは知らない。同月十八日朝礼に校長が生徒に対し被告主張のような内容の訓話をしたこと、同日六中教員が被告主張のような原告に対する転出要望書を、またP・T・A有志一同が被告主張のような転出勧告書をそれぞれ原告に交付したこと、さらに同月二十日教員一同の名を以て被告主張のような声明書が父兄宛発送されたことは争わないが、これらの事実は校長がP・T・A役員まで動員して原告を圧迫したものであり、学校卒業後二年にも満たない教諭である原告に対し、このように手段を選ばない転任強要をしたことが事態を紛糾させたのである。被告主張の日時場所にその主張のような内容のビラが貼付されたことは争わないが、原告が共産党荒川地区委員会と連絡し反抗斗争の威勢を張つたためであることは否認する。校長がP・T・A役員や六中教務部教員らと協議して原告の転出を取止めることを決したこと並びにその経緯は知らない。校長が池田進と荒川区立第一中学校で会談し、被告主張のような協定書ができた経緯と顛末とについて争わないが校長が右協定書に調印したのは、校長に原告の転任強要に無理があつた結果であり、校長として事態収拾のため最善の方法として区当局とも協議決定した方針に従つて原告の転任取止めを実現しようとして共産党地区委員会との間に協定を結んだのであつて、校長と地区委員会との間の問題であり、原告の責任に帰すべき筋合ではない。しかも被告主張のように校長及び六中教員一同は右協定に基き父兄宛声明書を発表したのであつて、このように公的に声明して円満解決した事柄を、社会情勢の変化に便乗し昭和二十五年二月に至つてむし返えして処分の事由とするのは政治的動機によるものであつて不当である。
第三、原告堀切路夫
(一) 担任事務の放棄
被告主張の事実は認めるが、当時労働組合には正式の専従者制度が確立されておらず、組合三役あたりが組合事務に事実上専従することは、一般的な慣行であつた。当時のこの実情を無視して学校経営に非協力、或いは服務規律その他法令の趣旨に違反するとして処分理由とすることは不当である。具体的にいかなる規律や法令に違反するのかも明かでない。
(二) 組合の圧力による校長圧迫と学校経営干渉
被告主張の冐頭事実中、区教組本部が浅間小学校の職員室の隣室にあつたこと、当時原告が校内宿直室隣室に宿泊居住していたことは認めるが、その余の事実は否認する。当時浅間分会の委員長は同校校務主任石毛一であつて、原告は分会役員でなかつたのであり、被告主張の如く分会の活動自体が原告個人の責任であるとすることは組合活動の実体に反した主張である。
(1) 都教組大会への赤旗携行
被告主張事実は認めるが、組合大会に組合が参加するにつき赤旗を携行するかどうかは組合の行動であつて学校としての行動ではない。しかもその「赤旗」は組合旗であつて、日本の労働組合の旗がほとんど赤旗であることは公知の事実であり、原告もそのことを校長に説明しているのに、校長が赤旗は共産党の旗印であるという独断に立つて携行に反対したのである。このような校長の反対は「指揮監督者の正当な命令」とはいえず、原告が右意見に従わなかつたからといつて基準(三)の(1)には該当しない。
(2) 赤旗吊下げ
区教組の組合旗として使用していた赤旗を二・一スト終結まで組合本部室前廊下に吊下げていたことは認めるが、その余の事実は否認する。当時都教組はスト準備指令に基き斗争中であつて、斗争中の労働組合が組合旗ないし赤旗を掲揚することは日常例外なく見られるところである。しかも学校管理者たる校長からその撤去の要求はもちろん勧告すらされたことはなかつたのである。
(3) 職場会開催による授業放棄
被告主張事実は不知。当時浅間分会における斗争委員長は校務主任石毛一であり、原告は分会役員をしていなかつたのであるから、分会職場会開催につき何ら責任を負うべき筋合でもない。
(4) 校長無視の風潮惹起
否認する。仮りにこのような風潮があつたとしても、昭和二十一年十二月五日都教組のスト準備指令は「校長の監督権拒否」「斗争の運営に支障を来す一切の排除」等を指令しており、城東区教組及び浅間分会も右指令に従つて行動したに過ぎない。この実情を無視して原告個人の行動であるとするところに本件処分の不当性の根源が存する。
(5) 校長無視の具体的行動
校長が区教組からの脱退声明を発したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。原告の全く関知しないことである。
(6) 平野教諭の都主催講習会出席妨害
原告が平野教諭に対し天下り講習会に出席しないようにと述べたことは認めるが、原告が浅間分会を率いて、同教諭に対し被告主張のような働きかけを行つたことは否認する。原告は前述の都教組の指令「斗争の運営に支障を来す一切を排除する」という一項に従い、区教組の副執行委員長たる立場上、当然のことを伝えたに過ぎず、正当な組合活動であつて、処分の事由とすることは不当である。
(三) 新校長受入れ反対運動
区教組が区当局に校長公選問題について申入れを行い、原告が組合代表として被告主張のような発言をしたことは認めるがその余の事実はすべて否認する。組合は昭和二十二年三月から人事の民主化、校長の公選をスローガンとしていた。すなわち校長公選運動は組合の意思によつて校長を推せんしようとする正当な組合活動である。
(四) 校内居住による学校管理上の障碍
被告主張の期間その主張の室に居住していたことは認めるが、その余は否認する。仮りに被告主張のような事実があつたとしても、校長は原告に対しそのことにつき注意し或いは原告の退去を求めるべきであるのに、そのことなくして処分の事由とするのは不当である。
(五) 共産党公認候補の選挙責任者としての政治活動
被告主張の選挙に共産党公認候補関研二の出納責任者として選挙事務に専従したこと、その間学区内に自已の氏名を記載した選挙演説会のポスターを掲出したこと原告ら主張のとおりの各通牒が存在することは認めるが、その余の事実は否認する。教員は学校内で選挙運動をすることは、かりに禁じられていたとしても、学校内でなければ、学区内であつても、これを禁じられていたものでなく関研二は当時の都教組の副委員長であり、その推せん候補であつて、原告は教育費国庫負担、六三制完全実施等のスローガンの下に活溌な選挙戦を行う組合の方針に従い、同候補のため選挙活動に専従したものであり、一党一派という観点からではない。また原告は当時既に組合の専従活動を認められており、従つて教員しての本務を放棄して教育上支障あるものと非難される理由はない。
原告篠塚敏夫の一の主張に対する被告の反論
教育公務員特例法第十五条によつて準用される国家公務員法第九十一条によれば、任命権者が被処分者から適法な審査の請求を受けたときは、その事案を調査しなければならないのであり、処分を行つた者も処分を受けた者も当該事案に関するあらゆる適切な事実及び資料を提出することができるのであつて、審査の対象は処分説明書に記載された「処分の事由」に限らず、事案そのものであり、当該事案に関し提出されたあらゆる適切な事実及び資料である。従つて裁判もこれら一切の事実及び資料に基き事案そのものについて為されるべきであり、処分説明書記載の「処分の事由」に限られるわけではない。審査を前駆的手続とする行政訴訟においても同様に被告たる行政庁は処分の適法有効を明かにするため、処分説明書記載の事由や審査の裁決に認定され承認された理由はもちろんのこと、一切の処分事由を挙げて主張することができるのであり、たとえ裁決書においては理由がないとして却けられた事由であつてもこれを裁判所の審判に資するため主張することを妨げない。何となれば訴の対象は行政処分についての事案であつて、処分説明書記載の処分の事由や裁決書記載の理由そのものではないからである。
立証<省略>
三、理 由
第一処分に至る経過
被告が教育委員会法に基き東京都に設置された行政庁であつて、都内所管学校の校長及び教員についての人事に関する権限を有すものであり、原告篠塚敏夫は板橋区立赤塚第二中学校、中野清秀は荒川区立第六中学校、堀切路夫は江東区立浅間小学校に教諭として勤務していたこと、被告が東京都教職員組合等の活ぱつな反対運動を押切つて昭和二十五年一月二十五日別紙記載の通りの「刷新基準要綱」を審議成立させ、二月十三日原告らを含む二百四十六名の教職員に対し右基準に該当するものとして、同月十五日までに辞職すること、応じなければ同日附で休職処分に付する旨の一斉勧告を行い、原告らが応じなかつたところ、被告は二月十五日附で、原告らがいずれも右基準に該当するとの理由で、それぞれ教育公務員法施行令第九条により官吏分限令第十一条第四号「官庁事務の都合に依り必要あるとき」の規定を準用し、原告らを休職処分に付したこと、原告らはこれを不当として、それぞれ被告に対し審査を請求したところ、原告らの申請を却下する裁決のあつたことは、当事者間に争がない。
第二「刷新基準要綱」は休職処分の基準たり得るか。
一 原告らは「本件基準要綱は余りにも抽象的に過ぎ、被告の一方的解釈によつて、自由に該当者を定めることができるものであつて、被告の政治的動機によつて、右基準が乱用されるおそれがあるから不当である」と主張する。しかし、多くの具体的事案にあてはめるためには、基準が或程度抽象的であることは当然であり、しかも本件の基準は単に「教員としての不適格者」というような処分権者の広い自由裁量に委せたものではなく、或程度の具体性を有し、その自由裁量を制約するに足る客観的要件を具えている。またこれら基準に該当する以上は、その該当者が教員としての適格を欠くものとして休職処分に付せられても規範的に見て条理に反しないから、この基準を不当とする原告らの主張は正当ではない。
二 基準(三)の(3)が別紙記載の通り「学校を拠点とし又は教員の身分を利用して一党一派に偏した政治活動をする傾向が強く教育上支障あるもの」であることは当事者間に争がない。原告篠塚は右基準は教育基本法第八条第二項の規定の精神に反しない場合に限り基準となり得るものとし、「同規定は学校が主体となつて政治活動をすることを禁止し、学校教育の政治的中立性を確保する法意であるから、右基準は教員の教育活動が学校自体の政治活動としての意味をもち、学校教育の政治的中立性を害する場合に限定して解釈すべきである、この基準は特に政治的動機により乱用して教員の政治活動の自由を奪う危険が大きいから、右教育基本法の法規を具体化した基準と解することによつてのみ憲法違反を免れ得るものである、」と主張する。(被告の答弁に対する原告らの認否及び主張中、原告篠塚の処分事由の(二))
同原告の主張するように、教育基本法第八条第二項の法意が学校教育の政治的中立性を確保するにあること、基準(三)の(3)が右規定の法意に根拠を置くこと、また右の第八条第二項が教員の一公民としての政治活動を禁ずる趣旨でないことはいうまでもない。然しながら、学校自体の教育活動としてなした場合でなく、教員個人としてなした教育活動であつても、その政治性のため政治活動となる場合、また教員個人が教員としての教育活動をはなれて一公民として政治活動をした場合でも、教員の身分を利用し又は学校を拠点としてなされた結果、おのずから教育上に影響を及ぼし教育上の支障となる場合においても、当該教員の行為を通じて学校教育の政治的中立性が害せられることに変りはないのであるから、これら一切の場合が教育基本法第八条第二項の法意に従い基準(三)の(3)に含まれるものと解するのが相当である。
第三本件休職処分は官吏分限令第十一条によるべきか。
原告らは東京都の吏員であつたが昭和二十四年法律第一号教育公務員特例法の制定により、身分上地方公務員となり、(第三条)任免、分限、懲戒、服務及び研修に関しては同法の定めるところによる(第一条)こととなつたのであるが、同法施行令第九条第一項には「公立学校の教育公務員の任用、分限、懲戒及びその他身分上の事項については、法及び令に別段の定のあるもののほか、当該都道府県の吏員の例による」と定められ、地方自治法附則第五条第一項には「この法律又は他の法律に特別の定があるものを除く外、都道府県の吏員に関しては、別に普通地方公共団体の職員に関して規定する法律が定められるまで従前の都道府県の官吏、又は待遇官吏に関する各相当規定を準用する。」と定められているので、原告らは地方公務員法が制定されるまでは都の吏員の例により従前の官吏分限令の準用を受けたわけである。原告は教育公務員特例法附則第二十三条第二項に「この法律の規定が、国家公務員法又は地方公務員法の規定に矛盾し、又はてい触すると認められるに至つた場合は、国家公務員法又は地方公務員法の規定が優先する」とあるのを引いて、官吏分限令第十一条第四号は国家公務員法第七十九条(本人の意に反する場合の休職の事由)に矛盾ていしよくするが故に、国家公務員法を優先適用すべきであるというが、右附則の規定は、その文言に照らし、将来法の改正などの結果矛盾ていしよくするに至つた場合に備えた規定であつて、右特例法は、その制定当時すでに国家公務員法の右の規定が存在していたにかゝわらず、国家公務員法の特別規定として制定せられたものと見るべきであるから、特例法を適用すべく、公務員法の右の規定を適用すべきではない。したがつて昭和二十五年二月十五日原告らに対し被告が休職処分を行うに当つて前記施行令第九条の定めにより官吏分限令の規定を準用し、その第十一条第四号によつたことは正当である。
第四「処分説明書に処分事由として明記され且つ審査の裁決書に処分事由として認められた以外の事由は、行政訴訟において主張できない」との原告篠塚の主張について。
一 本件休職処分当時において原告らが教育公務員特例法第十五条第三項によつて国家公務員法第八十九条から第九十二条第二項までの規定の準用を受けた結果、被告は右第八十九条の規定により、原告らに対し、処分事由を記載した説明書を交付する義務を負い、第九十条の規定によつて、処分を受けた職員は、処分説明書を受領した後三十日以内に教育委員会に、その審査を請求することができる。これによつてみれば、処分した者は処分せられた職員に対し説明書に処分事由を記載して交付し、できるだけ処分事由を明かにする義務を負うものといわねばならない。しかし処分説明書に記載した事項でなければ審査請求ができない旨の制限規定はなく、むしろ第九十一条第三、四項は、処分を行つた者又はその代理人及び処分を受けた職員は、あらゆる適切な事実及び資料を提出することができ、右以外の者は、当該事案に関し、あらゆる事実及び資料を提出することができるとしている点からみても、処分説明書に記載のない事項についても、互に主張することを許し、あらゆる点から処分の有効無効を争い得るものと解さねばならない。また行政訴訟は行政処分の違法を争うて救済を求めるものであるから、被告たる処分庁は存在する処分事由を挙げて主張し得べく、審査の裁判書にあらわれた処分事由が主張されることはもとより、処分説明書記載の事由に限定されるものではない。
二 また行政訴訟において処分庁は処分事由として審査の裁決書において認められなかつた事由をも主張し得る。行政訴訟の対象は行政処分そのものであつて、処分説明書や裁決書記載の処分事由ではないから、処分庁は被告として行政処分の適法有効の根拠となる処分事由の一切を挙げて主張し裁判所の審判に資するを妨げられない。裁決庁が理由なしとして却けた事由であつても、処分庁として裁決にかかわりのない裁判所の判断を求めることは自由だからである。
よつてこの点についての原告らの主張は採用することができない。
第五原告らの各処分事由についての判断
一 原告篠塚敏夫
(一) 区役所に対する校舎補修交渉
原告の勤務していた板橋区立赤塚二中では開校早々で天井のない教室があり補修を板橋区役所に交渉中に昭和二十二年十一月になり冬が近くなつたため、生徒自治会で代表を出して区長に交渉することを決議し、原告が生徒代表を引率して区長に面会を求め、区長が応接を村田助役に委せて所用外出をしたあと、同助役に対し補修につき期日を定めて回答を要求したことは、当事者間に争がない。
被告は、校長が引率者は生徒の陳情がデモになつたり区長への直接交渉になつたりしないようにとの注意をし教育課を通じて陳情することを命じたに拘らず、原告がこれを無視し、直接区長に面会を求め、また助役に対し激越暴慢な言動で強談したとして、基準(三)の(1)にいう「指揮監督者の正当な命令を守らないもの」に当るものと主張する。
成立に争のない甲イ第一号証に証人渡辺甲子男、川上栄一の各証言及び原告篠塚に対する本人尋問の結果を総合すれば、自治会の決議内容の要旨は「中等教育係、区長、社会教育課、営繕係の四ケ所へ行く。交渉の仕方は委員に一任するが、いつまでは張るという証文をとつて来る」というにあり、原告がこれを職員会議に報告し、席上校長から「生徒の純真な願であれば差支えない。多人数の要求デモによつて補修させたという印象を生徒に与えないように」との注意があつて、会議はこれを承認し、原告が附添つて生徒指導に当ることに決定した。十月二十一日朝原告は校長から改めて生徒の人数を制限し且つ区役所では教育課を通じて陳情するよう指示を受けたことを認めることができる。証人川上栄一の証言及び原告本人の供述中右認定に反する部分は措信しない。
次に証人村田哲雄、里見政司、川上栄一の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告、里見政司(同行した都立農芸高校赤塚分校の教員、同校は赤塚二中と校舎を共同使用していた)、川上栄一らの附添教員が先づ教育課に陳情趣旨を伝えた上、さらに生徒らを伴つて区長に面会を求め、区長に対し「区長さんへのお願」なる陳情書を差出し、区長が「補修のことは校長に話してある。授業時間を割いてまで来なくてもよい」といつて所用外出したあと、代つて面会した助役村田哲雄が生徒から補修の時期を質問され、日取りなど未確定であつたところから、「区長と相談し一週間内に校長に返事する」と答え、即座に日時の確約を避けたところ、原告は憤激して「生徒が折角来たのではないか、どうして早く補修しないのか。」と難詰したことを認めることができる。当時寒さに向い天井のない教室で日常教育を受けていた生徒の陳情であつて、陳情自体は許されたことであることを思えば、純情を表明しようとして区長に面会を求めたこと自体は取りあぐべきことでないばかりでなく、教室で日常生徒の教育に当つていた原告としては、村田助役の返答に歯がゆく感じたことも推認するに難くはないから、このことを深くとがめるのは当らない、ただ生徒の陳情を指導する教員として原告の指導全体は、生徒の純真な願を顕わすことを本旨として斗争的要求に陥らないこと、区長への直接陳情を避けることを配慮した校長の指示の趣旨を逸脱し、引率の生徒たちに対し心理的には、生徒ら自ら区長や助役に対し集団的に補修を激しく要求したと同様の影響を与えるおそれがあつたものといえる。
(二) 駐在所に対する共産党細胞掲示板に関する抗議
板橋区志村警察署下赤塚北巡査駐在所管内、被告主張地番上に共産党赤塚細胞の掲示板が建てられていたのを、地主の和田長左衛門が赤塚細胞に撤去を求めたこと、原告がこのことを細胞から聞き右駐在所勤務巡査古川金造の干渉によるものと誤解し(事実は和田の自由意思で撤去要求したもので同巡査の干渉はなかつた)、昭和二十四年一月二十五日午後零時半頃昼休み中、同僚の斉藤教諭とともに右駐在所に赴き、約三十分間同巡査に対し掲示板撤去に抗議をしたことは、当事者間に争がない。
被告は右の行為をもつて、基準(三)の(3)「学校を拠点として又は教員の身分を利用して一党一派に偏した政治活動をする傾向が強く教育上支障あるもの」及び基準(二)の(3)「教員として信用、品位を失い、成績をあげることのできないもの」に当ると主張する。しかし原告の右の行為は、教員としての教育活動でなく公民個人としての政治活動であること明かであり、特に「学校を拠点として、又は教員の身分を利用して」なしたものとは認め難く、またこの事実だけで、「教員としての信用、品位を失い、成績をあげることができないもの」ともいゝ難く、被告の立証をもつてしてもこのような事実を認めることができない。
したがつてこの事実を目して基準(三)の(3)又は(二)の(3)に当るとする被告の主張は採用することはできない。
(三) 学校を拠点とし又は教員の身分を利用した政治活動で教育上支障ある行為
(1) 勤務時間中学校内での地区細胞との連絡
証人榎本一郎の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二十二年赤塚二中に勤務するようになつてから昭和二十五年二月休職処分に至るまで勤務時間中であると否とを問わず屡々校舎内廊下、小使室、職員室等で共産党地区細胞と話合つたり連絡などをしたことを認めることができる。
(2) 神山茂夫生活相談所宣伝隊への小使室提供
証人渡辺甲子男、高井修、山口清子、岡野ための各証言によれば、昭和二十三年十月頃共産党員神山茂夫の主催する生活相談所の宣伝隊員約十名が宣伝用プラカードを所持して小使室に入り込み、原告及び同僚の斎藤教諭の世話で、校用の鍋、かまど、薪炭を使いビラ貼り用の糊を作り、校用のバケツに容れて校外に持出し、或いは室内で昼食をするなどの行為があつたことが認められる。もつとも原告が宣伝隊の宣伝活動を援けるため積極的に導き入れて小使室を利用させたものと認めるに足る証拠はないが、右の世話をしたことは事実であつて、宣伝隊の右の行動には関知しないとの原告本人の供述は措信しない。
(3) 秋本与平宅での共産党入党挨拶
同年十一月頃原告が担任生徒の父兄である秋本与平を訪問し、同人に対し共産党入党の挨拶をして、「生徒の学力は甚しく低下しているが、これは赤塚二中だけの問題ではなく現政府の教育政策の貧困によるものであつて、これを改善するには共産党の教育政策による外ないと考え、今度自分は共産党に入党した」と述べたことは、当事者間に争がない。
(4) 共産党入党挨拶状に校印無断使用
昭和二十四年一月衆議院議員選挙の直前、共産党入党の挨拶状(活版印刷物)に校長保管の「東京都板橋区立赤塚第二中学校」というゴム印を無断で押捺し学区内に配布したことは当事者間に争がない。
(5) 職員室内の「アカハタ」掲出
昭和二十三年十一月十九日の職員会議で「アカハタ」購読を提案して否決されたところ、個人で購入して職員室内の新聞掛にとぢて掲げ、昭和二十四年五月頃校長の注意によつて新聞掛から取外し職員室内自分の机の上に置いたことは当事者間に争がない。証人渡辺甲子男、宮本四郎、川上栄一の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は板橋区教職員組合の方針に従い「アカハタ」購入を提案したのであるが、校長も反対し職員会議でも否定したに拘らず、あくまで職員室内に掲げたものであり、校長の注意に耳をかさずして約半年に及び、都主事宮本四郎が視察に来校してこれを校長に注意したため、校長から原告に厳重注意してはじめて新聞掛から取外したのであるが、以後一、二ケ月にわたり同僚に閲続させる目的で自己の机の上に放置したことが認められる。
(6) 「赤塚二中に首切り」ビラの配布
昭和二十四年十一月上旬頃赤塚二中の校門附近(校門は三箇所ある)で、放課時刻を狙つて同校生徒に対し共産党赤塚細胞らが同細胞名義「赤塚二中に首切り」と題するビラを配布したこと、同ビラの内容は同年十月から新聞紙上に報道されるようになつた教員の刷新問題に対し刷新反対を唱えるものであつたこと、原告が細胞をして配布されたことは当事者間に争がない。成立に争のない乙い第二十五号証によれば、右ビラには、原告や斎藤教諭が共産党員故に追放されようとしているとして、「共産党員の教員なくしては正論をする教員がなくなり日本の教育は植民地教育となるから、不当首切りに反対し日本の教育を守るために下からの抗議運動を起そう」という趣旨が記載されている。
(7) 以上(1)から(6)までに掲げる事柄の一つ一つを取り上げれば、軽微であつて、さして深くとがむべき程でないものもあるが、これを綜合して考えるとき、基準(三)の(3)にいう「学校を拠点として又は教員の身分を利用して一党一派に偏した政治活動をする傾向が強い」ものであることは否み難く、またこのような事実は教育の中立性を破るものであつて、「教育上支障あるもの」に当るということができる。
(四) 占領政策ひぼう
(1) 授業時間中の反米説話
証人渡辺甲子男、榎本一郎の各証言により、昭和二十四年十一月頃から原告が担任の第三学年A組の数学の授業中、「日本はアメリカのため軍事基地化、植民地化されようとしており、失業者が多いが、ソ連には失業者はなく、老病者のためには厚生施設が完備している」という趣旨の説話をしたことが認められる。これに反する原告本人尋問の結果は措信しない。占領下教室において授業中にこのような反米向ソの説話をしたことは、生徒に対する直接の影響力、学校教育の政治的中立性に対する背反の点からいつて、占領目的に違反する行為であつたといわなければならず、基準(三)の(1)にいう「法令を守らないもの」に該当する。なお占領目的違反行為を休職処分の基準とすることは占領下においてはやむを得ないところであつて、本件休職処分は占領下にあつた当時行われたものであるから、右違反行為を理由のひとつとしたことに何ら違法はなく、平和条約発効後だからといつて一旦適法に効力を発生した休職処分が違法となり又はその効力を失うことはない。
(2) 地区P・T・A会における反米説話
証人榎本一郎、高井修の各証言によれば、昭和二十四年八月二十日夏季休暇中、田中愛子方で、また同月二日鳥飼慶太郎方で催された地区P・T・A会の席上、原告は「生徒の学力が低いのは教科書の難しいのを使わせるアメリカの植民政策のあらわれである。学校給食の粉ミルクはアメリカの家畜用だ」などと発言した。これに反する原告本人尋問の結果は措信せず、右認定を覆えすに足る証拠もない。このような発言は不穏当であることは否定できないが、教育について自由に意見を発表交換すべきP・T・A会の席上における発言として、この程度の発言をもつて、占領政策に違反し「法令を守らないもの」ということは適当ではない。
(五) 職員会議の決議無視、校長の命令無視
(1) 少年協議会参加
昭和二十三年二月四日の職員会議に、生徒自治会の委員(生徒)を少年協議会に参加させるかどうかが付議されたが、校長以下大部分の職員がその主催者に疑問をもち共産党活動に関係があるものとの懸念から、教育の政治的中立性を守る建前で不参加と決定したこと、然るに原告は翌日生徒数名を連れ個人の資格で少年協議会に出席させたことは当事者間に争がない。このことは仮りに原告の主張するように、単なる傍聴として連れて行つたのであつたとしても、明らかに決議の趣旨に反し、「学校の教育方針並びに民主的運営に協力を欠くもの」であつて、基準(三)の(2)に該当する。
(2) 区数学研究会に不出席
証人渡辺甲子男の証言と原告本人尋問の結果を総合すると、昭和二十三年板橋区内校長会議によつて区内各校から責任者を出し合つて数学研究会をもつことと決められ、各校の数学教育の実情を知り合い又生徒の学力検定等を行うこととなつた。赤塚二中では校長が原告を責任者と定め原告もこれを引受けた。ところが右会は当初出席が任意であつたため次第に出席者が少くなり振わなくなつたので原告は収穫もないとして同年末頃からは特別の合同行事や学力検定のための外は出席しなくなつたところ、会では研究員の欠席は当該学校の責任とすることになつたので、校長は再三原告に対し出席を促したに拘らず、原告はこれに従わなかつたことを認めることができる。思うにこのような研究員は所属校の代表者たる責任ある立場に立つものであり、相互に研究し出席する義務を負担し合うものと解せられ、特に校長が研修を推進させる方針で出席を督励する場合には、その任を辞退することもせずしてしかもその命に従わないことは基準(三)の(1)にいう「指揮監督者の正当な命令に従わないもの」に当る。
(六) 結論
以上のべたように、原告篠塚は(三)の(1)ないし(6)認定の事実は基準(三)の(3)に該当し、(一)、(四)の(1)、(五)の(2)認定の事実は基準(三)の(1)に該当し、(五)の(1)認定の事実は基準(三)の(2)に該当する。その一つ一つを考えるとき、さまで深くとがめるに当らないと認められるものもないではないが、これらの事実を綜合して考えるとき、同原告の行為は教員としての職務にもとること甚しく、休職処分に付せられてもやむを得ないものであつて、本件休職処分は違法な点はなく、同原告の本訴請求は理由がない。
二 原告中野清秀
(一) 学校を拠点とし又は教員の身分を利用した政治活動で教育に支障ある行為及び占領政策ひぼう
(1) 人民民主主義教育方針の主張
原告中野が昭和二十三年八月三十一日その勤務する荒川区立第六中学校の職員会議の席上、学校教育方針についての意見を述べたことは当事者間に争がない。証人福田道善(第一回)、斉藤市四郎、佐藤清三郎の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、右職員会議には第二学期に備えて学校教育方針及び学校経営方針についての意見を提出すべく夏休み中校長から全教員に求められていたのであつて、原告はこれに応じ教育方針についての私見として、「教育基本法は空文化している。それは日本の民主主義が一部有産階級のもので人民民主主義でないからである。人民の子としての自覚を高め革命的精神を育成せねばならない」という趣旨を述べたことを認めることができる。原告の右意見発表は、六中の教育方針として学校教育の政治的中立性を放棄することを主張するに帰し、教育基本法に違反することを敢て主張するものであつて、教員の主張する学校教育方針としては不当であつて、その発表の機会が私的会合の席でない故に単なる私的な理想論であるとしてすまされない。然しながらもともと校長の求めに対し教育方針について意見を述べるべき会議なのであるから、各教員がその教育者としての良心、理想、信念に基いて意見を述べることは、その意見内容の当否は別として、各自の自由であるとともに義務でもなければならず、その内容が不当であるからといつて、たやすく占領目的違反に結びつけ、このような場合における意見、発表を占領目的違反の取締「法令に違反」したものとして処分の理由とすることはできない。また、その意見発表は求められた意見を述べたに止まり、その意見どおりの決議をせん動したような場合ではないから、これだけを取あげて直ちに学校を拠点とし教員の身分を利用した政治活動であるとも断定できない。しかしこの事実は次に述べる(2)(3)の事実と綜合して考える必要がある。
(2) 校長に対する政治教育実施の言明
証人福田道善(第一回)の証言によれば、同年九月十八日校長福田道善は、その頃生徒父兄から原告が共産党支持の政治教育をしているという苦情があつたところから、原告に対してそのような教育をすることのないよう注意したところ、原告は学問、思想、表現の自由を主張し、補欠の時間にはそういつた教育をやつている旨を言明したことを認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果は措信しない。
(3) 共産党支持の教育実施
証人福田道善(第一回)、斉藤市四郎、佐藤清三郎、池上五郎の各証言によれば、原告が昭和二十三年度第三学年生徒に対し第一学期以降授業時間中、「真の民主主義はソ連の民主主義である。日本はアメリカの占領下にあつてその占領政策のためいろいろの不利を蒙つている。キユーバの砂糖や砧の争議弾圧はその例である。日本が建直るには共産主義でなければならない。共産党はいい政党である。」というような説話をしていたことを認めることができ、原告本人尋問の結果によつても右認定を覆えすに足りない。右説話の内容が反米親ソの立場に立つてアメリカの占領政策を非難した政治的色彩を帯びていることは明かである。
(4) 以上(1)ないし(3)の事実を綜合して考えれば、原告中野は基準(三)の(3)の「学校を拠点とし教員の身分を利用して一党一派に偏した政治教育を」したものであつて、「教育に支障あるもの」というべきであり、(3)の事実は占領目的に違反して「法令を守らないもの」に当る。
(二) 学校経営に非協力、長期にわたる校内紛争
(1) 職員会議における「校長は反動である」の発言
昭和二十三年八月十一日の職員会議の席上、校長が国家公務員法改正についての荒川区長からの要望として「改正法が施行される暁は、われわれ学校教員も公務員として勤務上十分に注意しなければならない」と伝達し、続いて「組合の委員会なども勤務時間中はやめるべきであり、緊急やむを得ない場合でも必ず校長の許可を受けられたい」と述べたことは、当事者間に争がない。さらに証人福田道善(第一回)、斉藤市四郎、佐藤清三郎の各証言によれば、校長が右のような話をしていると、突然、原告が「反動校長」と大声を挙げ、校長は「反動とは何か」ときき返えし、両者の間に口論となつたことを認めることができる。この点についての原告本人尋問の結果は措信しない。
原告が自己の思想信条に照らし、校長の言を納得することができない場合に、会議列席者として校長に対し意見を述べることは自由であるが、意見を述べるにはおのずから礼儀と節度とがなければならない。さもなければ職員会議において校長の意見を十分に表明させまた教員の意見を十分に表明し相互尊重の下に議を尽くすことはできず、会議の民主的運営は望んでも得られないことになることはいうまでもなく、このような態度は校務の円満な運営に支障を来たすことは多言を要しない。まして校長が区長の訓示を伝達したり、勤務時間中の組合活動につき教員として慎重でなければならないことを述べるのは当然のことであつて、これに対し原告の言動は穏当を欠き職員会議の民主的運営への協力を欠いたものといえる。
(2) 組合総会における不当発言
同年九月十四日荒川区教職員組合の総会において、国家公務員法改正法反対の論議がなされた際、原告は特に発言を求め、「六中校長は荒教組の副執行委員長であるに拘らず、六中の職員会議で区長の要望を肯定し、組合を無視するようなことを述べたが、このようなことは組合副執行委員長の言として不都合であり、かかる人物は副執行委員長として不適当である。」旨発言したことは当事者間に争がない。さらに証人斉藤市四郎、小林一、野田八蔵、新田豊、の各証言によれば、原告の発言は単なる報告や所感の発表ではなくして緊急動議であり、結論として福田校長を副執行委員長の要職から解任すべきことを提議したものであることが認められる。この点に関する証人井上芳彦の証言及び原告本人の供述も右認定を覆えすに足りない。もとより組合総会において、一組合員としてその所信に基いて発言することは、組合活動の立場からすれば自由であるが、原告の右発言は、原告が八月十一日の職員会議における校長の立場を正しく理解せず、学校運営に思いを致さず、組合優位の思想に立つて校長を一方的に非難した点において、また六中教員として校長を外部に対し誤り非議した点において、学校の民主的運営への協力上穏当を欠くものである。証人斉藤市四郎、小林一の各証言によれば、右総会に出席した六中教員の報告によつて、原告の言動は六中教務部会の問題となり、学校運営上の校長の注意を故意に曲解し外部に対してまでひぼうした点が批判されたが、結局は校内平和のため事を荒立てないことに決つたことが認められる。
(3) 転任協定
同年九月下旬校長が原告に対し転任を希望したところ、原告は組合の決定によるのでなければ転任命令に従わないと答えたこと、九月から十月にかけて荒教組と校長との間に交渉が行われ、組合が原告は自発的に転任すべきであると決定したことは、当事者間に争がない。さらに、証人福田道善(第一、二回)、佐藤清三郎、野田八蔵の各言によれば、九月二十四日頃六中教務部会で、原告が共産党支持の政治教育をすることが問題となり、校務主任佐藤清三郎が原告をその住居に訪問して自発的転任を勧告したが、原告はこれを拒否したこと、その後同月下旬校長の希望をも拒否した原告は、区教組に訴えその力によつて解決をしようとしたので、校長と組合との間に交渉が行われた結果、組合は事実調査の末、十月十二日副執行委員長野田八蔵をして、校長及び原告の双方に対し(一)校長は原告の転任を教育庁に具申しない、(二)原告は自発的に転任する、との組合決定による案を示させたところ原告は組合の決定に服従する趣旨において直ちに承諾したが、校長は転任時期について何の定めもないのでは転任協定としては事実上無意味であると受諾を渋つたので、野田副執行委員長は、本人のために三月の学年末の転任が最も自然的で角立たないからと発案し、自発的転任の時期は昭和二十三年十二月か遅くとも昭和二十四年三月末までとすることとして、ここに校長も組合案を受諾したので、野田副執行委員長は原告に対し、右の時期につき確めたところ、原告は承諾の意思を明かにしたことを認めることができ、証人仲本朝愛、井上芳彦の各証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は当裁判所はこれを措信しない。
被告は校長と荒教組との交渉によつて、その間しばしば教務部会、職員会議を開かねばならぬ事態となつて、そのため授業を休止したこともあり、教育上多くの支障を生じたとし、原告の学校経営への非協力を主張するのであるが、このような事実を認めるに足る証拠もなく、また仮りにこのような事実があつたとしても、原告が同僚の勧告や校長の希望を拒否し、組合に頼つたことは組合員として当然のことであつて、校長と組合との間の交渉のため校務の上で被告主張のような支障を来たしても、この結果を以て原告が学校経営に非協力のためとすることは当らない。したがつてこのことだけを取上げて原告を責めることはできないが、後に(5)に述べるように、このようにして成立した転任協定を原告自ら破棄したことと併せて考える必要がある。
(4) 朝礼における不当発言
昭和二十四年三月三日六中で芸能会が催された際、原告の指導した演劇「ポケツトのない服」が上演されたこと、会の終了直後校長の講評があつたこと、同月八日の朝礼のとき校長の訓話のあと、原告が壇上に立つて全生徒に向い校長の講評に対する意見を述べたことは当事者間に争がない。証人福田道善(第一回)、斉藤市四郎、佐藤清三郎の各証言に原告本人尋問の結果を総合すれば原告は六中演劇班の主任を担当し、三月三日の芸能会の計画、指導に当つたが、嘗て右芸能会以前の機会に校長がその上演に異議を挾んだことのある劇「ポケツトのない服」を上演したこと、校長が講評中「本日の出し物の中には生徒にふさわしくないものがあつたが、来年はもつと明るいものをやるよう」と述べたこと、原告は校長の講評は明かに「ポケツトのない服」を指し陰険に批判したものであると考え、次週三月八日の朝礼の機を捕え、校長及び他教員の訓示のあと、いきなり登壇し、芸能会の指導係としての所感を全生徒に述べるとともに、「ポケツトのない服は事前に校長の許可を得てあるのに、先日の校長の講評はけしからん。どこが問題になるのかあとで厳重に抗議するつもりである。」と激しい調子で述べたことが認められる。原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信しない。
およそ教員が全生徒に向い、自分の考えるところを述べること自体はこれを違法とすることはできないが、教員が朝礼の際全校生徒に向い、校長をこのように激しい口調で非難することは、学校経営上の秩序を乱す行為であつて穏当ではなく、学校経営上協調を欠くものといわなければならない。
(5) 転任協定違反及び共産党荒川地区委員会の介入利用
三月十五日校長が原告に対し「三月末転出の約束であるが転出先はきまつたか」と尋ねたが、原告は「転出先はきまらない。自分は自発的でなければ絶対に転出しない。」と答え、その後校長が二、三転出先をあつせんしたが同意しなかつたこと、四月の新学期となつてから、校長が原告の転出を予定し、原告に級担任と学科担任とをもたせなかつたこと、四月十五日、十八日、二十一日、二十五日の四回にわたり共産党尾竹橋細胞の名で「六・三制予算削減反対」「六中中野先生首切反対」「六中の教員を守ろう」その他校長、P・T・Aをひぼうするビラ数百枚が学校周辺一帯はじめ区内各所に貼付されたこと、十八日校長が、朝礼に、中野教諭に六中教育を破壊する行動があつたこと転任協定を破り却つて首切り反対のビラを貼つているのである等を説明し、同日P・T・A役員と教員とで討議の結果教員一同が原告に対し被告のような転出要望書を、またP・T・A有志一同が被告主張のような転出勧告書を交付し、さらに同月二十日には教員一同の名で父兄宛に被告主張のような声明書を送付したことはいずれも当事者間に争がない。
証人福田道善(第一、二回)斉藤市四郎、佐藤清三郎、池上五郎の各証言によれば、原告は三月十五日頃校長の転出催促に対し協定は自発的転出であることを強調して、「転出先きも決つていないのに時期を言つて転出を強要するのであれば、共産党の面目にかけても斗う」と答えたこと、四月十四日日本共産党荒川地区委員会、委員長池田進が来校し、校長に対し原告の転出を見合わせてほしいと申出たのを校長が拒絶したところ、翌十五日学校附近の電柱、塀等に前認定のビラがはられ、十八日、二十一日、二十五日とさらに広範囲に生徒の全学区内にわたつて同様のビラがはられたこと、これらビラによつて校内は不安動揺の状態となり生徒は学校信頼の念を失い、他校に転校したいと申出る者も生じ、父兄も不安を懐くに至つたこと、この状態を憂えた校長はじめ教務部教員とP・T・A役員は、合同会議を開いた結果、このままの状態を続けるならば学校経営は破壊される恐れがあるとし、原告が政治教育をしないこと、共産党と連絡してビラをはるようなことをしないことを条件として、原告の転出を取止めることとし、早急に事態を収拾する外はないという結論になり、校長も心境に変化を来たし、区当局の了解をも得た上、原告に対し一党一派に偏する教育をせず今後態度を改めるならば、転出を取止めてもよいと申入れ、共産党地区委員会と話合いたいと希望したことを認めることができる。
さらに原告が校長の右申入れを承諾し、共産党荒川地区委員会と連絡し、荒川区立第一中学校校長の骨折りで同校校長室で原告も立会い福田校長と地区委員長池田進との会談が行われたこと、委員長池田は校長が従来の態度を一変し進んで地区委員会に対し会談を申入れたものとの考えで臨んだが、校長は原告が反省して従来の態度を改めるならば転任取止めを考えてもよいとの考えで委員会側と事態の収拾を図ろうとする意思であり、その意思を地区委員会で原告を通じ了承の上で会談の日時場所を指定し、校長の出向くのを待つていたものとして臨んだため、池田校長に対し「大馬鹿野郎」と大喝して地区委員や原告を引連れ退席してしまつた。池田は荒川一中校長の取りなしで再び引返えし、事態に萎縮していた校長に対し、一方的に協定案を提出し、その条項中「校長は原告が教育の破壊者でないことを全生徒に明言し過日の朝礼時の言明を取消す、同様のことを父兄に明言し過日の声明書を取消す旨を含めた新な声明書を発表する」等の点につき、校長は異議を唱えたに拘らず、池田はきき入れず、校長は会談が決裂することを恐れ、事態収拾の既定方針に従うためやむを得ず協定書に調印したこと、さらに右協定書に基き五月七日朝礼に校長は全生徒に協定書通りの明言を行い、五月十日校長及び教員一同の名を以て父兄宛「中野教論が教育を破壊した根跡がないからこれを留任させることに円満解決した」の旨の声明書を送付して事件は落着したこと、は当事者間に争がない。
このようにして原告は組合のあつせんによつてきめた校長との間の転任の了解を自ら破棄し、原告自ら共産党員であつたところから、共産党地区委員会の力をかり、P・T・A有志教員一同の前記協定に基く善処の要望に対し一顧をも与えずさらに校長が妥協的態度に出た後は共産党地区委員会の圧力を全面的に利用し、終に転任を思い止らせ、朝礼に校長をして原告が六中教育を破壊した根跡がないことを明言させるなどした。このことは校長が、円満な解決を望む余りに原告や共産党地区委員会に引きずられたうらみがないではないが、原告が共産党の力をかり、その不当な干渉下に学校運営の民主性を害し、学校教育方針に非協力であつたことは争われない。
(6) 以上(1)乃至(5)の事実を綜合すれば、原告が基準(三)の(2)にいう「学校の教育方針又は民主的運営に協力を欠くもの」に当ることは明かである。
(三) 結論
よつて原告中野は(一)の(2)及び(3)認定の事実によつて基準(三)の(3)に、(一)の(3)認定の事実によつて基準(三)の(1)に、(二)の(1)ないし(5)認定の事実によつて基準(三)の(2)にそれぞれ該当し、このような態度は教員として甚だしく不適当であつて、休職処分に処せられてもやむを得ないものというべく、被告の同原告に対する本件休職処分には正当であつて、同原告の本訴請求は理由がない。
三 原告堀切路夫
(一) 担任事務の放棄
原告は昭和二十一年城東区教職員組合が結成されるやその副執行委員長として組合事務に専念し、自己の勤務する城東区立浅間小学校における学級担任や校務担任の本務を他教員に委せて顧みないので、校長山路喜太郎は止むを得ず同年九月以降原告の担任事務を解き他の教員に交替させたことは当事者間に争がない。
およそ組合活動と担任児童の教育とが両立し得ない場合に、正式の専従制度がない以上は、教員本来の直接的職務である児童の教育を犠牲にしてはならないことは当然であつて、組合の副執行委員長としての活動が本務と両立し得ない場合を生じたときは、学校経営上正式に担任の免除を受けて事実上の専従者となるべきであり、他教員への個人的委任によつて教員間の職務分担を破ることは、職場全体の秩序を紊すことになるとともに、担任児童に対する責任上から許されない。校長が九月の新学期以後、原告の担任をはずしたのもやむを得ずしたことであつて、校長として事実上の専従を承認したものではないことは、証人山路喜太郎の証言によつて窺い知ることができる。然しながら、とにもかくにも校長が原告の担任をはずした以上は、それによつて原告が組合事務に専念したことは当然の結果であるから、爾後の本務放棄はこれを休職事由として取上げることは不当であり、担任をはずす前の本務放棄についても、当時このようなことがかなり大目に見られていたことは、証人佐藤光雄の証言によつても窺えるから、今日の感覚をもつてこれを深くとがめることは酷に失する。
(二) 組合の圧力による校長圧迫と学校経営干渉
(1) 都教組大会えの赤旗携行
昭和二十一年十二月上旬の職場会の席上、原告が、皇居前広場において催される東京都教職員組合大会に出場するにつき赤旗を携えることを提議したところ、校長が「赤旗は共産党の旗印であるから賛成できない」と強く反対したこと、原告が「赤旗は団結のシンボルであつて共産党の旗印ではない」と反論して校長の意見に従わず遂に自己の提議を貫いたことは当事者間に争がない。
なるほど赤旗を携えることは、共産党の旗が赤旗であるため、一党一派を支持するような感を与えて教員として好ましくないことは事実であるが、同原告本人尋問の結果によれば、当時赤旗に城東支部と記した白い布をつけて、組合旗のような役割をしていたことが認められるばかりでなく、当時としては赤旗を持つて組合大会に参加することは、組合活動として通常の事に属し、昭和二十二年の二、一スト間近かの社会情勢上、皇居前広場の都教組大会がどのような政治色を帯びていたからといつて、その大会そのものが当時として教員の正常な組合活動としてゆるされたものである以上、これに赤旗を携行すること自体は正常の組合活動に含まれるものといわなければならない。したがつて赤旗を持つて大会に参加することを禁止する権利は校長になかつたのであるから、原告が校長の意見に従わなかつたからといつて、これを取り立てゝとがめることはできるものではなく、このため校長が組合の圧力を感じ、また学校経営上の校長の権威が害せられたとしても、原告の責を問うことはできない。
(2) 赤旗つるし下げ
浅間小学校の職員室の隣室に城東区教組の本部が置かれていたこと、原告が区教組の組合旗として使用していた赤旗を二、一スト終結まで右本部室前廊下に吊下げていたことは当事者間に争がない。
証人今泉謙、石毛一の各証言及び原告本人尋問の結果によれば昭和二十一年十二月五日都教組の賃上げスト準備指令が発せられ「校長の監督権拒否」「校長の行政権否定」「斗争の運営に支障を来たす一切の排除」「公文書は受理に止めて実行拒否」「各校毎に斗争委員会を作れ」等の指令下に浅間分校でも校務主任石毛一が斗争委員長となつて教員間にも斗争意職が盛上り、校長の純教育中心主義に対し組合の斗争を通じて教育を守ろうとする対立は事毎に表面化しつゝあつたことが認められる。そうしてこの間にあつて原告は城東区教組の副執行委員長として専ら前記の本部を本拠として事実上組合事務に専従していたことは前に述べた通りである。
したがつて組合旗として使用していた赤旗のつるし下げも、原告が右斗争の雰囲気の裡に組合の気勢を揚げるためにしたものであることは推認するに難くないのであつて、場所的な関連を度外視する限り、組合活動として通常のことであつたというべきである。然し赤旗から受ける感じは前にも述べたように一党一派に偏した感じを与えることは否み難く、それを学童の絶えず往来する教育の場たる小学校校舎内廊下に、然も学童に対し強い影響力をもつ教員において長期にわたりこれをつるしさげることは、組合活動について成熟した理解力を有しない童心に及ぼす心理的影響は考えねばならないものがあり、教育の中立性を守るべき教員の行為として、穏当を欠くものとのそしりを免れない。しかし昭和二十一年当時の社会状勢のもとにおける事柄を、今日の感覚をもつて、責任を問うことは酷に失するばかりでなく、廊下の管理は校舎管理権を有する校長の権限であつて、校長が教育上ないし学校経営上の問題として重要視したならば直ちに強硬に組合又は原告と交渉し、その撤去を要求すべきである。校内にみなぎる斗争の雰囲気を考慮したとしても、撤去を要求せずして漫然と放置しておいて、今このことを強く取り上げることは当を得ない。
(3) 職場会開催による授業の放棄
被告は原告が浅間分会を指導し勤務時間中しばしば無断で職場会を開き児童の授業を放任させ校長の注意に従わなかつた、と主張するが、このような事実のあつたことを認めるに足る証拠がない。
(4) 校長無視の風潮惹起
組合本部のスト準備指令に基き浅間分会でも校長の監督権、行政権拒否の零囲気にあつたことは前認定のとおりであつて、さらに証人山路喜太郎、石毛一の証言によれば、浅間分会は校長の職務権限を天下り的であるとして否定し、学校運営について委員会制を主張したため、校長の命令はすべて組合役員と話合い修正を受けなければ実行できない有様となり、校長無視の風潮が惹き起されたことが認められる。然しながら、右の事態は原告個人の計画、指導したものではなく、組合本部の指令に基く斗争方針の結果であるばかりでなく、分会の組合活動によつて生じた事態と見るべきである。しかも組合の校長の監督権拒否、運営委員会制の主張は、児童教育そのものを拒否し放置するものでなかつたことは原告本人の供述によつてこれを認められるのであるから、違法なものとはいえず、たとえ原告が正式に分会役員としてでなく、事実上の影響力により校長無視の風潮を惹き起すに与つて力あつたとしても、本来原告の責任を追求すべき理由もない。
(5) 校長無視の具体的行動「卑怯者よ去れ」
昭和二十二年一月二十二日城東区内各小学校長一同は校長会議を開いて、校長らの主張する教育中心主義と組合の主張する斗争を通じての教育擁護主義との対立につき協議の結果、校長一同組合から脱退する旨を決議し、その趣旨を声明したことは、当事者間に争がない、ところが、証人山路喜太郎、石毛一の各証言によると、校長の組合脱退声明のあつた翌朝、山路校長が出勤してみると、職員室において何者かにより、無断で校長の机の位置が校務主任の机の傍にこれと並べて移され、その机の正面の衝立と背面窓際の壁とにわら半紙に「卑怯者去れ」と墨で書かれ赤インクで傍線を引いたものが一枚ずつ貼りつけられていたこと、その後校長一同が区教組と話合い再び組合に復帰したときまでそのままになつていたことを認めることができる。また右の「卑怯者去れ」の筆跡が肉太で原告のそれに以ていることは、証人山路喜太郎、石毛一、大坪国益の証言によつて認められ、なお原告が区教組の副執行委員長であつたことなどから、右のはり紙や机の位置の変更は、原告が自らなし又はこれに関与したものであることを疑わしめるものもないではないが、原告本人尋問の結果に照し、これだけでは、右の行為は原告がなし又は関与したものとは直ちに断定し難く、その他これを認めるにたる証拠がない。しかも原告は浅間分会の役員でもなかつたのであるから、それをそのまま放置したことの責任を原告に問うこともできない。
(6) 平野教諭の都主催講習会出席妨害
昭和二十二年一月上旬、浅間小学校教諭平野清司が東京都から都主催の手工講習会の講師の委嘱を受けてこれを応諾したこと、原告が平野に対し「天下り講習会に出るな」と説得したは当事者間に争がない。被告はこれを学校経営への不当干渉であると主張するが、原告は組合が二、一スト準備態勢の下にあり、浅間校分会も組合指令に従い業務管理中であることを理由として平野教諭を説得しようとしたものであり、分会役員としての組合活動ではないけれども、区教組の副執行委員長としての立場から説得行為であつて、正当な組合活動としてゆるされるべく、特に取上げて責任を問うことはない。
(三) 新校長受入れ反対運動
昭和二十二年四月六、三制新学制が実施されるに伴い校長の人事異動が予想されたところから同年三月城東区教組大会で校長候補を公選せよという決議が行われ、組合から区当局に申入れを行つた際、原告は組合代表の一員として区当局の係員に対し「組合員の総意によつて公選した候補以外の者から任命された校長は拒否する。他区から城東区に赴任する校長は組合で審査した上でなくては認めない。」と主張したことは当事者間に争がない。証人石毛一、吉田徳治、野々田健三の各証言によれば、同年四月浅間小学校に葛飾区中井堀小学校長野々田健三が校長として赴任して来ることになつたが、当時城東区教組では右に述べたように他区からの校長を受入れる態勢がとられておらず、そのため着任が遅れて六月になつたことが認められる。然し、このような主張は、組合活動として違法であるとはいゝ難く、また原告が特に野々田校長の着任反対運動をして、そのため同校長の着任が遅れたこと、その間原告が浅間小学校において校長の席に着いて同校教員を指導したことはこれを認めるに足る証拠がない。
(四) 校内居住における学校管理上の障碍
昭和二十三年四月頃から昭和二十四年七月までの間、原告が校内宿直室の隣室に居住していたことは当事者間に争なく、証人石毛一の証言によれば、原告が深夜外出先きから帰校し、或いは夜間多数人が同人の許に出入して、隣室の宿直室の宿直教員の安眠を妨げ、宿直上の義務遂行に迷惑をかけたことが窺われないではないが、校長から特に自粛を促した事実も認められず、この程度のことを基準(二)の(2)「学校の民主的運営に非協力」に該当するものとして取上げることは酷である。
五 共産党公認候補の選挙運動
昭和二十二年四月東京都議会議員選挙に際し共産党公認候補関研二の出納責任者となつて約一ケ月にわたり校長の許可なく選挙事務に専従したこと、その間学区内に自己の氏名を記載したポスターを掲げたことは、当事者間に争がないが、証人今泉謙、佐藤光雄の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、都教労が「選挙斗争を通じて教育防衛」の方針を決定し、城東区教組として関候補のため選挙運動をすることとなつたため、関は都教組の副執行委員長であり、原告は中央委員であつた関係上、原告は組合の決定に従い、関候補のため出納責任者となつたものであることが認められる。従つて原告の選挙活動は組合の決定に従つた正当な組合活動として為されたものであるといわねばならない。昭和二十一年十一月二十六日附東京都次長から国民学校長、中等学校長等宛の「教職員及学生生徒の政治運動及び選挙運動に関する件」と題する通牒が発せられ、右通牒によれば「……学校内ニ於ケル教職員及学生生徒の政談演説若クハ特定者ノ支持乃至推薦行為等(文書ニ依ルモノヲ含ム)、厳ニ之ヲ禁止スルコト」とあることは当事者間に争がない。思うに右通牒にいう「学校」とは単に校舎校庭をいうばかりではなく、校長及び教職員によつて構成せられる人的組識と、校舎校庭その他の物的施設の一切を綜合した機能的な観念であると解すべく、教育機能を遂行する上において臨時に校舎校庭外の物的施設を利用する場合にも(いわゆる林間学校、臨海学校のようなもの)、これを政治活動の禁止の面から見れば、ひとしく「学校」というを妨げない。しかし「学区」はこれを教育上に利用すべき施設とはいえないから、学区内の政治活動は学校内の政治活動とはいえず、右通牒は学区内の政治活動を禁止したものとはいいがたい。ただたとえ原告の選挙運動が正当な組合活動であり、右通牒に違反しないとしても教員としての本務を逸脱すべきでないことは当然であつて、被告は原告が一ケ月にわたり本務を放棄したというのであるが、当時原告は既に学級及び校務の担任を外され、事実上組合事務に専従していたことは前に認定したとおりであるから、教員としての本務を放棄して教育上支障あるものと非難すべき理由はない。また学区内において前記ポスターを貼つたことが、直ちに児童教育上支障を生じたものもいえないし、このような事実を認めるに足る証拠もない。
(六) 結論
以上説明したとおり、原告堀切に対する休職処分の理由として被告の主張するところは、或はその証明なく、その証明あるものも、大局から見て正当な組合活動に帰し、被告の掲げる基準に該当しない。なかには多少行き過ぎの点も認められないではないが、現在の感覚をもつて当時の行動を律することも酷であり、これに重い休職処分の責任を負わせることも適当ではない。従つて被告の原告堀切に対する休職処分は違法であつて取消されるべきものである。
第六、よつて原告篠塚及び中野の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、原告堀切の本訴請求は正当としてこれを認容すべきであるから、訴訟費用の点につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 千種達夫 高橋正憲 裁判官立岡安正は転任につき署名捺印することができない。裁判官 千種達夫)
別紙(刷新基準要綱)
(一) 勤務成績不良のもの
(1) 職務を怠るもの、(2) 欠勤、遅刻、早退の多いもの、(3) 無断で勤務を離れるもの
(二) 職務能力の低いもの
(1) 教授能力の低いもの、(2) 教育への熱意を欠くもの、(3) 教員として信用、品位を失い、成績をあげることのできないもの
(三) 学校経営上非協力のもの
(1) 法令、或は指揮監督者の正当な命令を守らないもの、(2)学校の教育方針又は民主的運営に協力を欠くもの、(3) 学校を拠点として又は教員の身分を利用して一党一派に偏した政治活動をする傾向が強く教育上支障のあるもの 以上