東京地方裁判所 昭和27年(ワ)2号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
(事実)
本件被告は別件家屋明渡請求事件の原告として、本件原告(右事件の被告)との間に、同事件について裁判上の和解(その内容は一定期日に本件原告が本件被告に係争建物の明渡をすることにしたもの)をした。本訴はは、本件原告において右和解の要素の錯誤による無効を主張し、和解調書の執行力の排除を求めるものであるが、本件原告の主張する和解の無効事由の中は、次のようなものがある。
(1) 右事件における原告(本件被告)の主張は、第一に被告(本件原告)の不法占拠を主張し、第二に仮りに被告が賃借人より適法に転借したものであるとしても、原告と賃借人間の基本たる賃貸借が合意解除されているから被告は係争建物には何等の権利がないというのであつたが、被告が適法な転借人であれば、仮りに基本たる賃貸借が合意解除されたとしても、これによつて転借人たる被告の地位には何等の影響があるべき謂われがない。然るに、同事件の被告訴訟代理人は、右の法理を誤解し、一度び基本たる賃貸借が解除されるや必然的に右転貸借関係も消滅に帰し、係争建物を明渡さなければならないものと解釈し、その見解に基いて右の和解を成立せしめたものである。すなわち、右代理人は、被告に何等明渡義務がないのに、法律の錯誤に陥つてその義務があるものと誤解し、その結果右建物の明渡を容認するに至つたもので、これは右和解における要素の錯誤と言うべきであるから、同和解は無効である。
(2) 裁判上の和解が民法上の和解契約たる性貭を併せもつものとすれば、それは当事者双方の互讓や当事者間における事実関係についての争点を必要とする筋合であるが、右和解は、專ら被告(本件原告)の一方的讓歩に終始したものであり、又事実に関する争もなかつたのであるから、右和解は和解の成立要件を欠いて無効である。
(判斷)
本件原告敗訴。
裁判所は、右(1)(2)の原告の主張について、それぞれ、左記の理由で、その失当なる所以を説示している。
(1)の点について。
「成立に争いのない甲第一乃至第四号証、乙第一号証の一乃至五から、別件(註・前記家屋明渡請求事件のこと)昭和二四年一二月六日午後一時の口頭弁論において別件原告たる被告が原告の転借権の抗弁について、その基本たる賃貸借契約は昭和××年×月頃合意解除があつたと再抗弁し、これに対し原告は昭和二五年七月六日午前一〇時の口頭弁論でみぎ合意解除の存在を否認して本件和解の成立に至るまで引き続きみぎ転借権を原告に対抗できる旨主張していること、また、原被告間に本件建物について直接賃貸借契約関係が成立していると抗争していることを認定することができる。そして、これら原告の攻撃方法が当時証拠上等で認めがたいものであつたことが明かにされない以上、仮りに原告主張通りみぎ合意解除が原告の転貸借契約関係に及ぼす法律効果について前示××代理人(註・原告の別件における訴訟代理人)が思い違いをして、直ちにその関係では本件建物の占拠権限を失うものと誤断したとするも、同代理人が本件建物についてその他の論拠を顧みず全然その占有権限を有しなくなつたものと一途に思い誤つたことを認めるに足る証拠がなく、却つて、本件和解に際しては、前認定の訴訟経過に照らして、本件建物の占有権限の有無については積極消極の両様の見解を持しつつこれを成立せしめたものと推認するのを相当とする。このことは、当裁判所に顕著な前示××代理人が東京弁護士会所属の弁護士であることや証人××××の証言からその成立の認められる甲第五号証同第一二号証の一、二に徴すると同代理人は事件の受任者たる弁護士として法律的事実的観点から諸般の事情を配慮のうえ本件和解を成立せしめるに至つたものと認められることからも妥当である。そうすると、仮りに原告主張の法律の錯誤が犯されたとするも、それは本件和解の意思表示に至つた諸原因中の一因についての錯誤と言わねばならず、この錯誤をもつて直ちに本件和解の意思表示の要素の錯誤とは認定しがたい。したがつて、原告主張の錯誤の有無にかかわらず、みぎ錯誤を前提とする主張はその余の判断にすすむまでもなく理由がないものとする。」
(2)の点について。
「訴訟上の和解の法律的性貭については議論の存するところであるが、訴訟上の和解は、一面私法上の契約たる性貭を有し私法上の無効原因が存するときは無効のものと解される。そして、みぎ訴訟上の和解の包含する私法上の契約は必ずしも民法の和解契約たることを要するものとは考えられず、民法の和解契約やそれに準じる無名契約にても足るものと解されるので、必ずしも嚴格に当事者の互讓や事実関係の争点が存在することを私法上必要とするものではない。しかるに、原告は民法の和解契約をもつて立論の根拠となしているから、かかる主張はその余の点の判断に進むまでもなく失当である。」