東京地方裁判所 昭和27年(ワ)421号 判決
原告 鈴木孝太郎
被告 赤木屋証券株式会社
一、主 文
被告は原告に対して別紙目録<省略>記載の債券の引渡をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告において金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
被告において金十万円の担保を供するときは、前項の仮執行を免れることができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項と同趣旨の判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり陳述した。
一、原告は別紙目録記載の債券(以下本件債券と略称する。)を所有していたところ、昭和二十六年三月十二日国電電車内浦和駅と北浦和駅の間で何者かにこれを窃取された。
二、被告は証券取引法による東京証券取引所の会員で、株券公社債等有価証券の売買仲買を業としているものであるが、同年五月十二日訴外阿部真佐行の代理人知久正義から本件債券を買い入れ、現に占有している。
三、証券業者が取引をするに当つては、取引の相手方の信用を確めるために相当の調査をするのが当然である。被告が本件債券の取引をするに当つて、その相手方である知久正義は一般の顧客であり、しかもはじめて取引をする者であるから、その人物信用、延いては債券入手の経路等を調査すべきであるのに、これを怠り漫然同人から買い入れたことは、業者に課せられた高度の注意義務を怠つたもので、被告には重大な過失があるというべきである。
四、原告は盗難の翌日である同年三月十三日債券の買入先である日興証券株式会社に対して盗難の届出をし、同会社は即日東京証券業協会に対してその旨を通知し、同協会は同日協会員の各債券取扱業者に対して本件債券が盗難にかかつた旨を書面で通知し、被告に対してもその通知が到達している。
従つて、被告は本件債券が事故証券であることを知ることができる状態にあつたのであつて、被告が本件債券を買い入れるに当つて、前記事故証券通知書を調査もせずに漫然買い入れたことは、正に重過失というべきである。
五、以上のとおり、被告には本件債券の入手について重大な過失があつたのであるから、本件債券は当然原告に返還すべきものである。
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として次のとおり述べた。
一、第一項は知らない。
第二項は認める。
第三項及び第四項は争う。
二、被告は本件債券を盗難品とは知らずに買い入れたのであつて、有価証券売買業者が平常より諸般の新聞商報で盗難の証券をあらかじめ調査しなければならないとするのは、証券取引の事情に照らして殆んど不能を強いるものであるから、売主が真正の権利者であるかどうかを調査しなくても、事故証券通知書を調査しなくても、被告に重大な過失があつたとはいえない。(大審判大一四、六、三〇新報四六号一三頁、東控判大一三、六、二八新聞二二九二号一六頁参照)。
従つて、被告は小切手法第二十一条商法第五百十九条の規定により、本件債券を原告に返還する義務がない。
<立証省略>
三、理 由
一、原告主張の第一項の事実は、成立に争のない甲第八号証、証人志村和雄の証言によつてその成立を認めることのできる甲第四号証の一、二及び証人奈良喜久雄の証言によつて認定することができる。
二、第二項の事実は、当事者の間で争がない。
三、そこで本件の主要な争点である被告が本件債券入手につき小切手法第二十一条にいわゆる重大な過失があつたかどうかの点につき判断する。
証人深沢辰男の証言によつてその成立を認めることのできる乙第四号証、前記甲第四号証の一、二と証人奈良喜久雄、前田政雄、金原一郎、賀川泰彦、深沢辰男、赤木康成の各証言とによれば、次の事実を認めることができる。
訴外知久正義は昭和二十六年五月十一日被告会社の店頭に来て、店頭係の深沢辰男に対して割引興業債券等を買い入れてくれるかとただし、その承諾を得たので、翌十二日他の一名とともに本件債券を持参して、被告会社の店頭に現れた。深沢辰男は同人に対してその氏名住所を尋ね、同人が提出した名刺(乙第四号証)に電話番号が記載されていたので、電話をかけ同人が真実そこにおることを確め、同人等が信用のおける人であると信じて本件債券を買い入れた。
一方原告は盗難の翌日である同年三月十三日本件債券の買入先である日興証券株式会社に対して盗難の届出をし、同会社は即日東京証券業協会に対してその旨を通知し、同協会は同日協会員の各債券取扱業者に対して事故証券通知書をもつて本件債券が盗難にかかつた旨を通知した。東京証券業協会は、証券取引委員会に備える証券業者登録原簿に登録された証券業者をもつて組織する団体であつて、被告は同協会員であるから、その旨の通知を受けていたのであるが、本件債券を買い入れるに当つては深沢辰男は勿論のこと他の者もこの事故証券通知書を全然調査しなかつた。
債券に関する事故証券通知書は東京証券業協会から毎月平均二十件ぐらい配布されており、我が国における四大証券会社の一といわれる日興証券株式会社及び野村証券株式会社においては、債券の買入にあたつては事故証券通知書を調査することにしていて、現に本件債券をその後間もなく被告から買い入れた野村証券株式会社は、債券受渡の日に事故証券通知書を調べて本件債券が盗難品であることを発見し、これを被告に返戻した。日興証券株式会社においては、事故証券を誤つて買い入れたときは、債券を売主に返還して代金の返還を受けており、被告もまた本件債券について売主である知久正義等に対して代金の返済を交渉したが、その目的を果さなかつた。
前記諸証人の供述中には、以上の認定と反する部分もあるが、これらの部分は採用しない。
四、有価証券の売買仲買を業とする者がその店頭で一般の顧客から有価証券を買い入れる場合において、その有価証券が記名式のものであるときは、その売主がこれを処分する権限を有するかどうかは容易に調査することができるけれども、本件債券は無記名証券であるから、その所持人が果して真実の所有者であるかどうかを調査することは殆んど不可能であり、従つてこれを買い受けようとする被告が所持人が真実の権利者かどうかを調査せずに買い入れても、この一事をもつて被告に重大な過失があるということはできない。
五、しかしながら被告等証券業者をもつて組織する東京証券業協会は、盗難等の事故に罹つた証券の届出ある毎に、協会員に対して事故証券通知書をもつてその旨を通知しており、債券に関する事故証券通知書は、一月平均二十件ぐらい配布されている程度であるから、これを調査することは、前記の如く所持人が真実の権利者であるかどうかを調査するのとは異り、大して困難なことではない。現に日興証券株式会社及び野村証券株式会社においては、債券の買入にあたつて事故証券通知書を調査していることはさきに認定したとおりである。
証券民主化に伴い、株券債券が一般大衆の間に広く流布するに至つた今日において、その取引の衝に当る証券業者は、証券の正当な権利者の利益を保護するために、一般の顧客から債券を買い入れるにあたつては、少くとも事故証券通知書を調査するぐらいのことはして然るべきものであり、証券業者にこの程度の義務を課したからとて、甚だしい労苦を強いるものとは到底考えられない。従つて、被告が事故証券通知書を全然調査することなく本件債券を買い受けたことは、正に重大な過失であるといわなければならない。
被告の引用する東京控訴院の判決(大正十三年六月二十八日言渡、法律新聞第二二九二号一六頁)は、有価証券売買業者が盗難債券を買い受ける際官報及び債券月報を調査してその債券につき公示催告又は失効の公告等のないことを確めた上買い受けたが、所有者が新聞及び商報上にした盗難広告を調査しなかつたという事案に関するもので、本件とは事実を異にするから、本件の先例とはならない。
六、以上の理由によつて、被告は本件債券をその所有者である原告に返還する義務があり、この義務の履行を求める原告の本訴請求は正当であるから認容し、民事訴訟法第八十九条第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古関敏正)