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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)7283号 判決 1955年3月31日

原告 里工業株式会社

被告 日本専売公社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金二百九万九千百円及びこれに対する昭和二十七年六月十六日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との、仮執行の宣言つきの判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

原告は各種繊維製品の加工等を業とする商事会社である。原告は昭和二十六年九月頃から被告公社(高崎鶴見町工場)と取引を始め、繊維製品を納入していたが、昭和二十七年一月下旬頃作業服、ワイシヤツ等の発註を受け、代金は現品到着と同時に半額、一カ月以内に残額支払の約で、同年二月十五日から四月七日までの間に、作業服、ワイシヤツ等代金合計二、六二五、一八〇円の繊維製品を被告公社(同工場)に売渡した。その詳細は別表<省略>記載のとおりである。

被告公社(高崎鶴見町工場)は、右商品を受領しながら約定どおり代金を支払わず、昭和二十七年三月十九日金一三万円、同年四月一日金一〇万円、同月六日金一四万円、同年五月一日金七万円、同月十三日金六万円(以上合計金五〇万円)を一部入金したに止まる。なお、昭和二十七年二月十七日に売渡した作業服上五十着、下七十着のうち上十着(金七、〇〇〇円)と下三十六着(金一九、〇八〇円)とが同月二十三日返品された。そこで右返品の代金合計二六、〇八〇円と前記一部入金額五〇万円との合計金五二六、〇八〇円を売掛代金総額二、六二五、一八〇円から差引いた金二、〇九九、一〇〇円が、現に原告が被告に対して有する売掛代金債権である。

以上の取引はすべて、被告公社高崎鶴見町工場の契約担当者厚生部主任木村留吉がその衝に当つたのであり、同人は右工場長から工場職員の福利厚生に関し一切の物資を購入するための包括的な代理権限を与えられていたものである。そして原告から売買代金の支払を求められた木村は、昭和二十七年四月十六日、日本専売公社高崎鶴見町工場厚生部主任木村留吉振出名義の金額二一〇万円、満期同年六月十五日、支払地振出地高崎市、支払場所株式会社群馬大同銀行高崎北支店なる約束手形一通を原告に交付し、右満期日まで代金支払の猶予を申し出たので、原告はこれを承諾した。

仮りに木村留吉が右のような広い範囲の代理権を与えられておらず、本件のような大量の繊維品を購入する権限はもつていなかつたとしても、木村は鶴見町工場経理課庶務係員として、職員の福利厚生に関する事項を担当し、その取扱事務処理のため、被告工場職員の福利厚生に資すべき物品を購入することを、或る限られた範囲で許されていたのであり、従つて本件取引は木村がその与えられた権限をこえてしたことになるが、原告としては、木村に本件取引をするについて被告の代理権ありと信じたのであり、原告がかく信じたについてはもつともな理由があつた。即ち、本件取引にさきだつ昭和二十六年九月上旬頃から、原告会社販売員蔵貫安熊が鶴見町工場厚生部に出入するようになつて、厚生部主任と称する木村の注文を受けて、同年十二月まで九回にわたり、紺サージズボン等を右厚生部に売渡しその都度滞りなく木村から代金の支払を受けた。そして昭和二十七年一月下旬頃原告会社代表者今井金吾が高崎に出向いて木村に挨拶したときも、木村は厚生部主任と称して応待し、また他の職員とも相談のうえで、本件作業衣、紺ズボン等の注文をした。その折衝は鶴見町工場の経理課事務室及び厚生部売店内で行われたし、品物送付先も鶴見町工場内と指定された。かような経過で本件取引が行われたのであるが、これをみると、木村が被告公社を代理して本件取引をする権限ありと原告が信じたことは、まことにもつともというべきである。されば被告は、民法一一〇条の規定により、本件取引残代金の支払義務を負うわけである。

よつて、被告に対し、前記売掛代金残金二、〇九九、一〇〇円及びこれに対する前記支払猶予期間の末日の翌日たる昭和二十七年六月十六日から完済まで年六分の商事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

仮りに以上の主張が理由なく、被告は本件売買代金の支払義務を負わないとしても、木村は鶴見町工場厚生部主任の地位を利用し、被告公社が購入するものと詐つて、原告に本件物品を送らせ、これを勝手に処分して不法に利益を得たのであり、ひつきよう原告を欺いて、原告に本件物品の代金に相当する額の損害を与えたのである。木村の右行為は、同人が経理課庶務係員として本来担当していた「職員の福利厚生に関する事項」の事務処理上行われたものであつて、被告公社の本来の事業執行と不可分の関係にある行為とみるべきであるから、木村の使用者たる被告公社は民法七一五条により、木村が原告に与えた前記損害を賠償すべき責任がある。

よつて原告は被告に対し、予備的に、不法行為を原因として、前同一額の損害金の支払を求める。<立証省略>

被告指定代理人は主文と同旨の判決を求め次のとおり答弁した。

原告会社がその主張するような商事会社であるかどうかは知らない。原告主張のような作業衣その他の衣類の取引が、原告会社と被告公社との間に行われたことは、否認する。その他本件取引に関し、被告公社に責任ありとする原告の見解はすべて不当である。

本件衣類の取引は、原告と木村留吉個人との間に行われたものである。その経緯は次のとおり。

まず木村留吉は、被告公社の職員で(昭和二十一年九月一日から昭和二十七年五月九日まで)、本件取引当時は高崎鶴見町工場経理課庶務係に属し、課長、係長の指揮の下に「職員の福利厚生に関する事項」を担当するかたわら、同工場厚生部(工場従業員の互助組織)の事務に従事していたものである。そして木村は昭和二十六年中数回にわたり、厚生部の名において、訴外蔵貫安熊から衣類、食糧品等の販売委託を受け、これを工場従業員に販売したことがあつた。その内衣類は実は蔵貫が原告に頼まれ原告のために販売を委託したものであつたが、木村は蔵貫と原告との間の関係は知らなかつた。次いで昭和二十七年二月十三日頃蔵貫が原告会社代表者今井金吾を伴つて鶴見町工場に木村を訪ね、前と同様に厚生部で原告会社の衣類を買つてもらいたいと申し出たことがあつた。これに対し木村は、被告公社の職員には本件衣料品の購入希望者がないから公社関係では引受けかねるが、農協方面には個人的縁故もあり相当量の衣類を売り込むことができる旨を答えたところ、今井、蔵貫等がぜひその方面に販売のあつせんをしてもらいたいと頼んだので、木村は同人個人が買主となることを明示して、原告との間に本件取引を始めるに至つた。そして同年二月下旬頃、木村は公休日を利用して自ら原告会社に今井、蔵貫を訪ねて、更に本件取引に関する折衝を進めた。かようにして本件衣類の取引が逐次行われて行つたが、その間発注書、契約書等の書類が作成されたことはなく、木村が代金を支払つても原告が領収証を出したことはなかつた。そして本件取引の目的物は、大部分が運送店留置又は木村の自宅宛に送られ、一部鶴見町工場に送付されたものも、その名宛は公社宛でなく木村個人宛であり、しかも送先を工場内にしないようにとの木村の申出を無視して工場内に送付されたのであつた。また木村は取引代金を円滑に支払わなかつたので、今井は昭和二十七年三月下旬木村個人名義の約束手形数通を差入れさせた。しかしその手形も割引を受けることができなかつたので、今井は、更に同年四月中旬頃木村に強要して「日本専売公社高崎鶴見町工場厚生部主任木村留吉」なる振出名義人の約束手形一通を発行させた。木村は今井の要求で止むを得ず、鶴見町工場の雑印を盗用して、今井の止宿先旅館で右手形を作成交付したのであつた。そして本件取引の経過中、木村は今井及び蔵貰に対し数回に数万円に上る饗応をした(木村が公社職員としての地位で本件取引をしたのであれば、この関係は逆になるのが常識的である)。以上の木村と今井及び蔵貰との交渉は、最初の一回が鶴見町工場で行われただけで他はすべて工場附近の飲食店、木村の自宅今井等の止宿旅館、原告の店舗等で行われた。

以上の経過で明らかなように、本件衣類の取引は、木村が被告公社と関係なくみずから買主となつてしたことにほかならない。されば被告にその売買代金支払の義務はないのみならず、原告は木村の代理権を云々するが、木村がその担当事務処理のため、被告公社又は鶴見町工場厚生部を代理して物品を購入する権限を与えられていたことはないから、木村にかような代理権あることを前提とする原告の主張は理由がない。

仮りに原告のいうように、木村が被告公社を代理して何等かの法律行為をする権限を与えられていて、原告が木村に本件取引をするについても代理権ありと信じたとしても、本件取引の折衝に重要な役割を演じた原告の代理人たる蔵貫安熊は、被告公社と鶴見町工場厚生部とは取引上全く別個の組織であつて、右厚生部は工場従業員の互助組織にすぎないことを承知のうえ、はじめから厚生部の取引として商談を持込んで来たのであり、この事実にさきに述べた本件取引の経過に現れた諸事実を考え合わせると、原告が木村に被告公社を代理して本件取引をする権限ありと信じたことは、原告の重大な過失によるものというべきであるから、原告が被告公社に民法一一〇条の規定による表見代理の責を問うことは、許されないことである。

また原告は、木村が被告公社の事業を執行するについて、原告を欺き原告に損害を蒙らせたから、被告公社は木村の使用者として損害賠償の責任を負うというけれども、木村に原告主張のような不法行為ありとしたところで、それは前記のように、木村が鶴見町工場の厚生部の事務を行うについてしたことである。右厚生部なるものは、工場従業員の互助組織にすぎず、被告公社とは全く別の機構に属すること、さきに述べたとおりであるから、厚生部の事務の執行は被告公社の事業の執行ということができない。されば木村のした右行為について、被告公社が木村の使用者としての責任を負うべき理由がない。<立証省略>

理由

木村留吉が被告公社高崎鶴見町工場の経理課庶務係員として、工場職員の福利厚生に関する事項を担当処理していたことは当事者間に争いがなく、その期間は昭和二十五年七月頃から昭和二十七年五月頃までの間であつたこと、また木村は同時に、同工場従業員の互助組織たる「厚生部」(俗にこう呼ばれていた、その実態の詳細は後に明らかにする)の仕事も担当していたことは、証人佐藤清、木村留吉、宮寺友吉の各証言を合せ考えて、これを認めることができる。

そして甲第十九号証の一ないし五、甲第二十号証(以上いずれも原告会社代表者今井金吾本人の供述によつて真正にできたと認めることができる)、乙第一号証の一、二、乙第二号証の一ないし六(以上いずれも真正にできたことに争いがない)と証人石川幾一、蔵貰安熊、木村留吉の各証言、原告会社代表者今井金吾本人の供述とを合せ考えると、木村が鶴見町工場厚生部主任の名義を用いて原告会社に衣類を注文した結果、原告主張の日にその主張どおりの品物が木村の手に渡された(一部は見本として直接、他は或いは鶴見町工場内の木村宛に、或いは駅止扱いにして、或いは木村の自宅宛に送付して)ことを認めることができる。

そこで右衣類の取引について被告公社が責を負うべしとする原告の主張について、順次判断を与える。

まず木村が、その担当の事務処理上如何なる権限を与えられていたかについて、検討することを要する。

この点については、証人佐藤清、木村留吉、宮寺友吉の各証言を合せ考えると、次のとおり認めることができる。

木村が鶴見町工場経理課庶務係として本来担当していた職員の福利厚生に関する事項の主たる内容は、厚生施設の調達計画の立案、厚生施設の現状把握、その維持運用等であつて、被告公社を代理して工場の物品を購入すべき権限は全然与えられておらず、物品の購入については、経理課需品係員がその衝に当り、契約締結の当事者としては契約担当役たる工場長が当ることになつていた。一方、被告公社には厚生部という職制はないが、鶴見町工場従業員の間には俗に「厚生」又は「厚生部」と呼ばれていた従業員のための互助組織があつた。それは規約等を備えた統制ある組織体ではなく、戦時中から戦後の物資不足の時代に、工場従業員の希望にそつて自然に生れたものであつて、従業員中の二、三の者が主体となり、従業員の希望する物資を一括して共同購入することのあつせんを行い、日用品の委託販売に応じ、薪炭等の生活必需品を購入して希望者に配給すること等を主な仕事としていた。その事務担当者としては、雑役、売店係、事務係員各一名が上司の承認を得てこれに当り、右事務係員には便宜上経理課庶務係の福利厚生に関する事項の担当者が当ることとされていて、本件取引当時は木村がその地位にあつた。そして右「厚生部」の運営は被告公社の予算と関係なく、委託販売等による収益を以て運転資金としていた。ただ収支関係を明らかにして不正を防止するために便宜上、経理課長が現金を保管して、木村の申出によつて必要な出納を行い、かつ庶務係長、経理課長、工場長、労組支部長等が時折収支関係の検閲を行うという程度のことはあつたが、被告会社の職制上正規の監督機関による指揮監督の対象となるものではなかつた。従つて、「厚生部」の業務として現実に物品を購入する場合にも、木村が経理課長の諒解の下に相手方と交渉して、一括購入ないし委託販売のあつせんを行うことを決定して経理課長の保管している「厚生部」の現金で決済を行つており、被告公社の職制上定められた正規の契約手続を経て取引を行うわけではなかつた。木村留吉が鶴見町厚生部主任の名義を用いて原告との間でした本件衣類の取引は、木村が担当していた以上の「厚生部」の業務として行つたことであつた。

かような事実を認めることができる。証人木村留吉の証言中以上の認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を動かすに十分な証拠はない。

右の認定によると、木村は鶴見町工場の経理課庶務係員として、職員の福利厚生に関する事項を担当していたけれども、被告公社を代理して職員の福利厚生に資すべき物資を購入するための権限は何も与えられておらず、単に、被告公社の本来の職務とは関係なく、鶴見町工場従業員間の互助機関たる「厚生部」の事務担当者として、工場従業員の便益をはかるため事実上従業員を代表して外部と交渉を行い、福利厚生に役立つべき物資購入のあつせんに当つていたに止まることが明らかである。

してみると、木村が被告公社を代理して鶴見町工場従業員の福利厚生のための物品を購入する権限があつたとする原告の主張は、理由ないことが明らかであり、従つてまた、原告が木村にかような権限ありと信じて木村との間で本件衣類の取引をしたとしても、木村に被告公社を代理して物品を購入する権限が全くなかつた以上、木村が与えられた権限をこえて本件取引をしたということはできないから、被告公社がこれについて民法一一〇条の規定による表見代理の責を負うべしとする原告の主張も、その余の点について判断するまでもなく、理由なしといわなければならない。

被告公社に対し、本件衣類の売買代金の支払を求める原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

よつて次に、木村の不法行為を前提とする原告の予備的請求について判断を与える。

木村が原告との間でした本件取引が、以上認定のような性質のものである以上、仮りに木村が原告から本件衣類を詐取する目的で本件取引をし、原告に損害を与えたものであるとしても、それは木村が被告公社の職員として担当していた被告公社の本来の職務の執行についてしたものということはできず、鶴見町工場従業員の間の互助機関たる「厚生部」の業務に関してしたに止まることであるから、被告公社が木村の使用者として、木村が原告に与えた損害につき賠償の責を負うべき理由はない、といわなければならない。(いわゆる「厚生部」の業務を扱つていた木村は、同時に被告公社経理課庶務係の職員として前認定の職務を担当していたのであつた。被告公社の職員以外の者が「厚生部」の業務を扱つていたというわけではないから、木村の本件取引行為と木村の被告公社職員としての職務との間には、その意味において、事実上多少のけんれん関係があるといえないことはないが、それだけのことから、木村が被告公社の「事業ノ執行ニ付キ」原告に損害を加えたというふうにもつていくことは、はなはだ無理なことである)経理課長等が「厚生部」の収支関係について或る程度監督的立場にあつたことは、さきに認定したとおりであるが、これは被告公社の業務として行つたものでなく、またその目的は「厚生部」の業務担当者の経理上の不正を防止するためにすぎなかつたこと前認定のとおりであるから、かような監督を加えていたことを以て、右の結論を動かす根拠とすることはできない。

されば木村のしたことについて、被告公社に対し民法七一五条により損害の賠償を求める原告の予備的請求も、他の点の判断をするまでもなく、失当である。

以上のとおり、原告の主張はいずれも理由がないから、被告公社に対する原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 入山実 石沢健)

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