東京地方裁判所 昭和27年(行)6号 判決
原告 本間歓司
被告 国
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、漁業権補償金増額金百二十四万七千四百円を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。
千葉県安房郡西岬村塩見三百四十九番地保証責任西岬村下原漁業協同組合は、昭和十二年中千葉県知事に申請して、昭和十四年二月二十三日沖の島漁場につき台網類漁業師大謀網の定置漁業(期間昭和十九年八月三十一日まで)の免許を、同年七月五日鉈切漁場につき落網類漁業鰤落網の定置漁業(期間昭和十九年八月三十一日まで)の免許を受け、それぞれ定置漁業権を得(前者は千葉県定第四一八号、後者は同第四一九号)、免許漁業原簿に登録を経た。その後右漁業権の期間は更新されてきた。
原告及び野中喜世太は、右組合が右漁業権を得ると同時に、右組合から右漁業権を賃借した。その賃貸借契約においては、(イ)期間は漁業権の期間とし、漁業権の更新の場合は昭和十四年のほか二十漁期(一漁期は一月一日から十二月三十一日まで)存続するものとし、(ロ)賃借人が転貸、自営、共同経営のいずれの処置に出ても賃貸人においては異議なく、(ハ)賃貸借契約の解除は賃料の支払を遅滞する場合に限つてすることができる、と定めた。右賃借権の持分は、原告千分の六百七十五、野中千分の三百十五の割合であつたが、野中は、昭和十五年九月中原告の同意を得て、その持分の八分の五を高橋亘に、八分の三を池田菊之輔に譲渡した。右三名の共同賃借人は一時共同経営をしていたが、昭和二十年三月に至り原告及び池田は高橋に対し、期間昭和三十四年十二月三十一日まで、賃料一漁期一万円なる約で右漁業権を転貸した。その後池田は原告の同意を得て右持分を高橋に譲渡した。即ち、原告は右賃借権の千分の六百七十五の持分権者であり、高橋は同じく千分の三百二十五の持分権者かつその余の部分の転借人である。
原告等は漁業法施行法(以下この法律を指す場合は単に法という)第九条により右賃借権消滅に対する補償金を受けることができることになつたところ、千葉県漁業権補償委員会は、昭和二十六年八月四日原告等に対し漁業権等補償計画を定めるにあたり、同法第十条第三項第六号の適用を除外し、前記千葉県定第四一八号の漁業権の補償金額百九十八万円の二割(右第十条第三項第五号)に当る三十九万六千円、千葉県定四一九号の漁業権の補償金額七百二十六万円の二割に当る百四十五万二千円をもつて原告等に対する補償金額とした。しかし原告等に対する補償金額の決定については、のちに述べるように、右第十条第三項第六号によるべきもので、右補償計画で定めた額は少なすぎるから(右第六号を適用すべきでないとすると右の額でよい)、原告は同年八月三十一日右漁業権補償委員会に異議の申立をしたところ、同委員会は、原告等に対する補償金額の決定については漁業法施行法第十条第三項第六号を適用すべきでないとして、同年十月二日附決定で原告の異議申立を却下した。原告はこれに不服を唱えて同年十月二十二日千葉県知事に訴願したところ、同知事も同じ見解のもとに訴願を棄却する旨裁決し、裁決書は同年十二月二十七日原告に送達された。
ところで、原告等の賃借権たるや次のような由来特質をもつものである。
原告及び野中百次郎の先祖は明治維新の前から、千葉県安房郡西岬村字見物から館山町館山までの前浦及び沖の島、鷹の島の周囲を漁場とする地曳網漁業を営んできた。古来右漁場は下原三帖といわれ、館山内湾において最大のもので、魚市場にもその名が知られていた。従つて明治三十五年はじめて漁業法が施行されるや、明治三十六年中特別漁業権としてまつ先に免許されたという由緒があるものである。
大正五年中附近の坂田、波左間の前浦に大謀網が定置されることになつたので、原告及び野中百次郎も下原三帖の地曳網漁業を台網類漁業大謀網に代えて時代の推移に応じようと考え、大正六年中その出願をしたところ、同年十二月三日附で免許があつた。これ即ち、千葉県定第八三号、同第八四号の定置漁業権である。この時は地元漁業組合でも同一免許を出願し、競願となつたが、これは免許されなかつた。
原告等の右定置漁業権の存続期間は二十カ年で、昭和十二年は期間満了の年にあたる関係で、原告及び野中は存続期間更新の申請をした。一方見物を除く三区、即ち西岬村字香、塩見、浜田の漁業者は、原告等の漁業権の存続期間の満了を見越して、その前年たる昭和十一年十二月二十八日保証責任西岬村下原漁業協同組合を設立し、昭和十二年原告等の右更新申請と前後して定置漁業権の免許を申請し、かくして双方の競願になつた。
千葉県では、漸次地元部落に免許しようという政府の方針に従い、双方を妥協させるために骨を折つたがまとまらず、昭和十三年度は臨時の妥協的措置として漁業を実施しないことにして過ごし、昭和十四年二月四日に至つて、漸く県のあつせんが実を結び、原告及び野中喜世太(百次郎の承継人)と右組合との間に妥協ができて、覚書が作られたので、千葉県知事は、きびしい条件をつけて、定置漁業権(前記千葉県定第四一八号、同第四一九号)を免許した。即ち右組合が定置漁業権の免許を得たときは、その漁業権を原告等に賃貸しなければならない(賃貸借の内容は前記の通り)、これに反するときは右免許を取消すことあるべし、というのである。
前記覚書の趣旨により、右組合は右漁業権を前記約定で原告及び野中喜世太に賃貸した。この賃借権たるや、右漁業権を免許するにあたり設定することを必要としたもので、他に類をみない特殊のものであり、原告等から父祖伝来の定置漁業権(地曳網漁業権が形をかえたもの)を取上げて右組合に与えた代償と解してはじめて理解できるものである。即ち原告等の右賃賃借権は従来の漁業権にかわるという性質を有するものである。
原告等の賃借権の由来特質は以上の通りである。この賃借権に対する補償については、法第十条第三項第六号の「特別の事由により前各号に掲げる額によることができない場合又は著しくは不適当であると認められる場合」にあたるものとして、特別の補償を定めなければならない。
原告のみるところによると、原告等の右賃借権に対する補償額は右組合の漁業権に対する前記補償額(合計九百二十四万円)の四割にあたる金三百六十九万六千円が相当である。
よつて原告は、法第十五条により、被告に対し、右金三百六十九万六千円から前記補償計画所定の百八十四万八千円を控除した金百八十四万八千円の千分の六百七十五に当る金百二十四万七千四百円の増額の支払を求める。
かように述べた(立証省略)。
被告代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答弁した。
保証責任西岬村下原漁業協同組合が原告主張のような定置漁業権をもつていたこと、原告及び野中喜世太が右漁業権につき原告主張のような共同賃借権をもつており、野中が昭和十五年九月中原告主張のようにその持分を高橋亘、池田菊之輔に譲渡し、右三名が右賃借漁業権につき一時共同経営をしたのち、昭和二十年三月に至り原告及び池田が原告主張のとおり高橋に転貸したこと、池田がその後その持分を高橋に譲渡したこと、千葉県漁業権補償委員会が今次漁業改革にあたり昭和二十六年八月四日原告主張のような漁業権等補償計画を定めたこと、これに対し原告が同年八月三十一日右漁業権補償委員会に異議の申立をし、同委員会が同年十月二日附で原告主張のように異議申立棄却の決定をしたこと、これに対し原告が更に同月二十二日千葉県知事に訴願し、同知事が訴願を棄却する旨裁決し、その裁決書が同年十二月二十七日原告に送達されたこと、原告及び野中百次郎の先祖に対し明治三十六年中特別漁業権が免許されたこと、原告及び野中百次郎が下原三帖の地曳網漁業を台網漁業大謀網にかえて大正六年中千葉県定第八三号同第八四号の定置漁業権の免許を受けたこと、このとき地元漁業組合でも同一免許を出願し、競願となつたが、これは免許されなかつたこと、原告等が昭和十二年中右定置漁業権の存続期間の更新の申請をし、一方原告主張のように昭和十一年十二月二十八日にできた保証責任西岬村下原漁業協同組合も昭和十二年中原告の更新申請と前後して定置漁業権の免許を申請し、かくて双方の競願となつたこと、右につき千葉県当局のあつせんがあり、昭和十四年二月四日原告等と右組合との間において覚書が作られたこと、千葉県知事が昭和十四年二月二十三日及び同年七月五日右組合に対し千葉県定第四一八号、同第四一九号の定置漁業権を免許するにあたり、右覚書の条項を厳守すべく、もしこれを実行しないときは免許を取消すことがある旨の条件をつけたこと、右覚書の趣旨により右組合が右漁業権を原告等に賃貸したのであり、右覚書の条項従つてまた漁業権賃貸借の内容に原告主張のような条項があつたことは認める。原告等の賃借権が普通の賃借権と異り本来の漁業権にかわる性質を有する特殊のものであるという原告の主張は争う。また原告等の右賃借権に対する補償額の決定については、のちに述べるように漁業法施行法第十条第三項第六号によるべきものではない。その他の原告主張の事実は知らない。
原告等の賃借権に対する補償額を決定するについて法第十条第三項第六号を適用すべきでない理由は次のとおりである。
(イ) 漁業権の免許は漁業権の存続期間満了後諸事情を勘案の上新たに県が与えるものである。千葉県が前記組合に漁業権を免許するにあたり覚書の条項を守ることを条件としたのは、競願者たる原告等とのまさつを防いでやろうという行政的配慮に出たものであつて、これがため原告等の賃借権が法律上特殊なものであり、補償に関し特殊性を有するものであるとすることはできない。即ち原告等の権利は法第十条第三項第五号にいわゆる賃借権たることに変りなく、その補償金額は同条同号により漁業権の補償金額の二割に相当する額の範囲内において決定さるべきである。
(ロ) 原告がその請求の根拠としてあげる法第十条第三項第六号にいわゆる「特別の事由により前各号に掲げる額によることができない場合又は著しく不適当であると認められる場合」というのは、原告主張のような個別的事情をさすのではなく、のちに述べるような共通的類型的な場合をさすのである。
このことは、まず、同号が「主務大臣が定める基準によつて算出した額」と規定したことから推測することができる。即ち、この場合においては、農林大臣が別に基準を決定し、漁業権補償委員会がこの基準にもとづいて算出することになるのである。農林大臣が基準を定めるという以上、「特別の事情により前各号によることができない場合又は著しく不適当であると認められる場合」が共通的類型的な事由であるとみなければならない。
もし原告の主張するように、いわゆる特別事由が個別的事由をさすものであるならば、本法律自体に弾力性ある調整規定を設けるべきであり、農林大臣に別に基準を決定させる必要はないわけである。
次に個別的特別的事由による調整は同条第四項によつて定められていることからもわかる。即ち、同条同項は、補償金額算定の基礎となるべき賃貸料及び漁獲金額は、漁業権調査規則にもとづいて報告した額によるとの原則をたて、賃貸料については、「漁業会がその会員に賃貸したため賃貸料が著しく低い場合、事情の変更によつてその賃貸料によることが著しく不適当である場合その他特別の事由がある場合」においては、その賃貸料によらず、漁業権補償委員会が近傍類似の漁業権の賃貸料を参しやくして定める額を賃貸料とし、また漁獲金額については、「基準年度の不漁、天災等により漁獲金額が著しく少い場合その他特別の事由がある場合」においては、その漁獲金額によらず、同委員会が近傍類似の漁業権の漁獲金額を参しやくして定める額を漁獲金額とし、これにもとづいて補償金額を算出することにしている。この第四項こそは明らかに個別的特別事由ある場合に補償金額を調整するための規定である。
以上の理由により、法第十条第三項第六号にいわゆる特別事由は原告主張のような個別的事由をさすのではなく、法第十条第三項第一号ないし第五号では律し得ないような例外的類型的な場合をさすものと考えるべきである。
(ハ) しからば法第十条第三項第六号にいわゆる特別事由は具体的に如何なる事由をさすか。
行政においては、裁判におけると異り、まず一般的妥当性即ち横の公平が重視されなければならない。行政においては同種のケースが頗る多数であり、しかもこれを同時にかつ急速に処理しなければならない場合が多いからである。しかし裁判において具体的妥当性が重んぜられる反面一般的妥当性も無視することができぬと同じく行政においては、横の公平即ち一般的妥当性が重視される反面可及的に具体的妥当性に近づくことが要請される。
かくて法第十条第三項は、第一号ないし第五号によつて、一定の基準年度における権利関係を基とし客観的資料にもとづき機械的に算出することにより極力横の公平を期する反面、その第六号によつて、類型的特別事由がある場合にこれを具体的に調整することにしたのである。
以上述べた横の公平の要請にこたえるため、客観的資料を蒐集する目的をもつて、法第十条は、昭和二十二年七月一日から昭和二十三年六月三十日までを基準年度と定め、漁業権調査規則(昭和二十三年農林省令第五十二号)にもとづき、この基準年度における権利関係と賃貸料及び漁獲金額とを報告せしめ、この権利関係と金額とを補償の資料としたのである。
元来漁業権の補償は、漁業権の消滅時における権利者に、その権利状態に応じた補償をするのが理論的にも実際的にも正しい。しかし全国何万という漁業権の補償を、消滅時における権利状態に応じて一時に補償することは、基礎資料の蒐集上また手続その他の事務上不可能なことである。そこで叙上のように基準年度における権利状態を調査すると同時に、その状態を権利消滅時まで可及的に維持せしめることが必要とされた。漁業権等臨時措置法及び漁業法施行法が権利関係の現状変更禁止の処置をとつたのはそのためである。しかしこの現状不変更の原則を貫ぬき得ない場合のあることは当然である。この場合のために法律は知事の認可による変更を認めた。かくて例外的に、基準年度と消滅時の権利状態に変動ある場合が生じた。
さて法第十条第三項第一号ないし第五号の規定は、前述の原則の場合即ち基準年度の権利状態と消滅時における権利状態とが同一の場合の規定であることは、右規定と法第九条を綜合して容易に理解することができる。例外の場合即ち基準年度の始期に漁業権がないか又は基準年度の権利状態と消滅時の権利状態とが一致しない場合に法第十条第三項第一号ないし第五号の規定を適用するのは、不可能もしくは著しく不当であることは、当然である。かかる例外の場合の算定基準を主務大臣の決定に委ねようというのが、そもそも法第十条第三項第六号の趣旨である。
例外の第一類型は、基準年度の始期に漁業権がなく、その翌日以後に免許された場合である。この権利については右第一号ないし第五号はこれを適用することができない。そこで法律は第六号で「特別の事由により前各号に掲げる額によることができない場合云々」と規定して、この第一類型の場合を含ませた。
例外の第二類型は、基準年度の権利状態と消滅時の権利状態とが一致しない場合である。この場合に基準年度の権利状態によつて補償することは、補償の理論に反し、著しく不適当である。右第六号に「……著しく不適当であると認められる場合」というのは、この場合のことである。
以上例外の二類型の場合についてのみ農林省告示第四十七号(昭和二十六年二月二十一日告示)は定めている。その第一ないし第四は右第一類型の場合に当り、第五ないし第八は右第二類型の場合に当る。以上二類型のほかに、類型的な特別事由は考えられない。
(ニ) 本件の場合はどうか。原告の賃借権の補償金額について、法第十条第三項第六号を適用することができないことは、以上のとおりである。
漁業権調査規則による報告によると、原告等賃借人が賃貸人組合に対して払つた賃料は、本件定第四一八号漁業権につき百円、第四一九号漁業権につき四千九百円、合計五千円であるから、法第十条第三項の規定のみによつて補償金を算出しなければならないとすると、漁業権者は五千円の十一倍即ち五万五千円であり、原告等賃借権者は五万五千円の二割即ち一万一千円となる。しかるに漁業権補償委員会は、右第十条第四項により、本件の定置漁場の価値その他の特殊事情を考慮し、近傍類似の賃借料を参しやくして、補償計画において、原告等全賃借権者の補償額は、定第四一八号につき三十九万六千円、定第四一九号につき百四十五万二千円と決定し、知事はこれを承認した。即ち、原告等は合計百八十四万八千円の補償額の決定を受けたのである。本件漁業権の賃料は昭和十五年以来五千円であつた。これを基準年度の適正価格に換算すると、五千円を七十倍(総合魚価指数は昭和二十二年度は昭和十五年度の七十倍)した三十五万円になる。これを基準として算出すると漁業権者の補償金額は三十五万円の十一倍即ち三百八十五万円となり、賃借権者の補償金額はその二割即ち七十七万円となる。これは原告等に対する本件補償金額の二分の一以下である。これをもつてみても、本件補償金額は不当でないことがわかる。
以上の理由によつて原告の請求は失当である。
かように答弁し、「甲第四号証が真正にできたかどうかは知らない。その他の甲号各証が真正にできたことは認める。」と述べた。
三、理 由
保証責任西岬村下原漁業協同組合が原告主張のような定置漁業権をもつていたこと、原告及び野中喜世太が右漁業権につき原告主張のような共同賃借権をもつており、野中が昭和十五年九月中原告主張のようにその持分を高橋亘、池田菊之輔に譲渡し、右三名が右賃借漁業権につき一時共同経営をしたのち、昭和二十年三月に至り原告及び池田が原告主張のとおり高橋に転貸したこと、池田がその後その持分を高橋に譲渡したこと、千葉県漁業権補償委員会が今次漁業改革にあたり昭和二十六年八月四日原告主張のような漁業権等補償計画を定めたこと、これに対し原告が同年八月三十一日右漁業権補償委員会に異議の申立をし、同委員会が同年十月二日附で原告主張のように異議申立棄却の決定をしたこと、これに対し原告が更に同月二十二日千葉県知事に訴願し、同知事が訴願を棄却する旨裁決し、その裁決書が同年十二月二十七日原告に送達されたことは、当事者間に争いがない。
原告が右補償金額に対して不服を唱える理由は、右補償金額決定について漁業法施行法第十条第三項第六号を適用しなかつたのは違法である、というのである。
しかし当裁判所は、原告等賃借人に対する補償金額の決定については、やはり、法第十条第三項第六号を適用すべきでない、と考える。その理由は次のとおりである(ほぼ被告のいうところと同じである)。
(一) 漁業権の免許は県がいろいろな事情を勘案して与えるものであり、必ず旧漁業権者に与えなければならないというものではない。千葉県が前記組合に漁業権を免許するにあたり覚書の条項を守ることを条件としたのは、競願者たる原告等とのまさつを防いでやろうという行政的配慮に出たものと認めるほかなく、これがために原告等の賃借権が補償の点に関し特殊性を有するに至つたとみるのは相当でない。即ち原告等の賃借権も法第十条第三号第五項にいわゆる賃借権たることには変りはない。原告のいうところが正しいとすれば、賃貸借契約締結に至る事情が千差万別であるところから、いろいろな事情に応ずるように漁業権者の補償金額に対する賃借権者の補償金額の割合を定めなければならないことになり、煩にたえないこととなるのみならず、法第十条第三項第五号が賃借権と使用賃借による借主の権利とを同列においたことも均合がとれないことになる。賃貸借契約ができるに至つた事情の如きは法第十条第三項第五号所定の比率に影響を及ぼすものでないとするのが法の精神であろう。
(二) 法第十条第三項第六号にいわゆる「特別の事由により前各号に掲げる額によることができない場合又は著しく不適当であると認められる場合」というのは、共通的類型的な場合をさすものと解するのが相当である。このことは、同号が「主務大臣が定める基準によつて算出した額」と規定したことから推測することができる。即ち、この場合においては、農林大臣が別に基準を定め、漁業権補償委員会がこの基準にもとづいて算出するのであるが、基準を定めるという以上、「特別の事由により前各号によることができない場合又は著しく不適当であると認められる場合」というのは共通的類型的な事由をさす、とみなければならない。法第十条第四項は個別的な特別事由がある場合における漁業権の補償金額の調整を定めているのであるが、もし原告主張のような個別的な特別事由を法第十条第三項第五号所定の「二割」の率を変える意味をもつ特別事由とする趣旨であるとするならば、同条第四項のように、同条第三項第六号自体に弾力性ある調整規定を設けるべきであつたのである。それをせずに、別に主務大臣に調整基準を定めさせることにしたところをみると、右第六号の「特別の事由」は原告主張のような個別的な特別事由は含まない、とみるのが相当である。
(三) 法第十条第三項第六号にいわゆる特別の事由は具体的に如何なる事由をさすものであろうか。そもそも行政処分においては、まず、一般的妥当性即ち横の公平が重視されなければならない。具体的に妥当な結果を得ることを忘れてはならないにしても、行政においては同種の事件が多数あり、これを同時かつ急速に処理しなければならない場合が多いからである。法第十条第三項は、第一号ないし第五号によつて、一定の基準年度における権利関係を基とし客観的資料にもとづき補償金額を機械的に算出させ、まず横の公平を期しようとした反面その第六号によつて、類型的特別事由がある場合に具体的に妥当な結果を得ることをも努めたのである。この横の公平の要請にこたえるため、法第十条は、昭和二十二年七月一日から昭和二十三年六月三十日までを基準年度と定め、漁業権調査規則(昭和二十三年農林省令第五十二号)にもとづき、この基準年度における賃貸料と漁獲金高とを報告せしめ、これを補償の資料としたのである。元来漁業権の補償は、漁業権の消滅時における権利者にその権利状態に応じた補償をするのが理論的にも実際的にも正しいのであるが、しかし全国多数に上る漁業権の補償を、消滅時における権利状態に応じて一時に行うことは、事実上不可能なことであるので、叙上のように、基準年度における賃貸料等を調査させるとともに、漁業権等臨時措置法、漁業法施行法は、基準年度における権利状態を権利消滅時まで可及的に維持させようとした。しかし、この現状変更禁止の原則を貫き得ない場合のあることを考え、右法律は、知事の認可による現状変更を認めたので、ここに例外的に基準年度の権利状態と消滅時の権利状態に変動ある場合が生じた。法第十条第三項第一号ないし第五号の認定が、右原則の場合即ち基準年度の権利状態と消滅時の権利状態とが同一である場合を眼中において定めた規定であることは、右規定と法第九条を合せ考えて理解することができる。例外の場合即ち基準年度の始期に漁業権がない場合又は基準年度の権利状態と消滅時の権利状態とが一致しない場合になお法第十条第三項第一号ないし第五号の規定を適用することは、不可能であるか又は著しく不適当である。いわば具体的妥当性を考えて、この例外の場合の算定基準を主務大臣の決定に委ねようとしたのが、法第十条第三項第六号の趣旨である。例外の第一類型は、基準年度の始期に漁業権がなく、その翌日以後にそれが免許された場合である。この権利については右第一号ないし第五号を適用することはできない。例外の第二類型は、基準年度の権利状態と消滅時の権利状態とが一致しない場合である。この場合に基準年度の権利状態によつて補償することは、著しく不適当である。この二類型のほかに類型的な特別事由は考えられない(昭和二十六年二月二十一日農林省告示第四十七号の第一ないし第四は右第一類型の場合に当り、その第五ないし第八は右第二類型の場合に当る)。以上のとおり考える。
以上説明したとおり原告主張の事情は法第十条第三項第六号の特別の事由にあたるものではない。これにあたることを前提とし、原告等賃借人に漁業権の補償金額の四割にあたる補償金額を与えなければならないとする原告の主張は、失当である(弁論の全趣旨によると、千葉県漁業権補償委員会は、原告主張の事情が法第十条第四項の特別の事由にあたるものとして、漁業権の補償金額の調整をはかつたこと、その結果本件賃貸借契約における賃貸料の額を基礎として算出した補償金額より高く原告等の補償金額が定められたことが認められる。そして、原告も、同条第三項第一号ないし第五号第四項によつて補償金額を定めるべきものとすれば、前記委員会が定めたとおりの補償金額でよいといつている。
よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 新村義広 入山実 石沢健)