東京地方裁判所 昭和28年(ワ)10870号 判決 1957年1月24日
原告 岩田松太郎 外一名
被告 張履 外一名
主文
被告両名は各自岩田松太郎に対し金二十六万六千円原告岩田静子に対し金十五万円及びそれぞれこれに対する昭和二十八年十二月二十一日以降その完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし、
原告等のその余の請求は棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告等、その余を被告等の負担とする。
この判決は原告岩田松太郎において金五万円原告岩田静子において金四万円を担保として供するときはそれぞれ勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事 実<省略>
理由
昭和二十八年六月十七日午前十一時三十分頃、被告張の使用者武石虎二郎が被告張所有の自動車(普通乗用車ホンテアツク五二年第三―三四三八五号)を運転し東京都港区麻布宮村町七一番地先、内藤敏男門前に差蒐つた際右道路右側を原告等次女陽子当時五才三ヶ月か歩行していたこと、事故現場附近の状況が原告主張の如くなることは当事者間に争がない。
原告等は本件事故は被告武石が被害者の背後より自動車を衝突せしめたと主張し、被告等はこれを争うので按するに成立に争ない甲第一、二号証の各記載証人佐藤義弘の供述被告武石虎二郎原告岩田松太郎各本人訊問の結果並に検証の結果を綜合すると事故発生現場は麻布十番通りと桜田通りをつなぐ近道で自動車の通りは時々ある程度であるが附近には幼稚園小学校、高等学校が多数ありその登校下校時には相当混雑すること事故発生時刻は午前十一時三十分頃で幼稚園や小学校帰りの児童が打連れ通行していたこと、うす曇りの天候であつたか見通しは悪くなく被告武石は南山小学校南山幼稚園前を通り城南高校前を通過し間もなく事故発生現場手前五〇米ないし六〇米の地点で前方右側道路上を十名位の幼稚園帰りの幼児が二列になつて車と同方向に歩行しておりその地点より前方数米先左側道路上を小学校男児三名位が同じ方向に歩行しているのを認めたので警笛を吹鳴し速度を幾分緩め道路の中央よりやゝ左側(正確にいえば道路の両側の溝の内側から車体の右側までは一米七五糎左側までは一米四八糎のところ)を大丈夫と予測し右側幼児の傍を通り過ぎようとしたところ自動車の右後方で何かぶつかるようなドンという音がし、シヨツクをうけたので、車を降りると被害者陽子が右側後部タイヤの前方に頭をつけ両足はタイヤの後方に斜めに出して倒れ腹部のあたりはタイヤの外側でブラウス(上衣)の端がタイヤの下になり倒れていたので、武石は一旦運転手台に戻り車を後退させてから被害者を抱き起し直ちに広尾病院に運んだが頭蓋骨陥没骨折による外出血により同日午后零時二五分死亡したものと認みられる。車体の外部には血痕が認められず被害者の身体には車輪で轢いた形跡がなく前頭部の重傷を除いては顔両手両足に打撲傷のみあるところから推測すると車が二五粁位の速度で陽子の左側をすれすれに通り過ぎようとしたため被害者のスカートが車の下に捲込まれたため顛倒し右側前頭部を道路のコンクリートに打つけ頻死の重傷を負つたものと認められる。
そこで右接触が被告武石の過失によるものであるか否かにつき按するに成立に争ない甲第二号証甲第三号証の一ないし三甲第十七号証証人佐藤義弘の供述によれば本件道路は幅員四米八八糎、自動車がようやく二台併列する位であるから凡そ自動車運転手たる者は前方に幼児が右側通行を守り二列になり歩行しているのを認めた以上速度を低減し幼児の態度姿勢に充分注意し何時にても停車し得るよう操縦し危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あるにかかわらず漫然徐行もせず警笛吹鳴だけで充分と考え道路の左側は未だ一米半近くの余裕があつたのであるから更に左に車を寄せることも不可能でなかつたのにこれを怠り(又車体の右側を助手台附近の処置はみたがそれより後方の処置は首をひねつてみるようなこともせず)陽子の背後よりこれに接触し本件事故を惹起したのであり被告武石につき業務上の過失がある。被告は左側小学生三人は被害者陽子の歩行地点より一間先を歩行していたので道路左側に寄れなかつたと主張し被告武石はこれに添う供述をなしているが成立に争ない甲第十六号証武石被告の供述調書によれば小学生は幼稚園の生徒よりずつと前を歩いていたのであり車を更に一米以上左に寄せることは可能であつたとあり甲第二号証内勝真男供述調書によればキイーツという音がしたので振返えると三〇米後の方にみどり色の自動車が停まつたとあり園児より一間先に小学生が歩いていたという的確な証拠がないばかりでなく仮に左側小学生と園児との距離が一間位しかなかつたとしても被告武石は最徐行で間隔をおきその側面を通過し安全な運行を計るとか或は一時停車して子供達の待避するのを待つて運転するとか適宜の措置を措ることもできたものと考えられるから結局被告の抗弁は理由がない。また被告は幼児は時に車に向つて突進し或は躓くこともあり陽子を後方より衝突せしめたのではないと主張し、被告武石訊問の結果によれば「被害者がひよつとした調子で車の方に飛出して来たのではないか」と陳述するので考えるにかゝる場合が時々あり得ないとは言い得ないが本件の場合かゝる事実は単なる憶測に過ぎず前顕各証拠に比し到底これを採用することができないその他右認定を覆すに足る証拠はない。
次に被告は仮に被告側に過失ありとしても、原告側にも相殺せらるべき過失があるとし本件事故発生現場の如き交通頻繁な場所に於て年令僅か五年三ヶ月の幼女を原告等自ら或は附添人を付けてその通園の往復を監督する等事故の発生を未然に防止すべき義務があると主張するので考察するに、証人佐藤義弘の供述並に検証の結果によると事故現場は車馬の往来は散漫で最近やゝ自動車の交通が増した程度であり歩行者も少なく、唯学校の登校下校時には学童の往来で相当混雑するに過ぎず一般的にいつて交通頻繁な道路ではない。従つてかゝる場所を五才三ヶ月の幼稚園に通園する者を介添人なくして通行させることにつき特に原告側に過失ありとはいえないから被告の抗弁は採用しない。
次に慰藉料の額につき考えるに、原告岩田松太郎訊問の結果によれば原告松太郎は中央大学法学部を卒業し昭和十五年高等試験司法科並に行政試験に合格し、内閣外務省を経て昭和二十六年農林事務官となり現在農林省京都農地事務局官房長であり、同人の財産としては埼玉県児玉郡神保原村に一町四五反の農地を所有すること、妻静子は陽子の不慮の死により精神上筆舌に尽し難い苦痛を蒙りそれ以来数ヶ月は床につき他人の見る目にも忍び難いものがあつたこと成立に争ない甲第十四号証の記載によれば原告等の子女は被害者陽子の外長女綾子(昭和十八年十一月十三日生)があることが認められる。他方被告張履同武石虎二郎原告岩田松太郎各本人訊問の結果によれば被告張は山中湖畔にバンガローを経営し麻布六本木に妻陳知行名義で上海酒家なる料理店を営み麻布宮村町に自宅及び自家用自動車を所有し相当裕福な生活を営んでいること同人は陽子の見舞として凡そ金一万円持つて行き葬式にも参列したこと、被告武石虎二郎訊問の結果によれば被告武石は大正十四年自動車運転手の免許をうけこれまで自動車運転につき事故を起したことはないことが各認められる而してこれ等の事実と前段認定の諸般の事情を綜合すれば原告等の慰藉料はそれぞれ金一五万円をもつて相当とするといわねばならぬ。
次に原告松太郎の蒙つた葬式費用等についての損害額につき判断する。原告松太郎は陽子の死亡により東京と郷里において葬儀を営みその費用として東京において葬儀屋支払金三五〇〇〇円法名料読経料等寺への支払費金一〇〇〇〇円告別式通知状会葬礼状等の印刷及び通信費金一八〇〇〇円雨除天幕借用料並に葬儀手伝人食事費等金二一〇〇〇円会葬答礼費金二〇一〇〇円合計金一〇四一〇〇円郷里埼玉県児玉郡神保原安盛寺における遺骨埋葬儀費用として交通費金二〇〇〇円納骨箱葬儀具一式菩提寺支払金一五〇〇〇円法要食事費金一五〇〇〇円合計金三二〇〇〇円を要し同額の損害を蒙つたと主張するので按ずるに原告松太郎訊問の結果成立を認める甲第五号証の一、二成立に争ない甲第六ないし第九号証甲第十一、十二号証、第十三号証の一、二の各記載原告側に存する前記諸般の事情を参酌すると右被害者の葬儀費用として右支出額は一般に相当であると考えられる。但し右金員中会葬答礼費金二〇一〇〇円はこれを認めることを得ない。蓋し、原告松太郎の供述により成立を認める甲第十号証の記載によれば右金員は幼稚園児童交通事故防止のための施設資金として昭和二八年七月六日原告松太郎より南山幼稚園父兄と先生の会に寄付せられたものであることが窺われるが右寄付は本件事件と相当因果干係を有しないものと認められるからである。従つてこれを除外した合計金一一六〇〇〇円が原告松太郎の陽子の死亡によつて蒙つた損害というべきである。
然らば被告両名は共同して原告等に損害を与えたものというべく原告等に対し慰藉料各自金一五万円原告松太郎に対し葬儀等の諸費用の損害金として金一一六〇〇〇円及びそれぞれに対する本訴状が被告に到達せられた翌日である昭和二八年十二月二十一日以降年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある従つて原告の本訴請求はこの限度において正当として認容すべくその余は理由なしとして棄却せねばならぬ。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決することにした。
(裁判官 藤井經雄 眞田禎一 西塚靜子)