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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)42325号 判決 1958年2月26日

原告 金君孝

右代理人弁護士 牧野芳夫

同右 上山重徳

被告 野村平治郎

同右 野村伊之助

同右 野村イシ

右三名代理人弁護士 花輪長治

主文

被告野村伊之助は原告に対し金九〇五一三円及びこれに対する昭和二八年一二月一八日以降右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告と被告野村イシ同野村平治郎との間においては、原告の負担とし、原告と被告野村伊之助との間においては原告に生じた費用の三分の一を被告伊之助の負担とし、その余を各自の負担とする。

右判決は原告勝訴の部分に限り原告において金三万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

第一、原因関係についての判断

原告が昭和二十七年九月十七日午後九時半頃原告主張の旧住居地において傷害を負つて小野病院に入院加療を受けたこと、被告伊之助が原告にジヤツクナイフ等で傷害を与えたことはそれぞれ当事者間に争いのない事実である。

原告は右傷害は原告を殺害することを共謀した被告等三名の計画的な殺人未遂行為にもとづくものであると主張し原告本人は右主張に副う供述をしているが、成立に争いのない甲第一号証、甲第八号証の三、甲第九号証の三、甲第十号証の三、乙第二号証、乙第三号証の二、乙第四号証、乙第五号証の一、二、乙第六号証の一ないし四、乙第九号証の一ないし三、乙第十九号証、本件傷害の現場を撮影した写真であることに争いのない甲第十一号証の一乃至九、甲第十二号証、証人富岡ゑそ、宮城まり子、同金子静治、同高山一郎の各証言、被告伊之助(第一、二回)、被告平治郎(第一、二回)、被告イシの各本人尋問の結果及び原告本人尋問の結果(第一、二回)の一部(後記認定に反する部分を除く)を綜合すれば

(1)  被告伊之助は柔道初段の技能をもつていながら本件傷害には比較的小さなジヤツクナイフ及びすりこぎが使用され、その傷害として、前頭部、前額部、右前膊部、左前膊部等十六個の切創及び挫創があるがジヤツクナイフによる切創はいずれも横に長い割合に浅い切創であつて、刺創は一つも認められず、すりこぎによる挫創は左右上膊部に存するにすぎず、いわゆる急所をねらつている形跡がないこと。

(2)  右傷害行為は午後九時三十分頃であつて、僅か四尺位しか離れていない隣家の人々が起きている時間であること。

(3)  原告が呻き声を出して生存していることを知りながら伊之助は警察に自首していること

が認められるところ、右事実によれば被告等が原告を殺害することを共謀して本件傷害に及んだとは到底認められないし、被告伊之助の単独の計画的な殺意に基いて行つたものとも認められないのであつて、これに反する原告本人の供述は措信できない。(もし原告主張のように予め殺害の共謀があつたとすれば、柔道初段である被告伊之助は兇行の手段として絞扼の方法を用いたであろうし、ジヤツクナイフを用いるとしても頸部や胸部のような急所を刺す筈であり、兇行の時間も隣り近所の寝静まつた時刻を選んだと思われるし、原告の死亡を見届けるまで兇行を続行する筈で、右のように中途半端な傷害に止まるとは思われない。)

次に、被告等の共謀又は共同による傷害行為であるかどうかであるが、

(4)  成立に争いのない乙第十六号証によれば、原告は本件傷害を受けた翌朝警察官の尋問に対して、伊之助にやられたと述べているだけで、平治郎と伊之助にやられたと述べていないこと、(乙第十五号証の供述記載中これに反する部分は措信しない)

(5)  本件傷害行為の行われている際、被告平治郎が、本件傷害の行われた家屋内に居たことを認めるに足る何等の証拠がないこと。

(6)  被告イシも本件傷害行為に直接手を貸した証拠が全くないこと。

から考えれば、本件傷害行為は被告等三名の計画的な共謀にもとづく行為とは認めることはできないのであつて、偶発的に生じた傷害行為を認めるのが相当である。右認定に反する原告本人尋問(第一、二回)の結果は措信しない。尤も証人宮城まり子の証言中には、被告イシが同証人の居住する隣家高岡方に面した六畳の部屋のガラス窓をしめた旨及びその際人の呻き声や「ぼこんぼこん」という物音がし且つワイシヤツ姿の男が手を振り上げ振り下ろしているような上半身の影の動きが見えた旨供述している部分があり、これによつて被告イシが本件傷害行為の際窓を閉めたものと認めることはできるが、前記のとおり被告伊之助の傷害行為が偶発的に起つたものである以上被告イシの右行為だけをもつて被告伊之助の右傷害行為を容易ならしめんがためなしたものと認定するに足りない。その他被告伊之助以外に被告イシ及び同平治郎が本件傷害行為に加担したことを認めるに足る証拠はない。

してみると、本件傷害行為は、被告伊之助の単独行為としては認め得るも被告等三名の共同不法行為にもとづくものであるとは認め難い。結局少くとも原告の被告イシ及び同平治郎に対する本件損害賠償請求は理由がない。

そこで被告伊之助についての抗弁につき按ずるに、同被告は、本件傷害行為は、原告の被告伊之助及び同平治郎に対する急迫不正の侵害に対して已むを得ずしてなした正当防衛行為であるから原告の被告伊之助に対する請求は失当である旨抗弁するので本件傷害の前後の事情について検討するに、前記甲第八号証の三、甲第九号証の三、乙第二号証、乙第三号証二、乙第四号証、乙第五号証の一、二、乙第六号証の一ないし四、乙第九号証の一ないし三、証人富岡ゑそ、同宮城まり子、同金子静治、同高山一郎の各証言、被告伊之助(第一、二回)、被告平治郎(第一、二回)、原告本人(第一、二回)各本人尋問の結果(後記認定に反する部分を除く)ならびに前記認定の事実を綜合すれば、被告イシは平治郎の実姉であり、被告伊之助は被告平治郎の実弟という関係にあつたこと(右事実は当事者間に争がない)、被告イシは昭和二十六年四月頃より原告と内縁関係を結ぶに至つたが夫婦仲が悪く屡々度を過ぎた夫婦喧嘩をすることもあり、原告の事業の不首尾や被告イシに対する乱暴な振舞も加わつて、両者の対立を一層深刻なものにしてきたこと、就中本件傷害事件の発生する四日前である昭和二十七年九月十四日の夜などは原告はジヤツクナイフを持つて被告イシを近所中追廻した末被告イシの管理する所持金の一部を持出し費消し数日間帰宅せずここに右金銭について利害を有する被告伊之助同平治郎も原告に対し快からず思うようになり、事件当夜は被告平治郎が原告宅を来訪し被告等三名にて原告の前記十四日の被告イシに対する乱暴について面責すべく原告の帰宅を待ち受けていたところ原告は当夜相当酩酊して帰宅し、被告平治郎に腕相撲を挑み、被告平治郎がこれに応じようとするやその頸首を絞めたことが発端となり被告伊之助が被告平治郎を原告から引離そうとして格闘となり、被告伊之助が、原告に対しジヤツクナイフをもつて切創を与えついですりこぎをもつて挫創を与えたものであることが認められる(右認定に反する原被告各本人尋問の結果は措信しない)がジヤツクナイフは誰が所持していたか、原告と被告伊之助のどちらが先にジヤツクナイフを使用したかについては原告本人と被告等各本人は全く正反対の供述をしており、そのいずれが真実であるかについては全証拠をもつてしても、遂に心証を得ることができない。(ジヤツクナイフが誰の所有であつたかは、ジヤツクナイフを誰が所持していたかを認定するについて重要な徴憑であるがこれを認めるに足る適確な証拠がない。又原告と被告伊之助の格闘を見ていたと思われる原告の実子幸子が、原告の影響を受けない間に述べた供述は極めて重要な証拠と思われるが、右供述は存在しない。しかして単に前記のような状態にあつた被告平治郎を救うためだけならばジヤツクナイフをもつて前記認定のような傷害を与えるまでの必要がないし、それ以上に原告が被告平治郎又は被告伊之助に対し、急迫不正の攻撃を加えたことを認めることができないこと前記のとおりであるから、被告等主張の正当防衛の抗弁は理由がない。しかしながら前記認定の如き事件当夜までの被告イシに対する態度及び当夜の挑発的言動就中被告平治郎の首を手で絞めたことが発端となり被告伊之助が同平治郎を原告から引離さんとして格闘となりジヤツクナイフにより上記認定の如き傷害を加える結果となつた事実関係によれば原告側においても本件傷害の発生について責を負うべき事由が存するものと認められ民法第七百二十二条の過失相殺の法理によつてその損害の一部を原告に分担せしむべきを相当とする。而してその分担の割合はいうまでもなく有責の程度の比較によらなければならないが当裁判所は前述した諸般の事情を綜合斟酌して本件傷害によつて原告に生じた損害額の三分の一は之を原告に負担せしめその余について被告伊之助に之を負担せしめるのが至当であると考える。

そこで進んで被告等は原告に対して昭和二十八年三月頃示談金として金五〇、〇〇〇円を原告に交付し原告は本件傷害にもとづく損害賠償請求権を放棄した旨の抗弁について考えるに、被告伊之助同平治郎の各本人尋問(各第一、二回)の各結果中には被告等は本件傷害について別件浦和地方裁判所における傷害刑事被告事件の第一審公判中にその刑事被告人であつた被告伊之助に対する量刑を有利に導くため担当弁護人の強い要望もあつて被告平治郎は原告に対して示談金として金五〇、〇〇〇円を支払い原告は右金員を受領して今後一切のごたごたは止めることを約束した旨の供述はあるが原告本人尋問の結果に照らしてにわかに措信しがたく、かえつて成立に争のない乙第十八号証前記浦和地方裁判所における被告伊之助の傷害刑事被告事件の担当弁護人川野豊作成にかかる第一審判決に対する控訴趣意書中にはその量刑に関する詳細な理由の記載があるに拘らず右示談金の支払については一言もふれていないことが文面上明らかで、右はむしろ被告主張の如き示談金の支払がなされていなかつたことを窺わしむる証左と言わざるを得ない。その他被告等が原告にその主張する如き示談金を支払つたことを認めるに足りる何等の証拠はない。従つて被告の前記抗弁はいずれも採用できない。

よつて被告伊之助は原告に対して本件傷害と相当因果関係にある損害額(後記第二に於てその範囲を確定する)の内三分の二に相当する額につき損害賠償債務を負担すべきものである。

第二、数額についての判断

次に進んで本件傷害によつて原告に生じた損害額について検討する。

(一)  入院費及び治療費関係

成立に争のない、甲第五号証の一乃至五、甲第六号証に、証人高山一郎の証言並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果を綜合すれば小野医院の入院費(治療費を含む)が合計金二五、一二〇円であること、輸血代が金二、二五〇円であつたこと及びそれらの費用が本件傷害の治療に必要なものであつたことを認めることができる。右認定に反する証拠はない。

(二)  看護婦料金

原告は看護婦代として昭和二十七年九月十七日から昭和二十八年三月三十一日までの合計金八七、八五〇円を請求しているが被告本人尋問の結果によつて成立を認めうる甲第七号証の一乃至六によれば原告は右期間は看護婦を雇い看護料金及び食費として合計金八七、八五〇円を支払つたことは認められるところ成立に争のない甲第五号証の一によれば原告の病状は少くとも昭和二十七年十一月三日迄通院治療を要したものであることが認められる。尤も成立に争のない乙第十九号証及び被告平治郎竝びに原告本人尋問(第二回)の結果によれば原告は同年十月六日の退院時すでに歩行が自由であつたことの外右看護婦が原告の通院加療の末期頃は原告の子供幸子(当八才)の世話等家政婦的な役目も兼ねていたことが窺われるが、弁論の全趣旨に徴し当時の原告の病状を考えると、昭和二十七年九月十八日より同年十一月三十日までは看護婦の付添看護が必要であつたものと認めるのが相当であり、それ以後の付添看護婦は単に家政婦としての仕事をしていたものと認むべきものであつて原告の傷害の治療に必要なものとは認められないからその看護料は本件傷害と相当因果関係のないものというべきである。而して右相当因果関係にある期間の看護料金は前顕成立を認めた甲第七号証の一により金三三、四〇〇円であること明らかであるから右限度で之を認容することができる。以上認定に反する各証拠は措信しない。

(三)  その他の費用

次に原告はマツサージ代として金二〇〇〇〇円、眼科医代として一〇、〇〇〇円、服薬代として二〇、〇〇〇円、食餌療法費用として金五〇、〇〇〇円を請求しているが、原告本人尋問(第一、二回)の結果中には、右主張に副う趣旨の供述部分があるが右供述部分を以てしても原告主張の右各費用が或いはどの程度まで相当因果関係の範囲にあるものか若しくは原告がどの範囲までその主張通りの金額を現実に支出したかについて疑を容れる余地があり右原告本人の尋問の結果以外には何ら以上の諸点を明らかにすべき証拠はない。よつて原告のこの部分についての請求は認められない。

(四)  慰藉料

最後に慰藉料の算定について判断すると成立に争のない甲第一乃至第四号証甲第十二号証乙第四号証乙第十九号証に証人高山一郎の証言原告本人尋問(第一、二回)の結果を綜合すれば原告は前記認定の如く大小十六箇に及ぶ切創を受け出血多量のため一時意識を喪失し当時は重態であつたが多量の輸血等の治療により生命の危険を脱しその後の治療の結果一応治癒されたものとはいえ前記切創中右頬部の切創によつて右顔面神経が切断されたため右顔面神経は麻痺し右口唇及び右眼瞼の運動が障碍され眼球運動筋麻痺により眼球運動困難となり物体が二重に見えるような時もあり十全な作業能力を著しく減少し又両眼尻附近の切創により涙管が切断され涙の鼻腔への流出が不能となり更に左尺骨神経麻痺のため左第四第五指は運動困難になるという永久的身体障碍を止めていること。他方顔面数箇所の切創は創口が化膿により傷痕を残しているので、容貌を醜くしてしまつたこと、原告は本件傷害当時印刷工場を経営していたが本件傷害による入院及び通院治療のため中断され現在は古物商を営み月収大凡そ一三〇〇〇円程度と推測されること、原告の実子(前妻の子)幸子を扶養していることなどの事実を認めることが出来る。右認定を覆すに足る証拠は存しない。

以上認定の事実関係と本件傷害における原告の有責性(前記第一の過失相殺を判断した際認定したところによる)とを衡量斟酌すれば原告の本件傷害にもとづく精神的苦痛は、金五〇〇〇〇円の金員の支払を受けることにより一応慰藉され得るものと考えるのが相当である。

(五)  損害額の総計及び結論

よつて被告伊之助は原告に対し以上認定にかかる治療費等の損害額合計六〇、七七〇円の中前記過失相殺により原告に負担せしむべき三分の一に相当する額を控除した被告伊之助の負担部分である三分の二に相当する額金四〇五一三円(右額は算数上明らかである。但し円位未満の額については昭和二十八年七月十五日法律第六十号小額紙幣の管理及び支払金の端数計算に関する法律を適用計算した額による)及び前記認定の慰藉料額金五〇、〇〇〇円との合計額金九〇五一三円及び右金員に対する本件不法行為後たること明らかな昭和二十八年十二月十八日以降右金員完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がありその余の原告請求部分については賠償の責を負うべき理由はないから以上認定の数額についてのみ原告の被告伊之助に対する請求を認容しその余の請求は理由がないので之を棄却し又原告の被告平治郎及び同イシに対する請求はいずれも理由がないので棄却することとし訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条、第八十五条を、仮執行の宣言については同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 石井玄 林田益太郎)

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