大判例

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東京地方裁判所 昭和28年(行)42号 判決

原告 丹原猛夫

被告 国

一、主  文

昭和十五年三月三十一日附書面で届出でたことによる原告の日本国籍の離脱、昭和十九年六月三日の許可による原告の日本国籍の回復は、いずれも無効なることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は「第一次的に、昭和十五年三月三十一日附書面で届出でたことによる原告の日本国籍の離脱、昭和十九年六月三日の許可による原告の日本国籍の回復は、いずれも無効なることを確認する。右第一次の請求が性質上許されないとされる場合に限つて第二次的に、原告は出生による日本国籍を引続き現に有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

原告は大正七年二月七日アメリカ合衆国カリフオニア州において日本人丹原柾夫を父、同丹原安野を母として生まれ、日米二重国籍を取得したが、昭和十五年三月三十一日附書面で原告名義による日本国籍離脱の手続が行われ、これによつて原告が日本の国籍を失つた旨戸籍簿に記載されていることを知つたので、昭和十九年中日本国籍の回復を申請し、同年六月三日内務大臣からその許可を得た。そして原告が東京都杉並区高円寺六丁目七百二十九番地に一家を創立した旨戸籍簿に記載されている。しかし、右日本国籍の離脱は、原告の父柾夫が、当時二十二歳であつた原告の意思にもとづかず、その不知の間に、原告の名義を冒用して手続をしたものであるから当然無効であり、従つて右離脱を前提とする右国籍回復の許可もまた当然無効である。即ち、原告は生れながらの日本国籍を引続き現に有するものであり、原告の日本国籍は国籍回復によるものではない。

詳細の事情は次のとおりである。原告はアメリカでハイスクールの教育を一年受けて日本に渡来し、昭和十五年三月中学校を卒業してアメリカに帰省し、同年五月十日再び日本に渡来し、日本大学に入学し、昭和十六年青山学院高等商業学部に転じた。転校の必要上戸籍謄本を取り寄せてみた際、離脱による日本国籍喪失の旨の記載があることを知り、それは父がやつたことと推測したが、深く意に介せず、問合せもせずに過ごした。昭和十九年三月卒業就職に努めたが、日本国籍がなくては採用できないと拒絶されたので困却し何とかして日本国籍を得たいと考えた末、右国籍離脱の無効たることも知らず、漫然有効と信じて前記国籍回復の申請をして、その許可を受けたのであつた。終戦後帰米したいと考え、米国領事館に申込をしてその許可を待ちわびていたが、なかなか許可を得ることができなかつたので、昭和二十八年三月十六日日本に渡来した父とともに米国領事館に赴き事情を訪ねたところ、右国籍離脱と国籍回復の無効なることが裁判で確定しなければ帰米の許可は出せないといわれた。

原告は戸籍の訂正をしてもらわねばならぬが、それには判決によつて前記国籍離脱、国籍回復が無効なることを確定する必要がある。また前記国籍回復が有効であるならば、わが国籍法八条と同様の規定がある米国法により原告の米国籍は失われて日本の単一の国籍となつているわけであるから、原告は日本国籍を離脱することができないのであるが、前記国籍離脱、国籍回復が無効であるならば、原告の米国籍は失われず、日本二重国籍のままであるわけであるから、原告は日本の国籍を離脱することができるのである。即ち本来日米二重国籍をもつていた者のためには、同じ日本国籍であつても、出生による日本国籍と回復による日本国籍とはその性格を異にするものであるから、原告の現に有する日本国籍が出生によるものであることは、被告がこれを争う限り、その確認を求める法律上の利益があるのである。

よつて請求の趣旨にかかげた通りの判決を求める。

かように述べた(立証省略)。

被告代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答弁した、

原告が大正七年二月七日アメリカ合衆国カリフオルニア州において日本人丹原柾夫を父、同丹原安野を母として生まれ、日米二重国籍を取得したこと、昭和十五年三月三十一日附書面により原告の名義で日本国籍離脱の手続が行われ、原告が日本国籍を失つた旨戸籍簿に記載されたこと、昭和十九年中原告が日本国籍の回復を申請し、同年六月三日内務大臣がこれを許可したこと、原告が東京都杉並区高円寺六丁目七百二十九番地に一家を創立した旨戸籍簿に記載されていることは、認める。右国籍離脱の手続は、原告の父柾夫が原告の意思にもとづかず、原告の不知の間に、原告の名義を冒用していたものであるということは、否認する。原告が詳細な事情として述べていることは知らない。確認の利益に関する原告の見解には賛同できない。

原告主張の国籍離脱の手続は原告によつてなされたものであるから、右国籍離脱も、これに続く国籍回復も、有効である。

かように述べた(立証省略)。

三、理  由

原告が大正七年二月七日アメリカ合衆国カリフオニア州において日本人丹原柾夫を父、同丹原安野を母として生まれ、日米二重国籍を取得したこと、昭和十五年三月三十一日附書面により原告名義で日本国籍離脱の手続が行われ、原告が日本の国籍を失つた旨戸籍簿に記載されたこと、昭和十九年中原告が日本国籍の回復を申請し同年六月三日内務大臣がこれを許可したこと、原告が東京都杉並区高円寺六丁目七百二十九番地に一家を創立した旨戸籍簿に記載されていることは、当事者間に争いがない。

証人丹原柾夫及び原告本人の各供述、鑑定人阿部重造の鑑定の結果を合せ、乙第一号証と対照して考えると、次のとおり認めることができる。

昭和十五年頃在来の日米二重国籍をもつている者の間には、アメリカ人でありながら日本の国籍をもつているのはよくないという考えが支配的になり、日本国籍の離脱をする者が相ついで出たので、原告の父柾夫も原告等の日本国籍を離脱させてやりたいと考えた。当時サクラメントの日本人会が国籍離脱の手続の世話をしてくれていたので、柾夫は、昭和十五年三月頃、原告には話さずに、右日本人会に原告の国籍離脱の手続を頼んだところ、同会の係りの者は同年三月三十一日附原告名義の国籍離脱届書(乙第一号証)を作り、その後の手続をした。右国籍離脱届書(乙第一号証)における作成者としての丹原猛夫なる氏名は原告の書いたものではないし、その名下の拇印も原告の押したものではない。原告はのちに日本に渡来し、青山学院に転校の問題が起つた際、はじめて右の離脱届出のことを知つた。

以上のとおり認めることができ、この認定に反する証拠はない。

してみると、前記原告名義の離脱届出によつては原告の日本国籍離脱の効果は生じなかつたわけである。従つて右国籍離脱の有効であることを前提とする前記内務大臣の許可による原告の日本国籍の回復もまた無効である、といわなければならない。

前記国籍離脱が有効であると、それは原告の国籍に関する身分関係に変動を与え、現在の国籍上の地位を形成しているわけであるから、右国籍離脱の無効であることの確認(離脱を原因とする国籍上の身分関係の不存在確認)を求めることは、確認訴訟の目的となるといわなければならない。また前記内務大臣の国籍回復許可は、原告に日本国籍取得の効果を発生させる処分であり、これにより原告が日本の国籍を取得しているとされている以上、右国籍回復許可の無効であることの確認(回復許可を原因とする国籍上の身分関係の不存在確認)を求めることは、やはり確認訴訟の目的となるものといわなければならない。ところで、原告が日本国籍を離脱したものでなく、従つて日本国籍を回復したものでないとすると、原告は日米二重国籍を保有し(その日本国籍は出生によるもの)、日本国籍を離脱することができることになるに反し、国籍離脱従つてまた国籍回復が有効であるとすると、原告は回復によつて取得した日本国籍だけをもつことになり、右の如何によつて国籍上における原告の地位ははなはだちがつてくる。もとより、原告が米国籍をもつているかどうかは有権的には米国裁判所が決定すべきものであるが、日本の裁判所がする前記確認判決は米国裁判所のする右決定に寄与するところが多く、これによつて原告の日本国籍離脱もまた容易になるものとみるのが相当である。前記国籍離脱、国籍回復許可の有効無効が原告の国籍上の地位にかような重大な影響を及ぼすものである以上、原告は右確認判決を求める法律上の利益を有するものといわなければならない(のみならず、前記国籍離脱、国籍回復許可が無効であるとすると、原告は戸籍を訂正してもらうことができるはずであるが、そのためには右無効確定判決をうけなければならない。この点からいつても右無効確定については確認の利益があるのである)。

原告の第一次の請求は正当である。第二次の請求は第一次の請求が理由なしとされる場合に限り判断を求める趣旨であるから第一次の請求が認容される以上判断すべき限りでない。

よつて訴訟費用の負担について行政事件訴訟特例法第一条民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 入山実 石沢健)

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