東京地方裁判所 昭和29年(モ)6554号 判決
債権者 宮崎県
債務者 大和土建株式会社
一、主 文
債権者債務者間の昭和二十九年(ヨ)第三〇四〇号工事禁止等仮処分事件について、当裁判所が昭和二十九年四月二十二日になした仮処分決定は、債権者において本判決言渡より七日以内に更に金五百万円の保証を立てることを条件としてこれを認可する。
訴訟費用は債務者の負担とする。
二、事 実
第一、債権者訴訟代理人は主文掲記の仮処分決定を認可するとの判決を求め、申立の原因として次のとおり述べた。
一、渡川発電所建設工事の概要。
債権者は県営として小丸川支流渡川において発電所建設工事を実施している。その工事の概要は、小丸川支流の渡川の左岸宮崎県東臼杵郡南郷村大字中渡川と右岸同郡東郷村大字三ケの間に高さ約六十米の堰堤を築造し、この堰堤によつてできる渡川貯水池に小丸川及び渡川上流の河水を貯えた上、その水を圧力隧道を経て渡川発電所に導き、最大出力一万一千七百キロワツト時の発電をすると共に、小丸川下流部の洪水調節と農業用水の供給を企図した工事であつて、総工事費は二十八億七千五百万円の予定である。右工事のうち、東臼杵郡東郷村における水路工区工事、すなわち渡川貯水池の水を渡川発電所に導く圧力隧道工事(以下本件工事という)を債務者において請負い、その他の工事のうち、申請外鹿島建設株式会社が堰堤工区工事を、申請外株式会社熊谷組が発電所工区工事を、申請外鉄道工業株式会社が鬼神野水路第一工区工事を、又申請外株式会社坂下組が鬼神野水路第二工区工事を、それぞれ請負つた。
二、債権者債務者間の請負契約の内容。
債務者の本件工事については、昭和二十七年一月十六日債権者債務者間に請負契約が締結され(以下本件請負契約という)、同日契約書(甲第一号証の一)を作成した。その契約においては請負代金を五千九百万円、完成期日を昭和二十九年三月三十一日と定めたほか一般仕様書(甲第一号証の二)及び設計図により契約の細目及び工事内容を決定した。その後昭和二十八年一月二十日に工事の設計を一部変更する附帯契約(甲第二号証)を締結し、同時に工事代金は六千七百四十六万円に変更された。
三、債務者の本件工事の進捗状況。
債務者は本件請負契約締結後昭和二十八年八月頃までは順調に工事を進め、債務者が同年三月三十一日債権者に提出した工程表(甲第十五号証)においては同年九月十五日迄に本件工事を完成することを、又同じく同年五月二十日に提出した工程表(甲第十六号証)においては昭和二十九年一月三十日にこれを完成することを約しており、圧力隧道の導坑は昭和二十八年六月二日に貫通し、出役労務者も最盛期には二百人を超えていた。しかし、同年九月頃から次第に出役労務者が減少し、昭和二十九年三月下旬にはその数が十人位になり、以来工事は停止状態になつてその完成の見込はなくなつた。債権者は出水による被害を防止するため債務者の請負つた工事のうち取水口工事及び取水口取付道路工事を債権者直営の工事とすることに決意し、債務者と交渉の結果同年三月二十日にこれを内容とする附帯契約を締結し(甲第十一号証)、現在債権者において工事中である。なお債権者は債務者に対し屡々本件工事を促進するよう督促したが、債務者はこれを無視しておきながら同年三月になつてから債権者に対し六ケ月間の工期延期願を提出したが、後述するようにその理由は存在しない。債務者はついに契約上の完成期日である同年三月三十一日までに本件工事を完成することができなかつた。
四、請負代金の支払状態及び債務者よりの増額の請求。
債権者は債務者の要求によりその資金の操作を容易にし本件工事の進行を早めるため昭和二十八年十一月までに請負代金六千七百四十六万円のうち合計五千五百六十九万三千六百三十四円を工事出来高に対する仮払金名義で支払つている。しかし実際の出来高は本件工事全体の約七割四分に当り、これに支払うべき金額は四千九百九十六万円であるから、五百七十三万三千六百三十四円の過払である。又、債権者の融資幹旋により債務者は銀行より八百万円の融資を受け、債権者が有償支給した木材、ワイヤロープ、セメント、鉄材等の工事資材の代金もいまだ受領していない。そのほか、昭和二十八年十二月に至つて年末の資金手当のため債務者所有のコンプレツサー五台の買取り方を求められたので、債権者は同月二十八日に同年十一月十二月分の出来高仮払金名義で三百九十二万五千六百六十五円を支払い、同日債務者より右物件の所有権を取得した。
債務者は昭和二十八年七月請負代金を二千八百八十五万余円増額するよう債権者に申入れて来たが、更に昭和二十九年三月には資金不足のため工事の継続が不可能であることをも理由として三千八百七十九万余円の増額を要求している。債務者が増額を要求する根拠は本件請負契約第九条の「工事中物価又は役務等の変更により請負金額が著しく不適当と認められたるときは甲乙協議の上請負金額又は工事の内容を変更することができる。」という条項に基くのであるが、本件請負契約締結後の物価労賃は「請負金額が著しく不適当」となる程に変動したとは認められない。債権者は他の請負契約にも関係するので充分な検討をしたところ、(イ)労賃については「政府に対する不正手段による支払請求の防止に関する法律」第二条第十一条の趣旨により労働省告示による一般職種別賃金の改訂率と適用期日を基準とすべきであるが、それによつて計算すれば昭和二十七年一月以降約一割の騰貴が認められるのみである。(ロ)木材は本件工事の初期に飯場の建設等に大量に消費してしまい、昭和二十八年六月の九州水害によつて高騰した後には債権者が安価に現物支給しているから、工事代金に著しい影響はない。(ハ)火薬類は請負代金の計算にあたつて昭和二十七年三月に改訂された協定価額を上廻つて見積られていたので昭和二十八年九月改訂の協定価額によつても当初の見積価格を稍上廻つているにとどまる。(ニ)鉄鋼製品は本件請負契約締結後値下りした。従つて債務者の要求するような増額を裏付ける合理的根拠はない。
本来請負金額の増額は受註者が工事を完成した後に考慮さるべきことであつて、工事の途中においては将来における物価労賃の変動が予見できないからその計算は不可能であるのにかかわらず、債務者は完成前その決定を要求した。
五、本件請負契約の解除。
渡川発電所建設工事はすべて昭和二十九年三月三十一日を完成期日とするものであつて、債務者の請負つた本件工事は、他の二区工事のうち特に堰堤二区工事及び発電所工区工事とは密接不可分の関係にある。これら三工事のうちいずれの工事が遅れても発電が不可能となるのであつて、堰堤工区工事は遅延しているものの本件仮処分申請当時には特殊の工法を用いれば昭和二十九年四月下旬に一部発電ができる程度に進捗していたし、発電所工区工事及び鬼神野水路第一工区工事は既に完成し、同第二工区工事も完成に近づいていた。しかるに、債務者は前項に述べた請負代金増額の問題が解決するまでは本件工事を停止したままでおこうとしている。以上の次第で債務者には約定の完成期間内又はその後相当の期間内に本件工事を完成する意思がなく、又その能力もないものと認められた。債務者の請負つた本件工事が停止状態にあつては総工事費二十八億円以上を要した施設が発電不可能のため放置されることになり、かつ梅雨の出水期が迫つて水害による甚大な被害も予想されるに至つたので、債権者は本件工事全体を直営として施行するため本件請負契約第二十八条第一項第一号に基き、昭和二十九年四月九日発信の内容証明郵便をもつて、債権者債務者間の右契約を解除し右書面到達後二日以内に契約解除に伴う措置をとるよう通告したところ、即日債務者に到達し本件請負契約は解除された。
本件請負契約書第三十二条によると、債権者及び債務者は本件工事に関して宮崎県会計規則(昭和二十二年九月宮崎県会計規則第二十号)及び同細則(昭和二十二年十月訓令甲第八十四号)に準拠すべきことになつているが、右会計規則第四十六条は「左に掲げる各号の一に該当するときは契約を解除することが出来る。一、県において止むを得ない必要を生じたとき、二、故意若しくは怠慢により契約を履行せず又は履行する見込がないとき、」と規定している。右の契約解除の意思表示は右規定の一号及び二号にも根拠を有するのである。
六、本件仮処分の被保全権利。
債権者債務者間に作成された本件請負契約書によると、債権者は工事の一部が完成した場合はその部分の検査をなし合格を認めたときは、その合格部分の全部又は一部を使用することができること(第十二条)、債権者は債務者の要求により毎月一回債権者の認定する出来高の十分の九以内に相当する金額を仮払すること(第十六条)及び債権者が本件請負契約を解除した場合において工事出来高部分で検査に合格したものは債権者の所有とし、債権者は当該部分に対する請負代金相当額を支払わなければならないこと(第二十八条第二項)が定められている。さらに、本件請負契約書附属の一般仕様書(甲第一号証の二)によると、「契約を解除したる場合請負人は県の定むる期間内にその職員並に職工、人夫を現場より立退かしむるものとす。斯る場合飯場、機器設備其の他工事に必要なる一切の施設は現状に於て県係員に引渡しをなすものとす」(第九条)、「県が本工事に関聯して他の業者をして一部請負又は直営にて工事又は設備を為すとき請負人の設備を利用することあるも請負人は之は拒む事を得ない。但しその使用期間中、県は機械器具、据付設備の維持、修繕に対する補償を為すものとす」(第十条)と明規されている。
別紙<省略>第一物件目録記載の隧道は債権者支給の工事材料(セメント、鉄管、鉄筋等)によつて工事をしたものであるから原始的に債権者の所有に属する。仮にそうでないとしても、債権者は少くとも毎月一回ずつその出来高を認定し、これに対する出来高仮払金の支払をして既成部分の引渡を受けており、他方いまだ引渡を受けない部分も契約を解除したので、前記の特約(契約書第十二条第十六条及び第二十八条第二項)によりその所有権は債権者に帰属している。このように債権者は第一物件目録記載の隧道に対しては所有権に基き引渡請求権を有するが、これと競合して一般仕様書第九条に基く引渡請求権も有している。第三目録記載の物件は既に第四項に述べたように債権者の所有に属するから所有権に基く引渡請求権を有するが、それと競合して一般仕様書第九条に基く引渡請求権を有する。
第二、第四物件目録記載の物件は債務者が本件工事に使用するため設備した債務者所有の物件であるが、債権者には一般仕様書第九条に基き引渡請求権がある。
七、本件仮処分の必要性。
(イ) 前述したように渡川発電所建設工事のうち発電所工区工事と鬼神野水路第一工区工事とは既に完成し、同第二工区工事は完成に近く、堰堤工区工事も近く一部発電可能の程度に進捗した。ひとり債務者の請負つた本件工事のみが停止状態にあつては、発電が不可能となつて総工事費二十八億円以上を要した施設が徒らに放置されることになる。電力不足の著しい九州では水力式で一万一千キロワツト時の発電能力を有する本件発電所は重要な価値を有し、かつ本件発電所の施設を遊休のまま放置すれば、債権者の負担すべき建設利息、電力収入の減少、本件工事を担当する県吏員の人件費、債権者所有の機械設備を転用できないことによる損失など甚大な損害を蒙るのである。
(ロ) もし出水のため堰堤に決潰の虞を生じた場合には、本件隧道よりの通水により水力の緩和をはかりその決潰を防ぐ必要があるから、隧道の完成は急を要する。もしこのような決潰を来した場合は下流における人畜田畑に及ぼす災害は少くない。
以上の次第で、本件工事の完成は公共の福祉に重大な影響があり、工事停止のまま放置しては重大な損害を蒙るのにかかわらず、債務者は別紙物件目録記載の物件の任意引渡に応じないので、債権者が所有権又は特約に基く引渡請求権を有するものとして工事可能な状態の実現を求めるため本件申請に及んだものである。原決定は正当であるからその認可を求める。
第二、債権者訴訟代理人は、債務者の抗弁並びに積極的主張に対し次のとおり述べた。
本件請負契約第三十一条は請負契約解除前において当事者間の紛争を解決するための規定であつて、契約関係が消滅した後には適用がない。しかも建設業法第二十四条により建設業審議会は紛争解決の斡旋をする機関と定められているから、これに紛争の解決を依頼することを約しても仲裁契約とはならない。
債務者が工事遅延の原因として主張することはすべて理由がない。(イ)本件請負契約は落札者がなかつたため最低価格入札者であつた債務者といわゆる随意契約として締結したものである。債権者が昭和二十六年十二月に請負業者に対して契約条件を説明した際には、一業者当り二百万円ないし三百万円の前渡金を支払うことを言明してあつたが、債務者には好意的に八百六十万円を支払つたのである。前渡金を昭和二十八年一月から出来高仮払金より控除することは債務者も承諾していた。(ロ)用地問題の解決が遅延したため債務者の着工が昭和二十七年三月一日となつたことは認めるが、工期に大きな影響はない。(ハ)取水口の構造及び位置を変更し隧道の内径を拡大したことは認めるが、第三号隧道は勾配を緩和して延長したのである。いずれの設計変更も昭和二十八年一月二十日に締結した附帯契約によつて処理済であり、しかも三号隧道については債務者は設計通りの導坑すらも完成していない。(ニ)堰堤上流付替道路を相当期間使用できなかつたことは認めるが、この道路の使用は契約の条件に含まれていなかつた。(ホ)債務者主張のように取水口工事中土砂崩壊し堅坑を埋没したため高田昭氏に鑑定を依頼し一部設計を変更したことは認めるが、崩土の取除きと導水口の掘削を継続したから工期延長を必要としない。これによつて生じた工事量の増加は出来高仮払により処理した。(ヘ)岩質の見込違いによる費用増大が生ずればこの種の工事においては請負人の負担に帰すべきものであるが、隧道中硬岩千四米軟岩九百三十五米の割合であるから債務者の主張はいずれにしても不当である。債務者には工事の当初より工事施行の誠意が疑われ、債権者は昭和二十七年六月小丸川建設事務所長名をもつて工事の促進を督促し、債務者が陳謝したことがあつた。その後債務者提出の工程表において期間内の工事完成が約されていたことは前述したとおりである。債務者の渡川出張所長は一般仕様書第六条に定めた請負人を代表する代人に該当し、第三目録記載の物件を処分する代理権を有するのであると述べた。
第三、<立証省略>
第四、債務者訴訟代理人は、主文掲記の仮処分決定はこれを取消す。債権者の本件仮処分申請はこれを却下する。訴訟費用は債権者の負担とする。との判決を求め、答弁並びに異議理由として次のとおり述べた。
第一項は認める。
第二項は認める。
第三項のうち、圧力隧道の導坑が昭和二十八年六月二日に貫通したこと、同年九月頃から債務者の出役労務者数が減少したこと、昭和二十九年三月二十日取水口工事及び取水口取付道路工事を債権者の直営にする契約を締結し、現在債権者が工事中であること、契約上の完成期日である昭和二十九年三月三十一日までに本件工事が完成しなかつたこと、は認めるが、その余の事実は争う。債務者は昭和二十九年一月より三月末日迄出来る限り工事を進行し、その間約四百五十五万円相当の工事を完成している。本件仮処分決定を執行した当時においても数十名の労務者が工事現場に残存していた。昭和二十九年一月以降債務者の工事が進捗しない理由は、後述の請負代金増額の請求が容れられないため債務者の資金に不足を来したことのほか、渡川発電所建設工事の請負業者中昭和二十八年中に工事を完成した鉄道工業株式会社等が債権者の工事完了後に請負代金を増額するという約束をいまだに履行して貰えないことにある。かくては、債務者が折角自己の資金を投入して本件工事を完成してもその回収が困難になる虞があるからである。取水口工事及び取水口取付道路工事を債権者の直営にするよう申出たのは債権者ではない。すなわち、昭和二十九年三月十三日債務者代表者村上社長が債権者の知事と交渉した際、債権者は請負代金の増額を後廻しとして本件工事を債権者の直営にしたい旨を申出たので、債務者はこれを拒否して請負代金変更の問題の解決を強く求めるとともに、それについては債権者より建設省に斡旋を依頼することに同意し、取水口の工事のみは出水期迄に完成する必要があるので、他の工事と切離して債権者の直営にすることを債務者より積極的に申出たのである。
債務者が本件工事の着手及び進行を遅延した原因は、主として債権者の責に帰すべき次の諸事情に基くのである。
(イ) 前渡金の減少と支払時期の遅延及び早期返済の強制。渡川発電所建設工事について債権者が入札前に発表した請負契約書案(乙第一号証の二)の第十五条には、債務者は債権者に対して請負金額の三割を限り前払金を請求することができ、最終一ケ年間に月割計算をもつて返済する旨が明示してあつて、各業者はこれを信用して請負金額を算定し入札したものである。しかし落札者が決定して請負契約を締結する際に至りこれは二割以内に削減された。土木建築工事において前渡金は着工のための準備金であつて、前渡金支給の額及び時期が請負代金の決定のほか工事の着手進行に著しい影響を及ぼすのであるから、註文者が官庁であつても前渡金の枠の全額を契約締結直後に支払うのが慣行である。これに反し、債務者は前渡金として昭和二十七年一月に二百万円、以後同年十二月までの間に四回に分割して六百九十万円の支払を受けたのみであり、しかも昭和二十八年一月より四月の間に右の前渡金を各月の出来高支払額より一方的に差引いて返済せしめられた。
(ロ) 用地問題の解決の遅延。債務者の本件工事着手前に債権者が水没土地家屋の補償問題を解決していなかつたので、債務者は地元民より着工を拒絶された。債務者はその解決を待つたため工事の著手が昭和二十七年三月一日となつた。
(ハ) 本件工事の設計変更及び増工事。当初予定した取水口は附近の土質が軟弱であつたため、債権者は昭和二十七年六月にその位置及び構造を変更するよう指令を発した。その結果当初の工事は無駄になり、屋外構造物を地下構造物に変更する必要を生じたし、新しい場所の土質は硬質であつたため工事は著しく困難となつた。その他昭和二十七年中に圧力隧道の断面及び第三号隧道の勾配に著しい設計変更が行われた。本件請負契約書の第八条によれば、工事内容を変更した場合において請負代金又は工期を変更する必要があるときは当事者協議して書面によつて定める旨規定されているが、債権者はこのような著しい設計変更をしたのに債務者が昭和二十七年十二月十日になした請負代金及び工期の変更の要求(乙第三号証)に応じなかつた。
(ニ) 堰堤上流付替道路使用開始の遅延。債権者は債務者が取水口工事の現場に資材を運搬するために使用する右道路の整備を遅延したので、債務者は昭和二十八年九月まで甚だしく迂回して資材を運搬するほかなかつた。
(ホ) 取水口の土砂崩壊。昭和二十七年の十一、二月頃取水口に土砂崩壊し、その一部が取水口堅坑に流入埋没した。その際債権者は地質学者である高田昭氏を現場に派遣して調査させ、その結論が得られるまで債務者に四ケ月間工事を中止するよう命じた。
(ヘ) 隧道の岩質が軟岩の見込の処硬岩であつたこと。債務者の請負つた圧力隧道約二千米は全部軟岩の見込であつたが、うち、約千五百米が硬岩であつたため、火薬の使用量が著しく増加し工事が困難になつた。
(ト) 債権者が請負代金の増額分を支払わないこと次項の通りである。
第四項のうち、債務者が債権者よりその主張する金額の支払を受けたこと、債務者が昭和二十八年七月債権者の主張するように請負代金の増額を申入れたが債権者がこれに応じなかつたこと、は認めるが、その余の事実は争う。本件工事の請負代金の増額を必要とする理由並びに債権者と交渉した経緯は次のとおりである。
渡川発電所建設工事は各請負業者が昭和二十七年一月頃から着工したが、その後諸種の原因により労賃及び資材の価格(就中木材と火薬)が著しく騰貴し、昭和二十八年十二月迄の間に平均約八割の上昇をみた。九州地区は電源開発工事が多かつたため局地的な物価労賃の変動が著しかつたので、これを考慮しない公的な資料によつては実際の変動を把握することができない。そこで渡川発電所建設工事を請負つた業者は連名で数回にわたり詳細な理由を附して請負代金の増額を求めたが、債権者はこれを拒否した。債務者が請負代金の増額を求める根拠は本件請負契約書第八条、第九条のほか、天災その他不可抗力によつて債務者の受けた損害の一部を債権者負担する旨を定めた同第十一条の規定にも基くのである。(特に前述した隧道における岩質の見込違いは考慮されるべきである)。
土木建築請負業者の団体である土木工業協会、電力建設協力会及び全国建設業協会が、昭和二十七年より昭和二十八年末に至る労賃資材の騰貴により電源開発事業の請負業者が蒙つた損失に対して各方面に請負代金増額の運動をしていることは、債務者の要求が不当でないことを示している。もし債権者が相当額の工事代金増額に応じていたならば、債務者は本件工事を昭和二十八年五、六月頃に完成していた筈である。債務者は請負業者全体の利益のために、発電に支障のない限度において債権者に反省を促すべき対抗手段をとつたにすぎない。
第五項のうち、渡川発電所建設工事はすべて昭和二十九年三月三十一日を完成期日とすること、債務者の本件工事が他の工区工事のうち堰堤工区工事及び発電所工区工事と密接不可分の関係にあること、発電所工区工事及び鬼神野水路第一工区工事が既に完成したこと、債権者主張の内容証明郵便によりその主張する通告を受けたこと、はいずれも認める。その余の事実は否認する。
本件請負契約書第二十八条第一項第一号の「相当の期間」は、本件工事の目的と性質に照し、かつ信義誠実の原則に従つて決定されねばならない。鹿島建設株式会社が施行中の堰堤工区工事は昭和二十九年四月下旬までに一部発電が可能の程度に進行しなかつたのみでなく、一部発電可能の状態になるのに今後なお数ケ月を要することは鹿島建設株式会社の自認するところである。他の工事も一部発電可能の状態になるまでに本件工事が完成する見込が無いと客観的に認められる場合に限つて、債権者は前記条項に基き解除権を行使し得るのである。債権者は註文者あるいは官庁の優越した地位に立つて契約の履行を強要し信義誠実の原則を無視しているといわねばならない。
債権者は債務者が工事を中止し、工事継続の意思及び能力がないというが、失当である。
前述したように本年一月以降も工事を継続しているし、本件仮処分決定を執行した時にも数十人の従業員がいたことや、昭和二十九年三月二十四日工期延長願を出したこと、或いは同月中に建設省に斡旋を依頼しその裁定によつて工事を促進する協議ができていることによつてみても、工事継続の意思を失つてはいない。債務者は数十年の経歴を有する著名な土木建築会社であつて、他にも総額九億二千万円の発電所建設工事を施行中であり、本件工事現場の機械器具その他の施設だけでも二千万円を超えているのであるから、本件工事完成の能力を有することも明らかである。まして、債務者は電力開発工事関係業者の団体である電力建設協力会の理事であり、この種の工事には協力すべき立場にある。
第六項のうち、債権者主張の条項が債権者債務者間に作成された契約書及び一般仕様書に記載されていることは認めるが、債権者が別紙物件目録記載の物件について引渡請求権を有することは争う。
一般仕様書第九条は債権者の主張するような引渡請求権が発生することを規定したものではなく、契約解除の際における混乱防止のために工事現場の処理に関し担当者に与えた指示にすぎない。従つて債権者債務者間に別途に詳細な契約が成立してはじめて債権者にその使用が許されるのであるが、このような合意は成立していない。このことは取水口工事の直営に関し本年三月二十日に成立した契約書(乙第八号証)の第三条には右工事に必要な機械器具の使用及び補償に関する合意が存することからもうかがわれる。債権者が公共の利益の名の下に命令的にその使用を約させたものとすれば、憲法第二十九条第三項及び民法第九十条に違反する合意として無効である。いずれにしても債権者は一般仕様書第九条に基いて別紙物件目録記載の物件に対する引渡請求権を主張することはできない。
債権者が債務者に支給した工事用資材はセメントと小量の木材のみであるから、第一物件目録記載の隧道は債務者の所有に属する。
債権者が昭和二十八年十二月二十日に第三物件目録記載の物件に関し締結したと主張する契約には、債務者渡川出張所長吉元益良が関与しているが、吉元は債務者の代表取締役でもなく、又右物件を処分する代理権も与えられていなかつたから、右契約は債務者にその効力を及ぼさない。
第七項は争う。
本件工事が本件仮処分決定執行の当時完成していても、堰堤工区工事の完成までに少くとも数ケ月を要するから、その間はいずれにしても発電不能である。隧道の通水量は洪水の際の出水量と比較して極めて少く、堰堤の決潰の防止には役立たない。本件仮処分のごとき仮の地位を定める仮処分においては、仮処分を必要とする危険は具体的に発生していることを要し、抽象的な公共の危険をもつてこれに代えることはできない。
債務者は明治三十八年に創業した土木建築業界の有力者であり、本件仮処分により永年にわたつて確保して来た信用を毀損されることによる損害は甚大であつて到底金銭をもつて償い得ない。別紙第二ないし第四物件目録記載の物件の価額は二千万円を超えるが、これらの施設機械を無償で未経験者の使用に委すことによる損害も少くない。債権者にはこの種の工事に必要な技術者も経験ある労務者もいないから直営による本件工事の完成は困難であり、債権者にとつても回復し難い損害を蒙ることは必定である。これに反し、債務者が本件工事を施行すれば、あと百五日以内に完成することが可能である。
なお、本件仮処分は確定判決による執行と同一の結果を得ようとするものであつて、仮処分としては許さるべきものではない。
以上の次第で、債権者の本件申請は理由がなく原決定は失当であるから、これを取消して債権者の申請を却下することを求める。
なお、債務者訴訟代理人は、抗弁として次のとおり述べた。
債権者及び債務者は本件請負契約書第三十一条において、この契約に関し紛争を生じた場合には当事者双方又は一方から宮崎県建設業審議会に当該紛争の解決を依頼することを約しており、この合意は民事訴訟法第七百八十六条の仲裁契約である。本件仮処分申請は右合意に違反し権利保護の利益を欠くから、この点においても却下さるべきであると述べた。
第五、<立証省略>
三、理 由
一、仲裁契約の抗弁について。
債務者は本件請負契約中には民事訴訟法第七百八十六条の仲裁契約に該当する合意があるから、本件仮処分申請は右合意に違反し権利保護の利益を欠く、と抗弁するので、まずこの点について判断する。
仲裁契約が締結されている私法上の権利関係について本案訴訟が提起された場合には、被告の抗弁をまつて訴は不適法として却下される。すなわち、仲裁契約の存する権利関係も本来狭義の民事訴訟の対象となり得るものであるが、民事紛争は自主的解決が望ましいから仲裁契約の存する限り裁判所の手を煩わす必要のないものとして訴権を否定するにすぎない。従つて、仲裁契約の存在は保全請求権に影響を及ぼさないのであつて、保全の必要性があればこれを被保全権利とする仮処分は許されるのであり、かかる仮処分の本案が判決手続の代用手続である仲裁手続となる点に通常の仮処分との相異があるにすぎない。このように仲裁契約の存在することは訴権に影響するのみであつて、権利保護の利益を左右することにもならないである。よつて債務者の抗弁は主張自体理由のないものといわなければならない。
二、請負契約の解除について。
債権者が県営として債権者主張の渡川発電所建設工事を実施し、その総工事費は二十八億七千五百万円の予定であること、右工事のうち債務者が圧力隧道工事を、鹿島建設株式会社が堰堤工区工事を、株式会社熊谷組が発電所工区工事を、鉄道工業株式会社が鬼神野水路第一工区工事を、株式会社坂下組が鬼神野水路第二工区工事をそれぞれ請負つたこと。債権者債務者間の右請負契約は昭和二十七年一月十六日に締結され同日契約書を作成したこと、その契約において請負代金を五千九百万円完成期日を昭和二十九年三月三十一日と定めたほか、一般仕様書及び設計図により契約の細目及び工事の内容を決定したこと、債務者は同年三月一日本件工事に着手したこと、その後昭和二十八年一月二十日に工事内容を一部変更する附帯契約を締結し、同時に工事代金が六千七百四十六万円に変更されたこと、圧力隧道の導坑が昭和二十八年六月二日に貫通したこと、同年九月頃から債務者の出役労務者数が減少したこと、昭和二十九年三月二十日取水口工事及び取水口取付道路工事を債権者の直営にする契約を締結し現在債権者において工事中であること、契約上の完成期日である昭和二十九年三月三十一日までに本件工事が完成しなかつたこと、債務者が昭和二十八年末までに債権者より五千九百六十一万九千二百九十九円の支払を受けたこと、債務者が昭和二十八年七月債権者に対し二千八百八十五万余円の請負代金の増額を申入れたが、債権者はこれに応じなかつたこと、渡川発電所建設工事がすべて昭和二十九年三月三十一日を完成期日とし、本件工事が堰堤工区工事及び発電所工区工事と密接不可分の関係にあること、発電所工区工事及び鬼神野水路第一工区工事が既に完成したこと、及び債権者が債務者に対し昭和二十九年四月九日附内容証明郵便により本件請負契約を解除する旨の通告を発し同日債務者に到達したことはいずれも当事者間に争がない。
債権者は本件請負契約書第二十八条第一項の「甲(債権者)は乙(債務者)が左の各号の一に該当するときは契約の解除をなすことができる。一、乙の責に帰する事由により第一条の工期内又は期限後相当の期間内に工事を完成する見込がないと明らかに認められるとき。」(この規定の存在することは当事者間に争がない)に基き契約解除の意思表示をしたと主張し、債務者は解除の効果を争うので、以下この点について判断する。
証人沢田達、同一ノ瀬明孝の各証言、これによつて成立を認め得る甲第三、第六、第八、第九号証及び成立に争のない甲第七号証(乙第九号証と同一)第十九号証の一二、第二十四号証の一ないし二十七、第二十五号証、第二十六号証の一、二(乙第三十号証の一二と同一)乙第三、第四号証に前記争いのない事実とを綜合すると、次の事実が一応認められる。
「債務者は昭和二十七年一月十六日に本件請負契約を締結し、同年三月一日より工事に着手した。その後債権者債務者間の関係は次第に円滑を欠くに至り、債権者の小丸川建設事務所長は同年六月二十日附の文書をもつて債務者の九州営業部長に対し工事の促進を要求し、債務者九州営業部長が翌七月四日附書面にてこれを陳謝し工事の促進を約するとか、同年十二月には債務者より第三号隧道の設計変更のため工期の延長と特別の資金援助を求めるなどのこともあつたが、翌二十八年一月二十日には設計変更による請負代金の増加の問題を(取水口に土砂が崩壊したため生じた問題を除き)附帯の契約によつて一応解決した。債務者は同年六月二日に本件隧道の導坑を貫通し、出役労務者も最盛時には二百名を超えていたが、同年九月頃よりその数は次第に減少するに至つた。債権者はその後屡々工事を促進するよう督促したのにかかわらず、昭和二十九年に入つてからは工事は停止状態に近くなり、殊に三、四月の頃には留守番の労務者が二、三十名飯場に残留するのみであつて、十数名の出役労務者によつて細々と工事が続けられていた。債権者は昭和二十九年三月になつて債務者に本件工事を直営とすることを求めたが、債務者の拒絶するところとなつたので、結局同月二十日に急を要する取水口工事及び取水口取付道路工事のみを直営とする契約が成立した。他方で債務者は同月中に同年九月末日まで六ケ月間の工期延長願を提出している。かくして本件工事は契約上の完成期日である昭和二十九年三月三十一日に完成しなかつたのみでなく、何時完成するか全く見通しがつかなくなつた。」
尤も、債務者は昭和二十九年一月以降も工事を続行し一月より三月に至る間に四百五十万円に相当する工事を完成したと主張し、証人門屋盛一の証言及び債務者代表者本人尋問の結果並びにこれによつて成立を認め得る乙第二十三、第二十九号証中には右主張に副う供述或は記載があるが、これらを前記各証拠と対比しかつ弁論の全趣旨を参酌すれば、そのままには信じ難く、前記一応の認定を左右することはできない。
次に、債務者の主張する工事遅延の原因のうち、(イ)債権者は前渡金として昭和二十七年一月に二百万円、以後四回に分割して昭和二十七年中に六百九十万円を支払つたが、翌二十八年一月より四月の間に出来高支払金のうちよりその全額を返済させたこと、(ロ)用地問題の解決が遅延したこと、(ハ)昭和二十七年中に取水口の位置及び構造を変更し、隧道の内径を拡大したほか、第三号隧道にも設計の変更が行われたこと、(ニ)堰堤上流付替道路の使用開始が遅れたこと、(ホ)昭和二十七年十一、二月頃取水口工事現場に土砂が崩壊し堅坑を埋没したため、高田昭氏に鑑定を依頼し取水口の一部を設計変更したことは債権者の争わないところであり、これらの事実が工事遅延の原因となることも債権者において明かに争わないものと認められる。しかしながら、(イ)の事実に対しては、債務者代表者本人尋問の結果及び成立に争のない乙第十号証の一二によれば、債権者は最初に公表した契約書案において前払金は請負金額の三割以内とし、最終一ケ年間に月割返済とする旨の条項を示していたのに本件請負契約においては二割以内とされたことが一応認められるが、証人沢田達、同一ノ瀬明孝の各証言、それによつて成立を認め得る甲第十八号証の二及び成立に争のない甲第十二号証の一二によれば、債権者の係官が入札前に工事現場においてなした請負条件の説明(いわゆる現場説明)に債務者も参加して前渡金としては一業者平均二百万円ないし三百万円程度支払う旨の言明を承知していたこと、及び債務者が昭和二十七年中に受領した前渡金を昭和二十八年一月以降出来高仮払金の二分の一宛返済することに承諾を与えたので債権者はこれによつて前渡金を返還させたことが一応認められるし、(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)の事実に対しては、証人沢田達、同一ノ瀬明孝の証言及び成立に争のない甲第十六、第十七号証によると、債務者はこれらの事実の発生した以後である昭和二十八年三月三十一日に債権者に提出した工程表において同年九月十五日に、又同年五月二十日附の工程表において昭和二十九年一月三十日にそれぞれ完成を予定していたことが一応認め得るところであるから(尤も乙第三号証によれば、債務者は昭和二十七年十二月に第三号隧道の設計変更を理由として工期の延長を求めたことが認められるが、上記の事実と対比すればその必要があつたとみることは困難であり、又この点を肯定する債務者代表者本人尋問の結果は信用し難い)、債務者はこれらの事実があつてもなお契約上の期日内に完成が可能であると考えていたものと推認するほかない。更に(ヘ)の岩質の見込違いの点については、証人一ノ瀬明孝の証言、これによつて成立を認められる甲第八号証及び成立に争のない甲第二十二号証により、本件隧道は硬岩が千四米軟岩が九百三十五米の割合であることが一応認められるとともに、証人門屋盛一の証言、債務者代表者本人尋問の結果及びこれによつて成立を認め得る乙第二十八号証によれば当事者間に若干岩質の見込違いがあつたことは一応認められるのではあるが、隧道の導坑が貫通する直前である昭和二十八年五月二十日提出の工程表において昭和二十九年一月三十日に完成が予定されていた前認定の事実によれば、岩質の見込違いがあつても(請負代金への影響は別として)これをもつて前記工期の延長を要する事情にあつたものとは、にわかに断ずるを得ない。尤も、前記認定の如き債権者と債務者との関係においては、一般に債権者は優越的立場にあり債務者においてその意に反して前記工程表を提出することも想像し得ないところではないが、債権者においてこのような事情を知りながらも工期を一方的に決定し唯形式上右工程表によつて債務者の発意を装つたものと認められない限り、しかしてかような事実を認めるに足る疎明のない本件においては、右工程表を一概に信用できないものとして排斥することはできない。しからば以上の工事遅延の事情をもつて債務者の責に帰すべからざるものとするに由ない。
さらに証人門屋盛一の証言、債務者代表者本人尋問の結果及びそれによつて成立を認め得る乙第六、第十二、第十三号証、第二十四号証の一二、第二十五号証、成立に争のない第四、第五、第十一号証及び弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実が一応認められる。
「債権者は本件請負契約書において二割以内の前渡金を支払うことを約しており、渡川発電所建設工事を請負つた業者としては二割の全額を支払つて貰えることを期待していたが、債権者は前渡金の支払を強く要求した債務者に対してすら請負代金の一割五分に当る八百九十万円を昭和二十七年中五回に分割して支払つたのみであり、しかも翌二十八年一月より四月の間にその全額を出来高仮払金の中より回収してしまつた。この種の工事としては、前渡金の支払状態が悪くしかも早期に返済させられたものである。昭和二十七、八年にわたり物価労賃が値上りし、特に電源開発工事の多い地方においては局地的な値上りも著しかつたため、この種の工事の請負業者は経済的に苦境にたち、土木建築請負業者の各種団体は全国的に請負代金増額の運動を展開しているが、各会社或いは官庁ともに予算にしばられてその実現は容易でない。渡川発電所建設工事の請負業者も屡々債権者に対し単独で或いは連名で前払金の増加及び請負代金の増額の請求をしたが、債権者は全くこれに応じようとしなかつた。債務者以外の請負業者は不満ではあるが増額の問題を残したまま工事を続行し、株式会社熊谷組及び鉄道工業株式会社は既に請負工事を完成した。本件請負契約とは異り、電力会社との間の請負契約には請負代金の修正のために詳細な規定をおくのが通常である。」
しかして、本件請負契約中に、「工事中物価又は役務等の変更により請負金額が著しく不適当と認められたるときは甲乙協議の上請負金額又は工事の内容を変更することができる。」(第九条)、「天災その他不可抗力によつて乙の責に帰し得ない事由により工事の施工に関して乙が損害を受けた場合で損害が重大と認められるものについてはその損害の一部を甲が負担することがある。但しその損害の発生に関して乙が適当な処置を施さず又は注意を怠つたことが明かなるものについてはこの限りでない。」(第十一条)という規定が存することは当事者間に争がない。この規定は事情変更による請負代金の増額に関する特約と認められるが、このような漠然とした規定では、民法の一般原則を明文化したというに近く、どの程度に物価労賃の値上りがあつたか、或いは、不可抗力に基く損害をいかなる割合で負担するか等に関し更に当事者間に紛争を生ずることは予想するに難くない。債権者が相当額の工事代金の増額に応じていたならば債務者は本件工事を昭和二十八年五、六月中に完成することが可能であつたこと及び今後でも百五日以内に完成可能であることを債務者において自認していること、その他弁論の全趣旨によれば、債務者が期日までに本件工事を完成できない客観的原因は主として経済的理由にあるものと推認されるのであつて、以上に認定した事実によれば請負代金の増額は種々の要素を考慮するため極めて困難な問題であり、請負人の希望するとおり容認され難いことはみやすきところであるから、債権者と契約した債務者以外の請負業者はこの問題を未解決のままにして工事を続行したものと推察される。してみれば、このような請負代金増額の要求をしているのは債務者に限らぬのに工事を停滞させているのは債務者のみであるのに対し、既に債権者債務者間に授受された金額が契約上の請負代金に対する工事量相当額より少いということは債務者も主張しないところであるし、前認定のとおり昭和二十八年一月二十日に締結された附帯契約においては若干請負代金が増額されているのである。証人沢田達、同一ノ瀬明孝、同門屋盛一の各証言及び債務者代表者本人尋問の結果によれば、昭和二十九年四月当時において渡川発電所工事のうち未完成の本件工事と堰堤工区工事はいずれもあと三、四ケ月の工期を要するものと一応認められるのであつて、本件工事を停滞すればそれだけ発電は遅延することになり、その損害は本件工事の遅延にとどまらないことは自明のことといわねばならないから、このような場合においては、債権者が前に判断したような優越的立場を利して債務者の工事代金増額の要求を拒否し、その結果債務者が困窮の末本件工事を停滞するに至つたような事情の認められない限り、債務者が発電に支障のない限度において債権者に反省を促すべき対抗手段に出たと主張して工事の進行に手加減を加えることは、債務者の工事続行の意思と能力のいかんを問わず、なお信義に反する態度といわなければならない。
しからば債務者の前記主張はいずれも採用し難く、債務者の契約解除の通告が債務者に到達した昭和二十九年四月九日においては、既に契約上の期日を経過しているのみでなく、工事は停止状態に近くて何時完成するかその見通しもつかぬ状態にあつて、しかも債務者の右行為は本件工事の請負業者として信義に反するものと認められるから、右解除の意思表示は本件請負契約第二十八条第一項第一号によりその効力を発生し、同日限り右契約は解除されたものといわねばならない。
三、被保全権利と保全の必要性について
債権者は第一物件目録記載の隧道の完成部分は債権者支給の工事材料によつて工事をしたものであるから原始的に債権者の所有に属する、と主張し、証人沢田達、同一ノ瀬明孝の各証言、これによつて成立を認め得る甲第六、第八号証及び成立に争のない甲第二十三号証の一ないし十五によれば工事材料としてセメント、木材、鉄管、鉄筋等が支給されたことは一応認めることができる。しかしながら註文者が工作物の所有権を原始的に取得するには主要な材料を無償で支給した場合に限ると解すべきところ、右の証拠によつてもそれらの材料が主要な部分を占めかつ無償であつたことを認めることができない。次に債権者は本件請負契約書(成立に争のない甲第一号証の一)の第十二条及び第十六条を根拠としてその所有権を主張するが、第十二条は単に債権者に使用権を与える旨の規定であり、第十六条は請負代金の仮払に関する規定にすぎないと解するのが相当であるから、この主張も採用できない。しかし右契約書の第二十八条第二項によれば、契約を解除した場合において工事出来高部分で検査に合格したものは債権者の所有とすることゝされているから、契約の解除された現在においては特に債権者においてこれを不合格とした事実の認められない限り本件隧道の完成部分は債権者の所有に属するものといわなければならない。
次に、一般仕様書(成立に争のない甲第一号証の二)第九条第二項(この規定の存在することは当事者間に争がない)によれば、契約を解除された場合、飯場、機械設備その他工事に必要なる一切の施設は現状に於て県係員に引渡しをなすべきことが定められている。債務者は、この規定は引渡請求権が発生することを規定したものではなく債権者がこれらの物件を使用するためには別途に詳細な契約を締結することを要する、と主張するが、前記一般仕様書の第十条に債権者がこれらの設備を利用する権利を有し、その使用期間中補償をする旨を定められていることと対比し、到底採用することはできない。債務者の指摘する昭和二十九年三月二十日附契約書(成立に争のない甲第十一号証、乙第八号証)の第三条も機械器具の損料については別途協議の上定めるものとされているにすぎず、右の判断を左右するに足らない。債務者において債権者が債務者所有の設備を使用する対価を請求し得ることは、前掲一般仕様書第十条において使用期間中の補償をすることと定められていることより明かであるから一般仕様書第九条第二項の規定が憲法第二十九条第三項及び民法第九十条に違反すると解する余地はない。
然らば、債権者は債務者に対し本件請負契約の解除により、別紙第一物件目録の記載の物件に対しては所有権に基き、その他の物件に対しては一般仕様書第九条第二項に基き、その引渡請求権を有するに至つたものというほかない。
しかして前項において認定したごとき事情の下においては、本件工事を停止の状態におくときは渡川発電所建設工事全体を遅延せしめ発電が不可能となつて甚だしい損害を生ずることが明らかであり、本件工事の完成までに又はそれと同じ頃に他の工区工事がすべて完成する見込も充分あるのであるから、直ちに別紙物件目録表示の物件を債権者に使用させて本件工事を進行させる必要のあることはその他の点に触れるまでもなく容易に肯認し得るところである。債務者は債権者において直営の工事を施工して本件工事を完成することは不可能であると主張し、証人門屋盛一及び債務者代表者本人尋問の結果にはこれに副う供述があるが、直営といつても必ずしも債権者の支配下にある技術者又は労務者のみを使用するとは限らぬので、これを信用することができない。又債務者は本件仮処分により信用を著しく毀損される等莫大な損害を蒙ると主張し、債務者代表者本人尋問の結果中にはこれに符合する部分が存するが、本件のごとき事案においては債権者が本件仮処分を取消されることによつて受ける不利益に比し著しく大なる損害を受ける場合でなければ特別事情ありといい難く、しかもこれを認めるに足る疏明がないから、この主張も採用の限りでない。次に原決定の定めた処分は、請負契約の本質が仕事の完成を目的とすることに鑑み原状回復が不能とはいい難いので、この点に関する債務者の主張も採用し難い。
しからば本件仮処分申請については被保全権利並びに必要性につき疏明あるものというべく、これを認容した原決定は相当であるが、本件仮処分の執行により債務者の受けることあるべき損害(特に本件工事を完成することにより得べかりし利益の喪失、信用の毀損による無形的損害、第二ないし第四物件目録記載の機械器具が転用不能になることによる損害)の担保と前記契約解除を要する事情の疏明を補うため、更に金五百万円の保証を立てしめることを条件として原決定を認可するのを相当と考える。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 脇屋寿夫 荒木秀一 宮脇幸彦)
★ 昭和二十九年(ヨ)第三〇四〇号工事禁止等仮処分事件の主文
債務者の別紙<省略>第一乃至第四物件目録記載の物件に対する占有を解き債権者の委任する宮崎地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。
執行吏は債権者が別紙第一物件目録記載の物件に立入り工事すること並びに別紙第二乃至第四物件目録記載の物件を使用することを許さねばならない。
執行吏はその保管にかかることを公示するため適当の方法をとらねばならない。
債権者は別紙第二乃至第四物件目録記載の物件の占有を他人に移転し又は占有名義を変更してはならない。