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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)10204号 判決 1959年11月26日

原告 沢部新太

右訴訟代理人弁護士 森時宣

被告 佐藤達次郎

右訴訟代理人弁護士 徳岡二郎

同 荒川正一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告から金七、七〇〇円の支払を受けるのと引換に原告に対し東京都北区堀船町一丁目六六二番一所在宅地三五四坪一合四勺につき、昭和一九年六月二六日の売買に基く所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として、

一、昭和一九年六月二六日、原告は被告から被告所有の東京都北区堀船町一丁目六一二番地所在宅地二一二坪七合六勺及び同所六六五番地所在宅地四二〇坪(計六三二坪七合六勺)のうち、疎開空地帯に指定されている部分を除いた残地全部を一坪につき金五〇円で買受け、同日被告に内金一〇、〇〇〇円を支払つた。

しかし、当時は疎開指定地と非指定地(本件土地)の境界線が不明確で、本件土地の坪数が判然としていなかつたので、右疎開指定地が強制買上になつて本件土地が確定し、その坪数が判明した時に、原告は被告に残代金を支払い、被告はそれと引換に原告に対して本件土地の所有権移転登記手続をする約であつた。

二、本件土地は、疎開解除になつた昭和二〇年一二月三一日に確定し、その坪数は三五四坪一合四勺であることが判明した。

三、そこで、右確定後間もなく、原告は被告に対して残代金を現実に提供した。

よつて原告は被告に対して、右売買に基く所有権移転登記義務の履行を求めるため本訴請求に及んだ。被告の抗弁事実を否認する。被告主張の事情の変更は被告の受領遅滞後に生じたものであつて、解除権を発生せしめる由なきものである、と述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、原告主張の一のうち、原告主張の日に原告主張の土地について、原告主張の約で、原告を買主、被告を売主とする売買契約が成立したこと、被告は原告から一〇、〇〇〇円を受け取つたこと、二のうち、本件売買の目的たる土地の坪数が三五四坪一合四勺と確定したことは認めるが、その確定した日時は土地区画整理の完了分筆をした昭和二六年六月五日である。昭和二〇年一二月三一日に疎開解除になつたことは知らない。

抗弁として、本件土地が確定した昭和二六年六月頃は、戦後の猛インフレにより貨幣価値が著しく低落し、土地の価格は契約締結時に比し約百倍に暴騰した。右のような事情の変更は被告の予見せず、また予見し得ないものであり、しかもそれは被告の責に帰すべからざるものであることは明らかであり、契約の文言通りの拘束力を認めることは著しく信義の原則に反した結果となるので、被告はたびたび原告に対して、本件土地のうち二〇〇坪(先に受け取つた一〇、〇〇〇円を契約による代金の坪当り五〇円の割合で計算した坪数に相当する)を除いて残りの一五四坪一合四勺については、時価である坪当り八、〇〇〇円の割合で計算し、合計金一、二三一、一二〇円と引換に本件土地の所有権移転登記をするよう契約を改訂してもらいたいと申入れたが、原告は坪当五〇円を固執して、頑としてこれに応じなかつた。そこで被告は、昭和二九年八月一八日原告に到達の書面をもつて、更にその旨申入れると共に、右金額を同年九月一〇日までに支払われたく、もし右期日までに履行をしない場合には本件売買契約を解除する旨の条件附契約解除の意思表示をしたが、原告において右期間内に支払をしないので、本件売買契約は解除により消滅したものといわねばならない。従つて、本件売買契約の存在を前提とする原告の本訴請求は失当であると述べた。

≪以下省略≫

理由

昭和一九年六月二六日原告主張の土地についてその主張の売買契約が成立したこと、被告が原告から金一〇、〇〇〇円を受取つたこと、売買の目的たる土地の坪数が三五四坪一合四勺と確定したこと(その日時の点はしばらく措く)は当事者間に争がない。

原告は、売買の目的の土地の範囲は昭和二〇年一二月三一日三五四坪一合四勺と確定したと主張し、成立に争のない甲第五号証によれば、右日時に強制疎開が解除されたことが明かであるけれども、その後、土地区画整理が施行せられ、本件売買の目的地の一部が道路敷として収用されることになり、この為、漸く、昭和二五年一一月頃に原告主張の地積の範囲が確定したことが成立に争のない甲第七号証と原告本人の供述(第二回)により認められる。

もつとも、証人沢部春雄及び原告本人は被告の代理人武長英三が郵便はがき(甲第三号証)により原告に対し本件土地の確定坪数を知るに足る公図を持参するよう要求したので、原告において甲第七号証の図面を入手して武長に交付したが、この図面により本件土地の坪数が三五四坪一合四勺に確定したことをはじめて知り、これにより残代金七、七〇〇円を算出し右金額を昭和二一年九月頃春雄をして武長に提供せしめたとの趣旨を供述するから、その頃本件土地の範囲が確定したかのように思われる。ところが、甲第三号証に押捺してある郵便官署の日附印は判読し難いけれども、これは二円の郵便はがきであるので、これが使用できたのは昭和二三年七月から昭和二六年一一月までの間であること公知の事実であるから、この葉書受領後代金額を知つた原告が昭和二一年一二月中に代金を提供することは考えられないところであるのみならず、区画整理が終了して本件土地の坪数が三五四坪一合四勺と確定したのが昭和二五年であること前認定のとおりであるから、昭和二一年中には代金額を算定する基礎資料がなく、従つて、これを提供し得る筈がないというべく、前記証言及び供述は措信に値しない。

そこで被告の抗弁について判断するに、本件土地の範囲が確定した昭和二五年頃はインフレーシヨンの昂進に伴い本件契約締結時たる昭和一九年に比し、土地の価格が暴騰していたことは当裁判所に顕著な事実であり、それは終戦によつてもたらされた経済事情の著しい変化に基因するものであつて、被告の予見せず、又予見し得ないものであり、且つ被告の責に帰すべからざるものである。このように、貨幣価値の著しい下落の為給付と反対給付との等価値性が失われ、給付が契約当時に期待されたものとは認められない程度に変つた場合にも、なお被告に対して契約の文言通りの履行を強いることは、まさに信義の原則に反するものであつて、売主は等価値性が回復された場合にのみ給付義務を負うものといわなければならない。従つて、売主は等価値性を回復する為に不足分の填補請求権を有し、買主がこの催告を受けたににも拘らずその履行をしないときは売主は契約を解除する権利を取得するものというべきである。

成立に争のない乙第一号証の一、二によれば、被告は原告に対し、昭和二九年八月一八日到達の書面で被告主張のような催告並に条件附契約解除の意思表示をしたことが明かである。そして、原告が催告期間内に催告にかかる金員(その額が時価を下回つていたこと証人徳岡二郎の証言により明かである。)を提供したことは原告の立証しないところである。

原告は被告主張の事情の変更は被告の受領遅滞後に生じたものであるから、被告において解除権を行使し得るものではないと主張するけれども、原告がその主張の頃代金を提供したものでないことは前認定のとおりであり、その後、代金を提供したことを認めるに足る証拠がない。

結局本件売買契約は催告期間満了の日である昭和二九年九月一〇日の経過をもつて解除により消滅したものといわねばならない。

よつて、本件売買契約に基く義務の履行を求める原告の本訴請求は理由がないから棄却すべく、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 岡部行男)

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