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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)10858号 判決 1955年12月10日

原告 リツカーミシン株式会社

被告 坂本静子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人「被告は原告に対し東京都台東区上根岸町五十二番地の一宅地九十九坪九勺を、その地上に存在する木造瓦葺平家建店舗一棟(家屋番号同町五十二番の二)建坪十九坪及び木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建寄宿舎一棟(家屋番号同町五十二番の三)建坪十四坪六合六勺、二階十四坪六合六勺を収去して、明渡し且つ昭和二十九年十二月三日から右土地明渡済に至るまで一箇月金三千円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求めその請求の原因として、「原告は昭和二十七年十二月十八日訴外林茂明から請求の趣旨掲記の宅地を買受けてその所有権を取得し同日その旨の登記をなしたが被告はこれよりさき右林から右土地を賃料一箇月金千五百四十円の約で賃借しその地上に登記のある請求の趣旨掲記の店舗一棟を所有して右土地を占有していたので原告は右土地所有権取得と同時に被告に対する賃貸人たる地位を承継した。しかして原告の右土地所有権取得の事実は原告において昭和二十八年十月九日内容証明郵便を以て通知したので被告は原告の右賃貸借承継の事実を承知したに拘らず、原告に対し右承継の日の翌日たる昭和二十七年十二月十九日以降の賃料の支払をしなかつた。そこで原告は昭和二十九年八月九日内容証明郵便を以て被告に対し昭和二十八年一月分から同年五月分までの賃料を書面到達の日から三日以内に支払うべき旨の催告をなし右書面は翌昭和二十九年八月十日被告に到達した。ところが被告は右催告期間内に右賃料の支払をしなかつたので原告は同月十六日内容証明郵便を以て被告に対し前記賃貸借契約解除の通告をなし右書面は同日被告に到達した。従つて右賃貸借は同日限り終了した。しかるに被告はその後右土地に請求の趣旨掲記の寄宿舎一棟を建築し前記店舗とともにこれを所有して不法に右土地を占有し原告に対し賃料相当額たる一箇月金三千円の割合による損害を蒙らせている。よつて原告は被告に対し土地所有権に基き本件建物の収去並びに本件土地の明渡を求めるとともに訴状送達の日たる昭和二十九年十二月三日から右土地明渡済に至るまで右割合による損害金の支払を求めるものである」と陳述し、被告抗弁に対し「被告主張(一)の事実は知らない。仮にその事実が存在するとしても原告が前地主に対し原告の本件土地所有権取得以後賃料の取立を委任したことはないから被告が林茂明に対してなした弁済はなんらの効力も生じない。被告主張の(二)の事実は否認する。被告主張(三)の事実中被告が原告の催告した昭和二十八年一月分から同年五月分までの賃料を弁済供託したことは認めるがその余の事実は否認する。右供託は被告自認のとおり本件賃貸借契約解除の通告が被告に到達した後になされたものであるから右契約解除の効力発生を左右するものではない」と述べた。<立証省略>

被告は主文同旨の判決を求め答弁として、「原告主張事実中原告がその主張日時、その主張の土地を訴外林茂明から買受けてその所有権を取得しその旨の登記を経由し被告に対し右所有権取得の事実を通知したこと、被告がこれよりさき林茂明から右土地を賃借しその地上に登記のある原告主張の店舗一棟を所有したので、原告が右土地所有権取得と同時に被告に対する賃貸人たる地位を承継したこと、当時その賃料が原告主張の額であつたこと、被告が現に右地上に右店舗の外原告主張の寄宿舎一棟を所有して右土地を占有使用していること、被告が原告からその主張のような賃料支払の催告並びに賃貸借契約解除の通告を受けたことはいづれも認めるがその余の事実はすべて否認する」と陳述し、抗弁として「原告は被告に昭和二十八年一月分から同年五月分までの賃料不払があるとしてこれを理由に本件賃貸借契約解除の意思表示をなしたが(一)右五箇月分の賃料は被告が原告から本件土地所有権取得の通知に接した当時既に前地主たる訴外林茂明に対し支払済であつた。従つて原告は林茂明に対し右賃料の引渡を求めるなら格別被告に対しその不払の責を問い得る筋合はない。(二)仮に右賃料の支払が有効な弁済として直ちに原告に対抗し得ないとしても原告は右通知後間もなく林茂明の親権者でその法定代理人たる林喜美に対し茂明の右賃料取得を承認のうえ右賃料請求権を譲渡する旨の意思表示をなしたから今更被告に対し右賃料の支払を催告し得るものではない。(三)仮に右(二)の事実がないとしても、被告は原告から前記所有権取得の通知を受けたので原告に対し昭和二十八年十月十五日内容証明郵便を以て前記(一)の賃料支払の事実を通知し次で同年十一月二十五日内容証明郵便を以て同年六月分から同年十一月分までの賃料を送達したが原告は不当にも被告の右通知に対する回答もなさず単に金額の不足を理由としてこれを返金して来た。そこで被告はやむなく右六月分以降賃料を供託したところ原告はその後賃料の値上を要求してこれを拒絶されると昭和二十九年八月十日に至りにわかに昭和二十八年一月分から同年五月分までの賃料支払の催告をなし当時右賃料は前地主に対する支払を以て弁済になつているものと思料していた被告から昭和二十九年八月十一日到達の内容証明郵便を以てなしたその旨の回答には一顧も与えず被告の錯誤に乗じて右賃料の不払を理由に賃貸借契約解除の通告をなして来た。かような賃料催告竝びに契約解除の通告の仕方は明らかに不当であつて被告としてはその法的効果の発生を容認し得ない。被告は原告のかような態度に徴し弁済の提供をなしても受領拒絶にあうであらうことが明らかなので同月二十日右賃料を弁済のため供託した。以上の次第でいづれにしても原告の賃料不払を理由とする契約解除の意思表示は無効であつて被告はなお賃借権に基き本件宅地を占有しているものであるから原告の請求には応じ難い」と陳述した。<立証省略>

理由

原告が昭和二十七年十二月十八日訴外林茂明から原告主張の前掲宅地を買受けてその所有権を取得し同日その旨の登記をなしたこと、被告がこれよりさき右林から右土地を賃借しその地上に登記のある原告主張の前掲店舗一棟を所有したので原告が右土地所有権取得と同時に被告に対する賃貸人たる地位を承継したこと、当時その賃料が一箇月金千五百四十円であつたこと、なお被告が現に右地上に右店舗の外原告主張の前掲寄宿舎一棟を所有して右土地を占有していること、しかるところ原告が昭和二十九年八月九日内容証明郵便を以て被告に対し昭和二十八年一月分から同年五月分までの賃料を書面到達の日から三日以内に支払うべき旨の催告をなし右書面が同月十日被告に到達したこと、次で原告が同月十四日内容証明郵便を以て被告に対し前記賃貸借契約解除の通告をなし右書面が同月十六日被告に到達したことは当事者間に争がない。しかして右賃貸借における賃料は月額を以て定めたものであるからその支払期日は特段の事情がない限り毎月末日払の約であつたものと推認するのが相当である。

そこで被告の抗弁につき順次判断する。

先づ被告は原告催告の前記五箇月分の賃料は原告から本件土地所有権取得の通知に接した当時既に前地主たる林茂明に支払済であつたから右賃料支払の履行遅滞はない旨を主張する。しかして原告が昭和二十八年十月九日内容証明郵便を以て被告に対し前記所有権取得の事実を通知したことは当事者間に争がなく成立に争のない乙第一号証、証人林喜美の証言によれば、被告は右通知以前既に前地主たる林茂明の親権者で法定代理人たる林喜美に対し前記五箇月分の賃料を支払つていたことを認めることができる。しかしながら建物保護法第一条第一項の規定の適用により宅地賃借権者がその賃借権を以て敷地の新所有者に対抗した場合前所有者と賃借権者との間の敷地利用の基本的法律関係は敷地所有権移転登記の時において法律上当然に新所有者が承継し前所有者は全く右法律関係から離脱するものであり従つて又新所有者から賃借権者に対し右承継の通知をなすを要しないと解するから賃借権者が右地位の承継が生じた後においてその承継の事実を知らずに新所有者に支払うべき賃料を前所有者に支払つたときにおいても賃料債権の準占有者に対する弁済となるような特別の事情がない限り有効な弁済とは認められず新所有者に対し重ねて当該賃料を支払うべき義務を免れないものと謂わなければならない。してみると被告の前記抗弁が理由のないことは明らかである。

次に被告は原告は前記所有権取得の通知後間もなく前記林喜美に対し前記五箇月分の賃料取得を承認のうえ右賃料請求権を林茂明に譲渡する旨の意思表示をなしたから右賃料請求権を喪つた旨主張するが僅かに証人林喜美の証言によつて林喜美が昭和二十八年九月中本件土地の利用関係を調査に赴いた原告会社の社員に対し被告から前記五箇月分の賃料を受領していることを告げこれを貰い受けたい旨申入れたところ右社員は右賃料はそのまま保管すべき旨を応答したことが認められるに止まりこれを出でて原告が林の右申入を容れてその賃料取得を承認し以て右賃料請求権を譲渡したことを認めるに足る証拠はないから被告の右抗弁も理由がない。

しかし最後に、被告が昭和二十九年八月二十日前記五箇月分の賃料を弁済のため供託したことは当事者間に争がないところ前記認定の事実に成立に争のない乙第三号証の一乃至九、同第六号証の一、二、同第八乃至第十一号証の各一、二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第七号証の一、証人林喜美の証言を併せ考えれば次の事実が認められる。即ち被告は原告から前記土地所有権取得の通知を受けるまで賃貸人の地位の承継があつたことを知らずその間に前記五箇月分の賃料を前記のように林喜美に支払い同人も亦原告が林茂明の先代林隆明に対する金銭債権担保のため同人から預つていた本件土地の譲渡に関する書類を以て同人の死後その家督相続人たる林茂明との間の売買の形式をとり弁済に代えて本件土地の譲渡を受けた関係上右土地の賃貸人の地位に承継があつたことを知らないで被告の支払つた右賃料を受領したが被告は原告の右通知に接したので右林に問合せたところ同人は原告会社の社員との前記交渉の後原告から右賃料につきなんらの指示がないので原告が前記賃料分与の申入を承諾したものと考え被告に対し右賃料は林において取得すべく原告との間において合意が成立した旨回答した。そこで被告は昭和二十八年十月十五日内容証明郵便を以て原告に対し同年一月分から同年五月分までの賃料は前所有者に支払済であることを通知し併せて同年六月分以降の賃料の支払場所につき指示を仰いだ後同年十一月二十五日内容証明郵便を以て同年六月分から同年十一月分までの賃料を送金した。ところが原告会社はその社員を使つて本件土地の利用関係を調査した際既に同年一月分から同年五月分までの賃料が右林に対して支払われている事実を知るとともに同人から右賃料分与の申入を受け右社員において右賃料はそのまま保管すべく応答してあり今又被告から右賃料は前地主に支払済の通知に接しながらこれについては一言も触れないで被告の送金は合法金額でないとの理由のみを表示してこれを返金した。被告はやむなく同年十二月七日これを弁済のため供託しその後引続き同年十二月分以降の賃料を供託するようになつた。ところが原告は昭和二十九年七月二十日被告に対し賃料の値上を要求し同年八月三日これを拒絶されると同月九日にわかに被告に対しさきに問題となつた昭和二十八年一月分から同年五月分までの賃料につき前記のような催告をなした。しかして被告が再度林喜美に問合せ前同様の回答を受け益々右賃料は前地主に対する支払を以て弁済になつたものと確信し昭和二十九年八月十一日到達の内容証明郵便を以てその旨の回答をなしたにも拘らず原告はこれに一顧も与えず催告期間の経過を俟つて直ちに右賃料の不払を理由に賃貸借契約解除の通告をなした。そこで被告は今更弁済の提供をなしても受領拒絶にあうものと認め右五箇月分の賃料を前記のように供託したものである。以上が当裁判所の認定であり叙上原告の厳格な手段の打ち方等に徴すれば既に契約解除の通告があつた後に至り右賃料の提供をなしても原告がその受領を拒絶するであらうことは明瞭であるから被告は右弁済の供託により有効に右賃料支払義務を免れたものと謂わなければならない。もつとも右弁済供託が本件契約解除の通告到達後になされたものであることは前説示のとおりであり、従つて原告は契約解除の効力発生に影響がない旨主張するから更に進んでこの点を考えてみなければならない。そもそも法律が債務者に履行遅滞がありその催権者が催告をなしてもなおその効力がないとき債権者に契約解除権を与えた所以のものはその債務者に債務履行の意思又は資力がないのに契約を存続させては債権者に酷を強いるものであるからに外ならないのであつて右契約解除権の行使にあたつてはその制度の目的に従い信義誠実の原則に従うべきことは謂うまでもないところである。今本件についてこれをみるのに前記事実によれば被告が原告の催告にかかる前記五箇月分の賃料をその催告期間内に支払わなかつたのは原告から本件土地所有権取得の通知を受けるより以前既に前地主に支払つていて前地主に問合わせた結果に徴しても右支払を以て有効に弁済になつたものと確信したからであつて結局は実際の法律関係に副わない誤解に基くものであるが被告がかような確信を抱いた経緯については法律専門家でない被告として無理からぬものがあるとともに原告の右催告に接して前地主に対する支払の事実を通知したのも亦当然の応答であつたと謂わなければならない。従つてその後被告が賃料を逐次供託した事実等に徴しても被告は右確信が誤解であることを知つたならば躇躊なく前記五箇月分の賃料の支払をなしたであらうことは推認するに難くない。しかるに一方原告会社は本件土地所有権を取得した後林喜美につき右土地使用の関係を調査した際前記五箇月分の賃料は既に同人において被告から受領済であることを知るとともに右林から右賃料を貰い受けたい旨賃料分与の申入を受け右調査にあたつた原告社員においてそのまゝ保管すべき旨応答したがその後右申入を放置し又被告に対し本件土地所有権取得の通知をなし折返して被告から右賃料の支払につき右調査の結果に合致する事実の通知を受けながらこれにつき特段の督促もなさずかえつてかなりの日時が経過してから賃料の値上を要求しこれが拒絶を受けると賃料が右五箇月分の賃料を除外して供託されていることその他右記のような事情から被告が前記のような誤解に陥つていることを知りつつ突如五箇月分の賃料につき前記催告をなし被告が右賃料の始末につき前同様の回答を寄せるとこれによつて被告からいまだ右誤解が去らないことを知つたのに催告期間が経過すると直ちに契約解除の措置に出たものである。従つて法律要件の形式だけからみるならば原告の催告竝びに契約解除にはなんら非の打ち所はないけれども原告が真にその権利の行使に信義を以てするのであつたならば少くとも被告の前記誤解を除去するため林喜美に対しては賃料分与の申入には不承諾の旨を回答し又被告に対してはその実情を明らかにして注意を促す等相当の措置をなし、しかる後賃料支払の催告をなすべきであつたのに原告はかゝる措置に出でないで被告の債務不履行を幸いに賃貸借終了の効果を実現せんとし被告の誤解に乗じて賃料の催告次で契約解除の通告をなしたもの、換言すれば本件賃料の催告竝びに賃貸借契約解除の通告はこれにつき当然遵守さるべき信義誠実の原則に従わず法律が債権者に契約解除権を与えた制度の目的を逸脱したものであつていわゆる権利の濫用に外ならず従つて法律上なんらの効力も生じないものと認めるのが相当である。

果してそうだとすると右契約解除の結果本件賃貸借の終了したことを前提とする原告の本訴請求は全部理由がないこと明らかであるからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 駒田駿太郎)

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