東京地方裁判所 昭和29年(行)31号 判決 1955年12月15日
原告 金安豊造
被告 国
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「神奈川県知事が昭和二十二年十月二日附で別紙第一目録記載の土地につきなした買収処分及び昭和二十三年七月二日附で別紙第二目録記載の土地につきなした買収処分は、いずれも無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、別紙第一、第二目録記載の土地は、いずれももと原告の所有に属していたところ、神奈川県知事は自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)の規定に基き別紙第一目録記載の土地(以下(一)の土地と略称する)については昭和二十二年十月二日附買収令書を原告に交付し、別紙第二目録記載の土地(以下(二)の土地と略称する)については昭和二十三年七月二日附で公告をなし、それぞれ買収処分をした。しかし右処分は次の諸理由によりいずれも無効である。即ち、
一、本件各土地はいずれも農地ではない。本件土地は公簿上の地目は畑となつているが、鎌倉市極楽寺金山の別荘地帯に位置し、もと住宅が建つていたが、老朽のため取毀されて更地となつていたのを、住宅を建てる目的のもとに原告が昭和十七年買い受け所有するに至つたものであり、偶々買い受けた当時は太平洋戦争が激化し建築許可を得られなかつた為め、やむを得ず更地のまま放置していたにすぎないのであつて、飲料水用の石造の井戸も現存して居り、実質は宅地であることが明かである。しかも、その地勢、本来の使途、施設及び周辺の状況等から判断するときは、近い将来住宅の建築が予定されている土地であることが明瞭である。従つて、本件土地は実質上宅地であつて、農地ではない。
二、本件各土地は小作地ではない。原告は何人に対しても本件土地を小作させたことはなく、又何人とも本件土地について賃貸借若しくは使用貸借の契約を結んだことがないのであつて、訴外三橋増吉及び同鈴木光一はなんらの権原もなく不法に本件土地を耕作しているものであるのに拘らず、神奈川県知事は同人らを小作人と認め本件土地を小作地と認定して本件買収処分をしたのである。
三、更に(二)の土地については買収処分に手続上のかしがある。自創法第九条の規定によれば、買収処分は原則として都道府県知事が買収農地の所有者に対し買収令書を交付してすべきであり、右の所有者が知れないとき、その他令書の交付をすることのできないときにおいてのみ、公告をもつて買収令書の交付に代えることができるものであるところ、被告は原告の氏名住所を承知しており、(一)の土地については前記のように買収令書を交付して買収処分をしているにかかわらず、右(二)の土地については、令書を交付することができないとして、公告をもつて買収したのである。
本件買収処分には右のようなかしがあり、しかもそのかしはいずれも重大かつ明白なものであるから、本件買収はすべて当然無効である。よつてその旨の確認を求めるため、本訴請求に及んだと陳述し、被告主張事実中、原告が昭和二十四年頃旭川市内に居住していなかつたことは認めるが、(二)の土地の買収に際して被告が原告宛郵送した買収令書が受取人住所不明の理由で返送されたことは知らない。原告は株式会社田中組に勤務し同会社の事務所のある旭川市宮下通十五丁目左一号に居住していたが、昭和十九年に札幌市南六条西二十六丁目三百四十三番地に転居し、その際原告の跡に入居した尾島某に対し、原告宛の郵便物の転送方を依頼し、その後昭和二十一年八月頃訴外大沼新一が入居するに至つてからも、同様原告宛転送方を依頼したから、事実買収令書が郵送されたなら原告方に転送された筈であつて、事実原告は旭川市宮下通十五丁目右一号に宛てた(一)の土地の買収令書の交付を受けているのである、と述べた。(立証省略)
被告指定代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中原告がその主張する土地の所有者であつたところ、その主張するとおりの手続で買収されたこと及び本件土地上に井戸が存在すること並びに原告がその主張する宛先を記載した(一)の土地の買収令書の交付を受けたことは認めるがその余の事実はすべて争う。訴外鎌倉市農地委員会は、(一)の土地中二百六十八番の四ないし七の土地及び(二)の土地は訴外三橋増吉が賃借権に基き、(一)の土地中二百六十八番の三の土地は訴外鈴木光一が使用貸借による権利に基き、それぞれ耕作している農地と認め、自創法第三条第一項第一号により、(一)の土地については昭和二十二年七月二十二日、(二)の土地については昭和二十三年五月十四日それぞれ買収計画を樹立したうえ、各所定の手続を経て買収したものである。即ち、原告は当初本件土地全部を訴外鈴木与一に対し耕作の目的で賃貸し、同人は更に昭和二十年十一月頃訴外鈴木光一を介して訴外三橋増吉に対し小作料を金五千円(別に売り渡した甘藷代を含む)として期間の定めなく転貸し、同時に右三橋は(一)の土地中前記二百六十八番の三の土地を右鈴木光一に対し無償で貸与し、以来それぞれ耕作の目的に供しているのであつて、右転貸については、原告はこれらの事実を知りながら現在に至るまで解除権を行使しないから、黙示の承諾を与えたものというべきである。原告と訴外鈴木与一との右の関係は賃貸借でないとしても使用貸借とみるべきであり、仮に然らずとしても、同訴外人は原告から本件土地の管理を委ねられていたのであつて、本件土地を第三者に貸与するについても代理権を有していたのであり、仮にかゝる代理権を有しなかつたとしても、訴外三橋増吉としては鈴木与一がかゝる代理権を有すると信ずべき正当な理由があつたのであるから、いずれにしても右鈴木と三橋との間に結ばれた契約の効力は当然原告に及ぶものである。また、右鈴木と三橋との間の法律関係が賃貸借でないとしても使用貸借であり、仮に然らずとしても賃借権(若しくは使用貸借による借地権)の譲渡とみるべきである。従つて右いずれの点からみても、本件土地は農地であり、しかも自創法第三条第一項第一号に該当する小作地であることは明かである。次に(二)の土地の買収手続については、神奈川県知事は昭和二十三年十二月二十三日北海道庁に対し右土地に関する買収令書を原告の届出住所たる旭川市宮下通十五丁目右一号において交付するよう依頼したところ、北海道庁は更に旭川市農地委員会に対して右交付方を依頼し、これにより同委員会は昭和二十四年二月か三月頃原告に宛てて買収令書を郵送したが、当時原告は右宛先に居住して居らず、且つ転居先も不明であつた為め、右郵便物は同年四月十一日頃受取人住所不明の理由で同委員会に返送された。よつて神奈川県知事は右買収令書は原告の住居不明のため交付できないものと認め、昭和二十五年一月二十六日、自創法第三条第一項但書の規定により公告して買収したのであつて、右手続は適法である。従つて本件買収処分には原告の主張するようなかしはないのであるが、仮になんらかのかしがあつたとしても、そのかしは取消をまたずして本件買収処分の効力を否定しなければならないほど重大かつ明白なものではないのであるから本件買収処分は当然に無効とはならないのであると主張した。(立証省略)
理由
(一)及び(二)の土地がいずれももと原告の所有に属していたところ、神奈川県知事が(一)の土地につき昭和二十二年十月二日附買収令書を原告に交付し、(二)の土地につき昭和二十三年七月二日附公告をなし、もつてそれぞれ自創法に基く農地買収処分をしたことは、当事者間に争がない。そこで、右の各処分に原告の主張するような無効原因があるか否かについて判断する。
原告は、本件土地はいずれも農地でない旨主張するが、証人鈴木与一、同鈴木光一、同三橋増吉及び同加藤孝一の各証言並びに検証の結果を綜合すると、昭和二十年十一月頃から本件土地中二六八番の三の土地は鈴木光一が耕作して野菜類を作り、その余の土地は農業を専業とする三橋増吉が耕作して麦、馬鈴薯その他の作物を栽培していたものであり、本件土地の所在する極楽寺地区には農家が十二、三軒あり、一戸当り平均耕作面積は二、三反程度であつて、右三橋増吉は昭和二十三年三反位の耕作面積を保有していたこと、及び本件土地の周辺には住宅が相当数建てられているが、なお藁葺屋根の農家も散見され、本件土地の東側の高台は麦畑となつていて、本件土地と同様買収された事実を認めることができ、右の事実によれば本件土地は買収当時農地ではなかつたと断定することがむしろ困難であつて、この点についての原告の主張は理由がない。
つぎに、本件土地は小作地でないとの原告の主張について検討すると、前記証人鈴木与一、同三橋増吉、同鈴木光一及び同新保要一の各証言の一部に原告本人尋問の結果の一部を綜合すると、原告は昭和十七年頃本件土地を買い受けて七十坪程の住宅を建てようとしたが、三十坪以上の家の建築が制限されたので、住宅を建てることを断念し、かつ原告は当時北海道に居住して自らこの土地を管理することができなかつたので、右土地の近くに居住し、かつて、原告がこれを買うについて、原告のためほか一名とともに仲介代理の衝にあたつた鈴木与一に対し、本件土地を耕作しつつ管理することを依頼し、同人が耕作を続けていたところ、終戦後同人は千葉県の郷里に引揚げることになり、昭和二十年十一月頃三橋増吉に対し本件土地を耕作する権利を譲渡し、その際権利金として本件土地の内約一畝半に植付けてあつた甘藷の代金をも含めて金五千円を請求し、これを受領して本件土地から去り、以後三橋増吉が本件土地を耕作し、そのうち二六八番の三の土地は鈴木光一が以前から鈴木与一の許可を得て耕作していたので、そのまま同人に農耕の為め使用させ、その代償として三橋の供出分の一部を代つて供出させていた事実を認定することができ、証人鈴木与一、同鈴木光一及び同三橋増吉の証言中右認定に反する部分はいずれも措信し難く、また原告本人尋問の結果中原告が鈴木与一に本件土地の管理を依頼したことがない旨の供述部分は、証人新保要一の証言中、原告は昭和二十二年五月二十日頃旭川市の原告方において、右新保に対し本件土地には留守番をおいてあると述べた旨の供述部分に比するときは、にわかに措信し難い。そして右認定によれば、鈴木与一は本件土地の管理を委任されただけであるというべきであつて、本件土地につき原告を代理してなんらかの法律行為をする権限を与えられていたことはこれを認め難く、従つて三橋増吉及び鈴木光一が鈴木与一に代理権ありと信じたとしても、原告に対抗し得る小作権を取得するに由ないものであるから、本件各土地を小作地と認定してなした前記各買収処分は、いずれも違法なものといわなければならない。
しかしながら、前記のように鈴木与一が本件各土地につき永年にわたつて管理権を有し、且つ自らこれを耕作し、原告本人は遠隔の地にあつて本件土地を直接使用収益することがなかつたため、三橋等は鈴木与一が代理権を有するものと信じ、正当に耕作権を取得したと信じて平穏に耕作を続けて来たものであつて、この事実から考えると、本件土地が小作地でないという事実は一見明瞭に知り得る事実ではないと解するのを相当とする。従つて本件各買収処分の前記の違法原因は、明白なかしということはできないから、取消原因とすることはできても、本件各買収処分を当然無効ならしめるものとはいい難く、原告のこの点の主張も理由がないといわなければならない。
最後に、(二)の土地の買収令書の交付に代えて公告をしたのは違法であるとの原告の主張について検討する。押印、方式及び趣旨により神奈川県農地部長、北海道農地開拓部長及び旭川市旭川農業委員会長がそれぞれ職務上作成したものと認められる乙第二号証並びに乙第一号証の一、二、の各記載を綜合すると、(二)の土地の買収令書は買収期日昭和二十三年七月二日、対価二二八円四八銭、文書番号神と第六二四五号と記載されて神奈川県庁において作成された上、北海道農地開拓部長が原告への交付方を依嘱され、更に旭川農地委員会を経て書留郵便で「旭川市宮下通右一号」の原告に宛てて発送されたが、住所不明の理由で昭和二十四年四月十一日同委員会に返送された事実を認めることができるが、他方(一)の土地の買収令書も右と同じ宛先の記載で原告の手に届いた事実は当事者間に争がなく、しかも証人大沼新一の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告はかつて旭川市宮下通左一号に居住したことがあり、昭和二十四年四月当時には同所に原告と同一会社に勤務し原告の現住所を知つている者が居住して居り、(一)の土地の買収令書も同人の手を経て原告方に回送されたものであることを認めることができるのであつて、右の事実によれば旭川農地委員会は前記書留郵便の返送を受けた後原告の住所を調査したならば、比較的簡単にこれを発見し得た状態にあつたというべきである。然るにかかる調査がなされた形跡は全くあらわれていないから、神奈川県知事は右の一回の返送を受けたことにより直ちに令書の交付をすることができないものと認定し、令書の交付に代える公告をしたものと認めざるを得ない。このように買収の対象たる農地の所有者の住居地が比較的簡単に判明し得る状況にあるにも拘らず、知事が令書の交付に代える公告をすることは、違法である。しかしながら、前記の諸事実を考慮するときは、本件においては右のかしは(二)の土地の買収処分を当然無効ならしめるほど重大かつ明白なものとはいえず、単に取り消し得べきものにすぎないと解するのを相当とするから、結局原告のこの点に関する主張も理由がないというべきである。
従つて原告の主張はいずれも理由がないから、神奈川県知事のなした本件各買収処分が無効であることの確認を求める原告の本訴請求は失当であつて、棄却を免れない。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤完爾 入山実 大和勇美)
(目録省略)