東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)4001号 決定 1955年10月22日
申請人 持永勤
被申請人 関西ペイント株式会社
主文
申請人の申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
理由
一、申請の趣旨
被申請人が昭和二十九年十二月四日付をもつて申請人に対してなした解雇の意思表示の効力は仮にこれを停止する。
との裁判を求める。
二、当裁判所の判断の要旨
(一) 被申請会社(以下単に会社ともいう)は塗料、顏料並びに農工業化学薬品の製造販売等を目的とし、肩書地に本店、東京都大田区南六郷三の一二の八に支店及び工場を有する株式会社で、申請人は昭和二十七年十二月九日付をもつて会社に雇傭せられ爾来前記東京工場に勤務してきたものであること。会社は申請人が右入社に際し前歴を詐称して雇い入れられたものであるから会社就業規則第八十三条第五号に定める経歴を詐り雇い入れられたときに該当するという理由のもとに昭和二十九年十二月四日到達の書面をもつて申請人に対し、解雇する旨の意思表示をなしたこと。申請人が会社に雇用される際提出した履歴書には賞罰なしと記載されているが申請人は昭和二十七年九月二十七日施行の衆議院議員総選挙において候補者淡徳三郎の選挙運動を応援した際公職選挙法に違反する行為があつたという理由で同年十一月二十九日東京地方裁判所において罰金七千円に処する旨の判決の言渡を受け右雇入後である同年十二月十二日控訴したけれども昭和二十八年五月十二日控訴の取下をなし、右判決が確定したことは当事者間に争がない。
(二) 申請人は前記刑事事件において言渡された判決は申請人の雇入当時未確定であつたので、有罪というべきものではなく、従つて罰を受けたものとして履歴書に記載すべき事項に当らないばかりでなく、右に罰というのは、社会通念上懲役禁錮等の体刑に処せられた場合を指すものであつて罰金科料等の財産刑は含まれないと解すべきであるから経歴を詐つたものではないと主張するので、被申請人代理人の主張する解雇理由について検討する。
元来使用者が事業の遂行上労働力の提供を受けるため労働者を雇い入れるに当つては、爾後の継続的労働契約関係が対人的な信頼を基調とし当該労働者が企業組織内に配置されその生産性に順応し、寄与することを期待するものであるから労働力の評価に過誤なからしめるため、先づその評価基準である人格、健康、思想、経歴、性向、特技その他諸般の事項に関する正当な認識を得ることを前提とする。このためには使用者自ら所要の調査をなすべきは勿論であるが、労働者においても右の要請に副うよう協力すべきであつて使用者から前歴に関する事項の報告を求められたときは、労働力の源泉である人格の価値判断を正当になさしめるという見地から、前記の評価基準に関する事項を不当に隱秘し又は事実に反する事項を告知することは許されないものというべきであり、このことは労働者に課せられた雇傭契約締結の際の信義則上の義務と解するのが相当である。
従つて労働者が雇傭契約締結に当り事実に反した前歴を記載し又は真実の前歴を隱蔽すること即ち前歴を詐ることは右にいう信義則に違反するものであつて、その義務違反従つて不信義的性格の故に対人的信頼関係が破壊されるのであり、その義務違反即ち経歴詐称がなかつたならば、雇傭契約が締結されなかつたであろうという因果関係が当該雇傭契約に即し社会的に妥当であると認められる程度に重大であるとき経歴詐称を理由とする解雇は適法であるといわなければならない。
ところで本件においては前記の通り雇傭契約締結当時有罪判決は確定していなかつたのであるけれども、有罪判決の言渡自体がその言渡を受けた者に対する全人格的価値判断に重大な影響を有することは社会通念上疑を容れないところであつて、前記の評価基準に照して前歴に関する無関係の事項であるとは到底考えられない。
即ち有罪判決の言渡自体は、罰せられたこととは客観的事実を異にするけれども、不確定的にも反規範的性格が宣言されたという意味において賞罰に関する人格評価の重要な経歴に属するものというべきであり、本件雇傭契約締結に当りその事実を隠蔽してこれを履歴書に記載しなかつたのは、全人格に対する評価の重大な基準事実を隠蔽してこれにより会社に対する自己の人格の評価に甚しい過誤を生ぜさせたもので別段の事情が認められない本件においてはその事実を諒知していたら雇用されなかつたであろうことを肯定するのが相当であり且右のように詐称するという不信義的性格を有するものであるから右は就業規則第八十三条第五号にいわゆる経歴を詐り雇い入れられたときに該当し一応懲戒解雇に値するものというべきである。
もつとも本件においては仮に履歴書作成の際に有罪判決の言渡がなされていなかつたとしても、疏明によれば、その言渡後である同年十二月四日頃会社は申請人に対する採用のための面接考査の際申請人は賞罰の有無を尋ねられながら履歴書記載の事項に相違ない旨言明し右言渡の事実を隱蔽したことが認められるから、前記の結論に影響はなく、また履歴書に記載を要求される罰は社会通念上自由刑に限られ罰金等の財産刑は含まれないと解すべき根拠はないから、この点に関する申請人の主張は採用できない。
(三) 申請人は本件解雇の意思表示は申請人の組合活動を嫌忌し申請人を排除し組合を弱体化するため経歴詐称を口実としてなした不当労働行為で無効であると主張する。
(1) しかして疏明によると申請人は入社後会社東京支店及び東京工場の従業員をもつて組織する総評関東地方化学産業労働組合関西ペイント支部(以下単に組合という)に所属し、昭和二十九年三月に行われた組合の選挙においてラツカー部選出の職場委員に選出され次いで同年五月行われた関西ペイント労働組合連合会大会における所属組合の代議員として得票二十九(第二位)をもつて選出され、さらに同連合会の執行委員にも選出されたことが認められ、また、申請人は職場委員として昭和二十九年四、五月頃各職場の職場委員を集めて討議し作業服、靴の支給、賞与における事務技術員の差別撤廃、住宅金融公庫を利用して住宅を新築する場合自己負担金を会社が肩代りすること、退職金の増額、給与基準の明確化等の要求を会社に提出すべくこれを組合大会に提案したこと、職場大会を数回開いて休暇が簡易にとれるよう要求することについて話合い、或は昭和二十九年七月頃職場の人と話合つて職場に椅子を備付けるよう職長に要求したことなどの組合活動をしていた事実も疏明によつて窺えないでもないが、本件解雇は前記の前歴詐称を決定的事由としてなされたものと認めるのが相当であつて、これをくつがえし会社か申請人の組合活動の故にこれを嫌忌し、それが本件解雇の決定的理由となつたことについては疏明がないことに帰着する。即ち疏明によると前記組合大会における提案もその事項はすでに屡々提案されていたものであり申請人もこれを表決するよう推し進めることを忘れてしなかつたこと、休暇要求の件も職場大会における話合い以上には出ておらないし、椅子備付の問題も職長は右職場会議において意見を求められ安全衞生委員会に適当な機会があれば話をするが椅子備付を要求することは適当ではないと答え、爾来そのままにその問題は推移し申請人自身も積極的に組合大会等に提案しないでおつた事実が窺われるので申請人の組合における前記経歴の点を除いては組合活動が会社に顕著であつたと認めることはできない。
しかして疏明によると申請人の所属する組合における職場委員とは組合役員の一で毎年三月中各職場毎に若干名宛選出され職場を代表して組合の重要業務に参画し苦情処理委員を兼務するとされているが組合役員としてはほかに組合長副組合長書記長各一名専門部三名幹事二名があつてこれが常時組合の業務にあたり、役員会は大会に次ぐ決議機関として毎月一回もしくは臨時に組合長によつて招集されるものであることが認められるので職場委員という地位そのものは特に会社の関心をひくものであるとは考えられず、また、連合会の代議員は大会毎に各単位組合別に選出される大会終了と共にその任務は終了し代議員が執行委員となることも通常の事例であること、申請人が前記のように代議員に選出されたのも現場から一名でも多くを代議員として本社所在地で行われる大会に出席させようということから票の割り振りをした結果申請人が第二位で当選した事情が疏明によつて認められるので申請人が前記の役職についたことにより組合員の衆望を担つたものとして特に会社から注目せられていたと認定することは困難である。
(2) ところが申請人は会社から嫌忌せられ、組合活動に制約を加えられたと主張するのでこの点についてさらに検討する。
(イ) 申請人は昭和二十九年八月五日ラツカー部よりペイント部に職場転換され所属ラツカー部の職場委員たるの地位を喪い旧職場からも孤立し組合活動に制約を加えられたというけれども疏明によると、申請人はラツカー部クリヤー工場において昭和二十九年六月より七月頃までの間に二、三回シヤープレスの過熱事故を起し申請人は右の職場から変えてもらいたいと希望していたのでペイント部に二名の欠員のできた際補充として異動させたことが認められ、また配置転換によつて連合会執行委員たる地位を喪うということは慣行上のことで連合会規約に明記されて居らず申請人自身そのような慣行を知らなかつたことが疏明によつて認められるので、会社が申請人の組合活動を制約する意図のもとに配置転換したものと認定することはできない。
(ロ) 申請人は職長から組合活動を仕事中あまりやるなと言われたり組合長から組合に連絡なしに定例職場大会を開いたりしてはいけないと言われて組合活動に制約を受けたというけれども組合が所謂御用組合であつて組合長が会社の意図のもとにそのような態度にでたことについての疏明はなく、また職長が申請人に対して勤務時間中の組合活動について注意を与えたことの一事をもつて会社が申請人の組合活動を嫌忌したということができないからこの点の申請人の主張は採用できない。
(3) 以上のように申請人の組合活動を会社が特に嫌忌していたという申請人の主張が採用できないのであるが、さらに疏明によれば本件解雇の意思表示がなされるに至つた経過は次のとおりであることが認められる。即ち申請人が入社したのち昭和二十九年三月中旬頃藤産業株式会社より申請人の叔母で同会社従業員持永久子の身元調査に関連して申請人の勤務状況につき会社に問合せがあり右久子は共産党の細胞活動をしているということでもあつたので、会社においても申請人の前歴についても調査の結果同年十月頃申請人が前記のとおり刑の言渡を受けその判決は申請人の控訴取下により昭和二十八年五月十二日確定したことが判明したので、会社はこれを解雇することに決意し就業規則の労働協約に基づき東京支店賞罰委員会に諮問したところ、同年十二月一日同委員会より自発的退社願を提出したときは依頼退職の取扱をするという条件を付して懲戒解雇処分とする旨の意見具申がなされたので、その旨を申請人に伝え、依頼退職の意図の有無を確めたけれども、その意思がなかつたので、前記の通り解雇の意思表示をなしたことが認められるのである。
してみれば会社が申請人の経歴詐称の事実を口実として申請人の組合活動を阻止し組合を弱体化させようとしたものと認定することはできない。よつて本件解雇の意思表示が不当労働行為であるとの申請人の主張は採用できない。
三、以上のとおり申請人に対する本件解雇の意思表示を無効であるとする主張は結局疏明がないことに帰するので、これが無効を理由とする本件仮処分申請は失当であり却下すべきものである。よつて申請費用は民事訴訟法第八十九条により申請人の負担とし主文のとおり決定する。
(裁判官 西川美数 綿引末男 三好達)