大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和30年(ヨ)4012号 決定 1955年12月24日

申請人 板橋義忠 外一二八名

被申請人 国

主文

被申請人は申請人らに対し申請人らが池子火薬廠において勤務する間特殊作業手当として基本給与額の三割に相当する金銭を支払わなければならない。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、申請の趣旨

申請人らは主文と同旨の裁判を求める。

第二、当裁判所の判断の要旨

一、申請人らは被申請人に雇われ、駐留軍労務者として米陸軍池子火薬廠において現在爆薬取扱工であること、駐留軍労務者の給与を定めた昭和二十三年四月十日特調庶発第四四六号駐留軍技工系給与規程(疏甲第三号証以下給与規程という)第十三条により爆発物を取扱う作業又はこれに近接してなす作業で危険を伴う場合には一時間につき基本給与月額一七六分の一(役付者にあつては役付手当を加えた額)の三割(労働時間は一日八時間一週五日であるので労働日は月平均二十二日となり一月一七六時間の計算となるわけで、結局基本給与月額の三割と同じ)以内に相当する額の特殊作業手当を支給することと定められているが、申請人らの勤務する池子火薬廠においては昭和二十二年七月頃以来昭和二十九年八月分の給与に至るまで右特殊作業手当は実際に爆発物を取扱う時間に限らず勤務時間の全部に対し基本給与月額の三割に相当する額が支給されてきたところ、被申請人は昭和二十九年九月分から実際に爆発物を取扱う時間に対してだけ三割とし他の勤務時間に対しては二割しか支払わなくなつたこと。

以上の事実は当事者間に争いない

二、申請人らは右の支給率変更は労働条件たる賃金の額を一方的に引下げるもので違法であつて申請人らに対して効力を有しないものであると主張する。そこで右は賃金支給率の変更にあたるものであるかどうかについてまず判断しなければならない。

被申請人は特殊作業手当支給は右給与規程の施行細則たる昭和二十二年絡設労合第四一九号連合国関係常傭使用人の給与に関する要綱細目(疏甲第四号証)付属別紙特殊作業、手当標準表(疏乙第一号証以下単に支給標準表という)により爆発性若くは強力引火性危険物の処理、貯蔵集積運搬警戒等の作業およびこれらの危険物に接近して行う作業について(イ)爆発性発火性若くは強力引火性の危険物の処理貯蔵、集積運搬等の作業に従事するものについては基本時間給の三割、(ロ)上記作業現場に近接して警戒その他の作業に従事するものについては基本時間給の二割とする定めに従つて昭和二十六年五月一日以降実施せられてきたのであるから支給率の変更にはならないと主張する。しかして、前記給与規程(疏甲第三号証)とその施行細則である昭和二十二年五月二十九日附給与の実施要綱(疏甲第四号証)とこれに附属の特殊作業手当割増標準表(後昭和二十六年五月九日一部改定されて疏乙第一号証支給標準表となる)によれば、被申請人主張の右要綱細目が定められ特殊作業手当は作業した時間に応じて支給せられ、また作業に所定勤務時間中主として従事した場合は所定勤務時間中これに従事したものとして計算し支給されることに定められていたが、昭和二十六年五月九日特労発第九七五号特別調達庁労務管財部長通達(疏甲第五号証)によれば被申請人主張の支給標準表に基き特殊作業手当の支給は確実にこの作業に従事した時間に限り支給すべき旨定められたことが認められる。そして、疏明によると、右支給標準表は昭和二十六年五月中申請人らの属する全駐留軍労働組合と被申請人間において構成せられる労働協議会に上程協議を得て決定され特殊作業手当支給率の標準を定めたものであるが、その協定の内容をそのまま労働契約の内容として効力を発生させる意図に基くものではなく、従来各都道府県がこれを例規として取扱いその標準に基きそれぞれの現場事情に即応した支給率を定め、以つて労働契約の内容である賃金を決定したものであつて、このようにして実施している従前の支給率を変更改訂する趣旨のものでないことが認められる。ところで池子火薬廠においては前記要綱細目設定後も爆薬取扱工については前記給与規程の枠内で上述のとおり支給標準表の(イ)(ロ)の作業に区別して支給率を算定せず全勤務時間に対して一率に三割の作業手当を支給していたのであるから、この事実によれば右作業所における申請人らと被申請人との間の労働契約に関する限り被申請人は申請人らに対して作業手当を右割増標準表又は支給標準表による標準に従つて(イ)(ロ)の作業別に算出せず、前記のとおり(イ)の作業として取扱い一率に三割を支給する旨の賃金に関する契約が成立しているものと認めざるを得ない。

この点に関し被申請人は池子火薬廠においては爆薬取扱工が間接雇傭の形態をとるに至つたのは右支給標準表の定められた後でありなお申請人らはすべてその後新規採用されたものであつて、右支給標準法に定める標準を変更する必要がなかつたのでそのまま実施していたのであると主張するけれども、池子火薬廠においても昭和二十一年十月頃より既に爆薬取扱工は間接雇傭の形態をとつていた(もつともその後一時再び日通が雇用主となつたけれども)ことが疏明により認められ、しかも前記のとおりその特殊作業手当は支給標準表の定める標準とは異なり昭和二十二年七月以降全勤務時間について標準表(イ)(ロ)の作業を区別せず一率に(イ)の作業による三割の割増をしているのであるから、右の標準をそのまま実施していたのであるとの主張は理由がない。次に被申請人は、右のように全勤務時間について一律に三割の加給をしていたのは作業内容別即ち前記(ロ)の勤務時間を測定することが困難でありかつその実益も少かつたのでやむを得ず全勤務時間を(イ)の爆発物等を直接取扱う時間として特殊作業手当を支給してきたのであると主張する。しかして右支給標準表を定めた当時は朝鮮事変等のため爆発物取扱作業は繁忙を極め爆薬取扱工の勤務時間の大部分は右の作業によつてしめられことさらに作業内容別に勤務時間を測定することはあまり実益はなかつたであろうことは疏明により窺えないわけではないが、更に疏明によればその後も右火薬廠において常時(イ)の作業が大部分であつたとは認め難いばかりでなく右の支給標準表はこれが実施方法については各都道府県の自主的判断にまかせられておるものでありながら、爆発取扱工についてはその所属労働組合等とその実施方法について何らの交渉もなさず、また特に恩恵的措置に出る等の別段の意思表示をなさずして依然として従前どおり作業の全部に対して三割の割増支給を続けたのであり一方支給標準表に定める爆発物を直接取扱わない作業に従事する勤務者についてデボ(Depot)地区本部地区勤務者に関しては右の標準に従つて割増を実施する見解を明らかにしたことが認められるのでむしろ爆薬取扱工については従前の支給率をそのまま実施し、これを改変する意図がなかつたものと推認するのが相当であり、また爆薬取扱工においても従前の支給率に変更を来さないものと考えその後引続き作業に従事していたものと認むべきである。

なお被申請人は作業内容別に勤務時間を測定することはその当時労務管理の不備その他の理由でできなかつたのであると主張するけれどもこれを認むべき疏明はない。而して右に述べたところを総合すれば前記支給標準表はその実施を各都道府県の自主的判断に委ねる性質のものであることが容易に看取できるわけであるが前記要綱細目改正により右支給標準表を定めたことが関係労務者の雇傭条件に直接効力を有するものでないことについて更に附言するならば支給標準表に定める標準がそのまま現場である各都道府県において実施せらるべき趣旨のものでないことは既に述べたとおりであるから、これによるものであることの意思を明示しない限りそれが直ちに契約の内容となるものではないことはいうまでもなく、また右支給標準表は申請人らの属する労働組合と被申請人とで構成する中央労働会で協議の上決定せられたものではあるが、その後神奈川県において右標準表に定める標準によることとする合意のなされたことの疏明はないので右協定が労働協約としての効力を有するものと解することができないことは明らかでありまた手当支給の標準として労働契約の内容にもなつていない。したがつて支給標準表に定めたことによつて直ちに雇傭条件に変更を生じたものということはできない。

してみれば池子火薬廠に勤務する爆薬取扱工については右支給標準表に定める標準をそのまま実施せず、従前どおりの支給率に従つて賃金が定められその旨の労働契約の存在を肯認すべきであるので、これを被申請人主張のように昭和二十九年九月分以降従来の支給率を下廻る支給率を定めることは正に契約上の賃金支給率を使用者の一方的意思により労働者の不利益に変更することにほかならない。

三、しかして賃金の支給率は使用者のみの意思表示によつて労働者の不利益に変更することは許されないのであるから、申請人らは従前の支給率に従つて特殊作業手当の支給を受ける権利を有する。

四、ところで継続的契約関係である雇傭契約において、賃金の支給率が不確定のまま当然支給せらるべき賃金を下廻つて支給を受けつつ作業を継続することは労働者にとつて重大な損失であると言わなければならないところ、申請人らが特殊作業手当の支給率が基本給与月額の三割に相当する額であることの確認或は特殊作業手当給付の訴の判決確定を俟つときは右の損失を免れることができないと考えられる。もつとも被申請人の主張するように申請人らの全勤務時間中現実に爆発物を取扱わない作業時間はその一割内外であつて昭和二十八年九月分は手取総額において月額二百円に満たない程度のものであることが認められるので、これをもつて直ちに生活上重大な損害を被るものとはいえないのであろうけどもその減収は一時的のものでなく将来にわたつて継続するものでありこれと労務者の一回の昇給額労働争議において獲得できる賃上げ額等が右の差額程度に留まることの多いという公知の事情を参酌すると生活に余裕のない労働者にとつては月額二百円をもつて生活に関係のない金額であるということはできない。従つて本案判決確定前に一応の権利関係を保全すべき必要性ないものと論断すべきではない。

第三、よつて申請人らの本件仮処分申請は理由あるをもつてこれを認容し、民事訴訟法第八十九条によつて申請費用の負担を定め主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 三好達)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例