東京地方裁判所 昭和30年(ワ)2903号 判決 1963年7月26日
原告 湯沢康七こと 湯沢康至
右訴訟代理人弁護士 吉岡秀四郎
同 河原三男
被告 中村トメ
右訴訟代理人弁護士 堂野達也
同 阿部三郎
右訴訟復代理人弁護士 服部邦彦
主文
被告は、原告に対し、別紙目録記載の建物を収去してその建坪相当の敷地部分を明け渡し、昭和三二年六月一日以降同年一二月三一日まで一ヶ月六、五〇九円、昭和三三年一月一日以降同年一二月三一日まで一ヶ月七、六五九円、昭和三四年一月一日以降同年一二月三一日まで一ヶ月八、一〇七円、昭和三五年一月一日以降同年一二月三一日まで一ヶ月一〇、三四七円、昭和三六年一月一日以降同年一二月三一日まで一ヶ月一五、九四七円、昭和三七一月一日以降同年一二月三一日まで一ヶ月二二、四八三円、昭和三八年一月一日以降右明渡ずみまで一ヶ月二二、九三一円の各割合による各金員の支払をせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
此の判決は、第一項の金銭支払の部分に限り仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一、原告は本件敷地を含む一九坪五合の宅地を中村富平から賃借していたが、昭和二二年六月一日、被告に対し、賃料一ヶ月一〇円八〇銭毎月末日払、特約無断で地上建物を改築してはならず、これに違反したときと賃料を遅滞したときは催告なしに契約を解除できるとの定めで本件敷地を転貸したことは当事者に争いがない。
二、よつて、右転貸借終了原因の存否につき判断する。
(一) 賃料不払による解除。
原告が昭和三〇年一月二二日到達の書面により被告に対し昭和二九年四月一日以降同年一二月三一日までの賃料不払を理由として即時解除の特約に基いて催告なくして解除の意思表示をしたことは被告の認めるところであるが、被告は、右賃料については弁済のため有効な提供があつたから右解除の前提としての遅滞の責はない旨抗弁する。
≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。
本件敷地の所有者であつた中村富平は、原告が本件敷地を同人に無断で被告に転貸したことを理由として原告と同人との間の賃貸借を解除した旨主張して、昭和二八年一二月末頃内容証明郵便をもつて原被告に対し、それぞれ本件敷地を含む一九坪五合の宅地の明渡と本件建物収去本件敷地明渡を要求し、次いで右事由を申立理由として昭和三〇年四月五日原被告を相手方として東京簡易裁判所に明渡の調停申立をなし、右調停期日は同月三〇日を第一回として十数回開かれたが昭和三〇年一月一四日不調になつたこと(右調停の申立と不調の点は当事者間に争いがない)、もつとも富平からの右明渡請求、調停申立の真の目的は原告と同人間の賃貸借における賃料の値上げであつたこと、ところで、被告は右のように内容証明郵便により建物収去本件敷地明渡の請求を受けたので直ちに昭和二八年一二月分の賃料を支払つたがその際原告はすでに富平の真意を予知し、右明渡の目的は賃料値上げの要求であろうといつていたが、翌二九年一月ないし三月にそれぞれ各月分の賃料を各支払期日までに持参した際には原告はその度に転貸料を上げてもらうことになるかも知れないから富平との話合がつくまでは受領しないと称しいずれも一旦受領を拒絶したが更に受領を懇請されてこれを受け取つたこと、ことに三月分の賃料を支払つたときは原告は富平との話合ができるまでは四月分以降の賃料は受領する意思のないことを表明していたこと、そして、その後右のように調停手続が開らかれたわけであるが、その第一回期日が昭和二九年四月分の支払期日である同月三〇日であつたので、同期日において、被告の代理人弁護士阿部三郎が原告の代理人である母湯沢てるに対し賃料を受領してもらえるかどうか確めたところ、富平との調停の結果如何によつては転貸料を値上げすることになるかもしれないから、右調停が解決するまで支払を待つてもらいたいというので、双方でこの調停が解決するまで従前の賃料の支払を見合わせ右解決後あらためて協議することを合意していたこと、ところが、右のように調停が不調になつたので、被告において従前どおり昭和三〇年一月末日に昭和二九年四月分以降の未納金を一括して持参する用意をしていたところ、これより先昭和三〇年一月二二日に突然本件解除の通知がなされるに至つたこと。
≪証拠の認否―省略≫
右認定事実によれば、原告が不払と主張する昭和二九年四月分以降同年一二月分の賃料について原告は従前の金額による賃料の受領を拒絶する意思を明確に表示していたのみならず、調停による解決の上賃料額について原被告双方の協議が成立するまで賃料の支払を猶予していたとみるべきであるから、調停が不調となつた月の前月分までの賃料については、たといその以前に調停が不調となり右協議による妥結が不能と見込まれても原告において催告またはこれと同視すべき別段の措置をとらない限り被告に履行遅滞があるということはできない。してみれば催告その他別段の措置に出ることなく右期間中の遅滞を理由としてなした本件解除はその前提を欠き無効というべきである。
(二) 無断改築を理由とする解除。
被告が昭和二三年頃本件敷地に建てた当初のバラツクを現在の本建築の本件建物に改築したこと、原告がこれを理由として前記特約に基いて昭和三〇年五月一三日到達の本件訴状により被告に対し転貸借解除の意思表示をしたことは当事者間に争いがないところ、被告は右改築にあたりその承諾を受けた旨抗弁する。≪証拠省略≫を綜合すると、
被告が原告から本件敷地を転借した当時に同敷地上に建てていたバラツクは、土中に丸太を立てこれに板壁を張りトタンを屋根とした程度の粗雑なものであつたところから、被告において同所で理髪営業を遂行するために、とくにその許可の関係上これを改造する必要があつたので、昭和二三年二月頃、期間満了の際には必ず本件敷地を明け渡すことを誓約して口頭又は書面によつて二階建間口二間奥行四間の本件建物に改造することの承諾を求めたこと、これに対し原告は後記のような本件転貸借の性質上、その期間満了の際は容易に収去できる程度のもので営業許可に支障がなく、かつ原告がこれに隣接して建物を建築する関係上間口二間、奥行四間の構造のものであることを条件として改造に承諾し、湯沢てるが原告を代理して乙第一一号証の六の原本とみるべき建築申請のための承諾書に原告の印を押捺したこと、ところが、被告は三尺の路地の設置を認めてくれるのであれば右承諾どおり間口二間奥行四間の建物に改造してもよい旨再度申し込んだがこれを拒否されたので、原告の右承諾の趣旨に反して既定方針どおり同年三月末二階建間口四間奥行二間の本件建物の建築許可を得、工事着手後に右承諾違反に気付いた原告の異議を無視して極めて短時日にこれを完成してしまつたことが認定できる。
原被告本人の右各供述および証人佐藤信太郎、同宇野二三重の各証言中右認定に相違する部分はたやすく措信できず他にこれを覆すにたりる証拠は存在しない。
右認定したところにより考えると、原告としては、改造について全面的に反対したのではないから被告が承諾の限度を越えて本件改築をなしたことについて、その程度等諸般の事情を参酌し転貸借契約を解除されてもやむを得ないと認められるような背信行為に該当するかどうかを考察して本件解除の当否を判断すべきである。ところで右認定の改築の承諾の限度を越えた程度その他本件証拠によつて認められる改築の必要性等の状況を総合参酌すると右の程度の無断改築は転貸借の解除を相当とするにたりる背信性があると断定するに困難というべきである。しかも、その後昭和二六年一月、昭和二八年九月に原被告合意の上賃料の値上げのなされたことは当事者間に争いがなく、かつ被告本人の供述(第一回)によると原告はその後右改築につき異議を述べることなく賃料を受領してきたことが認められるから、右無断改築について黙示的に承諾したとみるほかはない。そうすると、無断改築を理由とする解除もまた効力を生ずるに由ないものといわなければならない。
(三) 期間満了による終了。
≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認定できる。
前記のように原告は本件敷地を含む一九坪五合の宅地を中村富平から賃借していたわけであるが、被告は昭和五年三月頃原告から本件敷地上に存した原告所有の建物を賃借し理髪業を営んできたところ、昭和二〇年三月九日戦災により右建物が焼失したこと、そして被告は同年九月頃疎開先から上京して本件敷地上に前記のように土台を設けず丸太を立て、板壁を張り、屋根としてトタンを張つた程度のバラツクを建てて居住をはじめたこと、しかし原告の住所がわからなかつたので右居住につきなんらの連絡もしなかつたこと、ところで、原告は右戦災前右賃借宅地の一部に被告に対する右賃貸建物の隣に家屋を所有し、右戦災当時にはこれに留守番をおいて岐阜に疎開していたのであるが、終戦を機として原告の父の代から予定されていたとおり右賃借宅地全体に店舗を建築し営業しようと計画していたところ、昭和二一年夏頃上京し被告が右のようにバラツクを建て居住しているのを発見し直ちに被告に対し再三抗議しその収去明渡を要求したこと、しかし被告がこれに応じなかつたところから、昭和二二年一月二二日付をもつて、なお右留守番の東田志げより被告は戦災直前すでに右賃貸家屋から退去してしまつた旨の報告を受け原告自身としてもこれを信じていたので、かかる事情で被告はなんら権限もないのに本件敷地を占拠していることを理由として東京区裁判所(昭和二二年(ユ)第下二七号)に右バラツクの収去とその敷地の明渡を求める調停の申立をなしたこと、その手続中原告においては明渡期間を三年間とすることまで譲歩したが被告は一〇年間と主張して容易に話合がつかなかつたこと、そして原告はそれ以上の譲歩をしなかつたのであるが、被告において、原告がとりあえず空地の部分に建物を建築するについて当面の支障となるバラツクの部分三尺巾の箇所を除去することに同意し、調停委員から右バラツクの構造上どうせ一時的のもので長時間の居住に耐えられるものではないし、原被告双方とも戦災に会い被告は行先に困惑しているのだから、被告が立退先を求め容易に移転できるように一〇年位使用を許可するようにすすめられ、殊に右期間については調停委員から戦災当時その土地に住んでいた者は法律上一〇年間はこれに居住できるものであるといわれ、そこで原告は、右調停委員の勧告どおりやむなく収去明渡を猶予する趣旨で右のバラツク所有を目的として本件敷地を被告に使用を委ねることとし、その期間も、前記のように被告が戦災直前退去して賃借権を有していないことを確信してはいたがその証明が困難であつたので右勧告に従うことにしたこと、そして原告は権利金、敷金の要求はもとより賃料さえも受け取る意思がなかつたけれども、後記のように本件契約締結につき被告の代理人となつた佐藤信太郎から無償では使い難いから賃料をとつてくれといわれてこれを受領することにしたこと、なおその契約条項については、その二、三日後に、被告からこれにつき一切の代理権限を授与された佐藤からお互に隣同志だから裁判所の調停手続の形式より公正証書にした方が円満な解決になるのでこれを公正証書にしてもらいたいとの申出があつたので、原告は右趣旨どおり期間満了のときは必ず明渡を実行することを約束するのであれば、右申出どおり調停調書に代え公正証書によつてもよいとして右約束の確認を得て公正証書によることを承諾したこと、そして昭和二二年六月一日佐藤の指定した公証人役場において原被告と佐藤とが出会し、その際原告はあらかじめ条項が記載されていた公正証書に署名する前に期限満了の際には明け渡してもらえる趣旨の記載になつているかどうか公証人に尋ねその旨の確答を得たので、被告と共にこれに署名し、かくて本件転貸借が成立したものであること。
≪証拠の認否―省略≫
ところで転貸期間については公正証書に昭和三一年六月一日を終期と表示されているけれども、当時原被告とも期間を一〇年間と定めていたものであること、そして原告の供述((第三回))により認められる公正証書作成当時右一〇年の始期について特段の話合がなかつたこと、さらに公正証書作成の際公証人が期間は一〇年間と説明したことが被告本人の供述(第四回)によつて認められること等の事実を併せ考えると、右公正証書の記載は誤記であり、期間は賃貸借成立の昭和二二年六月一日から一〇年間とみるのが相当である。
以上認定したところからみると、被告の占有が不法占拠か否かが争いとなり、原告は、本件敷地使用の予定を有しながら、とくに無償で使用させようと考えていたことから明白であるように自己がこれを使用することを一時見合わせ被告が適当な移転先を探索しかつ容易に移転できる状態になるまでその収去明渡を猶予することを納得し、被告としても、右明渡に同意していたことはもとより、長期の居住に耐え難いバラツクであり、かつ前記のように本件改築にあたり期間満了の際は明渡をなす約定を再確認していることからみても本件敷地で長期に居住営業することを目的としてはいなかつたものというべきである。したがつて本件転貸借は原被告双方の意図、客観的事情よりみて双方共明渡を猶予した一時使用のためのものであることを諒承したものであつて契約の締結は公正証書によつてはいるが、実質上は調停手続中に妥結したものを形式上調停調書にかえて公正証書によつたに過ぎない事情を斟酌すれば、一時使用のための転貸借であることが明らかなものと認めるのが相当である。してみれば、期間が一〇年とされたことは前認定の特別の事情に照し一時使用が明らかな場合と認めるに妨げとならないし、また改造に承諾したことは期間満了の際には容易に収去明渡ができる程度で営業許可に支障とならないものに改造することを許したにすぎないこと前認定のとおりであり、その後右承諾の限度を越えた改築について異議を述べなかつたのは、原告としては期間満了のときに明渡がなされることを信じていたためであることは右認定の本件転貸の際の事情と前出甲二号証により容易に推測できるところであるので、右承諾ないし違反に対し異議を述べなかつたことも右認定を覆すものではない。
さらに再度の賃料値上の点も、原告と地主の中村富平間の本件敷地賃貸借の賃料と原告と被告とのその転貸借の転借料との均衡上原告自身に損害を蒙らない程度に配慮してなされたものにすぎないこと≪証拠省略≫によつて明らかであるから、此の事実も本件転貸借が一時使用であることを妨げるにたりるものとはいい得ない。
よつて本件転貸借は昭和二二年六月一日より一〇年の期間の満了した昭和三二年五月三一日消滅したといわなければならない。
三、そこで返還義務不履行に基く損害額について検討する。
(一) まず、本件転貸借終了の日は右認定のように昭和三二年五月三一日であるから、昭和三〇年一月二三日以降右同日までの賃料相当の損害金の支払を求める部分は失当である。
(二) 次に、本件敷地の賃料につき統制令の適用がないことは当事者間に争がないところ、鑑定人那須艇次の鑑定結果中原告援用の部分および同鑑定人尋問の結果に徴すれば、本件転貸借が終了した日の翌日である昭和三二年六月一日以降本件敷地明渡までこれについての一ヶ月当りの賃料相当額が原告主張どおりであると認定するのが相当である。
四、結論
以上の次第で、被告は、原告に対し、本件転貸借終了に基く返還義務の履行として本件建物を収去してその建坪相当の本件敷地を明け渡し、かつ右義務不履行による損害賠償として右転貸借終了の日の翌日である昭和三二年六月一日以降右明渡ずみまで、同日以降同年一二月三一日までは一ヶ月六、五〇九円の、昭和三三年一月一日以降同年一二月三一日までは一ヶ月七、六五九円の、昭和三四年一月一日以降同年一二三一日までは一ヶ月八、一〇七円の、昭和三五一月一日以降同年一二月三一日までは一ヶ月一〇、三四七円の、昭和三六年一月一日以降同年一二月三一日までは一ヶ月一五、九四七円の、昭和三七年一月一日以降同年一二月三一日までは一ヶ月二二、四八三円の、昭和三八年一月一日以降右明渡ずみまでは一ヶ月二二、九三一円の各割合による賃料相当の損害金を支払う義務があること明らかであるから、原告の本件請求は右の限度では正当として認容すべきであり、その余は失当として棄却すべきである。
よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して(建物収去敷地明渡を求める部分についてはこれを付さないのを相当とする)、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西川美数 裁判官 園田治 山之内一夫)