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東京地方裁判所 昭和30年(行)20号 判決 1958年10月23日

原告 山来晋

被告 国

主文

原告の請求を全部棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「(一)被告は茨城県霞浦及び北浦で干拓及び埋立事業をしてはならない。(二)被告は茨城県知事に代行させて工事中の霞浦本新島地区、余郷入地区及び農林省をして工事中の浮島西の州地区における各干拓事業、建設大臣及び茨城県知事に共同で施行させている本新島地区干拓地の南東、境島地先の水面埋立工事並びに建設省に施行させている北利根川拡幅工事は中止しなければならない。(三)被告は本新島地区干拓地の東側浮島八筋川間の干拓堤塘及び本新島干拓の南東境島地先の水面埋立地は徹去しなければならない。(四)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告は肩書住所に木造トタン葺平家建棟坪約五坪の家屋を所有し、居住している者であるが、右の場所は霞浦の湖水が北利根川に流出する吐け口の沿岸である。

二、被告は茨城県霞浦及び北浦干拓計画を樹立し、本新島(干拓面積五五三町歩)、江戸崎(同二二五町歩)余郷入(同二一〇町歩)田伏(以上霞浦)及び水原(北浦)の各地区において干拓工事をすることを計画し、既に茨城県知事に代行させて本新島、江戸崎及び余郷入の各地区においてはその工事に着手しており、本新島地区においては干拓のため、浮島八筋川間に全長五、二一三米の堤塘を構築している。又被告は国営新利根川土地改良区の事業をおこして、農林省をして浮島西の州地区において干拓面積一七六町歩の干拓工事を進めており、更に建設省と茨城県との共同事業として本新島地区の南東、境島地先に二〇町歩にわたつて埋立工事を実施し、建設省をして北利根川の拡幅計画をたてさせ新らしい堤防を構築している。

三、ところで霞浦及び北浦の湖水は北利根川、横利根川、及び常陸川を経て利根川と合流し、大平洋に注いでいるが、両湖の水位は低く海水の水位との差は一ないし二米に過ぎない。従つて右河川の水流は極めて緩慢であつて、海の潮流の影響を蒙り、利根川の河口の干潮の水位差が一、七米もあるため、海水は利根川へ約三十粁にわたつて遡流し、満潮時においては利根川は河口から約八十粁上流まで停水する状況である。その上に湖水の吐け口が狭隘なため両湖水は常に停水状態にあり、一旦増水すれば中々減少しないで、他の湖沼に比べると平常の水位に復するまで二倍以上の時間を要し、この両湖の沿岸住民は溢水による被害を度々受けてきたのである。両湖における地勢が右のようであるのに、被告が前記のように大規模な干拓工事及び埋立工事をすることにより湖の面積はそれだけ縮少することになり、両湖の水位は益々高くなり、沿岸への溢水の危険は著しく高まつているのである。即ち本新島地区の干拓のみでも霞浦の水位は約二、五糎高くなる結果となるが、その他の地区においても工事の進行によりそれだけ湖の面積が減少するのであるから、それに比例して水位が高くなることは自然の理であつて、溢水の危険が非常に高まる結果となる。

四、又この地方には秋、冬及び春北西の強風が吹き、これによつて湖水は移動するが、従来は沿岸の低湿地帯に遊水したため、沿岸の人家には強風による水害を受けることはなかつたが、被告は前記のとおり本新島地区において大きな堤塘を構築したため、湖水の移動を妨げる結果となり、そのため行き場を塞がれた湖水は北利根川への吐け口に集まることになり、右吐け口沿岸に溢水する危険が著しく高まつた。昭和二十三年九月十五日のアイオン台風の際にはその強風と強雨のため霞浦の水位は三米も高まり、吐け口沿岸で溢水し、原告の住居は冠水し、原告はその生命の危険にさらされたのであるが、当時は前記堤塘の東側の部分しか完成していなかつたので、その影響はそれほど大きくなかつた筈であるのに、右のような事態が発生したのであつて、その完成後は湖水の移動を妨げることは一層大であり、吐け口沿岸への溢水の危険が一層強くなつた。

五、霞浦の湖水の吐け口である北利根川の河幅を拡張しても、その下流である常陸川、利根川が従来のままでは、湖水の溢水を防ぐことにはなんら役立たないのであるが、右拡張工事の計画によれば、新たな堤防が構築されることになつており、その堤塘によつて原告の所有家屋は、河水に弧立することになつている。

六、又北浦は霞浦に近接し両湖の水は河川によつて連絡しているから北浦での工事もまた直に霞浦の水位を高める結果となる。

七、このように一旦霞浦が増水すると、溢水する危険性が非常に強くなり、それによつて原告の生命、財産が侵害される虞れがあるので、右の危険を予防するため請求の趣旨記載の判決を求めるため、本訴に及んだと述べ、被告主張事実に対する答弁として、被告主張の干拓並びに捨土工事の手続と題する事項(別紙昭和三十二年三月八日付準備書面記載)のうち、(一)本新島干拓工事中、昭和二十一年十一月十五日株木政一外七名が三二四町歩についてした公有水面埋立免許の出願について知事が地元村議会の諮問等公有水面埋立法所定の手続を経たこと(右水面のうち一八〇町歩は本新島村に属するが本新島村議会に対する諮問は経ておらない。)及び同(五)本新島公有水面捨土工事に関する部分は争うが、その他の事実は認める。右以外の事実及び見解はすべて争う。右知事の公有水面埋立に関する免許及び承認はいずれも埋立によつて生する利益より、それによつて生ずる損害が大であるから無効な処分であると述べた。(立証省略)

被告指定代理人は請求棄却の判決を求め、請求原因事実に対する答弁として、請求原因一記載の事実及び同二の事実中後記の点を除いてその他の事実は認める。水原地区に干拓計画をたてていること、浮島西の州地区において干拓工事中であることは争う。(水原地区は干拓計画をたてたことはあるが昭和二十一年中に廃止し、浮島西の州地区においては現在農業水利排水改良事業として築堤中のもので干拓工事には着手しておらない。また田伏地区については昭和二十一年干拓工事に着手したが地盤が軟弱のため築堤困難で昭和二十四年以来工事は中絶し継続するかどうかを決定しておらない。)同三の事実中霞浦、北浦の湖水が北利根川、横利根川、常陸川を経て利根川に注ぎ大平洋に流水すること、両湖の水位と海水の水位の差が僅小であること(水位差が一米ないし二米との原告の主張は認まりであつて、両湖の吐け口にある牛堀と利根川の河口にある銚子との水位差は、平水時において〇、〇八七米、年間平均(昭和十一年から同二十年迄の満干潮、平水時洪水時を問わない平均)では〇、一七六米である)、利根川の河口における干満の差が一、七米であること、満潮時においては海水が利根川の上流三〇粁まで遡流し、六〇粁(八〇粁ではない)上流まで停水状態となること、及び湖水の吐け口が狭隘なため両湖水とも停水状態にあつて、一旦増水すればなかなか減水せず、そのため沿岸住民は溢水による被害を受けてきたことは認めるがその他の事実は争う。

同四の事実中、昭和二十三年九月十五日アイオン台風において原告居住地附近が冠水し、被害を受けたことは認めるが、その他の事実及び同五、六記載の事実はすべて争うと述べ、被告の主張として、別紙昭和三十一年二月二十八日付答弁書の被告主張の項及び昭和三十二年三月八日付準備書記載のとおり陳述した。

(立証省略)

理由

一、本新島地区、余郷入地区及び浮島西の州地区の各干拓工事の中止及び本新島地区の干拓堤塘の撤去を求める訴について。

(1)  被告が本新島地区、余郷入地区及び浮島西の州地区に原告主張の干拓計画をたて、前二者については茨城県知事に代行させて干拓工事に着手していること及び本新島地区において原告主張の干拓堤塘を構築していることはいずれも当事者間に争いがない。

(2)  また右三地区の干拓はいずれも公有水面埋立法(以下単に法という)に基く茨城県知事の公有水面埋立の免許(本新島地区)及び承認(余郷人及び西の州の各地区)に基いておこなはれ或いは計画されていることは当事者間に争いがない(その有効、無効の問題は後に触れる)。

そこで法に基く埋立(干拓)の免許或いは承認による埋立権者のする工事に対し、その沿岸の住民が家屋の所有権等に基いて妨害予防の請求としてその工事の中止を請求することができるかどうかの点についてまず考えてみる。

法に基いて発せられる地方長官の埋立の免許及び承認は、これを受ける者に対し、特定の公有水面を埋立てて土地を造成し、その竣工を条件に埋立地所有権を取得させる排他的権利を設定するいわゆる特許に属する行政処分であることは被告所論のとおりである。そして公有水面の埋立は一面において土地を造成するのであるから公共の福祉に寄与するものであるが、一面においては当該水面に権利を有する者(法第五条)や施設を有する者(法第十条)だけではなく、地元住民に対する利害の関係も大きいから、免許に当つては知事は地元市町村議会に対し意見を徴すべき旨を定め(法第三条)る外、法に基いて発せられた違法な処分によつてその権利を侵害された者には出訴できる(法第四十六条)こととし救済の道を開いた外は、免許については法第五条所定の当該水面の占用の許可を受けた者等の権利を有する者に対しても、埋立によつて生ずる利益の程度が損害の程度を著しく超過するとき及びその埋立が法令により土地を収用又は使用することができる事業のため必要であるとき以外の場合には当該権利を有する者の同意を必要とする(右の例示のときはその同意も要しない法第四条)としているがそれ以外についていわゆる利害関係人に対し特別の考慮をはらつていないし、埋立(干拓)工事についても、埋立権者は第五条の権利者に対し補償又は損害防止施設施行前の工事の着手を禁止している(同法第八条)にとどまるので、いわゆる利害関係人はその意思の如何にかかわらず、免許を受けた埋立の工事を受忍しなければならないものと解するのが相当である。このことは法が公有水面の埋立によつて土地を造成するという大きな利益の追究のためには、或る程度の私権が侵害されることはやむをえないことであるとの建前をとつていることによるものというべきである。このように考えてみると、有効な免許を受けた公有水面の埋立によつてその権利の侵害される虞れのあるものは、当該免許処分の適否を争つて行政訴訟を提起してその取消を求めるか(本件については既に出訴期間を経過して不可能であるが)、或いはその権利の保全のため適当な施設の設置を求めるのならともかく埋立(干拓)工事そのものの中止或いはその工事によつて構築された堤塘等の施設の撤去を求めることは許されないと解すべきである。

(3)  原告は前記知事の免許及び承認はいずれも埋立によつて生ずる利益より、それによつて蒙る損害が大きいから無効であると主張するけれども、このような瑕疵が埋立の免許(承認)という行政処分の取消事由とはなつてもこれを無効ならしめるに足りる重大かつ明白な瑕疵であるかどうか甚だ疑問であるだけでなく、右の原告主張の事実を認めるに足りる証拠もないから、この点の原告の主張は到底採用できない。(なお原告は昭和二十年十一月十五日付で株木政一外七名がした本新島地区の三二四町歩の干拓の免許の申請につき、本新島村議会に対する諮問がなかつたと主張するけれども、成立に争のない乙第四号証の一ないし六によると右事項について本新島村議会の諮問を経ていることが認められる。)

(4)  そうすると、原告の霞浦本新島地区、余郷入地区及び浮島西の州地区の各干拓工事の中止を求める部分及び本新島地区の堤塘の撤去を求める部分はその他の点について判断するまでもなく理由がない。

二、本新島地区南東部境島地先の埋立工事の中止及び右埋立地の撤去を求める訴について。

(1)  被告が茨城県と共同して本新島地区南東境島地先を約二〇町歩にわたつて埋立てていることは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第九号証の一、二及び証人岸栄、同伊藤道夫(第一回)の各証言によると右の埋立は建設省と茨城県とで協議したうえ北利根川を浚渫した土を捨てたことが認められる。

(2)  そこで右埋立が原告の主張するように、霞浦の水位を高め、右埋立によつて洪水時にその溢水の危険を強めるかどうかについて考えてみると、原告挙示の全証拠をもつてしても右事実を認めるに足りる証拠はないのみか、証人伊藤道夫の証言(第一、二回)と当裁判所の検証の結果をあわせ考えると、霞浦だけで湖水面積は一八、〇〇〇町歩あるが、このうち右捨土によつて埋立てた面積は二〇町歩で、全体からみれば極めて小さい部分であつて、北利根川への放水を考えずに計算しても一粍位しか水位が高くならないが、一方被告は霞浦の放水路改修工事として霞浦の湖水が大平洋に流出する経路である北利根川、常陸川の川幅を拡げ、浚渫し更に利根川からの逆流を防止するため逆水門を設ける等、洪水の疏通を図る計算をたて既に工事に着手して現在相当程度進行しており右計画によると従来の最高洪水時である昭和十三年の洪水の時の水量があつたときにおいても、霞浦の水位を最高YP二米八五糎に止め、かつYP二米以上の水位継続期間を七日以内に止めることになつており、従来よりも溢水による危険を少なくしていることが認められるから、この埋立によつて霞浦の水位を高くするとの前提のもとに右埋立工事の中止と埋立地の撤去を求める訴も理由がない。

三、霞浦及び北浦における干拓及埋立事業の禁止を求める訴について。

公有水面埋立法に基く知事の免許或いは承認を受けた干拓権者のする干拓については、原告がその工事の中止或いは開始を妨げることができないことは、一で説示したとおりである。また公有水面の干拓は知事の免許或いは承認があつてはじめてその権利を生ずるものであることも前記のとおりである。従つて干拓計画があつても、右知事の承認を受けていない計画は、実施することができるかどうか全く未知数であるから、このような計画があつたとしても(計画のないものはなおさら)原告の所有権を侵害する虞れがあるという程度に達していない。(なお付言すると原告の全立証をもつてしても干拓によつて洪水の際溢水の危険が増すことは認められないし、却つて証人大森実(第二回)及び前記伊藤道夫(第一、二回)の各証言によると前記認定の霞浦放水路改修工事は干拓計画を充分に見込んでたてられたものであつて、この工事によつて干拓による湖水の水位が高くなるのを充分防止できるものであることが認められるのみならず、その沼岸に住家を有するにすぎない原告が霞浦及び北浦全域にわたる干拓事業を禁止するような請求権はとうていありえないと考える。)

このように霞浦北浦での干拓の禁止を請求する訴は到底理由がない。

四、北利根川拡幅工事の中止を求める訴について。

被告が北利根川拡幅工事をしており、その計画によると拡幅した沼岸に新提塘を構築することになつているが、右堤塘によつて原告の所有家屋が河中に弧立することになつていることは当事者間に争いがない。そして当裁判所の検証の結果によると、新堤塘は原告所有家屋の間近まで構築されていることが認められるが、証人岸栄、同伊藤道夫(第一回)の証言と右検証の結果によると、右堤塘は前記霞浦放水路工事の一つとして築造されているものであるが、その構築ずみの敷地は被告が所有者から任意買受けて構築してきたのであるが、原告がその家屋敷地の買収の交渉に応じないため、原告の家屋の敷地の手前で中止となつているものであつて、土地収用法に基く収用手続をとる準備中であること、任意の買収ができるか右収用による以外実力を行使して右家屋上に堤塘を構築することはないこと原告所有の家屋と川との間には旧堤塘が存在することが認められるから、右堤塘の築造によつて原告の家屋の所有権が侵害される虞れはないのみならず、原告が自己の見解を固守し、自己所有の家屋の移転を拒否して、その所有権の保全のために、前記二で認定した霞浦放水路改修工事の一環として同湖の溢水を防止するため設けられた施設の一つである延長一粁以上(検証の結果による)に及ぶ新堤塘の築造工事の完成を妨げることは、私権は公共の福祉に遵う旨を定めた民法第一条に反するものであつて、到底認容することはできない。従つて北利根川の拡幅工事の中止を求める原告の請求も失当である。

五、結論

以上のとおり原告の請求はいずれも理由がないから、すべて棄却すべきであり、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 地京武人 井関浩)

(別紙)

昭和三一年二月二八日付答弁書

請求の趣旨に対する答弁

請求原因事実の認否

被告の主張

本件干拓工事は原告の生命並びに家屋所有権に対し何等侵害の危険を生ぜしめていないから、原告の請求は失当である。

すなわち本件干拓工事は地元住民の熱烈な要望に応え、終戦後の緊迫した食糧事情を打開し、併せて霞ケ浦周辺の土地改良事業を合理的に推進するために、被告国が巨億の費用を投じ近代科学の粋を集めて現在その工事の完成を急いでいるものであつて、以下述べるように沿岸住民に何等危害を及ぼすものでないのみか、これが工事完成の暁は広大な農地造成面積と附属の水利、水害予防の諸施設によつてわが国の食糧事情にはもとより、沿岸住民にも亦図り知れない利益をもたらすものである。

一、原告は霞ケ浦を埋立て干拓した公有水面を減少すれば直ちに霞ケ浦の水位を高める結果水害の危険性は埋立、干拓に比例して増大すると主張しているが、この論は当を得たものではない。

(イ) すなわち通常の湖沼の場合と異り、本件霞ケ浦は北利根川、横利根川、常陸川を以て利根川下流に相通じているので、原理的にはこれら河川の連絡によつて霞浦の水位は絶えず利根川の水位に一致しようと作用しており、この関係は本件干拓、埋立地の存在によつては些も影響されないところである。そして両者の水位差の増減はその連絡河川の流水速度に影響し、水位差が増大するにつれて連絡河川の流量も増大して速かにこの水位差を矯正しようと作用するから、平水時においては干拓埋立のため霞ケ浦の水位が増加するということはあり得ないのである。

(ロ) ところが、右連絡河川はその川幅も比較的狭く且水深も充分でないので急激に一方の水位が上昇する場合には連絡河川は円滑な調節作用を営むことができなくなり、時間的には両者の水位に可成りの差違が存することは避けられない。それ故この連絡河川の欠陥を矯正しない限り、洪水時においては霞ケ浦の干拓埋立が多少なりとも湖面の水位に影響を与えるものであることは被告もこれを認めざるを得ないところである。

(ハ) そこで一歩進んで、洪水時における霞ケ浦水位増加の原因を探究するため、先づ過去の統計に照し霞ケ浦そのものの性格を検討する必要がある。すなわち、霞ケ浦は前述したとおり海面との水位は僅少で周辺の平地もせいぜい海抜数米にしか過ぎない低湿帯であるところから、過去において屡々甚大な水害の発生をみた。これら水害の最たるものは昭和十三年七月五日のそれで、この時の牛堀附近の最大水位は、Y、P、三米二十五糎(平水時はY、P、一米八糎)、被害総面積は四千五百町歩に及んだ。ところで、これら水害について過去の事例を逐一検討すると、いづれも利根川が増水しこれが霞浦に逆流することが霞ケ浦の水位を高める最大原因となつているのであつて、通常の湖沼に見られるように湖沼周辺の隆雨量のみによつて湖沼の水位が増大するのとは著しくその趣を異にするのである。

換言すれば、洪水時における霞ケ浦の水位上昇は連絡河川による利根川よりの逆流と湖畔周辺の降雨による湖水の増加という概ね二つの要素の複合によつて生ずるもので、特に前者の要素が主要原因ということができるのである。

(ニ) 洪水時霞ケ浦の水位上昇の原因が右のようであるならば、本件干拓埋立はこれに如何程の影響を与えるものであろうか。この関係を明らかにするため右に述べた二つの原因を切り離し各別に検討してみると次のようになる。

(a) 霞ケ浦周辺の降雨量と霞ケ浦の水位

今仮に霞ケ浦と利根川を結ぶ連絡河川に水門を設けて利根川よりの逆流を遮断し、周辺の降雨量だけで霞ケ浦の水位が上昇するものとすれば、本件干拓埋立の総面積は、一、一八四町歩で霞ケ浦(北浦を含む)総面積二三、〇〇〇町歩の略ゝ五%に当るから、便宜湖面の水深を一様と考えれば、本件干拓埋立によつて霞ケ浦の抱擁水量は五%だけ減少したことになりこれだけは確かに直接水位の上昇に影響してくる。そこでもし干拓埋立をしなかつたならば湖面の水位が五十糎上昇したであろう雨量の場合には、本件干拓埋立の結果水位は50m×100/95≒52.6cmということになり、約二、五糎だけ水位が上昇することになる。

(過去において霞ケ浦における一日の最大雨量は二十三糎であるから霞ケ浦周辺の平地に降つた雨が霞ケ浦に流入する量を考慮に入れても短時間に湖水の水位が五十糎上昇するような豪雨は想像できない。)

(b) 利根川の高水位による逆流と霞ケ浦の水位

次に、霞ケ浦周辺に降雨が全然なくただ逆流だけで霞ケ浦の水位が上昇する場合は連絡河川の抵抗によつて多少の時間的なズレがあるにしても、霞ケ浦の水位は単に利根川の水位に等しくなろうとするだけのことであつて、結果的には干拓埋立は湖面の水位に影響を与えない。ただ干拓、埋立の割合が大きくなればなるだけ連絡河川の抵抗による時間的ズレが小さくなると考えられるから、本件干拓埋立の結果霞ケ浦の水位上昇の速度は幾分大きくなる。(すなわち埋立干拓がないならば利根川水位に等しくなるために二時間を要するとした場合、本件埋立干拓の結果は約一時間五十四分で同じ状態になることになる。)

(ホ) このように、右(イ)と(ロ)の複合的な性格をもつ本件霞ケ浦の水位上昇の問題は、実際にはこの他にも種々の要素が介入してくるためにこれを適確に数字で表現することは困難であるが、何れにしても予想し得る台風、洪水において本件干拓埋立工事が霞ケ浦の水位に与える影響は極めて微細なものであつて、これを敢て数字で示すならばせいぜい一糎以下と考えられるからその弊害はまづ無視してさしつかえないものと言い得られよう。原告は本件干拓埋立によつて五糎の水位上昇をみたと主張するがこれが如何なる科学的根拠に基くかは不明で、到底承認することのできない独断といわざるを得ない。

二、尚附言すると、被告国は現在利根川治水工事の一貫として北利根川、常陸川の浚渫並びに拡幅工事を実施中であり、且常陸川下流に調節樋門設置の計画を有し、その他湖畔の低地帯に防波堤を設ける等着々として霞ケ浦治水工事を計画、実施中で、干拓以前に比し逐年治水状況は向上しているのであつて、これら綜合計画の完成によつて霞ケ浦百年の弊は一掃されることとなつているのである。

(別紙)

昭和三二年三月八日付準備書面

第一、本件干拓並びに捨土工事の手続

(一) 本新島干拓工事

昭和十三年十二月二十四日、訴外斎藤次郎他三名から公有水面埋立法による本新島地区百八十一町歩の埋立免許の出願があつたので、茨城県知事は地元村議会に対する諮問等同法所定の手続により審理のうえ、昭和十七年七月七日これに免許を与え、即時この旨を告示した。その後昭和二十年十月三十日、訴外株木政一より右斎藤他三名と連署を以て公有水面埋立権譲渡願が提出され、同知事は同年十二月二十一日これを許可した。

更に同年十一月十五日、右株木他七名より右百八十一町歩の隣接地三百二十四町歩の公有水面埋立免許の出願があり、これも前同様の手続のうえ翌二十一年五月十七日同知事はこれを免許した。

その後昭和二十六年七月一日に至り、被告(農林省)は自作農創設特別措置法第三十条の規定によつて、右株木他七名から右合計五百五町歩の公有水面埋立権を金三百四十万九千百九十六円の対価を以て買収し、現在右免許による埋立権に基いて工事施行中のものである。

(二) 江戸崎入干拓工事

昭和八年十一月一日、訴外植竹庄兵衛より小野川地先公有水面二百二十五町歩一反畝二十九歩の埋立免許出願があり、昭の和十年十月十五日茨城県知事は前同様の手続のうえこれに免許を与えたが、その後昭和二十九年四月九日、被告(農林省)は農地法第五十六条の規定により右埋立権を対価金百九十五万五千八百三円を以て買収し、現在工事施行中のものである。

(三) 余郷入干拓工事

昭和二十七年七月二十三日、被告(東京農地事務局長)は鳩崎村、木原村、安中村地先公有水面二百十町歩の埋立について茨城県知事に承認を求め、同知事は所定の手続のうえ昭和三十年六月八日これを承認し、現在右承認による埋立権に基いて工事施行中のものである。

(四) 西の州地区干拓工事

昭和二十八年九月二十八日、被告(東京農地事務局)が浮島村、古渡村、阿波村地先公有水面百七十六町八畝の埋立について茨城県知事に承認を求め、同知事は前回様昭和三十年二月十五日これを承認し、現に工事中のものである。

(五) 本新島公有水面捨土工事

被告(建設省)の霞ケ浦放水路浚渫工事に伴う霞ケ浦湖底の土砂を捨土するため、昭和三十年四月三十日被告(建設省関東地方建設局長)が河川法第十九条により本新島村、香澄村地先公有水面五十町歩に捨土することの許可を河川管理者である茨城県知事に求めたところ、同年六月二十八日同知事よりこれが許可があり、現在工事施行中のものである。

第二、被告の主張

前記(五)の捨土工事を除くその余の干拓工事はいづれも公有水面埋立法所定の地方長官の公有水面埋立の免許(第二条)乃至承認(第四十二条)による適法な行政作用であるから、原告が家屋所有権等に基く妨害予防請求として右工事の中止を求めることは許されない。

(イ) 公有水面埋立法所定の「地方長官の埋立の免許乃至承認」は、これを受ける者に対し、特定の公有水面を埋立てることにより土地を造成し、その竣工を条件に埋立地所有権をこの者に取得させる権利を設定する国の行政処分である。右処分は単なる不作為義務の解除に止まる「許可」とはその性質を異にし、これを受ける者に対してすべての者に対抗し得る新たな権利(公有水面埋立権)を創設し、その反面この権利に牴触する限りに於て他のすべての権利の効力を停止、制限する形成的な効力を有する。それ故右処分が有効になされ、これが有効に存続するに限り、当該公有水面の利害関係人はすべてこれに拘束されて処分に基く埋立権者の工事施行を受忍するの他なく、右処分の取消を求めることなしに工事の施行を争うことは許されないのである。

元来公有水面の埋立は、国土の狭少な我国に於てはそれによつて生ずる利益の甚大なること勿論であるが、一面その影響の及ぶところは広汎で、水面の変化により生ずる被害損失も又決して少なしとしない。それ故このように利害対立の激しい公有水面の埋立について、工事施行者がすべての利害関係者の同意を得なければ工事に著手できないとするならば、事実上この種工事は実施不可能となる。そこで公有水面埋立法は公共の福祉増進の見地からこれら錯綜した利害を調整するため、前記のように国の公権力を以て一定の要件と手続のもとに多数の権利者の意思に拘らず埋立に関する法律関係を一律に形成させ、このようにして形成された法律関係を実現する埋立工事に対しては何者も私権を以てこれを阻止することを求めることはできないとしたのである。

(ロ) 以上の関係は公有水面埋立法第三条乃至第十一条等の規定に徴して明かである。すなわち、

(a) 特定の公有水面の埋立について利害を有する者には種々の類型が考えられるが、法はこのうち「公有水面ニ関シ権利ヲ有スル者」(その定義については第五条が規定する)と「公有水面ノ利用ニ関シテ施設ヲ為シタル者」(例えば護岸、物揚場、造船所の所有者等)の二者について規定を設け、それ以外の利害関係人については格別の規定をおかない。これによれば、当該埋立によつて生ずる利益が損害の程度を著しく超過するとき、又は埋立が他の法令によつて土地を収用又は使用できる事業のため必要なとき以外の場合にのみ第五条の権利者の同意が免許、承認の要件とされている(第四条)。そして第十条の利害関係人及びその他の利害関係人の同意については法は何等の考慮も払つていない。このようにして免許、承認の処分は利害関係人の意思に拘らず強行され得ることが予定されていると共に、この場合法に規定された利害関係人は同法の定めるところによつて夫々補償乃至損害防止又は代替施設を求めることにより満足すべきこととされているのである(第六条、第十条)。

(b) 更に工事の著手については、埋立権者は第五条の権利者に対しては施設設置又は補償後でなければ、これに損害を与える工事に着工することはできないと定めて権利者の保護を計つているが(第八条)、第十条の利害関係人及びその他の利害関係人に対してはこのような考慮は払つていない。それ故この間の解釈としては、埋立権者の工事の実施がたとえ利害関係人の意思に反しこれに損害を加える性質のものであつても、埋立権者は予じめ第五条の権利者に対してのみ施設又は補償の提供をしておけば、工事の開始、進行に支障なく、利害関係人はこれを受忍しなければならないと考えるべきである。

(c) 尚このように右処分はすべての関係者を拘束する性質のものであるから、利害関係者の意思を考慮するため法は地元市町村議会に対する諮問の規定(第三条)を置き、更に免許の結果をこれらの者に周知させるため免許承認の告示手続(第十一条)を定めている。

以上検討したとおり公有水面埋立法の地方長官の免許、承認に基く工事は通常の非権力的な公共工事(例えば道路工事等)と異り、公有水面に関する利害関係人の利害に対する限りに於ては強制服従的関係に立つ権力的行政作用である。それ故この工事の施行に不服のある者は第五条の権利者が第八条により工事の差止めを求める場合以外は常にその工事の本件である免許、承認処分の違法なことを理由に行政訴訟を以てその処分の取消を求めるべきであり、或いは同法第三十二条の地方長官の適宜の措置の発動を促す等の手段によるべきであつて、私権を以て右作用の阻止を求めるべきではない。本件干拓工事は既に述べたとおり有効な免許乃至承認に基くものであり、又原告は第五条の権利者にも該らないから、本件請求のうち公有水面埋立法による工事については、すべてその請求自体から不適法なことは明らかというべきである。

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