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東京地方裁判所 昭和30年(連わ)101号 判決 1962年2月06日

本籍 福岡県福岡市御所ヶ谷八十六番地

住居 東京都三鷹市牟礼四百六十五番地

株式会社十電舎(無期限休業中)取締役社長 伊藤立夫

明治三十五年一月二十二日生

本籍 福岡県直方市大字下新入二千六百二十番地

住居 東京都世田谷区宇奈根町六十七番地

土木建築企画相談業 岡松政明

明治三十三年八月二十四日生

本籍 神奈川県横浜市鶴見区生麦町二百七十九番地

住居 同県藤沢市鵠沼七千四百十四番地

アメリカン・エクスプレス銀行行員(休職中) 大島成一

明治三十四年一月十八日生

国籍 アメリカ合衆国

住居 東京都世田谷区東玉川町百二番地

アメリカン・エクスプレス銀行員(休職中) ホワード・エフ・ラーソン Howard,F.Larson

千九百十七年一月七日生

被告人伊藤立夫同岡松政明同大島成一に対する詐欺、被告人伊藤立夫同岡松政明同ホワード・エフ・ラーソンに対する経済関係罰則の整備に関する法律違反各被告事件について、次のとおり判決する。

主文

一、被告人伊藤立夫を懲役弐年六月に、被告人岡松政明を懲役弐年に、被告人大島成一を懲役壱年六月に、被告人ホワード・エフ・ラーソンを懲役壱年に処する。

一、但し、本裁判確定の日から、被告人大島成一に対しては参年間、被告人ホワード・エフ・ラーソンに対しては弐年間、右刑の執行を猶予する。

一、被告人ホワード・エフ・ラーソンから金九拾万円を追徴する。

一、訴訟費用中、証人経谷貞造、同佐々木務、同山田寬一、同関昇、同二宮四郎、同猪飼博厚、同猪飼隆昭、同櫟木友三郎、同櫟木善三郎、同神鞭常泰、同山田武夫、同小川美武彦、同柿沼幸一郎、同倉橋武雄、鑑定人大西芳雄に支給した分はその全額、証人鵜養信次、同石松正生(第六十回公判の分を除く)に支給した分はその二分の一を被告人伊藤立夫、同岡松政明、同大島成一の連帯負担、証人川九良子に支給した分はその全額、通訳人(第二十二回公判の分を除く)に支給したその二分の一を被告人ホワード・エフ・ラーソンの負担、証人鵜養信次、同石松正生(第六十回公判の分を除く)に支給した分はその二分の一を被告人伊藤立夫、同岡松政明、同ホワード・エフ・ラーソンの連帯負担とする。

理由

第一章  事実

第一、被告人等の経歴とその相互の関係

一、被告人等の経歴

被告人伊藤立夫は、大正六年関西商工学校電気科を卒業後、九州水力電気株式会社に入社し、その後二、三の会社員を経て、昭和五年九月五日十電舎を創立し、更に 十九年四月十九日これを発展的に解散して株式会社十電舎(以下単に十電舎と略称する)を設立し、爾来同社の取締役社長としてその営業一切を統括主宰して来たもの、被告人岡松政明は東京外国語貿易学校高等科を卒業し、大正十三年商工省に入り、同十五年から昭和八年頃まで同省の海外留学生として米国に渡り、その間ペンシルバニア大学商学部の課程を終え、帰国後は二、三の会社の会社員、会社役員を経て、昭和二十六年秋頃から同二十八年秋頃まで墨田建設工業株式会社(以下単に墨田建設と略称する)の支配人となり、同社を退いてからは、南星鉱産株式会社、日本綜合物産株式会社の設立に参劃してその役員であつたもの、被告人大島成一は、横浜商業学校を卒業後、大正十年から昭和二十年まで横浜正金銀行、同二十一年から香港上海銀行、同二十三年から五年間静岡銀行に、それぞれ勤務し、同二十八年十二月からはヂ・アメリカン・エクスプレス・カンパニー・インコーポレイテツド東京営業所の開設準備に参劃し、同営業所開設後は、同営業所支配人被告人ラーソンのもとで、外国為替及び手形部主任(チーフ・オブ・フオーリン・エクスチエンヂ・アンド・ビルズ・デパートメント)の地位にあつたもの、被告人ホワード・エフ・ラーソン(以下単にラーソンと略称する)はミネソタ大学を卒業して軍務に服した後、昭和二十二年(一九四七年)銀行業、旅行案内業、貨物運送取扱業を営み、本店を米国ニユーヨーク市に置く、ヂ・アメリカン・エクスプレス・カンパニー・インコーポレイテツドに入社し、アウグスブルグ・トリエステ各営業所支配人を経て、同二十五年(一九五〇年)三月沖縄営業所支配人となり、同二十七年(一九五二年)十二月からは東京駐在特別代表社員として右会社東京営業所の開設準備に従事し、同二十八年(一九五三年)十月大蔵大臣から本邦における銀行営業の許可を受けて、翌二十九年(一九五四年)三月一日銀行業務を目的とするヂ・アメリカン・エキスプレス・カンパニー・インコーポレイテツド東京営業所(以下単にアメリカン・エキスプレス銀行又は同行営業所と略称する)の開設以来同営業所支配人の地位にあつて、資金の貸付、預金の受入等同営業所の業務一切を統括主宰してきたものである。

二、被告人等の相互関係

被告人伊藤立夫と被告人岡松政明とは、被告人岡松政明が墨田建設に在職中、十電舎が墨田建設の下請工事をしていた関係で知り合い、しかも両名が同郷人であつたことも手伝つていよいよ昵懇な間柄となり、昭和二十八年には被告人伊藤立夫が代表取締役、被告人岡松政明が専務取締役となつてタイ国の錫鉱山の開発を目的とする南星鉱産株式会社を設立し、その事務所を十電舎の四階の一部に置いたのであるが、右南星鉱産株式会社の事業が軌道にのらなかつたためもあつて、被告人岡松政明は次第に十電舎の渉外事務、資金調達等に協力するようになり、昭和二十九年五月頃からは、対外的にも十電舎顧問の肩書を以て被告人伊藤立夫の業務執行に関与していた。被告人大島成一は、アメリカン・エキスプレス銀行東京営業所の開設準備中から十電舎の存在を知り、被告人伊藤立夫とは遅くとも同年四月頃に、被告人岡松政明とは遅くとも同年五月頃に相知る間柄になり、その後十電舎のアメリカン・エキスプレス銀行に対する融資の申込に対し、被告人ラーソンの命をうけてその適否の調査を担当し十電舎側との交渉の衝に当つていた。被告人ラーソンは、被告人岡松政明が墨田建設の支配人として沖縄における工業を担当していた際、アメリカン・エキスプレス銀行沖縄営業所の支配人をしていた関係で同地に滞在していた同被告人と知り合い、同行東京営業所開設に当つては、同被告人がその店舗の斡旋をした経緯もあつて親交を重ねて来た。又被告人伊藤立夫とは遅くとも昭和二十九年六月頃迄に知り合い、爾後アメリカン・エキスプレス銀行は十電舎に当座預金口座を開設し、同会社から融資の申込を受ける等同会社と取引関係にあつた。

第二、詐欺事件

一、本件犯行に到る経緯

(一) 十電舎の沖縄進出と米軍関係工事の請負

十電舎は、資本金四百万円、本店を東京都千代田区神田錦町一丁目六番地教団ビル内に有し、各種電気設備の設計建設、建築工事の設計施工等を目的とする株式会社であるが、昭和二十五年頃から沖縄に進出を始め、当初は日立製作所、隅田建設等の下請として同地の工事を施工して来たが、昭和二十八年頃からいわゆるゼネラル・コンストラクター(元請業者)として独立に工事を請負うに到り、同年十二月頃から翌二十九年六月頃までの間にいずれも在沖縄米軍から、米軍沖繩基地給水設備工事を金額約一億三千万円、工期三百日で、軍需倉庫建築工事を金額約一億五百万円、工期二百日で、マトコンビル建設工事を金額約一億二千万円、工期三百日で、水道管敷設工事を金額約一億四千八百万円、工期二百日で請負つた。

(二) 十電舎の資金調達の必要性と経理状態

かくして十電舎は昭和二十九年当初から前記沖繩工事施工のためその資金調達の必要に迫られたのであるが、もともと十電舎は今次大戦前、朝鮮、満州、南方方面に進出していたので、終戦と共にその資産の大半を外地に置いてくることを余儀なくされたため、工事資金の調達が容易でなく、早くも昭和二十四、五年頃からその収支に欠損を生じ、同二十六、七年頃の好況でかなり回復したけれども、同二十八年頃から再び欠損が累積し始め、同年末現在繰越欠損三、四千万円を数え、同二十九年に到るも好転の兆はなかつた。しかし、被告人伊藤立夫はなんとかして沖縄関係工事の資金を調達すべく、同年当初からあらゆる方面に当つて金策に奔走したのであるが、当時金融事情が逼迫していたこともあつて、取引銀行からは融資を拒まれたのみか、前記マトコンビル工事について現金収入として予定していた前渡金(請負代金の三分一)が期待に反し現金の形では支出されず、その運用による打開策も失敗に帰したため、沖縄関係工事の資金調達は暗礁にのりあげてしまつた。而して沖縄関係工事の第一次着手は、工事の提携先たる極東貿易株式会社の手形保証、十電舎の同株式会社への工事払下金の受領委任によつて日本輸出入銀行から六千万円の融資をえて行いえたものの、同株式会社からもこれ以上の資金援助を拒まれ、この結果十電舎の独力で施工しようと企図していたマトコンビル工事の資金、工事継続のための現地送金、購入資材等の手形決済、本社経費等に要する資金の手当は全くつかず、遂に同年七、八月頃には従業員の給料も遅配のやむなきに到り、日々の手形決済も知人、得意先を辿つて小口の借入をすることにより漸く急場を糊塗する状態で、十電舎はまさに破綻の危機に瀕した。

(三) いわゆる導入預金による金融の原則的形態

いわゆる導入預金による金融は、昭和二十八年頃保全経済会の瓦解以降とみに巷間に現われはじめた金融の一形態であつて、金融機関の行う「貸出に充当する資金の受入」と「当該資金による貸付」との間に条件的結び付がある点に特質が認められる。即ち、この金融は、おうむね、正規の金融機関に借入の申込があつて貸付の要件は具備しているが、金融機関の側に資金の枠がない等の場合に行われるのであつて、この場合、金融機関は当該申込者に貸付けることを条件として第三者から預金(多くは定期預金)を受け入れ、貸出は右条件の履行として行なわれるのである。このような形で行われる預金を、世上では「導入預金」と呼んでいる。而して預金者はこの場合正規の預金利子のほか借入先から謝礼を受取ることを目的としているのであつて、この謝礼は通常「裏利」と呼ばれている。次に導入預金が当該資金による貸付の担保になるか否かについては、昭和三十二年五月二十七日法律第一三六号預金等に係る不当契約の取締に関する法律で規制されているが、その制定以前の取引においては、原則として、両者の間には関係――担保としては――がなく導入預金は当該貸付の担保にはなつていない。

(四) アメリカン・エキスプレス銀行に対する資金借入の交渉

十電舎においては、昭和二十九年四月頃から、被告人岡松政明を通じ或は被告人伊藤立夫自らアメリカン・エキスプレス銀行に対し工事資金借入の交渉をしていた。即ち、同銀行が開設準備中からドル借入の申込をしたのを初め、昭和二十九年五、六月頃には第三者所有の船舶を担保に融資の申込をなし、同年七、八月頃には、工事の提携先であつた第一物産株式会社を通じ、日本側銀行の保証をえてドルを借入れる申込をしたが、前者については右船舶が担保として適当でないとの理由により、後者についてはかかる方法による外貨の貸付を大蔵省当局が許可しなかつたため実現の運びに到らなかつた。ところで、被告人岡松政明は昭和二十九年六、七月頃山田武夫に会い、導入預金による金融が広く行われていることを知り、被告人伊藤立夫にもこれを告げた結果、同被告人等はこの方法によつて沖縄工事に必要な融資を受けようと考え、山田武夫に預金者の斡旋を依頼する一方、アメカン・エキスプレス銀行に対し同方法による資金借入の可否を申入れたところ、同年八月頃同銀行のニユーヨーク本店から導入された定期預金を十電舎に対する貸付期間内その貸付金の保証として担保に供するならば預金額の範囲内で貸付に応じてもよい旨の回答があつた。

(五) 被告人等の本件犯行の共謀並びに昭和二十九年九月二日の預金導入による借入

(1) 被告人伊藤立夫は十電舎が沖縄で米軍より請負い施工中の前記マトコンビル建設その他三工事の成功を確く信じ、その完成の暁には巨額の利益があり、これによつて十電舎を立ち直しうる旨の強い見通をもつており、又被告人岡松政明は被告人伊藤立夫の説明によりこれ亦その成功を確く信じていたものであつて、しかもアメリカン・エキスプレス銀行に申し入れた前記導入預金による借入は沖縄工事の完遂上不可欠と考えていたので、その実現には十電社の社運を賭けていた。ところで、アメリカン・エキスプレス銀行の要求に従つて預金者に導入預金を貸付金の担保に供させることは極めて困難であつたが被告人伊藤立夫、同岡松政明は前記認定のとおり沖縄工事の成功を確く信じていたことから、たといトリツクを用いて銀行の要求する保証状に預金者をして署名せしめても、借入金は工事代金で支払うことができ、預金者はもち論銀行に対しても迷惑をかけないで済み、右トリツクも明るみに出ることはないと考え、被告人大島成一に右の考えを打明けて協力方を要請した結果、同被告人もこれに同調し、ここに被告人伊藤立夫同岡松政明同大島成一の間では、預金者に対しては預金が十電舎に対する貸付の担保になることを秘し保証状を銀行で普通署名してもらうメモの如く説明してこれに署名を得た上預金させようとの共謀が成立した。

(2) 他方、前記のとおり、被告人伊藤立夫同岡松政明から預金者の斡旋を依頼された山田武夫は、更に知人である相沢博厚に依頼し、同人の仲介により太平興業株式会社(社長森江有三)が預金をすることになつた結果、同年九月二日同株式会社社員経谷貞造が同会社のため金二千万円を定期預金として預け入れるべく東京都千代田区丸ノ内三丁目二十番地郵船ビル内アメリカン・エキスプレス銀行東京営業所を訪れた際、被告人大島成一は、右共謀に基づき、被告人岡松政明立会のもとに、被告人ラーソンから右経谷貞造が署名を求められていたところの「本書面に署名せる保証人は、第三者とアメリカン・エキスプレス銀行との間の取引により現在又は将来において負う全ての債務について自己の債務に対すると同様の義務と効果を以て保証する。銀行の所持管理又は統轄下に帰属する保証人の債権、金銭等を右保証債務の担保とし且つ無条件の先取特権及び相殺権を与える」旨不動文字を以て記載されたギヤランテイ(Guaranty)と題する英文書面(以下単に保証状と略称する)につき、その真実の内容を知悉しているにも拘わらずこれを秘し、却つて「この書類はアメリカの銀行で定期預金をするときに貰う書類で普通の形式的なものである」旨虚偽の説明を行い、右経谷貞造をしてこれに署名しても右定期預金は何等第三者のための担保に供せられることなく満期日には払戻をうけうるものと誤信させ、その場で同人をして右保証状に署名させた上、期間九十日の定期預金として、太平興業株式会社所有の上田短資株式会社振出、金額二千万円の小切手一枚を同銀行に交付させ、その直後、同銀行内に待機していた被告人伊藤立夫は、右の如く経谷貞造がその瑕疵ある意思によつてなした定期預金及び右保証状に基づき、同銀行から十電舎に対し、金二千万円の貸付を受けることに成功した。

二、罪となる事実

十電舎とアメリカン・エキスプレス銀行との間には前記認定のとおり定期預金を導入すればその預金額の範囲内で貸出を受けうる旨の諒解が成立していたので、被告人伊藤立夫、同岡松政明、同大島成一は引続き共謀の上、

(一) 昭和二十九年九月二十一日頃、十電社側の要請により前記経谷貞造が太平興業株式会社のため金二千万円を定期預金として預け入れるべく前記アメリカン・エキスプレス銀行東京営業所を訪れた際、同銀行行員たる被告人大島成一としては、経谷貞造が昭和二十九年九月二日の預金手続で、被告人大島成一の説明により、定期預金は何等第三者の担保となることはなく且つ前記英文の保証状はアメリカの銀行で定期預金をなす際手続上必要な形式的書面に過ぎないと誤信しているのであるから、信義誠実の原則に従い、右定期預金が十電舎の担保に供せられること並びに保証状の内容が前記認定のとおりのものであることを十分知悉せしめなければならない法律上の義務があり、且つ経谷貞造においてかかる事実を知れば到底預金をしないことも認識していたにも拘らず、経谷貞造が依然誤信しているのに乗じ、被告人岡松政明立会のもとに、経谷貞造に対し、同書面を同人が認識している如き書面に過ぎないもののように装つて署名を促し、同人をしてこれに署名するも当該定期預金は第三者の担保に供せられるようなことはなく、満期日には払戻を受けうるものと誤信させ、因て即時同所において右保証状に署名せしめた上、期間九十一日の定期預金預入名下に、太平興業株式会社所有の上田短資株式会社振出、金額二千万円の東京銀行宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(二) 同月三十日頃前同所において、前同様の事情で、アメリカン・エキスプレス銀行を訪れた経谷貞造を前同様の方法で欺罔し、以て同人をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間八十二日の定期預金預入名下に、前記太平興業株式会社所有の上田短資株式会社振出、金額二千万円の東京銀行宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(三) 同年十月十八日頃、前同所において、前同様の事情でアメリカン・エキスプレス銀行を訪れた経谷貞造を前同様の方法で欺罔し、以て同人をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十一日の定期預金預入名下に、前記太平興業株式会社所有の上田短資株式会社振出、金額一千万円の大和銀行東京支店宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(四) 同月二十日頃前同所において、前同様の事情でアメリカン・エキスプレス銀行を訪れた経谷貞造を前同様の方法で欺罔し、以て同人をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十日の定期預金預入名下に前記太平興業株式会社所有の三菱銀行本店振出、金額一千万円の、三井銀行京橋支店振出金額六百万円の、富士銀行本店振出金額四百万円の各自己宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(五) 同月二十七日頃前同所において、前同様の事情でアメリカン・エキスプレス銀行を訪れた経谷貞造を前同様の方法で欺罔し、以て同人をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において、同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十日の定期預金預入名下に、同記太平興業株式会社所有の上田短資株式会社振出、金額三千万円の日本銀行宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(六) 昭和三十年一月二十六日頃前同所において、前同様の事情でアメリカン・エキスプレス銀行を訪れた経谷貞造を前同様の方法で欺罔し、以て同人をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において、同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間三十日の定期預金預入名下に、前記太平興業株式会社所有の上田短資株式会社振出、金額二千万円の大和銀行宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(七) 同年四月十九日頃前同所において、前同様の事情でアメリカン・エキスプレス銀行を訪れた経谷貞造を前同様の方法で欺罔し、(但し被告人岡松政明は立会わず)、以て同人をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において、同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十一日の定期預金預入名下に、前記太平興業株式会社所有の現金一千万円を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(八) 同年二月十六日頃前同所において、被告人伊藤立夫同岡松政明から依頼をうけた小川美武彦、西川由三の斡旋により、共和不動産株式会社のため金二千万円の定期預金をすべく、同銀行を訪れた二宮四郎、関昇に対し、被告人岡松政明において、右二宮四郎が被告人ラーソンから署名を求められていた前記保証状につき、その内容を知悉していたにも拘らず、右二宮四郎が真実の内容を知れば到底預金をしないことを認識していたのでこれを秘し、却つて「この書面は米国の銀行と取引する際には誰でも署名して出す取引の書面で、その内容は定期預金の利率、満期まで払戻しない等の一般的な記載があるものである」旨虚偽の説明を行い、以て右両名をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において、右二宮四郎をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十日の定期預金預入名下に、右共和不動産株式会社所有の第一銀行飯田橋支店振出、金額二千万円の自己宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(九) 同年三月十一日頃前同所において、前記西川由三、渡辺俊夫の斡旋により、金一千万円を定期預金として預け入れるべく、同銀行を訪れた猪飼俊一に対し、被告人岡松政明立会のもとに、被告人大島成一において、右猪飼俊一から定期預金が第三者のために担保に供されることはないかと質問を受けた際、「うちの銀行は紐付とかそういうことはしない。普通の定期預金だから期日が来れば必ず返す」旨虚偽の事実を申し向け、且つ同人が被告人ラーソンから署名を求められていた前記保証状につき、その内容を知悉していたにも拘らず、右猪飼俊一が真実の内容を知れば到底預金しないことを認識していたのでこれを秘し、却つて「定期預金をすると皆さんにこの書類にサインをもらつて本国へ送る」旨虚偽の説明を行い、以て同人をして前同様誤信せしめ、即時同所において同人をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十一日の定期預金預入名下に、同人所有の大和銀行下谷支店振出、金額七百万円、東海銀行上野支店振出、金額三百万円の各自己宛小切手一枚を前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(十) 同月二十三日頃前同所において、右猪飼俊一が導入預金をした事実を聞知し、各金五百万円を定期預金として預け入れるべく、同人と同道して同銀行を訪れた猪飼隆昭及び櫟木友三郎に対し、被告人岡松政明立会のもとに、被告人大島成一において、右猪飼俊一等から右定期預金が第三者のために担保に供されることはないかと前同様質問を受けた際、前同様趣旨の虚偽の事実を申し向け、且つ右猪飼隆昭及び櫟木友三郎が前同様署名を求められていた前記保証状につき、前同様その真実の内容を秘し、却つて「日本でも昔書いていたもので、途中引出せない、質入ができない等の定期預金に関する条文が記載されている書面である」旨虚偽の説明を行い、以て右両名をして前同様誤信せしめ、即時同所において、右両名をして前記保証状に署名せしめた上、期間九十一日の定期預金預入名下に、右猪飼隆昭所有の富士銀行本店振出金額三百万円、同銀行小舟町支店振出金額二百万円の各自己宛小切手一枚を、右櫟木友三郎所有の同銀行浅草橋支店振出金額五百万円の自己宛小切手一枚を、それぞれ前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取し、

(十一) 同年四月十五日頃、猪飼輝男及び山田鍵次郎のため前記猪飼隆昭及び櫟木善三郎が各五百万円を定期預金として預け入れるべく同銀行を訪れた際、被告人大島成一としては、猪飼隆昭が前記(十)の預金手続で、被告人大島成一の説明により、定期預金は十電舎の借入金の担保に供されることはなく且つ前記英文の保証状は単に定期預金の約定が記載された書面に過ぎないと誤信しているのであるから、右猪飼隆昭に対してはもとよりのこと、櫟木善三郎に対しても、信義誠実の原則に従い、(一)と同様の所為に出なければならない法律上の義務があり、且つ右両名においてかかる事実を知れば到底預金をしないことも認識していたにも拘らず、右猪飼隆昭等が依然誤信しているのに乗じ、被告人岡松政明立会のもとに、右両名に対し、右保証状をその認識の如き書面に過ぎないもののように装つて署名を促し、右両名をして前同様誤信せしめ、因て即時同所において、右保証状に猪飼輝男及び山田鍵次郎名義で署名せしめた上、期間九十日の定期預金預入名下に、右猪飼隆昭をして猪飼輝男所有の富士銀行小舟町支店振出金額五百万円の自己宛小切手一枚を、右櫟木善三郎をして山田鍵次郎所有の三井銀行神田支店振出金額五百万円の自己宛小切手一枚を、それぞれ前記アメリカン・エキスプレス銀行に交付せしめて、これを騙取したものである。

第三、経済関係罰則の整備に関する法律違反事件

一、被告人伊藤立夫、同岡松政明は共謀の上、いずれも十電舎がアメリカン・エキスプレス銀行より多額の資金の貸付を受けるにつき、前記第一の一記載の職務を有する被告人ラーソンから職務上種々便宜な取計いを得たことに対する謝礼として被告人ラーソンに対し、いずれも被告人岡松政明を通じて、

(一) 昭和二十九年九月四日頃、神奈川県足柄下郡箱根宮の下三百五十九番地富士屋ホテルにおいて、現金二十万円を、

(二) 同月下旬頃、被告人ラーソン方肩書住居において、現金二十万円を、

(三) 同年十月下旬頃、前記アメリカン・エキスプレス銀行東京営業所において、現金三十万円を、

(四) 昭和三十年二月中旬頃、前記被告人ラーソン方において、現金二十万円を

供与し、以てその都度被告人ラーソンの職務に関して贈賄し、

二、被告人ラーソンは、前記第一の一記載のとおり、米国に本店を有し大蔵大臣の免許を得て本邦において銀行業を営むアメリカン・エキスプレス銀行東京営業所の支配人として資金の貸付、預金の受入等同営業所において行う業務一切を統括主宰する職務に従事していたものであるが、被告人伊藤立夫同岡松政明より前記一記載の如き趣旨のもとに、同(一)乃至(四)記載の日時場所において同記載の各現金を被告人岡松政明を通じて供与されるや、いずれもその情を知りながらこれを収受し、以てその都度自己の職務に関して収賄したものである。

第二章  証拠

第一節  凡例≪省略≫

第二節  証拠の標目≪省略≫

第三節  主要な争点に対する判断

第一、本件各預金者はその定期預金がアメリカン・エキスプレス銀行から十電舎に対する貸付金の担保に供されることを諒解していたか否かについて

本件の預金者若しくはその預金手続に同伴して立会つた証人経谷貞造、同二宮四郎、同関昇、同猪飼俊一、同猪飼隆昭、同櫟木友三郎、同櫟木善三郎は、いずれもその定期預金を十電舎のために担保として提供する意思はなく、若し担保に供されることがわかつていれば預金に応じなかつた旨供述し、被告人並びに弁護人は預金者はその定期預金が担保に供されることを諒解していた旨主張する(弁護人海野普吉の弁論要旨第一項の二十二丁以下、第八の(1)乃至(3)、弁護人小玉治行の弁論要旨第二章、弁護人柏木博の弁論要旨第一の二、三、第二の二乃至四、弁護人平松勇の弁論要旨第二乃至第四、第六、第七、第十、第十一、第十三、第十七項)。

ところで、一件証拠によれば、本件各預金者は昭和二十九年九月二日以降同三十年四月十九日までの間にアメリカン・エキスプレス銀行に対し判示のとおり定期預金取引を行い、これと同時に十電舎と同銀行との間に十電舎を債務者とする金銭の貸付取引が行われたこと及びアメリカン・エキスプレス銀行では右取引の都度各預金者から「保証状」(GUARANUY)と題する書面を受け取りこれを所持していることが認められる。而して右にいわゆる「保証状」は、その性格等にかんがみ、本件各預金者がその定期預金を十電舎においてアメリカン・エキスプレス銀行から借り受け負担した債務の担保に供したか否かの認定に、決定的な影響をもつ証拠である。而して右の「保証状」と題する書面中作成名義人欄に存する各預金者名義の署名が当該預金者または権原ある者の自筆であることは、預金者若しくはその代理人として本件預金手続に関与した証人経谷貞造、同二宮四郎、同関昇、同猪飼俊一、同猪飼隆昭、同櫟木友三郎、同櫟木善三郎も当公判廷でこれを認めている事実である。このような場合右の「保証状」が他に特別の事情のない限り一応真正な文書として推認されることは証拠法の原則であるから、本件においては、右にいわゆる「特別の事情」の存否こそ極めて重要な争点といわねばならない。そこでこの問題について慎重に検討した結果は次のとおりである。

(一) 本件各預金者が右にいわゆる「保証状」の英文を理解しえたか否かの点からみた考察

(1) 各預金者及びその同伴者等の英語の読解能力

弁護人小玉治行、同平松勇、同海野普吉は、「本件各預金者はいずれも旧制商業学校又はそれ以上の学校を卒業した経歴を有し、現在社会的にも相当の地位にある。特に経谷貞造及び二宮四郎は在学当時ギヤランテイーなる単語を学習したことが明らかである。従つて預金者等はいずれも相当高度の英語読解能力を有したと考えられ、ギヤランテイーなる単語は殆ど常識としてもこれを知つていたとみるのが相当である」旨主張する(弁護人小玉治行の弁論要旨第三章、同平松勇の弁論要旨第七項、弁護人海野普吉の弁論要旨第三項)。

(イ) 本件各預金者等の経歴並びにギヤランテイーなる文字の学習の有無

(a) 経谷貞造の場合 証人京藤甚五郎(十一)、同山田寬一(十一)、同佐々木務(十一)、同経谷貞造(五・1乃至6・10・51乃至55、七、132乃至137、八・121・155乃至170・260乃至268、九・178乃至205・236乃至248、十・1乃至31、十一・1乃至10、十四・121・122)の各供述並びに「輸出入貿易実践」と題する教科書(証第六十六号)、会員名簿(証第六十七号)を綜合すると、経谷貞造は昭和十一年敦賀商業学校英語科をほぼ上位から三分の一位の席次で卒業したのであるが、五年生に在学中一週三時間商業英語として貿易実践及び通信文の授業を受け、その課程で「ギヤランテイー」なる単語は屡々学習したこと及び同校卒業後上京して就職したが、そのかたわら昭和十五年に明治大学の夜間部専門部政経科に入学、途中で応召したが、昭和十八年に同科を卒業し、同年七月から太平興業株式会社に入り、爾来経理事務を担当してきたものであつて、その間英語を使う仕事には従事していないことを認めることができる。

(b) 二宮四郎、関昇の場合 証人古川洋三(二十四)、同二宮四郎(十五・45乃至53、十九・10乃至25・118乃至166)、同関昇(十五・61乃至64、十九・86乃至89・97乃至101)の各供述並びに松山商業大学学長作成の成績証明書(記録第五冊第二十四回公判調書に編綴)、「コマーシヤル・コンポジシヨン・アンド・コレスポンデンス」と題する教科書(証第六十八号)を綜合すると、二宮四郎は昭和三年松山高等商業学校を卒業したのであるが、同校在学中商業英語、商業実践、英会話等一週七、八時間の英語の授業を受け、比較的良い成績を修めたこと、右課程で当時使用した教科書中には「ギヤランテイ」なる単語が屡々出てくること、同人は同校卒業後、大阪にある長瀬商会という会社に入つたが、同社を二、三日で退き、爾後は英語を使う仕事には従事していないこと、関昇は昭和三年私立京華商業学校を卒業したが、その後直ちに独立して鉄板の切断業を始めたため英語を使う仕事には従事しなかつたことをそれだれ認めることができる。

(c) その余の預金者の場合 証人猪飼俊一(十八・1乃至10、二十・25乃至58・333・334・487乃至497)、の供述によると、同人は昭和十二年愛知県立商業学校に学び、五年に在学中週一、二時間の商業英語の授業を受けたこと、同校を卒業後は応召して中支に渡つたほかは、洋反物問屋に勤めたり、繊維問屋、パチンコ店等の経営に従事し、英語を使う仕事には携らなかつたこと、証人猪飼隆昭(二十五・3・4・10乃至18)の供述によると、同人は昭和二十年私立中京商業学校を卒業したが、戦争中のこととて英語の学習に重きが置かれず、その後英語を必要とする職業についたことはなく、本件当時は飲食業並びに不動産貸金業に従事していたこと、証人櫟木友三郎(二十六・2乃至8、二十七・152乃至154)の供述によると、同人も昭和二十年私立中京商業学校を卒業したが、同じく戦争中のこととて英語の学習が十分でなく、その後英語に関係のある職業に従事したことはなかつたこと、証人櫟木善三郎(二十六・2乃至5、8乃至16)の供述によると、同人は昭和二十三年名古屋市立明徳工業学校を卒業したが、英語の学習時間は少く、その後英語を必要とする職業についたことはなく、本件当時はパチンコ遊技場及び映画館の経営に従事していたことをそれぞれ認めることができる。

(ロ) 各預金者等のアメリカン・エキスプレス銀行に於ける言動

(a) 証人猪飼俊一(十八・76、二十・261・344)、同猪飼友三郎(二十七・66)、同櫟木善三郎(二十八・40)、被告人大島成一(三十八・97)の各供述並びに昭和三十年三月十一日付(証二十七号の七)、同月二十三日付(二通)(証七十五号の一及び二)、同年四月十五日付(二通)(証七十七号の八及び九)各保証状によると、猪飼俊一、櫟木友三郎及び櫟木善三郎はいずれも英文の保証状に日本文字で署名している事実が認められるが、右は同人等が横文字に親んでいなかつたことを端的に窺わしめる事実である。

(b) 証人猪飼俊一(十八・91、二十・255・320乃至331)、同猪飼隆昭(二十五・62乃至64)、同櫟木善三郎(二十八・170乃至178)の各供述並びに猪飼俊一提出の定期預金証書の訳文の写真(五通)によると、同人等は判示定期預金の際銀行係員に対し英文の定期預金証書に訳文を要求しこれを付して貰つた事実が認められるが、右は同人等の当時の英語の読解能力を示す一つの資料たりうる事実である。

(c) 証人ラーソン(五十・49・119乃至121)、被告人岡松政明(四十五・72)、同大島成一(三十六・222乃至227、三十七・229・230、三十八・11乃至13・21乃至26・97)の各供述によると、同人等は各預金者は英語を理解するように見えた旨述べているけれども、その根拠とするところは、いずれの預金者も英語はわからないと申し出たものはなく、被告人ラーソンが「おはよう」「こんにちわ」「いかがですか」と云つたときに、預金者は同じ英語をくり返し、殊に経谷貞造は「ありがとう、さようなら」と英語で挨拶し、経谷貞造、二宮四郎、猪飼俊一は保証状その他の英文書類を手にとつて黙読し、前二者はローマ字ですらすら署名したからであるというに止まり、この程度のことでは、未だ以て各預金者が英語の読解能力を相当程度有していたのではないかを疑わしめるに足る合理的根拠とするには十分ではない。

(ハ) 以上(イ)、(ロ)で検討した各預金者の経歴及びアメリカン・エキスプレス銀行における言動に、当公判廷における証人尋問の際弁護人から預金者等に対して試みられた英語の読解テストの状況―証人経谷貞造については(九・257乃至261、十・38乃至65、110、111、133乃至140)、同猪飼俊一については(二十・303乃至313、333乃至339)、同櫟木友三郎については(二十七・67乃至79)、同櫟木善三郎については(二十八・123乃至141)の各供述―並びに証人伊藤栄樹―捜査検察官―(四十九・85乃至104、185乃至187)の供述によつて窺われる同人が行つた経谷貞造、二宮四郎に対する英語の読解能力に関する取調の状況を綜合して考えると、これ等にあらわれたところでは、本件各預金者の英語の読解能力は相当低く、少くとも英文を機会、内容を問わずどんなものでも一応解読しうる程の能力を有する者はこれを見出しえないようである。

(ニ) しかし本件で焦点となるのは各預金者が右にいわゆる「保証状」を解読しているか否かである。

(a) この「保証状」には法律用語等も使用してあり、全体としては、相当難解の文章とみるのが相当であつて、このことは預金者等が後日その飜訳を依頼した際の経過―証人関昇(十五・110)、同猪飼俊一(二十・378・379)、同櫟木友三郎(二十六・69)、同小川美武彦(五十五・197乃至200、五十六・6乃至9、五十七・149)の各供述―からもこれを認めることができる。

(b) 外国語の読解能力の有無及びその程度は、当該人物が誠実にその能力を発揮する場合は格別、しからざる場合には外部より容易に識別し難い事柄であつて、その識別は間接証拠によるほか方法のないことは多言を要しないことである。ところで、本件預金者がいずれも商業学校又は工業学校以上の学歴を有し、殊に経谷貞造、二宮四郎については同人等が在学中「ギヤランテイー」なる単語を単に単語としてだけではなく商取引の実践形態として学習していることは前記認定のとおりである。このことは、右にいわゆる間接証拠しかも有力なそれの一つであつて、少くとも経谷貞造、二宮四郎については、同人等が右「保証状」の全文は別として表題の部分はこれを理解していたのではないかと疑いうる資料の一つである。しかし、間接証拠は右の事実だけに止まるものではなく、学校卒業後長期間に亘つて外国語に親しむ機会を持たなかつた場合、その修得した知識を忘れ去ることも経験則上否定できない事実である。従つて、本件がそのいずれに該当するかは、単に当該預金者等の学歴等をみるだけでは足りず、更に、保証状が若し被告人伊藤立夫等が主張するとおり真正のものとせば、このことは取引慣行等によつても裏付けられ、本件取引の端端にもその片鱗はあらわれているべき筋合であるから、これ等の諸事情の有無についても、次に認定するとおり、検討した上、綜合判断するのが相当であると考える。

(二) 導入預金の原則的定型、殊に定期預金が担保になるか否かに関する取引慣行からみた考察

(1) まず本件各定期預金が、担保性の問題はこれをしばらく措いて観察した場合、本件発生当時巷間に行われていたいわゆる導入預金に該当するか否かについて審究するに、証人柿沼幸一郎(五十七)、同館内四郎(四十七)の各供述、財経詳報四十二号に掲載されている柿沼幸一郎の「導入預金について」と題する論説、同四十号に掲載されている高橋勝好の「金融機関を蝕む導入預金と導入屋」と題する論説を綜合すると、導入預金のメルクマールは(イ)正規の金融機関が特定の者に貸付けることを条件に第三者からの預金を受け入れること、(ロ)預金者は正規の預金利子の他に借入先から裏利と称する謝礼を受けること、(ハ)預金者を金融機関に紹介する金融ブローカーが両者の間に介在し手数料をとること、(ニ)預金の種類は通常三箇月の定期預金であること、以上の四点に存すると考えられる。而して一件証拠によつて認められる本件各定期預金の性格は、右四点のメルクマールを殆ど完全に具備しているものと認められるから、本件各定期預金はいわゆる導入預金に該当するものである。

(2) そこで導入預金は通常貸付金の担保に供されるものであつたか否かについて考えるに、(イ)前記財経詳報(四十号)掲載の論説並びに証人館内四郎(四十七・13乃至15)の供述によれば、導入預金が発生した基盤は、導入預金の形態が、正規の金融機関を利用することによつて元本を保証し、その返還請求権に関する預金者の不安を除去しえた点に存したこと、(ロ)大蔵省銀行局長回答綴中大蔵委員会議事録第三十七号、証人柿沼幸一郎(五十七・52乃至56)の供述によれば、導入預金を取締るために立法された「預金等に係る不当契約の取締に関する法律」(昭和三十二年五月二十七日法律第百三十六号)が、その第二条第三条で当該預金に係る債権を担保として提供することなく資金の融通をすることを禁止したのは、この場合導入預金はこれが担保に提供されないため、資金の取立と預金の払戻とがバランスを失し、金融機関の健全性を害するのに反し、担保に提供される場合にはこの虞のないことによるものであつて、当時行われていた導入預金による金融の原則的形態が若し後者であればこのような立法措置のとられる必要性のないこと、(ハ)証人柿沼幸一郎(五十七・13乃至18・50乃至55・57乃至60)の供述によれば、同証人が大蔵省銀行局検査部管理課長並びに金融制度調査官在職当時、第一相互銀行その他東京都内の若干の相互銀行及び信用銀行について検査した範囲では、導入預金が担保に供されていた事例がなかつたこと(ニ)証人館内四郎(四十七・8・11・38乃至49・54・71乃至79・80・89乃至91)の供述(但し後記信用しない部分を除く)によれば、導入預金による金融の担保は、借主が自己の財産等を供与するのが原則であつて、導入預金そのものを担保に入れることは異例に属すること及び導入預金を担保に供する場合、借主と預金者との間には、おうむね、取引関係、縁故関係、資金援助の意思等特殊な利害関係が存在しており、しかもかかる場合においても銀行若しくは借主は預金者と直接会見して担保提供の意思を確める方法がとられていたこと、(ホ)証人相沢博厚(二十一・21乃至24、二十六・55乃至61)、同山田武夫(五十四・139乃至143、五十五・19乃至21)、同西川由三(十八・43・44、二十五・68)、同小川美武彦(五十五・62・80乃至87、五十六・165乃至167)の各供述によると、右証人等は本件導入預金の斡旋に関与した金融ブローカーであるが、導入預金は担保に供されるものでないというのが彼等の常識であつたことをそれぞれ認めることができる。もつとも、前記証人館内四郎の供述中には、借主と預金者との間に特殊な利害関係がない場合にも導入預金が担保に供される場合がある旨の部分があるけれども、これは前記認定の諸事実に照らし措信できない。以上(イ)乃至(ホ)の諸事実を綜合すると、導入預金はその元本の安全であることを標榜して発生したものであつて、昭和三十二年「預金等に係る不当契約の取締に関する法律」の施行前においては、原則として、それが当該預金による融資の担保に供されることはなかつたものであり、而して例外的にこれが担保に供される場合には、取引の実際においては、預金者、借主、銀行間の十分な意思連絡と預金者借主間の特殊な利害関係の存在とを前提としたと認めるのが相当である。

(三) 本件各預金者と十電舎間の特殊な信頼関係若しくは利害関係等の存否からみた考察

(1) 各預金者側と十電舎との間における特殊な信頼関係の有無

まず本件各預金以前の預金者側と十電舎との関係についてみるに、証人森江有三(二十一・39・76・77)、同経谷貞造(六・18・19・31)、同関昇(十五・139・143・158、二十七・14乃至16)、同二宮四郎(十六・26)、同猪飼俊一(十八・137)、被告人伊藤立夫(四十三・95乃至99)の各供述を綜合すると、本件各預金者は少くとも預金の勧誘をうけるまでは十電舎の存在すら知らなかつた事実が窺われ、従つてこれ等預金者即ち経谷貞造、二宮四郎、猪飼俊一、猪飼隆昭、櫟木友三郎、猪飼輝夫、山田鍵次郎はもち論、経谷関係での実質上の預金者たる太平興業株式会社、二宮関係でのそれである共和不動産株式会社、と十電舎との間には、取引関係乃至事業上の協力関係はもち論、その他何等の関係もなかつたものと推認される。もつとも、預金者のうちには、預金の勧誘をうける際又は預金の継続中(預金者経谷貞造の場合)に、十電舎の経歴内容等を知つたものがあり、この点をとらえて弁護人柏木博は「預金者並びに金融ブローカー達は、預金が担保に供されることはこれを知つていたのである。しかるに、同人等が預金したのは、十電舎の業績経理内容を非常に重く評価し、銀行に対する返金に全く疑念をいだかず、担保性は左程重要視しなかつたためである」旨主張する(弁論要旨第一章第一の三)。しかしながら、証人経谷貞造(九・75乃至156・175乃至177、十・32乃至37、十三・64・65、六十二・40乃至49・99・101)、同森江有三(二十一・76・77・89乃至92・108、二十三・143・146・352乃至363)、同相沢博厚(二十一・46、二十四・57乃至63・252乃至259・290乃至295、二十六・3乃至6)、被告人伊藤立夫(四十二・89乃至92)の各供述を綜合すると、経谷貞造は昭和二十九年九月二日より後の時期に至つて、アメリカン・エキスプレスへ行く車中において、被告人岡松政明から聞かされたほか、相沢博厚からも、十電舎が沖縄で米軍関係の数億円の工事を施工している旨の話を聞いていること、十一月下旬以後経谷貞造、森江有三が十電舎と直接往来するようになつてからは一層詳しく十電舎の事業内容について被告人伊藤立夫、同岡松政明の説明を聞かされたこと、又証人関昇(十五・27乃至29、十九・42乃至48、二十七・14乃至20)、同西川由三(二十五・33乃至38・336・337)の各供述を綜合すると、関昇は預金の依頼を受けると共に十電舎の沖縄工事について西川由三から話を聞き、自らも信用録を用いて十電舎について調査したこと、又証人猪飼俊一(十八・121、二十・159乃至170・465・466)、同猪飼隆昭(二十七・93乃至100)、同西川由三(二十五・47乃至49・336・337)の各供述を綜合すると、猪飼俊一、猪飼隆昭は、預金以前に十電舎という名前を聞いていたか否かについては確認できないが、少くとも裏利の支出先が沖縄で大きな工事をしている会社である旨を知つていたこと、以上に対し証人二宮四郎(十六・14・25)、同櫟木友三郎(二十七・164・178)、同櫟木善三郎(二十八・6乃至13)の各供述によると、同人等は預金をするに対し十電舎に関する知識は有していなかつたことがそれぞれ認められる。以上の認定事実によると、二宮四郎、櫟木友三郎、櫟木善三郎を除くその余の預金者が預金をする以前又は預金の継続中(経谷貞造の場合)に程度の差はあれ十電舎の経歴、事業内容等につき知識を得た事実はこれを認めうるが、ここに注目すべきことは、前掲各証拠によると、預金者等は十電舎の事業内容等について知識をうると同時に、或は十電舎が船舶をアメリカン・エキスプレス銀行入へ入れているとか、経谷貞造の場合、或は沖縄工事の取下金はアメリカン・エキスプレス銀行に受領委任乃至取立委任してあるとか(経谷貞造、関昇の場合)或はアメリカン・エキスプレス銀行は円資金が不足しているから預金して欲しいとか(経谷貞造、関昇、猪飼隆昭の場合)十電舎が恰もアメリカン・エキスプレス銀行に対して十分な担保を供しているかの如き話をきいていることであつて、預金者等が自らの定期預金を担保に供するために十電舎の内容について知識をえたものと認められる事情はいささかも看取できない。これ等の説明はせいぜい裏利の支払能力について預金者を信頼させる程度の資料といつても過言ではあるまい。その上、一件証拠資料を精査しても、前記の如く関昇が信用録を用いて十電舎を調査したという事実を除けば、預金者側が十電舎の信用力殊に同社の経理内容について調査した事実を発見することができず、前認定の各預金者の十電舎に対する認識程度では、預金者側と十電舎との間に、十電舎よりは何等の担保もとらないで、多額の定期預金を担保に提供すべき特殊の信頼関係があつたとみることは不可能である。

(2) 各預金者側と十電舎との間における特殊な利害関係の有無

前記(1)で認定したとおり、本件各預金者には十電舎に対しその定期預金を担保に供すべき特殊の信頼関係がないとすれば、最低一口五百万円、最高累計一億数千万円の定期預金を十電舎の借入金の担保に提供するには、預金者側は十電舎からその負担する危険に匹敵するだけの現在又は将来における利益(以下単に特別利益という)の供与を受けることが不可欠の前提であると考えられる。そこで本件各預金者はかかる特別利益を得ているか否かについて検討する。

(イ) 各預金者が十電舎から受け取つた裏利

後記認定の如く、預金者は十電舎から「裏利」と称する正規の銀行預金の利子以外の謝礼を受け取つているのであるが、前記(二)の(1)で認定したとおり、導入預金をする者は借入先からの裏利を目的としてこれに応ずるのであつて、しかも導入預金による金融取引では預金が原則として当該預金による融資の担保に供せられることはないのであるから、裏利を収受したというだけでは、預金を担保に提供したという推定を働かせるものではない。問題はその裏利の率であつて、これが預金を担保に提供しない通常の導入預金の場合を著しく越えて預金者が負担する危険をカバーし得るものであるか否かにある。そこで預金者の受け取つた裏利の率をみるに、預金者経谷貞造の場合は、経谷貞造作成の「相沢及十電舎から受けとつた謝礼と題する一覧表(記録第十三冊第五十八回公判調書編綴)によると、昭和二十九年九月二日預入の分から同年十一月十三日切替(更新)の分までは日歩六銭、(月一分八厘)、同年十二月十三日切替の分から昭和三十年一月二十一日切替の分までは日歩十二銭、(月三分六厘)、同年二月二十六日切替の分から同年六月二十二日切替の分までは日歩十銭、(月三分)、預金者二宮四郎の場合は、証人二宮四郎(十六・19)、同関昇(十五・34・90)の各供述によると、月二分、その余の預金者の場合は、証人猪飼俊一(十八・24・93・二十・134)同櫟木友三郎(二十六・59)同櫟木善三郎(二十六・33・80・81)の各供述によると、いずれも三箇月で八分(月二分六厘強)であつたことが認められる。他方証人館内四郎(四十七・28乃至32・77乃至79)、同柿沼幸一郎(五十七・21乃至49)の各供述並びに財産詳報四十二号に掲載されている柿沼幸一郎の「導入預金について」と題する論説及び大蔵省銀行局長作成の同局長回答関係綴を綜合すると、本件各預金当時(昭和二十九年九月乃至同三十年四月)の導入預金の裏金利は、金融状勢の変動によつて多少の推移はあつたけれども、最低月一分から最高月六分が相場であつて、この率は金額の多寡、期間の長短によつては殆ど影響を受けないこと及び右裏金利は導入預金の通常の形態即ち預金が貸付の担保になつていない場合のものであることがそれぞれ認められる。而して本件各預金者の受け取つた裏利率が右に認定した裏利率の相場の範囲内にあることは叙上の認定事実に照らし明白であつて、しかもその間に行われた裏金利の推移を彼此比較しても預金者の受け取つた裏利が右相場より著しく高かつたとは認められない。従つて本件においては各預金者の受け取つた裏利を目して前記にいわゆる特別利益の授受があつたと認めることは相当ではない。

(ロ) 裏利以外の利益の授受

(a) 弁護人小玉治行は、預金者経谷貞造の場合につき、「同人は十電舎から預金額に相当する小切手又は約束手形を受け取つているが、右小切手又は約束手形は前述のいわゆる特別利益に該当するものである」旨主張する(弁論要旨第二章第一項)。経谷貞造が十電舎から、後記(七)の(2)で認定したとおり、小切手については、その振出交付を受けたことは事実であり、約束手形については、確認までには至らないがその疑いのあることは否定できない。しかしながら、その趣旨乃至目的は同所で認定したとおりであつて、右小切手及び約束手形は経谷貞造が十電舎から前述の如き意味の特別利益として受け取つたものとは到底考えられない。よつて右弁護人の主張は理由がない。

(b) その他一件証拠を精査しても、十電舎から各預金者側に前述にいわゆる特別利益が供与されたことを認めるに足りる事実はない。もつとも、証人経谷貞造(九・157乃至168)の供述によれば、同人は太平興業株式会社を退職した一婦人を十電舎で傭つてもらつた事実を認めることができるが、右の程度の便宜な計いは到底前述の如き特別利益に値するものではない。又被告人伊藤立夫はその供述(六十二・54乃至57)において経谷貞造に対し昭和三十年四月十九日の預金に関して金二十万円を贈与した旨述べており、被告人岡松政明の昭和三十年十月十九日付検察官調書第四項によれば、被告人岡松政明は被告人伊藤立夫から同人が経谷貞造に二十万円贈与したと聞いた旨述べているが、他面被告人伊藤立夫の同月二十二日付検察官調書第十二項によれば、同被告人は経谷貞造に対し個人的に金銭をやつた事実はない旨述べている始末であつて、他に確証のない本件では、被告人伊藤立夫が法廷で述べるとおり、経谷貞造が十電舎から個人的に金二十万円の贈与を受けているとはにわかに断定し難い。もつとも雑書等十枚(証四十号)のうち「経谷氏」と記載ある領収書(同証号の七)、証人石松正生(五十八・61乃至63・70・71)の供述によると、昭和三十年一月二十七日に十電舎から経谷貞造に金二十万円が交付されている事実を窺うことができ、被告人伊藤立夫の前掲主張は或は右事実を指すものとも解されるが、前掲証拠中証人石松正生の供述によると、右は裏利の追加分として支出されたものであることが認められる。仮に被告人伊藤立夫が法廷で述べるように二十万円贈与の事実があつたとしても、昭和三十年四月十九日被告人伊藤立夫とアメリカン・エキスプレス銀行との間に行われた貸付は九百万円であつて、この程度の利益授与では前記にいわゆる特別利益と断ずることはできない。

(3) 以上(二)及び(三)の(1)(2)で検討したところによると、本件においては、各定期預金が十電舎の借入金の担保に供されたと仮定した場合に当然履践されると予想される前提条件を全く欠いているとみるのが相当である。

(四) 被告人伊藤立夫、同大島成一、同岡松政明の行動からみた考察

(1) 伊藤日記にあらわれた被告人伊藤立夫の行動について

(イ) 本件には、被告人伊藤立夫が昭和二十九年以降翌三十年に亘つて、即ち問題の取引が行われた当時、記録した日記として、(a)昭和二十九年四月十八日より翌三十年十月十二日までに亘るもの(以下伊藤第一日記と略称―証二十二号の二)と(b)昭和三十年一月五日より同年三月十三日までに亘るもの(以下伊藤第二日記と略称―前証号の一)とが提出されている。伊藤第一日記中昭和二十九年九月二十六日(日)の部には

「……連日の疲労のため礼拝出席の気がにぶるが家を出た。とうとう四谷からタクシーを拾つた。「イエスの試練」この説教に於て(動機・目的は良くても手段の不正は良くないとの教訓を、現世のアメツクスの借入に反省させられる)……」

との記載が存し、伊藤第二日記中昭和三十年二月十八日(月)の部には

「アメツクスの保証書の問題がS氏の方から提起せられて起るべきものが起つた事なれど、心事を痛める事はいよいよ急迫してきた。O君は(社長はシツカリ代案を考えねばならぬではないか? ノンキすぎると迫る)。まさにその通りなれど手がつかない(O老の導入しか考えていない)。そのO老の線とこの線とが連けいあるに於て破局的様相を呈して来た。U君曰く(奇蹟による外ありません)。しかり之しかない。しかし(神様がこの人間的トリツクを御許しくださるかどうか? 何時迄も)。予の胸は割けるばかりである。深考したら発狂に到着しよう。だから予のこの憂の線迄で奇蹟の出現を祈る。(或は破局の到来か?)である。S氏外三氏再来して円滑に攻める。(納得させる方法無し)……」

との記載がある。而して一件証拠によると、右第一日記及び第二日記の「アメツクス」とはアメリカン・エキスプレス銀行、第二日記のS氏とは関昇、O君とは被告人岡松政明、O老とは小川美武彦を指していると認められる。

(ロ) 伊藤第一日記にいわゆる「アメツクスの借入」とは、アメリカン・エキスプレス銀行からの借入金を指称し、一件証拠と併せ考えれば、右は被告人伊藤立夫が同銀行から昭和二十九年九月二日及び同月二十一日の二回に亘つて行つた借入と認められる。被告人伊藤立夫は、右借入について、「動機・目的は良」いが「手段の不正は良くない」と反省しているが、これは何であろうか。被告人伊藤立夫は「右は右銀行からの借入で多額の裏利や謝礼を支払う等キリスト信者として正常でない行為に出た事を反省したものである」旨主張し(三十四・82乃至84、同被告人の同月二十八日付(四丁分)検察官調書)、弁護人海野普吉は「被告人伊藤の日記は、キリスト教徒の立場から、法律上の悪とは異る絶対の神の前での罪悪を懺悔した記録であつて、一般人の世俗的な告白とは異る。右記載は高利で借りたのを罪悪だと信仰的に反省しただけであつて、その行為に世俗的な不正のあることを告白したものではない」旨主張する(弁論要旨第一項十四丁乃至十八丁)。しかしながら、聖書で戒めているのは、利息を徴することであつて、このことは一般に公知の事実である(旧約聖書申命記第二十三章十九・二十節、出埃及記第二十二章二十五節、利未記第二十五章三十六、三十七節参照)。これ等のことを勘案すると、伊藤日記が弁護人主張の如き性格をもつていることを考慮に入れても、右借入にして合法的のものであつたとせば、高利といつても、これを徴したのではないから、右日記にあるような文言で反省を行わねばならない事柄とは考えられない。殊にこの告白を行つている昭和二十九年九月二日及び同月二十一日の借入(経谷関係)とその借入の方法、条件等すべての点で同一と認められる昭和三十年二月十六日の借入(関、二宮関係)についての告白を記録している伊藤第二日記中昭和三十年二月十八日(月)の部にある前掲記載を併せ考えると、被告人伊藤立夫の右主張には到底信を措き難く、弁護人の主張も亦採用できない。

(ハ) 伊藤第二日記にいわゆる「昭和三十年二月二十八日」とは、いかなる日であろうか。証人関昇(十五・96乃至113・116乃至146、二十七・78乃至114・138乃至152・220乃至231)、同二宮四郎(十六・27乃至66)、同西川由三(十八・37乃至91・二十五・114乃至152・232乃至239・258乃至290)の各供述、鵜養信次の検察官調書(第十項)、被告人伊藤立夫(三十四・77乃至79、四十三・29乃至41・138乃至146)、同岡松政明(三十二・100乃至107、三十三・19乃至45四十五・157乃至170・176乃至184)、同大島成一(三十八・50乃至89)の各供述を綜合すると、関昇は昭和三十年二月十六日アメリカン・エキスプレス銀行に対し判示第一の二の(八)の定期預金を行つた上、更に同月二十六日一千万円を預金すべく同銀行を訪れたが、偶々土曜日で被告人ラーソンが不在であつたため、預金の運びとならず、被告人岡松政明からその用意のために保証状を一通貰つて帰えり、これを社員に訳させたところ、二月十六日に行なつた預金の際同書面について諒解したこととは大きい齟齬があつたため、第二回目の預金はこれを中止し、右銀行に対し抗議するとともに、十電舎に対しても仲介者の西川田三等を同道して強硬に抗議したことが認められ、右日記の記載はまさに関昇が十電舎に対して行つた右抗議に関するものである。その抗議の内容がどんなものであつたか。これは関昇、二宮四郎、西川由三の供述するところと被告人伊藤立夫等の供述するところとでは大きな対立があり、日記自体でもその詳細はこれを知ることができない。しかし、右日記によると、その抗議には被告人伊藤立夫の「心事を痛め」「深考したら発狂に到着」する虞のあるものが含まれていたことはその行間に惨み出ている。而して同日記には「O老の線とこの線とが連けいあるに於て破局的様相を呈して来た」との記載があるが、証人小川美武彦(五十五・177乃至189、五十六・83乃至93・99乃至106、五十七・1乃至35)、被告人伊藤立夫(四十二・87・92)、同岡松政明(三十二・109乃至111、四十五・184乃至186)の各供述、同被告人の日記(証二十三号の一)中、昭和三十年一月十、十一、十三、十四日、二月七、十乃至十五、十七、十八、二十一、二十三、二十五乃至二十七日の各記事、右伊藤日記中同月三日、二十六日の各記事及び同日記中の前記「O老の導入」という記載を併せ考えれば、十電舎では当時小川美武彦に大阪方面より二億円程度の導入の斡旋方を懇請しその実現に懸命であつたことが明らかであつて、右にいわゆる「O老の線」とはこの小川美武彦による導入計画を指称するものであり、又右にいわゆる「この線」とは関昇によつて申し入れられた抗議を指称するものであることがその記載からみて明白である。而して前掲証人関昇、同二宮四郎、同西川由三、被告人伊藤立夫、同岡松政明の各供述によると関、二宮による融資は小川美武彦の紹介により西川由三が斡旋したものであることも明らかであつて、小川美武彦と関昇等とは相関関係にあつたものであるところ、右日記にいわゆる「O老の線とこの線が連けいあるに於て」はこのことを表現したものと認められる。しかりとすれば、関昇が十電舎側に申し入れた抗議の内容は、若し小川美武彦においてこれを知れば、同人による導入の線に「破局的様相」を呈するものであつたことが窺知できる。その上同日記には右に続いて「U君曰く(奇蹟による外ありません)。しかり之しかない。しかし(神様がこの人間的トリツクを御許しくださるかどうか?何時迄も)」という記載があり、これによると、同被告人は「保証書の問題」では従来から「人間的トリツク」を反覆して来たことも推認できる。右にいわゆる「人間的トリツク」とは何を指しているのであろうか。被告人伊藤立夫、同岡松政明は、前掲供述で、関昇の抗議内容について「関昇等の十電舎に対する交渉はなごやかなものであり、預金額の範囲内なら格別、全面的な保証は予期していなかつたとの抗議を受けたに過ぎない」と述べているが、被告人ラーソン(四十六、4)の供述並びに一九五四年八月二十五日付アメリカン・エキスプレス銀行本店と東京支店との間で取り交わされた書面電報(乙第三十一号)、同年同月二十四日付同者間の書信(乙第五十五号)によると、十電舎関係の導入預金の担保範囲は右「保証状」の文面に拘わらずすべて預金額の範囲内に限られていたことが認められるから、若し関昇等の申し入れた抗議内容が被告人等主張のとおりであれば、「保証状」の訂正その他で直ちに是正解決しうることであつて、その抗議に前記認定の如き深刻な問題が潜んでいるとは考えられない。これ等の事実を併せ考えると、右被告人伊藤立夫等の供述は到底信を措き難い。

(2) 大島念書にあらわれた被告人大島成一の行動について

(イ) 領置に係る被告人大島成一の昭和二十九年十月二十日付、同月二十七日付各念書(証十号の一、二)、同被告人の同年十一月二十日付英文念書(証十一号)並びに証人経谷貞造及び被告人大島成一の各供述によると、被告人大島成一は経谷貞造に対し昭和二十九年九月二日、同月二十一日、同年十月二十日、同月二十七日それぞれ和文の念書を、同年十一月二十日英文の念書を交付したことが認められる。

(ロ) 右念書のうち、昭和二十九年九月二日及び同月二十一日付のものは現存していないが、他の三通は証拠物件として当法廷に提出されて居り、その作成名義人は和文の方では「アメリカン・エキスプレス銀行東京支店渉外部長大島成一」英文の方では「アメリカン・エキスプレス銀行大島成一」となつている。而して昭和二十九年十月二十日付念書には

「本日附当行に日本円二千万円也を九十日期限定期預金(第十八号)として御預り致しましたが貴殿の都合に依り三十日後御解約がありましても当行には何等異議ありません」

という記載があり、同年同月二十七日付念書には

「弊社は貴殿名義の九十日定期預金金額三千万円也(第廿一号)を御預り致したるも三十日後貴殿の都合にて解約さるるも当行としては何等異議ありません」

という記載があり、同年十一月二十日付念書には

「昭和二十九年十一月二十二日に当方はテイー経谷氏に二千万円の額を返済することに同意することを御通知申し上げます」

という記載があり、又証人経谷貞造(八・210、十四・20)及び被告人大島成一(三十七・72)の各供述によると、昭和二十九年九月二日及び同月二十一日付念書の記載内容は同年十月二十日及び同月二十七日付のものと同趣旨のものであつたことが認められる。

(ハ) 証人経谷貞造(五・41乃至43、六・35・36、八・135乃至140・190乃至200・205乃至212・240乃至255・269乃至313・317乃至349・358乃至368、九・1乃至19、十二・128乃至148、十三・157乃至195、十四・16乃至48)、同森江有三(二十一・63・79乃至85、二十三・108乃至156)、同相沢博厚(二十一・71乃至77・93・94、二十四・119乃至161、二十六・3・68乃至73)、同ラーソン(五十・97乃至104)、被告人伊藤立夫(三十四・64乃至72、四十三・112乃至136)、同岡松政明(四十六・1乃至24・53乃至58)、同大島成一(三十一回公判で陳述した同被告人の供述書第十一項、三十七・152乃至・215、三十九・80乃至89)の各供述によると、「英文念書を除いた爾余の念書すなわち九月二日以降四回に亘つて被告人大島成一より経谷貞造に交付された和文念書」はいずれもこれに照応する日に経谷貞造が預金者となつてアメリカン・エキスプレス銀行に対し期間九十日の定期預金を行つた際授受されたものであること及び「十一月二十日付英文念書」は経谷貞造が右十月二十日付和文念書に基づいて昭和二十九年十一月二十日アメリカン・エキスプレス銀行に対し十月二十日行なつた定期預金について中途解約の申し入れをしたところ、銀行側では仲々これに応じなかつたが、いわゆる森永会談の後、授受されたものであることが認められる。

(ニ) 右念書の発行の経緯について、被告人大島成一は「右念書のうち和文の念書四通はいずれも経谷貞造が予め署名を除いた爾余の部分を記入した文書を持参の上、一箇月後には長期に使える金を預金して担保の差替をして銀行側には迷惑をかけないこと及びこの書類は本日預入れた預金の資金源に見せるだけで直ぐ返却するものであること等執拗に説明し、同書面に署名するよう強請したので、自分としては同人の言明どおり形式的な書面と考え署名したに過ぎない。又英文念書は経谷貞造からこれ亦十月二十日行なつた預金の資金源に見せるだけで、二十二日には新しい預金をして担保の差替を行い銀行には迷惑をかけない旨前同様執拗な申し入れがあつたので、前四回と同様形式的な書面と考え署名したに過ぎない」旨主張し(三十七・72乃至77・181・182・207)、これに対し、経谷貞造はこれを全面的に否定し「自分の方で右書面を用意したことは更になく、右は銀行との間に右書面どおり中途解約の特約をしたため作成された書類である」旨主張する(八・188・189・210乃至212、十三・169乃至175)。

ところで、前掲昭和二十九年十月二十日付及び同月二十七日付各念書(証十号の一、二)と被告人伊藤立夫作成名義で同月一日付被告人岡松政明宛念書と題する書面(記録第十四冊第六十一回公判調書編綴)とを対比するに、用紙は全く同質で、筆蹟は同一人のものと認められる。而して後者の被告人岡松政明宛の念書の筆蹟と被告人伊藤立夫(三十四・86)の供述並びに十電舎の領収証綴五冊(証第三十八号)中高橋辰雄名義の領収証(例えば昭和二十九年九月二十一日付通し番号421のもの、同年十月二十八日付通し番号525のもの、同月二十九日付通し番号555のもの、同月三十日付通し番号579のもの二枚、昭和三十年二月二日付通し番号24のもの、同月七日付通し番号115のもの)の筆蹟とを綜合すると、前記被告人伊藤立夫作成名義で昭和二十九年十月一日付被告人岡松政明宛の念書と題する書面は十電舎の社員高橋辰雄の作成に係るものであることが認められる。そうとすれば、本件で問題の右十月二十日付及び同月二十七日付各念書中署名を除く爾余の部分は十電舎の社員高橋辰雄がこれを作成したものといわねばならない。しかりとすれば九月二日付及び同月二十日付各念書の筆蹟は誰か?被告人大島成一は右十月二十日付及び同月二十七日付各念書と同一人である旨主張し(三十七・95)、証人経谷貞造(十四・20乃至30)は右九月二日付念書は被告人大島成一であり、その余の念書の用紙は予めできていた旨主張しているのであるが、仮に被告人大島成一の供述するとおりとすれば、これ等二通の念書も他の念書と同様前記高橋辰雄の執筆に係ることが認められる。而して英文念書が被告人大島成一によつて全部記載されたことは証人経谷貞造(六・36)及び被告人大島成一(三十七・181・195・196)の各供述により明らかである。

以上認定の事実によると、前後五回に亘つて発行された念書はいずれも十電舎の社員高橋辰雄乃至被告人大島成一によつて作成されたものであつて、経谷貞造側で作成したものは一つも存しないことが明白である。而して高橋辰雄が十電舎の一社員に過ぎないこと並びに右和文念書が預金と同時に授受されていること等を併せ考えると、右和文念書は素より高橋辰雄の発意によるものではなく、社長である被告人伊藤立夫その他の上司の指示によつて、しかも預金前に予め作成準備されたものと推認するのほかはなく、従つて右念書は被告人大島成一が主張するように経谷貞造において予め用意の上、持参したものとは到底認め難いこと、経谷貞造が昭和二十九年九月二日という被告人大島成一とは初対面の日に、しかも相手方が市井の泡沫会社なら格別、信用と堅実を生命とする銀行に対し、被告人大島成一が前記で主張しているような事項について、被告人大島成一が根負するまでの強硬な要請を行いうる間柄にあつたとは、両者の当時の親疎関係等にかんがみ、到底考えられないこと及び若し経谷貞造が預け入れた定期預金にして被告人大島成一において供述するとおり十電舎に対する貸付の担保になつて居れば、右念書はその担保性を真正面から否定するものであるから、堅実を旨とする銀行員としては、拒絶しなければならない事柄であり、且つ拒絶する意思さえあれば、極めて容易に、しかも一言のもとに拒絶しうべきものであるのに、本件においては、これを拒みえないと首肯しうるような事情は一つも認められないこと――被告人大島成一(三十七・72・181・207)がこの点に関し法廷で供述していることは拒みえない事情としては全く納得できない――等を併せ考えると、被告人大島成一の右供述には到底信を措き難い。

(ホ) 以上の事実から明白になつたことは、被告人伊藤立夫、同大島成一等は、一方においては預金者より保証状をとつたといいながら、他方においてはこれと全く矛盾した書面を作成して預金者に交付していることである。これは本件の真相を探究するに当り看過できない事実の一つである。

(3) 伊藤日記、岡松日記及び伊藤念書にあらわれた被告人岡松政明の行動について

(イ) 伊藤第一日記中昭和三十年十月十二日の部には

「……十二日は四時~五時迄T事務官に借入書の痛いところをつつき通されてどうしようもなかつた。まるで白痴見たいに言はれても当然の事で理屈も言えない。反省させられる事のみであつた。痛いところに目をつむつて事業家はどんどん借金すべきだ! 払つたらよいではないか! 借返えたらよいで(は)ないか! と大量らしくO君の非理法なすすめに随つた天罪であつたと思いつつ検察官の言うがままに無智を自白した次第であつた……」

という記載がある。一件証拠によると、右は被告人伊藤立夫が詐欺罪の容疑で昭和三十年十月十二日東京地方検察庁で本件について取調を受けた当日記録したものであつて、T事務官とは検察事務官寺島留八、O君とは被告人岡松政明を指称するものと認められる。この記載によると、被告人岡松政明が被告人伊藤立夫に対し本件借入について「痛いところに目をつむつて」「どんどん借金」したらよいなどと「非理法な」ことをすすめていたことを窺知できる。

(ロ) 岡松日記(証二十三号の一)中昭和三十年二月二十八日の部に

「……西川氏の件はアメツクスの導入の方法不備と言う理由にて中止す……」

という記載があり、この記載は前記(四)の(1)の(ハ)で認定した関昇が同月二十六日アメリカン・エキスプレス銀行に対し持込んだ預金に関するものであることは被告人岡松政明(四十五・158乃至164)も認めているところである。而して同被告人は右供述において右日記中「導入の方法不備」というのは、関昇及び二宮四郎が二月十六日行つた保証は定期預金の範囲内に限られていたのに「保証状」には十電舎が銀行に対し負担する債務について全責任を負う旨の記載があつたことを指していると説明しているが、「導入の方法」の「不備」にして若しそのとおりとせば、直ちに是正解決しうることで「中止」に到るまでの事態ではないことは既に前記(四)の(1)の(ハ)で認定したとおりである。被告人岡松政明の右供述には信を措き難い。

(ハ) 第六十一回公判期日で提出された伊藤念書(記録十四冊編綴)は被告人伊藤立夫より被告人岡松政明に宛てた昭和二十九年十月一日付書面であつて、同書面には

「アメリカン・エキスプレス会社(銀行)東京支店に対し弊社の為第三者の導入預金並に之に関連して弊社が該銀行からの借入金に関しては貴殿には何等責任の無い事実を為念本書を以て誓約致します」

という記載がある。被告人岡松政明(四十五・196)は同人がこの書面を受け取つた趣旨について「沖縄工事が順調に運ぶことについては自信があつたが、同所は暴風の多いところで天災地変がないとはいえない。そのような場合工事が遅れたり中止ということも考えられる。このようなことで預金者や銀行に迷惑をかけることが万一起きた場合預金者等に対し私の立場をはつきりするために作つて貰つた」旨弁解しているが、若し被告人岡松政明等が法廷で主張するように保証について預金者の諒解を十分えているのであれば、このような心配は無用であつて、被告人がわざわざこのような書面を貰つた事情はにわかに首肯し難い。この書類は何かのためにする工作であり、その背景には後めたいものが感じられても仕方があるまい。

(五) 以上(一)乃至(四)で認定した事実と一件証拠を併せ考えれば、経谷貞造等預金者側の供述は大綱において客観的事実と合致しているものと認められるから、これ等の供述には十分信を措きうるものと考える。而して(イ)証人経谷貞造(五・32乃至36・72乃至76、八・115乃至125・146乃至150・233乃至238、九・249乃至256、十・90乃至99・117・127乃至132・147・148、十二・103乃至113・117乃至127、十四・126・127)、同相沢博厚(二十一・39乃至43・61・90、二十四・66、二十六・62乃至64)の各供述を綜合すると、昭和二十九年九月二日経谷貞造は被告人ラーソンから保証状を示された時、被告人大島成一に対し「これは何の書類ですか」と訊ねたところ、同被告人は即座に「アメリカの銀行で定期預金をするときに貰う書類で普通の形式的のものである」旨応答し、経谷貞造が「日本の約定書のようなものですか」と反問したのに対し「そうである」旨回答したので、経谷貞造はこれを信用して署名した事実並びにその後の預金に際しては経谷貞造も前記認定のとおり信用していたため保証状につき別段の問答を交わすことなく事務的に署名した事実を、(ロ)証人関昇(十五・56乃至59・65乃至70・74・75・81、二十七・56乃至67・183乃至205・216・232・233)同二宮四郎(十五・53、十六・4乃至7、十九・95乃至104・115・232乃至237)の各供述を綜合すると、関昇は同人及び二宮四郎の面前に被告人ラーソンから保証状を示されて署名を求められた時、同被告人及び被告人岡松政明に対し「この書面は何ですか」と訊ねたところ、被告人岡松政明は即座に「これはアメリカの銀行と取引する場合には誰でもサインして出す取引の書面で内容は定期預金に関する利率とか或は満期日まで下げられないとかというような日本の銀行で一般に当座取引に使うようなもので一般的のことを書いてあるものである」旨応答し、これを傍らで聞いていた二宮四郎はそれを聞いて保証状に署名したこと及び関昇、二宮四郎は預金直後支配人室から出て階下に赴いた際被告人大島成一から印鑑票に署名を求められたが、その時関昇が同被告人に「上で何かサインしましたが何ですか」と問うたのに対し、同被告人は「さあ何でしようか、まあ預金する人はみんな誰もしていくもんですからねえ」という趣旨の答弁をした事実を、(ハ)証人猪飼俊一(十八・62乃至76・89・90・157・158、二十・222乃至231・241乃至245・256乃至258・275乃至277)の供述によれば、同人は昭和三十年三月十一日頃預金をした際、保証状に署名を求められる前に、被告人大島成一から預金が他人の債務の担保になることはない旨の確答を得たこと及び被告人大島成一から保証状を示された時、同被告人から「定期預金するとこういう書類にみんなサインして貰つて本国へ送る」旨説明をうけて、署名したことを、(ニ)証人猪飼隆昭(二十五・66・74・83、二十七・84乃至87・218乃至224・227)、同櫟木友三郎(二十六・38乃至52・84、二十七・1乃至28・53乃至63・163・186乃至195)同猪飼俊一(十八・108乃至112、二十・353乃至357)の各供述を綜合すると、同月二十三日頃、猪飼隆昭、櫟木友三郎両名と同道した猪飼俊一は、右両人を安心させるために、同人等の面前で、再度被告人大島成一に対し、預金が他人の債務の担保に供されるようなことはないかと確認し、更に保証状について説明を求めたところ、同被告人から「日本でも昔書いていたんだ。途中引出せない、質入できないという定期預金に関する条文である。他の預金者も誰れでもやつているものである」旨の説明をうけたことを、(ホ)証人櫟木善三郎(二十六・68乃至71・75、二十八・49乃至54・63・66乃至70)、同猪飼隆昭(二十五・101・109)の各供述によると、同年四月十五日頃の預金に際しては、猪飼隆昭及び櫟木善三郎は、以上(ニ)のことなどもあつたので、示された保証状につき質問をすることもなく、被告人等から説明をうけることなくして、これに署名した事実をそれぞれ認めることができる。

(六) 結論

以上で認定して来たところによると、経谷貞造等本件各預金者にはその定期預金を十電舎のために担保として提供する意思は更になく、いわゆる「保証状」は前記(五)で認定した経緯で署名したものであること並びに同人等は若し右保証の事実を知つていれば預金に応じなかつたであろうことが推断できる。

(七) 弁護人主張に係る右認定に齟齬を来す事実の有無について

(1) 関昇が昭和三十年八月頃導入預金に応じた事実の存否

弁護人柏木博は「被告人岡松政明の日記中昭和三十年八月十八、十九日の記載をみればわかるように、関昇は保証状問題で抗議後においても導入預金に応ずる旨約した事実が明らかであるが、右は関昇が本件についても預金の担保性を知つていたものであつて、保証状については十電舎の支払能力に全幅の信頼を置いていたために、左程重要性を認めず、実質上は形式的なものに終るものと安心していたと見るべき証左である」旨主張する(弁論要旨第一章第二項の四の(二))。被告人岡松政明の日記(証二十三号の一)のノート(同証号の二)中昭和三十年八月十八、十九日の記載によると、同日頃「関」なる人物と被告人岡松政明との間に三千万円を横浜協和銀行中区支店に導入預金をする旨の取極が成立したことが窺われ、被告人岡松政明(四十六・33乃至45)は右の「関」は本件の関昇である旨並びに右日記中には「関」なる人物が二名登場し、そのうち一名は関昇であり、他の一名は秋田木材の件に関係した関某である旨主張する。しかし、右日記(証二十三号の一)中六月二、八、十、十一、十三、十六、二十二、二十七日、七月二十二、二十五、二十七、二十九、三十、三十一日、八月一乃至六、八、九、十三、十四、十九、二十二、二十五、二十七、二十九乃至三十一日、九月一乃至三、五、六、八、九、十一、十二、十四、二十八日の各記事によると、右に関連する人物としては、野村、西川、橋本、青山、関、石田、篠田の七名が登場していること、同日記中八月一、五、六、八、九、十三、十四、十六乃至十八、二十、二十二、二十五日、九月一、二、十一、十二日の各記事によると、右のうち野村、橋本、青山、関、石田、篠田の六名が秋田木材の件に関係していること、同日記中、六月二、八、十、十一、十三、十六、十七、二十二、二十七日、七月二十二、二十五日、八月四、十九日の各記事によると、西川由三は被告人岡松政明等の依頼によりその頃野村、橋本、青山、石田と金融関係で接触をもつていたこと、同日記中七月二十二日、二十七、三十、三十一日の各記事によると、被告人岡松政明等はその頃西川由三等の仲介で橋本、青山、篠田と関係のある即ち秋田木材関係の「関」に対し金融の依頼をしていたことをそれぞれ認めることができるに反し、この間(問題の八月十八、十九日を除く)本件の関昇と認められる人物は全然登場して来ないことも認められる。而して右ノート(証二十三号の二)中八月十八日の部には

「八月十八日西川氏依頼、関氏により導入OR野村、場所横浜協和銀行中区支店、金額三千万円、利率六ヶ月七分一ヶ月十二%、保証金二十万円、昭和三十年八月二十日午前中実施」

という記載があり、翌十九日の部には、「十九日関氏電話午後一時、三千万六ヶ月八パーセントならやる。一千万―八月二十二日、二千万―同月二十四日、六ヶ月七分、手数料一分」

という記載があり、これ等の記載殊に八月十八日のそれのうち「102関氏により導入OR野村」の記載によると、弁護人主張の右取極は西川由三の斡旋によるものであつて、その導入先は関「又は」野村というにあつたことが明らかである。以上の事実に前記(四)の(1)の(ハ)で認定した本件の関昇が保証状の真実の内容を知つてからの言動を併せ考えると、右にいう導入先は、秋田木材関係の者であつた公算が強く、前記「関」なる人物が関昇であるとする被告人岡松政明の供述は信を措き難い。仮に前記「関」が本件の関昇であつたとしても、導入先が異つているばかりか、肝心の預金を借受人の担保にする旨の約定のあつたことは一件証拠を検討しても肯認し難いから、この導入と本件のそれとが条件において同一であつたとは認められない。そうとすれば、両者を比較の対象とすることはそれ自体失当であるのみならず、本件においては、被告人伊藤立夫等の行つた行動は前記(四)で認定したとおりであるから、弁護人の主張は到底採用できない。

(2) 十電舎から経谷関係の実質上の預金者である太平興業株式会社に対する小切手及び約束手形の振出の有無

弁護人海野普吉、同小玉治行は「経谷貞造は昭和二十九年十一月二十六日以降十電舎から小切手又は約束手形の振出交付を受けているが、右は十電舎が万一アメリカン・エキスプレス銀行に対し債務の支払を怠り預金の返済が受けられなかつた場合の対策としてなされたものとみられる。しかし預金が担保になつていないならこのようなことをするわけがない。従つて、経谷貞造は少くとも昭和二十九年十一月二十六日以降は本件ギヤランテイーノートの本質―預金の担保性―を十分承知していた」旨主張する(弁護人海野普吉の弁論要旨第一項、弁護人小玉治行の弁論要旨第二章の一)。

(イ) 小切手の振出

証人経谷貞造(十三・66・67、六十・―乃至32・48乃至51・67乃至88・93乃至138・154乃至240・260乃至262)、同鵜養信次(六十・91乃至122・133乃至136、六十一、1乃至26)、同石松正生(六十一、20・21・138乃至203)、被告人伊藤立夫(六十・4乃至16、六十一、1乃至21、59乃至67)の各供述並びにアメリカン・エキスプレス銀行の小切手帳綴中通し番号〇〇二三二六で始る一冊(証七十一号の三)、被告人大島成一の署名押印ある昭和二十九年十月二十日付同月二十七日付念書各一通(証十号)、伊藤立夫の日記(証二十二号の二)中十二月一日の記載を綜合すると、経谷貞造は昭和二十九年十一月下旬頃十電舎から額面二千万円及び三千万円の小切手各一通の振出を受け、更にこれを同年十二月上旬頃同額面の小切手各一通と書替えて貰つたことを認めることができる。而して右各小切手の振出を受けた理由につき、前掲証人経谷貞造は、「同年十月二十日及び二十七日の定期預金について一箇月で解約しうる旨の特約がアメリカン・エキスプレス銀行との間に成立していたのに、満期到来前という理由で、途中解約ができなかつた。しかし、私の方としては当時資金的に金がいる時代であつたのでどうしても解約したい気持であつたし、預金の際十電舎側でも一箇月で途中解約できるといつたのに、右の始末になつたので、十電舎にも一半の責任があると考えて、十電舎と折衝したところ、後一週間か十日すれば沖縄から途金があるから同人の方で支払つてもよいとのことであつたので、資金のことも考えて右小切手を受領した。しかし、私の方としては十電舎から支払を受ける理由はないので、右小切手が落ちた場合には定期預金証書を十電舎に渡す趣旨の念書を十電舎に交付した」旨供述して居り、右供述は前記第一の(四)の(2)で認定した事実並びに右小切手振出の時期及び金額等に照らせば、首肯することができ、弁護人主張の如く経谷貞造が「保証状」の内容を承知するに到つたあらわれとみることは相当でない。

(ロ) 約束手形の振出

証人経谷貞造(十三・66・67、六十・17・18・33乃至47・52乃至58・89乃至92・139乃至153・199・235・236・253乃至255)、同森江有三(二十三・369乃至375)、同鵜養信次(六十・1乃至90・95・107・108・123乃至132)、同石松正生(六十一・1乃至19・22乃至137・206乃至215)及び被告人伊藤立夫(四十二・97乃至100、六十・1乃至3・六十一・23乃至58)の各供述並びに十電舎の手形決済覚帳(証七十二号)、被告人伊藤立夫作成の押収目録の写二通、松本幸太郎、菅井信治作成の証明書と題する書面各一通及び田中寬作成の始末書と題する書面一通を綜合すると、弁護人等において主張する「十電舎が昭和三十年四、五月頃経谷貞造に対し同人がアメリカン・エキスプレス銀行にした定期預金の総額(但し昭和二十九年九月二日の二千万円を除く)に見合う約束手形を振出交付した」事実は確認できないが、否定もできない状態で、或は存在したのではないかという疑いはある。ところで、仮に存在したとしても、前掲証拠中、証人石松正生(六十一・29乃至61・67乃至69・82乃至87・123乃至125)及び被告人伊藤立夫(六十・3・六十一・39乃至41)の各供述にかんがみると、右の事実について最もよく記憶を有するのは鵜養信次であると認められるところ、前掲同証人の供述(特に六十・10・11・19・49・124乃至126)によれば、同人において右約束手形が振出された時期が昭和三十年四、五月頃であると思われる根拠は経谷貞造の預金全額が銀行から払戻しを受けられない状態になつた後であるからというのである。そうとすれば、右約束手形が振出された時期は、同人の最終の預金日たる同年四月十九日以後であることはもち論(このことは被告人伊藤立夫(六十一・24)の供述によつても窺える)、同年一月二十六日付保証状によると、経谷貞造の預金のうち最も早くその満期の到来した時期は同年五月二十六日であつて、これ迄は経谷貞造において異議なく切替(更新)に応じていたと認められるから、同日以後であることも疑いを入れない。而して経谷貞造が供述するとおり定期預金が担保になつていないとすれば、経谷貞造はアメリカン・エキスプレス銀行からその全額を回収しうるのであつて、十電舎から前記のとおり約束手形の交付を受けることは確かに異例のことである。しかしながら、一件証拠によれば、昭和二十九年十一月下旬以降経谷貞造と十電舎との間はブローカーが介在しないで直接折衝になつて居り、前掲鵜養信次の証言によれば、前掲手形は右預金が銀行より回収できない状態――証言ではその事由は明白でないが、銀行側で保証を主張し経谷側でこれを争い、預金の回収が膠着状態になつた時期と推測される――になつた際振出交付されたことが認められるから、経谷貞造としては、十電舎に不信を責めた際、回収に焦る余り、本来のやり方とはいえないが回収の一方策としてその交付を受けたと認められないではない。その上、本件においては、前記第一の(四)で認定した事実は動かしえない事実と認められ、これ等の事実に右手形授受の時期等を併せ考えると、経谷貞造と十電舎間に前記手形の授受があつたからといつて、これを弁護人所論の如く、経谷貞造が預金当時既に「保証状」の内容を知悉していた証左とみることはできない。

第二被告人伊藤立夫、同岡松政明、同大島成一等三名の間にいわゆる事前共謀があつたか否かについて≪省略≫

第三被告人岡松政明と被告人ラーソンとの間に検察官主張の現金の授受があつたか否かについて≪省略≫

第三章  昭和三十年十一月二日付起訴状の公訴事実第一の本位的訴因に関する判断

検察官は、右起訴状において、公訴事実第一の訴因として、「被告人伊藤立夫、同岡松政明、同大島成一は共謀の上、……中略……経谷貞造が満期日の到来した太平興業株式会社所有経谷貞造名義の定期預金払戻金により新たに同額で期間三箇月の定期預金を為すべく、アメリカン・エキスプレス銀行を訪れた際、同人が英語を解しないのに乗じ、被告人大島成一において、経谷貞造に対し……中略……誤信させる方法により、(1)昭和三十年二月二十四日頃二千万円、(2)同年三月二十日頃二千万円、(3)同月二十二日頃三千万円、(4)同日頃二千万円、(5)同年四月十七日頃一千万円、(6)同月二十一日頃二千万円の定期預金払戻金をそれぞれ目的として新たに同額で期間三箇月の定期預金を為さしめ、以てその都度右預金額相当の財産上不法の利益を得た」旨主張し公判においてもこれを維持しているのであるが、第六十二回公判期日で更に予備的訴因として、「被告人伊藤立夫、同岡松政明、同大島成一は共課の上、……中略……経谷貞造が太平興業株式会社のため同社所有の小切手を定期預金として預け入れるべく、アメリカン・エキスプレス銀行を訪れた際、同人が英語を解しないのに乗じ、被告人大島成一において、経谷貞造に対し……中略……と誤信させる方法により、(1)昭和二十九年九月二十一日頃上田短資株式会社(以下上田短資と略称)振出、金額二千万円、東京銀行本店宛の小切手一通、(2)同月三十日頃上田短資振出、金額二千万円、東京銀行本店宛の小切手一通、(3)同年十月十八日頃上田短資振出、金額一千万円、大和銀行東京支店宛の小切手一通、(4)同月二十日頃三井銀行京橋支店振出、金額六百万円、自己宛の小切手一通、三菱銀行本店振出、金額一千万円、自己宛の小切手一通及び富士銀行本店振出、金額四百万円、自己宛の小切手一通(計二千万円)、(5)同月二十七日頃上田短資振出、金額三千万円、日本銀行宛の小切手一通、同三十年一月二十六日頃上田短資振出、金額二千万円、大和銀行東京支店宛の小切手一通をそれぞれ右銀行に定期預金せしめ、以てその都度これを騙取した」旨の主張を追加した。

ところで、一件証拠―特に証人経谷貞造(六・10乃至17)の供述及び同人作成の「証書の期日一覧表」と題する書面―によると、右訴因にいわゆる経谷貞造がアメリカン・エキスプレス銀行に対して交付した利益で、本位的訴因中(1)の昭和三十年二月二十四日頃満期日の到来した金額二千万円の定期預金は予備的訴因中(6)の昭和三十年一月二十六日頃小切手の預け入れによつて成立した金額二千万円の定期預金が特約による一箇月の満期日の到来したもの、本位的訴因中(2)の昭和三十年三月二十日頃満期日の到来した金額二千万円の定期預金は予備的訴因中(2)の昭和二十九年九月三十日頃小切手の預け入れによつて成立した金額二千万円の定期預金が満期日の到来と共に一回更新されたもの、本位的訴因中(3)の昭和三十年三月二十二日頃満期日の到来した金額三千万円の定期預金は予備的訴因中(5)の昭和二十九年十月二十七日頃小切手の預け入れによつて成立した金額三千万円の定期預金が満期日の到来と共に一回更新されたもの、本位的訴因中(4)の昭和三十年三月二十二日頃満期日の到来した金額二千万円の定期預金は予備的訴因中(4)の昭和二十九年十月二十日頃小切手の預け入れによつて成立した金額二千万円の定期預金が満期日の到来と共に一回更新されたもの、本位的訴因中(5)の昭和三十年四月十七日頃満期日の到来した金額一千万円の定期預金は予備的訴因中(3)の昭和二十九年十月十八日頃小切手の預け入れによつて成立した金額一千万円の定期預金が満期日の到来と共に一回更新されたもの、本位的訴因中(6)の昭和三十年四月二十一日頃満期日の到来した金額二千万円の定期預金は予備的訴因中(1)の昭和二十九年九月二十一日頃小切手の預け入れによつて成立した金額二千万円の定期預金が満期日(二回目は特約による一箇月の満期日)の到来と共に前後二回に亘り更新されたものであることをそれぞれ認めることができる。而してこれ等の利益を経谷貞造よりアメリカン・エキスプレス銀行に移した所為、換言すれば両訴因で犯行として指摘されている所為は、その刑法的評価はしばらく措き、民事的観点でこれを考えれば、取消事由等の存否は別として、予備的訴因で主張されている所為は消費寄託であり、本位的訴因で主張されている所為は右消費寄託によつて生じた払戻金債務を目的とした準消費寄託であつて、しかも本件においては特別の意思表示のあつたことは認められないから、両債務の間には同一性が維持されていると認めるのが相当である(大審院昭和八年二月二十四日民集二六五頁、同年六月十三日民集一四八四頁参照)。そうとすれば、両訴因の被害法益は実質的には同一のものと解することができる。このような場合、予備的訴因で主張されている所為にして、若し証拠上認めることができれば、本位的訴因で主張されている所為はこれに先行した予備的訴因で主張されている所為によつて発生した違法な領得状態の確保、換言すれば先行行為によつて違法に設定された定期預金という法律関係を基礎としこれを維持継続する作用をもつに過ぎないのであつて―問題の所為は究極するところ払戻の猶予であり、このことは検察官も第二回公判期日で釈明している―この所為によつては、先行行為のため侵害された法益を引続き侵しているに止まり、新たに財産上の法益を侵害しているとはいえない。而して先行行為として予備的訴因で主張されている所為が成立している場合には、爾後その目的物に対し費消その他種々の形で領得行為並びにその確保行為の随伴継続することは事の性質上当然予想されることであつて、これ等の所為は講学上「不可罰的事後行為」の名で呼ばれている行為である。そうとすれば、これ等の所為は違法な行為ではあるが、先行行為にして詐欺罪を構成する限り、これを独立の詐欺罪に問擬すべきものではないと解するのが相当である(大審院大正二年九月三十日、録一九輯一七〇三頁参照)。

そうとすれば、予備的訴因が証拠上詐欺罪を構成するものと認められる場合には、本位的訴因は別罪を構成しない関係にあると解するのが相当であるところ、本件においては、既に判示したとおり、予備的訴因について犯罪の証明があるので、本位的訴因と公訴事由の同一性のある予備的訴因につき審判した次第である。

第四章  法令の適用

法律に照らすと、被告人伊藤立夫、同岡松政明、同大島成一の判示第二の二の各詐欺の所為は刑法第二百四十六条第一項、第六十条に、被告人伊藤立夫、同岡松政明の判示第三の一の各経済関係罰則の整備に関する法律違反の所為は、同法律第五条第一項、第二条前段、別表乙号第二十四号、金融緊急措置令第八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第六十条に、被告人ラーソンの判示第三の二の各経済関係罰則の整備に関する法律違反の所為は、同法律第二条前段、別表乙号第二十四号、金融緊急措置令第八条に該当するところ、判示詐欺のうち(十)の猪飼隆昭及び櫟木友三郎に対する各詐欺の所為、同(十一)の猪飼隆昭及び櫟木善三郎に対する各詐欺の所為はいずれも一箇の行為で二箇の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段第十条に則りいずれも犯情の重いと認める猪飼隆昭に対する各詐欺の罪の刑を以て処断することとし、被告人伊藤立夫、同岡松政明の経済関係罰則の整備に関する法律違反の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、以上の各罪は当該被告人につきそれぞれ刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条に従い、被告人伊藤立夫、同岡松政明については刑期犯情の最も重い判示第二の二の(五)の罪の刑に、被告人大島成一については犯情の最も重い右判示第二の二の(五)の罪の刑に、被告人ラーソンについては判示第三の二のうち犯情の最も重い昭和三十年十月下旬頃現金三十万円を収受した罪の刑にそれぞれ法定の加重をした刑期範囲内で処断することとなるが、アメリカン・エキスプレス銀行は本件各被害者に預金額の九割を弁済し、銀行対十電舎の関係は別として、被害者はその被害の大部分を銀行から回復していること等一件証拠によつて認められる諸般の情状を斟酌して、被告人伊藤立夫を懲役弐年六月に、同岡松政明を懲役弐年に同大島成一を懲役壱年六月に、同ラーソンを懲役壱年に処するが、情状により、同法第二十五条第一項第一号を適用して、判決確定の日から、被告人大島成一に対しては参年間、同ラーソンに対しては弐年間右各刑の執行を猶予することとし、被告人ラーソンの収受した現金九拾万円は当時費消されて没収することができないから、経済関係罰則の整備に関する法律第四条に従い、その価額を同被告人より追徴することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条を適用して主文第四項掲記のとおり被告人等に負担させる。

よつて主文のとおり判決する。

公判出席検察官 検事江幡修三、同天野功、同内田実、同西村常治

公判出席主任弁護人 弁護士海野普吉、同小玉治行、同平松勇、同湯浅恭三

(裁判長裁判官 八島三郎 裁判官 佐藤文哉 裁判官大北泉は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 八島三郎)

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