大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和31年(ヨ)4096号 決定 1958年11月24日

申請人 醍醐利郎 外二名

被申請人 株式会社小糸製作所

主文

申請人等の本件申請はいずれも却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

理由

第一申請の趣旨

申請人等は

「被申請人が昭和三一年一一月一二日申請人等に対してした解雇の意思表示の効力を仮に停止する。申請費用は被申請人の負担とする。」

との仮処分命令を求めた。

第二当事者間争ない事実

一  被申請人(以下、会社という。)は、照明器具等の製造、販売を営業目的とする株式会社であり、申請人等は別紙経歴書記載の日時会社に期間の定めなく雇用され、会社品川工場に勤務していたところ、いずれも昭和三一年一一月一二日会社から予告手当の提供を受けて解雇の意思表示(いわゆる懲戒解雇)を受けたこと

二  申請人等は、会社品川工場の従業員の一部で結成する全国金属労働組合東京地方本部小糸製作所品川支部(以下、組合という。)の組合員であつて、昭和二九年四月以降の組合経歴が別紙経歴書記載のとおりであること

は当事者間争ない。

第三本件解雇に至る経緯のあらまし

疎明によれば、

一  組合は昭和三一年三月七日給与の改訂等を要求し、会社と団体交渉を行い、同月一九日の組合大会においていわゆる「スト権の確立」の手続をとり、同日以降鉢巻戦術を行い、同月二二日以降一切の時間外労働を拒否し、同月二三日以降指名ストライキ、時限ストライキ等の行為が行われたこと

二  同年四月四日会社は、組合が会社製品や硝子金型を勝手に搬出し、これを隠匿したり、自動車入出門の妨害を暴力的になしたとして組合を被申請人として東京地方裁判所に物件搬出入の妨害排除の仮処分申請をし、同庁同年(ヨ)第四〇二二号仮処分事件として係属し、同月六日同庁において「被申請人(組合)は申請人(会社)の製品その他営業用諸物件の搬出、搬入並に営業用製品、原料、資材その他物件の搬出、搬入の妨害をしてはならない。」との仮処分命令が発せられ、同日午後三時頃右命令正本が組合に送達されたこと

三  同月一五日会社は組合に対し品川工場等のロツクアウトを通告し、ロツクアウト区域に木柵等を設定したこと

四  同年五月二日組合員中より五四名が脱退し、あらたに小糸製作所品川工場労働組合が結成されたこと

五  同月五日会社は組合に対し、申請人三名および林一雄、川西弘泰、松内正夫、岡田良一、石井啓次郎、大塚二郎合計九名について、今次の争議の際就業規則中の懲戒規定にふれる行為があつたので懲戒委員会の審査にふすることとしたから、組合員中より三名の懲戒委員を選んで会社に通知するよう申し入れたこと

六  組合執行部は争議中の行為についての責任追及の点をのぞいて会社側の争議解決案を受諾することとなり、同日組合員は定刻より就業したこと

組合は同月八日責任追及の点に関し、懲戒委員会を設けることは責任問題ありとの前提に立つて会社に対し「組合は、今次争議に当り会社に多大の迷惑をかけたことは誠に遺憾とするところである。よつて、会社が行う責任追及について不当と思われる場合は争議によらない方法によつて対処する考である。よつて懲戒委員の選出については五月一四日正午までに決定通知する。」との回答をしたこと

七  同月九日会社、組合は争議解決の協定書に調印したが、右協定書中に「違法な争議行為に対する責任はこれを追及する。」との条項が存すること

同日会社は組合に対し正式にロツクアウト解除の通告をしたこと

八  会社は前記申請人外六名に就業規則中の懲戒規定にふれる所為があつたとして同規則第六七条第一項に「懲戒は、会社、組合各同数の委員を以て構成する懲戒委員会(以下、「委員会」という。)の審査に基いて会社これを決定する。」とあるのに基いて、三名の会社側懲戒委員(功力副工場長、清水庶務課長、石原本社人事課長)を選任し、右三名は、昭和三一年六月二二日組合側懲戒委員三名(浅野委員長、今清水書記長、勝俣組合員)と共に第一回の「委員会」を開き、同委員会の運営規程の審議をしたこと

九  同月二七日第二回「委員会」が開催されたが、組合側委員より右運営規程について疑義がある旨の申出があり、同月二九日組合より右運営規程について生産協議会を開催すべき旨の申入があり、会社もこれに応じて生産協議会において右規程を審議し、審議の結果右規程を一部修正したが、終局的には両者の意見一致せず、会社側は右一部修正した規程に基いて右委員会を構成、運営し、これに出席しない委員は参加権を放棄したものとして取り扱うこととし、同年八月一日以降は組合側委員欠席のまま証人等について事実の調査をし、同年一一月二日第一六回委員会において報告書を採択し前記申請人等九名に懲戒処分をするのが相当であるとの意見を会社に報告し、会社は、同月一二日申請人等を懲戒解雇に、闘争委員松内正夫、同林一雄、同川西弘泰を各出勤停止五日に、同石井啓次郎、同大塚二郎、統制班長岡田良一を出勤停止二日に処したこと

が認められる。

第四申請人等主張の解雇の無効理由について

一  申請人等は、申請人等に対する懲戒解雇は、就業規則第六六条により「会社、組合各同数の委員を以て構成する「委員会」の審査に基いて」なされることを要するにかかわらず、この審査を経ないでなされたから無効であると主張し、その前提として、まず右就業規則第六九条により「この規則を改廃する場合は生産協議会に諮る。」と定められているから、会社は「委員会」の構成、運営に関する規程を生産協議会における審議の上制定しなければならないのにこの手続を経ていないと主張する。

二  就業規則第六六条において懲戒は「委員会」の審査に基いてすることに定められているが、その運営等について詳細な規定がないので、これを補完するほかはないが、これを補完するに当つては、たとえこの点別個の規程にするとしても、会社は「この就業規則の改廃は生産協議会に諮つてする。」と定めた就業規則の趣旨からいつて、この規程を生産協議会に諮つて定めるべきものと解するのが相当であろう。

しかし、疎明によれば

1  会社は昭和三一年六月二二日の第一回「委員会」において会社側委員を通じてかねて作成しておいた「委員会」運営規程を組合側委員に提示し、質疑応答をかわし、同月二七日第二回「委員会」において組合側委員より右運営規程を生産協議会において協議すべき旨の申入があり、同日組合からも同様の申入があつたので、会社もこれに応じて翌三〇日生産協議会を開催し、会社側工場長以下三名、組合側委員長以下八名(申請人醍醐、宮城を含む。)出席し、会社側の「委員会」運営規程案を審議し、会社側も組合の要求をいれて後記のように一部を修正したが、昭和三一年七月三日組合側から更に修正案が出され、同月六日第二回、同月一〇日第三回の各生産協議会を開催し、協議したが、会社は第一回における修正以外の修正に応じなかつたこと

2  同月一九日会社は生産協議会における右運営規程に関する組合との話合をこれ以上行う要がないものとして、組合に対し(イ)「委員会」運営規程は会社が組合の意見をいれて修正したものを規程とし、(ロ)これに基いて「委員会」を開催し、(ハ)「委員会」に委員が出席しないときは参加権を放棄したものとして会社は適当な方法により「委員会」を開き調査を進めることを通告したこと

3  会社はその頃「委員会」運営規程(修正ずみのもの)を印刷して全従業員に配布し、かつ、掲示したことが認められる。

就業規則に「この規則を改廃する場合は生産協議会に諮る。」とある場合、右規則制定における特別の事情や労使間の慣行等により他に解釈すべき特別の事情の主張、立証のない本件においては、会社は、就業規則を改廃する場合は、生産協議会の審議にふし、組合側の意見を聴取することを定めたものと解すべきであつて、生産協議会における労使の意見の一致のないかぎり、右就業規則の改廃を行わないものと定めたとは解されない。

そして就業規則第六七条ですでに「委員会」は会社、組合各同数の委員で構成することに定つており、組合も三名の委員を推薦して右委員によつて「委員会」運営規程を審議していることでもあり、また第一回の生産協議会において「委員会」運営規程中の「委員会の議決は多数決による。賛否同数の場合議長がこれを決する。」とある条文を組合側の意見により、右条文の後段を「賛否同数の場合は経過を議事録に記載し出席委員が署名する。」と変更した外三ケ所の修正を行い、なお二回の生産協議会における協議を経ているのであるから、「委員会」の運営規程について生産協議会に諮らなかつたとは認められないし、また単に生産協議会にはかつた形式をとつただけとも認められない。

従つて「委員会」の運営規程の制定が就業規則に違反して無効であるとは認められない。

なお、右運営規程について労働基準監督署長に対する届出がなされていないとしても、かかる届出は就業規則の効力発生の要件でないから、前記周知の手続をとつた以上、右運営規程の効力の発生に支障がないというべきである。

三  次に申請人等は、会社の作成した「委員会」運営規程によつてみても、同規程第九条によれば、「委員会」の会議は、六委員中四委員以上が出席することを要することとなつているのに、「委員会」に四委員以上の出席があつたことはないと主張し、この事実は、「委員会」が懲戒に関し実質上の審議を開始した第五回「委員会」以降の「委員会」に関しては会社の争わないところである。

前掲就業規則第六七条により明瞭なように、会社は、懲戒を一方的に行わず懲戒をする場合は、会社、組合各同数の委員で構成する「委員会」の審議にふした上で決定することにより、組合の意向をも参酌しようとすることが、同条項の最も肝要なところなのであるから、「委員会」運営規程も最少限四委員すなわち組合側委員が一人以上出席しなければ「委員会」を開かないものとして定めたと解するのが相当である。

従つて会社側委員のみが出席する「委員会」の如きは前掲第六七条の期待しているような「委員会」でないことは論のないところであるが、以上の規定は、組合側委員が正当の理由なくしては欠席しないことを当然の前提として定められたと認めるのが普通であつて、会社が右就業規則等の条項を組合側委員がいかなる理由でもあれ、出席を拒否さえすれば「委員会」は開催されず、従つて会社は一切懲戒できないように自己に極めて不利な趣旨で定めたと認めるに足りる特段の事情の主張、立証のない本件では、右条項は、会社はなるべく組合側委員の出席する「委員会」の審議に基いて民主的に懲戒を行う建前で定められたとは解されるが、たとえ組合側委員全員が正当な理由なしに欠席するような例外の場合にもすべて懲戒ができない趣旨で定めたとまでは解釈することはできない。

かかる場合には、会社は右条項により(イ)懲戒が客観的な事実に基くよう事実の取調をすること、(ロ)右取調には組合側委員が出席しようと思えば出席できるよう取りはからうことが要請されていると解すべきであろう。

そこで、第五回「委員会」以降は、組合側委員の欠席した事情とその後の「委員会」の審議の状況を見ると疎明によれば、

1  会社は昭和三一年七月一九日組合に対し前認定の生産協議会の打切り、組合側委員が「委員会」に欠席した場合は、参加権を放棄したものとして審議する旨の通告をしたのち、同月二七日第三回、同月二九日第四回各「委員会」を開催し、六委員全員出席したが、組合側委員は生産協議会における「委員会」運営規程の審議が未了であるとして、審議について異議があり、会社が右規程に基いて審議する以上出席することができないとの意見を述べ、生産協議会の再開を求めたこと

2  会社は同月三〇日組合に対し右再開の意思のないこと、組合側委員が出席しない場合は参加権を放棄したものとして「委員会」を続行する旨の通知をし、同年八月一日第五回「委員会」以降は組合側委員欠席のまま各種証人を尋問し、事実の取調をしたこと

3  会社は、第六、七、八回および第一六回(最終回)の「委員会」の開催を事前に組合に通告し、第五回から第一〇回までの各委員会の審議した事項、その取調べた証人の氏名を組合に通告したこと

4  「委員会」は昭和三一年一一月二日会社に対し前記争議中申請人等外五名の闘争委員と一名の統制班長について就業規則の懲戒事由にふれる行為があつたから、同人等に懲戒処分をするのが相当と認める旨の報告をしたこと

が認められる。

そこで右組合側委員の欠席理由について考えて見ると、(イ)組合は会社が争議中組合員に違法行為ありと考え、その責任追及の意図を有することを了承して協定を締結し、しかも(ロ)前認定のとおり「委員会」運営規程の制定について別に違法の点もないのであるから組合側委員の前掲「委員会」欠席の理由には十分な根拠がないというほかはない。

他方会社が「委員会」を組合に対し秘密に開催したり、組合側委員の出席を拒否したり、または故意に出席できないようにした事情もないのであるから、前認定の諸事情の下においては、会社が組合側委員の欠席のまま「委員会」を開催し、事実の取調をし、これに基いて懲戒をしたからといつて、この懲戒が前掲就業規則第六七条の要求する趣旨に反して無効となるものとは考えられないところである。

従つて、本件解雇が「委員会」の審査に基いていないがため無効であるとの申請人等の主張は理由がない。

四  次に申請人等は「本件解雇は解雇理由が明確でなく、かつ、懲戒する必要がないのになされたもので専恣な懲戒権の行使であつて乱用である。」と主張する。

1  疎明によれば

(1) 昭和三二年三月三一日午前九時頃組合闘争本部において(イ)申請人根岸、林、石井闘争委員は和知、岡田および村石の各組合統制班長に「今日から会社の製品の出荷を阻止することに決定したから警戒して貰いたい。」と指示し、(ロ)申請人根岸はその際和知から物品持出の阻止の方法について質問されたが「会社が物品を持ち出そうとしたら出さないことにする。本社倉庫から取りに来ても渡さないのだ。」と説明したこと

(2) 同日午後一時一〇分頃本社倉庫課井原新(非組合員)が日本車輛および浜松航空自衛隊向けの製品を搬出するため、自動三輪車を誘導して品川工場正門から入ろうとしたところ、組合員より阻止されたので、同日午後二時一〇分頃本社細貝倉庫課長等非組合員六名が自動三輪車に乗り右製品を引き取りにいつたところ、再度組合員三〇名位が人垣を作り、車の前と荷物台を押さえてその入門を阻止したので、同課長は、その場に集つて来た清水庶務課長、申請人醍醐、同根岸、同宮城の組合三役、その他闘争委員と共に本社応接室において自動車入門の阻止について交渉していたところ、森工場長が来室し、細川課長に「会社が品物を出そうというのに組合が阻止するのは不当だ。話がわからなければ仕方がない。車を入れるように」と指示したので、同課長はその指示に従うためその場から立ち上り最早組合側の説得を聞く意思がないことが明白となつたところ、申請人根岸は「会社が車を入れるなら、実力で阻止する。」といつて組合事務所に走り拡声機で組合員全員正門前に集合するようにと放送し、そのため多数の組合員が車の周囲をとりまき、車を一、二米後方に引き戻し、同車の入門を不可能としたこと

(3) 同日組合事務所において申請人宮城、同根岸が日本車輛向けの螢光灯の出荷阻止について打合せをし、同日夕刻申請人宮城は和知統制班長に「日本車輛向け螢光灯が出荷されそうだが、この螢光灯がポイントだから二名あて動哨して貰いたい。」と指示し、更に申請人宮城は同日午後五時頃組合青年行動隊一五、六人と共に会社電気試験室において本社細川営業部次長外数名の営業担当の非組合員が発送準備中であつた日本車輛向けの螢光灯二〇個、同建物二階組立職場に完成していた白熱灯二四個を細川営業部次長の承諾を得ずに組合事務所に持ち去つたこと

(4) 申請人宮城は組合員と共に同時刻頃右二階組立職場に完成されていた浜松航空自衛隊向け進入角標示灯二台を組合事務所に持ち去つたこと

(5) 会社は右製品はすでに納期も過ぎ緊急に出荷する必要があつたので、同日午後七時より翌四月一日午前一時頃までと同月二日の団体交渉において右製品の返還を要求したが、組合側は製品持出は違法行為でないとし、会社が賃金引上要求に応ずるなら返還すると主張し、なお、組合は同月二日拡声機によつて製品の差押は違法でない旨の放送をしたこと

更に同日右両製品の注文主が申請人根岸に対し製品の引渡が遅れると非常な迷惑を受ける事情を説明し、その引渡を求めたが同申請人は何れもこれを拒否したこと

翌四月三日会社側が団体交渉の席上これまでの会社の案に一人平均二〇〇円の増額を発表したところ、申請人醍醐は「右案は組合が現在差し押えているものを解くための案か」と質問し、結局組合は会社が組合に押えられている品物の返還を求めるため増額の案を出したものと判断するとして同日夜右両製品を会社側に交付したこと

(6) 同月三日申請人宮城は和知統制班長に対し会社のガラス金型を夜運び出すようにといつていたが、和知統制班長が夜運ぶことはやめた方がよいといつたので、同申請人は翌日昼これを運ぶこととしたこと

同月四日午前九時頃組合闘争委員、統制委員等が会社硝子課長稲垣敏夫の制止をきかず、組合の命令だからといつて、自動車前照灯用硝子金型十二、三種(当日作業予定の金型を含む。)を工場より組合事務所へ運び去つたこと

同日中に申請人醍醐名義の右硝子金型の預り証が右課長に届けられたが、同課長は右預り証を申請人根岸に返還したこと

(7) その後会社不知の間に何人かにより約十三、四種の前同様の硝子金型が工場より持ち出されて争議終結まで組合事務所附近に放置されていたこと

(8) 同月四日午後二時頃本社生産部甲野主任(本社組合員)がC型天井灯五個口の内一個を工場より持ち出す途中和知統制班長等の組合員数名にとりかこまれ、組合の指令だからとして交付を要求され、持つていた製品に手をかけられたので、その硝子部分の破損をおそれているうちに組合員に右製品を持ち去られ、右製品は組合事務所に保管されたこと

が認められ、右認定に反する疎明は採用しない。

なお、右諸事情は「委員会」においても調査されかかる事情があつたものとされた。

2  右事実のうち物品持去りの事実については、前認定の事情から見て、各物品持去りの実行者が組合機関の意向とはなれて各別の意図で右行為を実行したとは到底認められず、争議手段を決定する組合機関である闘争委員会が右のような行為を行うことを決定し、その統一的意図に基いて行われたものと認めるのが相当であつて、右認定に反する疎明は採用できない。

そして申請人醍醐が直接右物品持去りの実行行為に関与したことは認められないが、同申請人は闘争委員長であり、前記のように持ち去られた物品はおおむね組合事務所に保管されていたのにかかわらず、会社からの返還要求を拒否した(ただし前記(6)の硝子金型のうち同月五日作業予定のものは、同月四日夕方会社からの取戻しの要求に応じて返還されている。)ことから見れば、同申請人も闘争委員会における会社の物品を持ち出し、組合において留置する争議手段をとる決定を支持し、かつ、これにそう行動をしたものと認めるのが相当である。

なお、申請人等が直接実行行為をしていない物品持去りも右認定の諸事情から見て申請人等の企図に基くものと認めるのが相当である。

3  会社の製品や器具をその意に反して持ち去り、又はその返還要求を拒否してこれを留置する如き争議行為は、到底正当な争議行為とは考えられず、従つてかかる行為を企図し又はこれを実行した申請人等の行為は就業規則第六六条第四号に定める解雇の事由である「不正に会社の物品を持ち出し又は持ち出そうとしたとき」に該当するものというべきである。

なお前認定(2)の申請人根岸の行動は、最早組合側の説得を聞く意思のない非組合員である会社の課長等がその業務を遂行しようとするのを知りながら、これを実力で阻止するため全組合員を集合させ、そのため右課長等が入門させようとする自動車を一、二米後方に押しもどす結果が生じたのであるから、かかる結果は同申請人の企図するところと認めるのが相当であつて、かかる同申請人の行為は就業規則第六五条第三号に定める解雇事由である「正常な業務を妨害したとき」に該当する。

4  疎明によれば、会社は昭和三一年一一月一二日内容証明郵便で申請人等に対しその解雇理由を違法な争議行為の計画、実行、会社業務の妨害等に要約して告知していることが認められるから(なお、別に口頭で告知している疎明はあるが、その告知の内容については疎明がない。)、右の要約は前記1、2、3、の諸事情を含むものと考えられ、この程度の解雇理由の表示は、やや漠然たる憾みはあるが、解雇を無効ならしめる事情とは考えられない。

そして、申請人等に前記の就業規則に定める解雇事由に該当する事実があり、かつ、その行為の程度から見て解雇をすることが不相当とも認められないし、更に争議終結の際の会社、組合間の協定書にも組合の争議行為に行過ぎのあつたことを前提として、違法な争議行為に対する責任を追及する条項の存する点から見ても、申請人等に対する解雇を、懲戒をする必要もないのになされた専恣な懲戒権の行使として乱用であるとは認められないところである。

五  次に申請人等は、「会社は申請人等が組合の中心として団体交渉に、罷業に活溌に組合活動を推進したため、会社はこれを嫌悪し、争議中第二組合が結成され、組合が弱体化するや、主たる組合活動家である申請人等を企業外へ排除し組合を壊滅させようとして本件解雇をしたものであるから、本件解雇は不当労働行為として無効である。」と主張する。

この点について、昭和三一年五月二日小糸製作所品川労働組合が結成されたことの疎明はある。

しかし、前認定の本件解雇の経緯、申請人等には解雇に相当する事実があつたことから見て、会社が本件解雇を決定した理由は申請人等の前認定の違法な行為にあると認めるのが相当であつて、組合の壊減をはかるため、ないしは申請人等の正当な組合活動を嫌つて、ことさらに申請人等を解雇したものと認めるに足りる疎明はない。

この点について、申請人宮城の陳述書には、組合と小糸製作所品川労働組合との差別待遇が記載してあるが、その大部分は本件解雇後のことであり、しかもかかる会社側の措置が全部組合に対する悪意によつてなされたかどうかも明白でない。しかし何れにせよかかる事情は、前記解雇の経緯と申請人等に違法な行為があつた事実と対比して見れば、解雇との関係が薄く、かつ遠いので、かかる事情が本件解雇の決定的理由となつたとまでは認めることができないところである。

六  以上のとおり申請人等に対する解雇は無効であつて、申請人等と会社との間になお雇用関係が存するとの申請人等の主張はすべて理由がない。

第五結論

申請人等の本件仮処分申請は、いずれもその本案の権利の疎明がないというべきであつて、申請の如き仮処分をするのを相当と認め難いから、本件申請はいずれも却下し、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田政道)

(別紙)

経歴書

醍醐利郎

職歴

一、昭和二十八年二月十一日  入社(臨時工)工作課金型職場配属

一、同三月          同課施設職場へ配置換

一、同二十九年四月      本採用現在に至る。

組合歴

一、昭和二十九年五月     執行委員(臨時改選)

一、同三十年七月       副執行委員長(〃)

一、同三十一年一月      執行委員長

一、同五月          執行委員(臨時改選)現在に至る。

経歴書

根岸敏文

職歴

一、昭和二十三年三月二十八日 入社硝子課金型職場配属 現在に至る。

組合歴

一、昭和二十六年六月     執行委員(臨時改選)

一、同二十七年四月      書記長

一、同二十八年四月      右同

一、同二十九年四月      執行委員長

一、同三十年一月       右同

一、同三十一年一月      書記長

一、同三十一年五月      右辞任(臨時改選)

経歴書

宮城秀夫

職歴

一、昭和二十一年五月十八日  入社工作課板金職場配属現在に至る。

組合歴

一、同二十八年十一月     執行委員(臨時改選)

一、同二十九年四月      書記長

一、同三十年一月       右同

一、同三十一年一月      副執行委員長

一、同五月          執行委員(臨時改選)現在に至る。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例