東京地方裁判所 昭和31年(ワ)3905号 判決 1960年6月10日
原告 金木保啓 外二名
被告 川端義平 外一名
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
(双方の申立)
原告らは、「被告川端は、訴外中野綾子に対し、同被告が現在耕作している東京都世田谷区世田谷四丁目七一七番畑一反一畝一歩外畦畔二四歩につきこれが離作を承諾せよ。被告国は、右中野綾子に対し、右の畑につき、同人より金八四七円及びこれに対する昭和二二年一二月二日より本件判決確定に至るまで年五分の割合による金員を受領すると引換に所有権移転の登記手続をせよ。訴訟費は被告らの負担とする」との判決を求め、被告らは、主文と同旨の判決を求めた。
(原告らの主張)
一、原告ら申立に記載の畑(以下「本件農地」という)は、もと訴外茂原市三郎の所有するところであつた。
二、しかるところ、被告国は、昭和二二年一二月二日自作農創設特別措置法(以下「自創法」と略す)三条に基き右農地を対価八四七円にて買収し、昭和二五年三月三一日その旨の登記を了したうえ、同年四月一日同農地の管理者である農林大臣は自創法四六条に基く国有農地等の一時貸付規則により同農地を被告川端に期間一年の約で貸し付け、以来これが更新を続けて現在も被告川端が右農地を耕作している。
三、ところが、本件農地を含む附近一帯の土地は、本件農地が右の如く農林大臣によつて管理されている間である昭和二七、八年頃に至り、漸次宅地化されて農地に適せざるに至り、いわゆる「自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的」に供しないことが相当と認められる状況に立ち到つた。
そこで、このような場合には、被告国(形式的には農林大臣)は、農地法八〇条(なお同法施行法五条一項参照)により、本件農地を自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認めてこれをその買収前の所有者(以下「旧地主」という)に売り払うべき義務を負うものであり、殊に本件においては、被告国(農林大臣)は、昭和二八年六月頃右の旨を認定したうえ、同年七月三日、東京農地事務局長を通じ東京都世田谷区東部地区農業委員会をして、本件農地の旧地主たる前記茂原市三郎に対し、これが売払を希望するときはその旨を申し出ずべきことを通知しているのであるから、被告国が右茂原に対し本件農地を売り払うべき義務を有することはまことにあきらかであるといわなければならず、すなわちこれを逆にいえば、右茂原は国に対しこれが売払を求め得る権利を有するものというべきである。
しかして、右の売払は、農地法八〇条二項により当該農地の買収対価額の支払をもつてすべく、したがつて、右茂原は国に対し右対価額及びこれについての買収時以後の利息の支払と引換に、本件農地の所有権移転の登記手続を請求し得べき筋合のものである。また、右売払の性質からいつて、国は旧地主に対し当該農地を原状に復して返還(売払)すべき義務を負うものと解されるから、これを他面からいえば、旧地主の有する売払請求権の効力中には、単に国に対する売払そのものの請求の外、当該農地の現在の占有者に対し直接これが妨害の排除(たとえば離作の承諾)をなすべきことを求め得る権能も亦含むものと解されるのであり、仮に右が理由がなくても、国の旧地主に対する原状にて返還すべき前述義務からみて、国が当該農地の現在の耕作者に対しこれが離作を承諾せしめるべき権利を有することは明らかであるから、国が右売払に当りその権利を行使しないときは、旧地主は、その売払請求権(本件においては所有権移転登記手続請求権の形をとつている)を保全するため、国に代位して右耕作者に対し離作の承諾を求め得るものと解するのが相当である。
四、その後、右茂原市三郎は昭和三〇年七月二五日死亡し、同日訴外茂原一太郎、同英雄、同三郎、森山愛及び中野綾子の五名がこれを相続したが、市三郎が本件農地に関し有していた上記権利は、これらの者の昭和三一年一一月五日における協議の結果右中野綾子がこれを承継することとなつた。
被告らは、この点に関し、仮に右市三郎が国に対し前記売払請求権を有していたとしても同権利は相続人に承継されないというが、第一に右権利は市三郎に専属するいわゆる一身専属権ではないし、また、国が売払義務を負う相手方から旧地主の相続人を外している農地法施行令一八条一号の規定は、相続人が多数ある場合に適用される規定であつて、本件のように結局旧地主の地位を承継する者が中野綾子一名にしぼられたような場合には適用のないものであるから、被告らの主張は理由がない。
そして、右中野綾子は、国に対し、前記農業委員会からの通知に基き、昭和三二年一月二四日到達をもつて本件農地の売払の申込をしたから、被告国の売払義務(本訴の場合所有権移転登記手続をなすべき義務)被告川端の離作承諾義務はなお一層明らかになつたものというべきである。
五、原告らは、上記茂原市三郎に対し、かねて本件農地の売払交渉に関して立替金二五万円の返還債権を有しており、また、右両者の間において、昭和三〇年五月一九日、将来本件農地が売り払われたときには、茂原は直ちにこれを処分し、その換価金中より原告らに対し、右金二五万円及び将来生ずべき費用を差し引いた残額の四分の三を支払う旨の合意が成立している。そして、茂原の右債務も亦前記中野綾子に承継されている。
六、しかるに、右中野綾子は、国に対し前述のように本件農地売払の申込をしたのみで、それ以上の権利行使をしない。かくては、原告らの右債権も危殆に瀕するので、原告らは、その債権を保全するため、債務者たる中野綾子が被告らに対して有する上述の権利を代位行使し、被告川端に対して離作の承諾を求めるとともに、被告国に対し、買収対価及びこれに対する買収時以後本件判決確定に至るまで民事法定利率による利息の支払と引換に本件農地について所有権移転登記手続をなすべきことを求めるものである。
(被告らの答弁)
一、原告ら主張一の事実は認める。
二、同二の事実も認める。
三、同三は争う。被告らが茂原市三郎に対して本件農地の売払または離作承諾の義務を負うことはない。
被告国(農林大臣)がその管理する買取農地を旧地主に売り払うには、第一に当該農地が農地法施行令一六条四号にいう「公用、公共用又は国民生活の安定上必要な施設の用に供する緊急の必要があり且つその用に供されることが確実な土地………」に該当するに至つたことが必要であり、第二に右農地につき農林大臣が農地法八〇条一項にいう「自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認めた」こと、すなわちそのような認定のあつたことが必要である。しかるに本件の場合、その農地は未だ右第一の要件を充たさず、したがつて亦当然右第二の認定も存しない。しかも、右認定はいわゆる自由裁量行為であるのみならず、右認定による農地法八〇条の売払は、行政庁たる農林大臣がその公権力に基き厳格な法的規整の下に優越的地位にたつて行う行政処分であつて、私人たる旧地主がこれのなされること(本訴所有権移転登記手続の請求は右売払のなされることを前提とする)を訴求し得る権利はないし、また、仮に右売払が行政処分でないとしても、農林大臣のなす前記認定及びこれが通知は、行政庁内部の意思決定及びその通知にすぎず、したがつて、これだけでは未だ旧地主に対し当該買収農地について国に対する売払請求権等なんらかの権利を取得せしめるものではない(只、右通知を受けて売払の申込をすれば、売払を受けられるかも知れないとの事実上の期待を与えるにすぎない)。以上のような訳であるから、本件について、右茂原市三郎は、国に対し(たとえ売払対価を支払うにしても)本件農地の所有権移転の登記手続を求めることはできないし、また、以上述べたところより明らかなように、本件農地の耕作者たる川端義平は、右茂原はもとより国に対しても離作を承諾すべき義務を負ういわれがない。
四、同四の事実中、茂原市三郎の死亡(但し、その日は昭和三〇年七月二〇日である)及び原告ら主張五名の者の相続の事実は認めるが、その余は争う。仮に、茂原市三郎が国に対し本件農地の売払請求権を有しており、また、その相続人間において右の権利の承継者を中野綾子と定めたとしても、法律上中野綾子は右請求権を取得することはない。すなわち、先ず、本件農地の如き買収農地の所有権は買収によつて国に帰属して相続の対象となることがないし、また、買収後右農地が売り払われる場合には、旧地主にして生存する限り当該買収によつて多大の精神的物質的不利益を蒙つたその旧地主に売り払うべきことは考えられても、そうでない旧地主の相続人に対して必ず売り払わなければならぬものではなく、したがつて右旧地主の売払請求権は一身専属的というべく、相続の対象とならない。また、仮に右権利が一身専属的でないとしても、右のような事情及び現在の相続が共同相続制度であること等にかんがみ、農地法八〇条二項はその義務的売払の相手方を「その買収前の所有者」とのみ定めて相続人を加えていないし、(なお土地収用法一〇六条参照)、更に、同法施行令一八条一号は旧地主死亡の場合その相続人に売り払う義務のないことを明記しているから、以上いずれの意味においても中野綾子が売払請求権等を取得することはない。
五、同五の事実は知らない。仮に原告ら主張どおり茂原市三郎、したがつて中野綾子が原告らに対し金二五万円の返還債務及び原告ら主張のような合意に基く条件附金銭支払債務を負つていたとしても、右中野綾子に対して本件農地が売り払われることは不能なことというべきであるから、原告らの右金二五万円の債権はその代位行使すべき対象たる権利が存しないに等しく、また、右条件附債権はそもそも条件の不能化によりその効力を失つて消滅したものとみるべきである。
六、同六は争う。
(証拠)
原告らは、甲第一号証の一、二、第二ないし第五号証、第六、七号証の各一、二、第八ないし第一一号証を提出し、「甲第二号証は、東京都世田谷区役所建築課員が作成した公図の写である」と述べ、証人苅部一春、中野綾子の各証言及び原告吉川武博本人尋問の結果を援用し、被告らは、証人岩浪道輔の証言及び被告川端義平本人尋問の結果を援用し、甲第二、第五号証の成立は各知らない、その余の甲号各証の成立を認めると述べ当事者双方において、証人苅部剣治、横溝信勝の各証言を援用した。
理由
一、原告ら主張一及び二の事実(本件農地はもと茂原市三郎の所有するところであつたが、被告国がこれを買収し被告川端に一時貸し付けている事実)は、当事者間に争がない。
二、原告らは、本件農地は農地法八〇条により旧地主(またはその地位を承継した相続人)に売り払わるべきものであると主張し、被告らはこれを争うので、先ずこの点について判断する。
この点については、事実の認定に入る前に、農地法八〇条の解釈を明らかにしておくべきであろう。凡そ、私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができることは、憲法二九条の定めるところであるが、国家が公共のため私人の財産を収用した後(農地買収もその一つである)、その財産が未だ国家の手中にあるうちにそれについての当初の公共的性格が失われるに至つた場合、当該財産の処理を如何にすべきかは一つの困難且つ重要な問題であろう。しかし、ことを自創法ないしは農地法によつて買収された農地に限つた場合、この農地がその後農林大臣によつて管理されている間にその農地適格を失うに至つたような場合には、当該農地は最早その買収目的に仕えるという公共的性格を失うに至つたのであるから、かかる場合には、右憲法二九条の精神にのつとり、当該農地は速やかにその旧地主に返還されるのを原則とすべきであると考える。尤も、右農地がその農地適格を失つたか否かは、多分に行政的(合目的的)・技術的判断を要する事項であるから、この点についてはある程度行政庁の判断にゆだねるのが相当であるが、他面行政庁がその判断に達したとき或いはその判断に達すべきときは、以後旧地主の権利を可及的に保護すべきものである。そこで、
これらの見地から農地法八〇条の規定をみるに、同規定は、買収農地の農地適格喪失の有無については、「自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認め」得る場合という枠の中でこれが判断の基準を政令に任せており、これを受けて農地法施行令一六条の規定(買収農地については、同条四号の規定)が存するので、この点についての判断は右一六条四号によるべきであるが、当該農地にして右の要件を充足する限り農林大臣はこれを自作農の創設等の目的に供しないことを相当と認める認定処分をなすべきであり(したがつて、それは同条に右認定をすることができるとあつても事の性質上自由裁量行為と解することはできない)、しかして同処分の旧地主への通知(農地法施行令一七条)により、同処分は成立するとともに、旧地主は国に対し右土地の売払を現実に求め得るにいたるものというべきである。この場合旧地主の権利か形成権としての買受権というべきであるかどうかはしばらく別として、旧地主からこの売払の求めがあれば、その手続さえ適法である限り国は右の者に当該農地を売り払わなければならないものと解するのが相当である。したがつて、以上を要約すれば、国が旧地主に対しその買収農地の売払をなすべき具体的義務を負うのは、当該農地が客観的に右施行令一六条四号に該当するに至り、農林大臣が上記認定をしてその通知をし、これに対し旧地主から売払の申込があつた場合にしかるのである。
三、そこで、以上に基いて本件の事実関係をみるに、成立に争のない甲第三、第一〇、第一一号証並びに証人中野綾子、同苅部一春の各証言及び原告吉川、被告川端の各本人尋問の結果によれば、本件農地の周辺は現在殆んど宅地化し、本件農地とともに買収され同じく農林大臣によつて管理されていた近隣の土地も、あるものはすでに農地法八〇条によつて売り払われ、あるものは現に同条売払の前提となるいわゆる転用貸付の対象となつていること、本件農地についても昭和二八年七月三日付で東京都世田谷区東部地区農業委員会長から茂原市三郎に対し「国有農地の払下について」と題し、本件農地の払下をすることになつたから希望があれば現耕作者の承諾書等添附のうえ至急右委員会まで申し込むよう農地事務局長の指図により通知する旨の通知書(甲第三号証)が送達され、また、その頃東京都が本件農地を都営住宅建設の敷地として入手することを欲していたことなどが認められる。しかし、証人苅部剱治、同横溝信勝、同岩浪道輔の各証言及び被告川端本人尋問の結果によると、本件農地は被告川端が昭和九年頃から耕作してきたものであるところ、上記のように昭和二二年いわゆる不在地主の小作地として買収されたが、同農地は自創法施行規則七条の二の三により売渡保留地の指定を受け、以来農林大臣の管理の下に被告川端に対して同人の耕作に供するための一時貸付が行われてきた。ところで、農林大臣がその管理する買収農地について右法八〇条の売払をする場合の実務上の取扱は、農林大臣から各農地事務局長に右事務を委任し、同局長は、先ず同農地を農地法施行規則四六条により転用目的の一時貸付の状態に置き、その後同農地が上記施行令一六条四号の状況になつたと認めたときは、農林大臣宛に法八〇条一項の認定方を進達し、農林大臣が認定(尤も、この認定も現在は事実上右局長が行つている)のうえ、同局長から旧地主に通知し(上記施行令一七条)、これに対する売払の申込をまつて事案を処理している(農地法施行規則五〇条)。ところが、本件農地については、未だ右転用目的のための一時貸付は行われたことがなく(被告川端に対する貸付は、前述のようにこの貸付ではない)、本件農地は上記施行令第一六条四号の状況に立ち到つていないし、したがつて亦当然法八〇条一項の認定もその通知もなく、前記の甲第三号証の通知書は、その記載の表現方法に多少正確を欠くきらいはあるが、要するに当該農業委員会がいわゆる売渡保留地となつていた本件農地及びその近隣の農地について右転用目的のための一時貸付をするか否かを判断する資料を提出させるために発した書面にすぎないことなどの事実が認められ、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。
四、右の事実によれば、本件農地はすでに客観的に施行令一六条四号該当の状況に達したかどうかはまだ必ずしも明白でなく、また現に農林大臣の法八〇条一項の認定及びその通知もないから、旧址主たる茂原市三郎またはその承継人からの売払申込の有無にかかわらず、被告国は、まだ右茂原市三郎またはその承継人に対しこれが売払をなすべき義務、したがつて本件農地の所有権移転登記手続をなすべき義務を負わないものといわなければならない。すでに法第八〇条第一項の認定をなすべき状況に達しながら、国(農林大臣)があえてその認定をしない場合の救済は別個に考えるべきものである。従つて現在の段階において現在の耕作者である被告川端が右茂原等または被告国に対し離作の承諾をなすべき義務を有しないことも自ら明らかである。
そこで、爾余の争点に関する判断をするまでもなく、原告らの請求はその前提を欠いて理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用は敗訴した原告らの負担として主文のとおり判決する。
(裁判官 浅沼武 菅野啓蔵 小谷卓男)