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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)9504号 判決 1958年11月20日

原告 山田鋭輝こと宗鋭輝

被告 秋山芳雄こと催童

主文

被告は原告に対し、金二十万円及びこれに対する昭和三十一年十二月七日以降年五分の割合による金員を支払うこと。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告その余を被告の負担とする。

本判決は原告において金五万円の保証を供するときは原告勝訴の部分に限り仮に執行できる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金百万円及びこれに対する昭和三十一年十二月七日以降完済まで年五分の割合による金員を支払うこと。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

「原告は昭和二十三年三月二日親権者宋又永の長男として生れた者であり、被告は肩書地において廃品回収業及び古物商を営んでいるものである。

原告は昭和二十八年十二月四日午後零時四十分頃、東京都品川区西中延一丁目百四十六番地所在の被告の自宅入口附近において他の子供と遊んでいた際、被告が同所に保管していた硫酸入りの甕が倒れ硫酸が流れ出したため、原告はこれを浴びて全身に火傷を負い、種々治療を受けたが、遂に右足関節部位骨発育不良の畸形となり、高度の運動障碍を来し、治癒の見込がなくなつた。

凡そ古物商として業務上、硫酸のような危険物を取扱い所持する場合には法規に従い関係官庁にその旨を届出るとともにこれを安全な場所に保管しておき、要すれば容器の破損を防ぐためこれを籠に入れる等の、万全の危険防止措置を講ずべき業務上の注意義務があるのに、被告はこれを怠り、硫酸約一斗を転倒し壊れやすい甕に入れ、これを人の出入が激しく子供の遊び場にもなつている前記自宅入口附近に放置したため、原告が誤つてこれに突当り、甕が倒れて流出した硫酸を浴びて前記の傷害を蒙つたものである。従つて右の事故は全く被告の危険物保管上の注意義務違反にもとずくものである。

なお、原告は右傷害の治療費として二十万円を支出した。又原告は右傷害により右足関節部及び右手小指部分に高度の運動障碍を来し治療は不可能である。原告が五十才まで生存するものとすると、その労働可能な年数は二十才から五十才までの三十年間である。そして普通人であれば平均月額一万五千円の収入を上げられるが、原告は右運動障碍のため、その二割減の一万二千円の月収しか得られない。その差額月三千円は、原告が本件事故により失つた将来の得べかりし利益であるからホフマン式計算法によりその現在価値を求めると、五十一万七千六百五十九円になるから右の内金五十万円を請求する。更に原告は右傷害により多大の精神的苦痛を蒙つたから、その慰藉料として三十万円を請求する。そこで原告は被告に対し右の合計金百万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三十一年十二月七日以降法定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだ。」

と述べ、立証として、甲第一乃至第三号証を提出し、証人横山知爾、同松岡秀光こと殷煕州、同栗田寅千代の証言、検証及び原告親権者並に原告本人尋問の結果を援用した。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として

「原告が昭和二十三年三月二日親権者宋又永の長男として生れた者であること、被告が肩書地において廃品回収業及び古物商を営むこと及び原告主張の日時に原告が硫酸により負傷したことは認めるが、その余の主張事実は争う。

原告の主張にかかる硫酸入の甕は、被告が訴外殷熙州に賃貸中の工場の窓下に置いてあつたものである。右甕はもと右工場の建物内にあつたものを殷熙州がこれを前記の場所に移動したもので被告が右窓下に置いたものではない。なお右の場所は出入口の附近ではあるが、その通路は幅二間もあり、甕は一尺二、三寸幅のものであるから、これを窓下に置いても、全く危険はない。又この場所は子供の遊び場ではない。

右甕は高さ二尺幅一尺二寸の円筒形で、置いた場所も平坦で、安定しており、少しくらい触れても倒れる危険はなかつた。ところが原告は自ら悪戯をしてこれを倒して割り、硫酸を浴びたのであるから、被告には全く責任がない。

原告の負傷は右足首だけであつて全身ではない。又その後昭和二十九年十月小学校の運動会の競走で二着になつたほどで、現在では運動障碍は殆どない。又原告は医療費二十万円を支出したと主張しているが、医療扶助を受けていたのであるから、右の主張は全く虚偽である。

原告の親権者宋又永は本件事故の起る約一週間前に、原告をともない、被告の承諾なく前記建物内に入り込みこれを不法占有していたものである。しかも本件事故により被告の子も負傷したのであるが、被告は宋又永の貧窮に同情し、被告の子と一緒に原告も治療を受けさせ、その治療費千円を支払つた上見舞として金五千円を贈与し、そのほか子供の下着類も与えたのに、原告はその厚意を解せず、本訴に及んだものである。右のような事情であるから原告の本訴請求は全部失当である。」

と述べ、立証として、証人松岡秀光こと殷熙州、同催大信の証言及び被告本人尋問の結果を援用し、甲第一、三号証の成立は不知、同第二号証の成立は認めると述べた。

当裁判所は、職権で原告親権者本人を尋問した。(第二回)

理由

原告が昭和二十三年三月二日、親権者宋又永の長男として生れた者であること、被告が肩書地において廃品回収業及び古物商を営んでいること、及び原告がその主張の日時場所において、硫酸により負傷したことは当事者間に争いがない。そして、証人殷熙州、同催大信の証言、並びに原告親権者、原告、被告各本人尋問の結果及び検証の結果を綜合すると次の事実が認められる。

(一)  本件事故の起つた場所は、東京都品川区西中延一丁目一四六番地所在の被告の住居から数間離れた場所にある被告所有の倉庫北側の通路(被告方前の空地から表通りに通ずる。幅約三、二五米)上である。右倉庫の内表通り(西側)に面する約半分は事務所になつていて他の半分は工場になつている。右工場部分の西北隅には右通路に面して幅約〇、六米のガラス戸の出入口(以下単に入口と言う)がある。

(二)  本件事故発生当時、被告は右倉庫を訴外殷煕州に賃貸し、殷はここで電球製造業を営んでいた。被告が殷に右倉庫を貸す際に、右工場部分には、硫酸及び硝酸の入つた陶製の甕一個(直径約一尺五寸、高さ約一尺の円筒形で被包なく、いずれも被告が営業上販売の目的で貯蔵するもの。)が置いてあつた。ところが被告は自らこれを始末せず、殷に対して、「硫酸と硝酸が入つているが適当な所に片ずけて置いてくれ。」と頼んだ。殷はこれをそのまま工場内に置いたが、昭和二十八年十一月末(本件事故の起る約十日前)内部の改造をする際に邪魔になつたので、硝酸入の甕は前記事務所部分に移動したが、硫酸入の甕は、適当な置き場所がなかつたため、前記工場部分の入口の向つて左(西)傍の板壁に殆ど接着した場所(前記通路上)に出して置いた。

(三)  当時、原告の父宋又永は、住居もなく困窮していたので、殷を訪ねて就職方を懇願したところ、殷は同国人の誼みでこれを承諾し、宋に一時右工場部分に住み込んで電球製造工として働くことを許した。そこで宋は、本件事故の約一週間前に息子である原告を伴つて右工場部分に住み込んだ。被告はこれを知つて、殷に対して、被告に無断で宋を住み込ませたことを一応抗議したが、間もなく出るというので、そのままにしておいた。

(四)  そのうちに、原告(当時六歳)は、被告の子催大信(当時五歳)と友達になり、昭和二十八年十二月四日午後零時四十分頃被告方で所謂めんこ遊びをしているうち、大信と喧嘩をして、前記工場内の父の許に逃げ帰ろうとして走り出し、大信はこれを追いかけた。そして原告は前記入口から工場内に逃げこもうとしたところ、入口の傍にあつた前記硫酸入りの甕に突き当り、甕が割れて硫酸が流れ出し、手足等にこれを浴びて火傷を負つた。(その際追いかけて来た大信も負傷した。)

そこで、右に認定した事実により、本件事故が被告の過失にもとずくか否かを考えるに、硝酸は毒物及び劇物取締法の別表第二(五十二)記載の劇物であるから、登録を受けた毒物劇物販売業者でなければ、販売し授与し又は販売の目的で貯蔵し運搬し、若しくは陳列してはならないものであり(同法第三条第三項)、又販売業者がこれを貯蔵し、運搬し、又は陳列する場合には、堅固な容器又は被包を用い、かぎをかけさくを施す等毒物又は劇物が盗難にあい、紛失し、飛散し漏れ流れ又はしみ出ることを防ぐのに必要な方法を取り(同法第十一条第一項)、且つ同法第十二条所定の表示をしなければならない。被告が劇物販売業者の登録を受けたか否かは、これを認むべき証拠がないが、古物商としての営業上販売の目的で前記硫酸を貯蔵していたことは被告本人尋問の結果により明かであるから、右のような安全保管の注意義務を負うべきことは当然である。そして被告が前記倉庫を殷に貸す際に、「硫酸であるが適当な所に片ずけて置いてくれ。」と言つただけで右に述べたような保管方法も講ぜずに預けたのは、明かに右注意義務に違反するものである。もつとも硫酸入りの甕を工場内から出して入口の傍に置いたのでは殷であつて被告ではない。そして殷は内容が硫酸であることを知りながら、これを人の出入する入口の傍に置いたのであるから、劇物に対する通常人の注意義務に違反し、この点において殷にも過失の責任があると言わねばならぬ。然しそうだからと言つて、本来の保管義務者である被告の責任に消長を来すものではない。被告が若し本来自らなすべき前記安全保管の義務を尽していれば本件のような事故が起らなかつたことは明らかなのであるから、かかる場合には、被告と殷の両名の過失の競合と認めるべきである。

そして証人横山知爾の証言及びこれにより成立を認められる甲第一号証によれば、原告の受傷の程度は、右足関節部火傷、後瘢痕形成、当該部位骨発育不良で畸形を形成し、高度の運動障碍を残し、通常人の歩行能力の約三分の一程度の歩行能力の減退を来し、今後治療の可能性がないことが認められる。

そこで次に損害額について考えるに、原告は医療費として二十万円を支出したと主張しているが、証人横山知爾の証言によると原告は生活保護法による医療扶助を受けていたものと認められ、他に原告又は原告の親権者が自ら医療費を支出したものと認むべき証拠はない。次に原告は歩行能力の減退による将来の収入減を予想しこれを将来得べかりし利益の喪失として、その賠償金五十万円を求めているのであるが、原告は、現在小学生であり、自己の収入はなく、将来どのような職業に就くかは全く不明である。そして歩行能力の障碍によつて収入に影響を受けないような職業も多数有るのであるから、原告の収入が果してこれにより減少するか否かは現在のところ、不確定の事実である。もつとも、原告が右畸形のため、将来就職その他に困難を来し苦痛を感ずるであろうことは予想されるのであるが、それは慰藉料の問題として考えるべきことであつて、これを将来得べかりし利益の喪失として算定することはできない。従つてかかる場合には、将来の得べかりし利益の賠償を求めることはできないものと解すべきである。

次に慰藉料について考えるに、原告親権者、被告各本人尋問の結果及び検証の結果を綜合すると、原告の親権者は電球製造工員で、収入は月収約二万五千円で資産なく、原告はその一人息子で現在小学生であり、被告は肩書地に前記倉庫を所有し、相当手広く古物商を営んでいること及び被告が原告の最初の治療費千円を支払い、見舞として金五千円及び衣類若干を贈与したことが認められる。そして前記受傷及び畸形の程度から考えて、原告が現在及び将来にわたり、相当深刻な精神的、肉体的苦痛を感ずることは明らかであるから、これらの事情及び被告の過失の程度を勘案し、慰藉料の額は二十万円が相当であると認める。

よつて原告の本訴請求は右の金二十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三十一年十二月七日以降法定の年五分の割合により遅延損害金を求める範囲において正当であるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第九十二条を仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺均)

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