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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)9965号 判決 1960年10月14日

原告(反訴被告) 小野耕一

被告(反訴原告) 伊藤雅夫 外一名

主文

原告の本訴請求はこれを棄却する。

反訴被告は反訴原告らに対し金四〇万円に対する昭和三一年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。

訴訟費用は本訴及び反訴を通じ全部原告(反訴被告)の負担とする。

本件につきさきに当裁判所がした強制執行停止決定はこれを取り消す。

この判決は第一項を除き仮りに執行することができる。

事実

(当事者双方の申立)

原告(反訴被告)訴訟代理人は本訴につき被告から原告に対する東京地方裁判所昭和三〇年(ワ)第七三七六号木材撤去土地明渡請求事件和解調書の執行力ある正本にもとずく強制執行はこれを許さない、訴訟費用は被告らの負担とするとの判決を求め、反訴につき反訴請求棄却の判決を求めた。

被告(反訴原告)ら訴訟代理人は本訴につき原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、反訴につき、反訴被告は反訴原告らに対し金四〇万円に対する昭和三一年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし、反訴費用は反訴被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求める。

(当事者双方の主張)

原告(反訴被告、以下単に原告という)訴訟代理人は請求原因並びに被告(反訴原告、以下単に被告という)らの主張及び反訴請求原因に対する答弁及び主張として次のとおり述べた。

一、原告は被告両名に対し東京地方裁判所昭和三〇年(ワ)第七三七六号木材撤去土地明渡請求事件について昭和三一年四月二一日なされた裁判上の和解により昭和三一年一二月一九日かぎり金四〇万円を支払うべき債務を負担し、右和解調書の執行力ある正本が債務名義として存する。

二、一方原告は被告らに対し昭和三一年一月末日現在次のように金四一万一、九四一円一七銭の反対債権を有する。すなわち

(一)  原告はその所有にかかる(イ)東京都江東区深川平井町二丁目五番地の一〇宅地二二三五坪四合三勺のうち一五〇二坪七合(木堀以下(イ)の土地という)を昭和一九年五月一日被告らの先代伊藤皆三郎、訴外友田芳太郎、大橋鎮子の三名に対し材木貯蔵の目的で期間は一カ年、賃料は一カ月金二一〇円三八銭毎月二五日限り翌月分支払のこと、賃料を一回でも怠れば催告を要せず解除し得べく、賃貸借終了後は明渡まで賃料の二倍の損害金を支払う約で賃貸し、(ロ)また同所同番地のうち宅地五五七坪七合二勺(以下(ロ)の土地という)、並びに(ハ)同町二丁目四番地の一及び四宅地合計一九六坪六合九勺(以下(ハ)の土地という)を昭和九年四月一日訴外福田合名会社、友田芳太郎、大橋鎮子に対し普通建物所有の目的で期間を二〇カ年とし賃料は一カ月坪二六銭五厘その他は(イ)の土地と同じ条件で賃貸した。

(二)  その後(イ)の土地については毎年期間を更新し、右(イ)(ロ)(ハ)の土地とも昭和二二年ごろまでに当事者合意の上他の賃借人は脱退し、被告ら先代皆三郎一人が賃借人となり、賃料は順次改訂され、右皆三郎は昭和二七年五月死亡し、被告ら両名において相続によりその権利義務一切を承継した。

(三)  しかるところ被告ら先代及び被告らは右土地の賃料について昭和二二年春ごろから延滞を重ね昭和二九年七月までに(イ)の土地につき一回金一万四、四七三円七六銭を支払つたのみでその余の四五万九、二六〇円三八銭を延滞し(ロ)の土地につき二回に計金七万円を支払つたのみでその余の一五万九、二四九円五四銭を延滞し、(ハ)の土地につき二回に計金五万二、六五〇円を支払つたのみでその余の七万九、八二六円二六銭を延滞し(以上の詳細は別表のとおり)、その延滞の合計は金六九万八、三三六円一六銭となつた。

(四)  そこで原告は昭和二九年七月二〇日ごろ被告らに対し右金六九万円余を同月末日かぎり支払うべく、もし右期間内に支払わなければ賃貸借契約を解除する旨催告並びに条件付契約解除の意思表示をしたが、その支払がなかつたから右契約は解除となつた。

(五)  これより先、原告は昭和二三年三月下旬被告ら先代皆三郎から金一四万円を預つた(これは右(イ)(ロ)の土地を含む土地をそのころ皆三郎に売渡す契約をし、その手附として受領したが、残金の支払がないため昭和二五年四月はじめ右残金を一カ月以内に支払うべく、もしその支払がないときはこれを条件として右売買契約を解除する旨催告並びに契約解除の意思表示をしたが、その支払がなく、契約は解除となつたところ、右金一四万円は皆三郎の希望に預つていたものである)。原告は被告両名を相手方として本件(イ)(ロ)(ハ)の土地についての賃料及び損害金の請求訴訟を提起し、右は東京地方裁判所昭和三〇年(ワ)第八、一四六号事件として係属したが、原告は右の訴状において昭和三〇年一二月七日右金一四万円と前記土地の賃料とを対当額において相殺した結果按分により(イ)の分に付金九万二、〇三五円七〇銭、(ロ)の分には金三万一、九六七円一七銭、(ハ)につき金一万五、九九七円一三銭を充当したので残りはそれぞれ(イ)三六万七、二二四円六八銭(ロ)一二万七、二八二円三七銭(ハ)六万〇八二九円一三銭となつた。

(六)  右(イ)の土地の賃料延滞金のうち五〇二坪七合((イ)の土地から前記和解によつて原告が返還を受けた一〇〇〇坪を除いたもの)に相当する分は計算上金一二万二、六五八円八〇銭となる。被告らは右(イ)の土地一五〇二坪七合のうち五〇二坪七合と(ロ)の土地五五七坪七合二勺を訴外大東木材株式会社に転貸し、その転貸料は昭和二九年八月一日から昭和三〇年五月末までは一カ月金八、〇〇〇円、同年六月一日から同年一二月末日までは一カ月金一万円昭和三一年一月からは一カ月金一万二千円であつたから、前記賃貸借契約解除後の昭和二九年八月一日から昭和三一年一月末日までの賃料相当の損害金は右転貸料と同額というべきであるから合計一六万二、〇〇〇円である。以上の次第で右(イ)の残地五〇二坪七合分の延滞賃料金一二万二、六五八円八〇銭、(ロ)の土地の延滞賃料金一二万七、二八二円三七銭、及びこれに対する右損害金一六万二、〇〇〇円の合計は金四一万一、九四一円一七銭であり、これが昭和三一年一月末日現在における原告の被告らに対する反対債権である。

三、よつて原告は昭和三一年一二月一九日被告らに対し原告が和解にもとずき支払うべき金四〇万円の債務と右反対債権とを対当額において相殺する旨の意思表示をしたから、結局前記和解調書表示の債務は消滅した。よつてここに右債務名義の執行力の排除を求める。

四、被告ら主張の事実中その主張の二の見解には反対である。和解成立後といえども和解成立前に存した反対債権をもつて相殺し、これを請求異議の事由として主張することは法律上なんら妨げられない。

三の事実中本件和解成立当時被告ら主張の二個の訴訟が係属し、これを和解によつて相互に取下げる旨合意し、その取下がなされたこと、そのほかになお別件として被告ら主張の訴訟が係属したこと、原告が和解にもとずき被告ら主張の日時に金三五万円を支払つたこと、その後被告らが再度その主張のような訴を提起したこと、原告が仮処分異議事件の控訴審において被告らの訴の取下を予備的に事情変更による取消事由として主張したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。訴の取下と本件土地(イ)(ロ)の賃料請求をするかどうかとは関係なく、相殺を禁止する特約をしたことはない。もしそのような合意があるならば互いに専門家である双方代理人の間に作成された覚書にその旨記載しないはずはない。本件和解は本件(イ)(ロ)(ハ)の土地の賃料とは全く別個に行われたものである。このことは和解謂書の条項第一項に「被告らは東京都江東区深川平井町二丁目五番地の一〇宅地二二三五坪四合三勺のうち一、〇〇〇坪につき所有権その他一切の権利を主張しないこと」とあり、第七項には「原告は被告らに対し第一項記載の土地につき延滞賃料及び損害金の支払請求を放棄すること」と記載されていることによつても明らかである。本件土地については被告らは所有権を主張し移転登記を求めていたのであるから、仮りに本件土地について和解にかかる一、〇〇〇坪以外の分の賃料債権につき明示にもせよ暗黙にもせよ相殺禁止の特約をしたものとすれば、同時に被告らもこれにつき所有権を主張することも許されないはずであり、その旨和解条項に記載されるはずである。しかるにそのことなく、たんに本件土地中一、〇〇〇坪についてのみ争を止めるのが趣旨であつたから、それ以外の部分につき被告らが所有権を主張することも、原告が賃料を請求することも自由なのである。原告が本件相殺を主張するのはなんら右和解ないしそのさいの覚書による特約に反するものではない。この点原告が相殺を主張するについてのいきさつとして被告らのいうところは被告らの臆測にすぎないが、右覚書に訴の取下を仮処分事件の取消事由としないことを約諾した旨加筆されたのは次の事情によるものである。すなわち昭和三〇年八月ごろ原告は本件(イ)の土地につきこれを宅地とするため埋立工事をはじめたところ、被告雅夫及び訴外株式会社川崎商店は東京地方裁判所から工事禁止等の仮処分命令を得て右工事の進行を差止めた。そこで原告は直ちに起訴命令を申請したところ、被告らは同年九月二八日工事禁止並びに所有権移転登記請求の訴を提起した(昭和三〇年(ワ)第七四〇八号事件)。原告は右事件に応訴するとともに自らも被告らを相手方として前記(イ)(ロ)(ハ)の土地賃料請求の訴(昭和三〇年(ワ)第八一四六号事件)、訴外大東木材株式会社及び株式会社川崎商店等を相手方として土地明渡等の訴(昭和三〇年(ワ)第七三七六号、同年(ワ)第八三四二号事件)をそれぞれ提起した。かくして訴訟進行中に右昭和三〇年(ワ)第七三七六号事件において原告と株式会社川崎商店及び利害関係人被告らとの間に成立したのが本件裁判上の和解であるが、この和解に附随して覚書が取り交されたものである。これには最初「取消理由としない云々」の文字はなかつたが、いざ署名という段階になつて被告ら代理人是恒弁護士は原告代理人松本弁護士に対し、登記請求等の訴は原告側の起訴命令によつて提起したものであるから、今これを取下げれば本案がなくなり、従つてこのことを問題にされると仮処分の方はたちまち取り消されてしまう運命におちいるから、起訴命令に対応する本案の提起のないことを事由に仮処分の取消申立をしないようにしてもらいたいと申出たので、松本代理人はもちろんそんなことはしないと答えたところでは覚書に書き入れたいということになり原告代理人の同意で被告ら代理人はその所持の一通に同代理人の任意の文言で記入したのが前記の文言となつたもので、原告代理人所持の一通にはその趣旨をメモするに止めた。以上の次第で当時はまだ仮処分異議事件が一審に係属中であり、その係属中は訴の取下により起訴命令に応ずる訴の提起がなかつたことを事由に仮処分取消申立をしないことを合意したに過ぎないのであり、決して被告ら主張のように広く事情変更までも含め、さらに控訴審においてまで異議の理由としないことまで合意したものではない。この仮処分異議事件は原告側の所有権を認めることによつて一審は原告側の勝訴となつたが被告側の控訴によつて二審に継続され、被告側は二審において時機に後れて他の仮処分維持のための事実の主張をして来たので原告は予備的に前記取下による事情変更を取消事由として主張したところ、被告らはこれを理由に再び登記請求の訴(昭和三一年(ワ)第八二五三号)を提起するに及んだものである。以上のとおりで原告は少しも合意に反した行為をしていなのに被告こそ右合意を無視し、いつたん取下げた訴を約束の時期到来前に再訴するという違反をあえてしたのである。

四の事実中本件(イ)(ロ)の土地所有権が被告らに存することは否認する。原告と被告ら先代皆三郎との間に右土地につき売買契約の成立したことは被告ら主張のとおりであるが、その代金は坪当り二〇〇円総額四六万四、六〇〇円で一カ月以内に支払うべく、所有権移転の時期は代金完済の時とするものであつたところ、皆三郎は内金一四万円を支払つたのみで残額を支払わなかつたから昭和二四年四月上旬原告の代理人山脇貞次郎は皆三郎に対し一カ月以内に残代金を支払うべく、支払のないときはこれを条件として契約を解除する旨催告並びに条件付契約解除の意思表示をしたのに、皆三郎はこれを支払わなかつたから、右売買契約は期間の満了とともに解除された。従つて右土地が被告らの所有に属することを前提とする被告らの主張は失当である。

七の主張事実中訴外大東木材株式会社が供託したことは認めるが、その金額は同会社が勝手に計算したもので正当でなく、仮りに正当としてもすでに賃貸借契約解除後のものであるからその効力はない。

被告ら訴訟代理人は本訴請求原因に対する答弁及び主張並びに反訴請求原因として次のとおり述べた。

一、原告主張の事実中、原告が被告らに対し原告主張の和解にもとずき原告主張の債務を負担し、現にその主張のような債務名義が存すること、これにつき原告主張の反対債権をもつてする相殺の意思表示のあつたことは認める。但し右金四〇万円の弁済期は訴外株式会社川崎商店が係争地を明け渡した昭和三一年六月一〇日の六月後である同年一二月一〇日である。原告主張の反対債権の存在は争う。すなわち原告主張の二の各事実中(一)(二)の事実は昭和二二年ごろから皆三郎が単独で賃借人となつたことは否認しその余の事実は認める。但し(ロ)(ハ)の坪数は相違がある。(三)の事実中(イ)(ロ)の土地について賃料の延滞のあつたことは否認する。(ハ)の土地に賃料延滞のあつたことは認める。賃料の値上については原告から請求もなくまた合意もなかつた。(四)(五)の事実中原告がその主張の別訴で相殺の意思表示をしたことは認めるがその余の事実は否認する。(六)の事実中被告らが原告主張の土地を訴外大東木材株式会社に賃貸(但し転貸ではない)したこと、その賃料の額、(イ)の土地のうち一、〇〇〇坪につき裁判上の和解の成立したことは認めるが、その余は否認する。

二、本件につき原告の主張する反対債権は、それが存在するかどうかは別として、本件裁判上の和解成立前に発生し、請求し得べきものであつたことは原告の自ら主張するところであり、このような債権をもつて前記和解によつて確定した債権に対し和解成立後において相殺の意思表示をし、これを請求異議の事由とすることは法律上許されないから、原告の本件異議は主張自体失当である。

三、仮りにそうでないとしても本件には当事者間に右反対債権をもつてする相殺を禁止する旨の特約がある。すなわち本件和解成立当時原告から被告らに対し原告主張のように(イ)(ロ)(ハ)の土地につき賃料等の請求訴訟が係属し(東京地方裁判所昭和三〇年(ワ)第八一四六号)、また被告らから原告に対する(イ)(ロ)の土地についての移転登記請求訴訟が係属(昭和三〇年(ワ)第七四〇八号)し、前記和解において当事者双方は互いにこれらの訴の取下を合意し、現にその取下をした。当時(イ)(ロ)の土地については別に被告雅夫を債権者原告を債務者とする不動産仮処分異議事件が係属し、一方原告の訴外大東木材株式会社に対する明渡訴訟が係属していたので、当事者双方は右和解にさいし覚書(乙第二号証)をもつて、これらの訴訟が確定するまで右取下にかかる訴訟については再訴をしないことを約したのであつて、その趣旨は原告主張の(イ)の土地の残部五〇二坪七合及び(ロ)の土地五五二坪七合二勺の賃料債権は、その有無がこれら別件の判決により明らかになるはずであるから、それまではそのままとするというにあつた。従つて本件和解で取りきめられた金員は右賃料とは関係なく支払うべく、これと相殺しないことを合意したのである。そのことは右和解成立の前関係者協議のさい、被告ら代理人が和解成立しても和解外の賃料等と相殺されれば意味がないとの趣旨を述べたのに対し原告代理人がそのようなことは絶対にしないと述べた結果前記の合意が成立した経緯に徴しても明白である。仮りに右覚書によつて明示に合意したものでないとしても暗黙に合意したものである。このことは右和解により原告は第一回の支払分三五万円をその支払期日である昭和三一年五月二〇日に支払つているが、本件で原告の相殺を主張する反対債権は同年一月末までの分であるから、もし相殺禁止の特約がなければ当然原告はそのさい相殺をしたはずであるのに、これをしなかつた事実によつても明らかである。しかるに原告があえて右特約に反して相殺を主張するのは次の事情にもとずくものと考えられる。すなわち被告らは被告らから原告に対する(イ)(ロ)の土地についての所有権移転登記請求訴訟は取下げて前記別訴確定するまでこれを請求しないと約したにかかわらず約旨に反して再度訴を提起したから、原告もまた右約旨に従う理由はないというにあるのであろう。しかし前記覚書による合意においては被告雅夫を債権者とする(イ)(ロ)の土地の仮処分訴訟につき原告は前記被告らの原告に対する訴の取下を仮処分取消の理由とはしない旨の特約があるのに、原告は右仮処分事件の訴訴審において被告らの訴の取下を事情変更による取消事由として追加主張し、もつて自ら契約に反した。そこで被告らはやむなく右仮処分維持のため再度(イ)(ロ)の土地(但し(イ)の和解分一、〇〇〇坪を除く)の所有権移転登記請求の訴を起すにいたつたものである。これ明らかに原告の責に帰すべき事由による被告らの債務不履行で被告らに責はなく、そのために相殺禁止特約がその効力なきにいたるはずはなく、少くとも原告からそれを主張されることはなく、現にまたなんら解除されてはいないのである。これを要するに前記特約に定める別訴はまた確定していないのであるからそれまでは、仮りに(イ)(ロ)の土地((イ)中一、〇〇〇坪を除く)につき原告に賃料等債権があるとしても原告はこれを相殺に供し得ないものであるから右相殺は無効である。

四、仮りに相殺禁止の特約がないとしても、もともと原告主張の賃料等債権は存在の余地がない。なんとなれば(イ)(ロ)の土地は原告の所有ではなく被告らの所有であるからである。すなわち被告らの先代皆三郎は昭和二三年三月二四日本件(イ)(ロ)の土地を原告から代金三二万二、三二二円で買い受け所有権を取得し、代金は次のとおり支払つた。すなわち昭和二三年三月二四日金一二万円、同月二五、六日ごろ金二万円、同月二七、八日ごろ金二万円、同月三〇、三一日ごろ金一〇万円、昭和二三年中木材による代物弁済で金五万円及び金一万二、四四〇円(以上合計金三二万二、四四〇円)。しかるに原告は契約後売買価格を坪当り金二〇〇円くらい、総計金四四万円余に増額方を申し入れたが被告先代はこれを拒否したため、原告は移転登記をせずそのままとなつたところ、昭和三〇年八月ごろ原告は本件土地中の木堀を被告らに無断で埋立工事を開始し、その他原告の所有名義であるのを奇貨として第三者に金一、〇〇〇万円の根抵当権を設定する等の行為に及んだので被告雅夫は原告を相手方として東京地方裁判所に埋立禁止及び処分禁止の仮処分を申請し、その旨決定を得たのである。原告は右仮処分異議事件において右売買契約は昭和二四年五月ごろ口頭で解除され、被告ら先代から受取つた金員は金一四万円のみで被告先代の依頼で預つたと主張したが、そうだとすれば解除後六年有余の間右一四万円を数十万円にものぼる賃料にも充当せず漫然保管したわけであつて、その常識に反すること明らかであり、その解除が事実に反するものであること明らかである。これを要するに本件(イ)(ロ)の土地についての賃料債権そのものは存しないから、その相殺は失当である。

五、仮りに右(イ)(ロ)の土地が原告の所有であり原告において賃料等債権を有するとしてもその額は不当である。けだし契約以来賃料改訂については原告の請求も当事者の合意もなかつたから、原告主張の数額になるはずはない。また本件土地賃貸借はなお解除されていないから昭和二九年八月一日以降の損害金の請求も不当である。

六、仮りに原告主張の賃料等債権が存在したとしても昭和三一年一二月一九日から五年前である昭和二六年一二月一八日以前の分はすでに時効により消滅した。

七、なお訴外大東木材株式会社は本件(イ)(ロ)の宅地を被告らから賃借しているが、本件宅地の所有権が被告らにない場合を考えて昭和三一年六月一六日本件(イ)(ロ)の土地の昭和三一年五月末日までの賃料残額金一四万七、一四七円を被告らに代位して原告に弁済のため東京法務局に供託したから、この分に相当する賃料債務は消滅している。

八、以上の次第で原告の相殺は理由がなく、原告は被告らに対し和解条項に定めたとおり昭和三一年一二月一九日限り金四〇万円を支払うべきものであるが、原告はこれを遅滞しているところ、右和解には弁済期以降の遅延損害金の定めがないから、ここに被告らは原告に対し反訴として右弁済期の翌日である昭和三一年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める。

(立証)

原告訴訟代理人は甲第一ないし第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証、第八号証の一、二、第九ないし第一五号証、第一六ないし第二三号証の各一ないし三、第二四ないし第三〇号証、第三一、第三二号証の各一、二、第三三ないし第三九号証を提出し、証人山脇貞次郎、同平田光雄の各証言を援用し、乙第一ないし第五号証、第一二ないし第一五号証の各成立は認める、その余の乙号各証の成立は知らないと述べた。

被告ら訴訟代理人は乙第一ないし第六号証、第七号証の一ないし七、第八、第九号証、第一〇、第一一号証の各一、二、第一二ないし第一五号証を提出し、被告伊藤雅夫本人尋問の結果を援用し、甲第一ないし第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証、第一〇、第一一号証、第一四、第一五号証、第二五ないし第三〇号証、第三一、第三二号証の各一、二、第三三ないし第三九号証の各成立を認める。その余の甲号各証の成立は知らないと述べた。

理由

原告が被告両名に対し東京地方裁判所昭和三〇年(ワ)第七三七六号木材撤去土地明渡請求事件について昭和三一年四月二一日なされた裁判上の和解により昭和三一年一二月一九日かぎり金四〇万円を支払うべき債務を負担し、右和解調書の執行力ある正本が債務名義として存すること、これにつき原告が被告らに対しその主張の如き金四一万一、九四一円一七銭の反対債権を有するとして昭和三一年一二月一九日被告らに対し右債務と対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは当事者間に争ない。

被告らは右反対債権の存否はともかく、和解成立前に発生し請求し得べかりし債権をもつて和解成立後に和解によつて確定した債務と相殺し、これを請求異議の事由とすることはできないと主張する。しかし一般に請求異議の事由として当該債務確定(判決確定又は和解成立)以前に請求し得た反対債権をもつてその後にした相殺を主張し得るかどうかは説が分れているけれども、当裁判所はこれを積極に解するから、この点の被告らの主張は採用しない。

次に被告らは本件については相殺禁止の特約があると主張するからこの点について検討する。本件和解成立当時原告から被告らに対し原告主張の(イ)(ロ)(ハ)の土地についての賃料損害金請求訴訟(当庁昭和三〇年(ワ)第八一四六号)、また被告らから原告に対する(イ)(ロ)の土地についての移転登記請求訴訟(当庁昭和三〇年(ワ)第七四〇八号)が各係属していたところ、右和解において相互にこれを取下げることを定め、そのとおり取下がなされたこと、右和解にさいし当事者双方は別に覚書をもつて右訴訟を取下げる以上同時に係属していた原告から大東木材株式会社外に対する土地明渡訴訟(当庁昭和三〇年(ワ)第七三七六号、第八三四二号、以下これを残存二件という)についての判決確定まで再訴しないことを約したことは当事者間に争ない。そして成立に争ない乙第一、第二号証、同第一五号証、甲第三〇号証、同第三四号証の各記載、被告伊藤雅夫本人尋問の結果及び前記当事者間に争ない事実並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせ考えれば次のように認めることができる。すなわち本件和解は原告から訴外大東木材株式会社及び株式会社川崎商店を相手方として原告主張の(イ)の土地を含む二、二三五坪四合三勺につきその明渡を訴求していたところ、そのうち右大東木材の分を分離した上右(イ)の土地中一、〇〇〇坪の部分について原告と株式会社川崎商店及び利害関係人として参加した被告両名との間に成立したもので、その骨子は右川崎商店及び被告らは右一、〇〇〇坪の土地について所有権その他なんらの権利を主張せず(第一項)、川崎商店はこれを原告に明け渡し(第二項)、これに対し原告は川崎商店には二回に合計金二五〇万円(第三項)、被告らには二回に合計金七五万円(第四項、そのうちの金四〇万円が本件の問題である。)を支払い、かつ原告は右土地一、〇〇〇坪についての賃料損害金の請求を放棄する(第七項)というにあつたが、これに関連して同じ和解の中で前記二件の訴訟を取下げるとともに右和解は右一、〇〇〇坪を除く残余の一、二三五坪四合三勺についての大東木材その他に対する残存二件とはかかわりないものであることを確認したが、別にさらに当時係属していた被告雅夫を債権者原告を債務者とする仮処分異議事件もそのままであつた。右取下にかかる二件、残存二件及び仮処分事件等はいずれも本件(イ)(ロ)(ハ)等の土地に関係するものであり、その各訴訟における攻撃防禦方法は互いに関連重複するところが多かつたので、本件和解成立によつて他の訴訟に実質的に影響し、ために前記二件についてはいちおう訴を取下げることとなつたのである。そのさい当事者双方は覚書(乙第二号証)をもつて右取下にかかる二件については残存二件の確定まで再訴しないことを約したものであるが、それは主として次の事由による。すなわち右取下にかかる二件のいずれにおいても原告がはたして右(イ)(ロ)の土地の所有者であるか、(イ)(ロ)は被告らの所有ではないかが争われ、この点のいかんによつて原告主張の賃料等債権の存否もきまり、被告ら主張の移転登記請求の当否も決するという関係にあつたがこの争点はまた前記残存二件においても争われ、そこで判断されれば他はおのずから解決するという筋合であり、かたがた残存二件については大東木材との和解が成立しないため訴訟を維持しなければならない関係にあつたので、原被告らは右残存二件の結果をみるまで前記取下にかかる二件については訴訟上の請求を見合わせるというにあつたのである。ただそのさい別に仮処分異議事件も係属し、これは大東木材占有の部分も含まれるため取下げることができず残存せしめることとなつたが、前記取下二件のうち被告らから原告に対する移転登記請求訴訟は右仮処分事件の本案をなし、しかも原告からの起訴命令によつて提起したものであつた関係上、右本案の取下を仮処分取消事由として主張されると、それだけで右仮処分は取り消されるおそれがあつたので、被告代理人の提案で右取下を仮処分取消事由とはしないことを約したという次第である。以上の認定を左右するに足る的確な証拠はない。そこで右認定の事実によつて考えれば本件和解に定めた金員の支払と(イ)(ロ)の土地(但し(イ)のうち一、〇〇〇坪分を除く)の賃料債権とは直接関係はないけれども、右賃料債権にもとずく請求は当事者合意の上残存二件の判決が確定するまではしないこととしたものと解するのが相当である。現に存する訴訟上の請求を取下げ、一定期間再訴をしないということはたんに訴訟上の請求をしないというだけで、訴訟外における実体上の請求は妨げないように見えるが、右訴訟外における請求に相手方が任意に応ずればかくべつ、そうでない限りは請求にせよ相殺にせよ結局は訴訟上の問題となり、同じ争点をくり返さざるを得ないこと、現に本件においてみるとおりであるから、とくに反対の事情のない本件では、訴訟外における実体上の請求もしないということに帰着するものと解して差し支えない。従つて本件和解にもとずく金員の支払期までに右賃料債権を行使し得るにいたらない限りは、前記合意の効力として和解の金員は別個に支払わねばならないものというべきである。これを相殺禁止の特約とよぶのは用語の上で妥当ではなく、またその旨和解調書ないし覚書に記載があるわけでもないが、その帰するところは右のとおりである。原告が昭和三一年五月前記和解にもとずく第一回の支払金三五万円を異議なく支払つたこと(このことは当事者間に争ない)はこの間の事情を確かめるに足りる。しかるに前記残存二件は第一審において判決を見たがまだ確定しないことは本件口頭弁論の全趣旨から明らかであるから、原告のした前記相殺の意思表示は、その反対債権の存否にかかわらずその効力を生じないものといわなければならない。

もつとも前記覚書による契約はその後双方から違反され、原告は約旨に反して訴の取下を仮処分取消事由として主張するにいたり、被告らもまた土地所有権移転登記の訴を再び提起したことは当事者間に争ないが、後者被告の違反は前者原告の違反の結果止むなくなされたものであることは前認定の事実からおのずから明らかで、その原因は原告自らの招いたものというべきであるのみならず、互いに違反はあつたとしてもまだ右契約を解除した事跡の認めるべきもののない本件においては、この点の合意の効力はなお存続するというべきである。

しからば本件債務名義表示の債務に対し有効に相殺がなされたことを前提とする原告の本件請求異議はこの点で失当である。従つて原告は右和解に定めたところに従いおそくも昭和三一年一二月一九日かぎり被告らに対し金四〇万円を支払うべき義務あるところ、これを遅延することにより被告らに右金額に対する年五分の遅延損害金を支払うべきものであるが、右債務名義にはその点の記載がないから被告らにおいて原告に対し右弁済期の翌日たる昭和三一年一二月二〇日から支払ずみまで右割合の金員の支払を求める請求は正当である。

よつて原告の本訴請求を理由のないものとして棄却し、被告らの反訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、強制執行停止決定の取消につき同法第五四八条第一項、仮執行の宣言につき同法第一九六条第五四八条第二項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武)

別表

(一) (イ)分(一、五〇二坪)

表<省略>

(二) (ロ)分(五五七坪七二)

表<省略>

(三) (ハ)分(三〇九坪)

表<省略>

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