東京地方裁判所 昭和31年(刑わ)3209号 判決 1958年6月20日
被告人 大郷甕
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、被告人は
第一、昭和三十年十二月二十一日頃東京都中央区日本橋兜町一丁目一番地金万証券株式会社に於て、かねて海瀬幸一郎から預り保管中の川崎重工業株式会社外十三社の株券合計四千六百株を擅に金六十五万四千円で右金万証券株式会社に委託売付して横領したのをはじめとして別表記載の通り前後十三回に亘りいづれも右海瀬から預かり保管中の株券合計二万一千六百株を擅に金三百四万八千四百十円で委託売付して横領し
第二、昭和三十一年三月十六日頃同都同区日本橋江戸橋一丁目三番地東一証券株式会社に於てかねて青木虎男から預り保管中の鴨川化工株式会社株券二千株を擅に金十八万四千円で右東一証券株式会社に委託売付して横領し
第三、同年四月三日頃同都同区日本橋兜町一丁目八番地中外証券株式会社に於て、かねて冨田要三から預り保管中の久保田鉄工株式会社株券五百株を擅に五万五千五百円で右中外証券株式会社に委託売付して横領し
第四、同年五月四日頃前記東一証券株式会社に於て、かねて青木虎男から預り保管中のトヨタ自動車工業株式会社株券五百株を擅に金十万五千五百円で又日活株式会社株券五百株を擅に金二万九千五百円で夫々右東一証券株式会社に委託売付して横領し
第五、同年同月九日頃前記東一証券株式会社に於てかねて青木虎男から預り保管中の東京瓦斯株式会社株券一千株及び住友金属工業株式会社株券一千株を擅に金十六万円で、又かねて岩城秋雄から預り保管中の株式会社荏原製作所株券二百株を擅に金三万七千五百円で前記東一証券株式会社に委託売付して横領し
たものである。
と云うにあるけれども、被告人の所為が横領罪を構成するや否やの分岐点は、被害者と云われる海瀬、青木、冨田、岩城が被告人に株券を渡した趣旨が那辺にあるかに依つて決定せられるものであるから先づ此の点について審按する。
ところで海瀬、青木、冨田、岩城の各証言を比較検討して見るとその間に若干の喰違いがあるのであつて、
(イ) 岩城は最初川崎重工の株の名義変更を被告人に依頼し、その後被告人のすすめに従つて買付けた各種の株を「家に置くと盗難とか焼失の危険があるから会社(中外証券を指す)の金庫に保管してやる」と云う被告人の言葉や又「株券を会社の方へ持つて行つて被告人の名前でかせると被告人の実績があがつて信用がつくし、会社はこれを担保に入れるとかして利用する」と云う被告人の言葉を信用して中外証券に預けたものであつて、配当の話は最初はなく、資産株の方はそのまま会社に保管して貰うし、投機株の方は将来値上りのあつた場合自分で指図して売却する為にそれ迄会社に保管して貰うつもりでその事を被告人に話して預けたのであつて株の処分は絶対に被告人に許してない。配当の事は後から話が出たがそれは会社から被告人が受けるがその一部を利息として預け主に支払うと云うことであつたので、会社では株券を担保にして金融を得ると云う様なことはしているものと思つたが、売却して名義変更をする様なことは絶対にないし又印鑑がなければ左様な事は出来ないものであると云うことであつた。尚被告人から何回かに亘つて概算四万円位は受取つたがそれはお礼の趣旨で受取つたと云う様な証言をし
(ロ) 青木は、被告人を岩城の紹介で知つたが、被告人から株は持つていただけでは金が生めないから預けてうまく運用すると金になり小遣が出来るがとすすめられ、後で岩城に聞くと中外証券で担保に入れるとかどうかしてそれを資金に運用するとの事でその代り預り料と云うか運用料と云うか少し金を貰うと云う風に考えた結果株券を預けたものであり、その運用は中外証券と云う一流会社がするのであるから担保に入れた場合担保流れになると云う様な危険性は考えなかつたのであり、大郷個人が運用すると云うのであるならば自分は話に乗らなかつた。尚鴨川化工の株は将来値上りの場合は売る心算であつたが売る時期は指定するからとの事で、あくまでそれは会社に預つて貰うのだと云うことを念を押したのであつて、尚預けた株はすべて必要な時は何時でも返して貰う約束であつて被告人が個人の思惑をするのに使うと云う話はなかつた。尚株券を被告人を通じて中外証券に預けて後四回位に合計二万円余を受取つたが、それは中外証券で株を運用してそれに対する運用料として貰つたものであり、株価のどの位のパーセンテージをお礼とすると云う具体的な話はなかつた。尚被告人は個人の預り証を持つて来たので会社の預り証をくれと要求したことがあるが、会社の印を押すと引出すのに非常に厄介になるから被告人個人の印を押したと云うので無理に要求はしなかつたと云う様な証言をし
(ハ) 海瀬は、被告人から株券を預けてくれるならば会社に於て重要視され近い将来に中外証券の重役にもなれるとの話があり、且つ自分もいくつかの銘柄の株を持つていたので将来これを整理して優良株だけにしたいと思つていたので売る時に一緒に売つて貰えば好都合と思つて預けたのであり、預けると株価の時価の七掛について月一分の配当金をくれるとの事であつたが、自分は配当金を貰い度い為に預けるのではないと云うことを岩城と被告人と三人居る時にはつきり云つたことがあつた。尚その配当金をくれるわけは中外証券で三百万円なり三百五十万円の証券を預ることに依つていろいろ信用とかそう云う様な点で利益が出てそれを被告人がある程度貰つてそれをわけてくれるものと思つた。尚自分は、株を実際売つてしまつてその時によかつたと云うことで会社も被告人も非常に証券のお蔭でよかつたと云うことになつてその時にお礼をくれるのならいいけれども月々一分と云う様な配当金は自分はいらないと断つた。自分は中外証券に預けるつもりであつたのであり被告人個人に預けるつもりはなかつた。尚若し会社がこの株券を担保に入れたり、或は思惑の為に使うと云うことがわかつていたら自分は株を渡さなかつた。又その株を無断で売られると云う様なことは絶対考えなかつたし、被告人も印もないし委任状もないから決して売れないと云つていたものであり、自分は同種同額の株を返してくれると云うことであつても預けた株を処分する事は認めなかつた。尚預り証の中に「借用の為御預り申し候」となつていた事は気がつかなかつたと云う様な証言をし
(ニ) 冨田は、株券を預ける様になつたのは、盗難等で家に置いても危険性があると云うことと、又家の者にも知らせてないので買つた都度直接向うに預けたものであつて、預けた相手方は中外証券であると考えていた。岩城課長と云う自分の会社の課長で被告人を紹介してくれた人の話では、中外証券の金庫に入れておくと云うことであつたので安全と思つたわけであつて、その株を中外証券で担保に入れるなどして運用すると云うことは全然話がなく、若し左様な運用をすると云うことならば預けなかつたし、同種同銘柄のものを返すと云うことであつても困ると思つていた。自分に対してはお金をくれると云う話は全然なく、岩城を通じて株を預つたからと云うのでお礼の意味なのか二、三回はお金を受取つているがその合計は二千円位のものであり預り料と云う意味の金だと思つた。と云う様な証言をしている。
ところで本件で特に注意すべき点は、前記四名の者が被告人に株券を渡すに至つた経緯、順序の点であるが、最初被告人を知つたのは岩城であり同人の紹介に依つてその戦友の海瀬が、又岩城の勤務会社の同僚であつた青木、冨田が被告人と交渉を持つに至つたもので、岩城の渡した日時は昭和三十年二月十八日頃、同年六月八日頃、同年七月七日頃であり、(尤も岩城に関する起訴事実に関係のあるのは昭和三十年二月十八日頃の荏原製作所の株二百株のみである。尚昭和二十八年十二月二十日附の山崎の印のある御所有株式、岩城様とある書面は信用取引当時の所有株式の明細であることは岩城光興名義の中外証券株式会社発行の預り通帳との対照に依り明らかである)海瀬の渡した日時は同年六月七日頃、同年七月二十一日頃、同年十一月二十日頃、同年同月二十四日頃(二口)、同年同月二十七日頃、同年十二月二十一日頃、昭和三十一年一月十七日頃、同年二月二日頃、同年四月二十六日頃、同年五月二日頃、同年六月十四日頃であり、青木の渡した日時は昭和三十年九月一日頃、同年十二月六日頃、であり、冨田の渡した日時は同年十月頃であつたことは各預り証の日付及び同人等の証言に依り明らかであるし、又岩城及び海瀬は可成り被告人と直接に交渉して話合つた形跡があるが、青木及び冨田は岩城の言を信用して被告人とは深い話合もなく極めて無雑作に株を被告人に渡したことは同人等の証言に依つて窺知し得るところである。
従つて本件を考察するに当つても右の点を念頭に置いていかなる趣旨で株券を渡したかの判断をする必要があるが
(A) 先づ岩城については最初は川崎重工の株券の名義変更や現物の買付の依頼をしたもので初めは株券を預ける話や配当の話はなかつたと云うことは真実であると認められるが(後に認定する様に岩城は昭和二十八年頃被告人に星製薬、東京銀行、東洋精糖、荏原製作所等の株式を渡して証拠金代用として信用取引をしたことを認め得るがこの頃はまだ被告人個人に株を預けたことはなかつた様である。従つて配当の話がなかつたのは当然である)その後前記日時株券を渡したのは盗難、焼失の危険を防止する為と投機株は将来値上りの場合一括売却する迄会社に保管して貰う為で従つて中外証券の金庫に保管してくれると思つていたと云う点はにわかに信用出来ない。何故ならば岩城は被告人から何回かに亘つて概算四万円位を受取つていることは認めているところであつて、それはお礼の趣旨で受取つたものと云うけれども、元来危険防止の為に会社の金庫に保管して貰うものならば保管料を支払うべきが当然であつて、逆に会社からお礼を出すべき筋合でもないし、而も会社の金庫に株券を保管して置くだけならば配分すべき利益を生ずる筈もないし、又会社が保管の為に預かつたものを擅に担保にして金融を得ると云う様な事は許されることでなく斯様な便益を会社が享受し得べき謂れもないのであるから岩城の受取つた利益の説明は岩城の主張する事情からは到底導き出されないのである。
(B) 次に海瀬について見ると、同人は最も大口の株券の渡し主であるが同人と被告人の間の交渉の経過については領置に係る東京地裁昭和三十二年証第三四六号の内第六号の複写便箋の控(被告人より海瀬に宛てた通信の控)及び弁護人提出の弁第一号証乃至弁第五号証の手紙(海瀬より被告人宛)等動かすべからざる証拠が残存していることを特に注意すべく、海瀬の公判廷の証言は、同人が別に中外証券株式会社を相手方として民事訴訟を提起している事情から見て其の儘信用することは危険であつて前記動かすべからざる証拠と矛盾しない範囲に於てのみ信用するのが相当である。然かるところ前に要約して掲記した海瀬の証言の趣旨は、結局自分は株価の時価の七掛の月一分の配当を目宛にして被告人に株を預けたのではなく、単に被告人の立場がよくなると云うことと、将来一括売却の便宜の為に中外証券に預けるつもりであつたのであり、右の配当は中外証券で株券を預ることに依つて何等かの利益がある結果それを被告人に分配し更に被告人からその一部を分配してくれるものと思つていたと云うのであるが、これは弁第一号証、第二号証、第三号証、第四号証の手紙の文言や、東京地裁昭和三十二年証第三四六号の内第六号の複写便箋控の中の海瀬宛手紙の控の文言(特に昭和三十年七月九日附、同月二十二日附、同年九月八日附、同年十一月二十一日附、昭和三十一年二月三日附)に照してたやすく信用出来ない。寧ろ右の往復書翰に依つて窺い得る事は、海瀬は被告人の証券関係者としての手腕商才に信頼してその株式を被告人に貸与し、被告人はこれを利用して自己の商売をする代り海瀬に対して株価の時価の七掛(中には五掛のものもある)の月一分の利益配当を約し而も海瀬は被告人から受取るべき右利益は、一部は現金で受取つたものの大部分は被告人の推奨する株の購入に宛て、買入れた株券はそのまま被告人に貸与して居たことである。海瀬は中外証券株式会社に預けたものであると云つているが、被告人の出した手紙の控及び預り証謄本の中の被告人の肩書に中外証券株式会社と云う記載がある外は格別会社に預けたことを認めるべき証左はないし、右の肩書の記載だけでは到底会社に預けたものとは認めることが出来ないのであつて、(証券会社では会社印の押捺せられていない預り証に対しては責任を負わない旨広告等に依り告示しているのみならず仮に左様な事を知らなかつたとしても会社に預けた場合には会社印の押捺せられた預り証を要求するのが当然であろう)海瀬が現在極力会社に預けたと主張するのは、被告人が無資力になつた為に会社の責任を追求せんとする意図に出た民事訴訟の対策に外ならないと考えられる。(尚会社に預けたものとすればその処分行為は業務上横領罪を構成することになり単純横領ではなくなる事を注意すべきである。)
而して次に考えるべき問題は、海瀬が被告人に株券を貸与した趣旨及びその法律上の性質如何と云うことであるが、この点については先づ預り証の文言が一次的な証左となるところその中には、「借用の為め正に御預り申上候也」とあるものと(昭和三十年六月七日附、同年六月十四日附、同年七月二十一日附)単に「御預り申上候也」とあるもの(同年十一月二十日附、同月二十四日附、(二通)同月二十七日附、同年十二月二十一日附、昭和三十一年一月十七日附、同年二月二日附、同年四月二十六日附、同年五月二日附)との二種類があることは昭和三十二年証第三四六号の内六号の複写便箋控、司法警察員の捜査報告書添付の預り証謄本に依つて明らかであるが、両者は区別して用いたものでないことは被告人及び海瀬の双方の供述からも窺われるので統一的に理解すべきものである。
而して「借用の為」と云うことは通常法律上は消費貸借を意味するものであり、又単に「預る」と云うことは通常法律上は寄託を意味するものであつて、「借用の為預る」と云うことは前後矛盾する様にも見えるが、俗には消費貸借の為に所有権及び占有権を移す場合にも預ると云うことがあるから右の文言は要するに消費貸借で所有権及び占有権を移す趣旨に解すべく、又被告人が株価の時価の七掛に対して月一分と云う可成り高率の利益分配を約している点から見ても単純な寄託契約と解するのは無理であつて、消費貸借なればこそこれを利用することに依つて被告人に相当な利益を生ずることも考えられるから、右の様な高率の利益分配の約定を為したものと解するのが合理的である。尤も右預り証は後から被告人が海瀬に送つたものであり、而もその作成者は多くは被告人の使用人阿部であつたことは被告人の供述に依り認められるが、右の「借用の為云々」の預り証は三回に亘り差入れられているし海瀬がこれに対して格別異議を申立てた形跡もなく(同人は気がつかなかつたと証言しているけれども、重要なる資産に関する文書であるから単に気がつかなかつたでは済まないところであろう)而も海瀬は相当額にのぼる利益の分配を受けているのであるから、被告人に於て右の株券を利用して何等かの利益を得ていたことは当然推測すべき事情にあつたのであり、従つて海瀬が被告人に株式を渡した趣旨は法律上は消費貸借であつたものと認めるのが相当である。
海瀬は会社がこの株券を担保に入れたり、或は思惑の為に使うと云うことがわかつていたら自分は株を渡さなかつたと云つているけれども、これは事後判断に依るものであつて、預ける当時に於ては恐らく利益の面に気をとられて斯様な結果を生じた場合の事は考えなかつたか又は株の名義変更には印鑑又は委任状を要すると考えていた為に処分の可能性がないものと思つていたかいづれかであつたと云うのが真相であろう。(尚(a)被告人が海瀬から株券を受取るに当つて、株券は五日乃至七日前に通知してくれるならば何時でも返すとか、(b)株券は売る様なことはしないと云う様なことを述べ、(c)又預かつた株の売り時が来たら知らせると云う様なことを云つて海瀬を安心させたのではないかと云うこと推測するに足りる証言はあるけれども、(a)は期限を定めない消費貸借と必ずしも矛盾する言説でもないし、(b)は担保にして金融を得るだけで売る様なことはなるべくしないと云う趣旨にもとり得る余地があり、(c)は消費貸借と必ずしも矛盾するものではないし、仮に右の様な言説が海瀬が株券を渡すに至つた動機を為して居り、従つて消費貸借成立の誘因となつたとしても、それは詐欺罪を構成するか否かと云う問題を生ずるに過ぎない。而して本件に於ては捜査の最初の方針が業務上横領として取調を始めたものであつて、検察官も単純横領として取調べ次いで起訴したのでこの点の調べは十分でなく、従つて今訴因を詐欺罪に変更しても到底従来の取調の証拠に依つては有罪の認定は困難と思われるので当裁判所は訴因の変更を命ずる事をしなかつた)
(C) 次に青木について見ると、同人は被告人から株は持つていただけでは金が生めないから預けてうまく運用すると金になり小遣が出来るとすすめられた結果預り料と云うか運用料を目宛に株券を預けたものであることを認めているし、尚岩城からもその話を聞いて預けたと云うのであるから岩城について認定したことは青木の場合にも大体当てはまるのではないかと思われる。尚青木は会社に預けたものであつて被告人個人に預けたのではないと云つているけれども、青木は預り証が個人名義になつていることに気付いていながらあくまでこの点を追及しなかつた点からも右の様な主張は結局会社相手の民事訴訟を考慮しての事と考えられ、会社の印を押すと引出すのに厄介になるから被告人個人の印を押したと云うので無理に会社印の押捺は要求しなかつたと云う弁解はたやすく信用出来ないのである。
(D) 次に冨田について見ると、同人は全く岩城の紹介とそのすすめに依つて株券を被告人に渡したものであつて、その契約の内容について格別被告人と詳細な打合をしたこともなく、全く岩城と同様の契約内容に従つたものと認めるを相当とするから、岩城について認定したことはその儘冨田についても当てはまるものと云わなければならない。冨田が株券を預けたのは盗難等危険性防止の為であつたとか、中外証券の金庫に入れて置くと思つたとか云うのは矢張り前記と同様民事訴訟対策に過ぎないものと認められるし仮に内心ではそう思つたとしても被告人との契約内容は全く岩城のすすめに従つたものであるから前三者と同一であつたものと認定するのが相当である。
以上は主として所謂被害者と目される人の供述を中心として考察したものであるが、これを逆に被告人の供述を中心として見てゆくと、被告人は本件で逮捕された昭和三十一年十月二十四日の直後の同月二十五日司法警察員に対しては自分は中外証券の外務員になつて間もない昭和二十八年の九月か十月頃から星製薬の株の取引に関連して損害を蒙り赤字が続いたので思惑をやつて一儲しようと云う気になり、その資金がなかつた為お客さんから株券を借りこれを担保にして金を借り思惑をやつたものであつて、お客さんから株券を借りる時は株券を利用して儲けようと思うから株券を借して下さい、預り料を出しますから。若しその株を売つたり返して貰い度い時は五日前に云つて貰えばその様にしますからと云つて株券を貸して貰つたもので、預り料は人に依つて違うが時価の七掛の月二分から五分を出していた。私に株券を貸してくれたお客さんの大部分は私がこの株券を担保にして相場をやつていることは知つていたが必要な時は売るなり返して貰えるからと私を信用して貸してくれたものであると云つているが、被告人は結局借受けた株を担保として金融を得て昭和二十九年頃から思惑をやり始め、一儲を企てたが失敗して損をすることが多かつた為にそれを取戻すべく逐次他の人から新しく株を借受けてはこれを担保に入れて金融を得更に思惑をやると云うことになり、本件当時は大同石油、帝国光学等を大口に買込んで一挙に挽回をはかつたこと、それが暴落した為に他に担保に入れていた本件株式は担保流れとなつたものである事情を窺うことが出来る。
即ち昭和三十二年証第三四六号の内第五号の担保証券差入証書に依れば、被告人が海瀬及青木より借受けた株券の一部を第一証券商事株式会社に譲渡担保として金融を得たことを認め得るし、又吉田吉男の証言及び昭和三十一年八月二十七日附司法警察員警部補岡冨栄作成の捜査報告書に添付せられた吉田吉男作成の「大郷和弘の依頼による大栄商事(岡田)よりの借入金及び担保表」、同人作成の「大郷和弘の依頼による産業商事よりの借入金及び担保品表」に依れば一部は大栄商事及び産業商事に担保に入れて金融を得たこと(従つて若し横領罪が成立するとすれば担保に供した時に於て既遂となる道理であつて起訴状が売却した時期を既遂の時期としたのは誤りである)を認め得るし又被告人の当公廷の供述東京地裁昭和三十二年証第三四六号の内第四号の岩城光興名義の預り通帳、証人植木道三の証言被告人の昭和三十一年十一月四日附司法警察員に対する供述調書同年同月九日附検察官に対する供述調書等に依れば被告人は昭和二十八年七月十五日頃より同年十二月頃にかけて岩城秋雄の依頼に依り同人の所有株式(星製薬、東京銀行、東洋精糖、荏原製作所等)を証拠金代用に中外証券に差入れて信用取引をしていた(岩城は信用取引を被告人に依頼したことはないと証言しているけれども他面岩城は被告人から株券の預り通帳らしきものを見せられたことはあると云つている――尤も時期の点で若干喰違いがあるが――ことからも信用取引をしていたものと認めるのが相当である)ことが認め得られ(従つて岩城の証言中に見られる、被告人が預かつた株券は中外証券の金庫の中に置く云々と云う様な説明をしたとの部分は、右の信用取引に用いる証拠金代用の株券に関する説明であつて被告人はこれと混同して其の後に於て行われた、法律上は消費貸借があつたものと解せられる株券についても中外証券の金庫に入れて置くものと誤解したのではないかと思料せられる)又東京地裁昭和三十二年証第三四六号の内一号の玉帳及び昭和三十一年十一月四日附司法警察員に対する被告人の供述調書に依れば被告人は岩城に対しては株を借受けた対価として株価の時価の七掛に対し月二分五厘と云う高率の支払を約していたことも認められ(従つて岩城の最初は配当の話がなかつたと云う証言は信用取引に関する証拠金代用の株券に関するものであつたと思われる)又被告人が警視庁にて取調を受けている頃作成して提出したものと見られる上申書(昭和三十一年十一月九日附検察官に対する供述調書添付)に依れば預り株券に対する品借り料は毎月株価の時価の七掛に対して二分より五分迄と明瞭に記載せられ且つ昭和三十年四月より昭和三十一年五月迄に支払つた品借り料の総計は(岩城、海瀬、青木、冨田分を含む約二十三名に対し)百九十四万円余にのぼることが記載せられていることが認められるし、更に安井市郎の証言及び弁第七号証の一、二、弁第八号証に依れば本件と全く類似した関係の下に被告人に株券を預託した安井市郎は相当額の所謂配当を受け取つていたが被告人が思惑の失敗に依り株券の返還が出来なくなつた結果民事訴訟を被告人相手に提起して結局和解したことが認められる。
以上の様な諸事実を綜合して判断すると前記の如く結局被告人は岩城及び高橋志寿夫から依頼を受けて行つた信用取引の結果失敗して同人等から預託を受けて中外証券に差入れていた株券を喪失した結果岩城からはその不始末を強く責められるまま他から株券を借り受け更に現物の取引を行つて失つた分を取返すからと云うことにして岩城に株の借受の世話を頼んだところ、岩城は既に自らは殆んど株の持合せがなかつたので知合の海瀬を紹介し更に青木、冨田等をも紹介して被告人が株を借受けることに骨折つてやつたもので、岩城自身は被告人が借受株を担保にして金融を得て思惑をやることにより被告人が儲けた場合には利益を得る可能性こそあれ仮に失敗しても他の人々の株券が危険にさらされるに過ぎないと云う立場にあつた為被告人に株を貸した場合の危険性を殆んど意に介せずして、単に株を貸した場合の配当の点のみを強調して海瀬、青木、冨田等に被告人に株を貸すことをすすめたものと見得る。従つて岩城は勿論海瀬、青木等も被告人が借受け株を担保にして金融を得て思惑をやることは当然予想していたものと見るべきで(岩城が会社に於て株券を担保にして利用しているのではないかと思つていたと証言しているのはその間の事情を物語るものと思われる)被告人が株の借受に当つて株を売る様なことはしないと云うことを言つたにしてもそれは単になるべく株を売つてしまつて名義が変る様なことはしない様にすると云う趣旨で云つたに過ぎないものであつて、これが為に被告人が借受けた株を必ず其の儘返還することを約したものとは見得ないのである。何故ならば株を担保に供すれば(それは昭和三十二年証第三四六号の内第五号の担保証券差入証書にも見られる様に譲渡担保を意味することが多いであろう)借受金の支払を怠れば株券をとられることは当然であつて、左様な場合に名義変更を防止出来るものではないからである。而して斯様な担保に供する利便があればこそ株価の時価の七掛に対する月一分乃至二分五厘の高率の対価を支払つたものと解するのが相当であつて、岩城、海瀬、青木、冨田の主張する様に株券を中外証券の金庫中に保管するのみでは逆に保管料の支払を要求せられることこそあれ、右の様な多額の配当をする利益が生ずる余地はない筈である。
以上縷々説明したところを要約すれば結局岩城、海瀬、青木、冨田等が被告人に株券を渡した趣旨は、被告人に株券を貸し与えて、同人がこれを担保に供して金融を得る便宜をはかつてやつたものであり、被告人はこれに対して株価の時価の七掛の月一分乃至二分五厘の対価を支払つたものであり、その法律上の性質は株の消費貸借(尤も被告人が配当で株を買いそのまま預り証を渡して預かつたものについては準消費貸借になるわけであるが、事柄を簡明にする為に従来単に消費貸借と書いた)であつたものと云うべきである。
果して然らば被告人がこれを担保に供するも(起訴状には被告人が直接証券会社に委託売付した様になつているが真実は譲渡担保又は担保に供し、その後担保権者に依つて処分せられたものである)横領罪を構成する謂れなく従つて被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡をすべきものと認める。
(尚これは蛇足であるけれども、岩城、海瀬等は株券を預けても(正確に云うと貸したのであるが)印鑑証明及び白紙委任状がなければ株券の処分(従つて担保に供することも)は出来ないものと信じていたのではないかと疑われる節があり、商法の改正を知らない素人としてはあり得べき錯誤であるが、この事が被告人に株を貸与える際念頭にあつたが為に内心では株を売られるおそれがないと安心していたことが本件の発生原因であつたのかもしれない。しかしこの事から直ちに詐欺罪に問擬することは困難であるし、その他全証拠に依つても訴因を変更して詐欺罪を認定する余地は少いと思われるので訴因の変更は命じなかつたことは既に述べた通りである。結果から見ると虎の子の財産を失つた被害者等には気の毒なことになつているけれども、これも株式と云うものに無智なものが蒙つた損害と云う外ないのであろう。)
仍て主文の通り判決する。
(裁判官 熊谷弘)