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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3539号 判決 1960年4月06日

原告 飯田努

右訴訟代理人弁護士 神谷安民

被告 豊岡範行

右訴訟代理人弁護士 宮崎梧一

主文

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地上に存する同目録記載の建物を収去して右土地を明け渡し且つ昭和三十一年十一月十四日より右明渡ずみまで六ヶ月金六千三百五十円の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、原告は、被告との間に賃貸借契約が存するといい、被告は、先ずこれを争つているので、この点について判断する。成立に争のない甲第二号証、乙第一、二号証、乙第五号証の五及び六、その一部は成立に争なく、争のある部分については証人飯田峰造の証言(第一回)により成立を認め得る甲第三号証の一並びに証人飯田峰造(第一回)、同飯田アイの各証言及び原被告各本人尋問の結果(但し、被告の分については一部をのぞく)に本件弁論の全趣旨を併せて考えると、被告は、原告の父飯田峰造より、昭和二十二年九月十九日、本件土地を、当初、坪数を二十坪三合、賃料を月坪当り三円八十銭とし、右賃料の支払は毎年三月十九日と九月十九日の二回に六ヶ月分を右峰造方に持参前払の約束で期間の定めなく賃借りし、同地上に登記の建物を所有していたところ、昭和三十年五月十二日頃に至り、右峰造は、右土地を原告に贈与し、その旨の登記がなされ、しかしてその後は、原告が右峰造の地位を承継し、被告との間に本件土地の賃貸借関係が継続されることになつたが、只、右の際、本件土地の坪数を二十一坪一合七勺とあらため、また、当時賃料は月坪当り五十円となつていたが、この支払日を毎年三月十三日と九月十三日(に六ヶ月分持参前払)とあらためたうえ、従来どおり期間の定めなく賃貸するものであることが認められ、被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右する証拠はない。

被告は、右峰造から原告に本件土地所有権の移転がなされてその旨の登記がなされたとしても、右は名義上だけのことであるから本件賃貸人たるの地位の承継までもは伴わないというが、なるほど、右峰造は原告の父であり且つ上掲の各証拠によれば右所有権の移転後も峰造が原告に代つて本件賃貸借関係の一切の事務を執つていたことは認められるが、しかし、ことを法律的に観察すると、やはり、右峰造の貸主たるの地位は当然原告に承継され、峰造・被告間の従来の契約関係は(後記のように移転しないものをのぞき)挙げて原告・被告間に移転したものとみられるから、被告が右原告との関係において賃借人たるの地位を抛棄するというのなら格別、そうでない限り被告は爾今原告に対して賃借人としての義務を負うのである。被告の本主張は理由がない。

二、しかして、前記のように、被告が原告に対して賃料の不払があること、原告がこれに対して催告及び停止条件付解除の意思表示をしたにもかかわらず、被告が右催告の期間内に右賃料の支払をしなかつたことは、当事者に争がない。

三、被告の抗弁の第一は、相殺契約の存在である。

この点については、右峰造が被告に対して金二万円の返還債務を有していたこと及びこれに関し昭和二十五年九月頃峰造と被告との間に右債権と本件賃料債権とを相殺してその間被告は賃料を支払う義務を負わない旨の相殺契約を結んだことは、当事者間に争がない。

しかして、被告は同年九月の支払分より昭和二十八年三月の支払分までとはすでに相殺したがなお残額が九千三十八円あり、しかして右相殺契約の効力は原被告間にも及ぶから、被告は原告のいう不払賃料の支払義務を負わないと主張し、原告はこれを争うので、この点について考えるに、先ず、右峰造と被告間において右の期間内に決済がついたか否か換言せば被告はなお残額についての相殺を主張し得るかについては被告の主張に沿う乙第四号証の一ないし三、乙第五号証の一、二及び七並びに証人豊岡芳子の証言及び被告本人尋問の結果は、これを原告のいうところに沿う甲第五号証並びに証人飯田峰造第一、二回)、同飯田アイの各証言及び原告本人尋問の結果を綜合対比して観察してみると、容易にこれを措信することができず、むしろ右原告のいうところに沿う各証拠によると前記の期間内に右決済は終了し、そのゆえに被告は右峰造及び(峰造を通じて)原告に対し右期間の後である昭和二十八年九月より昭和三十一年三月まで引き続き再び本件賃料を支払つてきたのであることが窺われるから、いずれにしても被告の本抗弁は、その立証が充分なき点においてすでに理由がない。のみならず、右の点はさておき、峰造・被告間の右のような相殺契約の効力が原被告間にも及ぶかとの点をみるに、これは否といわなければならない。なるほど、借地人がその借地上に登記ある建物を有している場合に右土地についての所有権の移転及び登記があつたときには、右借地権について登記がなくても、旧所有者と借地人間の借地契約関係はすべて新所有者と借地人との間に移行するのが原則ではある。しかし、右にいう借地契約関係とは、借地人の当該土地に関する使用収益権を生ぜしめる基本となる契約関係をいうのであつて、これと関係があるものなら如何なるものでも移転するというのではない。本件峰造と被告間になされた相殺契約の如きは、なるほど一面において借地契約の内容をなす賃料に関するものであつたとしても、これと相殺関係にたつものは、証人飯田峰造の証言(第一回)及び原被告各本人尋問の結果により右峰造があやまつて被告から本件と別の土地の貸借に関して受けとつた金二万円の返還債権であると認められるので、右は峰造個人の負うべき債務に関するものである。したがつて、このような場合には、右相殺契約の効力は、当事者間に特段の意思表示がない限り、当該契約を締結した者(及びその包括承継人)の間にしか及ばず、新所有者(すなわち原告)と借地人たる被告の間には及ばないものと解すべきである。しかして、本件において、当事者間に右のような特段の意思表示があつたとの主張も立証もないから(貸主たる峰造と原告とが親子であるというだけでは不十分である)、峰造と被告間の右相殺契約の効力は、原被告間には及ばない。したがつて、被告は、これをもつて原告に対抗できないから、この点においても本抗弁は理由がない。

四、次に、権利濫用の抗弁について判断する。上記一において認定した事実に証人飯田峰造の証言(第一回)及び被告本人尋問の結果を併せると、被告は右峰造から昭和二十二年本件土地を賃借して以来、同所に建物を所有して果物商を営み、本件賃料不払を行つた昭和三十一年九月頃までの間は土地賃借人としての特段の不信行為もなく、しかも本件土地の存する場所の特殊性(同所が東京都渋谷の繁華街に属することは公知の事実である)を考えると、只一度の賃料不払を理由として原告が本件賃貸借契約を解除したのは、一見権利の濫用的な面があるようにみえるかもしれない。しかし、場所が右のような場所であるだけに借地人は一層地代の支払を確実且つ迅速になすべき必要も亦存するのであり、且つ、一回分といつてもその内容は六ヶ月分であり、そのうえその支払の催告を受けてもなお支払わず、しかも、たとえ当時被告は前記のような事情によつて本件不払分賃料の支払義務を負つていないのだと思い込んでいたとしても(それが誤つていることは前示したとおりであるが、)、少くとも原告方ではこれを争つているのであり且つ(仮に原告方からある程度迫られた結果だとしても)前記のように昭和二十八年九月分からは再び賃料を支払い続けてきていたのであるから上記のように原告の方から賃料支払の催告を受けたときには、たとえその一部でも支払うことの方途に出ておればともかく(この支払つた分を争うのは又別の方法によつて可能なのである)、右一部の支払すらなさずに只管当該賃料の支払を拒み続けるとあつては、これは最早土地賃貸借契約における貸主借主・間の信頼関係を破壊するものというの外なく、したがつて、これを理由とする原告の解除権の行使を目して権利の濫用となすことはできない。

五、よつて、原告が被告に対してした本件賃貸借契約解除の意思表示は有効であるから、右契約は前記のように昭和三十二年二月二日の経過とともに適法有効に解除されたものというべく、したがつて、原告が被告に対し、右に基き、本件建物の収去及び本件土地の明渡並びに被告の右賃料支払期の後である昭和三十一年十一月十四日より右解除のときまでの賃料及びこの解除のとき以後右明渡ずみまでの遅延損害金として各六ヶ月金六千三百五十円の割合による金員の支払を求める本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用は敗訴した被告の負担として主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言は、その必要を認めないので、これを付さない。

(裁判官 小谷卓男)

<以下省略>

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